「磐余池の鴨」  二上山悲愁(1)


 大津皇子が、飛鳥へ戻ってほどなく、天武帝の崩御があり、
10月2日、大津皇子は謀反を企てたとして、捕らえられ、

自分の譯語田宮(おさだのみや=現桜井市)で謹慎処分になり、
翌3日近くの磐余の池のほとりで、自死しました。
その時、詠んだ辞世の歌が漢詩とともに残されています。

ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ 大津皇子 (3−416)

 (「ももづたふ」は「磐」にかかる枕詞)
 「この磐余の池にいる鴨の鳴く声を聞くのも今日を最後として、
 私はあの世へと旅立っていくことだ。

  池の堤で「流涕」即ち、涙を流して詠まれたと『万葉集』の詞書きにあります。
 無念のほどが察せられますね。そして、『懐風藻』に、辞世の漢詩も載せられています。

金烏臨西舎  金烏西舎に臨らひ  きんう せいしゃに てらひ
 鼓声催短命   鼓声短命を催す  こせい たんめいを うながす
 泉路無賓主  泉路賓主無し  せんろ ひんしゅ なし
 此夕離家向  此の夕べ家を離りて向かふ  この夕べ家を さかりて むかふ

 「今夕日が西の家を照らし、夕刻を告げる太鼓の音は自分の短い命をさらにせきたてるようだ。
 これから行く黄泉路は客も主人もいない。自分一人である。
 この夕べに一人、一体どこへ向かおうとしているのであろうか。」

 和歌の辞世と比べてどうでしょうか。
 夫の大津皇子の薨去を知った妃の山辺皇女は悲しみのあまり
 裸足で外へ飛び出し、後を追ったと伝えられています。
  しかし彼女の歌は残されていません。
  それだけ悲しみが深かったのでしょう。