二十四歳という若い生命を散らすことになる大津皇子ですが、
つかのまの青春ともいうべき楽しい出来事もありました。
それは、石川郎女との恋です。
彼女は宮中に仕える女官で、蘇我氏系の石川氏の娘だったようです。
二人が交わしあった次のような歌が残されています。
(「あしひきの」は山にかかる枕詞)
「愛するあなたと約束したとおりに、わたしは待っていて、
木々から滴り落ちるしずくに、こんなに濡れてしまいましたよ。木々のしずくに。
(なぜ、約束通りに来なかったの。)」
それに応えて石川郎女は大津の思いを受け止めて、次のように返します。
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石川郎女 (2−108) |
「私を待ってそんなに濡れてしまったあなた。
いっそのこと、私はあなたを濡らしたという、その山のしずくになれたらよかったのに。
(そうしたら、ずっといっしょにいられたのに。行けなくてごめんなさい。)」
昔の恋人どうしは、こんなふうに和歌をやりとりして、
思いを伝え合い、愛を確かめ、深めていったのです。
ところが草壁皇子も石川郎女にひかれていました。
政治上だけでなく、恋愛でも二人はライバル関係になってしまいました。
草壁が石川郎女に送ったとされる歌もあります。
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草壁皇子 (2−110) |
(「草(かや)」までが「束」を導き出す序詞的表現)
「大名児(おおなご=石川郎女)や。
彼方の野辺で刈る萱(かや)のひとつかみ。
そのつかの間も私はおまえのことを忘れることができないよ。
(四六時中、おまえのことを思ってばかりいるよ。)」
二人の歌を比べてみてどう思いますか。
これに応えた石川郎女の歌はありません。
やはり彼女の心は大津のほうに向いていたのでしょうか?