文法俳人を嗤う

 文法がうるさい。わずか十七文字の定型の韻文に、やれ連体形にしないとならないとか、形容詞はカリ活用にしないといけないとかと、文法学者のごとき小うるさい言辞を弄する「専門俳人」が少なくない。ここにいう専門俳人とは、俳句を通じて或は俳句によって何らかの収入を得ている人物のことである。
  ◎茨木和生氏の〈怖れり〉解釈に疑問
 具体的に言おう。
 角川書店発行の俳句総合誌「俳句」九月号の合評鼎談(評者=茨木和生、鳴戸奈菜、橋本榮治の三氏)で同じ俳句七月号に掲載された河野多希女氏の作品、
  風死せる空を怖れり暑の兆す  
 について、茨木氏が「触れておきたいのは、文法的な誤用です」と言い放って、「〈怖れり〉は駄目ですね。『怖れ』は他動詞、ラ行下二段活用ですから、完了の〈り〉につながることはない」と断定して、「風死す」は耐えがたき暑さの状態だから「暑の兆すはちょっとひっつかないような気がする」と作品そのものも否定している。合評鼎談の企画内容からして他者の掲載作品(俳句)を批評するのは結構なことだが、一句の鑑賞に入る前に、まるで鬼の首でも取ったように「文法的な誤りを」声高に指摘する態度は解せない。どのような俳人の作品に対しても同様の態度を持しているならまだしも、この合評鼎談を見ておられる方はご承知だろうが、有力な俳人や親しい俳人に対しては「大甘」の褒め言葉がつづく。そんなに褒めては慇懃無礼ではないかと思えるほどの言辞を、三人で臆面もなく繰りひろげる。合評鼎談の扉には「切れ味鋭い批評が、新たな佳句を生む」と謳っているが、羊頭狗肉に堕しているのではないか。編集者は人選に心すべきだ。契約途中であっても企画内容にふさわしくなければ、躊躇なく評者の差し換えをすべだ。読者の信頼に応える企画内容こそが読者サービスであり、それが編集者の仕事ではないか。「俳句」を評価するゆえに敢えて苦言を呈した次第。

         
 ところで、茨木氏が言うように〈怖れ〉は完了の〈り〉につながることのない「ラ行下二段活用」なのであろうか。
 「怖れ」は名詞だが、「恐れ・る」は手許の三省堂の詳説古語辞典によると〈ラ行上二段、ラ行四段〉〈ラ行下二段〉と記されている。意味は「恐がる、恐れる、憚る、恐縮する」。同じ意味ではあるもののそれぞれ微妙に活用が異なる。上二段は「り、り、る、るる、るれ、りよ」(未然形、連用形、終止形、連体形、已然形、命令形)、四段は「ら、り(つ)、る、る、れ、れ」、下二段は「れ、れ、る、るる、るれ、れよ」と活用する。言葉は時代意識を映す鏡のようなところがあり、それが使われ方によって活用が変化し、それが慣用となって広がりを見せ、動詞活用の重複という結果になったのではないか。「触る」(ふ・る)も、軽くさわる、触れるという同じ意味でラ行四段、ラ行下二段に重複しており、古文法に疎いぼくがぱらぱら辞典をめくっただけで目につくのだから、調べたら重複活用の言葉は相当な数になるのではないか。

