URIAH HEEP 1976-1979
12/05/05 Updated

Audition for URIAH HEEP #8 / URIAH HEEP #8 / Trevor Bolder / John Lawton / FIREFLY / INNOCENT VICTIM / FALLEN ANGEL / LIVE IN EUROPE 1979 / Five Miles Sessions


Audition for URIAH HEEP #8 (1976/08?)
For example, reharsal of this line-up ; Mick Box (guitars), David Coverdale (vocals), Denny Ball (bass), Lee Kerslake (drums), Ken Hensley (keyboards,guitars,vocals)

David Byron と John Wetton の後任探しのオーディションが開始された。ヴォーカリストとしては、Ian Hunter (ex.MOTT THE HOOPLE), Gary Holton (HEAVY METAL KIDS), David Coverdale (ex.DEEP PURPLE) らに声を掛けた。Ian Hunter は丁度 2nd 『ALL AMERICAN ALIEN BOY』 を出したばかりで、当の本人にしても自信作であったため、HEEPからの誘いを断っている。Gary Holton は HEAVY METAL KIDS のフロントマンでありつつも丁度バンドから追い出されてしまい、HEEPからのお誘いはまさに"拾う神あり"のハズだったが、愛着のあった HEAVY METAL KIDS に未練があったのか、オーディションで落ちたのかは不明である。他にも、Paul Rodgers (BAD COMPANY), Ian Gillan (IAN GILLAN BAND), Ozzy Osbourne (BLACK SABBATH), Robert Plant (LED ZEPPELIN) らにも声を掛けた HEEPであったが、彼らは自身のバンドが成功していたので、門前払いであったことだろう。

というわけで、DEEP PURPLE が解散して無職であった David Coverdale が HEEP のオーディションにやってきた。ベーシストは Cozy Powell との BEDLAM に参加したり、Ken Hensley や David Byron のソロ・アルバムにも参加していた Denny Ball が努めた。David はレミー・マルタンのボトルを持ってやってきたそうで、HEEP とは ロックン・ロールのスタンダード曲を4〜5曲演奏したのだという。HEEP の新曲は歌わなかったのが残念であるが、この時のリハーサルを当時のローディが録音したらしい (聴きて〜)。しかしながら、David Coverdale は HEEP に加入せず、 自身のプロジェクト WHITESNAKE への道を選んだのであった。


URIAH HEEP #8 (1976/09-1979/08)
Mick Box
(guitars), John Lawton (vocals), Trevor Bolder (bass), Lee Kerslake (drums), Ken Hensley (keyboards,guitars,vocals)

試行錯誤のオーディションの末、ベーシストの Trevor Bolder、ヴォーカリストの John Lawton が正式に加入した。

Trevor Bolder → Trevor Bolder page (工事中)

Trevor BolderDavid Bowie のバック・バンド SPIDERS FROM MARS で名を馳せていたベーシスト。David Bowie の元を離れた SPIDERS FROM MARS は、ギタリストに KESTREL の Dave Black を迎えて単体のバンドとなったが、活動がうまく軌道に乗らず意気消沈していたところだった。

なお、Ken Hensley が 1976年に "Telephone", "New Routine", "Free Spirit" といった楽曲を書き上げており、1981年に発表された Ken のソロ・アルバム『FREE SPIRIT』、もしくは 1984年になって発表された Ken の Compilation CD『FROM TIME TO TIME』 に収録されている。Trevor Bolder と Kenny Jones (ds/SMALL FACES〜FACES) が録音に参加しているが、UH #8 のオーディションは新曲を弾かせながらオーディションしたというから、案外この時のセッション音源かも。

John Lawton → John Lawton page (工事中)

John Lawton は、ドイツの LUCIFER'S FRIENDLES HUMPHRIES SINGERS で活躍していたイギリス人シンガーで、MUD のドラマー Dave Mount から紹介されて Bronze Recordsにデモ・テープを送った。Ken Hensley がビデオ 『EASY LIVIN' - HISTORY OF URIAH HEEP』 の中で 「Roger Glover の紹介で」 と語っているが、そういった重複した推薦も適ってなのか John の HEEP入りが決まった (もちろん Johnのヴォーカルが素晴らしくて選ばれたわけだが)。


FIREFLY

新生HEEPの第1弾 『FIREFLY』 は 1976年10〜11月にかけてレコーディング。前作同様 イギリスの Roundhouce Studio にて録音された。

レコーディングが終了した後は、KISS のサポート・アクトとして 1976年12月8日の Atlanta公演 を皮切りに 1977年2月上旬までに及ぶアメリカ・ツアーを敢行。

