女性蔑視の虚子の句

 文学と言うものは、不確かな存在である人間の生命の味わいを文字を通し描くものだ。俳句の文学性は、その人間の生命、自然の生命の味わいを十七文字で掬いあげるところにある。
   一家やに遊女もねたり萩と月     芭蕉
   雪舟に乗越の遊女の寒さうに     野徑
   虱とる乞食の妻や梅がもと      蕪村
   梅咲て帯買室の遊女かな       蕪村
   河内女の宿に居ぬ日やきじの声    蕪村

 5句目の蕪村の「河内女」は綿布を織る女のこと。河内平野は木綿の一大産地であった。芭蕉、野徑、蕪村は遊女や乞食の妻、機織り女と同じ目線で詠んでいる。虚子の場合はどうか。虚子が自選し、高浜年尾が「珠玉の句」と最大級の賛辞を送る「虚子500句」のなかに、
   酌婦来る灯取虫より汚きが      虚子
 
この句がある。昭和9年6月11日に詠んだものだが、芭蕉、蕪村らとの作句態度の違いに意をそそいでいただきたい。「灯取虫」は夏の季語で、夏の夜、灯下に寄りくる蛾のことである。
 酌婦とは今でいうクラブやキャバレーのホステスみたいなものだ。必ずしも好き好んで「酌婦」をしているのではないだろう。それぞれに酌婦をしなければならない事情を抱え、客に酒をつぐ。その酌婦の境遇や思いに心することなく、「灯取虫より汚きが」と唾を吐き棄てるように言い切っている。
 俳句は、短歌が詠まない「蚊」「蚤」「蝙蝠」「足袋」「心太」「河豚汁」「蒲団」「榾火」「虫干」「薮入」など庶民生活の喜怒哀楽を詠んだ。高く悟りて俗に帰るべきだと諭した芭蕉の「高悟帰俗」は、こうした背景のもとで出てきた作句の要諦だ。
 芭蕉、野徑、蕪村の句と比べて、虚子の句がいかに卑しいか。句の対象である「酌婦」に何らの哀感も愛情もない。ただ、なにかの腹いせのごとく「火取虫より汚きが」と吐き棄てるために一句成しただけのことである。普通の感覚ならば、自身の卑俗を恥じて消し去るべき駄句だが、虚子はよりによって500句に収載した。年尾はこの句を含めて「珠玉の句」と言っているのだ。
 酌婦も立派な職業である。しかし、虚子は差別感情あらわに「火取虫より汚きが」と、灯下に寄りくる「蛾」よりも汚いと詠む。文学の片鱗すらもない。こんな人物に俳句界が引きずり回され、今日なおその幻影はふらみ、虚子に師事していない俳人をして「虚子先生」と言わしめるほどの影響力がある。
 だから、私は、虚子の幻影から抜け出し、俳句を文学として立ち直らせるには虚子俳句の検証を通じての正当な評価以外には無いと信じている。俳人としての虚子の評価はいかがわしい。「
酌婦来る灯取虫より汚きが」この句を何の躊躇もなく自選500句に入れる感覚の持ち主だ。俳人としてはもとより、人間としての感性が疑われよう。
 虚子は庶民の哀感に疎く、女性を蔑視していた人間だという事実が、この酌婦の一句で浮き彫りになったのではないか。
 子規の口癖の言葉を借りて言えば、「虚子の句はほとんど全てが一文の値打ちもない」駄句凡句ばかり。それどころか精一杯生きている女性を「火取虫より汚きが」と差別感情あらわに唾棄する人物だという事だ。俳句に心を傾ける人間として許せないものがある。
     
