URIAH HEEP 1986-1994
11/11/21 Updated

URIAH HEEP #13 / Phil Lanzon / Steff Fontaine / URIAH HEEP #14 / Bernie Shaw / LIVE IN MOSCOW / RAGING SILENCE / RAGING THROUGH THE SILENCE / LIVE LEGENDS / DIFFERENT WORLD / SPELLBINDER


URIAH HEEP #13 (1986/07-1986/10)
Mick Box
(guitars), Lee Kerslake (drums), Trevor Bolder (bass), Phil Lanzon (keyboards), Stef Fontaine (vocals)

URIAH HEEP の熱狂的なファンは 「とにかく続けてくれ!」 という思いを持っていた。解散だか活動休止だか知らないが、またロック・シーンに戻ってきて欲しいというファンの純粋な願いは MIck Box の心を激しく動かした。

まず Mick Box は 1986年4月に THE SWEET にいた Phil Lanzon に声を掛けた。Mick は Marquee Club での GRAND PRIX のライヴを見て Phil Lanzon のことを気に留めていた。Phil は THE SWEET でオーストラリア・ツアーをしている最中に Mick から突然の電話をもらったのだ。

Phil Lanzon → Phil Lanzon page (工事中)

Phil は GRAND PRIX が1984年に解散してからは SAD CAFE や Steve Glen との仕事や、Chris Glen, Phil Taylor, Robin McAuley らとのバンド OPERATOR (後に GMT に改名) といった単発・短命での仕事が多かった。THE SWEET にしてもバンド名の存続権の問題でゴタゴタしており、決して安定している状態ではなかった (結局 Phil の参加していた THE SWEET は Andy Scott's SWEET と改名された)。

そんな中、Mick と Phil は Phil の家の貸間で会った。2人は2〜3日一緒に過ごしてリハーサルをしたが、このリハーサルで 「お互いが組めば良いバンドになる」 と確信したのであった。

Steff Fontaine → Stef Fontaine page (工事中)

次に Mick は アメリカ人シンガー Steff Fontaine を見つけた。Steff は 早弾きギタリスト Joshua Perahia 率いる JOSHUA に在籍していたシンガーで、Mick が Steff のレンジの広い声を気に入ったわけだ。

そして、1986年7月、ついに URIAH HEEP の再結成が報じられ、HEEP は奇跡的な復活を果たしていくことになる!!!

URIAH HEEP #13 は 1986年8月10日からアメリカ・ツアー、1986年9月にはカナダ・ツアーを敢行した。

1986年9月7日 カナダの Montreal - Club Soda公演におけるセットリストは次のとおり → Roll-Overture / Sell Your Soul / Staelin' / The Other Side Of Midnight / Too Scared To Run / Heartache City / Rockarama / Angel / The Wizard / July Morning / Bad Blood / Gypsy / Easy Livin' (encore) That's The Way That It Is / Look At Yourself
UH #13 でのアルバムもなくツアーをしていたので、「EQUATOR」ツアーの一環で、セットリストも95%一緒である。Peter Goalby が歌えなくなってしまった "July Morning" が復活しているのが嬉しい。

1986年10月には フロリダなどでライヴを敢行。Steff は素晴らしいヴォーカルを披露していた。しかしながら、Steff はオフ・ステージではヴォーカルのトレーニングもせず、リハーサルにも遅れるなどバンドの規律が守れなかった。よって、たった4ヵ月弱の在籍をもって Steff は解雇となった。※Steffは HEEPの後に SAMSONに加入したがまたすぐに脱退...


URIAH HEEP #14 (1986/11-1995/03)
Mick Box
(guitars), Lee Kerslake (drums), Trevor Bolder (bass), Phil Lanzon (keyboards), Bernie Shaw (vocals)

Mick Box はアメリカ・ッアーから戻ってくるなり、すぐに Bernie Shaw に連絡をした。「私は(シンガーの選択を)間違っていた 。君に会いたい。」と!!

