Before URIAH HEEP
13/10/02 Updated

Mick Box / RICK DICE & THE GAMBLERS / THE STALKERS #1 / THE STALKERS #2 / David Byron / Avenue Records Years / Reg Dwight / SPICE #1 / Barry Green / SPICE #2 / SPICE #3 / Paul Newton / THE PLAY / Alex Napier / SPICE #4 / SPICE #5 / SPICE #6 / Ken Hensley / URIAH HEEP


URIAH HEEPの結成までのイキサツ話などを!

Mick Box は現在まで続く URIAH HEEP の柱となっている人なので、Mickの軌跡から追っていくことにしよう。


Mick Box Born

Mickは1947年6月9日にロンドンのワルサムストゥで生まれた。Mickは幼年期に Buddy Holly などに憧れていたそーで、14歳の時にウクレレを手にすることでギターを始めた。

Mickが最初に組んだバンドには女性ボーカリストが2人いたそーな。このバンドは Cent Panelas Town Hall にて初ライヴを行なった。


RICK DICE & THE GAMBLERS

その後、Mickは RICK DICE & THE GAMBLERS というプロジェクトに参加。


THE STALKERS #1 (1964 Winter - 1965)
Mick Box
(guitars), Bobby (vocals), Richard Herd (bass), Rog Penlington (drums)

1964年の冬にMickは THE STALKERS を結成した。Mick当時17歳。


THE STALKERS #2 (1965-1967/8?)
Mick Box
(guitars), David Garrick (vocals), Richard Herd (guitars), Alf Raynor (bass), Rog Penlington (drums)

Mickは David Byron と衝撃の出会いを持ち、DavidをBobbyの替わりにバンドに加入させることにした。

David Byron は1947年1月29日にロンドン東部のイースト・エンドで生まれた。母親がジャズ・クラブのシンガーだったことで Davidは芸能界に入り、5歳か6歳の時には子供番組やTVのバラエティ番組にもちょくちょく出演するようになった。なお、SPICEでデビューするまでは本名の David Garrick で通していた。

THE STALKERS は Davidの加入とほぼ時期を同じくして、ベーシストとして Alf を加入させ、Ricky Hurd をギターにチェンジさせて、5人編成のツイン・ギター・バンドになった。リハーサルや地道なギグをこなしていた THE STALKERS は 1967年には Marquee Clubで定期的にライヴを行えるまでになり、1967年4月29日には "14 Hour Technicolour Dreamcoat"というフェスティバルに PINK FLOYDや TOMORROWらと出演したこともあった。

が、1967年夏(?)には解散してしまった。


Avenue Records Years (1967-1971)
David Garrick
(vocals), Mick Box (guitars), Reg Dwight (vocals, piano) etc

THE STALKERS 解散に伴い、MickとDavidは 1967年(冬?)から Avenue Records と契約し、雑貨屋でも買えるよーなヒット・チャート物のアルバムの為にレコーディングした。THE STALKERS自体はまだレコード契約を結べるほどのバンドではなかったし、こういったスタジオ・レコーディングのバイトで小遣いを稼ぐことはプロの世界へのステップアップにもなったに違いない。Davidは幼少期から子供番組やTVのバラエティ番組に出演していた芸能人であったから、シンガーとしても最適な仕事であったろう。

Avenue Records時代の特筆すべき点は、MickとDavidが Reg Dwight (Elton John) や Peter Lee Sterling (Daniel Boone) と一緒に仕事をしたことだろう。

Reg Dwight は 1947年3月25日にロンドン北部のミドルセックス州ピナーにて生まれた(本名 Regnald Kenneth Dwight)。母の勧めで4歳の頃にピアノを始め、1958年には奨学金を受け、ロンドンのロイヤル・アカデミー・オブ・ミュージックに入学。卒業後、1961年から1966年にかけて BLUESOLOGY というR&Bのバンドに参加し、1965年7月にシングル "Come Back Baby"でプロ・デビューを果たした (以後3枚のシングルを発表)。1967年には NME紙に掲載された Liberty Recordsのオーディションで Bernie Taupinと出会い、オーディションに落ちた Regは Bernieをソング・ライティング・パートナーとする。1968年に Dick James Music と専属契約をした Regは、BLUESOLOGYのメンバーだった Elton Dean (後にSOFT MACHINE)と (Long) John Baldry の頭名をとって "Elton John" と芸名をつけたのだった。その後、破竹を飛ばさんばかりの勢いで世界的な活動はしたのは周知のとおり。

