左脇腹の化膿はいまだに完治してしない。まだ少しうみがたまっているようて、それをだすための処置が行われている。その処置とは傷口に小さなガーゼを押しこむものでこれが痛いのなんの。傷口が閉じてしまうとうみがまた拡大するのでガーゼでうみの出口を開けておけば心配はない。ただ、確実に回復しているのは自分でも感じている。
生き物にはすべて再生能力がそなわっていて体は必死に病気と闘っている。それに医療が加われば何倍も治療が可能になる。体が必死に頑張ろうとしていることはきちんと認識しておかなければならない。それを生かすも殺すも自分の気持ちが大切と思う。
見えないことこそ認識することでまた考え方も違ってくる。


人ごとの怖さ 2010/3/3(水) 午前 11:42

ハイチ大地震に続いてチリでも大地震が起きた。
地球の反対側で起こった大地震は日本でも波紋をよんでいる。特にチリでの大地震では大津波警報が発令されたにもかかわらず実際には1割程度しか避難しなかったそうだ。今回、気象庁では過大な発表とされていたけれど、もし本当に予想通りの大津波が来ていたら大変な事態になっていたかもしれない。自分は大丈夫と人ごとのように考える現実を思った。
よく人は「自分は大丈夫」と思いがちだけど、思いもよらない出来事に巻き込まれることもある。一度災難から逃れたとしても同じ気持ちを続けていたらいつしか必ず後悔すると思う。僕自身、難病という理不尽な病気になったので「自分は大丈夫」とは思えない。人ごとのように思いこむのが一番危険なのだと思う。


終わりのない孤独 2010/3/5(金) 午後 0:15

誰にでも自分の中に孤独感を持っている。
本当に自分のことを想ってくれる人がいることは救いにはなるが、それでも自分の心を満たすことはできない。自分の気持ちをすべてわかってもらえない心の穴は埋められず孤独な一面を感じる。ただ、それはどうにもならないことなので自分なりに解決していかなければならない。
僕自身も難病を抱える者として常に孤独と向き合い、どうにもならない苦しみを味わってきた。昨夜もこれから先の成り行きが不安になって眠れない。あの孤独感はとても嫌な感覚だった。その時はその時に考えればよいと割り切ってはいるけれど、孤独感はいつも付きまとっている。
自分はまだまだ未熟であり何かと気のきかない面は多い。
それをいつも自分に言い聞かせて自分を改めている。ただ、自分のいたらない面はなかなか自分ではわからない。相手の立場で考えてみても、やはり自分の尺度で考えてしまうので気がきかないことがある。人に気を遣ったり配慮をするのは生きていくためには欠かせない。いつも人のお世話になっている身として常に感謝の気持ちを持っていきたい。
ただ、自分を完璧にしていくことはできない。欠点や穴があるからこそ人間臭さがあるのだと思う。だからといって理想とする自分を目指そうとすることは続けていかなければならない。自分の未熟さを肝に命じていたいと思う。