Bernie Shaw → Bernie Shaw page (工事中)

Mick は Marquee Club での STRATUS のラスト・ライヴを見て Bernie Shaw のことを知っていたので声を掛けてみたわけだ。実はこの時 Mick は Bernie が GRAND PRIX にいたことを知らず、偶然か否か Bernie と Phil は再び同じバンドでプレイすることになった。

1986年11月21日にはビクター音楽産業から旧作の 『対自核』 『悪魔と魔法使い』 『ベスト・オブ・ユーライア・ヒープ』 の3枚のみCDで再発。日本における HEEPの初CD化であった。

1987年初春には John Lawton 時代のライヴ盤 『LIVE IN EUROPE 1979』 を Castle Communications よりリリース。UH #14 の結成を祝うかのごとくリリースされたが、当時は再発専門の Castle Communications が何故これを?という感じであった。

1987年2月には Phil Lanzon が THE SWEET の Andy Scott らのプロジェクトである PADDY GOES TO HOLY HEAD のレコーディングに参加。HEEPの活動に移る前の最後のご奉公といったところか。

UH #14 の初ステージは 1987年3月10日 ドイツの Bochum - Zeche公演である。セットリストは次のとおり → Intro / Bird Of Prey / Staelin' / The Other Side Of Midnight / Too Scared To Run / Heartache City / Rockarama / Angel / The Wizard / July Morning / Sell Your Soul / Gypsy / Easy Livin' (encore) That's The Way That It Is / Look At Yourself
イントロのSEは "Roll-Overture"ではなくなった。幻想的な Phil Lanzon のキーボードが浮遊するイントロに続いてスタートした "Bird Of Prey" はクラシックな名曲ではあるが、長らくライヴで演奏していなかっただけに新しい息吹を感じることが出来た。

1987年3月10日〜4月20日までは TYRAN PACE をサポートにつけた欧州ツアー。ドイツをメインにフランス・オーストリア・スイスなどをまわった。1987年5月は NAZARETH とスウェーデン・ツアー。1987年7月下旬〜9月初旬まではオランダ・ノルウェー・スイス・ドイツなどをまわり、1987年9月6日〜8日の3日間で WISHBONE ASH とドイツでライヴをやって、ひとまず休憩。

次のアクションはモスクワであるが、その前に HEEP は Legacy Records と契約をし、ライヴのセットリストに少なくとも2〜3曲の新曲を加えなければならなかった。かくして HEEPは "Corina", "Pacific Highway", "Mr.Majestic" という3曲をレコーディングし、これらの曲は 1987年12月からのツアーで披露されることに。

1987年11月28日には G.O.S.H. のチャリティー・シングル "The Wishing Well" がイギリスでリリースされた。1852年に設立された "The Great Ormond Street Hospital"という小児病院の施設老朽化や、最新の医療機器が揃えられないので病気の子供たちへのケアが充分に行えないといった事態を打破する為に企画された楽曲で、Boy George (CULTURE CLUB), Peter Cox (GO WEST), Noddy Holder (SLADE) らがリード・ボーカルを取っているが、バッキング・ボーカルで HEEP の Bernie Shaw & Phil Lanzon, THE SWEET, HOT CHOCOLATE 等の面々が参加している。作られたプロモ・ビデオに Bernie & Phil の姿は見えないが、1988年にイギリスのシングルチャートで最高位22位を獲得している。

ちなみに 1987年12月1日に PRAYING MANTIS がロンドンの Marqueeで1回のみの再結成ライヴを行なったらしい。この再結成に加わったのは、Bernie Shaw (vo), Tino Troy (g), Chris Troy (b), Dave Potts (ds) であったという。


LIVE IN MOSCOW

新曲3曲を作った HEEP は、1987年12月から再びツアーを開始。まずは 1987年12月4日〜5日にノルウェーでライヴを2回やったが、次に控えるモスクワでの大仕事への肩慣らしとなった。

1987年12月7日〜12月16日、URIAH HEEP は 西側の HM/HR BAND としては初めてロシア (当時はソビエト連邦と呼ばれていた) でライヴを行なった。このライヴはモスクワの Olympisklj Stadium で 「国際平和と友好のためのコンサート」 の一環として行なわれたもので、サポートはモスクワのバンドが務めた。計10回のライヴは総てソールド・アウトになり、18万人の動員を記録。バンドは毎日国際電話によるインタビューを受けたり、記者会見、テレビ出演、ラジオ、紙媒体のインタビューなどをソビエトのメディアのために行なった。メンバーは一躍人気者となり、サイン入りの写真を求めてパニックが起きかけたとか(B!)。このモスクワでのコンサートは 『LIVE IN MOSCOW』 としてリリースされることになった。

