神奈川近代文学館
「生誕80年・没後35年記念展 三島由紀夫ドラマティックヒストリー」講座

「多面体・三島由紀夫」 島田雅彦
2005年5月8日 14:00から1時間半くらい 於:県立神奈川県近代文学館
(5/9)


★ 注意! ★
ウロ覚え感想なので、こんなカンジ程度に読んでください。
赤い文字は島田雅彦のことばです。

定刻どおり「島田雅彦先生デス。盛大な拍手でお迎えクダサイ」と紹介され島田雅彦登場。黒のジャケットに白地に黒の模様が入ったシャツ姿。この細かい牛柄のよーなシャツ、雑誌やテレビ(新日曜美術館)でも着ていたナ。最近のお気に入りか。そういえばこのごろシャツがグワシと飛び出してナイなぁ。さすがに気付いたか(←何に?)。話がズレた。
一礼して着席。「立って話すと不都合な状況なので、座らせていただくとして‥」。???椅子があるんだから別にコトワリ入れなくてもいいだろうに。立って話したいの?それとも熟年層が多いから気兼ねするとか?演題についても「多面体、と言ってるだけに話が散漫になると思いますので、ご了承ください」だって。
昨年、島田雅彦が参加した世界35ヶ国の文学者がアメリカの大学に集まったイベント「アメリカ文学者村」のお話から始まりました。35ヶ国の作家に、あなたの尊敬する日本人は?という質問をしたところ「三島由紀夫はベスト3に必ず入るンですネ」。世界的に知名度・人気の高い三島由紀夫は「日本文化の広告塔」として外国に行った時ハナシのキッカケを作ってくれる「ありがたい存在」だそうデス。マ、島田雅彦は特にそうだろうな。モシ島田雅彦が“オレ様はニッポンの小説家だ”と自己紹介すれば、アチラさんだって島田雅彦のコトは絶対知らないだろうけどカワリに“ミシマを知ってるよ”的な反応をしてくれそうだもんネ。何処の国にも三島由紀夫的な世界的な有名人がいるわけでなく「韓国ではそうはいかない」と言っていますが、ウーム確かに韓国の文学者は全く一人も知らない‥。 三島由紀夫も生前、自分が日本文学の広告塔なコトに自覚的だったようで、単なる広告どころか「外国人の抱く日本のイメージに応えてやる、と言ったようなサービス精神を持っていたんですね」
戦後の作家に世間一般が抱くイメージに、ハチャメチャやって早死にする“無頼”というモノがあった。「コレに作家の方から合わせる場合もあるんですね。今で言うと町田康とか車谷長吉とか石原慎太郎とか。何言い出すかワカンナイお笑い芸人みたいな役割を自ら担っているヒト」。三島由紀夫はコレには当てはまらないし、「多種多様性において三島の右にでる者は居ない」。文学といっても大衆文学と純文学に分かれるけども「三島由紀夫は通俗作家と純文学作家の両方をやったンですネ」。それだけに残された作品は膨大で「全集で何巻ありますかネェ‥30何巻あるんですよね。それだけの量産するには夜中に酒なんか飲んでる場合じゃない。朝ちゃんと起きてしっかり食べないと」。自戒も込めて言ってるのか?マ、見習うつもりはなさそうだけどサ。ハハハ。その「勤勉なる労働」ぶりもスゴイが、三島由紀夫のスゴイところは死後35年経っても「今日に至るまでみんなが読んでいるんですネ」。三島由紀夫が活躍していた頃、文壇では「先日、亡くなられた丹羽文雄と舟橋聖一が二大巨頭だったンですが、今、二人の作品を本屋で買おうとしても無理です。今日に残らない。しかし三島はコレに当てはまらず、大衆作品も忘れられない、今日に残っている。これは奇跡である、と」。そういえば先日銀座の本屋で『不道徳教育講座』がワゴン売りされてたナ。ホント、島田雅彦にとってはマサしく夢のような奇跡だよネェ。島田作品のホトンドはもはや生き残ってナインだから、三島由紀夫どころか丹羽文雄にも舟橋聖一にも及ばないヨネェ。

