本文・内容の果実

topへ 文学史文学史年表の川へ   作品と作者の峰へ  文学史問題の谷へ


  古事記    倭建命は景行天皇の皇子でした。父帝の命で九州の熊襲を討ちました。帰るとまたすぐに次は
関東の蝦夷を討ちに行くよう、命じられました。その帰りに近江の伊吹山の神のために病に倒れ、
歩けなくなりました。

 「その地より幸でまして三重村に到りましし時、また詔りたまひしく「吾が足は三重の勾のごとく
して、いと疲れたり。」とのりたまひき。故、その地をなづけて三重といふ。それより幸行でまして、
能煩野に到りましし時、国を思ひて歌日ひたまひしく、
    倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭しうるはし
 とうたひたまいき。・・・・この時病いとにはかになりぬ。・・・ここに八尋白智鳥に化りて、天に翔
りて浜に向きて飛び行でましき。」
           
  風土記  「出雲と名付ける所以は、名を説くこと、国の如し。
 健部の郷、郡家の正東一十二里二百廾四歩なり。先に宇夜の里と名付けし所以は、宇夜都弁命、その山の峯に天降りましき。即ち、その神の社、今に至るまでなほここに座す。故、宇夜の里といひき。しかるに後に改めて健部と名付くる所以は纏向の檜代の宮に御宇しめしし天皇、勅りたまひしく、「朕が御子、倭健命の御名を忘れ
じ」とのりたまひて、健部と定め給ひき。その時、神門臣古禰を健部と定め給ひき。即ち、健部臣等、古より今に至るまで、なほ此処に居り。故、健部といふ。」
  日本書紀  「冬十月の戊辰の朔己巳に皇子大津、謀反けむとして発覚れぬ。皇子大津を逮捕めて、併せて皇子大津が為に欺かれたる(・・・人名略・・・)等三十余人を捕む。庚午に、皇子大津を譯語田の舎に賜死む。時に年二十四なり。妃皇女山辺、髪を被して徒跿にして、奔り赴きて殉ぬ。見る者皆歉欷く。
 皇子大津は、天渟中原真人天皇の第三子なり。容止墻く岸しくして、音辞俊れ明なり。天命開別天皇の為に愛まれたてまつりたまふ。長に及りて辨しくして才学有す。尤も文筆を愛みたまふ。詩賦の興、大津より始まれり。
 (・・・中略・・・)十一月の丁酉の朔壬子に伊勢神祠に奉れる皇女大来、還りて京師に至る。
 癸丑に地震る。」
  懐風藻                                        
     大津皇子 四首
皇子は浄御原帝の長子なり。状貌魁梧、器宇峻遠。幼年にして学を好み、博覧に」して能く文を綴る。壮に及び、武を愛み多力にして能く剣を撃つ。性すこぶる放蕩にして、法度に拘らず、節を降して士を禮びたまふ。是れに由りて人多く附託す。
      七言 述志 一首   
天紙風筆雲鶴を畫き、山機霜杼葉錦を織らん                      
      後人の聯句
赤雀書を含む時至らず、潜龍用ゐること勿く未だ寝も安みせず 
      五言 臨終 一絶
金烏西舎に臨らひ、鼓声短命を促す 泉路賓主無し、此の夕家を離りて向かふ
                                                               
  万葉集
 籠もよ み籠持ち 掘串もよ み掘串持ち この岡に 菜摘ます子 家告らせ 名告らさね そらみつ 大和の国  は おしなべて我れこそ居れ しきなべて 我れこそ居れ 我こそば 告らめ 家をも 名をも 雄略天皇
  大和には 群山あれど とりよろふ 天の香久山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ うまし国ぞ      蜻蛉島大和の国は 舒明天皇
わたつみの豊旗雲に入り日見し今夜の月夜さやに照りこそ 天智天皇
岩代の浜松が枝を引き結びま幸くあらばまた帰り見む 有間皇子
家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る 有間皇子
熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな  額田王
