釣り場化日誌
本誌で「野釣り裏街道」などというコーナーをやっていることからもおわかりかと思いますが、私は往年の名釣り場を再開拓したり、新規の釣り場を見つけたりするのが好きである。ていうか、ヘラ師としての自分のアイデンティティー(存在意義)はそこにしかないと思っている。超大型を釣るとか、トーナメントで全国優勝するとかは、その道の人に任せておけばいいのです。
ということで、ここでは釣り場造りに情熱を注ぐ(?)私が、あれこれ考えていることとか、ボヤキなどをつらつらと書き溜めたのを掲載していきます。釣りの情報としては何の価値もありませんが、いずれ自分自身が行動(何の?)を起こすときのための覚え書きとして残すつもりです。ちなみに、私にとって釣り場造りとはヘラ釣り場に限ったものではないのでご了承を。また、過去に単独で掲載したコラムも、ほとんど内容は釣り場造りに関連したものなので、ここにまとめておきます。ちょっと時代がかわって論点がボケてしまっているのもありますが、それはそれということで。
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本誌の「サロン」に載せた読者の意見に「池の管理者にいいたいが、釣り禁止にする前に、せめて魚を他の池へ移植する期間を空けてほしい」という内容のものがあった。それに対しての私の返答だが、まず自然発生したものであれ他人が入れたものであれ、その池に住んでいる魚は法律上はその池の地主らの所有物になるはずだということ。それを他の池へ持ち出すことを要求するなんて、余計に管理者側を怒らせるだけではないかということ。さらにその魚を他の池へ無許可で移すのであれば不法投棄とみなされるはずだということ。以上をまず書かせてもらった。 ただ、それだけのために掲載したのではない。ここから話が矛盾含みになるのだが、本来は釣り人は何ひとついえる立場ではないことを踏まえて、それでも敢えて管理者に申し入れてみてはどうか? ともつけ加えた。こんなことを誌面で書いていいのかと思ったが「相手も人間なのでこちらの接し方ひとつで対応もかわるのではないか」ということまでつけ加えた。 本誌を隅々まで熱心に読んでおられるならお気づきかと思うが、このところ「会で管理する池」「会で借りている池」という言葉をよく目にする。いうまでもないが特定のクラブがその池の地主や水利権者に許可を得てその会員専用の釣り場として借りている池、ということだ。こうした形態は以前からあったが、これだけ目にするようになったのは、野池の釣り禁止が進む現状に危機感を持った釣り人が増えたせいもあると思う。そしてその現状を誌面で少しでも訴えることで、同好の士を増やし、釣り場の存続に繋げたいと考えておられるようだ(実際に数名のそうした方と電話で話した)。 そうした釣り人がやすやすと野池を借りられたのかというと、決してそんなことはない。ただ、熱意を持って取り組めば不可能ではないのも事実だ。だから私は、前述の読者への返答の最後を「今後、釣り場の存続について釣り人はいい意味でアクティブ(能動的)になる必要があるのでは?」と結んだ。ここが釣り禁止になったから次の池、ではなく、なぜそうなったのかを真摯に受け止めつつ、それでもどうにか釣りをさせてもらえないか、ということは一応訴えてみてはどうなのだろうかと思うのだ。周囲は民家ばかり、駐車スペースなし。そんな池はさすがに開放してくれとはいえないが、それらの基本的な問題をクリアした池なのであれば、眠らせておくのはもったいないという気がするのである。 話は少しかわるが、室生ダムのカワウは行政の許可を得て少しずつ駆除されている。これについても、当初は駆除反対派の意見がさも正当という感じで、釣り人や漁協のことなど知ったこっちゃない、という風潮だったのは全国共通だと思う。絶滅が危惧されていた野鳥が(本来の生息地ではないところであれ)せっかく増えてきたのに、なぜ殺すのか、ということである。そりゃあもっともだ。だがこれまでのヘラブナの放流実績(当然金額についても)など、さまざまな資料を提示して話し合ったところ、反対派も「室生ダムについてはちょっと考えんとあきまへんな」と折れて、今に至っているということなのだそうだ(何の団体の誰と誰がどこで話し合った、ということはここでは触れません)。
先日、永太郎とともに伊丹市の昆陽池公園にある昆虫館へ久しぶりに行った。昆陽池でも一時期カワウが大繁殖し(1000羽あまり)、糞害が酷く、他の動植物の生息にも大きく影響したそうだ。そこで、駆除ではないが巣の卵を偽物とすりかえ、繁殖を阻害して数を減らしたとの展示の説明を読んだ。カワウは常に4つの卵を育て、不足するとそのぶんをまた産卵するので、必ず4つセットですりかえるということだ。 以前とは違い、近年は「絶滅危惧種だから何が何でも保護」という方向性ではなくなってきている。もちろんすぐに駆除OKというわけでもないが、少なくとも漁業被害などが考慮されるようにはなった。 釣り人はあくまでも「釣りをさせてもらっている」立場である。でも、だからといって何でもかんでも黙って従えばいいというものでもないだろう。立場を踏まえたうえで、それでもどうしても釣りがしたいのなら、真摯な態度でそれを訴えかけてはどうだろうか。行動しなければ何も起こらない。 ▲閉じる(2009/12/07) |
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本誌2008年7月号で紹介しているように、現在淡路島の溜め池が危機的状況にある。何とかしなければいけないし、ここでも最善策を考えたいのであるが、すでに地元ではいろいろな動きがあり、直接関わっていない私があれこれ書くのはかえって迷惑をかけることになりそうなので、しばらく静観することにした。いずれにせよ、現在釣り禁止の看板が立っている溜め池では、絶対に釣りをしないようにしていただきたい。 さて、それとはまったく別の話である。このWebサイトの「ダム湖&河川」の猪名川&藻川のところで「猪名川&藻川にワンドを作ろう運動というのを考えています」と書いたものの別段何をしているわけでもない(とはいっても当時は河川法だとかいろいろ調べることは調べたけど)。そんな私の思惑とは無関係に、今年に入って藻川の一部にテトラが入っているのだが、これが岸から沖に向かっての突堤状になっており、ワンドとまではいかないものの緩流域ができているのである。
場所は通称メダカワンドのかみ手左岸の導水管のあたり。尼崎東高校の対岸である。この少しかみ手のグランドのところでは、だいぶ前に竿を出したことがあり、当時は結構ヘラ師がいた。だが最近はグランドからメダカワンドにかけては全般に浅くなり、一方で大雨のたびに岸が削られて地形がかわったりしていた。撮影時は工事関係者がいなかったので工事の目的を詳しく聞いたわけではないが、基本的にはそうした治水面での工事であろうと思われる。 このあたりは感潮帯のため潮位によって水深がかわるが、満潮時であれば突堤の先端回りなら一本前後の水深はありそうだ。うまくいけばヘラ釣りができなくもなさそうである。ただし付近には駐車スペースは皆無であり、竿が出せるのも数名が限度となるが。 さて、前述のように工事の経緯まで調べたわけではないので、あくまで現状から判断しての主観的な話をさせてもらうが、ワンドというほど大きな溜まりではないにしても、少なくとも現時点では生物にとって住みやすい環境が造られたといえるのではないだろうか(水量との関係もあるので一概にはいえないが)。「数名ならヘラ釣りができそうだ」と書いたものの、釣り場になり得るかどうかは二の次である。まずは魚や他の生物が安定して繁殖できる環境であること。それが実現すれば、下流の水深のあるポイントももっと魚影が濃くなって結果的に釣り場が広がるわけだから、このテトラの突堤そのものが釣り場になる必要はないのである。たまたま予算の都合でこうした形態になったのか、それとも私が考えているように自然環境に配慮してのものなのか、それはわからないが、私は今回の工事は結果的にいい方に向かうのではと捉えている。「いい方」というのも私の主観でしかないのだが。 ▲閉じる(2008/06/18) |
