師系図を嗤う
 (「雛鳥」4号掲載)

 「師は誰ですか」と、俳句の話をすると必ず聞かれる。俳句が文学ならば、師などはどうでもいいではないか。問われれば別に隠すこともないが、しかし、臆せず「○○です」という俳人は、どうも信用ならない。
 「師」の定義によるが、一般的には著作、著述等を通じて影響を受けた人物ではないか。芭蕉の著述や芭蕉七部集に導かれた者もいれば、蕪村や一茶の作品によって開眼した者もいよう。私は正岡子規の著作によって、俳句を知り、俳句に親しみを持った。文学の世界ではもっとも影響を受け、常に自己の基準の範として意識し、目標とする人物を「師」というのであれば、私は迷わず子規の名をあげよう。
 今日、俳句の世界で「師」というのは、相撲部屋の親方と弟子の関係に似ていて、親方の胸を借りて稽古を重ね、強くなっていく。親方は文字どおり弟子を育てる。時には竹刀を振い、身体の捌き方を教えてゆく。過酷なシゴキだが、その結果が土俵に出る。愛情のない単なる腹いせ同様の暴力ならば、弟子たちは去ってゆくであろうし、その部屋も寂れてゆく。
 客観的な勝負の世界は、指導力の有無がはっきりしている。しかし、俳句の世界はどうか。俳句の世界で「師」というのは結社(大抵は俳誌を発行している)に入って、そこの主宰に句の添削等を受け、門弟としての関係を有している、あるいは過去にそうした関係を有したものを指すようだ。
 そして、結社の主宰はほとんどが「師系○○」と掲げている。俳句総合誌の結社の広告を見れば、「師系」のオンパレードだ。ここでいう師系とは、○○流と、一種の流派みたいなものだ。茶道や生け花にいろんな流派があるように、句づくりの仕方が微妙に異なる。だから、ベテランになれば、句を見ただけで○○の師系を踏んでいると察しがつく。文学の俳句に「流派」とは、なんとも不思議なことだが、それが俳句界の現実だ。
 子規は、月並俳句を厳しく指弾し、「日本派」と巷間言われたが、子規の場合は明瞭な文学としての判断基準を掲げ、文学としての俳句を確立していった。今日の流派はどうか。確たる判断基準もなく、「なんとなく分かったような分からないような」というアホな批評に支えられている。寝言戯言の欠伸俳句であっても、褒め合う俳句互助会のような存在に「流派」は成り下がっている。
 子規が病牀六尺で確立した俳句イメージに凭りかかり、俳句を食いつぶしているヤカラの集団が今日の流派の実体ではないか。嘘だと思うなら、俳句総合誌を見ればいい。愚にもつかぬ欠伸十七文字の羅列だ。どこに俳句があるのか。スーパーマーケットでのおばちゃんの立ち話のほうがよほど俳句的だ。
 桑原武夫が第二芸術論で指弾した退廃的な俳句状況よりも、今日のほうがさらに堕落している。
        
 子規は、系統俳句を咎めている。「我れ其角派の系統を継げり、故に其角派の俳句をものせんと。此の如く系統より割り出したるは文学に非るなり」(俳諧大要)と。小説家が師系などと言っているであろうか。作品が全てであり、師があるとするならば、師をしのぐ作品を世に出してこそ恩返しとなる。文学や絵画の世界ではあまり師弟関係を言わない。才能を見い出したそのことに満足し、その後は対等な作家、画家として付き合ってゆくからであろう。永井荷風と谷崎潤一郎との付き合い方をみればいい。
 俳句の結社の主宰の座は、奇怪なことに世襲が多く、年少で俳歴の浅い子女が主宰を継ぐと、先輩俳人等の句に躊躇なく添削を施してゆく。まず、主宰の座にふさわしい文学的な感性があるかないかを問わず、血脈ゆえに主宰の座に座り、いっぱしの俳人顔をするなど、文学を愚弄するにもほどがある。
 もっとも、当人は俳句が文学などとは露ほども思っておらず、単なる「芸」の領域であり、流派の形が決まればよく、添削を通じてカリスマを備えることだと、タカをくくっているのではないか。
 繰り返し言うが、師系図ほど、子規が提唱した俳句を愚弄するものはない。師系図を破り棄て、俳句と向き合うことだ。芭蕉でも蕪村でも一茶でも子規でも良い。芭蕉の言葉を伝える去来抄・三卅子(岩波文庫)や、子規の「俳諧大要」(岩波文庫)を一読すればいい。俳句の本質が見えてくるはずだ。
 私が、中本郷顔主宰のもとで「雛鳥」にかかわっているのは、郷顔主宰の人柄と、仲間とのほのぼのとした交流にある。郷顔主宰は、自分の作品をも突き放して、「どうしてこんな句を詠んだのか」、あるいは選句にあっては「ああマズイ選句をした」と自己批判を欠かさない。俳人として自己を客観的に見詰める郷顔主宰には、子規の人間性に通じるところがある。私は、郷顔主宰のその人柄に魅力を感じている。
 文学の世界に師系図は百害あって一利無しだ。師系図は俳句を芸事に貶める。師系図を嗤らってやろう。精神の貧困の象徴だと。


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