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たくさんの方にデルタのファーストアルバム「Notes of Trees 〜樹の音〜」へのコメントを寄せて頂きました。



「Notes of Trees 〜樹の音〜」
コメント集(敬称省略・順不同)

風の中で   耳を澄ましてごらん
ほら、聞こえるでしょう    かすかな樹の囁きが
夢見るように美しい調べとなって   あなたの心に響くでしょう
葉 祥明(画家)

「カテゴリー」という名の厳然と横たわる境界線を造作なく超えて存在する貪欲なまでの自由な創造力。その生命力溢れる音に出会う時に、混沌と日常を過ごしている者の感覚はしなやかさを取り戻す。彼らの音楽は、個々の才能にとどまらぬ予測不可能な要素が渾然と絡み合い、「流される音楽界」の中で、一片の塊を生み出しながら堆積する「三角州」である事に間違いない。

鈴木香織(新星堂ラオックス店)

おもしろい取り合わせのトリオだ。なまぬるさを越えた技(わざ)が聴こえる。そこから芸術になる。音楽の本態が民俗音楽の中にあるとして、その新しい可能性が見えがくれする。今を生きながら今をこえる、こゝに生きながらこゝをこえることが、どこまで可能かを問いつづけたい。僕自身も。

本間雅夫(作曲家)

4月の終わりにアルゼンチンのブエノスアイレスへ行ってきた。現地では今静かなムーブメントが起きている。現代の情報化社会の中で様々な音楽を体験してきた若いミュージシャンたちが、今改めて自分たちの足元を確認し、アルゼンチンのフォルクローレをベースにした音楽を作り始めている。ほとんどが自主制作なのだが、いずれもユニークでかつ高いクオリティを持っているのには驚かされたし、非常な感銘を受けた。

このデルタのアルバムにもある意味で同じようなものを感じとった。彼らが使っている楽器は日本のものではないが、その心は極めて日本的である。デルタは彼らのアイデンティティをこのアルバムの中で明確に表現しているが、それは日本人である彼らにしか出来ない音楽だと思う。まさに彼らの演奏によって日本の伝統的な風景が頭の中にイメージされる。特にオリジナル曲に大きな魅力と可能性を感じた。さらなる発展を期待する。

ケペル木村(中南米音楽・MPB)

それぞれに違った「お里」を抱えた人と楽器。お互いに自分の言葉を探りながら、 他のどこにも無い語らいの「場」を創りあげること。決して理屈ではない、簡単で、難しいこと。

秋岡欧(ミュージシャン)

フォルクローレのような、ある意味では大変定形的な音楽に取り組む時、DELTAのように一般的でない編成でアプローチすることによって、自分達も思ってもみなかったオリジナルな世界が開けてくることがあります。(ショーロクラブもそうでした。)このグループには、まだまだいろいろな表現を実現する可能性があると思います。いろいろな方向にチャレンジしてほしいと思います。

笹子重治(ミュージシャン)

樹の音拝受、更なるご活躍を心より祈念。

さとう宗幸(ミュージシャン)

1stアルバムとは思えないほどしっくりとまとまっていて、聴き手に安心感を与えてくれます。まるで1本の映画をみているような感じでした。ケーナの高橋さんのまっすぐな音色、ふところの広さまで感じさせる櫻井さんのベース、そして稲垣さんの美しいピアノ。本当にバランスのとれた音楽だなあと思います。同じ仙台に、こんな素晴らしいグループがいることを誇りに思います。

吉田慶子(ミュージシャン)

樹々のたたずまい 緑の濃淡、木の葉の重なりからこぼれる陽差し…。つくりものでないその美しさに心惹かれ、飽くことなく見入ってしまうことがある。時として、何にもまさるアートだと思える。

その樹肌に耳をあてたら、聴こえてきそうな…。NOTES OF TREESは正にそんな音。

板橋恵子(Date fm)

