やすらぎと潤いが「俳句の真価」
 俳句には季語がある。無季俳句もあるが、無季俳句は俳句の範疇に入
るのかどうか。子規は、俳諧大要において「俳句には多く四季の題目を詠ず。四季の題目なきものを雑と言ふ」「俳句における四季の題目は和歌より出でて更にその意味を深くしたり。例ヘば「涼し」と言へる語は和歌には夏にも用いまた秋涼にも多く用いたるを、俳句には全く夏に限りたる語とし、秋涼の意には初涼、新涼等の語を用いしが、今は漸くにその語も廃れ涼の字はただ夏季専用と為れり。則ち一題の区域は縮小したると共にその意味は深長と為りたるなり」と俳句における季語の深まりと意味を具体的に述べている。 

 「季語」のイメージ喚起力
 子規はさらに、四季の題目を見れは則ちその時候を聯想を起すべし、と歯切れが良い。「例へば蝶といへば翩々たる小羽虫の飛び去り飛び来る一個の小景を現はすのみならず、春暖漸く催し草木僅かに萌芽を放ち菜黄麦緑の間に三々五々士女の嬉遊するが如き光景をも聯想せしむるなり。この聯想ありて始めて十七文字の天地に無限の趣味を生ず。故に四季の聯想を解せざる者は終に俳句を解せざる者なり」と断定している。
 連綿と受け継いでいる四季の景色・思いが「季語」によつて触発され、脳裏に波紋のように季語の「風景」がひろがる。子規はそれを「聯想」と言う。この季語によるイメージのひろがりが、鑑賞者と感動や思いを共有することになる。感動の擬似体験である。桑原武夫はそれを「感動の再生産」と表現する。
  水仙と海を分けたる道一つ  広
 この句からどのようなイメージがひろがるだろう。
 海になだれ落ちるような水仙郷であろうか、あるいは海と道路を隔てた観光地化した水仙郷であろうか。また、海のありさまはどのようなものか。そうしたことは、鑑賞者の体験によって異なる。まったく体験のない場合でも、水仙の花を思い描き、それと海との対比、そして道の存在を自分なりに思い浮かべて、一句のイメージを形づくる。

     無季俳句の問題点と兜太俳句の愚作
 季語の「水仙」がイメージをふくらませ、定着させる。俳句は季語に尽きる。作句者はまた、季語の景物によって作句動機を得、一句の視線を得る。「一句の視線」とは、水仙の本質を掬いあげようとする目のかがやきのことである。
 もっとも、無季俳句だからと頭から一概には否定できないが、しかし、季語のない俳句は味噌汁に味噌を欠いたような味気なさがつきまとう。私は、その味気なさは俳句ではない、単なる寝言たわごとの類いだと断じている。
 華麗なる墓原女陰あらわに村眠り 兜太
 彎曲し火傷し爆心地のマラソン  兜太
 金子兜太氏の有名な無季俳句だが、一句目の「華麗なる」は単に作者の愚にもつかぬエロチックな想像による言葉を並べたに過ぎない。 
  二句目の「彎曲し」は爆心地でのマラソンの説明ではないか。作者の独りよがり、独り合点の句で、何の感動も共有し得ない。
 これが現代俳句の頂点に立つ人物の初期の代表作とされているものだ。俳句でないものを、適当に理屈をつけて俳句となし、また俳句の分からない人物がその句を、訳の分からない言葉を連ねて評価する。
 俳句界は坂道を転げるように「貧困」の底に堕ちた。そのアリ地獄のような底で右往左往しているのが、今日の俳句界の姿である。
 貧困は何も今に始まったことではない。

     
「虚子あって子規無し」の風潮
 高浜虚子によって、今日の貧困・堕落の道が付けられ、その歪んだ道をころげ落ちている「ありさま」が今日の俳句界の実体ではないか。子規という稀有のリアリストを得て改革を成した「俳句」の残滓に過ぎない。
 虚子は、必ずしも凡庸ではなかったのかも知れない。
 これといった文学的才能もなく、子規の導きで俳句へ足を踏み入れ、子規に口やかましく言われ叱られても勉強嫌いであった虚子が、俳人として大きな存在に成り得たのは、三十半ばで逝った子規の存在・業績を軽視し、自己PRを巧みにしたからではない。結社運営、門弟の増加、系列化に才を発揮した。そして世襲制の「お俳句」に道を拓いた。「虚子あって子規無し」の風潮を作り出した狡猾な虚子の手腕は、むしろ大したもの言うべきなのだろう。

   
 虚子門弟らの正当な評価を
 私は、虚子を貶めようとしているのではない。
 俳句界が立ち直るためには、虚子の「正当な評価」がなされなければならない。それが文学としての俳句復活の不可欠の条件だと、私は確信している。
 俳人の正当な評価となれば、虚子に認められ評価されて世に出た渡辺水巴、村上鬼城、飯田蛇笏、原石鼎、日野草城、水原、山口誓子、富安風生、山口青邨、川端茅舎、松本たかし、後藤夜半、中村草田男といった俳人についても見直さなければならない。
 そうした俳人を師と仰ぐ結社が多く、反発は避けられないだろうが、「お俳句」として楽しむならば、愚にもつかぬ師系図を掲げてお茶を濁していればいい。

      
師系を棄て師の否定を
 しかし、文学としての俳句を求めようとするならば、俳句の文学性を否定する師系図を棄て、そうした俳人の仕事(作句・選句、講評等)を検証し、正当な評価をくだすべきだ。師の俳句に囚われていては、自己の俳句はない。師の俳句を否定し、師を乗り越えてこそ、自分の俳句が存在するのではないか。「師恩」だ何だと封建的なことを言って、門弟に「師」であるがゆえに尊敬を強要する風潮は、文学とは対極にある営みだ。
 文学は、そんな甘っちょろいものではない。師を否定し、そして自己を否定して今日の自分が存在するのである。
 昨日の自分で満足しているなら、苦しい創作に憂き身をやつすことはない。「お俳句」が蔓延している俳句界にあっては、私の主張は荒唐無稽なたわ言に響くだろうが、文学とは本来そういうものだ。
 子規は、俳句にそれを求めた。俳句は「写生」によって、頭でひねっただけの月並俳句から脱し、文学足り得る、と。



戻る    感想をメールでお送り下さい