1969年〜1970年初頭にかけ、David (とMick?) が Reg Dwightらと一緒に演奏した曲が 『REG DWIGHT'S PIANO GOES POP』 の中で聴ける。


SPICE #1 (1967)
Mick Box
(guitars), David Garrick (vocals), Barry Green (bass), Nigel Pegrum (drums)

MickとDavidは Avenue Records でバイトをしながら SPICE を結成した。しかし、SPICE #1 は早速メンバー・チェンジ。Barry Green は Barry Blue に名前を変えて、1973年9月に全英2位のシングル・ヒットを放つ成功を掴んだ。

Barry Green Barry Green / Barry Blue page


SPICE #2 (1968/01-1968/06)
Mick Box
(guitars), David Garrick (vocals), Alf Raynor (bass), Nigel Pegrum (drums)

Barryが辞めたので、1968年1月に THE STALKERS で一緒だった Alf Raynor を呼び戻し、SPICE #2 となる。そして、このメンツで初のレコーディングとなる "What About The Music"を録音。しかし、B面の録音を残して、1968年6月には Alf を解雇。

また、David は、同名のポップ・シンガーがシングル・ヒットを放っていたため、David Byron という名前で活動することにした。

ちなみに、同名のポップ・シンガー "David Garrick" は、本名を Philip Darryl Core と言い、Riverpool で生まれた。1965年に "Go" という曲で Piccadilly からデビュー。1966年に ROLLING STONES のカヴァー "Lady Jane" が全英28位、同年リリースの "Dear Mrs.Applebee" が全英22位を気録するヒットを放った。特に "Dear Mrs.Applebee" は当時の西ドイツで1位を気録し、半年以上30位内にランクされたほど。しかし、それ以降 10枚以上のシングルをリリースしたもののヒットには恵まれなかった。


SPICE #3 (1968/06-1969)
Mick Box
(guitars), David Byron (vocals), Paul Newton (bass), Nigel Pegrum (drums)

Alfの後任にはTHE GODSにいた Paul Newton を迎え入れた。

Paul Newton は1945年2月21日にエンデバーで生まれた。Paulの最初のバンドは、1959年に参加した JUST MEN というバンド。1966年になると Brian Davison (drums) らとジャズ・グループである SHINN を結成するが、Brianが Keith Emerson (keyboards) からの要請で THE NICE の結成に引き抜かれてしまったため、これもあっけなく解散。1967年7月になって、URIAH HEEP のもう一つのルーツともなった THE GODS からお呼びがかかり、ここで Ken Hensley と初めて接触することになった。Paul在籍時のTHE GODS は第2期にあたり、Ken (keyboards, vocals), Paul (bass), Joe Konas (guitars, vocals), Lee Kerslake (drums, vocals) というメンバー構成であった。Paul は1968年3月まで THE GODS に在籍していた。

Paul を迎え入れた SPICE #3 は 1968年9月には Marquee Clubのステージに立ち、ようやくシングルのB面となる "In Love" を録音。アセテート盤として4曲入りのデモ・シングル"Funny Man At The Fair / In Love / Masquerade / Leila"を制作するが、結果的には1968年11月29日にシングル"What About The Music / In Love"を発表した。翌12月には約25日にも及ぶコンサート・ツアーも敢行している。

しかし、1969年に入ると今度は Nigel Pegrum が脱退してしまった。シングルやライヴの告知を似顔絵入りで宣伝していた SPICE にとっては大きなダメージだったようで、しばらく活動が停止してしまう。ちなみに、Nigel は変拍子プログレ・バンド GNIDROLOG に加入した。


THE PLAY (1969)
Mick Box
(guitars), David Byron (vocals), Paul Newton (bass), Alex Napier (drums)

Nigel Pegrum が脱退してからドラマーを探していた SPICE は、遂に Alex Napier を見つけた。

Alex Napier Alex Napier page

Nigel Pegrum の存在が大きかったのであろうか、当初 Alex を含めたメンツでのバンド名として THE PLAY というバンド名がつけられ、デモ・テープまで作るが、バンド名はすぐに SPICE に戻された。それは丁度 Gerry Bron が彼らと契約をしたことと関係があるかもしれない。


