私の俳句観について

俳句は清明な心を持たなければならない 。

俳句は対象の本質を掬いあげなければならない。

俳句を「お俳句」の芸事に堕して はならない。


 俳句の隆盛は目を見張るものがあります。
 五七五のわずか十七文字に季語を入れて詠むものですから、誰でもが容易に作句でき、またそれで作られた句の「善し悪し」の判定が難しく、結社であれば結社の主宰の恣意的な判断にゆだねられることが少なくなく、いきおい主宰の見識に左右されることになる。主宰が見当違いの俳句指導を行えば、その結社に所属している俳人は俳句の本質に触れることなく、「俳句の森」にさまようことになる。
 俳句の森にさまようというより、肝腎の結社の主宰自身が訳の分からない「迷路」に踏み迷っているケースが少なくない。
 <それならば、俳句とは何か>
 <俳句の善し悪しは何によって判断するのか>
 <俳句の本質とは何か>
 こうした問いに、順次、私なりに応えていきたい。 
 私の基本姿勢は、俳句界の権威や功績、社会的評価を認めないというものであり、俳句が正岡子規が求めた文学ならば批判にさらされなければならない考えています。
 「師系図」という師匠筋の系図を水戸黄門の印篭のごとく掲げて何ら恥じるところない今日の俳句界は、子規が「宗匠」「月並俳句」と手厳しく批判した当時より、たるみ、堕落しているといっても言い過ぎには当たらないでしょう。
 ことに俳句界の「師匠ぼめ」「身内ぼめ」「仲間ぼめ」はまさに目に余るものがあります。なかには、作者の「格」によって作品が評価されて当たり前だという風潮は、堕落するところまで堕落した観さえあります。私は、子規の著作等から子規の俳句に寄せる思いに心を傾け、今日の俳句界の問題点を指摘し、子規のめざした俳句を追究したい。このホームページを、その表現の場としたものです。
 私への反論、批判何でも結構です、皆さんの率直な「声」を寄せていただければ幸いです。

  師系図は文学に非ず

 俳句総合誌をひもとけば、さまざまな結社(俳句同好のグループ)の広告が載っている。角川書店発行の月刊誌「俳句」、富士見書房の「俳句研究」など、まさに結社広告のオンパード。師系・山口誓子、師系・大野林火、師系・石田波郷、師系・秋元不死男・上田五千石、師系・前田普羅と数え上げればキリがない。なかには「題字 上田五千石」と臆面もなくうたってある広告もあり、ひどいのは「ホトトギスの直系誌として虚子の花鳥諷詠の伝統を守る」と胸を張っている広告もあり、それを見ただけで今日の俳句界の「実情」が一目瞭然。その師系図を掲げる「宗匠俳句」の権威によりかかった閉塞状況は、子規の精神のかけらもない。

    
 芸事に堕落した「お俳句」
 師系図を売り物にする俳句は、もはや子規が提唱した「俳句」ではなく、お茶やお花と同様の「お俳句」に過ぎない。芸事に堕した俳句である。
 子規が提唱した俳句は、師系図をよすがとする結社や俳人の生き方とは相容れない。対極に位置する。師を乗り越えてこそ存在するのが文学としての営みである。 師系図を掲げ、師恩を売り物にする結社の隆盛は、「俳句」の堕落以外のなにものでもなく、すでに俳句を棄てて、俳句まがい「言葉遊び」を商う集団に他ならない。
 学校で習う文学や文学論はさておき、一般社会における文学とは教えられるものではなく、それぞれが自己の感性で捉え、表現するものである。しかし、今日の俳句の世界においては、結社の主宰が指導者然と構えていて、メンバーの句(作品)に躊躇なく手を入れる。
 作者に一言の断わりもなく手を入れて平然としている。むしろ「添削してやった。どうだ」と言わんばかりにふんぞり返っている。手を入れていただいたメンバーは、例えその添削が意に沿わずとも「ありがとうございました」とお礼を言うことが習いとなっている