1988年2月後半にはワイマールや東ベルリンでライヴを敢行。

1988年4月には URIAH HEEP に続き、SCORPIONS が Leningrad でライヴを行なった。

1988年4月25日〜5月8日、ロンドンの PRT Studiosで URIAH HEEP と Bob Mallett によって 『LIVE IN MOSCOW』 をミキシング。

1988年5月14日と15日にはノルウェー公演、続いて 1988年5月19日〜6月8日までは AMAZONE をサポートにつけたドイツ・ツアーを行なった。

1988年5月19日には David Byron 時代のライヴ盤 『LIVE AT SHEPPARTON '74』 がリリースされた。ブートレッグ・ビデオとして有名な 『D.K.R.C.'74』 をレコード化したブートまがいの音源で、もとはといえば 1974年9月30日にTV放送された "Don Kirshner's Rock Concert" が、その『D.K.R.C.'74』であった。

1988年6月24日〜25日にかけてフィンランドで開催された Midsummer - Ahvenlampirock Festival に出演。

1988年7月には Legacy Records よりアルバム『LIVE IN MOSCOW』 をイギリスでリリース。このアルバムからのシングル "Easy Livin' (live)" もリリースされた。

1988年7月20日〜21日にかけてギリシャで開催された Iraklion Summer Festival に出演。
1988年8月11日〜25日にはブルガリア・ツアー。この暑い夏の日に燃えんばかりの HEEPの猛ダッシュ、それは 1988年8月26日の Reading Fesival で締めくくられた。ちなみに8月26日〜28日の開催されたこのフェスティバルの出演者は他に Meat Loaf, Iggy Pop, RAMONES, STARSHIP, BONFIRE, SMITHEREENS などであった。

しばしの休憩のあと、1988年9月30日〜10月4日にかけてはスウェーデン・ツアー、1988年10月26日〜11月6日には "Easy Livin Tour '88" と題されたイギリス・ツアーを敢行した。

1988年10月30日 イギリスの Glasgow - Barrowlands公演におけるセットリストは次のとおり → Bird Of Prey / Staelin' / Too Scared To Run / Heartache City / Corina / Mr.Majestic / The Wizard / July Morning / Gypsy / Easy Livin' (encore) That's The Way That It Is / Pacific Highway / Look At Yourself
新曲3曲をやっているのが嬉しいが、モスクワ公演ではやっていた "Rockarama" が外された。


RAGING SILENCE

URIAH HEEP #14 にとっての初のスタジオ・アルバム 『RAGING SILENCE』 は、Richard Dodd のプロデュースにより 1988年12月13日〜21日と、1989年1月14日〜2月13日にかけて ロンドンの PRT Studiosでレコーディングされた。PRT Studios は 『LIVE IN MOSCOW』 のミキシングでも使ったスタジオである。アレンジャーは 『ABOMINOG』 と 『HEAD FIRST』 でプロデューサーを務めた Ashley Howe である。途中1988年12月23日にドイツで単発のライヴを行なっているが、いつもの HEEPのやり方である。1989年2月15日に Boathouse Studios でオーバーダヴ、2月16日〜3月1日及び3月9日に Rooster Studios でオーバーダヴとミキシングを行なった。

レコーディングが終了するや、すぐにライヴを再開。1989年3月8日〜11日にはノルウェー・ツアー、そして 1989年3月13日〜22日には再びロシアに行き Leningrad の Lenin Kulture Sporthala で計9回のライヴを敢行した。この Leningrad公演は1987年のモスクワ公演の成功があったことでロシア当局から30〜40日間のツアーを行なうよう要請があったことによるものであった。なお、Leningrad公演の合間を縫って 1989年3月16日にポーランドのロクロウで開催された Wrozlaw Festival にヘッドライナーとして出演し、このライヴの模様はポーランドのテレビで放送された (Mick & Bernie のインタビューと "Bird Of Prey")。

1989年4月21日にはようやく日本盤CD 『ライヴイン・モスコー (LIVE IN MOSCOW)』 を CBSソニーよりリリース。

1989年4月末日にはアルバム 『RAGING SILENCE』 がイギリスでリリースされた。シングルは ARGENT のカヴァー "Hold Your Head Up" をリリース。ドイツではアルバムを 1989年5月8日にリリース。