SPICE #4 (1969/2? - 1969 summer?)
Mick Box
(guitars), David Byron (vocals), Paul Newton (bass), Alex Napier (drums), Roy Sharland (keyboards)

かくして、Gerry Bron のバックアップの元、SPICE #4 は1969年2月21日には DEEP PURPLEの前座を務めたり (チラシにはまだ Nigel Pegrum 時代の写真が使われていた)、頻繁に Marquee Club でライヴをするなど積極的に活動した。キーボードには Roy Sharland なるセッション・プレイヤーが参加していた(ライヴ用メンバー?)。ちなみに、Royは Arthur Brownのバック・バンドや、FUZY DUCK の唯一のアルバム 『FUZY DUCK』 (1971年) に参加した。


SPICE #5 (1969 summer?-1969/12)
Mick Box (guitars), David Byron (vocals), Paul Newton (bass), Alex Napier (drums), Colin Wood (keyboards)

MickとDavidには Avenue Records のバイトがあったものの、SPICEとしてはシングル1枚しか発表していなかった。そこで、Lol Coxhill や John Stevens との共演で知られるジャズ系のキーボード・ブレイヤー Colin Wood を雇い、レコーディングをした。

この時の録音が 『THE LANSDOWNE TAPES』で聴くことが出来る。

また、SPICE #5 による録音のうち、ライヴでもやっていたという "Come Away Melinda"、そして" Wake Up" は URIAH HEEP のデビュー・アルバム『VERY 'EAVY, VERY, UMBLE』に収録されることとなる。


SPICE #6 (1969/12-1970/02/17)
Mick Box
(guitars), David Byron (vocals), Paul Newton (bass), Alex Napier (drums), Ken Hensley (keyboards,guitars,vocals)

1969年12月、「SPICEにゃ何かが足りない。楽器が出来て歌える専任のメンバーを!」 という Gerry Bron の提案があり、Paulの THE GODS 時代の同僚 Ken Hensley を SPICE に迎え入れた。Paulの父親が SPICE と THE GODS のマネージメントをやっており、Paul の父親が Gerryに手紙を送っていたらしい。


Ken Hensley は1945年8月24日にロンドンで生まれた。Bill Haley や Baddy Vee が好きだった Kenは12歳の時にギターの教則本を片手に独習し、1960年9月には Stevenage にある The Mentmore Pen Factory で初めてのギグを行った。その後、従兄弟の John Hollingsworth と一緒に THE BLUE NOTES を結成。このバンドは後に THE BLUE STARS とバンド名を代え、Kenの顕著なるギターの上達ぶりが従兄弟たちに認められ KEN AND THE COUSINS というバンド名になった(笑)。さらに1961年にはリズム&ブルースのバンド KIT AND THE SARACENS を結成。このバンドは1962年まで続いた。

1963年になると THE JIMMY BROWN SOUND に加入し、初めてプロ・ミュージシャンとしての仕事をした。このバンドはワンマンのライヴも行っていたが、当時訪英していた B.B.King (Ben E.King?) のバック・バンドもしたりしていた。

1965年になって、今度は自身のリーダー・バンド THE GODS を結成。メンバーはKen Hensley (keyboads,vocals), Mick Taylor (guitars), John Glasscock (bass), Brian Glasscock (drums)から成る。イギリスの THE BIRDS のオリジナル・シンガー Tony Monroe (vocals) も、しばらく THE GODS に参加していたようである。

ちなみに、THE GODS の前身バンドは1962年に結成されたTHE STRANGERS で、メンバーは Mick Taylor (guitars), Alan Shacklock (guitars), John Glasscock (bass), Brian Glasscock (drums)から成る。このバンドは後に Malcolm Collins を加えて THE JUNIORS と改名し、1964年にシングル "There's A Pretty Girl / Pocket Size"を発表。しかしながら、THE JUNIORS が上手く機能しなくなり、Mick, John , Brian の3人は Ken Hensley と合流し、これが THE GODS になったわけである。(Alan Shacklock は後に BABE RUTH を結成している)

