正岡子規の俳句論

  「俳諧大要」の精神


     

 近代俳句の創始者 正岡子規の俳句論

 明治28年に子規が新聞「日本」に発表した「俳諧大要」に、彼の俳句観が如実に表れている。
 子規は、俳諧大要で次のように述べている。
 「俳句は文学の一部なり。文学は美術のいちぶなり。故に美の標準は文学の標準なり。文学の標準は俳句の標準なり。則ち絵画も彫刻も音楽も演劇も詩歌小説も皆同一の標準を以て論評し得べし」
 「俳句と他の文学との音調を比較して優劣あるなし。ただ諷詠する事物に因りて音調の適否あるのみ。例へば複雑せる事物は小説または長篇の韻文に適し、単純なる俳句和歌または短編の韻文に適す」
 「一般に俳句と他の文学とを比して優劣あるなし。漢詩を作る者は漢詩を以て最上の文学と為し、和歌を作るものは和歌を以て最上の文学と為し、戯曲小説を好む者は戯曲小説を以て最上の文学と為す。しかれどもこれ一家言のみ。俳句を以て最上の文学と為す者は同じく一家言なりといへども、俳句もまた文学の一部を占めて敢て他の文学に劣るなし。これは概括的標準に照らして自ずから然るを覚ゆ」

    
「芸」や「技巧」は俳句の邪道
 子規は、さらに「俳句の種類は文学の種類とほぼ相同じ」と断定している。近年、結社の主宰をはじめとする俳人が好んで口にする言葉として、「俳句は文芸」と言い、しかも都合よく文芸の「芸」を強調して、だから「技(わざ)、技巧が要る、と。
 その「技巧を学ぶ場が結社だ」と。俳句に技巧を持ち込めば、子規がもっとも嫌った「月並俳句」となる。宗匠が盆栽の枝をいじるように門弟の句をいじり、ひねって児戯に等しい言葉をつらねる。それを否定した子規によって「俳句」がもたらされた。その子規の愛弟子、高浜虚子、河東碧梧桐は子規の死後、子規の志しと異なる道に踏み迷ったのではないか。ことに、俳句界に子規をしのぐ存在として今日なお畏怖されている虚子の言動は、今日の俳句界の堕落荒廃の「遠因」を成していると言ってもいい。
 俳人の大集団を率いる「ホトトギス」は、虚子の子、孫と主宰が引き継がれ、文字どおり世襲している。また、ホトトギス系の俳人がつぎつぎに独立して結社を興しても、師弟関係は相当程度存続しており、一大勢力を成している。
 その事実が、虚子あって子規無きがごとき状況を作り出している。言葉を替えて言えば、「其角あって芭蕉無きがごとき」不思議な状態にあるが、今日の多くの俳人はそのことを大して奇異に受け止めていないようだ。

    
俳句界の一大奇観「虚子の過大評価」
 
俳句について少し書物をひもとけば、近代俳句における子規の偉大さと、虚子の凡庸さが判然とするのに、俳句に関わる人々はなぜに、その事実に目をつむり、虚子を「虚子先生」と鬼籍に入っているにもかかわらず尊称を付すのか。虚子の評価を守ろうとするホトトギス系一大勢力へのオモネリにほかならない。
 虚子の評価に異を唱えれば、自分の師の評価にも影響が及びかねず、また、軽はずみに虚子を辛口評価すれば、どこから批判の矢が飛んでくるか分からない、といった懸念もあるのだろう。虚子の評価に触らず、ホトトギス一派を刺激しなければ、俳句界のぬるま湯にひたれる。
 その「ぬるま湯」の中で巧みに泳ぎ回れる人物が名を成す。文学的成果ではなく、言葉巧みに媚びへつらい、結社を拡張してゆく人間、あるいは甘口の評論活動で支持者を拡大する人間が、俳句界の重鎮となってゆく現実は、俳句界の末期的な状況を映し出している。
 俳句を文芸と言い放って、芸事・習い事に等しい「作法」を強要し、門弟から「先生」と呼ばせ、作者に何の断わりも無く一方的に改作し、それで何ら心の痛みを覚えない人間が、今日の平均的な「主宰」像ではないか。
 そうした感覚、人間性の人々によって運営されいる俳句界であってみれば、虚子の「過大評価」などは取るに足らぬことなのだろう。
 しかし、真面目に俳句をやっている人々にすれば、なんとも嘆かわしい事態だ。文学的素養のない言葉いりじだけの主宰であっても、その主宰の俳人としての資質、文学者としての資質を知らなければ、ただ唯々諾々と付いてゆくしかない。猫を虎だと思って畏怖しているようなのだ。その錯覚に気付いた時には、結社内でそこそこの位置を占めていて、ぬるま湯の句作りに安住するという図式ではないか。
 それに飽き足らない人々は結社を飛び出し、独りこつこつと俳句にひたるか、違う結社に移ることになる。主宰が変われば、結社の雰囲気は随分と異なる。しかし、俳句界の勢力に迎合し時流に乗ろうする主宰の「本質」には大差がないようだ。私が接した主宰の多くは、俳句総合誌の「俳句」「俳句研究」等の評価、批評に一喜一憂していた。

  
  主宰の感性写す俳句は「お俳句」
 子規の目指した俳句は、そんな低次元のものではないだろう。文学とは孤独なものだ。ただ、俳句は句会での思いの交錯によって自作の「波紋」が確認できる、句座の面白さはあるが、だからといって他人の批評、評価に左右される、惑わされるようでは文学としての俳句は得られない。
 文学者にはなによりも自己批評の能力がなければならない。
 主宰という他人の言辞に羊のように従う営みからは、文学は生まれない。主宰の感性を写すだけの句作は、文学や文芸でなく「芸事」そのものである。
 子規が「病牀六尺」からカリエスと結核にさいなまれ、呻きながら道を拓いた「俳句」を、こともあろうに愛弟子、高浜虚子が子規の功績を貶め、月並俳句以下の芸事「お俳句」に堕落させる遠因を為した。
 その虚子の虚名を守ろうとしてなのか、虚子につながる俳人が、愚にもつかぬ虚子の句を名句・秀句と俳句総合誌等に解説しているのを目にすると、なにか荒涼とした景色にたたずんでいるような思いになる。
 虚子を「過大評価」することで、虚子に連なる人々の結社運営の安定が得られるのだろうが、それによって俳句は「俳句」とまったく異なる「お俳句」に堕した。変身した。

     
 子規の「写生論」の本質
 虚子の過大評価によって、「俳句」は文学としての良心を失った。
 いまこそ、「写生」を唱え、知識や教養にもたれていた俳諧の愚劣さを一掃した子規の精神に立ち戻り、馬鹿馬鹿しい「お俳句」から「俳句」を救うべきではないか。
 私は、冷めた目で徹底して現実を見詰めつづけたリアリストの子規の「写生論」にこそ、俳句のすすむぺき道があると信じている。
 子規の「写生」を単なる「デッサン」に過ぎない、ただもの俳句と批判する俳人がいるが、それは無知ゆえの戯言である。
 写生の本質を分からない人間には、子規の写生論はまさに「猫に小判」の類いであろう。
 

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