◎シュンペーター論感想文(慶応大学某ゼミ)      戻る

△△くん

 この章に登場するシュンペーターという経済学者は、ケインズと対立した人物として描れる。
 ケインズにとっての資本主義は景気後退の可能性を、本質的に秘めているものであり、放っておいただけでは、決して景気はよくならない、というものであった。
景気のよしあしは、政府の適切な手助け次第であると、考えていたのである。
つまり、大きな政府を考えていた。
一方、シュンペーターにとっての資本主義は、本質的に成長によって導かれるものであり、政府の必要性はある程度認めていたが、常に政府の補助が、景気に力を発揮するとは考えていなかった。
つまり、ケインズとは反対に小さな政府を考えていたのだ。

 シュンペーターは、資本主義を第一に考える理由として、社会が動くには、なんらかの種類のエリートがもたらす推進力が必要だと考えていたから、ということがあげられる。
封建社会でも、市場社会でも、どんなかたちの社会であっても、そこには必ず指導、リーダーというものが存在する、という。
シュンペーターは次のように書いている。
「社会の上層はいわばホテルのようなものであって、 いつも人でいっぱいだが、その人たちは常に違っている。」つまり、世の中がどんな形態であっても、常に上層の少数の人たちは存在し、彼らが実質社会を動かしている、というわけである。
そういうトップが生まれる社会は、資本主義社会であり、そして、その少数のトップらは血統によってではなく、「知性と意志」によって選ばれている、と考えていた。

 現在では、さほど過激な考え方でもないと思う。
シュンペーターが指すものは競争社会であり、今現在の市場主義社会とほぼ同じような仕組みであろう。
しかし、時代はケインズの考え方を支持し、彼を時代の申し子とした。
なぜシュンペーターではなく、ケインズが人々の支持を得たのだろうか。

 20世紀前半、不況に多くの人が気をとられていた。
ホテルの予約をすると係りの者が「お休みが目的ですか?それとも飛び降り自殺用ですか?」
と尋ねられたほどの時代であった。
そんな中で、将来に対して信じられぬほどの有望な予測をしたケインズと、ある意味では厳しい世界である、資本市場の必要性を説いたシュンペーター。
言うまでもなく、人々は明るい未来のケインズを選ぶだろうことは想像がつく。
それはごく自然な現象だったのではないだろうかと思う。
有名と言われるためには、世の中のニーズに合った意見というのも必要なのだろう、と感じた。


 
◎◎くん

 シュンペーターは『経済発展の理論』で、資本主義システムにおける利潤の源泉は企業家とその革新活動にあるとし、その活動勢力の中心的役割は一部のエリートによって担われると言った。プロレタリアートに変革の力があると主張したマルクスとはこの点で大きく違う。シュンペーターがこのような考えを持つことができたのは、彼が幼少から貴族社会に属していたからだではないだろうか。シュンペーターのエピソードの中に、エジプト王女の財政顧問になって多大なる恩恵をもたらしたにも関わらず、自分の個人所得としては法的に権利が保障されている分だけしか受け取らなかったことや、頭取を引き受けた銀行が倒産したとき、自己資本を費やしてまで債権者に義務付けられた以上の額を支払った、というものがある。これらのエピソードでシュンペーターは過度な物欲を持たなかったことが分かるが、それは彼が道徳的な人間だということを言っているのではなく、彼が貴族特有の見解を持ちえたことを表しているにすぎない。シュンペーターは貴族であり、それゆえ彼はエリートの支配する社会を描くに到ったのだ。シュンペーターのいうエリートは血統によってではなく、知性と意志によって選ばれている。これを本書では「才能の貴族制度」といっており、私は現代社会でもこれで説明できることは多いと思う。私が勉強をするようになり感じはじめてきたことは、ほとんどの社会活動は少数のエリートによって操作されているということで、これは私の中でものごとを知れば知るほど顕著になってきている。一部のエリート達が稀少かつ困難な先導となり、残りの数多くの労働者が容易な追随をなすというシュンペーターの理論は、今の時代においてさえ私は十分な説得力を感じる。私はエリートになりたいとは思わないが、勉強を続けていくことにより、合理的無知にとどまるのではなく社会問題に対していっぱしの見解を持つことができるようにはなりたいと思う。

