今日のY研究室。

今日のY研究室

一般的公開に向けての注釈。
はるか彼方昔に学生では無くなっているので、従来の注釈を修正しました。
そしてさらに修正しています。

現在某製薬会社を退職して、教育関係の職に従事しています。四国→関西→北陸→関東→北陸→東北→北陸→東海と居住地は移り変わっています。
「Y研究室」は学生時代私の所属していた研究室名です。もともとは研究室の近況を記すページだったのですが,いつのまにか私(cca)の日記っぽくなりました。今ではY研究室の話題などもうほとんどありません。
20世紀にはアマチュアオーケストラのコントラバス奏者でしたが、「金がない」「時間がない」「情熱がない」の三重苦のため今世紀に入ってからは擦弦楽器にはほとんど触れていません。そのうちチェロでも習おうかと思っています。
科学版「赤い鳥」運動や「プロジェクトχ(カイ)」なども立ち上げかけましたが、学生のころのようには進まずそれっきりになってます。
他人の名前は実名なのに自分は仮名、という卑怯きわまりないコンセプトで書いているので、苦情がある場合はお知らせください。最近はみんな偉くなってきたのでできるだけ仮名を使っていますが、一部そうじゃない人もいます。

こんなところです。一般的公開から12年経っても、どうせ知人しか見ていないのではないかという危惧を持ちつつ。(2016.4.1)



1/10
宮沢賢治の「告別」を、物事がうまくいかない人を元気づける詩として紹介している人が多くてちょっと驚いた。
ただし、こう書いておいてなんだが、実は宮沢賢治の意図はその通りで、詩の解釈としてはそれが完全に正しいのだ。
しかし、私には「告別」は違う内容に見えてしまうのだ。私にとって「告別」は、絶望の詩である。

「告別」というタイトルだが、これは死を扱っているわけではなく、賢治が教師を辞めて去って行くときに作った詩である。
音楽の才能に恵まれた生徒に向けての、お別れの言葉として詩は語られている。
まず、その生徒の音楽的才能をたたえ、感銘を受けていることを述べる。
しかし一方で、優れているとは言ってもそのような才能を持つ者は他にも大勢いること、そして世俗で日々の生活を送っていくうちにその才能は簡単にすり減って消えてしまうことを指摘する。
才能がなくなってしまったら、自分はお前のことを見ない、とも。
だから「まとも」な暮らしを捨て、芸術のために生きていけ、と語る。人々が幸せに暮らしているのを横目で見ながら、貧困の中で、侮蔑の中で、ただ芸術に身を投じろと。
そうすることで自分の芸術をなすことができるのだ、と述べて詩が終わる。

確かに、困難に負けずに頑張れ、という内容なのだ。なのだが、私にはこれが絶望に見えるのだ。
貧困や侮蔑の中で、ただ何かに打ち込むことしかできない、という方向に見えてしまう。
言うまでもなく、私がこの詩を読んで真っ先に思うのは博士の人生のことである。博士だって別に誰かに強いられて困難の中にいるわけではないのだが、しかし一旦入ってしまったらもう戻れない。少なくとも、博士に進まなかったときに得られたであろう幸福には、おそらくはたどり着けない。
「頑張ってやっていこう」というよりは、覚悟を決めて絶望の中に身を投じるような印象になってしまうのだ。
何度も話題にした「虐げられる覚悟」に似たもののように感じている。

裕福な家庭の出身で才能にも恵まれていた宮沢賢治が、どのくらい「貧困」や「侮蔑」を理解していたかはわからない。
ただ、まったく違う方向に受け取ってしまうような人間に対してもこれだけいろんなことを考えさせるのは、やはり宮沢賢治の力なのだろう。

12/6
9ヶ月経過。
この間に、転職しました。一般的にはこれが最後の転職のはずだが、私の場合はそれもわからない。
ただ、2014年に書いたこと(6/18や7/21)とは矛盾しない選択をできたことは、自分で安堵している。
自分自身が見栄やプライドに人生を左右されなかった、というのは喜ばしいことだ。