1989年5月には Castle Communications よりベスト盤 『MILESTONES』 が リリースされた。


RAGING THROUGH THE SILENCE

『RAGING SILENCE』 をリリースした HEEP は、まず1989年5月14日〜18日にイギリスをツアーした。1989年5月18日の London - Astoria公演は録画され、ビデオ 『RAGING THROUGH THE SILENCE』 としてリリースされた。『RAGING SILENCE』 リリース直後のライヴ映像だけに興味深いが、ヨーロッパ圏で採用されている PAL-Video方式でのリリースであったため、NTSC-Video方式を採用している日本やアメリカなどでは一般的に見ることが出来ない。

1989年5月22日〜6月24日までは THUNDERHEAD をサポートにつけたドイツ・ツアー。1989年6月9日 ドイツの Neumarkt - Jurahalle公演におけるセットリストは次のとおり → Bad Bad Man / Cry Freedom / Staelin' / Too Scared To Run / The Other Side Of Midnight / More Fool You / Blood Red Roses / Mr.Majestic / The Wizard / July Morning / Hold Your Head Up / Rich Kid / Mick Bis Solo / Gypsy / Easy Livin' (encore) That's The Way That It Is / Lady In Black / Look At Yourself

1989年7月上旬にはプラジル公演 (西新宿などでブート・ビデオを買った人も多でしょ?)。

1989年7月24日にはシングル第2弾 "Blood Red Roses" をイギリスとドイツでリリース。

1989年7月下旬〜8月初旬にかけてはドイツやイギリスのフェスティバルに出演。

1989年8月には Castle Communications よりベスト盤 『CASTLE MASTERS COLLECTION』 が リリースされた。

1989年8月21日には日本盤CD 『レイジング・サイレンス (RAGING SILENCE)』 を テイチクよりリリース。解説書にUH#12が崩壊してからのバイオが書いてあるがハチャメチャ嘘っぱちのデータが書いてある。また、同時発売として旧作から 『ファースト』 『対自核』 『悪魔と魔法使い』 『ユーライア・ヒープ・ライヴ』 が CD再発された。"METAL MANIA" の会員になるとテイチクからニュース・レターが届いたものだ。

しばしの休憩のあと、1989年9月30日〜11月19日まではハンガリー、ユーゴスラビア、ギリシャ、エストニア、フィンランド、スペインをまわる欧州ツアーを敢行。

1989年11月21日にはテイチクから旧作の 『ソールズベリー』 『魔の饗宴』 『スイート・フリーダム』 『ワンダーワールド』 『幻想への回帰』 が CD再発された。


LIVE LEGENDS

1989年11月22日〜12月2日まではイギリス・ツアー。1989年11月29日の Nottingham の Central TV Studios におけるライヴは録画され、1990年に ビデオ 『LIVE LEGENDS』 としてリリースされた。

1989年12月には Avanti Records よりベスト盤 『IRON STRIKE』 が リリースされた。これは紛い物くさい。
※ベスト盤はいろいろ出ているので以降はマストアイテムのみ取り上げることとする。

1990年2月26日には 『CHRIS TETLEY PRESENTS - THE URIAH HEEP STORY』 なるアイテムが Picture-LP と CD でリリースされた。"Gypsy (live in Moscow)", "Cry Freedom" の2曲と、Chris Tetley が HEEP のメンバーにインタビューしながら HEEP の歴史を振り返ったお話、が収録されている。

1990年3月にはイギリスで、1990年4月にはアメリカで単発のライヴを行なった。この単発ライヴの後ろでは、新作 『DIFFERENT WORLD』 の為の曲作りが開始されていた。

1990年3月21日にはテイチクから 『対自核』 の缶入りCDがリリース。缶封入の特殊仕様で、オリジナル・ジャケット・シール付きの限定アイテムだった。同時期には ピクチャーCD の 『対自核』 もリリースされている。テイチクの商売上手!! (というよりイジメ?)

