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"Welcome to my tribute to ex.Cressida/Uriah Heep drummer - Iain Clark.
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TAASAN PRESENTS
Japanese IAIN CLARK fansite
Shadows of Iain Clark
13/09/20 Updated !!


What's New


Iain Clark Biography & Discography

Born / THE RAMRODS / MUSTARD / CRESSIDA #1 / TRAPPED IN TIME : THE LOST TAPES / CRESSIDA #2 / CRESSIDA (1st Album) / CRESSIDA #3 / ASYLUM / URIAH HEEP #4 / LOOK AT YOURSELF / URIAH HEEP #4b / URIAH HEEP #4c / Office Worker / THE MISSILES / WOUNDED KNEE / WOLFSTONE / HeepVention 2000 / LATITUDE 57 / TWISTED BLUES / CRESSIDA #4 Reunion


Iain Clark Born

Iain Clark は、1946年8月20日に生れた。ドラムを始めたのは14歳の時である。


THE RAMRODS

Iainは、18歳の時には大学で教師をしながら最初のバンドに参加し、ロンドンのいくつかのバンドと演奏をしたり、レコーディングを経験している。その中の1つ、THE RAMRODS は、THE ROLLING STONES のギタリスト Brian Jonesを輩出したバンドである。


MUSTARD (1968/08-)

Iainは 1968年に最初のプロ・バンド MUSTARD に参加し、ラジオ・ルクセンプルクや、THE BEATLES の"アップル"でレコーディングをしている。


CRESSIDA #1 (1968/winter-1969/summer?)
Angus Cullen
(vocals), Kevin McCarthy (bass), Iain Clark (drums), John Heyworth (guitars), Lol Coker (keyboards)

CRESSIDA の歴史は、1968年3月に.THE DOMINATIRS で演奏をしていた John Heyworth と、LITTLE GIANT というバンドに在籍していた Angus Cullen が出会い、Angusの家族が住むアールズコートで一緒に曲を書き始め、彼ら自身のバンドを結成するべく、メロディ・メイカー誌にメンバー募集の告知を出したことから始まる。

Angus Cullenは1948年にインディアで生まれた。8歳からピアノを弾き、13歳でギターを始めたが、1960年代のアメリカのウェスト・コースト・サウンドに影響されて16歳から曲を書き始めている。1967年に LITTLE GIANT に参加。

John Heyworthは1947年8月にランカシャーで生まれた。幼少期に5年間ピアノを学んだが、11歳でギターを弾くようになった。13歳の時に THE DOMINATIRS に加入し、いくつかのブリティッシュ・バンドのオープニング・アクトを務めている(1967年に THE BEATLES の前座も経験)。

Kevin McCarthyはサリーで生まれた。7歳でギターを始めたが、真剣にギターを始めたのは12歳の時に学友と演奏をし始めた時からであった。しかしながら当時誰もがギターを弾いていた為、ベースを弾くようになった。17歳で PEASANTS に加入し、スコットランドをツアー。18歳の誕生日に The Cavern Club で演奏している。ポーランドでは 6ヶ月間 "The Original London Beat"で演奏してレコーディングに参加していた。

ちなみに、Kevin は 1968〜1969年頃に Mick Box からグループに誘われたことがある。Kevinが関わっていた"The Original London Beat"は、David Byron や Mick Box が Avenue Recordsで関わっていたカバー曲を一部流用されているものがあるらしく、そのレコーディング・セッションで Mick と知り合ったと思われる。1968年6月に SPICE のベーシストが Alf Raynor から Paul Newton に交代しているので、その時期かもしれない。

アールズコートで John と会った Kevin は、自分たちの好きな音楽の趣向が同じことや、セッション・プレイヤーではなくバンドの一員になれるという思いからバンドの加入を決めた。

最後にバンドに加わったのは Iain Clark であった。Iain はケンジントン教会の近くにあるホールでドラマーのオーディションを受けて選ばれた。Iain 自身はバンドのラインナップに Lol Coker というハモンド・オルガン・プレイヤーがいることを気に入り、また Angusのボーカル・スタイルがロック向きではないことに興味を持ったという。