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昨年アップロードするのを忘れていたため少々古い話になったが、せっかくなので公開しておきたい。 2007年の梅雨時期には台風の上陸が重なったことなどもあって、総体的な雨量はともかく、梅雨時期らしい天候が続いた。そしてそれにより我が家の横を流れる一級河川淀川水系猪名川支流最明寺川もかなりの水量となった。そして、農繁期のため下流部の県道13号線しも手のゴムチューブのセキと、JR川西池田駅近くの前川雨水ポンプ場のゲートがともに閉じられたことから(これら以外に水位調整のできる大きなセキはない)、それぞれ50メートルほどの区間が最深部1メートル足らずの湛水域(バックウォーター)となった。 会社帰りや息子の自転車の練習がてらにポンプ場の湛水域をちょいちょい覗いていたのだが、梅雨明けごろにカワムツが繁殖していた。どうやら大水で上流部から流下してきたのと、産卵時期が重なったようだ。ゲートの構造からして猪名川から遡上してきた可能性は低い。また、8月末には多数のオタマジャクシと、さらにフナ系かタナゴ系か不明だが、明らかにカワムツとは違う菱形の5〜6センチの小魚も何匹か見られた。 このページの「淀川水系の片隅に生まれて…」でいいたかったのはこういうことなのである。農閑期には何の生命反応もなかったのに、季節がかわって水が動けばこうして小魚がいる。そしてそれを狙ってアオサギなどの野鳥も飛んでくる。ちなみにカルガモの一団もいる。それと毎夏のことだがコウモリが多数飛んでいる。これはいろいろな昆虫が発生するからだろう。この状態が一年中続かなくてもいいのだ。毎年同時期に繰り返されることが大事なのだ。まあ、理想をいえば魚は流下していくばかりではなく、本流である猪名川からの遡上も含めて、上流部へ帰って行く群れがあれば本来の(自然環境としての)河川の姿を取り戻すことになるのだが。こればっかりは三面護岸という根本的な問題が解決しない限り困難だ。 話が逸れるが、同じ猪名川流域でも一庫ダムより上流に目を向けると、大路次川も田尻川も瀬と淵の連続する渓谷状の地形をしている。さらに上流へ行くと護岸化されてはいるが、川床は比較的自然のままの状態で残っているところが多い。周辺の人口密度が違うし、水量自体が最明寺川と比較にならないくらい多いせいもあるだろうが、それを差し引いても、地形の変化の多さが生物の多様性を維持していることは明らかだ。瀬落ちで流れてくる餌を待つオイカワ、岩の下などに隠れているギギやムギツク、浅瀬にへばりついているヨシノボリ、トロ場にはカマツカやカワムツと、地形の変化が多いぶんだけ住みわけができるから魚種も多様なのである。もちろんそれらの餌となるカワゲラの幼虫なども、岩が多いからこそ豊富にいる。ついでにいえば、減ったとはいえホタルもまだまだ見られるし、源流部には天然記念物のオオサンショウウオがいるぐらいだ。 最明寺川に話を戻すと、同じ猪名川流域でありながら三面護岸のせいで魚の生息に適した地形は上流部の一部にしかなく、近年ではその上流部でカワムツを確認しているのみだ。併流する寺畑前川も三面護岸になってから魚は姿を消してしまった。ではポンプ場のゲートの湛水域にいるフナかタナゴのような菱形の小魚はどこからきたのか? 補給源として考えられるのは、私が「カエルの池」と呼んでいる、上流部にある溜め池である。オタマジャクシも流下してきたぐらいだからそう考えて間違いあるまい(流下してきた時点では卵だったのだろうが)。カエルの池はハスが繁茂していてウシガエルとスッポンとクサガメはよく見るが、魚もいたわけだ、多分。それが梅雨時期に産卵し、稚魚が大水で最明寺川中流部まで流下してきた。そんなところだろう。他にも溜め池はあるが、最明寺川に繋がる経路がはっきりしないので何ともいえないのである。
ここからが本題なのだが、カエルの池をはじめこのあたりの溜め池はほぼすべて全面金網張りで立入禁止である。つまり子どもが遊べるような環境ではない。そんな中、2007年の夏に最明寺川で魚捕りをする子どもの姿を何度か見かけたのである。少なくともここ数年では初めてのことだ。誰が意図したわけでもないのだが、大水のおかげで最明寺川で魚捕りができるようになったのである。マンションのロビーに水槽を並べて獲物を見せ合っている子どもらがいたので見せてもらうと、ヨシノボリとカワムツらしき稚魚(子どもらはゴリとメダカだといっていたが。ゴリは琵琶湖にしかおらんやろ?)が入っていた。 近年、子どもの遊びといえばゲームが主流といわれる。また、たとえば野球ひとつやるにしても親がつきっ切りで少年野球チームの面倒をみなければならない。でもそれは大人がそうした環境を作ってしまったからだ。身近に魚がいれば子どもは勝手に釣りや魚捕りを始める。広場があれば野球でも何でも勝手にやっている。そうした環境と子どもたちの自発性こそが、釣りや野球の人気を底辺で支えていたのではないか? 学力の低下は子どもたちのせいか? 大人が教育を放棄したからではないのか? ゲームを作ったのは子どもか? 買い与えるのは親やろ? 子どもが外で遊べないのはいい年こいた連中が無謀運転による交通事故や凶悪事件を平気で起こすからではないか。 野球とか学力とか話がごちゃごちゃになってきたが、要は何でも同じなのだ。環境がすべてなのだ。底辺がしっかりしているから頂点があるのだ。下半身がブレてしまっては、いくら腕力があってもいい打撃や投球はできないのと同じだ。だからもっとじゃんじゃん雨が降って、立入禁止の溜め池なぞはオーバーフローしまくればいいのである。そして最明寺川を、子どもが川遊びのできる環境にしてくれればいい。オーバーフローしても、他の外的要因(水質悪化とか大減水とか)がなければ減ったぶんだけ魚はまた増える(もとに戻る)から心配ない。自然環境とはそういうものだ。 理想をいえば溜め池を頼らずとも、最明寺川自体の生産能力(魚などの繁殖が可能という意味)が向上するのが一番だ。だが中流部の三面護岸に関しては現時点では致し方ない面もある。というのは一部が天井河川となっていて両岸の地面よりも川床の方が高いところがある(土手がなければ洪水になる)からだ。天井河川ということは、護岸化されていない完全な自然の川床だと浸透圧の関係で水が地下へ浸透しやすくなる。水は高いところから低いところへと集まろうとするから当然だ(水自体がそうしようとするのではなくて重力を受けるからであるが)。極端な話、放置すれば漏水により両岸の地面は湿地化するし堤防は決壊しやすくなる。一方で河川は渇水を繰り返すことになってしまう。河川改修があとで、農地化や宅地化が優先されたことのツケなのだろう(そこに住んでいる私がいうのもおかしいが)。三面護岸でありながら、その上に大小の岩を配置するとか、何かいい手はないんでしょうか? とまあ、ここまでが2007年の秋までにまとめた原稿である。その後、一部でブラックバスが数匹見られて「こらまずい」と思ったが、農閑期になってゲートが開くと当然湛水域はなくなり、生命反応も終息に向かった。魚たちはほぼすべて猪名川に落ちのびたようだ。2008年はどうなるのだろう。6月中旬現在、ゲートは閉じられているが雨量が少なく、魚が流下してきている気配は少ない。2008年こそ、いっぺんは我が家の横で釣りをしてやろうと狙っているのだが。 ▲閉じる(2007/09/05、一部加筆訂正2008/06/18) |