丁度この頃、Lee Kerslake と Bob Daisley は Thomas McRocklin という10歳の若手ギタリストとともに Ozzy Osbourne の "Crazy Train" をアレンジして "1990 style instrumental version" としてレコーディング。ちなみに、Thomas は Steve Vai のビデオ・クリップ "The Audience Is Listening" の中で Steveの子供時代を演じている少年で、1992年には BAD 4 GOOD でデビューをした。

1990年5月8日〜5月23日まではドイツ・ツアー。1990年5月11日 ドイツの Mainburg - Marktwaage公演におけるセットリストは次のとおり → Bird Of Prey / Bad Bad Man / Cry Freedom / Too Scared To Run / Staelin' / More Fool You / Blood Red Roses / Rich Kid / Mr.Majestic / The Wizard / July Morning / Lady In Black / Gypsy / Easy Livin' (encore) The Other Side Of Midnight / Free Me / That's The Way That It Is
"Hold Your Head Up" が外され、珍しく "Free Me" を取入れている。("Free Me" は最初の4日間だけだった模様) ドイツ・ツアーの後はスタジオに入り、新作 『DIFFERENT WORLD』 のレコーディング。

1990年5月17日には Legacy Records よりコンピレーション盤 『STILL 'EAVY, STILL PROUD』 をリリース。主に 『LIVE LEGENDS』 からの抜粋曲が収録され、何故か "The Easy Road" や "Free Me" まで収録されているが、1990年2月にリミックスされた "Blood Red Roses" が聴けるのが嬉しい。

1990年6月には Castle Communications より重量ベスト盤 『TWO DECADES IN ROCK』 をリリース。LPは5枚組、CDは3枚組というもので、『EQUATOR』 からの曲も3曲収録されているのが当時としては珍しく、今までのアルバムを総括する重宝盤となった。

1990年6月11日〜7月8日にかけてアメリカ&カナダ・ツアーを敢行。このツアー中の 6月11日の St.Louis公演では、Ken Hensleyが飛び入りして "The Wizard" を演奏。この時の模様は 2005年2月28日にリリースされた KenのDVD 『THE WIZARD'S DIALY - VOLUME ONE』 のボーナス映像の中で見ることが出来る。また、1990年6月19日〜19日には Mick Box の息子 Paul Michael君もツアーに同行した。

1990年7月12日〜25日は再び 『DIFFERENT WORLD』 のレコーディング。7月22日には Queen Elizabeth Grant Maintetained Grammer School の子供たちをスタジオに招いて "All God's Children" のコーラス録りが行なわれた。

夏はお馴染みのフェスティバルがあり、HEEPはフェスティバル出演の合間を縫って着実に 『DIFFERENT WORLD』 のレコーディングは進められていった。
1990年7月28日はフィンランドの Giants of Rock Festival に出演 (他に PRETTY MAIDS, RUNNING BLINDら)。1990年7月30日〜31日はギターとヴォーカル録り、8月2日には
"All God's Children", "Diiferent World", "All For One"のラフ・ミックスが完成。8月4日はドイツの Dresden Festival に出演。8月7日〜10日にはギターとキーボード録り。8月11日はイギリスの Biker Festival に出演、8月12日デンマークの Scandenborg Festival に出演。8月15日〜16日はギター録り。8月18日は Open Air Festival (他に Meat Loaf, TEN YEARS AFTERら) に出演。
...この過密スケジュールでのレコーディング、まさにフェスティバルの鬼とでも言わんばかりの活動である。

さすがにレコーディングとライヴの繰り返しでは、レコーディングに集中できない。かくして 1990年8月28日〜11月15日までようやくレコーディングに注力する期間を設けた (10月11日の単発イギリス公演はキャンセルとなった)。レコーディングの主な所を抜粋すると、9月15日〜23日には "One On One", "Stand Back", "Seven Days", "Cross That Line" のラフ・ミックスが完成。9月28日には "First Touch" のラフ完成。10月1日〜7日には "Step By Step", "Powers Of Addiction" の歌詞を変更 ("Powers Of Addiction"は曲名も"Blood On Stone"になった)。11月9日には "Which Way Will The Wind Blow" のラフ完成。

1990年10月25日には日本でも 『ユーライア・ヒープ・ライヴ〜20周年記念コンサート (LIVE LEGENDS)』 が ビデオ&レーザーディスクで ビデオアーツ・ジャパンよりリリースされた。

