URIAH HEEP 1975-1976
09/11/15 Updated

URIAH HEEP #7 / John Wetton / RETURN TO FANTASY / HIGH AND MIGHTY / URIAH HEEP #7b


URIAH HEEP #7 (1975/03-1976/06)
Mick Box
(guitars), David Byron (vocals), John Wetton (bass,vocals), Lee Kerslake (drums), Ken Hensley (keyboards,guitars,vocals)

1975年1月には 新作 『RETURN TO FANTASY』 の為に Gary Thain を呼び戻して デモ録音までした URIAH HEEP であったが、この録音の前後に Gary Thain の回復を待ちつつも Ken Hensley と David Byron はそれぞれソロ・アルバムの制作を行なっていた。1975年2月に David Byron がソロ・アルバムの録音を着手するが、Lee Kerslake から HEEP加入の誘いを受けた John Wetton は、まづ David Byron 『TAKE NO PRISONERS』 にメトロトンなどで2曲に参加。このアルバムには 当時の HEEPのメンバーが全員参加した。

John Wetton John Wetton page

John Wetton は、KING CRIMSON のメンバーとして名を馳せ、K.CRIMSONが解散してからは ROXY MUSIC に助っ人参加していた。John Wetton が David Byron のソロ・アルバムに参加し、結局 Gary Thain との決別を決断した HEEP。そして、1975年3月24日に John Wetton は正式に HEEP加入を受諾したのであった。


RETURN TO FANTASY

久しぶりのイギリス録音。1975年春に Lansdowne Studio と Morgan Studio で録音された本作であるが、当初 Gary Thain がベースを弾いた曲と John Wetton がベースを弾いた曲とをアルバムに半分ずつ収録する予定だった。実際、本作のデモ・セッションで Gary Thain が4曲のベースを弾いており、充分有り得る話であったことが判る。録音時期のデータが「春」と漠然したものであるのは、どうもその辺りの事情が絡んでいるようだ。また当初はアルバム・タイトルとして 『PRIMA DONNA』 と呼ばれていたが、結果的に 『RETURN TO FANTASY』 となり、ベースは全曲 John Wetton が弾いたものでリリースされた。

1975年5月からデンマークやノルウェーをツアー、1975年6月からはドイツやイギリスをツアーした。

1975年6月6日(?)には 『RETURN TO FANTASY』 がイギリスでリリースされた (アメリカ盤も同時期)。イギリスでは 1975年7月7日にUKチャートの第7位にランクインされるほどの HEEP最大のヒット作となった。

日本では、今までの 日本コロムビア を離れ、アメリカ同様に ワーナー(パイオニア) に契約を移した。日本では 1975年7月10日にアルバム 『幻想への回帰 (RETURN TO FANTASY)』 と シングル 「幻想への回帰 (Return To Fantasy)」 をリリース。Ken Hensley の2枚目のソロ・アルバム『愛と苦悩 (EAGER TO PLEASE)』 も同時リリースされた。

1975年7月31日〜11月2日までは約3ヶ月にも亙る長期のアメリカ・ツアー (カナダも少々含む)を決行。時折 BLUE OYSTER CULT や Rod Stewart らとステージを共にした。

1975年6月20日の Furth - Grundighalle公演のセットリストは次のとおり → Davil's Daughter / Stealin' / Suicidal Man / Shady Lady / Prima Donna / Rainbow Demon / July Morning / Return To Fantasy / Easy Livin' / Sweet Lorraine / Gypsy / Bird Of Prey / Love Machine / Look At Yourself

1975年9月1日の California - Santa Monica Civic Auditorium公演はテレビ録画され、"Don Kirshner's Rock Concert"で放映された。この時の映像は 2004年になってリリースされた DVD 『CLASSIC HEEP LIVE FROM THE BYRON ERA』 の中で見ることが出来る → Shady Lady / Staelin' / Prima Donna / Return To Fantasy / Easy Livin'

1975年9月中旬には HEEPのアメリカ・ツアーの合間を縫って Ken Hensley が 『EAGER TO PLEASE』 のプロモーションの為、アメリカで数回のギグを行なっている。

1975年11月〜12月はイギリス・ツアー。働き者の HEEP!

1975年11月28日にはイギリスで 軌跡を称えたベスト・アルバム 『THE BEST OF...』 をリリース。日本でもイギリス盤にならった 『ベスト・オブ・ユーライア・ヒープ』 を 1976年1月25日にリリースした。アメリカでは1976年になって ジャケ違い&収録曲違い&年表付きでリリースされた。奇しくも 1975年12月8日に前任ベーシストの Gary Thainが精神安定剤の大量摂取により27歳という若さで死んでしまったのが何とも言えぬ悲しみを誘うが、このベスト盤を Garyに捧げたい。


HIGH AND MIGHTY

1975年12月〜1976年3月にかけて 『HIGH AND MIGHTY』イギリスの Roundhouse Studio にて録音。1975年に Ken Hensley が作ったデモ音源のうち "Take Care", "Anything Matter" は、1984年になって発表された Ken の Compilation CD『FROM TIME TO TIME』 に収録されたが、この2曲はそれぞれ歌詞とタイトルを変えて "Footprints In The Snow", "Woman Of The World" として録音された。

