URIAH HEEP 1969-1971
12/08/23 Updated

URIAH HEEP #1 / URIAH HEEP #2 / Nigel Olsson / VERY 'EAVY, VERY 'UMBLE / URIAH HEEP #3 / Keith Baker / SALISBURY / URIAH HEEP #4 / Iain Clark / LOOK AT YOURSELF / URIAH HEEP #4b / URIAH HEEP #4c


URIAH HEEP #1 (1969/12-1970/02)
Mick Box
(guitars), David Byron (vocals), Paul Newton (bass), Alex Napier (drums), Ken Hensley (keyboards,guitars,vocals)

URIAH HEEP #1 とは、Ken Hensley が参加した SPICE #6 そのものである。URIAH HEEP #1 は "Gypsy", "Walking In Your Shadows", "Real Turned On", "I'll Keep On Trying" の4曲の録音を終えた。

バンド名を "URIAH HEEP" と決めたものの、既にブッキングされていた1970年2月14日 London, Imperial College公演、2月17日 Chelmsford, Festival Pop公演、2月21日 Twickenham、St Mary's College公演 (DEEP PURPLEの前座) については "SPICE" のバンド・ネームでライヴを行うことになった。Ken Hensley が参加した "SPICE" がライヴを行ったという事実は驚愕である反面、Alex Napier は解雇された。解雇の理由は、本当は妻子がいるのに「姉妹だよ」と嘘をついたり、リハーサルをすっぽかしたり遅刻したりが続いたことだった。Alexの解雇は2月17日の Chelmsford, Festival Pop公演直後とする説もあり、もしそれが真実だとすれば、2月21日の Twickenham、St Mary's College公演はドラマーが Nigel Olsson もしくは予想も出来ない臨時の誰か (Geoff Britton?) だった可能性もあり、真意を追究する必要がありそうだ。


URIAH HEEP #2 (1970/02-1970/04)
Mick Box
(guitars), David Byron (vocals), Paul Newton (bass), Nigel "Ollie" Olsson (drums), Ken Hensley (keyboards,guitars,vocals)

Alexの替わりのドラマーはすぐに見つかった。MickとDavidが廉価盤レコードの録音で一緒に仕事をしていた Elton John の仲間、Nigel Olsson に声を掛けたのだった。Nigel を得たバンドは URIAH HEEP (#2) と呼ばれるが、実際 Nigel の加入後に URIAH HEEP の名を公にして活動を始めたわけで、本当はこのメンツこそ URIAH HEEP #1 である。しかし、数々のバイオで #2と紹介され、またデビュー・アルバムでも Alex Napier が参加した曲が大半であるため、敢えて Nigelが参加した時のメンツを URIAH HEEP #2 とし、後に続けていくことにする。

Nigel Ollie Olsson → Nigel Olsson page (工事中)

Nigel Olsson は1949年2月10日にイングランド北部チェシュー州のウォルセイで生まれた。学生時代には FIREFLIES というバンドでギタリスト兼ボーカリスト(!) として活動し、バンドのドラマーが脱退したことにより自らドラムを叩くことになる。その後、Mick Graham (guitars) と出会い HONDAS を結成。
1967年11月には Mickと共に PLASTIC PENNY の結成に参加。P.PENNY はソロ・シンガーとして活動していた Brian Keith をリーダーとするロック・バンドで、ベースに Tony Murray、キーボードは Paul Raymond が在籍していた。P.PENNY は、1967年11月にリリースしたデビュー・シングル "Everything I Am" をいきなり UKチャートの6位に送り込む大ヒットを打ち立ててしまう。1968年3月には 1stアルバム 『TWO SIDES OF A PENNY』 を発表。順調な活動を続けていた P.PENNYであったが、1968年11月に Brian か脱退。4人編成となった P.PENNY は、NigelやPaulがボーカルを兼任する形で 1969年春に 2ndアルバム 『CURRENCY』 を発表するものの、1969年4月には解散してしまう。
実は、P.PENNY 解散の裏に Brian不在という事実が尾を引き、アルバム 『CURRENCY』 の発表を待たずして Tonyが 1968年12月〜1969年4月にかけて Dick James Music からアルバム・デビューする Elton John の 1stアルバム 『EMPTY SKY』 の録音に参加、Nigelも1曲だけ参加することとなった。
続いて、Nigelは 1969年1月に SPENCER DAVIS GROUP に参加。このバンドには、後に Elton John Band でも一緒に活動していくことになる Dee Murray (bass) や、Ray Fenwick (guitars) がバンドに在籍しており、1969年5月にはアルバム 『FUNKY』 を発表。しかし、1969年7月には早速脱退。その後、Elton John, Careb Quaye, Roger Hodgson (後にSUPERTRUMP) と ARGOSY なる一時的なプロジェクトに参加したりしていたが、1970年2月に Elton John の仲間であった David & Mick から声を掛けられた Nigelは、URIAH HEEP に加入したのであった。