ちなみにもういいやと思うので書くが、2014年7月21日に書いたのは大学のグローバル化のことだ。
講義を英語でやったらグローバル化って、頭おかしいんじゃないのかと思っていた。
官僚の人事評価のポイントが「どんな改革が行えたか」にあって、とにかくどんな制度でも変えなければやっていけないのではないか、と邪推している。
他の省庁ならそれでもいいのだが、文部科学省だとどうしても上っ面だけ取り繕ったようなことになる。教育や科学振興はもともと長い年月を要するものだし、しかも「数値目標」がこれほどそぐわない分野も他にない。なのに数値目標を定めないと、官僚が生きていけないのだ。
非難囂々だったノーベル賞受賞数の数値目標を筆頭に、留学生数の数値目標だとか全講義に占める英語による講義の割合の数値目標だとか、それを目指すのはおかしいだろという数値目標がいっぱい設定されている。
そういうわけで、少しでもそれらの影響を受けにくいところに行きたくなったのだ。もちろん国公立大も私大も全部文科省の影響下にあるのだが、前の所属は国公立大の中でも特に財政が厳しく、文科省の指示に従うしかない状況だった。それよりはマシなところが、日本にもいくつかはある。

ということで、東海地方にいる。
おそらく一般の人にとっては意外なことに、前職(まあまあ有名な国公立大)より現職(ほどほどの大学)のほうが研究環境は圧倒的に良い。

3/4
3月だ。
もちろん、前回書いてから1年経過した3月である。

我々は写実画を見て、それが実物そっくりだと思っている。
しかし「写実画」というものを知らない人にとっては、写実画も絵の具のかたまりにしか見えないのだ。江戸時代以前の日本人もそうで、よくある「西洋画に比べて日本画はなぜこんなに非写実的なのか」という意見は完全にナンセンスである。
写実画は、ただそこにあるだけでは写実的ではないのだ。写実画を鑑賞するためには、「写実画とは何か」を知っていなければならない。

というようなことを、スティーブ・ジョブズの伝記を読んでいて思った。ジョブズの成し遂げた仕事の話ではなく、ジョブズがPARCで初めてGUI(正確には、現代的なGUI)を見たときの話が、まさにこれだと思ったのだ。
現代人にとっては、GUIは使いやすいインターフェースである。しかし、GUIというものを知らない人にとっては、GUIにどれだけの価値があるかなんてわからなかったのではないか。事実、PARCの業績はXEROXではあまり活用されなかった。
GUIが優れたインターフェースであることを知るには、GUIのことを知っていなければならない。
しかし一方で、それまでGUIに関する知識が大してあったわけではないジョブズが、PARC見学後GUIに異常に惹かれることになる。

スティーブ・ジョブズという人は、本人はほとんど何も生み出していない。他人が作ったものをパクって売りさばいて儲けただけ、と言うこともできる。本人すらそう思ってて、正真正銘エンジニアだったウォズニアックに対して複雑な感情を抱いていた、というインタビューもある。
しかし、たとえばまるで知識もない状態で写実画を見て、「この絵はもしかしてすごいんじゃないか」と気付ける人がいたら、そのこと自体がすごいことなのではないか。ましてや、それを具体的な形にして無知な人々にまで広めるとなれば、明らかに普通ではない能力が要求される。PARCのGUIのすごさに気付いた人は他にもいたようだが、それをあそこまで売りさばけたのはジョブズだけだった。
GUIのすごさに気付ける人がほとんどいない状態ですごさに気付くことができて、しかもそれを無知な人にまで広める。他に例を見ない異様な能力をもっていたのがジョブズなのではないか。

と、1年ぶりでそんなことを考えていた。

3/22
どんな職業でも、上に進むにつれてやることは変わってくる。
研究者もまた例外ではない。研究以外の能力のない研究者なんて珍しいことではなく、そういう人が上に行くと本人も周りも苦労することになる。有名なところではとあるノーベル賞受賞者がまさにそのタイプで、あの人を組織のトップに据えてもどうにもならないのではないか、とささやかれていた(そして実際結構な問題が発生した)。
他人事のように言っているが、私だって例外ではない。職位も上がっていってよくわからないうちに今では擬似的にPI(簡単に言えば研究室のトップ)っぽい状況になってしまったが、上に行くにつれて見えてきた光景が、ちっとも魅力的に思えないのだ。7/21に書いた話なんか典型だが、正直なところ関わり合いになりたくない。
こんな光景を見てそれでも上を目指そうと思うのかなと思うが、しかし自由を求めると上を目指すしかない部分もあって、なんだかなあと思ったりはする。