    
××さん

 シュンペーターは彼と同じ年に生まれ、全世界の注目と称賛の的であったケインズと常に張り合っていたように感じる。その証拠に彼は「資本主義にとって不況は適当なお湿り」だと言ってのけた。シュンペーターとケインズは多くの社会的見解や教養あるブルジョア生活への賞賛、資本主義の一般的価値への信頼を共有していた。しかし未来に関しては正反対の見解を持っており、シュンペーターはかなりのひねくれものだったようだ。

 ウィーン大学時代にアンファン・テリーブルとまで言われたシュンペーターは、卒業後、エジプト王女の財務顧問になり、大きな功績を挙げたものの自分の所得は法的に権利が保障されている分だけを受け取っていたという人のよい人物でもあった。シュンペーターも他の数々の経済学者と同じように「奇人」であった。しかし彼は、筆者が実際に彼の講義を受けたことがあるからかもしれないが、他の経済学者とは違う人間臭さを感じる。彼は偉大な経済学者になろうと切望したが、自分の理論に限界を感じ、決して自分の理論を講義しなかったという。

 またシュンペーターは「エリート」の存在を重要視していた。彼の言う「エリート」とは、血統によるものではなく、「知恵と意志」によって選ばれた非凡な才能を持った小数の人々のことである。変化と発展の物語としての「歴史」とは、社会における不活発な大衆にたいしてエリートが与える影響の物語である、という一文に私は惹かれた。「エリート」というと、どうしても現代において「エリート」と言われる社会的地位を持った人たちを思い浮かべてしまう。しかしシュンペーターのいう「エリート」とは、大衆を引っ張っていくような歴史を作る人たちのことなのである。シュンペーター自身も自分のことをエリートだと思っていたようだ。真実はどうであれ、彼が世の中に影響を与え、少なからずとも歴史を築いたという点では、彼もまた「エリート」なのであろう。



△△くん

 私はこのヨーゼフ・アロイス・シュンペーターという人物に「格好いい」というあまりにも単純な、それでいて確信に近い感覚を覚えてしまった。まずはその人物像である。世間に対して反抗的であり、ケインズという現代経済学の巨匠に対しても必要以上の尊敬の念を抱いていない信念の強さ。芝居がかった仕草を好み、子供のころから偉大な経済学者にならんとしたその独特の人物像。私はそんな人間味溢れる彼の生き方に共感に近い、面白みを感じるのである。しかし彼の人物像のみを触れるならば、決して「スマート」「格好いい」という感覚は抱かなかったであろう。私がその「人間シュンペーター」以上に共感と憧憬を抱いてしまうのは「研究者シュンペーター」である。

 彼の研究テーマは「資本主義は何を原動力として、この先どこへ進むのか?」という疑問に対する「解答」の追究である。私が何より「研究者シュンペーター」に憧れを抱くのは、「この先どこへ進むのか?」という「将来のヴィジョン」について思考したことである。アダムスミスからはじまる多くの世俗の思想家達は、どちらかというと後向きの研究が多かったのであり、過去もしくは同時代の経済現象に対する実証分析的な要素が強かったと思う。しかしシュンペーターは将来の資本主義の方向性について考察するのである。本章のおわりに非常に印象的な文章が残っているので引用したいと思う。「彼は偉大な経済学者たらんと切望した。この望みがかなえられたかどうかははっきりしない。・・・確かなのは彼が偉大な夢想家たらんと切望したことである。」

 このように私はシュンペーターに大いに共感した。偉大な夢想家としてヴィジョンを示した、不確かな歴史の流れの辿り着く先を示そうとした彼の功績は大いに称えられるべきであろう。私も社会・経済の将来のヴィジョンについて、ひねくれながらも、論理的で鋭利に、それでいて少しだけ優しく語れるような人物たらんと切望するのである。