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思わせぶり虚子俳句の本質

   去年今年貫く棒の如きもの      虚子
 
虚子のこの句を評価する人が多い。「痴呆的俳句」と虚子の本質を鋭く突いた山本健吉も、この句については「一見無造作な表現ながら、過ぎ行く月日を的確に掴んで、大胆にずばりと言って退けたところがよい」(句歌歳時記)と褒めている。昭和25年、虚子が78歳を迎えようとしてる年末の作だと言う。
 「貫く棒の如きもの」で過ぎ行く月日を的確に掴んでいるという、山本健吉の評価はどうか。有り体に言えば、当人しか分からない句作りではないか。去年今年を「貫く棒」とは一体何んなのか。山本健吉は月日という時間の連続性の比喩だと見ているのだろうが、果たしてそうか。大晦日から新年への移りゆく刻の流れのなかで、ぴんと背骨を張った思いで新年を迎えた。ただ、それだけのことを思わせぶりに詠んだだけではないのか。
 虚子の句には思わせぶりな主観的俳句が多い。そのすべてがすべて箸にも棒にもかからぬ駄句だ。この「
去年今年貫く棒の如きもの」は思わせぶりの典型である。まともな俳句が詠めないから、こうした中途半端な句で誤魔化すのではないか。結社内でしか通用しない言葉遣い、句作りによって仲間褒め、身内褒めが幅を利かせ、どうにもしようのない結社一人よがりの「家元俳句」へと堕ちていったのではないか。坂口安吾は「堕落論」の中で堕ちるとこまで堕ちれば立ち上がるだろうとの希望を底に、「堕ちよ堕ちよ」と言ったが、俳句界は安吾の希望が通用しないところのようだ。いくら堕ちても堕ちても目が覚めない。悲しいほどに安逸をむさぼり、虚子の駄句凡句を名句秀句と褒めそやす。そして、俳人は単なる世間話ていどの無意味な句を垂れながす。

   
去年今年貫く棒の如きもの      虚子
   年守や乾鮭の太刀鱈の棒       蕪村
 
蕪村の句と比べていただきたい。年守るというのは「除夜に眠らず正座して元旦を迎えること」であり、明らかにこの蕪村の句がひびいているのではないか。虚子の「貫く棒の如きもの」は、蕪村が詠んでいる「鱈の棒」、棒鱈のことだ。蕪村の句を下敷きに、虚子一流の思わせぶりな句に仕立てただけではないか。蕪村に寄り掛かりながら、虚子の「去年今年」は蕪村にはるかに及ばない。虚子の句にはなによりも思わせぶりの卑しさがある。文学性と対極にある句作りだ。

        ※
   
大いなるものが過ぎ行く野分かな    虚子
   ふるさとの月の港をよぎるのみ     虚子 
 
この2句は「珠玉の集成」という「500句」にある。曖昧で思わせぶりな句作りで、中身は何もない。一文の価値も句だ。
  
   
天の川のもとに天智天皇と虚子と    虚子
   此墓に系図はじまるや拝みけり     虚子
   春風や闘志いだきて丘に立つ      虚子
   佇めば落葉ささやく日向かな      虚子
   春潮といへば必ず門司を思ふ      虚子
   燕のゆるく飛び居る何の意ぞ      虚子
   神にませばまこと美はし那智の滝    虚子
   虹たちて雨逃げて行く広野かな     虚子
   一を知ってニを知らぬなり卒業す    虚子
   飛騨の生れ名はとうといふほととぎす  虚子
 
これらの句は、虚子が恥じて屑篭に棄てていたのを引っぱり出して並べているのではない。ホトトギスの500号記念に、虚子が自ら選び世に問うた「500句」に堂々と載っている作品だ。
 「天の川」の句は、天智天皇と自身を並べるほどに自己肥大した虚子のタワゴト。「此墓に」は宗匠や月並俳句、師系図といった類いを嫌った子規の思いを踏みにじるもので、単なる虚子の行動を説明しただけのもの。
 「春風や」はそこそこ世評を得ているものだが、春風駘蕩を解説しただけで、一句として何の味わいもない。もともと「春風」には胸ふくらむ希望の意味がある。
 「佇めば」落葉ささやくような甘ったるい句は、子供でも作らないだろう。
「春潮と」いへば必ず門司を思ふのは虚子の勝手だが、馬鹿馬鹿しくなる。
「燕の」句は、アホらしくて呆れてものが言えない。
 「神にませば」はまこと美はし那智の滝は常套句ではないか。手垢にまみれた言葉を置いただけのものだ。「虹たちて」は世評を得た「遠山に日の当りたる枯野かな」の二番煎じ。「雨逃げてゆく」とは陳腐もはなはだしい。
 「一を知って」は単なる井戸端会話の繰り言。「飛騨の生れ」は日記につけて置くべきもので、句として詠むものではない。
 これらの句はいずれも俳句ではない。子規が批判してやまなかった月並俳句よりも落ちる寝言タワゴトに過ぎない。虚子は、これらの句を臆面もなく選りすぐった「500句」として発表し、年尾は「珠玉の句」と賛辞を惜しまない。どうなっているのか。虚子の「500句」の中にまともな句はほんの一握りに過ぎない。大半は独りよがりの思わせぶりな句や理屈、説明、報告の弛みきったものだ。
          ※
 思うに、虚子の句には「隠れたメッセージ」があるのではないか。特定の対象者のみが分かるメッセージを句に託しているのではないか。それゆえに句そのものがイビツになっている。隠喩というのではなく、なにか思いを伝える暗号のようなものがあるようだ。それでなければ、こんなアホな句を自選の句集に並べるはずがない。虚子の駄句凡句は「500句」の中にまだまだある。分類整理しながら順次、検証していきたい。
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虚子批判に反論を