三輪山をしかも隠すか雲だにも心あらなもかくさふべしや 額田王
君待つとわが恋ひをればわが屋戸のすだれ動かし秋の風吹く  額田王
風をだに恋ふるは羨し風をだに来むとし待たば何か嘆かむ  鏡王女
秋山の木の下隠り行く水の我こそ増さめ思ほすよりは 鏡王女
あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る 額田王
紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑにわれ恋ひめやも 大海人皇子
春過ぎて夏来たるらし白妙の衣乾したり天の香久山  持統天皇
石ばしる垂水の上のさ蕨の萌え出づる春になりにけるかも 志貴皇子
釆女の袖吹きかへす明日香風都を遠みいたずらに吹く 志貴皇子 
葦辺行く鴨の羽がひに霜降りて寒き夕べは大和し思ほゆ 志貴皇子
桜田へ鶴鳴き渡る年魚市潟潮干にけらし鶴鳴き渡る 高市黒人
あしひきの山のしづくに妹待つとわれ立ち濡れぬ山のしづくに 大津皇子
吾を待つと君が濡れけむあしひきの山のしづくにならましものを 石川郎女
大名児を彼方野辺に刈る草の束の間も我れ忘れめや 草壁皇子
わが背子を大和へ遣るとさ夜ふけて暁露にわが立ち濡れし 大伯皇女
二人行けど行き過ぎかたき秋山をいかにか君が一人越ゆらむ 大伯皇女
ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ 大津皇子
うつそみの人なる我や明日よりは二上山を弟とわが見む 大伯皇女
磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど見すべき君はありと言わなくに 大伯皇女
東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ  柿本人麻呂
淡海の海夕波千鳥汝が鳴けば情もしのに古思ほゆ 柿本人麻呂
小竹の葉はみ山もさやに乱るともわれは妹思ふ別れ来ぬれば 柿本人麻呂
天離る夷の長道ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ  柿本人麻呂 
あしひきの山川の瀬の響るなへに弓月が嶽に雲立ち渡る 柿本 人麻呂
鴨山の岩根しまけるわれをかも知らにと妹が待ちつつあるらむ 柿本人麻呂
人言を繁み言痛みおのが世にいまだ渡らぬ朝川渡る 但馬皇女
降る雪はあわにな降りそ吉隠の猪養の岡の寒くあらまくに 穂積皇子
天地の分かれし時ゆ 神さびて高き貴き 駿河なる布士の高嶺を
天の原振り放け見れば 渡る日の影も隠らひ 照る月の光も見えず
白雲もい行きはばかり 時じくそ雪は降りける
語り継ぎ言ひ継ぎ行かむ 不尽の高嶺は
山部赤人
             反歌
田児の浦ゆうち出でて見れば真白にそ不尽の高嶺に雪は降りける
若の浦に潮満ち来れば潟を無み葦辺をさして鶴鳴き渡る 山部赤人 
瓜食めば子ども思ほゆ 栗食めばまして偲はゆ 何処より来たりしものそ
眼交に もとなか懸かりて 安眠し寝さぬ
山上憶良
              反歌
銀も金も玉も何せむに勝れる宝子にしかめやも
憶良らは今は罷らむ子泣くらむそを負う母も吾を待つらむそ  山上憶良
       貧窮問答歌 反歌
世間を厭しと恥しと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば 
山上憶良
験なき物を思はずは一坏の濁れる酒を飲むべくあるらし 大伴旅人
吾妹子が植ゑし梅の木見るごとに心むせつつ涙し流る 大伴旅人
春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ少女  大伴家持
春の野に霞たなびきうら悲しこの夕かげに鶯鳴くも 大伴家持
わが屋戸のいささ群竹吹く風の音のかそけきこの夕かも 大伴家持
うらうらに照れる春日に雲雀あがり情悲しも独りしおもへば 大伴家持
新しき年の始めの初春の今日降る雪のいや重け吉事  大伴家持
多摩川にさらす手作りさらさらに何そこの児のここだ愛しも 東歌 
稲つけばかかる吾が手を今夜もか殿の若子が取りて嘆かむ 東歌