おもてなし精神 2010/3/8(月) 午前 11:29

新政権の成長戦略では観光も挙げられている。
日本はまだ世界一治安は良いし「おもてなし」という言葉があるように、サービスも世界一の水準を持っていると思う。ただ、ヨーロッパのような知名度はないし、現在は円高によりあまり海外の観光客が集まらない。それでも中国からの観光客は増加傾向で明るい兆しも見えている。外貨を獲得して内需を拡大していく上で観光業は大きな可能性を秘めていると思う。
観光には地方活性化の狙いもあるようで、交通手段や言葉の壁などの問題点も浮き彫りになっている。そして、海外の観光客のお目当ては日本の文化に関心があるようで地域住民の協力も必要とのこと。日本でしか味わえない文化や「おもてなし」精神を売りにしていけば、観光分野は大きな景気回復が見込めるかもしれない。
左脇腹の化膿はほぼ完治したようだ。ただ、脇腹付近に空洞ができていてその出口をふさぐのはリスクがあるとのこと。したがってこめガーゼを詰め込む処置はもう少し続きそうだ。たぶんこの空洞は3年前に管を入れていたものがそのまま残っていたように思う。だとしたら3年前の後遺症がずっと尾を引いていたことになる。一度大病をすると厄介と思った
こうしたことは体ばかりでなく心にも同じことが言えるかもしれない。過去に大きな精神的な苦痛を受けたりするとトラウマになったりする。一度トラウマになってしまうとそれを克服するのはとても難しい。いかに大病やトラウマを作らないように予防することの大切さを思った。
こうして何かをテーマにして日記を書くことは頭の体操にもなる。
日頃からぼーと過ごしていると頭も劣化していくので、自分とは関係のないことでも考えて自分なりの意見を述べるようにしている。特に寝たきりで何もすることがないと、どんどん世の中から離れていく。誰からも自分を認めてもらえないような気がして生きている意味がなくなるのはさみしい。だからこそ自分の考えや意見を残している。
また、こうしていろんなことを考えることは自分をかえりみることもできる。僕に足りない面や反省しなければならない面も見えてきて教えられる。自分だけ見つめてもわからないことが、いろんなことを考えていくことでわかってくることもある。考えることや意見を持つことは頭の体操だけでなく自分をしっかり持たせてくれるように思う。
先日、佐渡のトキ保護センターで秋の放鳥に向けて、ゲージで訓練していたトキ11羽のうち9羽が死んでいたとのこと。原因はゲージの隙間からイタチ科のテンが侵入して襲われたと断定された。せっかく育てて放鳥しようと準備していただけに酷いことと思った。人の考えることだからいつしかこうした出来事が起こっていたと思う。予想が甘かった。
人はいろんな予測を立てて万全な対策と思いこむ。しかし、実際は様々な経験をとうして欠陥が見つかってくる。そのたびに自らの無力さを痛感して改良を重ねていくと思う。失敗から学ぶことの方が多い。今回のトキが襲われた原因や経路を徹底的に調査して同じことが起こらないようにと思う。


節目となる本 2010/3/14(日) 午後 0:09

今年の目標であり一つの節目となる本の出版が決まった。
ほとんどの工程が終わって達成感を思う。本を出版するという大きな目標を成し遂げたことはこれまで日記を書き続けてきた甲斐があった。まさか何気なく書いていた日記が本になるなんて思いもよらなかった。プライベート的なものでつたない面もあるが僕のことが良く表れていると思う。これも編集に協力してくれた8人の「ゆうの会」の皆様のおかげと感謝したい。
今回の本は第一集となる詩文集とは全く違って、ここ10年間の出来事や想いが書きつづられている。その日々のことを大切にしてきた証でもある。自分なりの考え方や言葉もちりばめられてもいる。難病で生まれてきた想いや困難を少しでも知ってもらえたらありがたい。