1/28
以前自己責任論が流行ったのは2004年のことだが、今はその当時と比べて明らかに雰囲気が変わっている。
当時は「自己責任」と言っておけば全て片付くと思っているかのような言説が幅を効かせていたが、今は自己責任論のもつ危うさを指摘する声も多い。
もしかすると自分が成功者ではないと自覚する人が増えてきたためかもしれないが(自己責任論はかなりラディカルな個人主義で、成功者にとってすら危険ではある)、やはり時代は変わっていると言うべきなのだろう。
未だに相変わらず右傾化右傾化と騒いでいる人もいるが、私の感覚では2005年あたりがピークで、それ以降「右傾化」は収まってしまっているように思うのだ。「ネット右翼」という言葉が広く使われるようになったのは、ネット右翼が増えたからではない。ネット右翼と呼ばれる人々の力が弱まって、彼らを揶揄する人が増えたからこそではないか。それこそネット上ですら。

1/20
前々回とその前にああいうことを書いたが、私はあの曲(一応書いておくと、SEKAI NO OWARIの「Dragon Night」である)を嫌いなわけではない。
幼稚だと言う人もいるが、若者の好きな曲を大人が(そして大人ぶりたい若者が)非難する光景は何度も見てきた。今回もその一つに過ぎない。むしろ逆に、若者のカルチャーを非難する側になってしまったのだなあ、と思うくらいである。
実際あのグループの世界観から真っ先に思い出したのはTM Networkで、あれだけTM Networkにはまっていた我々の世代があの世界観をバカにするようになったのはちょっと面白い。私以外にもTM Networkを思い出した人はいるようで、歌詞を見て「小室哲哉かよ」と突っ込んでいた人もいた。
まあ、それだけよくあるタイプのグループだとも言えるが。

1/17
今年は20年目ということで、大々的に取り上げられている。
20年も経ったのかと驚くばかりだが、まさにあの震災を境に建造物の基準が変わっていて、町並みにも影響があった、ような気がする。
物には限界があるものの、次に何かあっても被害が最小限に収まることを望む。

そして私はついにバカボンのパパよりも年上になってしまった。

1/3
人工環境なら普通に「夜」を作ったはずだと書いたが、もしかしたら宇宙ステーションの酸素プラントか何かで、昼をずっと続ける必要がある場所なのかもしれないな。
その酸素プラントを取り合って戦争が起こっているのだ。辻褄が合っている。
と思ったら、炎を点しているんだなあ。貴重な酸素を使うなというのもあるが、酸素プラントで炎を燃やしたら危ない。
休戦の証でも、炎はやめなさい。

というわけで、あけましておめでとうございます。

12/28
100万年に1度だけ夜が来る、というのはどういう状況なのだろうか。
昼が50万年続いた後、夜も50万年続くのであればまあわからなくはない。そこまで自転周期の長い惑星があるのだろうかという疑問はあるが、ここまで長いとなると自転周期と太陽日(惑星地表から恒星を観測した場合の「一日」。自転周期は「恒星日」)とは一致しないと考えるほうが自然だろう。有名なところでは(惑星ではなく衛星だが)月の「地球日」が無限大であることが知られていて、公転と自転が同期しているためにある地点では永遠に地球が出続けていて(つまり「昼」)、ある地点では永遠に地球が沈み続けている(「夜」)。
また、自転と公転が完全には同期していない場合でも、水星のように公転の影響で自転が非常に遅くなっている惑星も存在している。水星の太陽日は175.84日であり、公転周期は88日弱なので、水星では「2年に1度の夜」が訪れる。もちろん夜が1年続くのだが。
1年や2年ならともかく100万年周期でこんなことが起こるだろうかという疑問と、自転が公転の影響を受けるのは恒星の近くにある惑星であって「僕」が住めるとは思えないという問題とがあるが、とりあえずものすごく1日の長い惑星が存在することは確かである。

ただ、この100万年に1度の夜を祝う習慣があるらしいことが気になる。寿命が桁外れに長い生物がいたとしても、時間に対する感覚は人類とそんなに違わないんじゃないかという気がするのだ。生体内の物質の移動はやはり主に拡散によって起こるだろうし、体液がよほど粘性の高い物質でない限りその部分の速度は地球上の生命と大して変わらないだろう。物質が拡散ではなく能動輸送される場合はなおさらである。普通の能動輸送であれば拡散より速くないと意味がないし、エネルギーばかり使って速度の遅い能動輸送が多用されることはエネルギー的に考えにくい。
そうすると食事や排泄、生殖などのタイムスケールは地球上の生命とそこまで違わないだろうし、「1年」に対する感覚も人類と似たようなものではないだろうか。であれば50万年続く夜をそう脳天気には捉えないんじゃないかと思ってしまうのだ。少なくとも友達のように歌っている場合ではない。

