俳句の視点


 
 
文学としての俳句へ
   
(3月17日記)
 
 俳誌「雛鳥」第1号(2001年3月22日発行)に『俳句の視点』を載せた。「雛鳥」は今のところ年4回の季刊なので、掲載間隔が開くため、折に触れて感じた事、また思っていることをこのホームページ上で書いていきたい。
 とりあえず、「雛鳥」1号に載せた内容を紹介しよう。
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 主宰や先輩俳人から「お上手ね」とか「うまい句だね」と言われたことがないだろうか。
 俳句に「うまい」「へた」があるだろうか。私がいう「俳句」とは、正岡子規が提唱した文学としての俳句である。
 今日の俳句結社の句会や句友の間では、上手だとか、うまいという表現が褒め言葉として一般に通用している。俳句界の堕落・退廃ぶりを如実に物語っている光景だが、当の俳句界はそのことに気づいていないのだから、まさに末期的な症状を呈していると言っていい。
 小説家に「お上手ですね」「うまいね」と言えばどうか。画家に「上手だね」と言えば、どのような反応が返ってくるか。当人は馬鹿にされたと思うのではないか。文学に上手、下手はない。文学としての「真実」の濃淡やリアリティの有無があるだけだ。絵画等の芸術作品においては心にひびくかどうか、どのように心にひびいたかを伝えるのが、評価のマナーというものだろう。「お上手」という褒め言葉は、主に幼児の作品に使用する表現だ。高みから見下ろす立場が、その言葉の底に横たわっている。
 文学作品を批評するのに稚拙な「上手」「下手」の表現に頼るというのでは、あまりにも情けなく、病牀六尺から文学としての俳句を求めた子規に顔向けができない。
 子規に顔向けができるできないは、今の俳人にはさして問題ではないのだろう。
 実際のところは、結社の門弟の句や一般からの投句を「文学作品」とは見ていないのではないか。主宰や著名俳人は、門弟たちの句に、自分たちの手が入って始めて「俳句」足り得ると、思い上がっているのではないか。
 他人の俳句に平気で手を入れて何ら省みない態度は、文学者の感覚ではない。お茶やお花、踊りといった習い事のお師匠さんの所為に他ならない。おそらく主宰当人も文学などとは思っていず、習い事の一つとして営んでいるのだろう。文学だと思えば、他人の句に易々として手を入れるなどということは出来ない。
 まず、なによりも大切なことは、一句の有する味わい、実景実感であり、その句の世界を鑑賞したうえで、作者に作句意図や思いを聞き、それで初めて何がしかの助言ができるのではないか。盆栽の枝ぶりを整えるように句に手を入れ、一句の味わいを損なっている例は枚挙にいとまがない。
 子規はすでにそのことを「俳諧大要」で指摘している。「月並風に学ぶ人は多く初めより巧者を求め婉曲を主とす。宗匠また此方より導く故についに小細工に落ちて活眼を開く時なし。初心の句は独活(うど)の大木の如きを貴ぶ。独活は庭木にもならずとて宗匠たちは無理にひねくりたる松などを好むめり」と宗匠たちは箱庭俳句を痛烈に批判。
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 「俳句の技」や「仕掛け」という言葉をテレビや灰句総合誌等でよく耳にし、また目にもする。「俳句の技を習得するには年季がいる」「仕掛けの利いた句」と憚らず口にする俳人がいる。いると言うより、それが大勢といって言い。「技」や「仕掛け」ということで門弟の気を引こうとしているのだろうが、技や仕掛けは子規が徹底的に批判した月並俳句そのものではないか。技のある俳句は、嫌味なものだ。仕掛けは月並俳句の真骨頂だろう。
 芭蕉は技を嫌い「俳諧は三尺の童にさせよ」(三卅子)と言っている。「巧者に病あり、初心の句こそたのもしけれ」と芭蕉は巧者が技に溺れて内実を見失うことを戒めているのだ。
 こうした私の「視点」は、インターネットのホームページ(中川広の俳句ページ)で詳しく述べており、
3000を超えるアクセスがあるものの、一向に反論がない。どうか遠慮なく反論いただきたい。
 今日の俳句界への批判は「雛鳥」とは関係のない、私の個人的な営為であることを、念のため申し添えておきたい。 
 