こうして1968年末には John, Angus, Lol, Kevin, Iainという5人となった。バンド名は当初 CHARGE と名乗っていたが、すぐに CRESSIDA に改名している。


TRAPPED IN TIME : THE LOST TAPES

CRESSIDA はすぐに John と Angus によって書かれた曲をリハーサルした。リハーサルのない時にはアールズコートのAngusの家で多くの時を過ごし、よく Lemmy (現MOTORHEAD) が頻繁に訪れていたそうだ。

1969年1月に CRESSIDA はプロデューサー Ossie Byrne のオーディションを受け、THE DRIFTERS の"Save The Last Dance For Me"などを演奏した結果、Ossie のプロダクションに属することになった。

Ossieのプロダクションの元で CRESSIDA はロンドンのDenmark Streetにある Central Sound Studiosでデモ曲のレコーディングをし、その時に録音された最初の3曲が、アセテート盤 "Lights In My Mind" で聴くことができる。

CRESSIDA はロンドンでいくつかのギグを敢行し、1969年2月にはドイツ・ツアーを行っている。THE BEARLESなどのリバプールのグループもよく演奏していたハンブルグの Star Clubも含んでいた。ハンプルグの跡にスイスやチューリッヒなどでもギグをし、その経費は次の会場に行く為のものや、もっとデモ曲を作る為のものに充てられた厳しいものであった。

2011年11月に発表された 『TRAPPED IN TIME : THE LOST TAPES』 の収録曲では3曲を除く全てで Lol在籍時のデモ音源が聴けるが、バンドの活動が順風かと思われた矢先に、キーボード・プレイヤーの Lol CoKerがバンドを脱退することになった。結婚する為にリバプールに戻り、家業を引き継ぐ事になった為であった。

Ossie の計らいで CRESSIDA はアメリカの Elektra Recordsと契約した最初のブリティッシュ・バンドとなったが、Phillips Records傘下の新興レーベル Vertigoと契約変更することになった。


CRESSIDA #2 (1969/08-1970)
Angus Cullen
(vocals), Kevin McCarthy (bass), Iain Clark (drums), John Heyworth (guitars), Peter Jennings (keyboards)

2代目のキーボード奏者は、 オーディションの結果、Peter Jennings が選ばれた。

Peter Jenningsは1949年にケントで生まれた。9歳〜13歳までピアノのレッスンを受け、1968年からバンドでキーボードをプレイしていた。1969年にハモンド・オルガンを買い、Peterの彼女の職場の同僚がIain Clarkを知っていた関係でオーディションに参加したのである。

前述の 『TRAPPED IN TIME : THE LOST TAPES』 には Peter加入後のデモ曲が3曲収録されているが、オーディション当時、もしくは正式参加後の初期リハーサル時の録音音源だと思われる。

Peterを迎えた CRESSIDA #2 はドイツの Star Club でギグをする為にハンブルグに戻っていった。


CRESSIDA (1st Album)

ハンブルグからイギリスに帰ってきた CRESSIDA は、1969年9月、ロンドンのWessex Studiosで デビュー・アルバム 『CRESSIDA』 を録音した。16トラック・レコーディングが出来る大きなスタジオでバンドはエキサイトし、全て生演奏で12曲が収録されることとなった。

当時の CRESSIDA は "MARQUEE" や "SPEAKEASY"などで 精力的にライヴを行っていた。ライヴではアルバム全曲と#1によるデモ曲の総てを演奏していた。また、SPIRIT の "Fresh Garbage"、THE DOORS の "Spanish Caravan"、Ossie Byrne のお気に入りナンバーである THE DRIFTERS の "Save The Last Dance For Me"なども演っていた。1969年11月12日には旧ソヴィエト連邦(現ロシア)の Bratislava Festival に唯一の国外バンドとして出演している。