ここで一つ思い出したのはソウヤーの「イリーガル・エイリアン」で、桁外れに長い「冬」に冬眠する生物が描かれていた。それと同じで、50万年続く「夜」の間、この「僕」たちは冬眠するのかもしれない。そして冬眠の前に、謝肉祭のように宴を催しているのだ。
終わりの来ないような戦いが休戦となるのも、みんな冬眠するからなのかもしれない。
それはそれでいいのだが、炎を点していることが気になる。寝る前に消しなさい。

ただし、50万年続く夜を「100万年に1度」とは表現しないんじゃないかなあ、とは思うのだ。「100万年に1度」だと、やはり100万年に1日(何をもって「1日」と呼ぶか、という問題はある)だけ来る、というような印象を受ける。
それこそ「イリーガル・エイリアン」のように連星系で何か特殊なことが起きているのではないか、というのも考えたが、それを真面目に検討するのは難しい。また世界観を考えると、「人工太陽に照らされた世界で、100万年に1回だけメンテナンスで止まる」というのもありそうで、実際こちらを連想した人もいたようだが、それだとここで話が終わってしまうな。

ここで気になるのは、この世界には「今宵」とか「starry sky」とか、夜を表す語彙が豊富にあることである。100万年に1回しか起こらない現象のために、そんな言葉が生み出されるだろうか。
例えば閏年は4年に1回で、400年で3回例外があるが、実はこれでは10000年の間に3日のズレが生じる。が、グレゴリオ暦ではそれに関するルールが定められていない。
グレゴリオ暦が生まれたのは、ユリウス暦の春分と実際の春分が10日ほどもずれてしまったためであるが、30000年後にはグレゴリオ暦も同じくらいずれてしまう。しかし、今それを真剣に悩んでいる人はあまりいない。
3万年ですらそうなのに、100万年に1度の現象をそんな文学的に語る言葉が生まれるだろうか。上では寿命が桁外れに長い生物を考えたが、戦いを起こして休戦して友達のように歌って踊れるだけの知能を持っていることを考えると、実はそれほどの寿命があるとは思えない。個体の寿命が長いということは、進化の機会が失われることを意味するからだ。そうすると「夜」は数万世代に一度しか起こらない現象なわけで、文化がそこまで継続するだろうか、という疑問がある。

これに対する妥当な答えは、「僕」は他の星から来た、であろう。「夜」という概念のある環境で進化した生物が、100万年に1度しか夜の来ない環境に来て戦っているのではないか。だから100万年に1度しかない「夜」のことを表現する言葉があって、何よりその「夜」を過剰に恐れることもない。
そうすると人工太陽という説は怪しくなる。「夜」のある星の生物が作ったのなら、普通に「夜」があるように設定するだろう。そもそも人工太陽が必要な環境であれば植物がおらず、酸素が貴重だろうなという気もする。だったら炎を点したらアカン。意外にも「炎を点す」が問題だったわけである。
やはり連星系のややこしい環境だろうか。他の星からわざわざそんなところに来たのだから、やはり鉱物資源などが豊富で、それについて争っているのだろうか。

というようなことを、ある歌を聴いて考えていた。
久々の更新だが。

8/3
試験期間が来ているが、今年は作らなければならない問題が多い。
試験は受けるほうも大変だろうが、出すほうも大変なのだ。
やみくもに難しい問題を出すだけでいいのなら大して苦労もないのだが、やはりそんな問題は出したくない。
試験も講義の一部なので、それなりに興味を持ってもらえる問題を出さないと、物理化学のおもしろさが伝わらない。
あと、難しすぎる問題では(誰も解けないため)習熟度が測れないという問題もある。私の出身の理学部では、当時は「学生の習熟度なんか知ったことか」みたいな雰囲気があったが、資格系の学部で(しかも少子化がこれだけ進んだ時代に)そういうわけにはいかないだろう。
面白くてまあまあ簡単で、しかしさぼってる学生は落とすくらいの問題を作らなければならないのだ。大変だが、まあ面白い仕事であることも確かではある。

7/21
これは何年か後には非難されることになるんじゃないかなあ、というような政策がある。
しかも、非難してくるのは多分今この政策を進めている人たちにとって予想外の方向からなんじゃないかと思う。
ただ、この政策に巻き込まれている人たちも好きでやっているわけではなさそうで、なんでこんなことになったんだろう感がすごくある。
おそらく某組織での成功を間違った方向に進めちゃった人がいるのではないかと踏んでいるが、それは完全に憶測である。