1976年2月には、レコーディングの合間を縫って ドイツやオランダで数回コンサートも行なっている。

また同2月に John Wetton は Bill Bruford とソロ・アルバムの為の曲をレコーディング。親しい友人である YES の Chris Squier がソロ・アルバムを発表したことに感銘を受け、Chris に打診を受けながら録音を進めていた。John Wetton が当時の ML誌に 「今年6月にソロ・アルバムをリリースしたい。HEEPで日本に行きたいけど、HEEPで行けなくても 7月頃に 1人でも日本へ行きたい」 と願望を語っていたが、結局 HEEPのアルバムもまだ録音が終了しておらず、その後に HEEPとのツアーも控えている状況下では、ソロ・アルバムを完成させることも出来なかった。なお、この時の音源は 1998年になってリリースされた John Wetton + Richard Palmer-James の 『MONKEY BUSINESS』 の中で2曲聴ける。Mick Box が貸した ストラトキャスターを Johnが弾いて録音しており、コレクターは買って聴かないとね(笑)

1976年3月に『HIGH AND MIGHTY』 のレコーディングが終了し、間髪入れずに1976年3〜5月にはアメリカ・ツアーを敢行 (FOGHATなどがサポートについた)。

1976年3月26日の New York - St.Paul Civic Center公演では、John Wetton が感電事故に遭ってしまった。以下ML誌より抜粋 「演奏中、突然 John Wettonはステージにしゃがみこんでしまった。驚いた David Byron が John のところへかけ寄ったが、すぐに電流が体内を通りぬけるという、恐ろしい感電事故に見舞われたことがわかった〜楽屋に運ばれたジョンの容体は電流の一時的なショックだけで、彼は1曲を休んだだけですぐにステージに戻り、演奏を続けた。」 (Thanks to nobusan for an info.)
Gary Thain の二の舞いか? と思われた事故だっただけに John Wetton及びファンの心中も穏やかではなかったことだろう。ちなみに感電事故は 1975年8月23日の Minneapolis - Sports Center公演 (Dave Ling氏)、もしくは 1976年4月の Philadelphia公演 (ASIA FC) だったとの説もあったが、諦めの悪いヒープファン(汗)の調べで1976年3月26日の公演だったと確認することが出来た (2007年現在)。

1976年5月には 『HIGH AND MIGHTY』 がイギリスでリリースされた (アメリカ盤も同時期)。日本でも 1976年6月 『ハイ・アンド・マイティ (HIGH AND MIGHTY)』 がリリースされた。シングルはイギリス盤で "One Way Or Another"、スエーデン盤で "Make A Little Love" がリリースされたものの、ほぼ全世界的にシングルがリリースされなかった (もちろん日本盤もなし)。

1976年6月はイギリス・ドイツ・スペインなどをツアー。WIDOWMAKER (Bob Daisley在籍) や HEAVY METAL KIDS (John Sinclair在籍) らとステージを共にした。

1976年6年7日にはオランダの有名な Pink Pop Festival に出演している。Pink Pop Festival でのセットリストは次のとおり → Davil's Daughter / Stealin' / Shady Lady / Make A Little Love / One Way Or Another / The Wizard / July Morning / Midnight / Easy Livin' / Gypsy / Improvisation / Sweet Lorraine incl. Bass Solo / Bird Of Prey / Love Machine / Look At Yourself
この Pink Pop Festival は録画されており、"Midnight", "Mick Box Guitar Solo", "Sweet Lorraine" といった映像が 2004年になってリリースされた DVD 『CLASSIC HEEP LIVE FROM THE BYRON ERA』 の中で見ることが出来る。また、"High And Mighty Tour"のセットリストは大体上記のものであるが、"Make A Little Love" が演奏されない日もあった。。

1976年6月25日の スペインの Bilbao公演が UH#7 の最後の公演となった。そして、この公演の後に David Byron が突然解雇宣告されてしまう。

David Byron はアルコールに依存して年々態度が悪く(デカく?)なり、バンド仲間から嫌われ始めていたという。David Byron が何故アルコール依存症になったのかは不明であるが、弟のように可愛がっていた Gary Thain の死も関係しているのかも知れない (憶測)。

また、『HIGH AND MIGHTY』 からシングルが余りリリースされなかったのも、既に Davidの解雇を考慮に入れて、シングルをプロモーションする必要性が無いとの葛藤が HEEP & Gerry Bronサイドにあったのかもしれない(全て憶測)。Mick Box と共に THE STALKERS時代から HEEPのヴォーカリスト&エンターテイナーを演じてきた男の悲しい結末であった...


URIAH HEEP #7b (1976/07-1976/08)
Mick Box
(guitars), John Wetton (bass,vocals), Lee Kerslake (drums), Ken Hensley (keyboards,guitars,vocals)

David Byron が解雇され、HEEPは後任のヴォーカリストを探すことに。John Wetton にヴォーカルを兼任させることも考えられたようだが (Ken Hensleyとのダブル・ヴォーカル?)、結局 John Wetton も David の後を追うように HEEPを脱退してしまった。

David Byron が 当時の ML誌のインタビューで 「ヴォーカルの最終目標は (BEACH BOYSの) Brian Wilson だ。」 と語っている。John Wetton も常に 「Brian Wilson からは多大な影響を受けた」 と語っており、自らのステージで "God Only Knows"を演奏するなど BEACH BOYSフリークぶりを露呈している。David Byron と John Wetton はヴォーカリストとして共通の感銘を受けた仲であったわけで、David がいない HEEP に John Wetton も見切りをつけたのかもしれない (金の為だった発言はともかく)。

余談であるが、1997年に John Wetton が発表した『ARCANGEL』の中の "After All" という曲は、John Wetton が David Byron に捧げた曲だそうだ!(John Youngは否定しているが) でも、泣けるねぇ。

かくして、David Byron は新バンド ROUGH DIAMOND を結成。John Wetton は Bryan Ferry のバンドに参加後、スーパー・バンド UK の結成、80年代には ASIA で大成功をおさめることになる。


オマケ...John Wetton は HEEP在籍中の1976年に テキサス州ダラスの名誉市民に賞された。


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