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私はどちらかといえば野釣りが好きであるが、だからといって管理池が嫌いというわけではない。ていうか、たまたま個人で釣行するときは大型を狙ってダム湖へ行くことが多かったというだけで、野釣り場も管理池も特に区別して(好き嫌いという次元で)考えたことはない。楽しみ方の質に若干の違いがある程度だと思っている。 まあそれはともかく、中部〜関西の管理池(床釣り専門の箱池も含む)は今、危機的状況にある。2005年以降に聞いただけで、8軒ほどが廃業されたのである。もともと中部〜関西には、2003年に別冊「特選西日本管理池のヘラブナ」を発行した時点で70軒前後の管理池があった。ということはほんの3〜4年で1割強がなくなった計算になる。
おそらく野釣り派の釣り人は「対岸の火事」程度にしか感じていないであろう。だが、私は管理池の危機は、巡り巡って野釣り場の危機にもなると考えている(ていうか当然のことだがヘラ釣り界全体への影響が大きい)。 いつもながら回りくどい話になるが、まず管理池が減少することで、養魚業者も減ってしまうことになる、ということを認識してほしい。需要がなくなれば供給する側もやがて衰退するのは当然の成り行きである。「関東ではまだまだ盛んではないか」と思うだろうが、近年関東に出荷されているのは多くが俗にいう四国産であり、河内産の養殖ベラ(カワチブナ)ではない。実際、新聞によると大阪府下のヘラブナの養魚業者は全盛期の三分の一にまで減少したそうだ。河川やダム湖の漁協にしてもカワチブナを買って放流しているところはそれほど多くはない。通常は溜め池の水利権者にいくらかの謝礼を払って網を入れて捕獲したものを放流するケースがほとんどだ。 話が長くなるので簡単にまとめるが、近年の関西の野釣り場で小ベラの姿を見ることがなくなった。つまり高齢化である。一方でバス・ギルにかわってカワウ(鵜)による食害が激増している。極論すれば、この先ヘラブナが全滅する野釣り場も珍しくなくなってくるのだ。そんなときに補給源となる養魚業者がいなければどうなるだろうか。残った野ベラを掻き集めてどこかのダム湖で自然放養する? じゃあそこでも高齢化と食害に遭ったらどうする? 養魚技術が失われるということは、ヘラ釣り自体の消滅に繋がるとは考え過ぎだろうか??? 管理池に話を戻そう。管理池の利用客は、バリバリの競技志向の釣り人だけではない。地元の高齢者などが結構な割合を占めている。ではその池が廃業すると、それら地元の釣り人はどうするのか。これは実際に調査したわけではないが、すぐ近くに他の管理池や逃げ場となる野池があるならまだしも、そうでない場合は池が廃業した時点で釣りをやめてしまう例が多いとよく耳にする。ということは、管理池の廃業はヘラ釣り市場の縮小に直結しているわけだ。また、近年「管理池ブームが去って、野釣り場に転向してくるヘラ師が多い」とも聞くが、それは都市部に近い一部の野釣り場だけのことで、野釣り全体が賑わっているわけでは決してない。やはり関西全体を俯瞰すれば、管理池の減少とヘラ師人口の減少は正比例しているとしか思えない。 とはいっても、商売として成立しなければ廃業も仕方がない。それに、何軒かの管理池では商売云々よりも、跡継ぎがいなかったり、一代限りの契約で水利組合から池を借りているので現在の池主が亡くなった時点で返さなければならないとか、継続しようにもできない理由があるようだ…。 何か話があっちゃ飛び、こっちゃ飛びになってしまった。実はこのあと私なりの結論を用意していたのだが、ちょっとこれを書いてしまうと現状では問題があるように思うので、もう少し時間が経つのを待ちたい。単なるボヤキになってしまい申し訳ない。このところ何もしていないのにあることないこといわれて困っているので(何もしていないからいわれるのか?)、丸山らしくないがおとなしく終わっておきます。 ▲閉じる(2007/08/09) |
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ここ数年「関西のダム湖に異変が起こっている」と私は感じているのだが、皆さんはどうだろうか。ひとことでいえば「春に満水位まで上がるダム湖がなくなりつつある」ということだ。エン堤工事や橋梁工事が相次いでいるのは確かだ。年回りによっては春先の降雨量が極端に少ないときもある。だが果たして理由はそれだけなのだろうか? また、水位に関係すると思われるのが、ハタキの規模の縮小傾向である。私自身、年々釣行回数が減っているのではっきりとはいい切れないが、ひと昔前のように「ひと晩中ドバドバにハタいていた」というような大規模なハタキに遭遇しなくなった。いわゆるダラダラバタキが多くなったように思うのだがどうだろうか? ここでまず、ダムというものをいくつかの形態に分類したい。 大前提として、ダムとは河川や谷をせき止める構造物であり、その堤高が15メートル以上のものとされている。それ未満のものはセキ(堰)である。木曽川の馬飼大堰や加古川の加古川大堰などは、あんなにデカく見えても堤高が15メートル未満なので「ダム」とは呼ばれない。反対に、兵庫県の長谷大池とか岡山県の滝谷池などは、貯水池名としては「池」であり見た目もいわゆる山池ではあるが、堤高15メートル以上なので管理上は「ダム」である。 そのダムを目的別に分類すると、
などがある。 よく「野池は釣り禁止になることがあるが、ダム湖は釣り禁止にならない」と認識している人がいる。だがこれは大きな間違いだ。なぜなら、ひとくちにダムといっても管理者はさまざまであり、それぞれの理由において釣り禁止にすることは可能である。たとえば揚水式の発電専用ダムなら「水位の増減が激しいので事故防止のため釣り禁止」といわれてしまえばそれまでだ(かつての天ケ瀬ダムはそうだった)。上水道用水専用ダムなら「水質保全のため釣り禁止」といわれるのは目に見えている。ただ、旧建設省(現国土交通省)や旧水資源開発公団(現独立行政法人水資源機構)の管理するダムは「国民の税金で造ったものだから」という理由なのかどうなのか、釣り禁止になる例はまずない。このあたりを混同してしまって「ダム湖は釣り禁止にならない」と思われるのだろう。 もうひとつ、釣り場としてダム湖を見た場合、漁業権が設定されているかどうか、という違いもある。漁協が存在していて、その漁協が遊漁を認めている場合であれば、いくらダム管理者といってもそう簡単には釣り禁止にできない。これはダム建設における補償問題などにも関係してくるからだ。だが、漁協が存在しないダム湖もある。香川県などはほとんどそうだ(だから網入れし放題なのであるが)。香川県のダム湖で釣りができるのは、いわば管理者の厚意のおかげである。一方で兵庫県のいくつかのダム湖では、漁協が存在せず、目的が上水道用水や灌漑用水のため釣り禁止になっている例もある。