チェーホフ三部作(3) 『恋について』

 

『恋について』

 田舎地主であるアリョーヒンの屋敷では、美人で気立てのよい小間使いのペラゲーヤが、化け物面で飲んだくれの料理番に恋をしている。人間の恋愛感情が一体何にもとづいて生じるのかということは永遠の謎に包まれており、こと恋愛に関しては個別の症例に一般論を当てはめることはできない。ペラゲーヤと料理番の不釣り合いな恋愛のエピソードは、アリョーヒンが言うように、個人には様々な嗜好があってそれを一般論で語り尽くすことはできないという個人の好みの問題として描かれている。アリョーヒンはペラゲーヤの話を持ち出しながら、同じように解きあかすことのできない神秘として、自分自身の恋愛体験を二人の客に話して聞かせる。

 しかしペラゲーヤの軽いエピソードと対比的に描かれるアリョーヒン自身の恋愛は、その情熱の始まりから別れにいたるまで、より一般性を含んだものとして描かれる。彼らの恋愛においては個人的な嗜好が社会的な背景の強制を受け、その情熱もその破綻も、彼ら自身の目には見えない流れによって運命づけられている。

 アリョーヒンは都会の大学で高等教育を受けたインテリである。彼は大学卒業後、莫大な負債を抱えた田舎の領地を相続した。アリョーヒンのこの経歴には、チェーホフがこれまで何度も取り上げてきた当時のロシア的矛盾が反映されている。都市が急速な発展を遂げ、その発展から取り残された田舎では時代遅れの地主的経営がほそぼそと生き残っていた。牧歌的なまどろみが破られ、都会と田舎の違いが強く意識され始めた時代であった。多くの若者が都会へ集まり、アリョーヒンもまた都会の生活に馴染んだ一人であったが、彼は「息子の教育費」のために父親が抱えた借金を、領地を売り払うことによってではなく自分の労働で返済するという困難な道を選んだ。傾きかけた領地の経営を昔ながらのやり方で立て直そうというこの選択は、払うべき犠牲だけが大きくその成果がほとんど見えないという点で、実際に困難な道であった。この決断が彼の一生を縛り、また後に描かれる恋愛の運命をも決定づけることになった。

 アリョーヒンが恋をしたのは、彼の領地にほど近い田舎町に住む裕福な人妻である。借金の返済のために朝から晩まで百姓と一緒になって働くアリョーヒンにとって、たまに訪れる町での生活は領地とは雲泥の差がある文化的な生活であった。アンナは美しく知的な女性で、40歳ほども年上の夫と結婚して間がなかった。一方アンナから見たアリョーヒンは、田舎町では珍しい都会的な教養を身につけた青年であった。その彼が毎日身を粉にして働き、借金に追い立てられ、不遇な境涯に苦しんでいた。このような背景のもとで二人は当然のごとく愛し合うようになった。

 彼らの恋の始まりは、ごく平凡で自然なものである。そしてお互いの気持ちを理解しながら愛情を口にすることなく、親しい友人として振る舞い続ける二人の葛藤もごくありふれた心理である。男の方では自分がこれほど歓迎されている彼女の一家の幸福を破壊するのは人間として許されない行為だと思う。もしそれだけの犠牲を払っても、自分の生活で彼女に何をしてやれるか、二人の愛情が冷めたときはどうするのかと考える。女の方でもまた家族のことを考え、自分の母親のことを考え、彼らに嘘をつくことはできないと思う。自分はすでに歳を取りすぎており、男を幸福にできないと考える。二人は愛情の発露をさまたげる障害をいくらでも考え出すことができるが、その障害を乗り越えるべき理由は二人の頭には思い浮かばない。何年もの間深い愛情を抱き続けながら決定的な一歩をふみだす決心が彼らにはつかず、それが何故なのか彼ら自身にも理由が分からない。

わたしは不幸でした。家にいても畑や納屋にいても、たえず彼女のことを考え、あの若い、美しい、聡明な女性がどうして老人とも言えそうな(夫は四十以上も年うえだったのです)、無味乾燥な男の妻になって彼の子供まで生んだのか、その秘密を理解しようとしました。

 アリョーヒンにとってこの愛情は、厳しい労働の毎日、都会の活気から離れ、好きな本を読むことも気の合う友と語り合うこともなくただ馬車馬のように働き続けるだけの無味乾燥な生活の中で、唯一の心のよりどころとして芽生えた愛情である。アリョーヒンが不幸であるのは、彼自身が考えるように満たされない愛情のためではない。この愛情が唯一の安らぎとならざるを得ないような、他にはどんな慰めも見出せないような、不毛で消耗的な生活のために彼は不幸である。一方アンナの方は、退屈な老人との結婚が特別不幸なこととも思われないような、愛情による結婚などはじめから望みもしないような狭い田舎町の生活の中で、たまたまアリョーヒンに出会い愛情を抱いた。

