駄句凡句の虚子500句

 虚子が「ホトトギス」500号記念の500にちなんで昭和12年5月に出した「500句」は、高浜年尾によると「ホトトギス500号に至るまでの代表句を500句集めたものであって、父の初期から爛熟期に至る間の作句のいわば珠玉の句の集成である」と虚子5句集のあとがきに記している。ならば、その珠玉の「500句」から、批評眼をもって見てゆこう。
 500句の中で桜(花)の季題がもっとも多く、ざっと見ただけで21句あった。
  山門も伽藍も花の雲の上
  帷子に花の乳房やお乳の人
  山寺の宝物見るや花の雨
  花衣脱ぎもかへずに芝居かな
  山人の垣根づたひや桜狩
  里内裏老木の花もほのめきて
  濡縁にいづくとも無き落花かな
  提灯に落花の風の見ゆるかな
  一片の落花見送る静かな
  行人の落花の風を顧し
  遅桜なほもたづねて奥の宮
  おもひ川渡れば又も花の雨
  漕ぎ乱す大堰の水や花見船
  土佐日記懐にあり散る桜
  花の雨降りこめられて謡かな
  結縁は疑もなき花盛り
  聾青畝ひとり離れて花下に笑む
  落花のむ鯉はしやれもの髭長し
  鬢に手を花に御詠歌あげて居り
  白雲のほとおこり消ゆ花の雨
  旅荷物しまひ終りて花にひま 
 

 この21句の俳句としての価値を具体的に見ていこう。まず、
  山門も伽藍も花の雲の上    虚子
  観音のいらかみやりつ花の雲  芭蕉
  花の雲鐘は上野か浅草歟    芭蕉
 
虚子の句は、芭蕉の「観音のいらかみやりつ花の雲」の影響を受けているが、芭蕉の句にはるかに及ばない。「山門も」「伽藍も」と「も」を二つつづけ、その上「花の雲の上」と景色を説明している。弛みに弛んだ句であり、俳句としての趣に欠ける。
  
帷子に花の乳房やお乳の人   虚子
  花ひとつ袂に御乳の手出しかな 立圃
 
立圃は貞徳門の重鎮であり、芭蕉の師、季吟と同時代の俳人。その立圃の句と虚子の句を見比べていただきたい。「花の乳房やお乳の人」と省略の利かない説明の句は、散文の一断面であり、俳句といえるものではない。
  
濡縁にいづくともなき落花かな 虚子
  濡縁や薺こぼるゝ土ながら   嵐雪(続猿蓑)
 
嵐雪の無駄のない引き締った句と比べると、虚子の「いづくともなき落花かな」と思わせぶりな嫌味な句作りが明らかになろう。
 虚子が詠み棄てた中から拾い出してきて批評しているのではない。虚子自らがホトトギス500号記念として多くの自句のなかから選句した「珠玉の句」(高浜年尾)として発表されているものだ。いずれも虚子が自身をもって選句した500句の中の作品である。
  
おもひ川渡れば又も花の雨   虚子
  宮の後川渡り見るさくら哉   李桃(曠野)
 
「おもひ川」という川があって、そこでの実景として虚子が詠んだものか、あるいは「おもひ川」は心象風景なのかどうか。いずれにしても「又も花の雨」と嫌味な詠み方をしている。李桃の句は上五で「宮の後」と行動を説明してるところが気になるが、それでも虚子のような嫌みや衒いがなく、虚子の「花の雨」より格段に優れている。
  
花の雨降りこめられて謡かな  虚子
  花の陰謡に似たる旅ねかな   芭蕉(曠野)
 
芭蕉の「花の陰」は「大和国平尾村にて」と前書がある。
 「花の雨」と言えばおのずと「降りこめられて」の意味も含む。「花の雨降りこめられて」といえば、何の事もない世間話の一断面に過ぎない。座五の「謡かな」は取って付けたようなちぐはぐな観があり、パッチワークとしての趣すらない。芭蕉の句と並べれば一目瞭然だ。
  
結縁は疑もなき花盛り     虚子
  うたがふな潮の花も浦の春   芭蕉(いつを昔)
 
花を季題に「疑う」という言葉を五七五の中に詠んでいても、一句の趣はまったく異なる。ともに花を比喩として用いているが、虚子の句は結縁が花盛りという報告に終わっているが、芭蕉の句には春の趣が出ている。この句は、芭蕉の句としてはあまり出来のいいものではないが、それでも虚子の句と比べると光彩を放つ。
         ※
  