「上水道用水はわかるが、何で灌漑用水で釣り禁止やねん?」と思われるかもしれないが、灌漑用水専用ダムだと水利権者が地元の農民ということが多く、いわば溜め池と同じ扱いになる。兵庫県、特に播州平野の農民が、釣り人に対してどんな感情を持っているか、ということを考えれば釣り禁止になる理由は明白である。 前置きが長くなったが、今回テーマとして取り上げたいのは「治水を主目的とした多目的ダム」についてである。 長年ダム湖に通っているダム師の方ならお気づきだろうが、ここ数年関西では、冒頭で書いたように春に満水位まで貯水するダム湖が少ない。あるいは、一時的に満水位まで上がってもすぐに減水してしまう。 通常治水ダムは、梅雨時期〜台風時期の急激な河川の増水を防止するため、6〜9月は制限水位期となり低水位で安定している。そして仲秋のころからゲートを閉めて増水し、晩秋〜早春は満水位近くを維持する。そして雪解けや菜種梅雨によって満水位まで増水することから、3〜5月に乗っ込み、そしてハタキがあるわけだ。だが近年は、その肝心な3〜5月に中途半端な水位で増減を繰り返し、まだ制限水位期でもないのに次第に減水してしまうのである。そのため乗っ込み期らしい釣りができるのは早春の一時だけで、ゴールデンウイーク前後などはハタキ後の一服状態も手伝ってまったくの低調、というのがこのところの流れだ。「せっかく冬場に草刈りをしてポイントを作ったのに、そこまで水位が上がらなかった」と嘆いている方もおられるだろう。 雪解けや菜種梅雨での増水を見越して魚道を作ったり下見を繰り返し、天気図とにらめっこしながらそのポイントに乗っ込みベラが入ってくるタイミングを見計らう。こうした「自然環境の変化を目安にヘラブナの行動を予測する」という部分こそ、ダムヘラ釣りならではの野性的なおもしろさなのだと私は思っている。だが、近年の治水ダムではその目安自体を人為的に(強制的に)コントロールされてしまっているのが現状なのだ。もちろん制限水位期になれば減水するのは百も承知だが、せめて春の間だけは、やれ「温い雨が降った」だの「気温が急に上がった」だのと一喜一憂させてほしいのである。 ではなぜこんなことになってしまったのか? おそらく、洪水防止のために水位調整の計画を見直しているダム管理者が多いのであろう。もちろん、利水上の問題がいろいろとあるので、大っぴらにそれが公表されることはないだろうが、当たらずとも遠からずだと思う。6月に早くも渇水で取水制限のでそうなダム湖があるのが何よりの裏づけである(これ以上書くとヤバいかな)。 また、特殊なケースだが先日ある筋からこんな話も聞いた。とあるダム湖では、ここ数年春に満水位となることがなくなった。その理由は、満水位になると上流部に釣り人が集中し、迷惑駐車や夜間の騒音などで地元住民とのトラブルがあり、それを防止するためなのだそうだ。このダム湖には漁協が存在するため釣り禁止にするわけにはいかず、管理者の苦肉の策のようであるが、そもそもの原因は釣り人側のマナーのわるさにあるとはいえ、ここまでされてしまうとさすがにシラけてしまう。 とまあ、ボヤキばかりになってしまったが、ネガティブな話はここまで。来シーズンに向けて前向きに捉えてみよう。 要するに、関西のダムヘラ釣りは(治水ダムでは)、ひと昔前とは狙い方がかわってきているということだ。前述のように、ゴールデンウイーク前後に乗っ込みを期待するなんて無理(まったくないわけではないが)。よく関東方面の読者の方から「連休に関西や四国へ行こうと思うんですが」というお便りや電話をいただくが、はっきりいってそれだけの時間と予算があるのなら東北とか房総とかの、あとあと通えるダム湖を開拓しに走った方がよっぽどいいと思う。まあそれは個人の好みの問題なのでどっちでもいいが(どっちでもいいなら書くなよ)、とにかく、いわゆる乗っ込み狙いの釣りが普通に通用するのは4月上旬までで、それ以降は水位に応じて柔軟な対応をしていかなければならないように感じている。私自身、何か具体的な案があるわけでも、実績を上げているわけでもないのだが、たとえば減水が始まったらハタキ場はスッパリ諦めて長竿で深場を狙うとか、ボートでミオ筋の上を狙うとか、時期に捕われない発想で、新たな狙い方を確立させてほしいのである。 といっても、私が心配するまでもなく、ダム師たちは皆柔軟に対応していくであろう。そこに新たな発見もあるだろう。ダムヘラ釣りにはまだまだ野性が残されているはずだ。それを信じたい。 最後に、今回の本音は、3月下旬までそこそこ釣れていたらしいのに、私が活動を開始した4月に入っていきなり減水した一庫ダムについてボヤきたかっただけなのである。 ▲閉じる(2007/08/09) |
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下の記事にあるように、私が生まれ育った猪名川流域は実は管理上は一級河川淀川水系なのだ。淀川の放水路である神崎川の河口付近に合流しているからなのだが、以前は「ほとんど海みたいなとこで合流してるだけなんやから、猪名川は猪名川で独立した水系と考えるべきでは?」と思っていた。しかし、現在の猪名川の生物相(といっても魚だけだが)を知れば知るほど、淀川(ていうか琵琶湖)との繋がりの深さは疑いようもなくなり、今では猪名川が淀川水系であることを納得している次第だ。
さて、その淀川であるが、かつてはここから水を引いて大阪市内(江戸時代だから大阪市じゃなかっただろうけど)には縦横に運河や水路が流れていた。今でもそれらのいくつかが残っている。たとえば道頓堀川もそうだ。また、今では城北川と呼ばれている城北運河もそうで、ここはヘラ釣り場としても知られている。ただ、いずれも両岸が護岸化された直線的な河川で(もともと人工的に造られた掘割がほとんどだから仕方ないが)、周囲はオフィス街や住宅地であり、ヘラが釣れるとはいっても高い柵を乗り越えてテラス状の護岸の上から竿を出すようなスタイルであるが。 東住吉区の杭全(くまた)交差点の近くを流れる今川(平野川?)もそうした運河・水路のひとつで、やはり両岸とも垂直護岸&高い柵に囲まれている。川幅も数メートルしかなく、パッと見た感じでは河川というより排水溝でしかない。しかし、こんなところだが意外と釣り人が多い。釣り人といっても本格的なヘラ師ではなく、振り出し竿にセルウキ、餌は米粒というのがほとんどだが。そして川の中をよく見ると藻が多く、その藻穴にはマブナらしき魚影がたくさん確認できる。実際に釣ったわけではないが、同じ水系なのだからヘラブナもいるかもしれない。 「何もこんなところで釣りをしなくても…」と思うかもしれない。しかし下の記事の緑ケ丘公園同様に、さまざまな事情でここでしか釣りができないという人もいるわけだ。特に大阪市内は、淀川という水の恵みがあったために、溜め池はほとんどない。昔はあったのかもしれないが、少なくとも今は皆無に等しい(市内でヘラ釣りができるのって、長池&桃ケ池ぐらいか?)。だからこんなところででも竿を出すしかないのだが、不思議なもので、こんなところしかなければないで、釣り人はどこからともなく集まってくるのだ。順応性とでもいうのだろうか。城北川にしたって、駐車場もないような釣り場だが、地元の釣り人は自転車でせっせと通っている。「ちょっと走れば淀川のワンドがあるのに」とも思うが、高齢者が自転車に釣り具を載せて、しかも交通量の多い市内を5〜6キロも走るのはしんどいものなのかもしれない。少々景観や釣趣に欠けても、近場で手軽に竿を出せる方がいいのだろう。