最後の数年間、アンナ・アレクセーエヴナは母親や妹をしげしげと訪ねるようになりました。何かと不機嫌な日が多く、一生を台なしにしてしまった不満の意識が頭をもたげて、そんな時には夫や子供に会いたくなかったのです。彼女は神経障害の治療を受けていました。

 アリョーヒンへの愛情はアンナの心に今まで感じなかったような生活への不満を生じさせたが、アンナもまた彼女自身が考えるように、アリョーヒンとの愛情が満たされなかったために人生を棒に振ったわけではなかった。彼らは二人とも似たりよったりの限定された境遇の中にあり、生活への不満や漠然とした不足感ゆえに愛情が生じ、そのような愛情だから切実であると同時に、愛情を成就しても彼らの不満の根本が解消されるわけではなかった。彼らを捉えている漠然とした不満や消耗感は、チェーホフが繰り返し描いているように、時代の発展から切り離され田舎に取り残された当時の多くの人々が感じていた苦しみである。この苦しみを愛情といった個人的なことで解決することはできない。しかし、他に新たな人生を切り開く可能性もない彼らにとって、この愛情はかけがえのない精神的な支えであるから、二人は実ることのない愛情をきっぱり諦めることもできなかった。このような境遇のために、二人は不幸であった。彼らが家族や世間の壁を乗り越えて愛情を貫いたとしても、二人ともが漠然と感じているように、彼らを苦しめている生活全体が変わるわけではなかった。

 彼らは愛情に突き進むこともできず、愛情を諦めることもできず、たえず焦燥感にかられながら、何年もの間親しい友人としての付き合いを続けた。彼らにとってかけがえのないこの関係が、彼ら自身の選択によってではなくアンナの夫の転勤という外的な事情によってあっけなく終わることもまた、彼らの恋愛の自然な流れである。

その車室のなかでふたりの目が合った時、とうとうふたりは自制心を忘れてしまった。わたしは彼女を抱きしめ、彼女はわたしの胸に顔をおしあてました。涙が眼からあふれ落ちました。涙にぬれた彼女の顔や肩や手を接吻しながら、−ああ、ふたりはどんなに不仕合わせだったでしょう!−わたしは彼女に恋を打ちあけました。そして焼けただれるような痛みを胸に覚えながら、わたしたちの恋を妨げていた一切の事柄がどんなに不必要な、取るに足らないことだったか、どんなに欺瞞的なことだったかを理解しました。・・・

 わたしは最後の接吻をし、手を握って別れました。−永遠の別離です。汽車はもう動いていました。

 アンナを見送りにきた汽車の中で、二人はようやくお互いの愛情を確認することができた。彼らが自分たちの感情に忠実になれたのは、別離を目前にして愛の告白がもはやどんな深刻な結果も生じさせないということが分かっていたからである。しかし二人の意識の中ではこの告白は遅すぎた告白として、なぜもっと早くに愛情を打ち明け愛情に忠実に生きられなかったのかという後悔として、一生涯心に残ることになった。彼らには自分たちの愛情を妨げていたもろもろの理由がとるに足らない下らないものだったと思える。実際これらの理由は表面的なささいな理由であり、その背後にあって彼らの愛情や感情を支配している大きな流れは彼らには見えなかった。こうしてアリョーヒンの心には、恋愛というものがいつまでも解けない神秘として刻み込まれた。

何しろ昔のことで、今ではもう、あの女のどこがそんなに素晴らしかったのか、どこがあんなにわたしの気に入ったのかはっきり思い出せないのです

 今では女のどこがそんなによかったかも思い出せないほどの昔の話が、深く忘れがたい思い出としてアリョーヒンの心に残っている。アリョーヒンはあいかわらず息をつくひまもなく、コマネズミのように朝から晩まで働いている。彼はすでに40歳を過ぎ、この生活にもすっかり慣れて若いころの苦しみもやわらいだ。今では自分の田舎屋敷をたまに訪れる客から目新しい話を聞いたり、自分の昔話を聞かせたりするのが彼の唯一の楽しみになっている。

 

おわりに

 箱にはいった男や夜中にすぐりを食べ続ける男の話とは違って、3話目に描かれる恋の話はほろりとさせられるような叙情的な物語である。箱にはいった男やすぐりを食べる男が自らの境遇に滑稽な自己満足を感じているのに対して、アリョーヒンやアンナはより誠実であり自らの境涯に苦しんでいるために、前作の2作品とはまったくトーンの異なった作品のように見える。はじめてこの3部作を読んだ時、あまりにも雰囲気の異なるバラバラな作品がなぜ3部作としてまとめられているのか不思議な感じがした。けれども何度か読み返すうちに、極端で滑稽な保守主義も、愚劣な自己満足も、深刻な苦しみもすべてが同じ背景のもとに描かれており、作品のトーンの違いは主人公の個性の違いであって、チェーホフの描き出そうとしているものは個々人の違いを飲み込んでゆくより一般的な大きな流れであると感じるようになった。

(1998/10/15 NIFTY SERVE 文学フォーラム 13番会議室 #3122 (一部修正))

 

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