語っていますね〜ケーナが、ピアノが、ウッドベースが…。喜びも、悲しみも、全てを包み込んで…DELTAの音は私の胸に響いてきます。

渡辺祥子(パーソナリティー)

私、ナイジェリアのシャーマンに木の発する音を聞かされたことがあるんです。それは水を吸い上げる音とは少し違って、ジーーッという秋の虫の声にも似たものでした。

ひとつ所で何百年も何千年も生きる木は、「受容」のシンボルみたいです。「NOTES OF TREES」は、何世紀も降り積もる歴史を眺めてきた木と、そこを訪れる虫や鳥や風の織り成すシンフォニーだなって思いました。長寿のものもはかなげなものも、老いたものも若きものも、それぞれの生を謳歌する調和に満ちた世界。美しいですね。

新妻香織(ライター、蓮如賞受賞作家)

最初に聴いた時、目の前に広がるものの大きさに感動しました。私の場合は森のイメージが浮かびます。りすと目があって、大慌てでりすが逃げるところや、小鳥がなわばり争いをしていたりなどのちょっとした場面、川のせせらぎとそれに混ざる音、木がしなったり、雨や風や太陽が差し込んだ時に鳴る森の音、木の葉と土がつくる季節の香り、こけや木肌にふれた感触などが飛び込んできます。

りすが食べた松ぼっくりや、野ウサギ、かもしかの足跡、巣立った後に見つけた巣などと、森の中で出会った時の感覚に似ています。もう、そこに動物たちはいないのに、その「跡」を見つけただけで、過ぎたはずの、その瞬間にいるような…。場所と時は違っていても、「樹の音」のCDを聴くことで私の中に刻まれた「跡」と再会できます。聴いた人が、それぞれ歩んできた時の流れの中で思い出の箱に大切にしまっている「跡」と出会うでしょうね!

草野日差子(デザイナー)

ケーナを初めて聴いたのは、ご多分に漏れずサイモン&ガーファンクルの「コンドルは飛んで行く」だった。ケーナ奏者のホルヘ・クンボを知るのはその10年もあとだったけれど。その頃から思っていたケーナは―特にホルヘのケーナは―風の音がする。このアルバムのタイトルは「樹の音」だけれど、僕個人的には風の音が聞こえてくる、とても安らぐ風の音が。ライブで3人の風にあたれるというのはとても幸せなことだと楽しみにしている。

堀切健治(サラリーマン)

DELTAのファーストアルバムを聞いて

文化に国境はいらない。しかし国籍(出自)は失いたくないと常々おもっている。

地上に人類が生きはじめて以来,文化は他者と混ざり合って変化を続けてきた。が,そこには現状を確認する時間的余裕があった。世界中の情報があっという間に手元に届く現代は,変化に要する時間が余りにも短く根を降ろす余裕がない。そのせいか刹那的な音楽文化が一過性のブームとして出ては消えてゆく。まさに無国籍文化時代だ。

民俗文化を伝統の中で考えると,動かざる大地に根を降ろして生きる人の生活発祥文化がフォルクローレだろうが,それのみにこだわれば,単なる文化の保存運動にしかならない。

その時(今)を生きている人間の生きざまとしての文化をフォルクローレと定義すれば,他の世界との接点が多くなるほど,他からの刺激で刻々変化し,それが世界へと発信していくのは時代の流れでもある。生活形態が変れば文化の表現手段も変化せざるを得ない。南米各地でも次々と新しい試みが展開されており,フォルクローレの世界もずいぶん変化して,地方文化としてより,共通のメッセージとしての色合いがだんだん増しているようである。

それでも身体に染み付いた文化のアイデンティティは打ち消し様がないし,それが民族文化の魅力でもある。土地に根付いた文化は,その土地に生まれそこに育った人でなければ表現できない何かが容易に他者を受け付けない。他者がその地の文化に入り込むのは簡単ではないが,現地を訪ね,あるいは出自の人とのふれあいで吸収したなにものかを自らの内に取込み,咀嚼,昇華させて発露とすればそのとき新たな文化としてうまれ変るだろう。

