「没後10年 安部公房展」関連イベント
講演『弁証法の壁』 島田雅彦
2003年10月11日 PM6:00すぎから1時間半くらい 於:世田谷文学館
(10/11)


★ 注意! ★
メモなしのウロ覚え感想なので、コトバの正確さ(内容も・・・)ともども自信がアリマセン。
マァ、こんなカンジ、と思って読んでください。

ホボ定刻どおりに、グレーのTシャツ(たぶん)に鋲がたくさんついたGジャンを着た島田雅彦がギンギラギンにさり気なく登場。堅めなタイトルに反し、クダけたカッコしてました。
安部公房展にちなんだ講演ということで、島田雅彦は事前にチャンと展示を見てきたそうです。展示品の写真の中に「なんと驚いたコトに16年前の自分がいたんですネェ」。『新潮』の創刊1000号記念に島田雅彦が安部公房に「対談、ではなくて、面会させてもらった」時のモノで、新潮社の地下防災室で会ったそうデス。「『壁』にちなんで壁だらけのトコロがよかろう、というわけでもないんですけど(中略)新潮社と言うのは大変防災に力を入れた会社なんですネ。前の社長が趣味は・・・防災、という方でして」文学青年・島田雅彦かねてよりのアコガレ・安部公房に会わせてもらったはいいが、「ご自分の趣味、シンセサイザーやワープロ、カメラのお話を延々となさるんですネ」。安部公房は新しいテクノロジー(機械?)が大好きで、その一号機を買うのを趣味にしていたとのコト。日本に3台しかない頃のシンセサイザー、600万円もしたワープロなどを買っては煩雑な操作をセッセとやっていたそうです。「今で言うと、オタクなんですが、当時はそういう言葉はなかったのでマニアック、と言わせてもらいます」そーゆーマニア話を延々する安部公房に島田雅彦は「自分は機械に弱いからそんな話をされてもハァ、と。ただ聞いているしかないんですネ」。島田雅彦は安部公房が文学青年だった時期にドストエフスキーやチェーホフに影響を受けた、と言う内容のエッセイを読んだ記憶があったので、メカ話のスキをぬい、果敢にもドストエフスキーなどの話を振ってみたところ、安部公房は「一言、“よくシラン”と。“ドストエフスキーや何やらに影響を受けたなんて話をよく聞くが、ほんとに読んだヤツなんかいるのかネ。あんな難しいモノ、読めるわけないじゃないか”と仰るんですネ。」アレ〜?と思った島田雅彦は家に帰ってもう一度、そのエッセイを探してみたら確かにあった。それなのに自分とはドストエフスキーなどのお話(文学談義)をしてくれなかった。でも評論家の秋山駿氏はちゃんとソノ手の話を安部公房としたらしく、島田雅彦に向かって「アノ人は文学青年だよ」とアッサリ言ったそうです。つまり「自分は軽くいなされてしまったンだな、と」。・・・なんでか相手にしてもらえなかったンだネ・・・。そういえば『瞠目新聞』に安部公房が一応出ているんだけど、寄稿ではなくて短い談話(までも行かない。まさに一言)だったナ。でも答えてくれただけマシか。
ソモソモ安部公房は人付き合いが良いタイプではなかったそうです。「文壇の安部公房、安部公房の社交、と言うモノはほとんど聞いたことがありません」とのこと。ヘー。ワタシも良く知らないけど、安部公房ってビックネームだけど華々しいスターって感じはしないヨネ。ただ、石川淳埴谷雄高花田清輝 などとおつき合いがあったそうです。その人たちが安部公房をどう読んだか、について、石川淳や埴谷雄高の批評を引用していました。だんだん話が難しくなってきた・・ワタシでは説明仕切れないヨ〜!と思っていたら、ちょうど同じ部分の引用と島田雅彦の解説に近い内容のサイトを見つけました。言ってるコトはほぼ同じなので、参考にドウゾ。評論家加藤弘一サンのサイト『ほら貝:安部公房』の中の“1.埴谷雄高”“3.石川淳”の部分です。埴谷雄高が安部公房を発見&売り出しして、石川淳も高く評価していたようですネ。埴谷雄高が後に“ホントなら医者になっていたはずの安部公房を貧乏作家の道に導いてしまった”と反省している話を島田雅彦もちゃんとしていました。ハハハ。埴谷雄高って親切だな〜。最初は貧乏作家だったかも知れないケド、後に600万のワープロを買えるようになったんだし、医者になっていてもあたらしモン好きが高じてヤッパリ貧乏になってたカモしれないヨネ(大きなお世話)。
そういえば島田雅彦は先だって、スウェーデンのノーベル賞協会(?ちゃんとした言い方を忘れた)の人に会う機会があり、「10年前、大江健三郎がノーベル文学賞を取りましたが、もし安部公房が生きていたら、先に取っていたンじゃないですか?」と質問したそうです。相手サンはなんの躊躇もナク「もちろんそうでしょう」とお返事してくれたそうです。「マァ〜、自分は関係ナイから遠慮なく聞けちゃうんですが」だって。オイオイ、期待してるのヨ!ワタシは!(ホントか?)。