ここで何をいいたいのかというと、名古屋市の市民釣り場のように「住宅地の近くで、駐車場や水洗トイレといった設備があり、階段護岸で釣り座が確保されていて、何よりも行政が公的に釣りを認めている溜め池」が関西にもたくさんできてくれることが私の理想であり夢なのであるが、その土台となる溜め池がなくても、運河・水路をちょっと整備し直すだけでもそれなりの釣り場になる、だから市民釣り場(池)が無理でも、小規模河川の整備を単なる治水だけで終わらせずにもっと公園化を考えてくれ、ということだ。駐車場がなくても構わない。地元の釣り人が自転車で釣行するだけでもいいではないか。下の記事との若干の矛盾点も感じないではないが、魚については、淀川のような大きな補給源と繋がっていれば、繁殖こそしないだろうが(藻場があるから繁殖可能か)、釣り人が楽しむ程度の魚影は確保できるはず(勝手に遡上してくれるはず)。淀川水系にはそうした「運河釣り場・水路釣り場」の候補地がいくつもある。水の都が再生されることを願う。 ちなみに城北川では私も一度竿を出したが、現役の運河なので水門の開閉があり、水位や流れの強弱が刻々とかわる。流れのあるときは短めの竿でのドボン釣りでヘチを狙うのがいいようだ。型は40センチ前後まで出ていると聞いた。 ▲閉じる(2007/04/05) |
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我が家の近所に最明寺川という小さな河川がある。小さいといっても淀川水系猪名川支流であり、最上流にある最明寺滝は鎌倉幕府五代執権の北条時頼が出家して最明寺入道を名乗り、諸国を旅していたときに発見したものであり、最明寺川という名もそれに由来するという、由緒ある河川だ。私が小学生のころ(1970年代後半〜1980年代前半)は、汚いなりにも小動物が多く生息しており、玉網でガサガサと掬っているとメダカ・マブナ・オイカワなどの小魚やタイコウチ・ミズカマキリなどの昆虫がよく採れた。たまにクサガメなんかもいた。それに、流域にはまだ水田も多く、アメリカザリガニやドジョウ、当時は何だか不気味で謎の生物だったが今から思えばホタルの幼虫もいた。カブトエビやオタマジャクシなど、それこそ無尽蔵に思えた。猪名川との合流点ではよくマブナ釣りをしたものだ(私は仲間内で一番ヘタだった記憶がある)。 そんな最明寺川だが、今や生命反応はほぼ皆無。いわゆる三面護岸となり(往時も両岸は護岸化されていたが)、水量もなぜか少なくなり、たまにサギやアイガモが羽を休めているが「お前ら、餌あんのか?」と聞きたくなる。阪急電鉄・山本駅から上流だと、滝までの間のいくつかのトロ場でカワムツが見られるが、中〜下流部はダメだ。水質が悪化したとは思えない。確かに住宅地は広がっているが、同時に下水道の普及率も高く(何しろ周辺は高級住宅地である)、むしろ往時よりもきれいになった印象がある。泡立って淀んでいるようなところはほとんどない。なのになぜ魚や昆虫は消えてしまったのか。いうまでもなく三面護岸となって生息に適した地形ではなくなったからだ。ダム湖などでもそうだが、出っ張りとワンド、深場と浅場、蛇行の内と外、というように地形の変化が多いところは、生命感に満ちている(私がそう思うだけ?)。それは、時期や天候に応じて生息場所(あるいは産卵場所)をかえられることで、身を隠せ、繁殖が盛んになるからだろう。いくら水質が良好でも、一直線でまったく変化のない流れでは、魚も昆虫も生息(繁殖)できない。 今さら護岸化をとやかくいっても仕方がない。もともとここにいた小動物たちは還らない。だからあとは、残されたものを維持していくしかないのだが、行政は相かわらずバカなので自然破壊はとどまるところを知らない。この最明寺川のさらに支流に、寺畑前川という、それこそ排水溝ほどの規模の小河川がある。ここも両岸が護岸化されてはいるが、川底には多くの藻が残り、近年までかなり生命反応があった。実際に玉網を突っ込んだわけではないので詳しくはわからないが、マブナとカワムツは普通に見られた。だが数年前、ここも川底までコンクリートで固められて三面護岸になってしまった。水位も低くなり、一部に藻が残ってはいるが魚はまったくいない。上流に調整池を造るとかで工事をしているが、完成予想図を見る限り、池を中心とした親水公園とかいう構想はまったくないようで、目的もわからない(わかるけどそれを書いたら収拾つかないので)。
行政がバカだと書いたのは、本流(この場合は猪名川)の自然環境を維持しようと思えば、こうした末端の小河川や溜め池こそ大事にしなければならないということが、まったくわかっていないからだ。いや、本流の自然環境を維持しようとも思っていないのか? だったら救いようがないが。人間の体にたとえるなら、本流は動脈と静脈、支流やその先の溜め池は毛細血管だ。毛細血管が機能しないということは、手足の末端に酸素が届かず壊死して、いずれは身体の自由が奪われるわけで、動脈と静脈だけが活発に働いていても、全体としては活動できないということになる。つまりその水域・水系全体で食物連鎖などの生態系を考えなければ意味がないということなのだ。 私は科学者でも何でもないが、釣り人の目で見てもそのくらいのことはわかる。それどころか、すでに猪名川下流域の自然環境はどんどん悪化しているように思う。定期的に竿を出しているわけではないが、往時よりも魚種が少なくなったように感じている。水質自体は最明寺川同様に往時よりもきれいになっているはずなのに。近年はニゴイの小さいのがよく釣れる。一説によるとこれが増えると環境としてはあまりよくないらしい。往時はモロコ類(たぶんタモロコやコウライモロコだっただろう)・オイカワ・モクズガニなどがよく釣れた。今は下流域ではあまり見られない。 ただし、上流域はまだまだ魚種は豊富だ。本流はともかく、支流の大路次川や田尻川は一庫ダムより上流だと「さすが、腐っても淀川水系」と感心してしまうほど、いろいろな魚がいる。だから、まだ猪名川は「終わった」わけではない。一庫ダムの存在も、わるい面もあるだろうが、少なくとも魚の補給源として今後のことを考えるのなら大事になってくる。幸い一庫ダム管理所と漁協は自然環境の維持にも積極的で、相かわらず多い糞ブルーギルを捕獲・廃棄するなど頑張っている。今はまだ無理だろうが、武庫川水系の青野ダムではダムサイトの上と下を繋ぐ長大な魚道が造られてすでに運用されているというし、いずれ一庫ダムにもそうした設備ができれば、ある意味猪名川流域の自然環境を維持するための巨大養魚場として機能するのではないかと夢みたいなことを考えている。もちろん、そうした補給源と支流を繋ぐためには、三面護岸や直線的な河川改修などの、支流自体にある問題も解決せねばならないが。 そもそも河川と魚との関係というのは、大水で下流へ押し流されたり、餌場を求めて遡上したりという上下移動を繰り返す中で、新たな命が生まれ、また世代を繋いでいくものだと思う。だから流れを寸断してもダメ。一直線に流れっぱなしでもダメなのだ。繰り返すが、身を隠す場所がなければ魚も昆虫も生息(繁殖)できない。「食う寝るところに住むところ」が大事なのは人間だけでなない。 ▲閉じる(2007/04/05) |
