ヒストリー


 以下の文は平成12年7月16日に行われた出版 と29歳の誕生会のときの 感謝文です。この日、坂井輪公民館で行われた会は、とても心のこもった会 でした。今、こうした素晴らしい人に囲まれて幸せに生きています。この日、僕は最高に幸せでした。

   この度は、「難病から得たもの」の出版記念と29歳の誕生会に出席してくだ さりありがとうございます。こうして皆さんに祝ってもらい嬉しく感謝いたします。  昨年は母が倒れるという大きな試練を迎えました。しかし、その試練を通して 自分を強く持てるようになりました。少しですが心の自立を果たし、前向きに 生きる大切さを想いました。この詩文集はその総決算と思います。

 今日、この会を企画してくださった「ひまわりの種の会」の皆さんありがとう ございました。母が倒れてから毎日ローテーションを組んできてくださったこと 本当に感謝しています。毎日お世話になっている婦長さん、そして僕の願いで あったインターネットを叶えてくださり、巻頭言でこの作品をよりいっそう色濃く してくださった土屋先生に心よりお礼申し上げます。また、この詩文集を通して 多くの人から感謝の声をもらい、僕にとっても大きな励みになりました。この 詩文集を出版できて心より良かったと思います。

 この29年間を振り返って、僕が大きな岐路に立った時、必ず良き出会いに 恵まれて前進を続けることができました。この出会いと家族に支えられ、いつも 平穏に過ごせました。7年前には、人工呼吸器による在宅に踏み切り、これも 多くの支えにより充実した日々を送れました。

 この作品にはそうなる以前に書いた もので、いま読み返すと良くまあ書けたなと思います。いま、こんなふうに冷静に 自分を見つめることはできないと思います。  

 僕は今年のミレニアム年に大きなものを残し、20代の最後を迎えました。 来年の21世紀には30歳を迎えます。まだまだやり残したことがたくさん あります。恋愛、遠出の外出、福祉と医療の充実等様々です。まだまだ多くの 人生が待っています。この病気のおかげでここに集まった皆さんをはじめ多くの 素晴らしい出会いに恵まれました。本当にかけがいのないものを得たと想います。

 難病に感謝します。  

 これまでの出会い、そして、これからの出会いを大切に頑張ります。この出版 を通して新たな気持ちで飛躍していきたいと想います。これからもどうぞよろしく お願いいたします。  この度はありがとうございました。

                     平成12年7月16日
                         守岡 勇二


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 下記の文は母が倒れてからの心境を克明に記録したものである。日本ALS協会新潟支部の総会用にレポートとして書いた。長年、母に頼りその代償が訪れた。 しかし神様は見捨てなかった。母は奇跡的に回復して、僕に涙とともにこれまでの反省を洗い流して、強い自分を持たせてくれた。多くの素晴らしい助けをかりて。 今、僕自身はしっかり生きていこうと決意している。涙から大きな希望を胸に。
            
涙から希望へ

昨年は我が家にとって大きな転換点となる年であった。7年前に気管切開して人工 呼吸器を装着し、在宅を続けてきた。最大限の保健福祉を利用していたが、やはり中 心的に介護にあたる母の負担は大きかった。

 平成11年9月22日にその代償が起こった。 母が脳内出血で倒れてしまったのである。もうこの日のできごとは昨日のよう におぼえている。ただ僕は呆然としたが、以外と冷静でもあった。こうなることを覚 悟していた面があったからだ。

 しかし、初めて病床で苦しむ母を見て冷静な糸がぷつ んときれた。多くの点滴や血圧モニターにつながれて苦しそうにしていたのを見て涙 が溢れて止まらなかった。今まで母に甘えていた自分が情けなかった。もう母の元気 な姿をみられない現実を見せられたおもいだった。なんとも言えない感情が、涙を次 から次へと流れさせていった。もうありのままの自分だった。もう自分のことより母 のことが心配で涙がいつまでも流れる日々が続いた。命は助かったものの大きな後遺 症は残るだろうと。

 しかし、幸いにも母は何の後遺症もなく回復していった。ようや く自分のおかれた立場を考えた。もう母には頼らない これが僕の答えだった。それ からは自分をしっかりもつことになった。そして、ひまわり種の会の皆さんが母が倒 れてからすぐに毎日来て下さった。これは大きな励ましとなった。もし来てくれてい なかったらベットに寝たきりになるところだった。

 車椅子にのって母のところへいき 、そのあと洗面等をしてもらった。孤独な中でとても有り難かった。 今までいっさいを母に頼っていたのが今度は自分自身の力で人生を築くことになっ た。在宅と違い病院は規則と管理で思うようにはいかない。まず僕にとってインター ネットをしたかった。そうすれば少しは世界が広がると思った。そこで理学療法の先 生に相談していろいろと教えてくれた。