××さん

 利潤の源泉は何かという問題は多くの経済学者によって扱われてきた問題である。例を挙げるとスミスやマルクスなどがこの問題に対する解答を出し、それぞれ自分の考え方を主張している。そしてシュンペーターもまたこの問いに対しある解答を出している。それは「利潤は労働の搾取や資本の所得からは生じない。循環する流れがお決まりの経路を踏み外したときに現れるのである」というものである。私はこの考え方は今までに聞いたことのないもので、非常に興味深く、説得力を持っていると思った。循環的な流れを変えること、これを「イノベーション」と彼は呼ぶ。そして、そのイノベーションを起こす者を企業家と呼んだ。彼によると、企業家は利潤の生産者であるが受取人ではない。何故自分自身が正当な利潤を得られないのに企業家は割の合わない仕事を実行するのだろうか。それは「創造の喜び、物事をなしとげることの喜び、もっと簡単に言えば活動力や想像力を働かす喜び」があるからである。

 私はこの説明に好感を持ち、共感した。確かに新しい製品や製品の新しい生産方法が開発されるなど、何らかの変革があって利潤は増えていくものである。それを考え出した創始者、つまり企業家が利潤の生産者と考えることは納得できることだと思う。そして、最も感心したのが想像力を働かす喜びのために企業家は仕事をするというくだりである。

 想像力を働かせたいという動機が経済を活性化させる原動力と考えることは、ただ金を儲けたいという動機を原動力と考えるよりもずっと前向きで、人々をもっとやる気にさせると思う。私は現在の日本の社会を考える際にもこのシュンペーターの考え方を参考に、様々な野望を持って成功に向かって挑戦を続ける「企業家」に報酬を与えるなどの仕組みを作ってはどうだろうか、と思った。この章を読んでいるうちに現在の日本では企業家が不足しているのではないだろうかと思ったからである。



◎◎くん

 ケインズと同じ年に生まれたシュンペーターにとって、ケインズの存在とその名声は気になるものであったようだ。しかし、シュンペーターが一番意識していた人物はマルクスであった。彼にとって知的生活における本当の敵はケインズではなく、マルクスだった。シュンペーターは学生時代にマルクスを研究し、当時のもっとも有能な2人の新進マルクス学者であったルドルフ・ヒルファーディングとオットー・バウアーの研究会で、議論に参加していて、彼は西欧のどの経済学者よりも、当時理解されたかぎりでのマルクスの著作に深く傾倒していたほどであった。そのため、『資本主義・社会主義・民主主義』は、相手としてまったく不足のないただ一人の好敵手としてマルクスを論じることから始まっている。これほどまでに、マルクスを意識していたシュンペーターだったが、彼のヴィジョンは他の世俗の思想家たちの基準とまったく同じものでは判断できなく、それは経済的予言というよりも社会的予言であった。

 ウィーンの貴族的な学校で若き日々を過ごしたシュンペーターは、彼の人生にとって非常に重要なものとなる価値を吸収している。それは、エリートが中心的な活動勢力になるような彼自身の歴史観に導入された価値である。シュンペーターの考えの中には、エリートという概念が常にあるように思われる。しかし、貴族的な環境で育ったシュンペーターだが、彼の言う少数者とは、いかにも貴族的な血統によってではなく「信仰と知性」によって選ばれるのである。これはつまり、才能の貴族制度である。彼の中のこのような考えは、資本主義だけでなく、彼の理想的な世界で実現する。しかし、このシュンペーターの章の最後に書かれている、シュンペーターが決して自分の理論を講義しなかったことについて「彼が最後の分析において自分の定式化が不適切であると感じたから」という部分は、経済学者としてケインズたちのように超一流になれなかったシュンペーターの悲しさ、空しさを感じずにはいられない。