1990年11月18日にはスペインの Madrid で年内最後の単発ライヴを行なっている。


DIFFERENT WORLD

URIAH HEEP #14 の第2弾スタジオ・アルバム 『DIFFERENT WORLD』 は、Trevor Bolder のプロデュースにより 1990年5月〜11月にかけて ロンドンの Fairview Studios や Chapel Studios で少しずつレコーディングされた。1990年11月19日から年内一杯にかけてミキシングやアルバム・ジャケットの制作などを行ない完成された。

1991年2月にはアルバム 『DIFFERENT WORLD』 がイギリスでリリースされた。

アルバムのリリースに伴ない、早速 1991年2月28日〜3月21日までのイギリス・ツアーを敢行。
1991年3月7日 イギリスの Middlesbrough - Town Hall公演におけるセットリストは次のとおり →
Blood On Stone / Stealin' / Which Way Will The Wind Blow / Bad Bad Man / One On One / The Other Side Of Midnight / Mr.Majestic / The Wizard / Different World / July Morning / First Touch / Rich Kid / Gypsy / Easy Livin' (encore) That's The Way That It Is / Lady In Black
UH#14 になってからの曲が多いのが嬉しい。この時代ならではのセットリストである。

1991年3月23日からはドイツ・ツアーがスタート。途中スイス、オーストリア、ベルギーなどもまわる大掛かりなドイツ・ツアーは6月1日のスイス公演まで続いた。

1991年5月21日には日本盤CD 『ディファレント・ワールド (DIFFERENT WORLD)』 をテイチクよりリリース。

1991年6月末日、URIAH HEEP の2度目の来日公演が報じられた!! 永年のファンにとっても後追いのファンにとっても思いもよらぬ念願の夢がついに!!

1991年7月12日〜13日はノルウェー公演。恒例の夏のフェスティバルに出演。1991年8月10日は フィンランドの Dinosaurock Festival、8月30日は オランダの Georoe Festival、8月31日は ドイツの Twistringen Festival にそれぞれ出演した。9月1日にはスイスで単独ライヴも行なっている。

1991年9月17日〜21日は2度目の日本ツアー!!

Japan Tour 1991
1991/09/17 (Tue) 19:00- Club Quattoro, Nagoya
1991/09/18 (Wed) 19:00- Club Quattoro, Osaka
1991/09/19 (Thu) 19:00- Club Citta, Kawasaki
1991/09/20 (Fri) 19:00- Club Citta, Kawasaki
1991/09/21 (Sat) 19:00- Penny Lane, Sapporo

1991年9月19日の川崎クラブチッタ公演当日は台風に見舞われ、開演に間に合わないファンが沢山いた。かくいう筆者も品川で潅水の為電車が全く動かなくなってしまい、新宿から川崎まで2時間もかけてタクシーに乗り、会場には開演予定時間から15分ぐらい遅れてやっとついた。タクシーの中では 「長年大好きだったヒープのライヴがやっと観れるというのになんで当日になって台風が」 とべそをかきながら日本の天候を怨んだりもしたが、事情をくんだ優しいHEEPのメンバーが開演を少し遅らせてくれたお陰で、ちゃんとセットリストを全て観ることが出来た。

日本ツアーのセット・リストは次のとおり → Blood On Stone / Stealin' / Which Way Will The Wind Blow / Bad Bad Man / One On One / The Other Side Of Midnight / Mr.Majestic / The Wizard / Different World / July Morning / First Touch / Gypsy / Easy Livin' (encore) That's The Way That It Is / Lady In Black / Look At Yourself
"Rich Kid" の替りに日本のファンの為に "Look At Yourself" をやってくれたのが嬉しい (Different World Tourの他の公演ではやっていなかった)。

川崎クラブチッタ公演はテレビ神奈川により数曲録画され、テレビでは "Different World" とメンバーのインタビューが放送された。Lee Kerslake が 「これから毎年日本に来るよ。」 なんて言ってファンを喜ばせてくれたが、結局は...周知の事実でござ〜い (苦笑)。

日本ツアーの後は HEEPの消息がパタリと消えたかに思われた。事実 『SEA OF LOGHT』 リリースまでの約3年間、日本に入ってくる情報は音楽誌を頼るしかなく (インターネットは一般的に普及していなかった)、ポツポツと再発される旧作群や 『炎』誌でチョロッと話題にのぼる程度であった。しかし、HEEPの活動は地道に、そして確実に歴史を刻んでいくのであった!