と何のことやらわからない記述をする。
具体的に書かないのはもちろん実名では書けないような話題だから。
あくまでも自分用の備忘録としての記述。

7/6
毎度のことながら、ワールドカップは放送時間の関係であまり見れていない。
オリンピックの場合は日中に開催される競技もあるため、日本でちょうどいい時間に放送されることもあるが、屋外のハードな競技であるサッカーではそうもいかず、どのワールドカップでも日本時間では深夜になってしまう。
ロシア・カタールは時差が比較的小さいので、次とその次は多少マシかもしれない。

6/18
私はこれまで企業・私大・国公立大と職を移ってきた。
転職の多い人が必ず気をつけておかなければならないこととして、今の職場を前の職場と比較したりしてはいけない(そしてそれを現在の同僚に語ったりするのは言語道断)、という点が挙げられる。
前の職場と比べて褒めるのですら危険なのだ。ましてや貶したりしては絶対にいけない。

ということを踏まえて。
現在、私は自分が最終的にどういう職場に落ち着きたいか、ということを考えさせられる状況にある。
世間の目を無視したとき、自分にはどのような環境が適しているのかという点については、実はもう私の中におおよそ答えが存在している。それが何なのかは上に書いた理由で述べないが、しかしその選択肢を選ぶのか、そして選べるのかという問題には答えが出ない。
正直なところ、いっそ外的要因で決まってしまえば楽だなあという気持ちがないでもないが、それはそれで面倒なことでもある。
「本当の戦いを戦え」とか書いたのは2年前だが、やはり自分のこととなるとなかなか難しい。

6/8
「センゴク一統記」は山崎の戦後処理から四国攻め。
清洲会議を秀吉有利に描かないという点はなかなか珍しい試みではあったが、そのぶん秀吉が天下を得られた理由に説得力がなくなるのではないかという懸念がある。
現実にはそこまで求心力がなかった柴田を大きく描きすぎたようにも見える。
「センゴク」は秀吉の黒い部分を描かずに進めているため、どうしてもそうなってしまうのだろう。
ただ、秀吉がなぜ主導権を取れたかを描くのはそう容易なことではなく(仇を討ったからというだけでそこまで大きくなれるのか、という疑問がある)、賤ヶ岳をどう描くかに期待しよう。

そして秀吉物で省略されがちな四国攻め。
省略されやすいのは秀吉自身が出陣しなかったことと、展開がちょっと(四国人にとっては)悲しすぎることが原因だが、仙石秀久を主人公にするなら当然描かなければならない戦いである。というか、四国と九州を描かずに仙石を語るのは不可能である。
ちなみに四国攻めの展開は「秀吉が日本の中枢で忙しくて地方に手が出せない→その隙に長宗我部が3年かけて伸長→柴田や徳川と終戦・四国に目を向ける→2ヶ月で全部片付く」である。
四国は全土でも百万石くらいしかなく、海賊衆が長宗我部の敵に回ったせいで(長宗我部の本拠地は土佐で、伊予や讃岐の海賊衆にとっては侵略者だった)海が地理的な防壁にならなかったという問題はあるが、それにしても「鳥なき里のコウモリ」(鳥がいないので、コウモリごときでも「空を飛べる」と威張ることができるという意味。信長が長宗我部元親を指して言った言葉)という言葉通りの結果なのが悲しすぎる。
なお、仙石秀久は秀吉が兵を出せなかった時期に長宗我部を抑える働きを担っており、五万石程度で数十万石を領有する長宗我部氏に立ち向かわなければならないという厳しい立場にいた。戦力差が大きすぎて長宗我部を止めることはできなかったようだが、それでも抑えとして機能していたという点を見ても、この時期の仙石はそこそこ優秀な武将ではあったようだ。
その後、九州戦役でなぜか四国に壊滅的な打撃を与えるという妙な仕事をするわけだが。

5/28
あれは年度末のことだったと思うが、「乙嫁語り」が漫画大賞を受賞していた。
中央アジアを舞台とするという点では実に私の好みではあるのだが、私にとっては残念ながら舞台は19世紀である。
中央アジアが世界の中心だったのはそれより少し前までで、この時期になると交易ルートとしての重要性もいくらか薄くなってしまっていた。作品中でも列強に翻弄されつつある姿が描かれていて、どうしても中央アジアの「その後」のことを思わずにはいられない。人々の穏やかな暮らしが描かれているからこそ、なおさらである。
しかし、そんなことを思ってしまうくらいよくできた作品であることも間違いなく、さすがは大賞と言うべきだろう。