   ◎句の鑑賞・解釈より文法の角川「鼎談」
 ところで、茨木氏が河野氏の句に指摘した「怖れ」は「ラ行下二段活用も含む」というのが正しい。〈四段〉活用であれば、怖れの語幹〈おそ〉に命令形の活用語尾〈れ〉が付き、それに完了の助動詞〈り〉を加えた四段命令形+り、となり文法的には何ら誤りではなくなる。
  風死せる空を怖れり暑の兆す
 この河野氏の句は、風がはたと止んでいる空に気づき、なにか不安・不吉な思いのなかで迫りくる暑さを詠んだものであろう。芭蕉が「物の見えたる光いまだ心に消えざる中にいひとむべし」(三册子)と言い、子規が言いつづけた「実景実感」によってもたらされた句だと、ぼくは思う。実景実感ゆえに「風死せる」と上五にむき出しの言葉をぶつけ、何の工夫も衒いもなく心情を詠んでいる。そこを見ないとこの句の趣きは分からない。
 〈風死せる〉は死〈し〉の語幹に使役の助動詞「す」の未然形の〈せ〉+可能の助動詞〈る〉によって構成されたものだろう。文法的にはやや複雑な使用だが、韻文は文法よりも作者の言語感覚の生理が優先する。韻文に文法を持ち出してあれこれ事ごとしくあげつらう態度は、「俳句」を否定し破壊するものだ。子規は「琴柱に膠する」ものだと論駁しているが、「角を矯めて牛を殺す」アホな行為そのものではないか。
 文法的に言えば、「死せる」は、ナ行変格活用の連体形〈ぬる〉を用いて「死ぬる」とするか、使役の助動詞〈す〉の連体形〈する〉を付けた「死する」としたほうがすっきりしただろうが、それでは風の止んだ空によって得た作者の感性を表現し得なかったのだろう。また、この句は「死せる」によって作者の不安・不吉な思いが皮膚感覚として伝わり、成功している。
 断っておくが、ぼくは河野多希女氏と面識があるわけでも特別な感情があるわけでもない。ただ、一句の鑑賞・解釈より文法をあげつらう今日の俳句界の風潮に我慢ならなく、例の合評鼎談を目にして、これでは俳句は駄目になると、鉢巻きをして不得手の文法と取り組み、一夜漬けの半端な知識で問題提起をしているのである。 

  ◎文法・かなづかいは結社運営の「道具」
 むしろ、茨木和生氏とは大阪俳人クラブの懇親会でお目にかかり、挨拶を交わしたことがある。大勢にまじってのことゆえ当の茨木氏は多分、覚えておられないであろうが、茨木氏の印象は良かった。物腰の穏やかな紳士で、ぼくは好感を持った。しかし、だからといって合評鼎談の横柄な批評を認めることは出来ない。好感を持っているからこそ、言うべきは言うという誠実な態度を持したい。
 繰り返しになるが、ぼくは、韻文の俳句に文法を押し付けて俳句を萎縮させ、廃れさせてゆく有力俳人やそれに与する俳句界を批判しているのである。
 文法や歴史的かなづかいをうるさく指導する俳句結社が少なくない。それには理由があるようだ。文法や歴史的かなづかいをマスターするには時間がかかる。メンバーを結社に引き止め、幹部同人らの権威を保つ「道具」にそれらが用いられているのではないか。わずか十七文字の俳句は、キャリアをつまなくても良い句が詠める。すぐに主宰や幹部同人をしのぐ「俳句作家」となり、よほどすぐれた指導者がいない限り、実のある指導者を求めて結社を渉り歩くことになる。それが自然の流れだが、それでは安定的な結社運営が困難なため、メンバーを引きとどめる方便として愚にもつかぬ「歴史的かなづかい」や「文法」を持ち出しているだけで、なんら俳句の真髄に迫るものではない。