1991年10月には Sequel Records が HEEP の Bronze時代のシングルのB面曲を主に集めたコンピレーション盤 『RARITIES FROM THE BRONZE AGE』 をリリース。

1991年11月30日〜12月8日までは欧州ツアー。スイス、オーストリア、イタリア、ドイツ、チェコスロバキアをまわった。


1992年2月10日〜3月2日までは NAZARETH と一緒に "Carnival Of Rock" と題されたドイツ・ツアーを敢行。3月13日〜16日にオランダ・ツアー、また1ヵ月休んで 4月16日は Yngwie Malmsteen のライヴのスペシャル・ゲストとして ロンドンの Hammersmith Odeon でプレイ。またまた1ヵ月休んで 6月6日と8日にイギリスでライヴ、またまたまた1ヵ月休んで 7月上旬にドイツやオーストリアで単発ライヴ。 "Carnival Of Rock"以降は単発のライヴと休暇&曲作りが続いていた。

夏以降1992年内はフェスバルでしかライヴを敢行せず。1992年8月2日にはベルギーで開催された Roots Rock Festival に出演、8月14日にはポーランドで開催された AIDSベネフィット・コンサートに出演 (10万人の観客がいた)、8月22日にはスイスの Open Air Festival に出演、9月11日にはルーマニアの Rock '92 Festival に出演、9月25日には スイスの Pop Rock Country Festival に出演、9月26日には ベルギーの Via Rock に出演、10月3日には ドイツの Rocknight Festival に出演。....本当にフェスティバルだけであった (笑)。

このフェスティバル三昧の合間を縫って、1992年8月13日〜28日にはスタジオで "Words In The Distance", "Everything In Life", "Still Calls His name", "Mistress Of All Time", "Holy Roller" という5曲のデモを制作している。1992年後半の秋から冬の時期に何をやっていたのかは不明。

1992年12月16日にはテイチクから旧作 『ファイアーフライ』 が CD再発された。


1993年2月9日〜3月4日まで再び NAZARETH と一緒にドイツ・ツアーを敢行。1993年2月10日 ドイツの Nurnberg - Resi公演におけるセットリストは次のとおり → Devil's Daughter / Cry Freedom / Everything In Life / Bad Bad Man / Stealin' / Rainbow Demon / Words In The Distance / Mr.Majestic / Rain / The Wizard / Circle Of Hands / Sweet Lorraine / Gypsy / Look At Yourself (encore) The Other Side Of Midnight / Lady In Black / Easy Livin'
いきなり John Wetton時代HEEP がライヴのオープニングで演奏していた "Devil's Daughter" からスタート。UH#14 がこの曲をやるのはビックリだった。"Rain", "Rainbow Demon", "Sweet Lorraine" も意外であるが、長年演奏してきた "July Morning" の替りとして "Circle Of Hands" を持って来たあたり、新しい何かを提供しようという HEEPの心意気が感じられる。 『DIFFERENT WORLD』 からの曲は姿を消し、新曲の "Words In The Distance" と "Everything In Life" をこのツアーから取り入れているのも嬉しい。

1993年3月19日はドイツのTV番組に出演、3月20日にはスイスで単発のライヴをやっている。この時期の HEEPは Legacy Records からの撤退問題もあり、アルバムを出したくても出せず状態。とにかくひたすらライヴをこなしていくしかなかった。(ドイツのCBH Recordsと契約)

1993年4月29日、Trevor Bolder の SPIDERS FROM MARS時代の盟友 Mick Ronson逝去。享年46歳。Mick Ronson は 1991年8月に手術不能の肝臓ガンを宣告されてからは、Freddie Mercuryの追悼コンサートに参加したり、David Bowieのアルバムに久々に参加したりと最後までミュージシャンであり続けた。

1993年5月1日、Peter Goalby時代のビデオ 『LIVE IN LONDON』 が Best Film & Video から再発。

1993年5月29日〜6月18日にかけては欧州ツアー。ベルギー、ドイツ、オーストリア、デンマーク、ノルウェーをまわった。中でも 6月18日は過密スケジュールで、ノルウェーの The Moss Festival に出演した後、Hellerudsletta公演(共演に KINKS, Glen Hughes) も敢行。つまり1日2ステージをこなした。

1993年6月23日には ビクター・エンターテインメントから旧作の 『ファースト』 『ソールズベリー』 『対自核』 『悪魔と魔法使い』 『魔の饗宴』 『ユーライア・ヒープ・ライヴ』 『ベスト・オブ・ユーライア・ヒープ』 『ファイアーフライ』 の8枚が CD再発された。『ファイアーフライ』 に至ってはテイチク盤から半年も経たぬ再発であり、日本でもレーベル移籍のゴタゴタが...