日本の一般的音楽の中にフォルクローレという言葉が登場して30年余。南米先住民は我々と同じにモンゴロイドだといわれる血のゆえか,その文化にはとくに親しみを感じる。ことに我が国では,基本となる5音音階や哀愁を帯びたメロディーにも共通点があるアンデス地方の音楽をさす言葉として一般的に用いられているが,誰でも比較的容易に扱える楽器群の特徴も手伝って気軽に取り付き,やがて本場志向にこだわりを深める人も少なくない。ケーナやチャランゴの演奏技術は南米人をも凌ぐ程の素晴しさをもつ人は結構多くなった。しかし,こだわって近付こうと思う程,単なる物まねに終わってしまうことが多いのも事実である。

DELTAの音は日本人のもち続けている叙情性と世界からの文化の感動を柔軟に受け入れる3人の感性がおりなす独自の音楽世界である。南米を起点とするケーナの響きが,文明的に完成された楽器の代表でもあるピアノやベースの音に包まれて,これまで経験のない新しい,しかしどこか懐かしい土地の匂いに誘ってくれる。新しい「デルタ文化」の発祥であり,日本における新しいフォルクローレとして評価すべきだろう。 南米のフォルクローレ文化が日本に上陸した当時から眺めてきた小生にとっては,DELTAにかぎらず,瀬木(サンポーニャ)や木下(ギター)ほか多くの個性が出現し,それぞれの日本人の感性が展開されていることには感慨深いものがある。

このアルバムでは,ことに1曲めの高橋のケーナは和楽器にも似た微妙な倍音や擦音,最高音で吹ききるフォルテシモまで多彩な音で不思議な魅力がある。アンタラは普段あまり耳にすることがない楽器だが効果的だ。瀬木の作品を含めて南米の曲ではそれぞれの作者の個性がいかされている。パハロ・カンパーナはアレンジも良く快演だ。伝承曲のオリャンタイでは第二主題のウアイニョ部分でケーナとピアノが同じリズムとメロディーを重ね合わせているのが気になったが,あえて私が否定する程のことでもないだろう。全体をとおして文字どおりベースを支えている桜井の音がすごくいい。稲垣のピアノは何度か聞かせてもらっているがその優しさとしゃれたアレンジに支えられた絶妙の間に気持ちが安らぐ。

べた誉めするつもりはないが最近では出色のアルバムだ。地元仙台でこのようなグループが成長を続けていることは誇りであり嬉しく思う。おごることなくさらに感性を磨き,自分達の音楽世界を深めてほしい。

仙台中南米音楽愛好会
代表 奥村清彦
2000.05.30

“暇だ。ぼーっとしてる。そうだNotes of Trees〜樹の音〜を聴こう♪忙しかった。身も心もくたくただ。あ〜眠たい。そうだNotes of Trees〜樹の音〜を聴きながら寝よう♪落ち込んでしまった。パワーが欲しい。そうだ力の源、Notes of Trees〜樹の音〜を聴けばいいんだ♪”

嬉しいと木、悲しいと木、淋しいと木そして眠たいと木にも、デルタの奏でる曲は心地よい気分にしてくれる。

一人一人のテクニックもさることながら、自然に畏敬の念を抱くことを忘れることがない彼らだから、人間の持つ感情に自然に融合されていくのだろう。デルタの曲を聴いて私はそう思った。”

かがやきの杜 星

初めてのCD完成おめでとうございます。ピアノとケーナというこれまでにない組合わせが新鮮です。特に『鐘つき鳥』が印象に残りました。ますますのご活躍を!

本田宏彦(アルパ奏者)

長年の付き合いである盟友・高橋のケーナに対する愛情をものすごく感じました。(今回のアルバムに収録された)「エスティマド」は、僕が彼に対する敬意と愛情をこめた名曲です!そんな彼とはこれからもいつまでも末永くつきあいが続くでしょう。

瀬木貴将(ミュージシャン)