三島由紀夫が活躍していた時代は、島田雅彦曰く「大学生が知的エリートとして文化を担っていた」ソウです。ベストセラーになる本も現在の「ファンタジー小説ばかり。中にはハウツー本もありますよね。100億稼ぐ方法とか。アレ、正確には100億かすめ取る方法だと思うんですヨネ」ナンテのとは違い、ムツカシイ知的なご本が入っていた。当時の三島由紀夫は純文学からヨロメキ小説まで広すぎる幅を持つセイか「知的青年層の支持は得ていなかった」そうな。
で、島田雅彦は三島由紀夫のヨロメキ小説「『命売ります』。私、大ッ好きなんですね!命を投げ出した青年がどれだけアナーキーになれるか」、その命を利用してやろうと企む悪党がドコまでワル知恵を発揮出来るかというお話…ってコレ『自由死刑』じゃん!と思ったら本人も白状してマス。「私、大変影響を受けました。コレが無ければ『自由死刑』は書けなかった。この場をお借りして三島氏に対する感謝の念を示したいと思います」だって。それはそれは三島由紀夫もクサバのカゲで喜んで‥はいなそうだな。ハナから興味もたなそう。
文学以外でも三島由紀夫は「演劇界に対する影響力が大変強かったンですネ。今でもそうです。新劇とか、日本人は袴でも穿いてりゃいいのにタイツを穿いてハムレットをヤル。(中略)そのワザとらしさを逆手にとってですネェ、トコトン突き詰めたんです。そうすればソコには優雅さが出てくるだろう、と」。そりゃまた強引な‥。
「現在の大河ドラマですネ。歴史なんて知りもしない若いアイドルがコスプレして維新の志士とやるような(中略)又は、片平なぎさが出てくる2時間ドラマで死体を発見したときのあり得ないような表情とか(中略)そーゆーテレビ用の芝居の標準型を用意したのは三島由紀夫なんです」。エー、そうなの?まーいいか、島田雅彦はそう思ってるってコトなんだろうし、ワザワザ反論するヒトはいないだろうから。いやータメになる話だネェ。
映画出演したり、有名写真家にバシバシ写真撮らせたり‥フツーは40スギの肉体なんてとても見せられたモンじゃないけど、鍛え抜いたボデーを見せまくった三島由紀夫。「一番の人気の理由は露出の多さにあると思うンですネ(中略)作家は、一言で言えば顔が良い方がイイんです。案外、世間の人ってのは顔で読んでますよ。芥川龍之介が菊池寛の顔だったら読まないでしょ。文は人なり、文は体なり、文は顔なり、と思いますヨ」。ヘェ…。村上春樹や村上ドラゴンは島田雅彦より断然読まれているンだから、カレらの方が顔がイイってコトになるよ‥ボケツ発言?
三島由紀夫は自らが文化人スターであるばかりでなく、アングラ・サブカルチャーのワカモノとも交遊し、彼らを世に送り出して挙げる役割も果たしていた。その代表例といえば美輪明宏氏。「この間、美輪さんから面白い話を聞いたのでソレをひとつ‥。三島の死後、銀座のバーで美輪サンが石原慎太郎に会ったんです。石原慎太郎は酔っぱらっていたのか、いきなり“三島を殺したのはお前だ!”と言ったんですネ。美輪さんは“そうよ!私よ!私が三島さんを殺したのよ!今度はお前を殺してやる!”。…で、石原慎太郎は“ナニ言ってンだよ‥”とブツブツ言って引っ込んだ、という‥マ、つまらない話なんですけど」。ハハハ。話を使わせてもらっておいて“つまらない”はナイだろうヨ。失礼なヤツだな(←というワタシはモット失礼なヤツ)。
三島由紀夫が亡くなった時、島田雅彦は9歳。「まだ幼くて文学少年にもなっていないので、売れない俳優だと思っていたんですネ。(中略)この時代はドコを切っても三島が出てくる。金太郎あめみたいに」