△△さん

 「経済学に関心のある者はだれもが、彼と格闘しなくてはならない。彼は専門分野において業績を上げたのみならず、その限界を明示するという功績をなしとげているのだから。」という部分が印象的であった。

 私は経済学を勉強し始めてからというもの、その利便性に感心することが多く、どんなときでも使えるものだと信じ込んでいた。ところが、最近、経済学で言う"合理的個人"について、「人間は経済学が想定するほどには利己的ではない。」と、教科書で読んだ。この時、私は経済学にも限界があるということを理解した。シュンペーターは経済学の限界を明示するという功績をなしとげた。今回『シュンペーターのビジョン』を読んで、再度、経済学にも限界があるということを認識させられた。シュンペーターは同時代に生まれたケインズに負けたものの、その業績で負けてはいないだろう。

 シュンペーターは資本主義システムにおける利潤の源泉は、企業家とその革新活動とした。革新がその産業全体に普及し、銀行借入と投資支出の続発が好況を引き起こすが、革新が引き継がれて日常的業務となるにつれて、利潤は消失する。利潤が縮小するにつれ、投資もまた減退する。これがシュンペーターの景気循環の説明だ。資本主義は、経済学的には成功するかもしれないが、その成功は社会学的な成功ではない。結局、資本主義を衰退させるのは、資本家の心理状態なのだ。シュンペーターは、このように環境が変化することによって資本主義が衰退し、社会主義に打ち負かされる、とした。日本で不況の真只中にいる私は、『シュンペーターのヴィジョン』を読んで、日本に企業家が多く現れ、革新が起きれば良いのではないか、と単純に考えた。ソ連が崩壊し、シュンペーターの述べた社会主義の信頼は喪失したが、『経済発展の理論』の中のこの部分は、もしかしたら今の日本に応用できるのではないだろうか。



××くん

 シュンペーターは『経済発展の理論』の中で利潤の源泉とは何かということを追求した。そして静学的な資本主義モデルを使い利潤は労働、資本が生み出すものではなく、イノベーションによってのみ存在するものであると主張した。この考え方は資本主義経済の牽引役であるイノベーションという存在の重要性を表に出す重要な発見であったと思う。しかし私はこの理論そのものより、彼のこの理論を生み出すプロセスがとても興味深く感じられた。

 彼はイノベーションという存在を企業家という言葉を用いて説明した。イノベーションとは偶然性が高く、それを生み出す企業家という立場は極めて不安定である。シュンペーター自身も企業家を「人に感動を与える類の特性の出現がわれわれに観察されない…経済的地位は不安定…たよりにすべき文化的伝統や態度をもたず、成り上がりものとして社会で動き回るが、嘲笑の的にされやすい」などというように不遇で割に合わない存在として描いている。ではなぜこんな割に合わない仕事を実行するのか?その問いに対し彼は人々の潜在的に持つアイデンティティを求める闘争のような性格に着目し、企業家の「成功から得られた果実ではなく、成功そのものを目的とする闘争衝動」によるという風に説明している。この辺の企業家に関する彼の記述を読んでいると、経済学者らしからぬ曖昧な感じのニュアンスで論理性に欠ける。しかしこのような、人々のより身近な人格を経済学に組み込み、それを現実にそった精密なものにしていく、というやり方はとても有意義に感じられ興味深かった。

 シュンペーターは決して自分の理論に関して講義をしなかった。このことに関して、「それは彼が最後の分析において自分の定式化が不適切であると感じたからだ」などと言われている。しかし私は彼の偉大な経済学者たらんと切望し、格闘する生き様に感動した。



△△さん

 私は恥ずかしながらシュンペーターに関する知識がまったくなかったため、彼のような経済学者が存在したことに驚き、またとても興味深かった。

 読み進めていくうちになぜだかシュンペーターは悲しい、というかかわいそうな人だと思うようになっていった。それは彼が鋭い洞察力を持ちながら、ケインズやマルクスとおなじ基準で評価されないということだ。ケインズとおなじ年に生まれ、「不況は資本主義にとっての適当なお湿り」と述べたように、彼は反ケインズ的な考え方を持っている。そして彼の知的生活における敵はケインズかと思いきや、実はマルクスだった。マルクスに深く傾倒しマルクスとおなじく資本主義の終焉を予言した。そしてその理由がマルクスによるものでなく自分の示した理由でそうなることを検証した。そのことによりマルクスを超えたという。