VERY 'EAVY, VERY 'UMBLE

Nigel を得た URIAH HEEP #2 は "Dreammare""Lucy Blues" の2曲を録音し、デビュー・アルバム 『VERY 'EAVY, VERY, UMBLE』 を1970年4月に完成させることが出来た。

URIAH HEEP のデビュー・ライヴは、1970年3月20日 イギリスの Salisbury Tech Collegeでのライヴとされる。バンドは早速イギリスでショート・ツアーを敢行した。Nigelがドラムを叩いている写真がデビュー・アルバムの内ジャケに使用されているが、恐らくこのツアーの時からの写真であろう。

...が、Nigel はすぐに HEEPを離れてしまった。Nigelは HEEPのアルバム参加の為、Elton Johnの 2nd Album『ELTON JOHN』 への参加は出来なかったものの、もともと Eltonと活動を共にしており、Eltonに 「HEEPで週に£20稼ぐか、私と一緒にやって週に£200稼ぐかどっちがいいんだ?」と言われ、結局 HEEPのデビュー・アルバムの発売を目前にして離脱してしまった。(過去に在籍していた PLASTIC PENNYの音楽性から考えると HEEPのほうがマッチしていたように思えるだけに、残念だ。)

HEEPを離脱したNigelは 1970年4月21日にトリオ編成による Elton John Band のデビュー・ギグをこなしている。(この4月にイギリスのTV番組 "Top Of The Pops" に Eltonが出演して "Border Song"を歌ったが、Nigelがバックにいたかは不明) Elton John Bandは1970年8月までヨーロッパ中をツアーした。あとは皆さんご存知のとおり Elton John との活動で Nigelは素晴らしい富と名声を得ることになった。


URIAH HEEP #3 (1970/04-1970/12)
Mick Box
(guitars), David Byron (vocals), Paul Newton (bass), Keith Baker (drums), Ken Hensley (keyboards,guitars,vocals)

Nigel Olsson の後任はオーディションの結果 Keith Baker を迎えることになった。

Keith Baker Keith Baker page

Keith Baker は Gus Dudgeon のプロデュースの元で BAKERLOO のアルバムを発表 (Gusは Elton John のアルバムもプロデュースしている ) し、また直前まで SUPERTRAMP に在籍していた (その SUPERTRAMPの前身バンドには Nigel Olssonがいた) こともあって、何かと Elton繋がりの多い初期 URIAH HEEPにとっては自然な人選だった。

1970年4月26日にはロンドンの Roundhouceでライヴ。1970年5月5日には Maida Vale Studio で BBC放送用に "Dreammare", "Come Away Melinda", "Gypsy"の3曲をスタジオ録音した。5月12日に "Dreammare" と "Gypsy" のみが BBCで放送されたが、この音源は2003年にリリースされた 『VERY 'EAVY, VERY 'UMBLE (EXPANDED DE-LUXE EDITION)』 などで聴ける。ブックレットには "Nigel Olsson がドラマーだった"と書いてあるが間違えであろう。どことなくドラムの叩き方がギコちなく、加入したばかりの Keithが一生懸命叩いている(微笑)

1970年5月〜6月はイギリス・ツアー。1970年6月13日にようやく 『VERY 'EAVY, VERY, UMBLE』 がリリースされると、6月20&21日はドイツのハンプルグで開催されたフェスティバルへ出演、その後もイギリスとドイツを拠点にライヴ・スケジュールをこなしていった。HEEPはこのツアーで、KEEF HARTLEY BAND (Gary Thain在籍)、YES、BLACK SABBATH、PROCOL HARUM、GRACIOUS、TEN YEARS AFTERなどと出演を共にしたが、圧巻なのは、1970年8月7日の "10th National Jazz Blues & Pop Festival" に DEEP PURPLE, BLACK SABBATH, FAMILYらと一緒に出演した時であろう。

