塾長のプロフィール


【世界バレーボール選手権の通訳として】

 宮田五男。昭和24年、熊本市に6人兄弟の5男として生まれる。母によると、生まれたときすでに4キロ以上あったというからかなりのデブであったにちがいない。今もたいそう変わりはないが。私は名前から、男の兄弟の中で5番目であることがすぐ分かるらしい。また、兄たちも私と同じように、名前に数字が付いているのかとよく聞かれるが、事情は全く違う。名前に数字が付いているのは私だけである。兄たちにも数が付いていれば、なるほどと納得できるのであるが、なぜか私だけにしか付いていないのである。親はずいぶん手抜きをしたなあと子供心に思った。おかげで、子供の頃は自分の名前にはずいぶんコンプレックスを持ったものである。
 小学生時代には、少しも勉強に興味がなかった。学校へもあまり行かなかった。行っても授業が分からないうえ、友だちもいなかったので退屈であった。また、教師も私が1週間くらい休んでも心配しているような様子でもなかった。特に雨の降る日などは、いじめられるので学校へ行かないことにしていた。学校と私の家の間に当時まだ残っていた防空壕で学校が終える頃まで、一人寂しく石蹴りをして時間をつぶしたものだ。下校時になると、その防空壕から出て、皆と一緒に何食わぬ顔をして家に帰ったものである。母は毎日学校に行っているものと思っていた。学校は、当時の私にとって苦痛そのものであった。「学校なんかない方がいい」と思ったりもした。家で飼っているネコの「ミー」と、昼寝でもしている方がずっと楽しく、安全でしかも平和であった。
そんな私に小学6年生の終わり頃、クラスでも一番かわいく頭が良かったクラスメートから許しがたい侮辱を受けた。要するに、「私は頭が悪く、私の将来はない」というようなことを言われたわけである。今でもそのことをよく覚えている。このことがきっかけで、中学に進んでからは無我夢中で勉強した。その甲斐あって高校でも決して悪い成績ではなかった。もちろん、高校を出る頃は前述の級友よりはずっと成績も良かった。
 立命館大学を卒業後、鹿児島県の高校教師を振り出しに関東第一予備校、入谷予備校など教育畑を歩くこと20余年。かねてより理想の教育を全うするために、昭和54年10月、江戸川区に学習塾江戸川学院を設立。平成6年8月、個人の学習塾から法人化。同時に江戸川学院からEIアカデミーに改称。現在、同アカデミーの代表。昭和49年に英語検定1級に合格。平成3年には通訳案内業国家試験に合格。趣味は将棋、史跡訪問。将棋は日本将棋連盟の初段。暇さえあれば、全国どこへでも史跡訪問の旅に出ている。ちなみに、昨年の8月にはドイツのハイデルベルグの古城を訪ねた。
 特技は、柔道。昇級・昇段試験は受けたことがないが自称2段である。校内柔道大会や格技で2段の黒帯面々に負けたことがないので、勝手に2段の実力ありと思い込んでいるだけである。得意技は、体落としと寝技。
 現在、日本歴史研究会、日本実用英語学会、日本通訳案内業者同盟、日本観光通訳協会、日本児童英語検定協会などの正会員。


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