THE GODS #1 はライヴをマメにこなす傍ら、Mick Taylor は既に John Mayall からの呼びかけに応じて彼のライヴに客演するようになっていく。Mick にとっての THE GODS はフルタイム・バンドとは考えられなくなっていったようであるが、それでも何とか1967年6月2日にシングル "Come On Down To My Boat Baby / Garage Man"(Polydor 56168)を発表。(このシングルの頃には Brianの替わりに Lee Kerslake (drums)と Joe Konas (guitars) が参加した5人組だったという説もある) しかし、1697年6月半ばに Mickが John Mayall & BLUSEBREAKERS の正式メンバーとして参加することになり、GODS #1 は Kenを残して全員が脱退してしまう。(Mickは、1969年5月には THE ROLLING STONES のセッションに参加後、6月には正式メンバーとなり、1975年まで R.STONESのメンバーとして世界的な大活躍をしたのは言うまでもない)

1967年7月になると THE GODS #2 が Ken (keyboads,vocals), Paul Newton (bass), Joe Konas (guitars,vocals), Lee Kerslake (drums,vocals)というメンバーで復活。しかし、1968年3月には Paulが SPICE 加入希望のため脱退。Paulの後任に Greg Lake (bass) が加入して GODS #3 となったものの、Gregはすぐに脱退。(Gregは後に KING CRIMSON 結成に参加することになった)

ようやくメンバーが落ち着いたのは1968年9月からだった。GODS #4 のメンバーは Ken, Joe, Leeと復帰した John Glasscock (bass) だった。このメンバーで1968年に1stアルバム『GENESIS』、1969年に2ndアルバム『TO SAMUEL A SON』と、数枚のシングルを発表。THE GODS は SPEAK EASYで Jimi Hendrix のサポートアクトも務めたこともあり、Kenは Jimi (guitar,vocal), Noel Redding (bass) とセッションしたこともあったそーだ。1969年2月に THE GODS は解散。

THE GODS 解散後、1969年3月に CLIFF BENNETT BAND に参加。メンバーは Cliff (vocals), Ken (guitars), John Glasscock (bass), Frank Farley (drums)で、シングル "Memphis Street / But I'm Wrong" を発表。このバンドは1969年6月にメンバーを入れ替えて TOE FAT になった。TOE FAT のメンバーは、Cliff (vocals), Ken (guitars), John Konas (bass), Lee Kerslake (drums)で、アルバム 『TOE FAT』 を発表した。このアルバムには、CLIFF BENNETT BAND の曲 "But I'm Wrong" が再録されている他、Elton John/Bernie Taupin がわざわざ TOE FAT の為に提供した "Bad Side Of The Moon" も収録されている。TOE FAT は1969年8月にベーシストが John Konas から John Glasscock に交替し TOE FAT #2 となるが、すぐに Kenも脱退してしまう。

ちなみに、Kenの後任に Alan Kendall を迎えた TOE FAT #3 (Cliff, Alan, John, Lee)の写真が TOE FAT のシングル"Bad Side Of The Moon"の裏ジャケットに起用されているが、音源はアルバムのメンバー (つまり TOE FAT #1)である。また、Lee Kerslakeも脱退して Brian Glascock が加入した TOE FAT #4 は1970年に2nd『TOE FAT U』を発表。この年の12月には、あのDEREK & THE DOMINOS (当時後に JOURNEY を結成する Neal Schon 在籍) のサポートを務めたりしたが、TOE FAT は活動停止してしまう。Alan Kendall は TOE FAT活動中から BEE GEES のレコーディング・セッションに参加していたが、TOE FATの活動停止により、1971年には正式にBEE GEES のサポート・バンドのリード・ギタリストとなり、その後も BEE GEES を長年にわたりサポートして名声を得た。その後 TOE FAT は Cliff, Michael Clarke (guitars), Mick Hawksworth (bass), Tony Fernandez (drums), Lyn Naiff (vocal,keyboards) というメンバーでライヴをやっていたが、1972年に解散している。

TOE FAT 脱退後の 1969年11月〜12月にかけて Kenは Ken Leslie という変名を使い、HEAD MACHINE のアルバム『ORGASM』 を録音し発表した。このアルバムのメンツも TOE FAT 関係者で、John Glasscock (bass), Brian Glasscock & Lee Kerslake (drums) ら全員が変名で参加している。"Climax - You Tried To Take It All" は、TOE FAT の曲の再録だ。


...というわけで、Kenを迎え入れた SPICE であったが、バンド名を変更。Charls Dickens の小説 『DAVID COPPERFIELD』 の登場人物である邪悪な性格の男 "URIAH HEEP" から名をとって、そのままバンド名にしたのであった。


HOME