   
 主宰の言動は「現代の奇観」
 たいていの結社の主宰は、「お俳句」と揶揄されるような芸事ではないと口をとがらせるが、実体は「お俳句」そのものである。むしろ、お茶やお花 より閉鎖的ではないか。主宰の評価、言辞が絶対的であり、たとえ作品(句)の改悪や、明らかに意に反する改作であっても、うやうやしく「ありがとうございます」と礼を言わなければならない世界は、まぎれもなく「虚飾の世界」そのものであり、人格の否定のうえに成り立つ「現代の奇観」ですらある。
 なぜ、そのような歪んだ俳句界になったのか。
 今日の結社の存在がその事実を巧まず炙り出している。
 有力な結社の主宰はたいてい世襲によって継承されている。主宰の夫亡きあと妻が継ぐ、あるいは息子が継ぐ、息子でなければ娘が継ぐ。息子、娘でなければ甥姪といった血族が継ぐ。地方の結社でも同様の例が少なくない。「家業」として運営している観がある。
 妻であれ、息子・娘であれ、真に主宰にふさわしい才能、力量の持ち主もいて、世襲だからと一概には否定はできないが、しかし、俳句界の実体は、そうした才能や力量とほとんど無関係に結社運営を「家業」として取り仕切っているところに、「現代の奇観」が露呈している。「俳句における文学とは何か」と自らに厳しく問いかけることもなく、ただ主宰の座に胡座し、メンバーの作品に手を入れる。作品のもつ味わいや深さに心をそそがず、自分好みの言葉に無神経にどんどん置き換えてゆく。
 子規は、明治28年に発表した「俳諧大要」で、宗匠また此方より導く故に「終に小細工に落ちて活眼を開く時なし。初心の句は独活の大木の如きを尊ぶ。独活は庭木にもならずとて宗匠たちは無理にひねくりたる松などを好むめり。しかり、宗匠の俳句は箱庭的なり。しかし俳句界はかかる窮屈なるものに非ず」と断定。
 宗匠俳句の弊を、子規は鋭く看破している。他人の作品を盆栽のごとくひねくり回し、いたずらにちまちました箱庭俳句に貶めている状況に、子規は我慢ならなかったのだろう。今日の主宰で、子規のこの言葉が耳に痛くない人物がいったい、何人いるであろうか。
 
   
  俳句界の歪んだ慣習
 私は、1999年夏から半年間、試みに全国的な支部組織を有する結社と地方組織の結社、世襲している結社など4箇所の俳句結社に入って、実際に句会に出席し、主宰や支部長の句会での運営、添削手導に接し、また、ある俳句大会にも参加し、著名な俳人の選句・発言を身近に体験した。そうした経験に基づいて、私なりに形成した俳句観を、率直に展開してゆきたい。繰り返しになるが、もとより批判は覚悟のうえであり、いや、むしろ批判を歓迎したい。批判があるということは、なによりも俳句への思いの表現であり、俳句界の健全化への一歩となるからである。

     
<4箇所の俳句結社に所属して>
 まず、私が不思議に思ったのは、私が属したすべての結社の主宰がメンバーを「弟子」して扱い、メンバーの句に当たりまえのように添削をしてゆくことであった。メンバーの作品に手を入れる事によって師弟関係を思い知らせている節があった。年長の人々の作品にも何の躊躇いもなくどしどし手を入れてゆく。それは、まるで植木職人が植木を剪定しているような「作業」であり、居並ぶ「弟子」たちはその行為を当然のように受け入れ、手が入るたび「ありがとうございます。句が良くなりました」とお礼を言うのである。文学とはまさに対極にある習い事の世界そのもの。師匠と同じ動作を繰り返し、師匠に認めてもらうことで免許や名取りを得る習い事の世界と、いささかも違うところがない。その事実に、ともかくショックを受けた。
 子規が提唱した「俳句」がここまで貶められている事実に、ただただ言葉を失った。