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古くからの読者ならご存知だろうが、私は以前から「溜め池(野池)の釣り場を維持するには、有料化か公園化しかないのでは?」と書き続けてきた。もちろんこれは極論だが、少なくとも本来の溜め池のままでは常に「釣り禁止」の危機にさらされるのは間違いない。 さて、2007年3月号に掲載した通り、兵庫県稲美町では現在「いなみ野溜め池ミュージアム」と銘打って、既存の溜め池を整備し直して公園化し、地域住民の交流の場および広域避難場所として活用するなどのプロジェクトが進行中である。本誌で紹介したところでは加古大池と天満大池が、すでに整備も終わり公園として開放されている(駐車場があるので、最低限のマナーを守れば釣りをしても問題ないと判断したので掲載した)。ただ、勘違いしてはいけないのは「公園化イコール釣り場化」とは簡単にはいかないということだ。加古大池の管理事務所で聞いたところ、釣りはしても構わないし、実際に釣り人も多いとのことだった。だが、公園の案内看板には「釣りができます」とはどこにも書かれていない。愛知県の市民釣り場のように行政が管理している釣り場とは、微妙に異なるところに注意してほしい。卑屈な考え方かもしれないが、まだ釣り人は正式に公園利用者としては認められていないのではないだろうか。これも本誌で書いたが、釣り人は試されているのだと思う。迷惑駐車・ゴミのポイ捨て・早朝からの騒音と、釣り人はこれまで、溜め池の地元住民にとってまったくありがたくない存在だった。そうした迷惑行為を繰り返すのか、それとも今後のことを考えてマナーを守った行動を取るのか。それ如何で、野池の釣り場の未来が決まるのではないかと思う(少なくとも東播地区においては)。
話はかわるが、我が家の近所にも公園化されている溜め池がいくつかある。いずれも伊丹市になるが、昆陽池(こやいけ)公園、瑞ケ池(ずがいけ)公園、緑ケ丘公園である。公園化されてはいるが、すべて釣り禁止である。緑ケ丘公園には二つの池があり、西側の池は浅いが、東側の池はスリバチ状にかなり深く、私の父の話では昔からヘラ釣りが盛んだったようだ。だが、周辺には駐車スペースがないし、住宅地に囲まれている。そうした経緯で釣り禁止になったのであろう。それでも、現在でも多くの釣り人が竿を出している。「釣り禁止」の看板の前に堂々と釣り台を置いて。以前の私であれば「釣り禁止って書いてあるんやから、どんな理由があれ竿を出すのはダメ」と頭ごなしに書いただろう。しかし、それはあまりにも一方的な見解ではないだろうかという気が、最近するのだ。 見た限りではほとんどの釣り人は自転車かバイクでこられている。そして高齢者が多い。おそらく地元の釣り人で、昔からこの池に親しんできたのだろう。「他の釣り場には行ったこともない」という人も結構いるのではないか。いや、行きたくても行けない(交通手段がない)というところだろう。おそらくこの人たちにとって、この池が唯一の釣り場なのだ。つまりこの池にしか自身の楽しみがない、自身の存在を問う場所はここしかないのだ(聞いたんか?)。50上釣りたさに釣り禁止のダム湖や野池でこっそりナイターをするのとは、わけが違う。だから、あまり一方的に「釣り禁止って書いてあるやんか」とはいえないのだ。「釣り禁止」の看板を背に竿を振るのは、一体どんな気持だろう。他の公園利用者から白い目で見られているのを承知で、ここに座り続けるのはなぜだろう。そう思うとむしろ「公園なんやから、周囲に迷惑をかけへん限り、釣りぐらいしたってええやんけ」と、公園管理者(この場合は伊丹市)にいいたくなるのである。 だがしかし、ここからが本題なのだが、じゃあ釣りをするというのはどういうことなのだろう。釣り人にとっては単なる遊びであり、前述の三悪(迷惑駐車・ゴミのポイ捨て・早朝からの騒音)さえなければ、何も問題ないように思える。では見方をかえて他の公園利用者はどう思っているのだろうか。日焼けしたオッサンが同じ場所にずっと座り続け(特にヘラ釣りの場合)、背後から「釣れますか?」と声をかけても不機嫌そうな顔だったり愛想わるかったり、アタリがなければ品のない言葉でボヤいてみたり、たまにワイ談をしたりと、あまりいい印象ではないのではないか?
と思えてくる(釣り人としての自分の姿も思い返して)。まあ、これは多少地域性もあって、たとえば四国とか岡山とか中京だと、散歩にきた人などが気軽に声をかけてくれるものなのだが。
話を戻すと、加古大池で感じたのも、そういったことなのである。駐車マナーとかだけの問題ではないのだ。「オレは釣りをしてるんや!!」というヘンなオーラが出ていて、他の公園利用者を知らぬ間に威圧しているのではないかと思う(これまた卑屈な考え方かもしれないが)。これは特にヘラ師とバスマンに多く感じる。何か自分がすごいことをやっているような錯覚があるのかもしれない。緑ケ丘公園で釣りをしている人たちがそうだというのではなく、これまでに他の釣り場で何度も感じてきたことなのだが、一般人の目で背後から見ていても釣りの楽しさなど伝わってこないのだ。そんな雰囲気のわるい連中は公園利用者として適していないと見られても仕方がないのではないか。たとえちゃんと税金払っていても。 結論に入ろう。上記のようなことから、釣り場造りの一環として、釣り人と他の公園利用者との交流は、実はとても大事な要素なのではないかと考える。たとえば釣り人が中心になって定期的にその池の清掃活動をして、他の公園利用者にも参加を呼びかけるとか。そうやって地域に釣り人の存在を認めてもらってこそ、大手を振って釣りができるのではないだろうか。特に今後は高齢化社会を迎え、近郊のこうした黙認釣り場(?)はクローズアップされてくるはずだ。地元住民の理解なくして、釣り場造りなど不可能である。まずは挨拶からでも始めましょう!! ▲閉じる(2007/04/05) |
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技術解説「講釈たれるデ〜」ですでに「めざせ!! ダムマニア」というページを作ったが、ここでは近年のダム建設についてちょっとだけ考えたい。実は今後10年ほどの間に、西日本には大小のダム建設が多数計画されている。以下に代表的なものをまとめてみた(何を基準に代表なんだか)。
それから次に、平成に入ってから完成したダム湖の一例をあげてみた。
このように、平均して1年に1個所ぐらいはどこかにダムが建設されていることになる。この他にも山口県の末武川ダムや中山川ダムなどが平成に入ってから完成している(はず)。また、総貯水量が4000〜5000万トンを越える大規模なダム湖も意外なほど多い。 正直なところ、布目ダムのような例があるせいもあって新たにダム湖ができることは私は嬉しい。公的には野池での釣りがほとんどできない現状では、ダム湖の釣り場が増えるのはありがたいことだと思っている。しかし、それは単に釣り人として考えた場合の話であり、社会人という広い視野で考えると必ずしも喜べるものではない。まず何よりも、河川をせき止めることでの自然環境の変化である。ヘラブナ以外の動植物のことを知らないという無頓着な人間はこの際放っておいて話を進めるが、源流域〜渓流に人の手が入るということが巡り巡ってどれほど大きな影響になるのかと思うと、今後のダム建設には反対という立場を取るべきではと思ってしまう(だから今のところ私は渓流釣りはしないつもりだ。憧れはあるが)。 次に、建設に使われる税金が問題だ。確かに、公共事業を一気に縮小すると、建設業に従事する何万人という人が職を失い、これはこれで国の経済を左右する大問題となる。