それぞれの思惑 2010/3/15(月) 午後 1:14

大西洋、地中海におけるクロマグロの輸出入禁止がワシントン会議で議論されている。世界的にクロマグロの消費率が増加しているために絶滅の危機にひんしていることから輸出入の規制をかけるらしい。特に日本はマグロの消費率が最も高いので大きな打撃を受けかねない。ワシントン条約では各国の3分の2の賛成があれば可決されるとのこと。各国の思惑もあるようだ。
現在、日本では1年分の在庫があるようで、もし可決されてもすぐに影響は受けないらしいが中長期的には値段の高騰は避けられない。それに日本は絶滅を防ぐために漁獲量を制限するなど努力も重ねてきただけに納得いかない側面もある。他国の乱獲がこのような事態を招いている。
僕は食べられた頃には一度もマグロは食べたことはない。それを思うとあの頃に食べておけばよかったなぁと思う。 
ほほ完治したと思った左脇腹の化膿はどうやらあやしい感じである。
また少しうみがたまっているようで、しばらく処置を続けなければならなくなった。どうやらよくなったり悪くなったりを繰り返すらしい。3年前にかなり悪くしただけに一筋縄にはいかないらしい。まあ、気長に考えてその時その時に身を任せていくしかないようだ。完治への出口は見えてこない。
人は苦しいことや辛いことから逃げ出したくなるもの。しかし、自分の体の病からはどうしても逃げられない。だからこそ病気と向き合って前向きにならなければと思う。逃げられないことにいつまでもめそめそしていられない。ただ、そう思えるようになるまでの気持ちの強さを養わなければならないと思う。辛い中でも一筋の光明を見つけ出していかなければならない。
人は物事や人間関係において少しでも嫌なことがあると、どんどん嫌になっていくこともある。そうなってしまうと何でもないことまでもが気になってしまう。そうして自分をおさえられなくなっていく。人は心の中に信じるものがないと円満に生きていくことができないのかもしれない。
僕自身も難病と付き合っていくことに嫌気がさすことはたびたびある。しかし、そんな時は立ち止まって良いことをいろいろ考えてみる。まだ車いすに乗れるじぁないか、母や支えてくれる人もいるではないか、と思いなおして少しでも難病の嫌気をやわらげている。そして、いつしか良いことがあると信じている。そうでも思わなければ頑張ってはいけない。嫌になる前に自らの気持ちを変えてみることで打開されることもあるかもしれない。


水面下の攻防と課題 2010/3/20(土) 午後 0:08

先日、話題にしたクロマグロの国際取引禁止の提案は反対多数で否決されることがほぼ決まった。予想外の大差で否決されたのは驚いた。その背景にはこの提案が可決されるとフカヒレなどの他の食用物にも及ぶとして発展途上国の反対票が大きかったらしい。それぞれ利権や思惑は違っても食文化への認識は共通していたように思う。
ただ、こうして議題にあがったことは共生共存する視点からも責任の重さを知ることになった。おいしいマグロが食べられる事にもっと感謝しなければと思った。食べられるというのは何かの犠牲のもとに成り立っている。マグロに限らず重要な資源の管理の大切さを問題視されたような気がする。そうした資源管理の在り方も問われたと思う。
今回のワシントン国際会議ではリビア代表が主導権をとっていたのが印象的だった。水面下で日本が働き掛けていたようだけど、一番の当事国である日本が初めに発言しなかったのは不思議に思えた。元来、強く物申すことのできない国民性を垣間見たように思う。
昨日は地下鉄サリン事件から15年目を迎えた。あの頃、在宅で幸せに暮らしていた僕にとっては信じられない出来事だった。それからオウム真理教の仕業が明らかになってこんな凶悪な人達もいることを知った。平和な日本のイメージが崩された事件と思う。当時、エリートとされていた人達が宗教を通じて心の弱さにつけ込んで洗脳されていく怖さを思った。そして、この事件により被害にあわれた方達や遺族の心身の傷は一生癒されない。
人は思わぬ環境や出会いによって凶悪な道にも進みかねない。だからこそきちんとした姿勢や考えを持たなければと思う。良いことと悪いことの分別を判断していけるようにしたい。やはり自分に「こう生きていきたい」などの志や信念は必要と思う。何の信念もないと中途半端になる。僕自身も難病と付き合って頑張っていくという信念を貫いてきている。
幼少より難病を患っていた僕にとってオシャレには縁がなかった。
中学の頃は好きな子がいたので髪型には気をつかったけれど、その他には全くオシャレには無頓着だった。中学の頃に肺炎をこじらせて入院してから急激に体力が低下して学生服さえも体の動きがつらくなった。それからはとにかく見た目よりも機動性を重視した服を着るようにした。まあ、難病でやせ細っていた僕にとってオシャレをする必要はなかったのかもしれない
しかし、オシャレに対して憧れをもったこともあった。まず初対面となると外見はその人の人柄をイメージされる。自然体で清潔感があった方が好印象を与える。男性ならスーツにネクタイというのが定番だろう。僕は一度も着たことがなかったのは残念と思う。たた、オシャレに関してほとんどお金を使わなくて良かった利点もある。