デビュー・アルバム 『CRESSIDA』 は、1970年2月13日の金曜日に Vertigo から発表売されている。このアルバムは、Rod Stewart の『AN OLD RAINCOAT WON'T EVER LET YOU DOWN』、BLACK SABBATH の『BLACK SABBATH』 という2つのアルバムと一緒に発売されたこともあって、発売後の数週間はラジオでも好意的にオンエアされていた。

1970年2月下旬には Lol Coker在籍時に作られた"Situation"(『TRAPPED IN TIME : THE LOST TAPES』収録)という曲をシングル・リリースする為に CRESSIDA #2 で再レコーディングをした。CRESSIDA #2 による再録ヴァーションは、2012年9月24日に発売された2CD『THE VERTIGO YEARS ANTHOLOGY 1969-1971』 で聴くことができる。

1970年3月にはフランスの野外サーカスで演奏している。このイベントは4日間行われ、通常のサーカス団のほか、EAST OF EDEN と Brian Auger's TRINITY も出演した。360度からの照明が照らされたサーカスの円形ステージは、バンドにとって初体験の出来事であった。

イギリスに戻った CRESSIDA は、今度はドイツの Munich の Blow-Up Clubでブッキングされた2週間のライヴを行った。この期間中、COLOSSEUM のシンガー Chris Farlow がバンドに客演し、ブルースのスタンダード・ナンバーを 2〜3曲演奏している。Peter Jennings は Munich滞在中のインスピレーションを元に、名曲 "Munich" を書いた。不運にも、この Munich 滞在中にメンバー間の衝突が浮上し始めてしまい、ロンドンに帰国した時にJohn Heyworth がバンドを脱退してしまった。

ちなみに、John Heyworthは 1978年にアメリカのオレゴン州に移住していくつかのトリビュート・バンドに参加し、アメリカ、カナダ、アジア(日本も?)などをツアーしていたが、2010年1月11日にオレゴンで亡くなっている。


CRESSIDA #3 (1970/05/early-1970/11?)
Angus Cullen (vocals, acoustic guitar, percussion), Kevin McCarthy (bass), Iain Clark (drums, percussion), Peter Jennings (organ, piano), John Culley (lead guitar, acoustic guitar)

John Heyworth の後任ギタリストのオーディションには、CREATION や MAN のギタリストらもいたが、2回目のオーディションの末に THE RAM JAM BAND で演奏していた John Culley が選ばれた。

John Culley は1946年にリーズで生まれた。3歳の時にロンドンに移住。11歳でギターを始め、13歳の時に最初のバンドに加わった。その後自身のバンド MI5 を結成し、14歳になった時にはプロとなり、すでにバンドを率いてパリやドイツで演奏していた。MI5はスエーデンの Sonet Recordsと契約し、2〜3年間ストックホルムに移住し、自身のレコーディングや、Gene Vincentなどのバッキングを経験している。イギリスに戻った Johnは、Geno Washington and THE RAM JAM BAND に加入し、1969年末まで参加していた。

1970年5月の終わり頃に CRESSIDA #3 は、フランスの Chateau de Bertangles で演奏したが、ここでの美しい景色などから Angus は "Summer Weekend Of A Lifetime" を書き上げた。

フランスからロンドンに戻った CRESSIDA は、BBCの Playhouse Theater で行われた David Simonds Show で "Depression", "Lisa", "Winter Is Coming Again"の3曲をライヴ録音し、この時の録音のうち、 "Depression"と"Winter Is Coming Again"の2曲は1970年6月15日に BBC Radio 1の"Sounds of the 70s"で放送された。また、この2曲は、2012年9月24日に発売された2CD『THE CRESSIDA ANTHOLOGY : THE VERTIGO YEARS 1969-1971』 で聴くことができる。