 
権威や師の否定を
   (3月18日記)

 文学に権威はいらない。俗世間的な価値はあるのだろうが、こと文学においては何の役にも立たない。邪魔なだけだ。文学界にも権威と目される人物は存在するだろう。また、その「権威」の評価によって世に出た文学作品もあるだろう。しかし、権威者に認められたからといって作品の質がよくなるわけでもなんでもなく、単にその人物の評価を得たというに過ぎない。作品を商品としてみた場合、権威者に評価されればそれだけ商品価値が高まるわけだから、出版経済的には大きな意味があるのだろう。
 しかし、なかには見当違いの「評価」があったりして作者を戸惑わせることもあろう。文学の世界は、ともかく評価されればいいという、そんないい加減なものではないはずだ。作者の創作意図が的確に把握されたうえでの評価でないかぎり、評価とはいえない。単なる「おべっかい」「錯誤」になる。
 どのような作品に対しても、評価するという行為には両面がある。評価する立場の人間も、その評価の内容によって文学的器量が量られるからだ。作品によって、評価者の権威がゆらぐことがある。作品と批評の関係は常に「真剣勝負」なのだ。気を抜いたり弛んだりすれば、たちどころに見破られる。その緊張関係が文学の営みを支えている。
 しかし、俳句界はどうだ。批評らしい批評があるのか。坪内稔典氏らごく一部を除き、ほとんど全て作品の「太鼓持ち」ではないか。寝言・タワゴトの俳句の体をなしていない大家等の作品を褒めそやす俳人や評論家の言動は、俳句をいたずらに貶めている。太鼓持ちは、旦那の言う事に調子を合わせて「へつらう」ことで座を盛り上げた。私は、太鼓持ちも立派な職業だと思っている。旦那の機嫌を取り結ぶ才覚がいる。それでなければ幇間にはなれない。
 幇間は旦那の機嫌を取り座を盛り上げるのが仕事だという世間一般の共通の認識があって成り立っているもので、その幇間の言動は芸として評価が定着しているが、俳句の評論はどうか。総合雑誌等で俳句作品の批評を行う人物を、そうしたお座敷芸を売り物にする太鼓持ちだとはみていないだろう。そこに問題がある。
 結社の主宰を務める俳人らが俳句総合誌で俳句作品の批評まがいのことを行っているが、「媚び」「へつらい」のオンパレードといっていい。その行為を太鼓持ちというと、本職の太鼓持ちに申し訳ないような下手の「へつらい」ばかり。ちょっと目のある旦那なら、即座に座敷から遠ざけるだろう。今日の俳句の批評は、悲しいかなその程度のものでしかない。
 俳人の「格」という、訳の分からないものを考慮して批評するのが当然のような俳人や評論家の言動は、少なくとも文学作品を批評する態度ではない。お茶やお花の家元の作品だからと、ただそれだけの理由で褒めそやすのと同じだ。文学は、実績のある主宰も無名俳人も同じでなければならない。老若男女の区別、有名無名の区別や差別は許されない。
