歌物語3

茜さす......
中大兄皇子(天智天皇)・大海人皇子(天武天皇)兄弟をめぐる、
額田王・鏡王女姉妹
、そして十市皇女の愛の行方(2)

  さらに話しは続きます。
 
額田王は大海人皇子との間に十市皇女をもうけ、天皇に代わって歌を詠む宮廷歌人と
 しても重んじられていきます。妻としても母としても生きました。
  しかし、いまとなっては事情はわかりませんが、
 夫の兄である、天智天皇の妃となります。
 次の歌は有名な天智天皇の「大和三山の歌」とされているもので、「長歌」です。
 額田王と中大兄皇子、大海人皇子の三人の関係を暗示した歌とされてきました。

香久山は畝傍を惜しと耳成と相争ひき 神代よりかくにあるらし 古もしかにあれこそ
  うつせみも妻を争ふらしき。
      反歌
  香久山と耳成山と闘(あ)ひし時立ちて見に来し印南国原  中大兄皇子  (1−13.14)

  「昔、(大和三山の)香久山は畝傍山を愛(いと)しいと、耳成山と争ったと聞いている。
 神の時代からそうであるから、昔からずっと現在に至るまで妻をめぐっての争いはあったのだろう。
        反歌
 昔、香久山と耳成山が畝傍山をめぐって争った時、御輿をあげて見にきたという印南国原よ。」
  ※注「印南国原」.....現在の兵庫県明石市から加古川市あたりにかけての平野。
      『播磨国風土記』にその争いを仲裁に行こうとした出雲の神の神(上)岡伝承が記載されている。

  山に人のような人格を持たせているところが、自然とともにあった万葉人らしいですね。
  香久山と耳成山が男で、畝傍山が女とされていますが、いろいろ説があるようです。
 天智天皇は、弟と額田王をめぐって争ったことがあり、その時の思いを上の歌に仮託したのでしょうか。
  そして、それが後の「壬申の乱」の遠因になったのでしょうか。
 今となっては想像するしかありません。ただ歌と事実だけが残っています。 

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