ASYLUM

1970年6月の終わり頃には、ロンドンのI.B.C Studiosで2nd 『ASYLUM』 の為のリハーサルを始めた。

2ndアルバムのレコーディング・セッションの間を縫って、CRESSIDA はロンドン、ノースハンプトン、ブラックプール、シェフィールドといったイギリス国内でのクラブや大学でのライヴを精力的にこなしていた。1970年7月にバーミンガムのMothers Club で初めて演奏した時にはオーディエンスに歓迎され、8月〜9月にまたライヴをやるようプロモーターからブッキングの再要請があった。9月にはスイス、オランダをまわっている。

1970年9月11日には、1stアルバムを録音したロンドンのWessex Studiosで、Graeme Hall によって書かれた"Munich"と"Lisa"のオーケストラル・アレンジメントが加えられている。2ndアルバムの為のレコーディング・セッションが始められたのが6月の終わり頃であるから、当時のレコード・サイクルとしてはかなり丁寧に仕上げられていたことが判る。

当時のライヴでは『ASYLUM』からの曲もほとんど演奏しており、"Munich"はオーケストラ無しだがバンドだけで上手く演奏していた。

1970年9月27日〜10月5日は、BLACK SABBATH, CRESSIDA, MAY BLITZ による欧州ツアー敢行。10月2日は、MANFRED MANN CHAPTER 3, B.SABBATH, CRESSIDA の3組の予定であったが、MANFRED MANN CHAPTER 3 の替わりに MAY BLITZ が努めた。この3大バンドによるツアー中、CRESSIDA と B.SABBATH のメンバーが一緒にレストランにいた時に、B.SABBATHのマネージメントがロンドンから「B.SABBATHのアルバムが No.1になった」と電話をしてきた。

CRESSIDA は当時落胆していた。1stアルバムは評論家によって支持され、2ndアルバムを制作する為の十分な売上を得ていたが、マネージャーの Ossie Byrne はバンドのオペレーションを維持するための通常予約の十分な量を確保することに失敗していた。

1970年10月9日の Locarno-Sunderland公演が CRESSIDA のラスト・パフォーマンスとなり、1970年11月にバンドは解散を表明した。

2nd 『ASYLUM』 はバンド解散後の1971年2月にVertigoから発表されたが、もしもバンドが継続されていたとしたら、もっともっとメジャーなプログレッシヴ・ロック・バンドになっていたと思う。少なくともサウンドについては...

Iain Clark は URIAH HEEP のオーディションを受け、1970年12月に HEEPに加入。

Kevin McCarthy はフォーク・バンド TRANQUILITY に参加し、EPIC より2枚のアルバムをリリースした。1972年発表の 1st 『TRANQUILITY』 では数曲でベースを弾いたが、主にギターを担当。元々はギタリストであり、ギタリストばかりいるのでベースを始めたというKevinではあったが、同年発表の 2nd 『SILVER』 からは完全にギタリストへ転身している。Island に移籍した TRANQUILITY は幻の 3rd Album を録音したがリリースされず、1974年にシングル "Midnight Fortune" のみリリースされた。その後一度解散、3人のメンパーがアメリカのロスアンジェルスに渡り、CBSと契約。THE BEACH BOYS の Bruce Johnson をプロデューサーに起用したアルバム1枚を録音したが、これまたお蔵入りになっている。ちなみに、この幻の 4th Albumには、多くのセッション・プレイヤーが参加しており、Russ Kunkel Jeff Porcaro (TOTO) がドラムス、THE DOORS の何枚かのアルバムに参加した Gary Shief がベースで参加した。かなり大掛かりなオーケストラをフィーチャーした曲もやっている。

John Culleyは黒魔術バンド BLACK WIDOW に加入し、1972年発表の 3rd 『BLACK WIDOW V』、1999年に発表された幻の1972年録音作 『BLACK WIDOW W』 の2枚に参加した。

Peter Jenningsは音楽学校で働きながら、いくつかのバンドとレコーディングをしたり、ライヴ活動をしたりしている。

Angus Cullenは音楽業界を引退した。


URIAH HEEP #4 (1970/12-1971/11)
Mick Box
(guitars), David Byron (vocals), Paul Newton (bass), Iain Clark (drums), Ken Hensley (keyboards,guitars,vocals)