戦後、海外に紹介された日本文学といえば「谷崎・川端・三島。その後、大江健三郎や安部公房が続いて、間が空いて村上春樹や吉本ばなな。…実はワタシの作品も訳されているんですけどネ」。ドナルド・キーンなど、50〜60年代のアメリカ人は日本文学のナニに惹かれたかというと「ジェンダーパニック。つまり同性愛を描いていたことなんですネ。当時のアメリカでゲイは日陰者だったんですね。ゲイと判っただけで大学教授の職を解かれたり。彼らにとって日本は桃源郷だった、“トンネルの向こうの美的な世界”に見えたわけデス」。三島由紀夫はそのヘンの事情もちゃんと察して着々と「世界で一番有名な日本人の地位を築いたンですネ」。ホーホー、なるほど。
また三島由紀夫は海外文学をいち早く読んで自作に取り入れたり紹介したりもしたソウナ。「官僚出身だけに情報処理能力が非常に高かった。大蔵省出身の小説家なんて他に知りませんネ。」50〜60年代は「今より世界文学が熱心に読まれていた。どの家庭にも世界文学全集があったりしてネェ。東欧文学全集なんてのまで出てたんですネ。でも、これが出た理由は体操のチャスラフスカが活躍したから」
国内では「芥川賞選考委員として文壇の交通整理を担っていた」三島由紀夫。「誰かさんみたいに嫉妬に走らず」才能を的確に見出し、しかるべき評価をしたソウです。「後藤明生や深沢七郎とかネ。(中略)『風流夢譚』を三島は買っていた。“コレは優雅だ”ってもちろん皮肉ですが」。嶋中事件の際には「三島由紀夫ですら一時期、右翼に狙われたンです。“右翼は冗談が通じないからキライだ”って言ってたらしいですヨ」。なにはともあれ作家のワクには収まりきらない三島由紀夫は「まさに多面体と呼ぶにふさわしい。今で言うと村上龍+福田和也+島田雅彦って言うかネ‥マ、この三人を足しても全然あまっちゃうんだけども。コレで第一部は終わりです。今日は二部構成で行こうと思ってるんですけど」

第一部は三島由紀夫の多面ぶりの説明で、第二部は『春の雪』について。「先程話した『命売ります』が『自由死刑』になったように、無限カノン三部作、『彗星の住人』、『美しい魂』‥エー、あとナンだっけ?‥ああ『エトロフの恋』」。なんだー?もうモウロクしてきたか?それとも照れ隠し?無限カノン三部作も『豊饒の海』4部作がなくては生まれなかった、と。
早いモノで御歳44歳の文壇の貴公子・島田雅彦はオレ様にとっても『豊饒の海』を書かねば‥という意識があったヨウです。45歳で死んじゃうような予感でもあるのか(←そーゆー意味じゃナイ)。中上健次にもそーゆー意識があったとか。で、島田雅彦は「晩年に三島が考えていたコトに触れてみたい。天皇を通じて三島が考えていたコトに触れてみたい」との思いから無限カノン三部作に至ったそうです。
ココで島田雅彦は、三島由紀夫の生前、お芝居になった『春の雪』のパンフレットに三島由紀夫が寄せた文章を朗読しました。でもミョーな早口でナニいってるのかほとんど頭に入らず‥(島田雅彦のセイにするなって?)。どうやら『春の雪』が不敬に当たるコトを三島由紀夫は自覚していた内容でした。
『春の雪』は「大正時代の華族生活の百科事典が出来るホド細部が描き込んであるんです」。当時はそのディテールの細かさが評価されたのみだったそうな。島田雅彦いわく、この細かいディテールの積み重ねは「偽金づくり、みたいなモノなんです。作家は偽金づくりの腕を競う職人デス。職人だから世間の評価が得られなくてもいいんですヨ。まぁ、認めてもらえないと寂しいですけどネェ」。途中から自分の話にズレてないか?認めてもらえなくて寂しいのは島田雅彦だよネ?
「ディテールの細かさが評価されたのは本人にとっては当たり前で、本人のたくらみをもっと理解してほしかったのかもしれません。その真意とは、天皇をどうしたかったのかに尽きる、と思うんです。なんでこんな事を言うかといいますと、美智子妃と三島は結婚してたかもしれないからナンですネ。美輪さんに言わせるとそうだったらしいですヨ」。お見合い候補のヒトリだったそうです。こーゆー事情を知ると「『春の雪』がより、ナマナマしくなって来るんですネェ」とウレシそーに語る島田雅彦。
で、島田雅彦は無限カノンに「皇太子に対する屈折した思いを託しました。なんたってワタシの同時代のスターですからネェ。テレビの皇室アルバム見て、おばあさんが“浩宮はまーちゃんに似てるネェ”なんて言うんですネ。全然似てねーよ!なんて思ったモンですが、アッ、コレが王子と乞食か!、と」。 コレ、愛子様世代のお孫さんがいそうなお客さんたち大受けでした。