あともう一つ思ったのはイスラムの力についてだった。
過酷な環境下では強烈な指導体制が必要だが、その指導者が愚かだったらどうなるかを描いているエピソードもあるのだ。そしてそこから、この地域でイスラム教が広まった理由について考えさせられることになった。
他の主要な宗教の開祖(イエスやブッダなど)とムハンマドとの最大の違いは、その世俗君主としての能力の差である。イスラム教についてフィクションで扱うのが極めて難しい現状から、残念ながらムハンマドの事績は日本ではあまり知られていないが、この人の世俗君主としての能力はずば抜けて高いのだ。
そしておそらくそのことを反映して、イスラム教は人々を統率する方向の能力が高い、ように思われる。イスラム教があってこそ、この過酷な土地の人たちは結集することができたのではないか。ちょっとした誤りで一族全員が破滅に向かいかねない世界で、イスラム教がそれを救ってきたのではないか。
そして逆にそれが現在のいろいろとややこしい状況の原因にもなってるのかもしれない。

5/4
今さらながらにスティーブ・ジョブズのスピーチ「Stay hungry. Stay foolish.」を見てみたが、多くの人名がフルネームで行儀良く語られている中で(スタンフォード大学でのフォーマルなスピーチというせいもあるだろう)、ウォズニアックだけが「Woz」の3文字で語られていた。
我々古い世代の人間はウォズニアックを特別視する傾向があるので目に付いただけかもしれないが、それでもこんな友人が得られたことは、ジョブズにとって(いろんな意味で)最大の幸福だったのではないかと思う。
そして「Woz」の3文字で語ることが許されるくらい、世界中の人がこの2人が友達だと知っていることもまたすごいことではないかと思う。

ウォズニアックは事実上Apple 2以降表舞台に出るような仕事をしていないので、どうしても「過去の人」感が強いが、それでもこの人が(もちろん、ジョブズとともに)本当の意味での「パーソナルコンピュータ」を生み出した人なのだ。
どれだけ特別視してもしすぎということはない。
ただ、どうも一箇所に留まることができるタイプではなく、また十分な富も得てしまったせいで、それ以上コンピュータ業界に打ち込む気になれなかったのではないかという気はする。

2/8
この長い非更新期間中にも漫画を読んだが、まとめてみる。
まず高評価のものから挙げると、「大奥」は一つのエピソードをうまくまとめていた。歴史物に完全創作のエピソードを混ぜるのは難しいのだが、それを美しくそして絶望的に締めていた。しかもどうもこれが幕末に繋がりそうな印象もあって(ネタバレになるが、赤面疱瘡の治療法を知る者を幕府が手放し、市井に戻したことが、西国勢の強兵化と関連してきそうな気がする)、非常に先が楽しみな作品となっている。
ちなみに「江戸幕府を滅ぼした人物」を一人に比定することはあまりないが、強いて言えばこの親子、という人物(隠すまでもないが、治済と家斉である)が史実通りの嫌な働きをしているのも見所である。潔癖な定信がこの後に何をやったかも知っているだけに、そちらの騒動にも期待している。

もう一つ評価している作品は「センゴク」で、こちらは天正記でのマンネリ化から大きく回復しているように思う。一つには仙石秀久が歴史に残る地位に上がってきていて、今までのように秀久を不自然に活躍させることができなくなったせいもあるのではないか。たとえば山崎の合戦に秀久が参戦していないことは史実として確定しており、無理に秀久を山崎で活躍させることはできない。その結果自然に物語を進めることができるようになっている(それでもまだ変なところで名前が出てきているが、主人公補正で片付けられる程度である)。
そうなると逆に秀久のようなマイナー武将(ただ、この時期は結構有力な家臣に成長している)を主人公にした効果も生きてきて、秀吉だの光秀だのといった大大名ではない、戦国時代を生きる人々の描写が説得力を持って立ち上がってくるのだ。大大名メインの視点では家康の伊賀越えや光秀の最期は理解しにくいが、身分の低い人々が社会を動かしていたことを示すにはちょうどいい主人公になっている。

一方で風呂敷を広げすぎた感の強い「進撃の巨人」、デウス・エクス・マキナ多発の問題に気付いたっぽいけど解決策を間違えてる「もやしもん」、新キャラが魅力的じゃなかった上にこの先10年間登場し続けることを確定させてしまって引っ込められなくなった「グラゼニ」など、せっかくの題材をうまく生かせていない作品もあった。
どれも決して修正不可能というわけではなさそうなので、良くなってくれることを祈る。