     
 <弟子としての契約関係?>
 
結社に加入することは、主宰と弟子との「契約関係」を結ぶことだと理解するまでに時間はかからなかった。「主宰を尊敬し、いかなる添削行為をも受け入れる」といった契約関係。主宰は、結社誌に同人・会員の弟子が毎回出句する数句のなかから何句採るかを決め、そして優秀と判断する弟子の「序列」をつける。それが毎号のことであり、弟子は毎号、序列に一喜一憂する。私は駆け出しだから五句、あるいは七句出句して二三句採ってもらった程度だったが、ほとんどの弟子は「主宰先生」の気に入られ、序列が少しでも上がるよう、ひたすら主宰に迎合する。そして主宰を必ず「先生」と呼ぶ。先生は何かものを言う時には高みから見下ろすごとく言うのが常で、弟子は他愛無い話でもまことに有り難く拝聴する。
 主宰あるいは選句者は、句の出来不出来を理由に結社誌の弟子の序列を容赦なく毎号ころころ変える。また、会員から同人への昇格も主宰の腹ひとつで大抵決まる。主宰は自己の結社内における弟子の俳人としての生殺与奪の権を握っているのである。だから、弟子は、才能がなくただ作品をいじっているだけの主宰であっても羊のよう従う。
 結社内の人間関係、人のまじわりでそこそこの立場を得れば、主宰の選句、言動に多少問題があろうとも案外に居心地が良いらしく、主宰から何を言われても表面的にはしかつめらしく装い、その実、柳に風と聞き流している傾きがあった。
 弟子が主宰の選句評、あるいは言辞になにか異を唱えようものなら、古参の同人や同人会長が間髪入れず反駁する。押さえ付けるような口調で、この時とばかりに威圧的態度に出る。主宰の守護神として立ちはだかるのである。
 結社に入ることは、主宰の選句、評価がいかに理不尽なものであっても、それを受け入れ、主宰の「俳句感性」をひたすら模倣しますといった「師弟契約」と言っていい。主宰は、自己の結社に入った門弟の俳句は「煮て食おうが焼いて食おうが勝手」と言ったかごとき態度で、作句者の人格を平然と踏みにじる「改作」をやってのける。

   
<文学の片鱗すらない人格無視の改作>
 
門弟ゆえに問答無用とばかりに改作(ほとんどが言葉いじりのの改悪)し、一方的に結社誌に掲載して、それで何の心の痛みも覚えないばかりか、得意然としている主宰の行為は、文学的無知ゆえの営みに他ならないが、それにしても人間として、言語表現行為が有する思いの深さをどう捉えているのか。さむざむとした「景色」がひろがる。
 文学は、自己否定のうえに成立する表現の営みである。他人の文章の「てにをは」の助詞一つ直すにも、自分の感覚を疑い、ためらい逡巡し、間違いないと確信を得ても、それでも納得できず迷いに迷う。自分を疑い、自分を否定するところから生み出す「表現」が文学となる。
 昨日の自分を肯定し、その延長線上で表現活動を継続すればマンネリに陥る。昨日の自分を否定して今日の自分があり、今日の自分を否定しなければ文学者としての明日の自分はない。それが文学の本質ではないか。

    
<俳句界堕落の遠因・高浜虚子>
 一定の技術を習得した「職人」のごとく門弟の俳句を次から次へと改作してゆく主宰に
は、文学の片鱗すらない。そうした主宰のなかには自らの選句・改作行為を臆面もなく職人技と言い放ち、「職人技を体得いただきたい」と真顔で言う。もっとも、その主宰は、俳句は文学であると主張する私の著書や書面へのあてつけもあって、あえて句会の席上、声高に言っていた傾きがあったが、しかし、それは間違いなく本音でもあった。
 芭蕉が門弟に教えたように、技巧はいらない「三尺の童にさせよ」(三冊子)と言ってしまえば、門弟の作句を改作するによって辛うじて保たれている主宰と門弟との「関係」がおかしくなる。だから、職人技ということで「先生の技を盗め」と暗に師弟関係を押し付けているのであろう。
 一般的に「職人技」は、一定の技術の習得による専門技術として社会的に評価されているもので、私はそのことをなんら批判しているのではなく、文学という創造性の問われる営みの世界に、習得技術の繰り返しによる技術錬磨の「技」と、俳句を同列に扱う俳人の感覚、指導のあり方を問題にしているのである。
 親方から技術の継承を受ける「職人技」を引き合いに出して、師弟関係を理屈づけようとするさもしい俳人、主宰の感覚は、封建時代の遺物である「徒弟制度」によりかかっての結社運営に他ならない。
 明らかなのは、文学としての俳句を求めて止まなかつた子規の精神を踏みにじり、俳句を打算的に利用しているさもしい姿だけが浮き上がる。
 その俳句界の堕落の遠因は、他ならぬ子規の高弟・高浜虚子にあると、私は見ている。



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