また、1970年10月2日には Maida Vale Studio で BBC放送用に "Salisbury", "Bird Of Prey" の2曲をスタジオ録音している (10月12日にBBCで放送された)。


SALISBURY

ライヴ・ツアーに多忙な URIAH HEEP #3 であったが、ライヴの合間を縫いながら 1970年10月〜11月にかけて 2nd Album 『SALISBURY』 を Lansdowne Studio で録音する。しかしながら、レコーディング期間中も頻繁にライヴ・スケジュールが組まれており、バンドの体制に順応できなかった Keith Baker は解雇されてしまう。12月16日のBolton Collage公演、もしくは12月23日のHarlow, Aquarius公演 (恐らくキャンセル) が Keithのラスト公演だと思われる。

 


URIAH HEEP #4 (1970/12-1971/11)
Mick Box
(guitars), David Byron (vocals), Paul Newton (bass), Iain Clark (drums), Ken Hensley (keyboards,guitars,vocals)

Keith Baker の後任として、Ken Hensley は THE GODS〜TOE FAT時代の仲間である Lee Kerslake を誘ったが、Leeは当時 NATIONAL HEAD BAND での活動を軌道に乗せていた時期だった為に HEEPへの合流を断っている。オーディションの結果、CRESSIDA というプログレッシヴ・ロック・バンドにいた Iain Clark が正式なドラマーに選ばれた。ちなみに Geoff Britton (後に ROUGH DIAMOND) もオーディションを受けたが落選。

Iain Clark Iain Clark page

URIAH HEEP #4 は 1970年12月から1971年7月まで続く長い"SALISBURY"ツアーに出向くことになった。Iain Clark の最初のライヴは 12月25日の Langelsheim - Beat Club公演である。

1970年12月29日の Berlin でのライヴは次のとおり → Bird Of Prey / Time To Live / So Nice (I See You Tonight) / Dreammare / Simon The Bullet Freak / Salisbury / Gypsy
この時のライヴ音源は Bootleg CD『BERLIN』で聴ける。"So Nice"はとてもブルージーなインプロヴィゼーション・ナンバーでアルバム未収曲、"Salisbury"はオーケストラはなく Ken Hensley が1人で頑張ってハモンドを弾きまくっていた。

1971年2月12日にはイギリスでようやく URIAH HEEP #3にて録音された 『SALISBURY』 をリリース。

1971年3月のステージでは早くも "Shadows Of Grief" が演奏されていた。また 3月26日〜4月にかけて初のアメリカ・ツアーを敢行、アメリカでもようやく 『VERY 'EAVY, VERY, UMBLE』 のアメリカ盤仕様である 『URIAH HEEP』 がMercuryよりリリースされた。

この時期 (1971年3月頃) はバンドの活動に多少余裕が出来たのか、Ken Hensleyが ドイツのバンド VIRUS のメンバーとセッションし、WEED としてアルバム『WEED...!』を1枚残している。また、David Byronも John Schroeder『WITCHI TAI TO』 に参加するなど、URIAH HEEPのメンバーは働き者なのであった。

1971年5月2日はベルギーのTV放送用に "Why" を演奏している。この時期すでに "Why"がライヴで演奏されたことは驚愕である。

1971年5月はスイスとドイツでツアー。1971年5月7日のスイス Zurich でのライヴは次のとおり → Bird Of Prey / Time To Live / Dreammare (including Mick Box Solo) / Shadows Of Grief / I Wanna Be Free / Why / Salisbury / Gypsy / Love Machine / Lady In Black
新曲"I Wanna Be Free", "Love Machine", "Why"がライヴで演奏されていたことに驚愕させられる。"Love Machine"はソロ部分が長いヴァージョンで、David Byronが歌の入りを間違えてしまいそうになっている。後にレコーディングされるスタジオ・テイクぐらいの曲の長さになったのは結果的に正解だが、この長いヴァージョンは貴重。また、"Lady In Black"はエピローグに向かい突進するようにテンポが速くなるヴァージョンで、このあたりの作風が後の"Look At Yourself"のオシビサのパーカッション部分に活かさていたのが良くわかる。