1977年2月18日には 『FIREFLY』 がイギリスでリリースされた (アメリカ盤も同時期)。当時の MELODY MAKER誌に HEEP の 『FIREFLY』 の記事と、David Byron の新バンド ROUGH DIAMOND のニュースが合わせて紹介されているのが何ともいえない。

1977年2月下旬〜3月中旬まではイギリス・ツアー。過密なライヴ・スケジュールですな。

1977年3月25日には、日本盤 『ファイアフライ (FIREFLY))』 がリリースされた。

1977年3月中旬〜4月にかけは Woody Woodmansey's U-BOAT をサポートに起用した欧州ツアー。

1977年5月の初めにはイギリスBBCのテレビ番組 "Top Of The Pops" に出演して "Sympathy" を収録。この番組に出演する前日にはちょっとしたハプニングがあり、出演の前日にマネージャーがメンバーに連絡(遅いよ〜)、Mick Box 以外のメンバーは全員ロンドンにいたが、Mick Box だけは休暇でアメリカの New Mexicoに行ってしまい、警察やラジオ番組の協力を得て捜索した結果 Mick Box を発見。ロンドン行きの飛行機に間に合わせる為にエルパソ空港までサイレン鳴りっぱなしのパトカーに乗り(パトカー8台の護衛付き)、何とか無事間に合ったそーな。(ML誌)

1977年5月〜6月にかけては再びアメリカ及びカナダ・ツアーを敢行。

1977年5月、日本でシングル 「哀れみの涙 (Sympathy)」 をリリース。

1977年7月21日には スエーデンの Karlstad - Marjebergskogen公演を行なっている。セットリストは次のとおり → Do You Know / Stealin' / Look At Yourself / Lady In Black / The Wizard / July Morning / The Hanging Tree / Firefly / Sympathy / Who Needs Me / Easy Livin' / Gypsy / Sweet Lorraine
さすがに前作 『HIGH AND MIGHTY』 の曲はやっていない(笑)


INNOCENT VICTIM

John Lawton期HEEPの第2弾 『INNOCENT VICTIM』 は 1977年7〜9月にかけ、前作同様 イギリスの Roundhouce Studio にてレコーディングされた。

相変わらずレコーディングの合間を縫って数々のフェスティバルに出演した多忙な HEEP (ライヴでもやって息抜きしたほうが気分転換にいいのかな?)。1977年8月には ドイツの Open Air Festival に数回出演。この時の出演映像を編集した "Lady In Black" と "Firefly" の口パク映像が Bootleg Video 『GERMAN PROMO FESTIVAL』 で見れる。1977年8月26日には第17回 Reading Festival の初日に出演し、日本から観に行っていた音楽評論家の伊藤政則氏が HEEPのステージを大絶賛したことは有名な話である(笑...但し新作からの曲は演奏していない)。ちなみに 同日のステージには LONE STAR (John Slomanがいた) も出演していた。

1977年9月下旬〜10月にかけてはドイツを始めとした欧州ツアー。

1977年11月4日には 『INNOCENT VICTIM』 がイギリスでリリースされた (アメリカ盤も同時期)。前作のリリースから9ヵ月しか経っていないハイペース! 1977年11月25日には、日本盤 『罪なきいけにえ (INNOCENT VICTIM))』 、そして日本でのシングル盤としては目下のところラストとなっている 「フリー・ミー (Free Me)」 をリリースした。

1977年11月〜12月はイギリス・ツアーを敢行。何故か 『SALISBURY』 収録の "Lady In Black" がドイツでリバイバル・ヒットし、ドイツのヒット・チャートで13週連続1位という快挙を成し遂げた。ちなみにこの快挙のお陰で、ドイツでは音楽の教科書に使われるほどの名曲になった。

1978年1月にはドイツ・ツアー、1978年2月にはオランダ・ベルギー・ドイツなどをまわる欧州ツアーを敢行。ドイツでの12回のライヴでは6万人を動員するほどの熱狂振りで、当時のドイツで最高のレコードを売り上げたロック・アーティストとなった。

1978年2月20日 ドイツの Neuenkirchen - hemmerleinhalle公演におけるセットリストは次のとおり → Free 'N' Easy / Sympathy / Stealin' / Look At Yourself / Free Me / The Wizard / July Morning / Lady In Black / Cheat 'N' Lie / Who Needs Me / Easy Livin' / Gypsy / Sweet Lorraine
最後の3曲や全体的な流れは前作のツアー・セットリストと余り変わっていない。

1978年3月〜4月もドイツに行き、プロモーション・ビデオの撮影など行なっている。1978年4月29日にはドイツでの"Lady In Black"のヒットを賞し、Munichで Golden Lion賞を授与した。