1993年7月には 「まさか!?」 の超ビックリ音源集 『THE LANSDOWNE TAPES』 が RPM Records よりリリースされた。HEEP の前身バンド SPICE の未発表音源や HEEP初期の未発表曲がふんだんに取り入れたマスト・アイテムである。Paul Newton が本作のリリースに尽力してくれたことに感謝をしたい。

1993年7月上旬にドイツとスイスでフェスティバルに出演、7月17日〜18日には初の韓国公演を敢行。日本にも寄ってくれれば良かったのに(笑)。1993年8月にもスイス、オーストリア、ドイツのフェスティバルに出演。

1993年10月5日〜12月4日までは BLUE OYSTER CULT, WISHBONE ASH, NAZARETH と一緒に "Total Recall" と題された北アメリカ・ツアー (カナダ2公演を含む) を敢行。1993年11月27日 Pennnsyllvania公演におけるセットリストは次のとおり → Devil's Daughter / Stealin' / Words In The Distance / The Wizard / July Morning / Gypsy / Easy Livin' / The Other Side Of Midnight
"July Morning" が復活。4バンドによる共演ツアーだからセットリストは短かい。

1993年12月8日〜20日までは BLUE OYSTER CULT, WISHBONE ASH, GIRLSCHOOL, MOLLY HATCHET と一緒に "Golden Age Of Rock" と題されたドイツ・ツアーを敢行 (12月20日のみオーストリア)。


1994年上期の活動は不明。1993年内に予定されていた新作をレコーディング出来なかったこともあってか、Mick Box が今までのマネージャーを解雇し、Mick Box 自身が総てのマネージメントを1人で手掛けることにしたのはこの時期だったかもしれない。

1994年4月29日、Mick Ronsonの一周忌。DEF LEPPARD の Joe Elliott によって完成させられた Mick Ronson の最終ソロ・アルバム 『HEAVEN AND HULL』 がリリースされた。また、同日は ロンドンの Hammersmith Odeon で "Mick Ronson Memorial Concert" が開催され、HEEPからは Trevor Bolder, Phil Lanzon が参加。他にも Joe Elliott & Phil Collen (DEF LEPPARD), Billy Rankin (NAZARETH), Ian Hunter, Roger Daltrey (THE WHO), Roger Taylor (QUEEN), Mick Jones (CLASH), Dana Gillespie, Gary Brooker, Steve Harley, Bill Nelsonらが参加した。

1994年5月には軽い欧州ツアー (オランダがメイン) を敢行。6月2日にはオーストリアの Stone Rock Festival に出演。


SPELLBINDER

1994年6月3日〜19日には DEEP PURPLE のドイツ・ツアーにサポートで参戦。途中 6月17日にはスイスの Open Air Festival に出演。このドイツ・ツアーの過度期にあたる 6月23日の Koln Music Hall公演は HEEPの単独ライヴで、この時の録音は 1996年5月に CD 『SPELLBINDER』 として発表された (1995年発表『SEA OF LIGHT』の後のリリース)。

1994年6月24日は DEEP PURPLE のオランダ公演の前座。6月25日〜7月2日までは再び単独のドイツ・ツアーを敢行した。1994年6月25日の Hamberg公演におけるセットリストは次のとおり → Devil's Daughter / Stealin' / Bad Bad Man / Rainbow Demon / Words In The Distance / Mr.Majestic / The Wizard / Circle Of Hands / Gypsy / Look At Yourself (encore) The Other Side Of Midnight / Lady In Black / Easy Livin'
またまた "July Morning" の替りに "Circle Of Hands" をプレイ。

ちょっと休んで 1994年8月28日にはドイツので単発のライヴを行なった後、9月1日〜28日までの北アメリカ・ツアー (カナダ1公演を含む) を敢行。このツアーの多くの日程では BLUE OYSTER CULT と共演。10月2日〜3日はドイツでライヴを行なった。


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