 師匠筋に当たるからとか、親疎の関係で批評に手心を加えるなどということは、文学者としての当人の自殺行為だが、それが一向に改まらず、またそれで俳句批評の仕事が減らないのは、文学ではなくお稽古事として互いにもたれあっているからに他ならない。
 「大家」にすれば今日の俳句界ほど居心地のいいところはないに違いない。駄句凡句を書き散らしていても、競ってうまく褒めてくれる俳人や批評家が控えているのだから。
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 今日の俳句界でのしあがっていく有効な手段は、大家の駄句凡句を当の大家に気に入られるようにいかに「褒めるか」ということ。その技術を身に付けている人物が、俳句界を巧みに泳ぐことになる。
 俳句が分からない主宰が門弟の作品をいじって、文学的価値を削ぎ落としていながら、当の主宰はその大変な過ちに気づかず、それどころかふんどり返ってまったく罪の意識がないのだから、救いようのない末期的な症状としか言葉が見当たらない。
 言葉を変えていえば、ヤブ医者が健康体の人間の手術の必要な病気と誤診して、めったやたらとメスを振っているようなもので、手術される人間にとっては迷惑このうえない。メスをふるうことが医者だと心得違いをしているものが俳句界には多い。メスをふるうことで師弟関係を構築するものだと考えているようだ。アホなことだけど。
 正岡子規の提唱した俳句に心を傾けよう、文学としての俳句に親しもうとするならば、まず、主宰や大家の「権威」を否定するところから始めなければならない。それでなければ「俳句」が見えてこない。文学の評価に門地、家柄や「格」などというものは存在しない。その文学作品があるだけだ。誰が詠んだ句などは問題ではない。一個の独立した俳句作品があるだけだ。その事実以外のものはなにも批評に考慮すべきではない。芭蕉や蕪村、一茶の句だからいいのではなく、感動を共有し得る句を比較的に多く詠んだ人物ゆえに評価されているのだ。芭蕉の句にも駄句凡句が少なくない。
 その芭蕉が「上手になる道筋たしかにあり。師によらず、弟子によらす、流によらず、器によらず、畢竟句数多く吐き出だしたるものの、昨日の我に飽きける人こそ上手なれり」(篇突)と語っている。師を頼りにしたり弟子をアテにせず「昨日の我に飽きること」だと諭している。
 我に飽きるとは、昨日の自分を否定することにつながる。昨日の俳句を否定することだ。その自己否定のエネルギーが次の作品を産み出す。
 主宰や先輩俳人の言動に惑わされず、むしろ、そうした世俗の垢に染まっている俳人の言動を排したところから、自身の俳句を見詰めなおす。それが、文学としての俳句への第一歩だ。
 子規の「俳諧大要」(岩波文庫)や「病牀六尺」(岩波文庫)、「仰臥漫録」(岩波文庫)を一読されるようお薦めする。


