難病者の恋愛と性

 日本社会において難病者 障害者の恋愛や性はタブーとされている。はれものに触 らないように避けてとおってきた。しかし、我々難病者は体は不自由でも心は健康な 人と変わらない。異性を好きになるし、男性器もきちんと反応する。健常者と同じよ うに恋愛をしたいし、性も味わいたいのである。

 しかし、現実は厳しい。なかなか理 解されない面もある。僕の詩集のなかにも異性への思いが綴られている。その頃は愛 し愛されることは不可能と決めつけていた。しかし、やはり恋愛は生きているものに とって最高の幸せとおもう。今は恋愛を叶えたいとおもっている。

 しかし、恋愛に関 しては健常者と大きなギャップがある。デートもできない、プレゼントも自分でわた せない。こうしたことはお互いを知り、愛を深めるためには必要である。あなたは難 病者を愛せますか。片思いになったけど、どうしたらいいのか等恋愛にいたるまでが 大変である。それは健康な人でも同じではある。そして、ようやく愛し愛されても、 なによりも辛いのが好きな人を優しく抱き締めることができない。つまりは体で気持 ちを表現することができないのである。女性のなかには心さえ通じればいいという人 もいるだろう。しかし、僕にとって好きな人と抱き合うことのできないことは本当の 愛を知ることはないように思える。恋愛と性は一緒とおもうのである。

 ただ、性にも いろんな形がある。決して生殖行為だけが性ではない。手を握ったり、見つめ合った り、抱き合ったりも性的行為と思う。お互いのぬくもりを感じることがもっとも大切 である。この2つがかなったとき本当に人としての愛を知るのではないだろうか。  それに恋愛とは関係なく男は性欲が強い。性による快感をいつも追い求めている。 男というからだの仕組みがそうなっているのである。

 同じ筋ジスの人で今は亡き、轟 木敏秀君のホームページに マスターベーション という文章がのっている。これは 我々の気持ちを正直にありのままに綴っている。僕はとても共感し皆同じ苦しみをも っていることを知った。最後には、こんなことばかり考える自分が情けないと語って いる。悲痛なる叫びである。健康であれば、それなりの場所や気を紛らすためにスポ ーツなどをして発散できる。性欲にも人によって淡白な人もいれば強い人もいる。

 し かし、我々はベットの上だけで悶々としている。動けないだけにつのるばかりである 。どう気持ちを切り替えるかである。この辛さはわかるだろうか。人権も何もあった ものではない。男として生まれて恨むときがある。しかし、自分を認めなければなら ない。世の中には性の悩みを抱えながらも自分の趣味に燃焼させたり、性を全く断っ て高僧となる人もいる。いろいろな生き方もある。

 難病者の恋愛と性をぜひ多くの人に考えてほしい。そこには本当の愛がかくされて いるようにおもう。現代は薄っぺらな恋愛と性がはんらんしている。なんと羨ましく 悲しいことか。おもうようにいかない人もたくさんいる。健康であっても恋愛に縁の ない人もいるし、相思相愛になるのは、ひとにぎりかもしれない。

 一般的に性行為つ まりセックスはいやらしいとかけがわらしいとされている。しかし、好きな人や心の 通じる人とのセックスは素晴らしく愛情に満ちている筈である。素晴らしいものであ る。援助交際や不倫などどこまでいいかはわからない。しかし、愛のない性は虚しい だけである。もっと自分を大切にしてほしい。性教育についてももっと社会的に取り 組む必要をおもう。性欲とは人間の3大欲求で食欲、睡眠と同じくらい大切なのであ る。決してないがしろにはできない。そして、性という字は心偏に生きるとなってい る。心を豊かに大切に生きる上でも大切なのではないだろうか。

 僕は本当の恋愛と性をかなうことができるだろうか。心を大切に生きていれば見つ かるかもしれない。かなうと信じたい。だって恋愛と性は人にとって最高の至福のも のなのだから。 上記の文は僕のトータル的な一部とおもってほしい。このホームページを全てよん でから改めて考えてほしい。この問題にはエゴイズムも含んでおり、賛否両論あると おもう。強烈な批判も覚悟している。しかし、あえてこの問題を取り上げたのは、す べての人に本当の恋愛と性を考えてほしいからである。そこには人としての本当の生 き方も含んでいるはずである。

 この文への感想、ご意見をお待ちしています。