  ◎退化・退歩する俳句界の象徴が文法論
 俳句界は確実に退化・退歩している。子規が月並俳句を糾弾した明治二十年代より今日の俳句界のほうが月並俳句に堕しているのではないか。俳句総合誌に載る俳句のほとんどは俳句ではなく、俳句くずれのつぶやきとしか思えない。「俳句」の合評鼎談はその歯止めの役割を担っているはずだが、勢力を有し憚りのある俳人の作品は不出来でも褒めそやし、そして知り合いの俳人の作品はほどほどに評価する。褒めてばかりでは企画内容からして不都合をきたすので、彼我の力関係を計りつつ適当に批判しお茶を濁しておく。なんとも「せこい」ことだが、それが俳句界の現実なのだ。「俳句」の合評鼎談を読まれれば分かることだから、このことについてはこの辺にしておく。茨木氏ら評者の名誉のために言っておくが、彼らの「批評」が飛び抜けて不都合なのではない。力や権威におもねる俳句界の風潮に迎合した「批評」を展開しているに過ぎない。
  ◎文法的に問題の蕪村、羽紅の句
 文語文法について山西雅子氏が「俳句」に連載している。「文語文法入門」と題し、九月号で十七回を数え、毎号楽しみにしている企画の一つだ。山西氏は具体的な例を示しつつ、実に分かりやすく解説していて、その該博な知識にはただただ敬服するばかり。
  二もとのむめの遅速を愛すかな  蕪村
 蕪村の有名なこの句について、山西氏は座五の愛すかなは文法的には「愛するかな」にすべきと指摘。「『かな』は動詞に接続する場合は連体形に付くからです」と。
  石山や行かで果せし秋の風    羽紅
 羽紅のこの句については、山西氏は「之はサ行四段活用の動詞から来たのであるから正しくは『果しし』といふべきものである」と俳諧文法概論(山田孝雄著)の文言を紹介している。果せしの〈し〉は過去の助動詞〈き〉の連体形の〈し〉であり、連用形にしか接続しないため、サ行四段活用の已然形・命令形の〈せ〉ではなく、連用形〈し〉でなければならないということだろうが、「果せし」と「果しし」では句の趣きが変わる。
 上五に「石山や」と詠嘆の切字や(間投助詞)を置いて「行かで果せし秋の風」と羽紅は詠む。「果しし秋の風」ではなく、「果せし秋の風」でなければ羽紅は我慢ならなかったのだろう。「果しし」だと自然の成りゆきで「そのようになった」と言ったふうなどこか冷めた風情がのぞくが、「果せし」だと気にかかっていた思いが叶った趣きがあり、「果せし秋の風」だからこそ、上五の「石山や」の詠嘆が生きてくる。
 蕪村の「愛す」↓「愛する」についても同じことだ。
  二もとのむめの遅速を愛すかな
  二もとのむめの遅速を愛するかな
 蕪村は座五の字余りを嫌って「愛すかな」にしたのではない。「愛するかな」にすれば二もとの梅への思い・心象が歪むからだ。
  二もとのむめの遅速を愛すかな
 梅のつぼみのふくらみ、花の付けかたの違いを愛でる作者の「観賞距離」への共感が余韻余情となってひろがる。ところが、
  二もとのむめの遅速を愛するかな
 だと「二もとのむめの遅速」を独占するごとき「愛する」観賞が嫌みとなる。「愛すかな」には他者と観賞をともにする心情がうかがえるが、「愛するかな」には庭先で独り梅の遅速を愛玩しているような「いじましさ」がのぞく。

  ◎芭蕉の句にも文法上の疑問が…
 山西氏は連載のなかでまた、「連体形から〈る〉が脱落するという下二段特有の誤り」として、
  石投げて水を笑はす/春隣   渡辺鮎太
  有難や/雪をかほらす南谷   芭蕉
 この二句をあげ、鮎太の句は/で切れているから「笑はす」終止形は正しい用法だが、芭蕉の場合は句意からしても中七座五は一続きであり「かほらする」の「る」が「脱落した例」見ている。
  有難や雪をかほらする南谷
 芭蕉は墓の下であきれていることだろう。山西氏の指摘通り「かほらす」↓「かほらする」と正しい連体形の用法にすれば、名句がたちまち弛みきった駄句に「変身」する。俳句に文法を持ち込み、云々することが如何にアホなことか。
 むしろ、山西氏が正しい用法とした鮎太の句を、
  石投げて水笑はする春隣
 としたほうが句が引き締まり、投げた石による水の表情も見えて「春隣」が生きるのではないか。
  ◎「閑古鳥故郷に満てる他人の顔」考
  すずしくも野山にみつる念仏哉  去来
  閑古鳥故郷に満てる他人の顔   山田みづえ
 山西氏は連載の中で山田氏の「閑古鳥」の句を「四段活用の例です」としているが、タ行四段活用の活用語尾は「た、ち(つ)、つ、て、て」。去来の「みつる念仏哉」の「みつる」はタ行下二段「み」の語幹に連体形「つる」が付いたものとの解釈。去来の「みつる」に異論はないが、山田氏の「満てる」が四段活用とはうなずけない。四段活用なら命令形「満て」+る(完了の助動詞〈り〉の連体形)となるが、この句の趣きは他人の顔を「野山の満て」と命令している類いのものではなく、閑古鳥との取り合わせにより野山に「満てる」他人の顔を傍観的に詠んだものであろう。それならば「みつる」と同様タ行下二段活用であり、未然形「満て」+る(完了の助動詞)と解釈するほうが無理がないのではないか。
 今回の「俳句の視点」に伴って調べてゆくうちに、芭蕉と虚子の句集を文法の視点から改めて見てみた。
  砧打て我にきかせよや坊が妻   芭蕉
 この中七の「我にきかせよや」は当初、「きぬたうちて我にきかせよ坊がつま」(曠野)となっていたのを、芭蕉はわざわざ「我にきかせよや坊が妻」と推敲している。ぼくは曠野の句のほうが締まっていて良いように思うが、芭蕉は「我にきかせよや」と係助詞の「や」と相手に強く問いかける形にしなければ納得できなかったのであろう。古今集の「秋の野に置く白露は玉なれや貫きかくる蜘蛛の糸すぢ」という歌などに触発されたのかも知れない。
  今日よりや書付消さん笠の露   芭蕉
 この句の「や」も気になる。芭蕉はどうして「今日よりは書付消さん笠の露」と「は」にしないのであろうかと。時間的な起点を示す格助詞「より」に系助詞の「や」を持ってきて、わざと句を弛ませているのが腑に落ちなかった。今回見直してみて、「今日よりや」と芭蕉は曽良との別れを自身に言い聞かせ、うちなる曽良に挨拶していることに心付いた。