 門弟に詫びた芭蕉
  (3月20日記)

 今日の俳句界では、師の言辞を天の啓示のごとく「拝聴」する風潮があるが、「短歌優美にして俳諧自由」を謳った伝統的な俳句のおおらかな気風を殺ぎ、いたずらに俳句を佶屈(きっくつ)なものにしている。
 親方に弟子入りし、親方の技を習得する職人の世界ならいざ知らず、少なくとも「文芸」を売り物にする俳句にあって、師弟関係を押し付け、指導いう名の句の改竄行為を通じて師を敬わせるように仕向け、恭順を競わせるような結社運営は、邪道以外の何物でもない。
 今日の主宰や著名俳人は文芸の「芸」を勝手に技巧や技と解釈して、「俳句には技が要る」とアホなことを吹聴している。俳句総合雑誌やテレビで自己の愚かさをさらけ出しているようなものだが、当人はそのことに全く気づいていないのだから、おめでたいものだ。また、そうした寝言・タワゴトがまかり通る俳句界の状況は、とりもなおさず堕落・退廃を物語っている。
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 門弟の句に添削する、手を入れることは主宰の専売特許のごとく看做され、当然のごとく受けとめられているが、今日の結社の主宰で他人の俳句に手を入れることができるだけの見識を有している人物はいるのか。見識のある人物は、他人の作品に手をいれることを務めて躊躇するものだ。それが文学者の「良心」というものだ。
 門弟の句に手を入れる主宰たちの行為は、猿の世界で行われる「マウンティング」のようなものではないか。主宰としての優位性を示す儀式といっていい。自己の感覚・感性の色に染めるとともに、師弟関係の立場をわきまえさせる営みでもある。職人の世界は、その親方の技が社会の誰の目にも明瞭で、技の成果が評価となってすぐに仕事量にハネ返ってくる。親方に叱られながら世間に通用する親方の技を習得するものであり、客観的に技の習得程度が計れる。
 しかし、俳句は、主宰の感覚・感性に負うところが大であり、主宰の結社運営の才覚や都合により、宝石の原石の輝きを放ちながらも石ころのごとく扱われる俳人も少なくはないであろう。結社誌を見れば、主宰や選句者の限界がだいたい見当がつく。主宰はおうおうにして結社運営への寄付など経済的な貢献度に重きを置き、幹部俳人は人間的なかかわりに軸足を置いているのが一般的だ。本当の意味で批判する存在がいないのだから、好き勝手放題の選句だ。ただ、人間としての「良心」しか、その歯止めがないという状況のもとでは、人間の悪しき面が出る。それが人間のサガというものだ。俳句総合誌をひもといて、その「良心」に出合えることはほとんどない。ほとんどが「師系図」や付き合いを考慮した「社交的言辞」に終始している。ぬるま湯もいいとこだ。そんな閉塞的な世界にあっては、退化し腐敗するのは道理というものだ。腐った水に草花は期待できない。
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 ことさら芭蕉芭蕉というのは気がひけるが、俳人の多くは芭蕉の片言隻語を神託のごとく受けとめているので、門弟の千那に詫びた芭蕉の書簡から、当時の師弟関係の一断面に触れていただきたい。私は、芭蕉も一俳人とみている。それ以上でも以下の存在でもない。芭蕉が門弟に宛てた書簡には、お金の融通を依頼するものが少なくない。兄の半左衛門一家への仕送り等に心を砕いていた様子がうかがわれるが。
 芭蕉が千那に詫びたのは、お金のことではない。近江蕉門の最古参、尚白が板行を予定していた「忘梅」への千那の序文を、芭蕉が手直しをしたが、そのことに千那は気分を害し、その手直しを問い質す書簡を芭蕉に出したのだろう。元禄四年九月二十八日付の書簡。
 「尚白集御序文下書先日被遣候を考候處、集之序に難仕候故、下書なる程あら方したゝめ候。尚白へ御相談被成、前後此格御用、御つくろひ可被成候。貴面御相談と存候へ共、御隙無之候故、残念に存候。芭蕉門に入りと云處、尚白心入も候はゞ御除可被成候。於拙者はかほど如在に致候而、一応無断内、和歌三神、別意かまへず候。     はせを
 千那様                       」
 と芭蕉は、悪意で手直しをしたのではないと、和歌三神に誓って釈明している。千那は後に堅田本福寺十一世の住職となったが、当時は部屋住みの身。芭蕉は「貴面御相談と存候へ共、御隙無之候故」と会って釈明しようとしたが、千那はヒマが無いと断った事情が述べられている。芭蕉の手直しに、千那はよほど腹が立ったのだろう。
 言葉に心をそそげば、意に反する手直し・改作には当然、問い質すことになる。言葉を直されることは、その人間の感性や人格の否定につながるからである。自己存在の意識基盤が揺らぎかねない。千那の行為は人間として極めて自然で、あたりまえのことだ。
 今日の俳人で、主宰や幹部俳人から句の納得のゆかない手直しを受け、千那のように厳しく問い質す人物がいるであろうか。
 自分の俳句に自信とプライドを持つことから、文学としての俳句は始まる。芭蕉は、千那の問いに、悪意のないことだと和歌三神に誓ってと
釈明するだけで、手直しの正当性を何ら述べていない。どのように芭蕉が手を入れたのか、資料がないので何とも言えないが、少なくとも千那の問いに芭蕉は誠意をもって答えるべきだ。悪意がないというだけでは、他人の文章に手を入れた説明にはならない。