もちろんどちらにも属さず、いわゆる「定番」として安定している作品も多いが(というよりそれが一番多い)、そういうのは取り上げにくい。

10/9
昨日の項目について、ずっと更新してなかったのにノーベル賞が発表されたからといって更新するのはどうかな、と思っていた。
思っていたが、さすがに今日は更新しないわけにはいかない。
化学賞、カープラス・レビット・ワーシェル。これほど我が目を疑った発表はない。
全員、計算化学手法で生体分子を扱った研究者である。プレスリリースを見るとQM/MMへの授賞っぽいが、カープラスは古典MDの業績もプラスに働いた可能性がある。
Yahoo!でWikipediaの「計算化学」にリンクが張られていたのを見て、思わず笑いそうになりました。

もちろんこの3人はこの分野で画期的な業績をあげていて、特にカープラスは10年以上前から「この分野でノーベル賞をとるとしたらカープラス」と言われ続けていた。ただ、なんせ計算(理論化学ではなく計算化学)の世界の業績なので、ノーベル賞(理論か実験に与えられることがほとんど)は難しいのではないかと思っていた。特にQM/MMとなると科学と言うより技術の話に近いので、我々にとっては輝かしい業績でも、一般に評価されるのは難しいのではないかと思っていた。
それがこんなことになろうとは。
こっちにも何かおこぼれがあるかも、というアレな話は置いといても、これは本当に喜ばしい話である。

ちなみに発表資料を見るとアリンジャーの名前が何度も出ていて、おそらく最後まで争っていたのではないかと思わせられた。憶測だが、「カープラス・アリンジャー(分子力学)」と「カープラス・レビット・ワーシェル(QM/MM)」で議論になったのかもしれない。
また当然ながら諸熊先生の名前も挙がっていた。
そしてシン(Singh)の名前が間違ってた(Singになってた)。ノーベル賞の発表資料に名前を間違えられる研究者も滅多にいないだろう。

10/8
ノーベル物理学賞はヒッグス粒子。
アングレールとヒッグスなのはある意味当然だが、3人目は決められなかったようだ。実際相当紛糾したようで、発表が遅れるという珍しい事態になっている。
そして2年前に亡くなったブラウトのことを思う。ブラウトはヒッグス粒子の発見も見ることができなかったのだが、ただ別に早世というわけではなく(80歳を過ぎていた)、やはり理論研究者を評価するには時間がかかるのだな、と思わざるを得ない。
ノーベル賞受賞者を見ると、理論物理学者はみんな長生きなように見えてしまうが、因果関係が逆である(長生きしないとノーベル賞がとれない)。

7/12
更新したのにアップロードしていないかったが、今回のは完全にうっかりである。
アップロードしたつもりでいた。

6/30
そういえば、カーの言葉に
「アメリカに対する忠誠心を、その人の祖父が生まれた場所で計る事は出来ません。」
というものがある。
カーが1940年ごろにはその場所に到達していた、という事実には驚くほかない。

6/19
前回話題にした「諸国民の中の正義の人」はユダヤ人をホロコーストから救った非ユダヤ人に対して与えられる賞だが、もし日本人・日系人に関して同じ賞があるとすればおそらく受賞しただろう、と思われるアメリカ人がいる。
コロラド州知事、ラルフ・ローレンス・カーである。

太平洋戦争当時、アメリカにおいて日系人が強制収容されたのは有名な話である。日本に対して協力したわけでもなく、それどころかアメリカ国籍を持つ普通の市民であるにもかかわらず財産を奪われて強制収容所に押し込められる人々も大勢いた。そんな時代に、強制収容に真っ向から反対したのがカーである。
アメリカにおいて州知事の権限は非常に強く、アメリカ全土で日系人を排斥していた当時、コロラド州のみが日系人を市民として受け入れていた。しかし一方でカーは政治家であったため、自身の政治思想を全ての人に対して明らかにする必要もあった。日系人に対する感情的な意見が声高に唱えられているさなか、カーは日系人であるという理由だけで、犯罪を犯していない者の自由を奪うことは許されないと公に主張したのだ。

そしてその結果、カーは政治生命を失う。
上院選に敗れ、再起を期した州知事選でも敗北した直後、カーは失意のまま亡くなった。

カーの死後、カーの行為は賞賛されることになる。しかし日系人の強制収容はアメリカ人にとってあまり触れられたくない話題であるようで、アメリカ国内ではカーの知名度はあまり高くないようだ(コロラドでは知られている)。
実際カーの事績を紹介しているのはほとんど日本人・日系人で、いつか杉原のようにカーの事績が本国でも再認識されるようになるといいなあ、と思う。