信濃道は今の墾道狩り株に足踏ましなむ履着けわが背 東歌
父母が頭かき撫で幸くあれていひし言葉ぜ忘れかねつる 防人歌
韓衣裾に取りつつ泣く子らを置きてそ来ぬや母なしにして 防人歌
防人に行くは誰が背と問ふ人を見るが羨しさ物思ひもせず  防人歌
水鳥の発ちの急ぎに父母に物言ず来にて今ぞ悔しき 防人歌
青丹よし寧楽の京は咲く花のにほふが如く今盛りなり  小野老 
  竹取物語   「今は昔、竹取の翁といふものありけり。野山にまじりて竹を取りつつ、よろづのことに使ひけり。名をば、さぬきの造となむ言ひける。その竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける。あやしがりて寄りて見るに、筒の中光りたり。それを見れば、三寸ばかりなる人、いとうつくしうてゐたり。」
 「大空より、人、雲に乗りて下り来て、土より五尺ばかり上がりたるほどに、立ち列ねたり。これを見て、内外なる人の心ども、物におそはるるやうにて、あひ戦はむ心もなかりけり。からうじて思ひ起こして、弓矢を取りたてんとすれども、手に力もなくなりて、萎えかかりたり。・・・・・今はとて天の羽衣着るをりぞ、君をあはれと思ひいでけるとて、壷の薬そへて、頭中将を呼びよせて、たてまつらす。中将に天人とりて伝ふ。中将とりつれば、ふと天の羽衣うち着せたてまつりつれば、翁をいとほしく、かなしと思しつることも失せぬ。この衣着つる人は、物思ひなくなりにければ、車に乗りて、百人ばかり天人具して、のぼりぬ。」
 古今和歌集   仮名序
 「やまと歌は、人の心をたねとして、よろづの言の葉とぞなれりける。世(の)中にある人、ことわざ しげきものなれば、心に思ふことを、見るもの、聞くものにつけて、言ひ出だせるなり。」
   袖ひぢてむすびし水の春立つけふの風やとくらん          紀貫之
   むすぶ手のしづくに濁る山の井のあかでも人に別れぬるかな   紀貫之    
   人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける      紀貫之
   久方の光のどけき春の日にしづごころなく花の散るらむ      紀友則
   五月雨に物思ひをれば郭公夜ふかく鳴きていづちゆくらむ     紀友則
   夏と秋と行きかふ空のかよひじはかたへすずしき風やふくらん   凡河内躬恒
   月夜にはそれとも見えず梅の花香をたづねてぞしるべかりける   凡河内躬恒
   風吹けば落つるもみぢ葉水清み散らぬかげさへ底に見えつつ   凡河内躬恒 
   秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる   藤原敏行
   しら露の色はひとつをいかにして秋の木の葉をちぢにそむらむ    藤原敏行
   久方の月の桂も秋はなほもみぢすればや照りまさるらむ      壬生忠岑
   みよしのの山の白雪ふみわけて入りにし人のおとづれもせぬ    壬生忠岑
   世(の)中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし    在原業平
   ちはやぶる神代も聞かず竜田川からくれなゐに水くくるとは    在原業平
   思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせばさめざらましを   小野小町
   うたた寝に恋しき人を見てしより夢てふ物は頼みそめてき      小野小町
   うつつにもさもこそあらめ夢にさへ人めももるとみるがわびしさ    小野小町
   花の色は移りにけりないたずらに我身世にふるながめせしまに   小野小町
   山風に桜吹きまき乱れなむ花のまぎれに君とまるべく         僧正遍照
   春日野の飛ぶ火の野守いでて身よいまいく日ありて若菜つみてむ  詠み人知らず
   飛鳥川淵は瀬になる世なりとも思ひそめてむ人ほ忘れじ        詠み人知らず
 
  土佐日記  「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり。それの年の十二月の二十日あまり一日の日の戌のときに、門出す。そのよし、いささかにものに書きつく。」