Iain Clark は 1970年12月中旬に URIAH HEEP に加入した。Iain の最初のライヴは 12月25日の Langelsheim - Beat Club公演である。バンドは 1970年12月から1971年7月まで続く長い"SALISBURY"ツアーに出向いた。1970年12月29日の Berlin でのライヴは次のとおり → Bird Of Prey / Time To Live / So Nice (I See You Tonight) / Dreammare / Simon The Bullet Freak / Salisbury / Gypsy
この時のライヴ音源は Bootleg CD『BERLIN』で聴ける。"So Nice"はとてもブルージーなインプロヴィゼーション・ナンバーでアルバム未収曲、"Salisbury"はオーケストラはなく Ken Hensley が1人で頑張ってハモンドを弾きまくっていた。

1971年2月12日には Iain加入前の HEEPの 2nd『SALISBURY』 がイギリスでリリースされた。1971年3月のステージでは早くも "Shadows Of Grief" が演奏されていた。また 3月26日〜4月にかけて HEEPにとって(もちろんIainにとってもだと思う)初のアメリカ・ツアーを敢行、アメリカではようやく HEEPの 1st『VERY 'EAVY, VERY, UMBLE』 のアメリカ盤仕様である 『URIAH HEEP』 がMercuryよりリリースされた。

1971年5月はスイスとドイツへツアー。合間を縫って、5月24日には Maida Vale Studioで BBC放送用に "I Wanna Be Free", "Love Machine", "Shadows Of Grief"の3曲をスタジオ録音している (6月1日にBBCで放送された)。

1971年6月はイタリア・ツアー、6月後半から7月中旬にかけては SHA NA NA, PALADINと共に イギリス・ツアーと、破竹の勢いで人気を確立しつつあった HEEPの活動は大変忙しく、数々のフェスティバルへの出演、BBCでの放送用セッションなど、Iainにとっても実に多忙であった。


LOOK AT YOURSELF

1971年7月(後半?)には 3rd Album 『LOOK AT YOURSELF』 を録音。プロデューサーの Gerry Bron が Vertigo Records から独立して自身の Bronze Records を設立したことにより、URIAH HEEP も Bronzeと契約をした。

1971年8月からはまたイギリス・ツアーが始まり、8月29日の Kendal Festival では COLOSSEUM (Mark Clarke在籍)と出演を共にした。9月3日には Bronzeからの最初のシングル "Look At Yourself"がリリースされ、大ブレイク!

1971年9月12日の Southend Palace Theatreでのアコースティックセット40分を含むトータル2時間半のステージは大きな話題を呼んだ。→ Acoustic Set : Introduction (by Iain Clark) / Cold Autumn Sunday / Leave It All Behind / Come Away Melinda / Lady In Black / In My Heart / What Should Be Done (Interval) Electric Set : Bird Of Prey / I Wanna Be Free / July Morning / Tears In My Eyes / Shadows Of Grief / Salisbury / Look At Yourself / Gypsy
注目は
"Leave It All Behind" という新曲 (アルバム未収録曲)、後に Ken Hensleyのソロ・アルバムに収録されることになる "Cold Autumn Sunday"をやったことだろう。"In My Heart"は "July Morning"のアコースティック・ヴァージョンか?

1971年9月21日〜29日までは、PALADIN を前座にしたドイツ・ツアーを敢行。1971年9月26日の Konz でのライヴは次のとおり → Bird Of Prey / I Wanna Be Free / Tears In My Eyes / Improvisation / Love Machine / July Morning / Salisbury / Look At Yourself / Gypsy

1971年10月1日、『LOOK AT YOURSELF』 がイギリスでリリースされた (アメリカ盤も同時期)。また、イギリスでは 1st & 2ndアルバムが Bronze Records より再発された。