島田雅彦に言わせると今もムカシも「皇室を個人として、同じ人としてみる視点に欠けていたのかも、と考えているんです。左翼は皇室を制度として右翼は神格化することで、いずれにせよ人として見てこなかった。(中略)皇室というのは一人一人がしたたかに生きてきた歴史なんですネ。時の勢力におもねるだけならとっくに滅亡してます。存続の為のノウハウを抱えているワケですネ。天皇になれば皆同じというわけではなく、個性がある。それは最近、私が発見したコトなんですね。なぜなら人として見てきたからナンです」。ヘー、島田雅彦は1200年もの間誰も気付かなかった大発見したわけか。スゴイネェ。さすがだネェ。さっそく宮内庁に連絡すればきっと喜ばれるヨ(?)。
日本の近代文学は外国人と皇室の人間の内面を描くコトをずっと避けてきた経緯があるそうで、最近、外国人の内面に関しては村上ドラゴンの『半島を出よ!』の北朝鮮コマンドなどのココロウチが描かれるようになって来たが、皇室に対しては「マスメディアなどが不器用な敬語で報道するコトが、結果的に皇室に対する無理解を助長している」。ところが『春の雪』は「華族たちの生活と意見を彼らの言葉で語らせているンですネ。近代文学のタブーであった皇室の内面を描く、というとても画期的なコトをしているんです。でも当時、それを評価する人はいなかった」。そのへんを踏まえてもう一度みなさんに『春の雪』を読んでほしい、とのコト。

「三島は1968年に出た『文化防衛論』で天皇についての考えを述べています」。戦後は無理矢理根付かされた象徴天皇制に慣れていく歩みのコトで、経済的に安定してきた頃、国民も昭和天皇もようやく慣れて来た、と語る島田雅彦。
「GHQから皇室はひとつの財閥と見なされ、華族制度が廃止になりいっさいの財産を剥奪された」。法のモトに平等といっても、ヤハリ権威にスガリたいヒトはいるもんで「皇室のお墨付きをみんなが欲しがったので、皇族がいろんな所に呼ばれて忙しくなった。皇族が忙しくなったのは戦後です」。もちろん、そんな権威にすがるヒトばかりではなく「旧皇軍兵士の中には天皇を恨む人がいるのも事実で」三島由紀夫はその英霊の声を描いており、「2.26事件のアナーキズムを雅と捉えているんですネ」。でもその雅は昭和天皇に届かなかった、と。「もし昭和天皇が読んでいれば“ウーン、痛いなー”と思ったハズなんです。でも、今の天皇は切り捨てるでしょうね。なぜなら彼は大江健三郎に近いから。彼は護憲の人なんですネ。だから右翼が今の天皇に期待してもムダなんです。大江健三郎と三島由紀夫が対立するように、今の天皇と三島由紀夫も相容れないのでは、と思うのです。‥ココでお時間となりました」。おっと、もうお終いか。なんか最後は三島由紀夫がすっ飛び気味だったナ。
「今の話を誤解されたくない、というところからみなさんに6月に出る私の本『おことば−戦後皇室語録』を読んでいただきたい」。オヤ、今日はいやに正々堂々と本の宣伝をするネェ。「60年に渡る100いくつかの発言にワタシがコメントをつけています。今日は天皇の件が不完全になってしまったので、コレを読んでください。それでは失礼します」
ウーム、最後の昭和天皇の件は冗談めかさないどころか割と断定的な言い方だったナ。島田雅彦は案外こーゆー時に曖昧な物言いはしないヨネ。『美しい魂』の件で自主規制しようがしまいが誰にも叱られないってわかったから?(←たぶん違う)。

またしても長かった・・・最後まで読んでくださった方ありがとう!

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