価値ある別れ 2010/3/24(水) 午前 11:17

3月も下旬となり卒業シーズン。また転勤などもあって別れの期間でもある。別れはさみしいけれど、別れをとうして人は少しずつ成長していくような気がする。 さみしさや苦しみか多ければ多いほど困難を乗り切る力が養われると思う。自分をリセットして新たな道に進んでいくためにも別れは必要なのだろう。そして、新たな出会いが待っている。
僕自身も多くの別れを経験してきた。難病でお世話になった分だけさみしさはひとしおだった。それだけ感謝の気持ちも強かった。どんな出来事もより深く思えることが心の中に残っていく。出会いは自分の人生を大きく左右されて別れはいつしか訪れる。 
2010年平成22年度の予算か成立した。過去最大の国債発行額となり未来への借金が増え続けている。鳩山政権の目玉政策である子ども手当も6月から支給されるなどあらゆる政策においてバラマキ予算と批判は大きい。将来像がはっきり見えてこない一時的な予算編成ばかりで、あまり景気回復の道は見えてこない。どんどんと国債が増え続けて将来は大増税が予想されるので閉塞感が否めない。参院選の為の予算のように思う。
それでも徹底的に無駄を洗い出す事業仕分けの第2弾が行われる。かなり無駄な事業が存在して官僚の天下り先になっているので、これをスリム化することで2年後くらいには財源が浮かんでくるかもしれない。前回の反省をいかしていけば期待を持てそうだ。失望ばかりの鳩山政権だけれど、少しは期待を持って見ていようと思う。
自分の本当の声というのは日頃は聞いていない。自分で聞こえている声は脳に響いて聞こえているので本当の声ではないそうだ。本当の自分の声を聞くにはラジカセなどをとうして聞くことができる。実際の声というのは思った以上に違って聞こえると思う。声にもいろんな特徴があって、その人柄を感じることもある、特に声のトーンは人それぞれである。
僕は完全に声を失って15年以上も経った。気管切開により声を失うことは人と話せなくなるので、とても辛かったが生きるためには仕方なかった。今となっては自分の声は聞くことはできない。人と話ができない不自由さも加わって声の重要性を痛感している。それでも、こうして日記で自分の意思を残せることは声で伝える以上に重みがあると思う。

 

小さな積み重ね 2010/3/29(月) 午前 11:22

毎週、「サザエさん」は何気なく見てしまう。日常の出来事をほのぼのと描いているので見ている者を共感させてくれる。何ともないストーリーなのだがその中でインパクトがあることが長寿番組となる秘訣だろう。何でもない日々の小さな出来事こそが貴重と思う。
日々の積み重ねにより一年二年と時は刻まれていく。何の変化もない一日であっても何か小さなことに幸せを見い出すことができれば意義ある一日になる。それができれば穏やかに暮らしていける。僕でも辛い毎日でも楽しいことを見つけながら日々を送っている。生きているからこそ味わえることに目を向けていかなければと思う。

 

時間の使い方 2010/3/31(水) 午前 11:33

年度変わりとあって番組編成がかなり変わった。一年間の一日一日は長いけれど、 過ぎ去ってみるとあっという間だった。一年を長く感じるか短く感じるかはその人その人によって違うかもしれない。
僕にとって一日は長かったり短かったりしている。ほとんど寝たきりの病床生活の中で待つことが多いのは仕方ない。待っている時の時間というのはわずか1分でも長く感じる。しかし、何か夢中になっている時は1分がとても短く感じるものだ。一定の速度で進んでいる時間でもその時の状況で時間の感覚が違って思える。時間が短く感じることは充実していると思う。
これから新年度を迎えるにあたって、なるべく時間の使い方には気をつけていきたい。僕には限られたことしかできないけど時間は大切にしたい。