1971年10月20日には Maida Vale Studioで BBC放送用に "Look At Yourself", "What Should Be Done", "July Morning" の3曲をスタジオ録音している。10月28日に "Look At Yourself"と "What Should Be Done"のみが BBCで放送されたが、この音源は 2003年にリリースされた『LOOK AT YOURSELF (EXPANDED DE-LUXE EDITION)』などで聴ける。

1971年10月〜11月はまたまたイギリス・ツアー。COLOSSEUM や THIN LIZZY などと出演を共にした。しかし、11月19日の Technical College公演でPaul Newton がステージで倒れてしまった。


URIAH HEEP #4b (1971/11/20)
Mick Box
(guitars), David Byron (vocals), Mark Clarke (bass,vocals), Iain Clark (drums), Ken Hensley (keyboards,guitars,vocals)

Paul Newton が1971年11月19日の Technical College公演で倒れた理由は神経衰弱であると診断された。ライヴのスケジュールはキャンセルされず、1971年11月20日の Dunelm公演では急遽 COLOSSEUM のベーシスト Mark Clarke が代役を務めた。


URIAH HEEP #4c (1971/11/21-1971/11/27)
Mick Box
(guitars), David Byron (vocals), Paul Newton (bass,vocals), Iain Clark (drums), Ken Hensley (keyboards,guitars,vocals)

1971年11月21日の Greyhound公演からは Paul Newtonが復帰したが、11月27日の Imperial College公演をもって Paul Newton と Iain Clark が解雇されることになった。Ken Hensley が THE GODS時代の仲間である Lee Kerslake (NATIONAL HEAD BAND)をバンド・メンバーとして受け入れるチャンス があったため、Iain ClarkはHEEPから解雇されてしまったのである。

HEEPから離れた Iainは Kevin McCarthy から TRANQUILITY のドラマーとして勧誘されたが断り、結局音楽業界から去ってロンドンで先生をやっていたという...

日本では 1972年3月10日にようやく 日本コロムビアから UH#4 によるアルバム 『対自核 (LOOK AT YOURSELF)』 とシングル 「対自核 (Look At Yourself)」 がリリースされたが、時すでにメンツは Gary Thainを迎えた UH#6 となっていた。


Office Worker

その後、Iain Clark の名を音楽シーンで聞くことはなかった。Iain はユース・クラブのリーダーとして働き、スコットランドで人材派遣の仕事をしていたのである。


THE MISSILES (early '80s〜)
Bobby McDonald
(bass, vocal), Roger Niven (guitars, vocal), Iain Clark (drums, percussion)

Roger Niven は '60年代後半に CAITHNESS (後に ABERDEEN と改名) というバンドに参加し、その後は R&B、ソウル、プログレッシヴ・ロックの世界でギターを弾いてきた。Roger が Bobby McDonald と出会ったのが 1981年の事であり、Roger, Bobby, Iain の3人(?)で THE MISSILES が活動された。


WOUNDED KNEE
Bobby McDonald (bass, vocal), Roger Niven (guitars, vocal), Iain Clark (drums, percussion)

THE MISSILES は 後に WOUNDED KNEE に改名された。3人以外のメンバーは不明。


WOLFSTONE (1989?)
Duncan Chisholm (fiddle), Stuart Eaglesham (acoustic guitar9, Roger Niven (guitars, vocal), Iain Clark (drums, percussion) etc

1989年にフィドル奏者の Duncan Chisholm が結成したフォーク・ロック・バンドの初期メンバーに Iainも在籍。Iain も Roger もすぐに脱退。このバンドは、YESの初期ソングライター David Fosterと一緒にセルフ・タイトルのアルバムを発表しているが、Iainは参加していない。


HeepVention 2000

Iain Clark が公に HEEPファンの前に姿を表せたのは、2000年5月6日にロンドンで開催された "HeepVention 2000" にゲストで遊びに来たことである! 筆者はこのイベントに参加したのだが、Iainは "超穏やかな安岡力也" といったイメージであった(笑→写真参照) このイベントには Ken Hensley, John Lawton, Paul Newton, Alex Napier, Denny Ball も会場に来ており、THE HENSLEY LAWTON BAND や GUNHILL のライヴを観ることが出来たが、Iain のドラムを聴くことは出来なかった。何年もドラムを叩いていなかったそうである。