 しかしシュンペーターの予言は現実に反てしまった。私は経済学に限らず、学問とは過去の経験をもとに一定の法則や真理を導き出し、そこから未来を予測するものだと考えている。特に経済学は社会科学であるから必ず核となるものが存在すると思っている。シュンペーターの予言が現実の経済からかけ離れてしまったのはなぜだろうか。それは彼の予言が経済的予言ではなく、社会的予言であり彼が行っていたことは経済学ではなく歴史社会学だったからだといえる。

 では経済学的には予言をはずしてしまったシュンペーターが残した功績とはなにか。それは最後に書かれている、「限界を明示する」ということだろう。限界を知るとはなんと恐ろしいことだろうと私は思う。彼は不適切だと感じた自分の理論は講義しなかったという。その潔さに私は深く感銘した。



◎◎さん

 私はシュンペーターがあまり好きではない。少なくとも理論、というより彼のヴィジョンに関しては嫌悪感すら覚えてしまう。というか、嫌いだ。この本を読んで彼の一部分でも理解しえるところがあるのではなかろうかと期待して読み進めたが、著者でさえシュンペーターの理論にあまり好意的でない様子であり、それゆえ読んだところで共感を得ることなど程遠く難しい試みであった。もちろん彼のおかれた環境にも彼の考え方は大きく影響を受けているだろう。彼の個人的価値判断が色濃く出ているような「理論」とやらを他のあまたの学者の理論と比較できる現代の私達からの視点では、どうしても彼の「思考回路」のほうに視点がいってしまう。

 彼の有名な言葉、「創造的破壊」は非常にインパクトのある言葉である。革新は「企業家」によってのみもたらされる。利潤がどこから生まれてくるのかという命題の答えを、静学的な資本主義モデルを使って出そうと試みたその合理的手法は、彼の支持してやまない「企業家」の存在をさらに彼自身の好むような「企業家」像に仕立て上げることを容易にした。著者が「才能の貴族制度」と鋭く指摘するように、「血統よりも耐久性があり価値がある事柄に依存しているような集団」を意味するのだ。利潤は革新から生まれ、革新は経済を、社会を動かしうる。そしてそれを実行しうる者はごく少数であり、彼らが行動することが常に求められているというのである。そこでは彼らの持つ「知恵と意思」こそが重要であるのだ。残りの者は「企業家」の革新的行動を待ち、それについていくことで「革新」が現実のものとなる。一部の者にははじめから「追随」が、求められているのだ。確かに、「静止した経済における利潤は、循環する流れがルーティナイズド・コースを踏み外したときに現れる」という考え方には静学モデルとしての説得力があるといわれている。しかしそれでもはなからその役割を彼自身の理論の枠組みの中で「革新者」と「追随者」の違いを「知恵と意思」の有り無しに求めるというのは、あまりにも簡単すぎるのではなかろうか。

 経営学の分野で彼の理論の対極をなすI.カーズナーはその著書「企業家の精神」の中で彼の理論を厳しく指摘する。企業家は誰か?と考えたときにやはり「できる、できない」の評価基準が必要となり、その判断如何によってはもしかすると個人に能力の制限を与えてしまうことになるからだ。その評価を与えるのもまた我々自身の手によるものであろう。果たして、シュンペーターの考えた「企業家」とは、もっと具体的にはどのようなものであったのだろうか。こう考えると、彼の視点は本当にマクロ的なヴィジョンでしかなかったのだな、と思うに至ってしまう。しかしながら、現代の企業で"社会をひっぱっていこう"という自負心を持ちながら働く者に対しては、「企業家」の考え方がこれまた大きな支えになているのではなかろうか、と思った。また、彼の功績は、我々に、いわゆる「限界を明示し」たことである。ひとつの歴史を残してくれた彼にもまた思想家として敬意を払いたいと思う。