だが、ある意味で必要以上のことをしてムダに税金を使ってきた(あるいは使ったフリをして横流ししてきた)歴史は、20世紀とともに終わりにしてほしい。まあ、この話はここまで。 この秋に、ヨメが温泉とバイキングに行きたいというので、三重県の美杉リゾートへ行った。名阪国道の上野インターから山越えで美杉村へ行く途中、とてもきれいな河川の横を通った。水の透明度、流れの音、周囲の緑と、私は仕事柄ある程度見慣れた風景だったが、ヨメはかなり感激していたようだ。またその河川だけでなく、流域の素朴な農村の風景も私たちには味わい深いものだった。しかし、実はここは川上ダムの建設予定地だったのだ。何年後かには、この風景も水の底に沈んでなくなる。それは単に物質としての消失だけでなく、私たちのようにここを訪れてその風景を思い出として心に刻んだ者にとっては精神の消失でもある。 本誌の2001年の九州遠征では、そんなことばかり書いた。つまり、ダム湖ができる以前にはそこに人々の生活があり、それらを犠牲にした上で我々は釣りをさせてもらっているということである。予想どおりというと何だが、まったく何の反響もなかった。誰も読んでくれなかったのか(その方がまだ救われる)、下らないと思われたのか、どうなのかはしらない。 話をふっておいて無責任で申し訳ないが、この先を書くと切りがないので結論に移る。つまりまあ、アンタが竿を出している先には、人々の様々な思いが沈んでいるのだよと。そんなところでゴミをすてたりして、霊的な因果を背負うことにもなりかねませんよと。そういうこと(ダム建設とテーマがズレてしまった)。 ▲閉じる(2001/12/02) |
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近年、ブラックバス(以下バス)やブルーギルなどの一部の外来魚の密放流に関して、各地方自治体ではその禁止を条例化するようになった。それを受けて(財)日本釣振興会(以下日釣振)では「ブラックバス等対策検討委員会」を設けて次のような釣り人宣言を行なった。すなわち釣り人側からの回答というわけである(原文のまま)。 不法放流はしません 公認のフィールドを増やそう これって何か矛盾していないだろうか? バスなどの不法放流(以下ゲリラ放流)が自然水域に悪影響を及ぼすことは前半で認めているわけだ。なのに後半で、そうした悪影響のでた水域を公認させようとしているのである。はなっから自然水域を守るつもりはないという意味なのか。それとも、その公認釣り場というのはバスが自然発生した水域なのか(んなアホな)。 確かに、これだけバス釣りファンが増えてしまった以上は、公認化によって釣り場を限定することで無闇なゲリラ放流を減らすしかないと誰もが思うだろう。しかし、バス釣り場の公認化がむしろ、現在のなしくずし的な釣り場造り(つまりゲリラ放流)を助長する結果になりはしないだろうか。 つまりこうだ。公認釣り場といってもその多くは、もとはといえばゲリラ放流によってバスが増え、仕方なくバス釣りを認める水域であるわけだ。だとすると、今後さらに巧妙な手段でゲリラ放流を行ない「増えてしまったものは仕方がない」というこれまでと同じ発想で公認釣り場を増やそうとする人間は無数に出現するはずだ。 単に釣りがしたいという枠を越えて、ゲリラ放流に明確な目的を持たせることにもなり得る「公認釣り場」を、釣り人(バス釣りファン以外の釣り人も含む)の署名によって増やそうというのである。 だいたい、公認釣り場か何か知らないが、そんなことは人間の都合で勝手に決めただけのことであり、そこに住む在来種にとってはいい迷惑である。自然水域を守るというのなら、内水面すべてから外来魚を駆逐し、ダムや砂防堤や直線的な護岸を撤去し、絶滅危惧種(魚だけではありませんぞ)の完全な保護態勢を構築しなければならない。そこまでできるというのだろうか。 要するに、すでに自然水域などほとんど残っていない我が国において、こんな宣言自体が今さら無意味なのである。ハッキリいって。 まあ、ここまでは時代の流れとしてそれこそ仕方がないと思う。ある意味、苦し紛れの宣言としてはこれが精一杯であろう。だが、これを釣り人の総意だと受け取られることに抵抗を感じる。バス釣り団体の宣言ならともかく、全釣り人の代表たる日釣振の宣言としては賛同しかねる。 だから、無駄な抵抗とは思うが、私は署名しなかった。公認釣り場も外来魚問題の解決策のひとつだと思うし、そんなことは私自身すでに何年も前から本誌で書いてきた。何を今さらといった気すらしている。それでも、今回の釣り人宣言にはバス釣りファン擁護の姿勢だけしか感じられないので同意できないのだ。 決して『公認のバス釣り場』という書きかたはしていないが、文面ではどう見ても公認させたいのはバス釣り場だとしか受け取れない。やり方が汚いとさえ思う。 それにしても、日釣振からはヘラブナも各地に放流されているのに、なぜヘラ師など他の釣り人の意見が反映されていないのだろうか。バス釣りだけがスポーツフィッシングなのか。日釣振の役員の中には実は釣り人はまったくいないのではないかとさえ思ってしまう。 それにもうひとつ。私は(ヘラ釣りの外道として)バスが釣れても多分再放流するぞ。責任を押しつけないでほしいものである。殺生したくないとかではなく、処理がじゃまくさいのだ。プラスチックワームの破片とかが腹に溜まっているであろう汚染バスを食べる勇気はないし(そのうち環境ホルモンで勝手に絶滅してしまうんとちゃうか)。 で、その公認釣り場が実現したとして、次のような問題が新たに起こることは容易に想像できる。すなわち、バス釣りファンによる釣り場の独占である。これまでは、バス釣りファンの中にもどこか肩身のせまい思いをしている人も多く、釣り場によってはヘラ師などとも譲り合いながら共存していた事実もある。だが、バス釣り自体が公に認められれば、数少ない他ジャンルの釣り人たちはいずれ締め出しを食らうだろう。 以前、ヘラ釣りでも人気のある某釣り場のボートを、バス釣り業界がらみのブローカーみたいなおっさんが主な休日の分をほとんど年間予約してしまい、そのおっさんの息のかかったところを通さないとボートが借りられないということがあった。こんなことは、バス釣り場の公認化が進めばもっと多くなってくるだろう。業界ゴロみたいな輩が小銭儲けのために公認バス釣り場を大いに利用するであろうことは目に見えている。 こういうことを書くと、賛成派の人間は「では何か違った提案があるのか」という反論をしてくる。が、私自身は公認釣り場に大筋では賛成なのである。ただ、今回の日釣振のやり方を見ていると、バス釣りだけが内水面の釣りのように捉えられているように感じられて仕方がない(釣り具業界の売り上げからいえばそうなのだが)。だから反対というよりも、足りない部分、バス釣り場の前にやっておかなければならない部分、そうしたことを指摘したいのである。 で、ようやく私の提案であるが、公認釣り場を造る予算があるのなら先にこれをやってくれといいたいことがある。それは「在来種の保護水域の拡大」と、それにともなう「外来魚の回収システムの確立」である。 バス釣りファンを特定の公認釣り場に閉じこめることは、すぐにはできないはずだ。そこで先に在来種の保護水域を特定する。そして、その水域内でのバス釣りを完全に有料化して、その収益と、バス釣り具で利益を得ているメーカーや小売店の出資でバスの回収を徹底化する。回収されたバスは公認釣り場に再放流し、保護水域ではゲリラ放流や再放流を禁止するための監視を行なう。 