Iainはスコットランドに住んでいて、"HeepVention 2000"でファンに触発されたのか、地元のブルースバンド TWISTED BLUES でドラムを叩くようになっていく。


LATITUDE 57
Roger Niven (guitars, vocal), Iain Clark (drums, percussion) etc

サルサを奏でるバンド。一時的に Iainが参加。


TWISTED BLUES (present)
Iain Clark (drums, percussion), Bobby McDonald (bass, vocal), Roger Niven (guitars, vocal)

Bobby と Roger は FOUR ON SIX というジャズ・コンボで演奏していたが、本当に好きなのはブルース・ロックであることを自覚し、Iain を誘ってこの3人組のプルース・ロック・バンドを結成している。YouTubeで 2010年に行ったライヴより "Little Wing"の動画が見られる他、FREE のカバー "All Right Now"、そして"Fool For Your Stockings", "When It All Comes Down", "Unchain My Heart"といった曲のサンプルが彼らのサイトで聴ける。


CRESSIDA #4 Reunion (2011-present)
Angus Cullen (vocals, acoustic guitar, percussion), Kevin McCarthy (bass), Iain Clark (drums, percussion), Peter Jennings (organ, piano), Roger Niven (guitars)

Kevin McCarthy は '70年代のTRANQUILITY在籍時の頃からロスアンゼルスに住んでおり、2003年に小さなスタジオを建設。主にメタル的なギターを弾いて、ベースもまだまだ弾いていた。スタジオではいくつかのプロジェクトをやり、2004年にはイギリスに渡って CRESSIDA を再結成したいと目論んでいた...そう、このKevin の行動力こそ、2011年の CRESSIDA再結成への原動力に一助となったのである。また、OPETH の Mikael Akerfeldt が CRESSIDA をフェイバリットバンドの1つとして挙げていたことも、CRESSIDA再結成への道を後押しすることになった。

2004年夏、Kevin McCartney は Angus Cullen と Iain Clark と接触することに成功。Angus と Iaian は古くからスコットランドの Highlands地区に住んでいた親しい友人で、Angusはフランスに住んでいた。また、Peter Jennings はロンドンに住んでいて、まだバンド演奏をしたり、いくつかの音楽プロジェクトに関わっていた。

2009年に Repertoire Recordsから再発される CRESSIDA のCDのロイヤリティを受理する為、2007年には John Heyworth や John Culley を含むメンバー全員がコンタクトに成功して eメールのやり取りをするまでになった。そして、2007年に Kevin はロンドンに赴き、短い滞在期間中に Angus と Peter に再会している。

2011年5月に Iain Clark は、CRESSIDA の長年のファンである Pop Classics.comの Damian Jones と Rob Henson の2人に会い、CRESSIDA を再び注目させる為のアイデアについてミーティングの場をもった。なんと、Iainが自身のレコード・コレクションの中から CRESSIDA の古い音源を売ろうと彼らに接触したのであった。

Iain は 3曲入りのアセテート盤 "Lights In My Mind" を持っていて、更に当時のデモのオリジナルのマスター・テープを持っていたが、テープは何年も前に破損して聴くことが出来なかった。そこで当時のメンバーにコンタクトを取り検索した結果、Kevinが自身のスタジオで未開封のままのリール・テープを所持していたのである。テープは壊れやすい状態であった為、専門家に6音源の修復を依頼し、そして遂にアセテート盤の3曲を含むデモ音源がデジタル化されて蘇ったのであった。

ロンドンで Iain Clark、イギリスのロック・マガジン「RECORD COLLECTOR」の Ian Shirley、そして、Damian Jonesが会合した。このデモ音源を試聴した Ian Shirley は750枚限定の180グラムLPとして2011年11月に発売することを約束し、バンドのメンバーもライセンスを得た。

このデモ音源集 『TRAPPED IN TIME : THE LOST TAPES』 は、010年1月11日にオレゴンで亡くなった John Heyworth の思い出に捧げるアルバムとして、更に2011年11月の発売を契機として、CRESSIDA の再結成ライヴも 2011年12月2日にロンドンの Camden Town にある "The Underworld" で行われる計画となった!! 