安部公房が世に出るきっかけになった『終わりし道の標に 』と芥川賞を受賞した『 』の間には「断絶、大きな転換があると思うンですネ」と言っていました。作品の内容についてはほとんど触れないので、読んでないワタシはチンプンカンプンでした。ただ、『壁』はどうやらアバンギャルドと言うか革新的な作品らしく、発表された当時も、50年後の現在も、同じ衝撃を感じる作品なんだそうです。「ピカソなど〜、前から見たカタチと横から見たカタチをいっぺんに表現するような、キュビズムのォ〜、とか。フォビズム・・・なんだっけ名前がでてこない・・(会場から親切な方のフォローが入る)そう、マチスなど今まではあり得なかった色の組み合わせなど」と同じようなコトを小説の中で表現した、ラシイです。ア〜〜ムズカシイ!と言うか、ワタシは全然わかっていないので、違っていても“アホだから仕方ナイね・・・”で済ましてください〜〜!!スミマセン〜(泣き)。
安部公房作品はアバンギャルド、と言ってもむやみに難解ってワケでもないらしく「エンターテイメントとしても楽しめる」。島田雅彦は『砂の女 』を5、6回読んだそうです。初めて読んだときは単純に「ア、面白い」。しかも「普遍的でもある」ので、いつの時代、どこの世界のヒトが読んでも「アア、オレのコトが書いてある」と思えるそうです。『砂の女』は20数カ国に訳されていて、たとえ話ですが「68年に起きた“プラハの春”。当時はまだ冷戦下で、抑圧されていた市民が蜂起するんだけども、ソ連の戦車がやってきてぶっつぶしてしまった」その市民が読んでも共感できるだろう、と言っています。自分も書くようになってからは創作のお手本、教科書として大いに役立ったそうです。
創作そのものについてもイロイロな話をしていました。「全ての物語は神話に回帰する、なんて言ってりゃいいってもんじゃナイ」と言うことで、スターウォーズの例を挙げていました。スターウォーズは世界の神話の平均値をとった作品で世界中の誰もが“アア、知ってる”と思うようなツボを押さえて作られた話だそうです。ハリーポッターも同様にどっかで“聞いたような”を満載したモノだ、と。・・・両方見てねーや。島田雅彦はこう言うからにはちゃんとチェックしたんだネ。今は“アア、知ってる”と思わせるコトがさも普遍的であるかのようだけど、ホントの普遍的というのはそんなモンじゃナイ。神話以前のもっと人間の根元に根ざしたトコロから始まったモンだ、で、安部公房の作品はそういうコトがあるそうです。
創作物の構造についても話していました。「大きな話の枠組があって、それをディテールの積み重ねで埋めていくような」そのための知識を詰め込んだオタク的と言うか「まるで百科事典のような」システマチックな手順を踏めば作れるってモンでもないンだそうデス。「それでも作れる事は作れるんですけどネ」。安部公房はマニアックな人ではあったけど、そーゆー「予め完成形があってそのための設計図どおりに作り上げるような」書き方をしてるとはあまり思えないヨウです。予定調和ッポサは皆無ってコトか?
「弁証法が日本に伝わったのはいつか?・・たいていは明治時代、と答えるんですけども、実は16世紀にキリスト教の宣教師によってもたらされているんですネ。」布教の手段に弁証法を用いた、と。弁証法の説明というかたとえ話に「“神はどんなカタチをしているの?色は?どんななの?”と聞かれ、宣教師達は言うんですネ“神に姿は無い”。そうすると“じゃ、神なんてイナイんだろ”というコトになる。しかし“神はいる、神は無ではナイ。空気はカタチは無いが確かに存在するように、神も存在する。神や霊魂とはそういうモノである”と説得する。コレが弁証法なんですネ」と言っていました。フーン。正反対の考えのヒトを説得するのに有効な議論のテクニックって思っていいわけ?カナリわかりやすい&あっけないたとえ話でありがたいような、もっとちゃんと説明して欲しいヨウナ。ソモソモ弁証法を知らないようなヒトはいない、という前提で話しているんだろうけど。同じようなノリで、デウスはキリスト教を信じない人を地獄に落とすなんてヒドイ!キリスト教を信仰してなかったワシらのご先祖サマはどうなるの?等々、キリスト教に対する日本人の疑問を解決というか説得していく、と。「このあたりの話についてはワタクシの書いた『フランシスコ・X』を読んで頂ければ・・・」とちゃっかり宣伝もしてました。
で、この弁証法ってのは古い秩序を保つために使われてきたンだけど、20世紀に入って色んな新しいコトが起こってくる中で、弁証法(つか屁理屈?)に守られてきた古い秩序を一度ブッ壊して新たな秩序を築きましょう!ってカンジの運動が美術なり音楽なりの世界で起こった・・・で、安部公房の小説も戦争で一度ご破算になったそれまでの秩序、それを守るご都合主義の弁証法の壁を乗り越えて真の普遍性に到達することを目指した行為だったのでは・・・という話でシメていたよーな気がするけど、ハッキリ言って自信がありません。ぜんっぜんわかんねーヨ!(泣き)ここまで読んでくださった方に申し訳ナイ〜〜!!
でも、島田雅彦も最後「これ以上話すとボロがでてしまうので、この辺で終わりにします。ご静聴ありがとうございました」と挨拶した後、脱兎のゴトク退場してしまいました。その背中には“質問はするなよ〜〜”という文字が読めるような気がしました。

またしても長かった・・・最後まで読んでくださった方ありがとう!

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