  生まれしも帰らぬものをわが宿に小松のあるを見るが悲しさ
  見し人の松の千歳に見ましかば遠く悲しき別れせましや
  伊勢物語  「昔、男ありけり。その男、身を要なきものに思ひなして、京にはあらじ、東の方に住むべき国求めにとて行きけり。もとより友とする人、一人、二人して行きけり。道知れる人もなくて、まどひ行きけり。三河の国、八橋といふ所にいたりぬ。そこを八橋といひけるは、水ゆく川の蜘蛛手なれば、橋を八つ渡せるに寄りてなむ八橋といひける。その沢のほとりの木の蔭に下り居て、乾飯食ひけり。その沢にかきつばたいとおもしろく咲きたり。それを見て、ある人のいはく「かきつばたといふ五文字を句の上にすゑて、旅の心を詠め」といひければ詠める。
  唐衣きつつなれし妻しあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ
 と詠めりければ、皆人乾飯の上に涙落してほとびにけり。」
  蜻蛉日記  「身の上なる日記」
 「かくありしときすぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、よにふる人ありけり。
 かたちとても人にも似ず、心たましひもあるにもあらで、かうものの要にもあらであるも、ことはりと思ひつつ、ただふしをきあかし暮らすままに、世の中におほかたふる物語のはしなどをみれば、世におほかるそらごとだにあり、人にもあらぬ身の上まで書き、日記して、めづらしきさまにもありなむ、天下の人のしなたかきやと、とはむためしにもせよかしとおぼゆるも、過ぎにし年、月ごろのことも、おぼつかなかりければ、さてもありぬべきことなむ、おほかりける。」
  枕草子  「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく、山ぎはすこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。 夏は夜。月のころはさらなり、闇もなほ蛍の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。
 秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、からすの寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。まいて雁などのつらねたるが、いと小さく見ゆるはいとをかし。日入りはてて、風の音、虫の音などはたいふべきにあらず。
 冬はつとめて。雪の降りたるはいふべきにもあらず、霜のいと白きもまたさらでもいと寒きに、火など急ぎおこして炭もて渡るもいとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も白き灰がちになりてわろし」
 「うつくしきもの、瓜にかきたるちごの顔。雀の子の、ねず鳴きするにをどり来る。二つ三つばかりなるちごの、急ぎてはひ来る道に、いと小さき塵のありけるを目ざとに見つけて、いとをかしげなるおよびにとらへて、大人などに見せたる、いとうつくし。 
 頭は尼削ぎなるちごの、目に髪のおほへるをかきはやらで、うちかたぶきて物など見たるも、うつくし。  
 おほきにはあらぬ殿上童の、さうぞきたてられてありくもうつくし。をかしげなるちごの、あからさまにいだきて遊ばしうつくしむほどに、かいつきて寝たる、いとらうたし。」
 「雪のいと高う降りたるを、例ならず御格子まゐりて炭櫃に火おこして、物語などして集まりさぶらふに、「少納言よ、香炉峯の雪いかならん」と仰せらるれば、御格子あげさせて、御簾を高くあげたればわらはせ給ふ。  人々も「さることは知り、歌などにさへ歌へど、思ひこそよざらりつれ。なほ、この宮の人には、さべきなめり」と言ふ。」
  和泉式部日記  「夢よりもはかなき世の中を嘆きわびつつ明かし暮らすほどに、四月十余日にもなりぬれば、木のした暗がりもてゆく。築地のうへの草あをやかなるも、人はことに目もとどめぬを、あはれとながむるほどに、近き透垣のもとに人の気配すれば、誰ならむと思ふほどに、故宮にさぶらひし小舎人童なりけり。