山寺の宝物見るや花の雨
  花衣脱ぎもかへずに芝居かな
  山人の垣根づたひや桜狩
  里内裏老木の花もほのめきて
  提灯に落花の風の見ゆるかな
  一片の落花見送る静かな
  行人の落花の風を顧し
  遅桜なほもたづねて奥の宮
  漕ぎ乱す大堰の水や花見船
  土佐日記懐にあり散る桜
  聾青畝ひとり離れて花下に笑む
  落花のむ鯉はしやれもの髭長し
  鬢に手を花に御詠歌あげて居り
  白雲のほとおこり消ゆ花の雨
  旅荷物しまひ終りて花にひま 
 
珠玉の句が聞いて呆れる駄句凡句の羅列である。「山寺の」「花衣」の句は単なる説明に終始しており、「山人の」はなぜ山人が垣根づたいに桜狩するのか意味が分からない。「里内裏」は「花もほのめきて」がいい加減で、一句の趣をぶち壊している。
 「提灯に」は「落花の風の見ゆるかな」と幼稚な言い回しにとどまっていて、俳句を詠むという真摯な鼓動が聞こえてこない。「一片の落花見送る」で静けさが出ているのに、座五になぜ無駄な「静かな」と付けるのか。「遅桜」は遅桜と奥の院で「なほもたずねて」の含意があるのに、なぜに「なほもたずねて」と説明するのか。
 「漕ぎ乱す」は花見船だけが残るだけで、あとは余分な言葉だ。虚子は、動作や状況の説明が多く、単なる十七文字の「報告」に過ぎない。感動を詠んでいない。感動を詠んでいれば、こんないい加減な句は出てこないはずだ。門弟はすべて自分の句を有り難がるとの思い上がりによる傲岸な作句態度が、虚子の句には歴然と現れている。それでなければ、こんな箸にも棒にもかからぬ句を「500句」として選句するはずがない。俳句を軽んじ弄んでいるから、寝言タワゴトを羅列して事足れりとしたのであろう。文学的才能の乏しさゆえに、寝言タワゴトしか詠めなかったのかも知れないが。それにしても虚子の句はひどい。
 俳人や評論家はなぜ、虚子の寝言タワゴトを「名句・秀句」ともてはやすのか。真面目に俳句に取組む人々への背信ではないか。虚子の駄句凡句が名句秀句と見えるなら、目を洗って古句と向き合えばいい。虚子の実体が見えてくる。
 虚子の句の批評をつづけよう。「土佐日記」は「懐にあり散る桜」がなんのことはない説明に過ぎない。「聾青畝」は単なる報告の域を出ていない。「落花のむ」は「鯉はしやれもの髭長し」鯉の髭の長いのは自明のことではないか。それを洒落ものと見立てた虚子の目は、俳人の目ではなく、子供に面白可笑しく語り聞かせる紙芝居の「おじさん」の目ではないか。紙芝居のおじさんは、子供に夢や希望を与える立派な営みだが、ことさらに文学性を装おうことがない。語り口に誇張潤色があっても、子供達は話を盛り上げるためだと承知し、それを楽しんでいる。 だが、虚子の場合は文学を粧い、ホトトギスの主宰としての立場で句の評価をほしいままにした。それによって家元俳句が定着していったのである。駄句凡句であっても、批判されずぬくぬくと思い通りにやってゆければ、こんな楽な商売はない。だから、主宰の座を世襲させたのであろう。なんら文学的才能がなくとも、定石の決り文句を覚え適当にやっていれば、それで通用する世界に俳句は成り下がった。
 虚子の駄句凡句を許した代償はあまりに大きい。家元俳句「花盛り」の今日、文学としての俳句はどこに潜ってしまったのか。
 虚子の俳句を検証し、その俳人虚子の実体を明らかにすることが、文学としての俳句を志すものの「使命」ですらあると、私は思っている。
          ※
 「鬢に手を」「白雲の」「旅荷物」は批評にも値しない駄句凡句だ。
繰り返しになるが、私は、虚子の500句のなかから駄句凡句を選びだして言っているのではない。500句に収載してある桜(花)の句をほとんど全て拾い出して批評しているのである。虚子の句のなかで、批評に値する句があるのかどうか、疑問だが、子規をしのぐ俳句界の「巨人」となっている虚子俳句の実体を検証しないことには、俳句界の堕落退廃は防げないとの思いゆえに、芭蕉、蕪村、一茶らの古句と向き合い、虚子の句に眼をそそいでいる。
 私のこうした営みは所詮、蟷螂の斧かも知れないが、それでもいい。俳句界の堕落退廃に気づいていながら、黙々と俳句に埋没するということが出来ない。自己確認の思いを込めて、巨人・虚子と向き合っているのである。
  
 
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