××くん

 ケインズと同じ年に生まれ、才能を持ちながらも歴史の表には出てこなかったシュンペーター。『世俗の思想家たち』の中では、一番変人らしくない。というより変人っぽさが書かれていないのだろう。しかし、多くの変人たちにも引けをとらない、大きな功績を残しているといえるだろう。不況の続く現代の日本に住み、これから就職活動をせねばならない者として、興味を引かれたのが彼の「企業家」に関する考え方だ。長引く景気低迷は彼の言う「静粛した経済」にあたり、生み出される産出物の価値も労働に吸収されてしまう。資本システムにおける利潤の源泉は、イノベーション・革新であり、それを生み出していうるのは「企業家」である、というものだ。そしてそれによって得られた新製品や生産方式・新市場が、新たな欲望を生み需要を伸ばしていく。今必要なのはまさにこれである気がする。このように資本主義経済はダイナミックスによって成長し、導かれていくものであるとしながらも、結果的には「資本主義は生き延びるのか?――いや生き延びないであろう」、「社会主義は作用しうるのか?――もちろん、作用しうる」という結論を出している。ここがケインズと彼を決定的に分けるものだろう。彼はケインズと同時代に生まれながらも、資本主義にではなく、社会主義に傾倒していた。もちろんこの結論は正しくはないだろうが、彼はもうひとつ、最初に述べたように大きな功績を残している。それは予測の難しさ、を身をもって示したからである。我々は経済学を学ぶにしても、歴史を学ぶにしても、将来の予測を立てることを最終目標にして学んでいる。しかし、周りを見渡せばわかるように、またシュンペーターが自ら示したように、非常にというか、ほとんど実現不可能なほどに難しい。しかし、自らの限界を知ると同時に、彼は自身が偉大な夢想家たらんとしていたように、常に自らのヴィジョンを持たなければ、この不況に飲み込まれてしまうだろう。



△△さん

 シュンペーターは、成長をスミスやミル、マルクス、ケインズとは違い、資本蓄積を欠いた蓄積なき資本主義、静学的資本主義に描いた。これはリカードとミルが描いた定常状態に似ているが、シュンペーターにとって、これは資本主義の開始のための舞台装置だった。

 また、彼は、利潤は労働の搾取や資本の所得からは生じない。その循環する流れがお決まりのコースを踏み外したときに現れると述べた。

 シュンペーターは経済発展をもたらすのは、まったく新しい技術や組織や戦略や生産方法や生産財や原材料供給源がもたらされること、つまり「革新」であると考えた。経済の歴史では、均衡と革新が交互に出現する。このうち、とくに新しい技術が「突然」開発されることを、シュンペーターは技術革新(イノベーション)と呼び、重視したのだ。また、このような経済発展を実現できるのは、企業の利益に最大の関心を示す資本家や、目先の経営で頭が一杯の経営者ではなく、革新を実行するというリスクを冒すだけの決断力を持った、一部の経営者だけであると考えられ、このような経営者を、シュンペーターは「企業家」と呼んだ。

 企業家とその革新活動が、資本主義システムにおける利潤の源泉だったのである。

 「企業家」、「革新」。これらは最近でも、よく耳にする言葉である。例えば、景気低迷に陥っている現在、企業を活性化させるために、企業家精神を発揮して革新を起こし、新たなものを創りだすなど、これらの言葉には、社会をより良くするために新しいものを創り出していくという意味がこめられているのだ。

 シュンペーターも経済発展、すなわちより社会をよくするためにするためには、革新が必要だと考えたのだろう。

 この考え方は、今も昔も変わらないのか。

 どちらにしても、新たなものを創り出すためには、視点を変えることが必要だろう。それは今も昔も変わらないのだ。リスクを背負って、立ち上がった人だけが、成功の鍵を握ることができるのだ。

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