5月24日には Maida Vale Studioで BBC放送用に "I Wanna Be Free", "Love Machine", "Shadows Of Grief"の3曲をスタジオ録音している (6月1日にBBCで放送された)。

1971年6月はイタリア・ツアー、6月後半から7月中旬にかけては SHA NA NA, PALADINと共に イギリス・ツアーと、仕事に余念のない日々が続いた。


LOOK AT YOURSELF

1971年7月(後半?)には 3rd Album 『LOOK AT YOURSELF』 を録音。プロデューサーの Gerry Bron が Vertigo Records から独立して自身の Bronze Records を設立したことにより、URIAH HEEP も Bronzeと契約をした。

8月からはまたイギリス・ツアーが始まり、8月29日の Kendal Festival では COLOSSEUM (Mark Clarke在籍)と出演を共にした。9月3日には Bronzeからの最初のシングル "Look At Yourself"がリリースされ、大ブレイク!

9月12日の Southend Palace Theatreでのアコースティックセット40分を含むトータル2時間半のステージは大きな話題を呼んだ。→ Acoustic Set : Introduction (by Iain Clark) / Cold Autumn Sunday / Leave It All Behind / Come Away Melinda / Lady In Black / In My Heart / What Should Be Done (Interval) Electric Set : Bird Of Prey / I Wanna Be Free / July Morning / Tears In My Eyes / Shadows Of Grief / Salisbury / Look At Yourself / Gypsy
注目は
"Leave It All Behind" という新曲 (アルバム未収録曲)、後に Ken Hensleyのソロ・アルバムに収録されることになる "Cold Autumn Sunday"をやったことだろう。"In My Heart"は "July Morning"のアコースティック・ヴァージョンか?

9月21日〜29日までは、PALADIN を前座にしたドイツ・ツアーを敢行。

1971年9月26日の Konz でのライヴは次のとおり → Bird Of Prey / I Wanna Be Free / Tears In My Eyes / Improvisation / Love Machine / July Morning / Salisbury / Look At Yourself / Gypsy

1971年10月1日、『LOOK AT YOURSELF』 がイギリスでリリースされた (アメリカ盤も同時期)。また、イギリスでは 1st & 2ndアルバムが Bronze Records より再発された。

1971年10月20日には Maida Vale Studioで BBC放送用に "Look At Yourself", "What Should Be Done", "July Morning" の3曲をスタジオ録音している。10月28日に "Look At Yourself"と "What Should Be Done"のみが BBCで放送されたが、この音源は 2003年にリリースされた『LOOK AT YOURSELF (EXPANDED DE-LUXE EDITION)』などで聴ける。

1971年10月〜11月はまたまたイギリス・ツアー。COLOSSEUM や THIN LIZZY などと出演を共にした。しかし、11月19日の Technical College公演でPaul Newton がステージで倒れてしまった。


URIAH HEEP #4b (1971/11/20)
Mick Box
(guitars), David Byron (vocals), Mark Clarke (bass,vocals), Iain Clark (drums), Ken Hensley (keyboards,guitars,vocals)

Paul Newton が1971年11月19日の Technical College公演で倒れた理由は神経衰弱であると診断された。ライヴのスケジュールはキャンセルされず、1971年11月20日の Dunelm公演では急遽 COLOSSEUM のベーシスト Mark Clarke が代役を務めた。


URIAH HEEP #4c (1971/11/21-1971/11/27)
Mick Box
(guitars), David Byron (vocals), Paul Newton (bass,vocals), Iain Clark (drums), Ken Hensley (keyboards,guitars,vocals)

1971年11月21日の Greyhound公演からは Paul Newtonが復帰したが、11月27日の Imperial College公演をもって Paul Newton と Iain Clark が解雇されることになった。

この時期、Ken Hensley が自身のソロ・アルバム用に FREE Paul Kossoff (guitars) & Simon Kirke (drums) とレコーディング・セッションをしていた。この時のセッション音源のうち "Cold Autumn Sunday", "Longer Shadows", "Black Hearted Lady", "If I Had The Time"は、1984年になって発表された Ken の Compilation CD『FROM TIME TO TIME』 に収録された。まさか、Kenは HEEPのドラマーやギタリスト(おい!)を替えたかったのか?


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