有料化のためには、現在の漁業規定だけでは無理があるので、遊漁料とは違った名目が必要だ。よって、このシステムを確立するには行政面へも働きかけなければならない。そのためにこそ署名運動をしてもらいたかったと今になって思う(事前に我々のような釣り人に何の意見も求めず日釣振が独り相撲を取ったからこう書かざるを得ない)。 この案なら、釣り人同士の共存という面ではこれまでとかわらないので、後は各自の意識の問題だけである。在来種の保護という面でも、時間はかかるが解決の方向へ向かっていけるはずだ。しかも、バス釣りの有料化によって、一時的にしろ新たな経済活動が生まれる(これに味を占めた漁協がどう動くかという懸念もあるが)。 その間に釣り具業界やマスコミは、バス釣り以外の釣りのアピールと、その受け入れ態勢の強化を図らなくてはならない。単に業界の活性化を狙ってというだけではなく、バスのゲリラ放流とは一体何だったのかを一人でも多くの釣り人に認識させ、二度とこんなことが起こらないようにするためにである。 まあ、日釣振だけに責任を押しつけるわけではないし、さりとて責任がどこにあるのかは今さらいっても仕方がない。バス釣りのおもしろさをアピールするだけで、釣り場の整備をせずに釣り具を売るだけで終わっていた釣り具業界。広告塔になっていたバスプロと呼ばれる方々やルアーデザイナーたち。それに乗せられて見境をなくしたファンと、それをあおっていたマスコミ。すべてが絡んで原因になっているのだ。 中には「環境悪化が在来魚激減の直接の原因で、バスはそれほど他魚に影響していないしいずれバランスが取れる」と堂々とのたまうバスプロ大先生もおられる。じゃあアンタは何か、環境悪化にまったく関係していないのか。アンタが乗り回しているでっかいボートは無公害のエンジンで走るのか。釣り場まで車にも電車にも乗らずに歩いて釣行してるのか。アンタの家でゴミはでないのか。アンタが使ったラインとかワームとかはどうやって処分されるのかわかっているのか。極論すればバスやブルーギルが繁殖していること自体が環境悪化ではないのか。 結局、環境悪化のせいにしたところで、それ自体人間がやっていることではないか。無意味な公共事業による河川の護岸化やダム化にしても、ゴミ問題にしても、山林の乱開発にしても、すべて人間がやっていることである。政治家がわるいというのなら、その政治家を選んだ国民にも責任がある。 だから、責任のなすり付け合いはやめて、何が大事で何を犠牲にするかをもっと考えなければならないのだ。本当に釣りを続けていきたいのなら、皆さんもっともっと頭を使って下さい。私の脳味噌だけでは力不足なのです。 ▲閉じる(2001/03/09) |
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6月末から7月頭にかけて、今年(2000年)も九州へ遠征した。油木ダム、江川ダム、市房ダム、渡川ダム、綾北ダムでそれぞれ竿を出し、いろいろと感じたことや考えさせられることがあったので書き留めておきたい。 本誌(へらぶな釣り)10月号にも掲載するので詳しくはそちらを読んでいただきたいのだが、現在、ダム湖のヘラは過渡期を迎えているように思う。 西日本のダム湖の多くは昭和30〜40年代に建造されている。現在大型として釣れているヘラはその当時義務放流されたものと、その二世代めぐらいまでのものと仮定しよう。順調に自然繁殖があるのなら、三世代め以降の世代が中〜小ベラとして確認できるはずだ。しかし、追加放流のないダム湖では、中〜小ベラの姿を見ることがほとんどないような気がするがどうだろうか。もしそうなら、そうしたダム湖ではヘラの高齢化が進んでいるわけであり、将来的に個体数の激減や絶滅が考えられる。 こうした大型化は、釣れている間は釣り人にとってありがたいのであるが、高齢化が事実ならそれ(大型が釣れること)は一時的なものであり、将来的にそのダム湖は釣り場として機能しなくなる。私論になるが、今後10年ほどが西日本一帯で大型が釣れるピークであり、何の対策も講じないならばその後は衰退の一途を辿るように思う。 ではその対策が何かというと、追加放流と産卵床の整備(産卵期における水位調節も含む)である。そのためには西日本全体をカバーする多角的な放流事業を行なえる団体の設立と、その継続的な活動が必要であろう。しかし、現状を考えると実現は難しい。 放流ベラが増えると大型を釣りにくくなるという方は多いだろう。正直なところ私もそのひとりだ。また、放流事業には当然金銭や時間がかかる。ただでさえしょうもない派閥争いもある。管理池へしか釣行しないという方からの賛同は得難いだろうし。 とはいえ、このままではいずれ痛い目に遭うのではないか。現在釣れている大型にしても、もとは放流されたものが育っただけだ。次世代が育っていないのなら、次世代を作るしかないであろう。私がここで文句をたれたところでどうなるものでもないだろうが、敢えて問題提起したい。 さて、大型化とは逆に、以前大型がいたにもかかわらず現在は中〜小型ばかりになったというダム湖もある。今回訪れた綾北ダムしかり、鶴田ダムしかり。追加放流とは関係なく小型化したダム湖では、三世代め以降自然淘汰によってそのダム湖の環境に適応していったのだろう。一定の水域には決まった数や型の魚類しか住めない。数が増えた分だけ、大型が住めなくなったのだろう。また、中〜小型から生まれたものは中〜小型にしか育たないともいわれている。遺伝的なものが原因なのだろう。ただ、こうしたダム湖はある意味で救いがある。自然繁殖による小型化だとすれば、少なくとも将来的に個体数の激減や絶滅はない。とはいえ、釣り場としてのおもしろさがあるかどうかは好みの分かれるところだ。 話を本題に戻そう。今回、竿は出さなかったが一ツ瀬ダムにも寄ってきた。九州を代表するダム湖であり、全国的にも知られた巨ベラの宝庫である。この一ツ瀬ダムで現在、異変が起きている。というのは、数年前の台風の影響なのか上流から白濁した濁りが入るようになり、その浄化のために本流を横切るフェンスが張られた(野地谷の下流)。このフェンスがくせ者で、ブイから5メートルあまり下まで幕が垂れ下がり(濁りを落とすため)、上流と下流とを仕切る構造になっている。そのため、余程の増水がなければ魚が遡上できず、低水位時は上流部への乗っ込みがまったく期待できない。さらには、いずれ支流の小川川筋と銀鏡川筋にも設置される見込みだという。 ここでもし、前述のように順調な世代交代が行なわれずに大型化しているとしたら、産卵行動が抑制されることとの相乗効果によって一ツ瀬ダムのヘラ釣りは衰退の一途を辿るだろう。それだけでなく、水質の変化がプランクトンや溶存酸素量などにも影響するとすれば、現在釣れている大型すらもその生存が危ぶまれるのである。 ダム湖はヘラ釣りのために建造されたわけではないし、貯水池として水質浄化に努めるのは仕方がない。だが、前述のように発言力のある団体によって産卵床を人工的に整備するなど、何らかの妥協案はあるはずだ。 このまま黙って見過ごしていいものだろうか。釣り人にとって一ツ瀬ダムはその程度の価値しかないのだろうか。釣り人の力のなさを思い知らされ、何か寂しい思いがした今回の九州遠征であった。 ▲閉じる(2000/08/20) |
掲載開始日=2007年 4月 5日
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