 現在、入院先の僕のベットサイトにはパソコ ンができるようにブレスコールがついている。これはすごいアイデアである。ベット に寝ているときは左手の親指でスイッチを押してナースコールが鳴るようになってい る。そして車椅子にのってパソコンをするときは、僕は両手を使ってマウス操作をす るのでナースコールができないので、ブレスコール(息をふくとスイッチとなる)を 口のそばにセットするとナースコールの役目となった。これをスイッチ一つで切り替 えることができる。これは理学療法の先生が考えてくれて、病院の電気技師の人や大 工関係の人が協力して作ってくれた。こんなふうに病院においていろんな人が関わっ ていけば手作りのすぐれものができると思う。

 また病院においての生活の質も大きな 課題となった。命を預かる病院では安全第一となり危険なことは許されない。また看 護婦さんは忙しすぎて必要最低限なこと以外頼めない。この辺がすごく難しい問題だ と思う。実際にベットに寝たきりになっている患者さんもいる。確かに命第一だけれ ど生きがいのある生活も大切だと思う。このバランスをぜひ医療者の方達に考えてほ しい。  

 そして、12月末に院内LANを利用したインターネットもできることになった。院 長先生をはじめとして多くの方達により、病院において初めてとなる院内LANを利用 したインターネットのできるようにしてくれた。初めてのことで大きな壁もあったけ ど、なんとか乗り越えた。院内LANとは病院が一括管理しているので、いくら利用し ても通話料は無料にしてもらえる。これは神経難病者等の文字入力の遅い患者にとっ ては有り難い。全国的に見ても画期的と思う。  

 母の頭の方は回復してきたが、ところが倒れたことで自分に自信をなくし落ち込む ことになった。今まで頑張ってきた反動がどっとでて、軽いうつ病になっていた。実 は母が倒れた1ヶ月後に妹が無事に男の子を生んだ。暗い中にも新しい命が誕生し明 るいこともあった。しかし、初めての子を妹ひとりで育てるには余りにも重いことだ った。家族の分離に苛酷な子育てが加わって精神的に落ち込んでいた。母の力が必要 だった。

 しかし、母も軽いうつ病状態にあり、落ち込んでいる2人を一緒にするのは 不安だった。でも、赤ん坊を中心に良くなっていくと信じた。しかし、いっこうに良 くなる気配がなかったときはもう僕は辛くて悲しい日々であった。大晦日には腹痛に 加え心臓まで痛みがきて何もできない自分が、痛みと共に苦しかった。最も情けない ときでもあった。涙が止まらない日々であった。

 ところが、母は少しずつ良くなってきた。この嬉しさも忘れられない。  その間、僕は少しでも励ましになればと詩集の自費出版をきめた。自分に対しても 前向きに希望をもつことが必要だった。インターネットを通じて出会いを求め、詩集 でもっと自分を知ってほしいと思った。  

 僕は今、拠点を病院におき、多くの助けを得て幸せに生きている。これからも多く の出会いや助けを求めていきたい。  この一連のできごとですっかり涙もろくなった。でも、泣きたいときは素直に思い っきり泣くことの大切さも知ったように思う。思いっきり泣いて、次に希望を見つけ ることを。  皆さんも辛いとき、悲しいときは思いっきり泣いて下さい。そして、次に希望をつ かむことを祈っています。

                        平成12年6月
                          守岡 勇二


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以下の文は、第17回日本ALS協会新潟県支部総会に寄せて寄稿した文章です。生きている事の葛藤、感謝を残しておこうと思いました。人は本当に弱いもの。でも、生きていれば必ず嬉しい事もある。前向きに生きていれば、想ってくれる人の有り難みも分かってくる。多くの人の触れ合いが大切と思いました。みなさんに支えられて生きています。

       生きてて良かった

  昨年は腸の病気により支部総会に参加できずに残念でした。その腸は昨年10月に手術を行い、無事に乗り切りました。人工肛門という新たな人工的な身になりましたが、快腸です。今回の手術を通して生きている感謝を強くしました。

 難病という大きな病の中で、こうした腸の病気に理不尽な思いもしました。なんでこんな試練までもが、と。しかし、これも定めと割りきりました。それは周りの強い応援があったからと思います。でも、一時期、完全な腸閉塞になった時は死を意識しました。もう十分に生きた、という反面、生き続けたいという思いに葛藤しました。常に気ちは揺れ動くものでした。でも、手術を乗り切り回復していくと生きてて良かったと思えました。また、多くの人と交流ができる。インターネットができるようになった時は本当に嬉しかったです。やっぱり生きているものが勝ちと思います。

 難病になると気持ちはふさぎ込んでしまいます。でも、自分に楽しみを見つけて前向きに生きる事は大切と思います。そうすると生きている事に感謝が出てきます。ここに参加されているみなさんは一つの山を乗り越えた方達と思います。これからも幾つもの山を乗り越えて泣き笑いしながら生きていきましょう。生きていれば必ず良き事もあるはずです。もちろん生きている事はしんどい事も多いですが。僕としてもこうしてみなさんに会える事が大きな励みとなっています。初対面でも言葉は通じなくても、心は通いあえます。みなさんとの触れ合いを大切にしていきたいと思います。

 9月には全国交流会がありますね。またより多くの輪を作っていきたいと思います。生きてて良かった。こうしてみなさんにあえて感謝で一杯です。
                       平成15年 6月7日 
                                  守岡 勇二


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