 あはれにもののおぼゆるほどに来たれば、「などか久しく見えざりつる。遠ざかる昔の名残りにも思ふを」など言はすれば、「そのこととさぶらはれば、馴れ馴れしきさまにやと、つつましう候ふうちに、日ごろは山寺にまかり歩きてなむ、いとたよりなくつれづれに思ひたまふらるれば、御かはりにも見たてまつらんとてなむ帥の参りてさぶらふ」と語る。「いとよきことにこそあなれ。その宮はいとあてにけけしうおはしますなるは。昔のやうには、えしもあらじ」
  源氏物語  「いづれの御時にか、女御・更衣あまたさぶらひ給ひける中に、いと、やむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり。
 はじめより、「われは」と、思ひあがり給へる御かたがた、めざましき者におとしめそねみたまふ。おなじ程、それより下郎の更衣たちは、まして、安からず。
  更級日記  「あづまぢの道のはてよりも、猶おくつかたに生ひいでたる人、いかばかりかはあやしかりけむを、いかに思ひはじめける事にか、世の中に物語といふ物のあんなるを、いかで見ばやと思ひつつ、つれづれなる昼間、よひゐなどに姉、まま母などやうの人々の、その物語、かの物語、光る源氏のあるやうなど、ところどころ語るを聞くに、いとどゆかしきさまされど、わが思ふままに、そらにいかで覚え語らん。いみじく心もとなきままに、等身に薬師仏を作りて、手あらひなどして、人まにみそかに入りつつ、京にとくあげ給ひて、物語のおほく候ふなる、あるかぎり見せ給へと、身を捨てて額をつき、祈り申すほどに、十三になる年、のぼらむとて、九月三日門出して、いまたちといふ所にうつる。
  今昔物語集       「阿蘇の史、盗人にあひて謀て遁るること」
 「さて、二条より西ざまに遣らせて行くに、美福門の程を過ぐる間に、盗人かたはらよりはらはらと出で来ぬ。車の轅に付きて、牛飼童を打てば、童は牛を棄てて逃げぬ。車の後に雑色二、三人ありけるも皆逃げて去にけり。盗人寄り来て、車の簾を引き開けて見るに、裸にて史ゐたれば、盗人あさましと思ひて、「こは、いかに」と問へば、史、「東の大宮にてかくのごとくなりつる。公達寄り来て、己が装束をば皆召しつ」と笏を取りて、よき人に物申すやうにかしこまりて答へければ、盗人笑ひて、棄てて去にけり。」   
      「羅生門」
 「盗人これを見るに、心も得ねば、「これは若し鬼にやあらむ」と思ひておそろしけれども、「若し死人にてもぞ有る。おどして試みむ」と思ひて、やはら戸を開けて、刀を抜きて、「己は、己は」と言ひて走り寄りければ、嫗手迷いをして、手をすりて迷へば、盗人、「こは何ぞの嫗のかくはし居たるぞ」と問ひければ、嫗、「己が主にておはしましつる人の失せたまへるを、あつかふ人の無ければ、かくて置き奉りたるなり。その御髪のたけに余りて長ければ、それを抜き取りて鬘にせむとて抜くなり。助けたまへ」といひければ、盗人、死人の着たるきぬと嫗の着たるきぬと、抜き取りてある髪を奪ひ取りて、下り走りて逃げて去りにけり。」
  山家集   いつしかと春来にけりと津の国の難波の浦を霞みこめたり
  吉野山こずゑの花を見し日より心は身にもそはずなりにき
  ねがはくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ
  吉野山やがて出でじと思ふ身を花散りなばと人や待つらむ
  道のべに清水流るる柳陰しばしとてこそ立ちどまりつれ
  けふもまた松の風吹く岡へ行かむ昨日涼みし友に逢うやと
  葛城山まさきの色は秋に似てよそのこずゑは緑なるかな
  嘆けとて月やは物を思はするかこち顔なるわが涙かな(百人一首)
  さびしさにたへたる人の又もあれな庵ならべん冬の山里
  心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ
  年たけてまた越ゆべしと思いきや命なりけり小夜の中山


topへ 文学史年表の川へ   作品と作者の峰へ  文学史問題の谷へ