 
 写生の「真」について
     (3月21日記)

 子規が提唱した「写生」について考えたい。
 子規が言う写生は単なるデッサンではない。今日の俳人は歴史的な仮名遣いや旧字体にこだわるが、どうしてなのかよくカタカナ表現を用いる。「デッサン」とあえてカタカナ語を用いたのは、俳人の使用言語に習っただけのことだ。
 子規は「俳諧大要」で記す。「面白く感ぜざる山川草木を材料に幾千俳句をものにしたりとて俳句になり得べくもあらず。山川草木の美を感じてしかして後始めて山川草木を詠ずべし。美を感ずること深ければ句もまた随って美なるべし。山川草木知ること深ければ時間における山川草木の変化、即ち四時の感を起こすこと深かなるべし」と。
 芭蕉の「松の事は松に習へ、竹の事は竹に習へ」という有名な言葉がある。「第二芸術論」で虚子らの俳句を完膚なきまでに叩きのめした桑原武夫ら批評家・評論家に向けて、俳人が「負け犬の遠吠え」のように用いると何とも嫌味な浅ましい言葉になるが、芭蕉はもとよりそんな含意はない。物事の本質を掬いあげる営みについて諭しているのだ。三卅子には「習へといふは、物に入りて、その微の顕れて情感ずるや、句の成る所なり。たとへ、物あらはにいひ出でても、その物より自然に出づる情にあらざれば、物と我二つになりて、その情誠に至らず。私意のなす作意なり」と土芳が師(芭蕉)の言葉として書き記している。
 草花や水たまり、水田や水車、畦道、水路の水の流れ、藻の花の揺らめき、さらには雲の流れ、山のたたずまい、木漏れ日のうつろい、なんでも全て、心にふれたものと向き合っていると、ふと言葉が出てくることがある。そのものの本質を捉えた言葉が浮かび出てくるとは限らないが、本質に迫れるような言葉が出てくる
  水のぼり水によれゆく鮎のゐて    広
 この句は、当初、「水のぼり水にもつれる鮎のゐて」と詠んだが、熊野の渡良瀬川で見た鮎の姿は、自ら水の流れに身を任せているようなところがあった。「もつれ」だと、意に反して水の流れに巻き込まれているような景色の傾きがある。見た景色との「落差」埋める言葉を、自身に問うた。渡良瀬川の鮎の情景を思い出し思い出し、しているうちにふと、「水によれゆく」という言葉を得た。蚕が繭玉を紡ぐように、言葉が現れた。諦めないで、情景と向き合っていると、ぴったりと収まる言葉で出てくるような気がする。
 言葉を得るということは、単に表現力の問題ではないかと言われるかも知れない。表現力といってしまえば、わずか十七文字の俳句は表現力が生命なのだ。それ以外のなにものでもない。実景実感を十七文字の言葉で表現する。俳句はただそれだけの営みだ。しかし、物事の本質を掬いあげる言葉を得れば、感動の共有という喜びがある。
 感動を共有しようとすれば、技巧では限界がある。技が見えれば、興醒めるだけだ。それなら、はじめから「水によれゆく」という言葉を知っていれば、脳みそを絞らなくても立ち所に出たはずだ、その程度のことなら想像でも詠めるはずだという、反論もあろう。確かにそうだ。国語辞典の掲載語数の違いと同じで、言葉の蓄えがあれば七転八倒しなくても詠めたであろう。しかし、想像で詠むのは困難ではないか。「水によれゆく」という景色と出合わないで、その実景実感を詠むのは至難のことだと思う。自然との出合いによって言葉を得る。あるいは人との交わりによって句が水泡のように浮かぶ。人間として生きている証のようなものだ。
 子規が唱えた「写生」は、まさに自然、人との出合いによる魂の触れ合いのなかから、実景実感の句が生まれるという真実を捉えた言葉である。
 
 
 

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