  ◎文法に引きずられなかった虚子
 虚子は文法にはあまり頓着しなかったのではないか。虚子の俳句観や人間性には好感が持てないが、こと文法に関する俳人としての姿勢には敬意を表したい。虚子がホトトギス五百号にちなみ昭和十二年に出して「五百句」は、あまたの自句から虚子自らが選りすぐった句集だが、それでも言葉づかい・表現に首を傾げたくなるのが四、五句はある。眼に付いた句からあげよう。
  うち笑める老いを助けて青き踏む  虚子
 うち笑めるの「うち」は笑めるの接頭語で語調を整え意味を強める働きをする。「うち笑む」と終止形にしないと接頭語の「うち」が生きない。助けを欲する老人の笑みを、「うち笑める」と命令形の「笑め」+完了の助動詞〈り〉の連体形〈る〉を用いては句意が通らない。「うち笑みし老いを助けて青き踏む」とすべきではなかったのか。
  一片の落花見送る静かな   虚子
 「一片の落花見送る」という「見送る」に首をひねった。見送るという意味は、ただ何もせずに眺めやるという抑制的な心情が含まれており、一片の落花を見送るとは言わないだろう。それに、座五の「静かな」はナリ活用の形容動詞「しずか」の語幹に「かな」を付けているが、どうもしっくりしない。文法的には「静なるかな」とすべきところだろうが、俳句ゆえにあえて「静かな」としたのであろう。
  風の日の麦踏遂にをらずなりぬ  虚子
 昭和七年二月十三日女子大学句会と説明書きがある。座五の「をらずなりぬ」。字余りはいいのだが、言葉づかいに違和感を覚えた。「なりぬ」は動詞「成る」の連用形+ぬ(完了の助動詞『ぬ』の終止形)からなっており、むしろ肯定表現に用いられるべき言葉ではないのか。打消しの助動詞「ず」を用いた「をらず」に下接して「なりぬ」とあれば、ついに麦踏の不存在が成った・実現したというおかしな意味になる。座五を「をらずなり」と伝聞推定の助動詞「なり」にしたほうが分かりやすくなると思うが、作者はどうしても「をらずなりぬ」にしなければ気持ちが収まらなかったのだろう。
  我生や今日の短き日も惜しゝ  虚子
 昭和十二年十二月十三日夜。大崎会、丸ビル集会所の説明が付いている。座五の「惜しゝ」の表現が解せない。シク活用の形容詞「惜し」の終止形に副助詞の「し」を付けていて、句の趣きを損ねている。「惜しき」と連体形終止にすべきところではないか。
 虚子の句についてはこの辺にしておこう。文法を歯牙にもかけず、心のおもむくままに詠んだ虚子は嫌みではなく正直、大したものだと思う。ただ、文法はそれでいいのだが、言葉づかい・表現に雑なところがあり句意を損ねているのが惜しい。
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  ◎「文法違は韻文の妙所なり」と子規
 子規は、ホトトギス第八号(明治三十年八月三十日)の「試問」のなかで「韻文に於て文法違の所は多く韻文の妙所なり」「韻文の上に、況やして簡単なる俳句の上に之を(文法)を励行せんとするは琴柱に膠すると一般文学の霊活を知らざるものなるべし」と『文法』を一蹴している。
 文法俳人のアホな言辞を大いに嗤ってやろうではないか。  
  

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