 虚子俳句と向き合っていると、なんとも心が寂しくなる。やるせなくなる。虚子俳句をいちいち吟味し、批評するのは骨が折れるというより、駄句凡句と付き合うアホらしさが頭をもたげる。自ら好き好んでやっていることだが、精神的に疲労感が溜まる。見るに耐えない下手な芝居を見つづけなければならない辛さに似ている。
 水増し評価、過大評価されている虚子俳句の正当な見直しがなくては、俳句界は「家元俳句」の隘路から抜け出せないだろう。放っておけばますます隘路の闇に浸かり、子規俳句から遠ざかっていく。文学を目指した子規の思いから懸け離れたところで、「俳句ごっこ」が大手を振って闊歩したところで、私自身は何ら痛痒を感じない立場にいるが、俳句を売りものにしながら、「俳句ごっこ」でお茶を濁す羊頭狗肉のあり方に、性格的に黙っていられないのだ。損な性分なのは承知しているが、それが自分自身なのだから仕方がない。
 虚子の子孫が俳句界の主要な立場にいて、また、俳句界に居る居ないにかかわらず、親兄弟、先祖の批判はあまり気持ちのいいものでないのは分かっている。反論が出来ない故人の批判は一方的になり、慎むのが美俗というものだろうが、しかし、虚子は通常の「過去の人」ではない。死してなお俳句界の巨峰として聳えている。子孫は我が国を代表する俳句結社の主宰にあり、また門弟に多くの論客を擁している。いくらでも、私の主張に反論できる立場にある。
今なお、虚子の声価を守ろうとしている勢力は、むしろ大きな権威を持している。徒手空拳の私とは大違いだ。だから、私は安心して虚子批判ができる。虚子を信奉されている方々、あるいは私の主張・見解がおかしいと思われる方はどうか、遠慮なく反論、反駁、批判をしていただきたい。批判のないところに進歩も発展もない。溜り水が腐るように、腐臭をただよわせるだけだ。

           ※
    亀鳴くや皆愚なる村のもの      虚子
    耳とほき浮世の事や冬籠       虚子
    鶯や文字も知らずに歌心       虚子
    蓑虫の父よと鳴きて母もなし     虚子
    秋風や眼中のもの皆俳句       虚子
 
虚子「500句」の中の作品である。ことさらに駄句を集めたのではない。目を皿にして見るほどのこともなく、ざっと無造作に拾いだしただけだ。子規が批判して已まなかった月並俳句以下の駄句ではないか。これは、俳句ではない。単なる戯言・タワゴトだ。こんなどうしようもない戯言・タワゴトを、選りすぐった500句として発表して恥じない虚子の俳人としての精神風土をなぜ、批判しないのか。
 虚子のこれらの句が俳句なら、職場や家庭の愚痴、世間話はすべて俳句となる。そんな馬鹿げたことはない。時として、口をついて出た言葉が一句の味わいを成すことはある。しかし、そんなことは滅多にない。
    
毎年よ彼岸の入に寒いのは      子規
 
母親が何気なく言ったことばを、子規はそのまま俳句とした。また、芭蕉は門弟の言葉をそのまま句になるとして猿蓑に採っている。
    
じだらくにねれば涼しき夕べかな   宗穴(猿蓑)
 こうした句は、作為を離れた「なにごころ無き」状態で出てきた言葉である。巧者に病いありとして「俳諧は三尺の童にさせよ」と芭蕉が門弟を諭したのは、作為の嫌らしさに気づいていたからだ。
 虚子の句を見ていただきたい。他人を見下すような作為がべったり貼付いている。これらの句のどこがどのように悪いのか、考えていただきたい。虚子のこれらの戯言・タワゴトが俳句だと思う方は、俳句をやめたほうがいい。ガラス玉を真珠と言い張るに等しいからだ。
 私の主張、虚子批判に異論のある方は、遠慮なく意見や反論を寄せていただきたい。互いの論戦、見解、意見を堂々とホームページにあげて、世人の判断を得たい。虚子の句集には、まだまだ問題句がヤマとある。


     
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