2011年9月に Angus, Iain, Kevin, Peter の4人がスコットランドで遂に一同に会し、約40年ぶりにスタジオでリハーサルを行った。ギターには Iainのバンド仲間 Roger Niven が迎えられた。

2011年11月の終わり頃、メンバーは再びスコットランドのスタジオに集まり、リハーサルを行った。彼らは約40年間、オーディエンスの前で演奏していなかった為、急遽 1129日に Blackfriars Highland Pubでウォームアップギグを行った。

2011年12月2日には、遂に ロンドンの"The Underworld"での再結成ライヴが行われた。セットリストは次のとおりSurvivor / Only Earthman In Town / Winter is Coming Again / One of A Group / Lights In My Mind / Something I Said / Wind In The Night / Depression / Spring 69 / Down Down / Cressida / Lisa / Asylum / Reprived / To Play Your Little Game / Munich / Let Them Come When They Will (encore) Tomorrow Is A Whole New Day

更に、2011年12月3日には、ロンドンの Kentish Townにある"The Forum"で行われた CATHEDRAL のフェアウェル・ギクのスペシャル・ゲストとして、30分間の演奏を行った。結局のところ、12月2日の一夜限りのライヴであった筈の当初の計画は、11月29日〜12月3日の5日間に3回のライヴを行うことで幕を閉じた。

2012年9月24日には 『TRAPPED IN TIME : THE LOST TAPES』 CD盤(ボーナストラック2曲) 及び、1st+2ndアルバム全曲(曲順違い)と未発表曲など5曲のボーナストラックを追加収録した2CD THE VERTIGO YEARS ANTHOLOGY 1969-1971 の2アイテムが発売された。1970年6月15日に BBC Radio 1の"Sounds of the 70s"で放送された"Depression"と"Winter Is Coming Again"の2曲のスタジオ・ライヴや、アルバム未収録だった"Situation"などのレア音源が聴けるマストアイテムだ。

2012年10月4〜7日にはアメリカのWilmington, Delwareで開催されるプログレフェス"Farfest 2012"では唯一のイギリス代表として CRESSIDA が出演することになっていたが、7月18日のオフィシャルアナウンスで会場側の都合によりフェスティバル自体の開催中止が発表された。再び演奏する準備を進めていた CRESSIDAにとっては残念な結果になった。

しかしながら、OPETH の Mikael Akerfeldt から、2013年9月6日〜8日に開催される OPETH 主催の豪華客船 MELLOBOAT での船上ライヴ・フェスティバルの出演バンドの1つとして出演を打診された CRESSIDA はこれを快諾。ウォーム・アップ・ギグを9月3日にスコットランドのInvernessにあるBlackfriars (Iain Clarkeのバンド TWISTED BLUES がたまにライヴをやっているクラブ) で行っている。

本番の MELLOBOAT Festival では、9月7日に出演し、乗員の喝采を浴びた。セットリストは次のとおりだと思われる(順不同) → セットリストは次のとおりSurvivor / Only Earthman In Town / Winter is Coming Again / Lights In My Mind / Down Down / Big Wind / Depression / To Play Your Little Game / Munich / Let Them Come When They Will / Tomorrow Is A Whole New Day

 

日本のプロモーターさん方、頑張って CRESSIDAを来日させてみません!?(笑) 彼らが活動できているうちに、再結成CRESSIDAのライヴを観てみたい日本のプログレファンも多いと思いますよ〜!!

CRESSIDA have to play in JAPAN!! Please come on for first time in JAPAN!!


Taasan's E-Mail http://www.geocities.co.jp/Broadway/8743/email/email.htm


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