1978年4月には早くも次作のレコーディングの為にスタジオ入り。しかし、レコーディングを一度中断し、1978年5月は RUSH のスペシャル・ゲストとしてアメリカ・ツアー、1978年5月下旬〜6月にかけてのコンサートでは、THE SWEET, RAINBOW, CHEAP TRICK, REO SPEEDWAGON らとステージを共にしている。なお、アメリカの後に日本とオーストラリアをまわる予定もあったが、次作のレコーディングを進めるために中止となった。


FALLEN ANGEL

John Lawton期HEEPの第3弾 『FALLEN ANGEL』 は 1978年4月及び1978年7〜8月にかけてイギリスの Roundhouce Studio にてレコーディングされた (Roundhouce Studioでのレコーディングは 『HEAD FIRST』 まで続く)。

例によって 1978年8月12日にはフィンランドの Ruisrock Festival、1978年9月8〜9日にはドイツの Dortmund Festival などに STATUS QUO と一緒に出演している。

1978年9月には 『FALLEN ANGEL』 がイギリスでリリースされた。アメリカでは Warner Bros を離れて Chrysalis よりリリース。

1978年10月〜11月中旬にかけては JETHRO TULL と一緒にアメリカ・ツアー、1978年11月中旬〜年内12月にかけてはイギリス・ツアーを敢行した。

日本ではワーナー(パイオニア)から東芝EMIに移籍して、1978年11月22日に 日本盤 『堕ちた天使 (FALLEN ANGEL)』 がリリースされた。


LIVE IN EUROPE 1979

1979年1月〜2月にドイツ・ツアー、1979年3月は再びイギリス・ツアーを敢行した HEEP。

1979年2月11日 ドイツの Saarbrucken - Saarlandhalle公演におけるセットリストは次のとおり → Look At Yourself / Easy Livin' / Stealin' / Falling In Love / Woman Of The Night / Lady In Black / The Wizard / July Morning / Free Me / One More Night / I'm Alive / Who Needs Me / Sweet Lorraine / Free 'N' Easy / Gypsy
最初から "Look At Yourself" と "Easy Livin'" という HEEP必殺の2大スピード・ロック・チューンを連続攻撃させるあたりアッと言わせるセットリストだ。NWOBHMを意識したのか!?

この1979年のツアーはオフィシャル・レコーディングされ、1979年1月19日の Frieburg - Stadhhalle公演、1月20日の Ludwigshaven - Erebsthalle公演、1月21日の Offenbach - Stadhalle公演、3月3日の Manchester - Apollo公演、3月7日の London - Hammersmith Odeon公演 という5公演から編集したライヴ盤 『LIVE IN EUROPE 1979』 が 1986年にリリースされている。


Five Miles Sessions

John Lawton期HEEPの"幻の"第4弾 『FIVE MILLES』 は 1979年5〜7月にかけてレコーディング。プロデューサーを Gerry Bron でなく ROLLING STONES のプロデュースで有名な Jimmy Miller に任せてレコーディングをした。

1979年7月28日には、Mick Box & Dianna Ruiz の結婚式が行われ、Ken Hensley や David Byron が出席している。John Lawtonは「David Byronに会ったことはない」と明言しており欠席...というか、バンドとの関係が悪化して出席できなかった(招待すらされなかった?)のかもしれない。

1979年8月18日にはベルギーの Bilzen Jazz Festival に出演。約4ヶ月ぶりのライヴだったが、まさかこの公演が UH #8 の最後の公演になってしまうとは...

1979年8月24日に John Lawton の解雇が報じられた。理由として 「Johnがどこにいくにも奥さんの Iris Lawton を連れてくるのでバンドとしてのまとまりに欠けた」 と言われている。本当のところは Johnのルックスに不満を持っていた Ken Hensley が、ヴィジュアル系のシンガーを加入させたからなのかもしれない (憶測)。

幻の 『FIVE MILLES』 の音源は、4CD BOX-SET 『A TIME OF REVALATION』 や、ブートレグ 『TEN MILES HIGH』 などで聴ける。→ "Five Miles" sessions


また、1979年未明に、Ken Hensley がストリングスを活かした楽曲 "You", "Guilty", "Maybe You Can Tell Me" をレコーディング。DEEP PURPLE 〜 WHITESNAKE の Ian Paice を迎えてレコーディングされた "Inspiration" も同時期とされる。これらの音源は Kenのソロ用の楽曲で HEEPのレコーディングではなく、1984年になって発表された Ken の Compilation CD『FROM TIME TO TIME』 に収録された。


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