6/10
かつて全く無名だった杉原千畝も、今では多くの人がその名を知るようになった。
訓令に逆らってユダヤ人を救ったという行為から、ただ優しい人物を想像しがちだが(そしてそれ自体は別に間違いではないようだが)、伝わっているエピソードを見ると相当剛直な人物だったようだ。
言動は全く穏やかな人で、声を荒げたりするタイプでもなかったそうだが、一度やると決めたら必ずやるという人だったようで、ビザの発給にしてもヒトラーだろうが松岡洋右だろうが関係ないという態度を最後まで貫いている(ちなみに後にリッペントロップにも逆らったという記録がある)。
結果としてそれが外務省を辞めさせられることにまで繋がってしまうわけだが、1940年前後の東欧でそんな態度を貫けた外交官なんてうまく使えば相当活躍の場があっただろうになあ、という気がしないでもない。

ちなみに「諸国民の中の正義の人」には杉原のように後に全てを失った人が何人もいて、杉原同様外交官としてユダヤ人を救い、その後地位を失ったアリスティデス・デ・ソウザ・メンデス(「ヘンリー航海王子以来の偉大なポルトガル人」と言われたが、本人は失職)や、ユダヤ人を救うために書類を偽造し、失職した上に前科者として失意のままこの世を去ったスイス人警官パウル・グリュニンガーのような例もある。
この両者はどちらも死後に「諸国民の中の正義の人」として顕彰されており、その意味では杉原(亡くなる前年)はまだマシだったとは言える。
あまり救いにはなっていないが。

5/19
「百里を行く者は九十を半ばとす」という言葉を思い出したが、北陸から札幌まで電車で行く場合、時間的中間地点は新青森あたりのようだ。
稚内まで行ったときは、函館が中間地点。

5/17
従軍慰安婦についての発言でまた紛糾しているが、今回に限らずこの話題はいつもそれぞれが別のほうを向いて議論しているような印象がある。
意見が異なるのはともかく、論点も全然すり合っていないのではないか。
いわばテニスと書道で戦っているような、妙な雰囲気を感じる。

4/30
小説やマンガが書籍化した際、巻末に解説が付くことがある。
そしてときどき、「なぜこの人にこの作品の解説をさせたのか」と思うことがある。

しばしばミステリの解説で壮絶にネタバレをする解説者もいるが(以前笠井潔が、解説対象の作品自体はおろか他の数作品のネタバレを一気にしていたことがあった)、それはまあ愛情の暴走ということでわからなくはない。笠井潔などはその典型例であろう。そういった愛するが故の暴挙ではなく、ときどき解説でその作品を小馬鹿にしたようなことを書いている解説者がいるのだ。
思想的なものが表に出た作品の解説に多いが、おそらく解説者は作者の反対側の思想を持っているのだろうと思わせる、解説でありながら「そんな思想間違ってる」と言わんばかりの文章が寄稿されていることがある。独立した評論ならわかるが、なんでそんな文章を他人の作品につけようと思うのか、解説者の神経を疑う。
私自身がその作品を好きかどうかとは関係なく、そういう解説を見るのは少々不愉快である。それこそたとえ解説に書かれているのが私の思想と完全に一致していたとしても、だ。

ちなみに上の文章、最初は作品名も書いていたのだが、それをすると解説者名もわかってしまうのでやめた。
右っぽい作品における左っぽい解説と、左っぽい作品における右っぽい解説の両方を例示していたが、まあわざわざそうやってアピールしなくても言いたいことはわかるだろう。

4/28
講義の準備をしていて少し驚いたが、タンパク質の立体構造を利用して作られた薬が飛躍的に増加している。
昔は2, 3の例を出したらおしまいという感じだったのだが(他に例がないため、正確には立体構造を利用したとは言い難いイマチニブが例に出されることも多かった)、今では全てを追うのが不可能なほどたくさんある。
これはよく考えれば当たり前の話で、立体構造を利用した創薬(SBDD)および計算機による創薬(CADD)が急速に発達したのは1990年代から2000年代なのだ。その時期に作られた薬が上市されるのは、どうしても2000年代後半から2010年代に入る。だから最近になって急に増えているわけである。

以前も書いたが、2000年代中頃、よく「コンピュータなんか創薬の役に立つのか?」と冷笑的に言われていた。そして「コンピュータで作った薬なんてほとんどないじゃないか」と続いていた。
そういうことはいかにも産業界の人がいいそうな気がするだろうが、意外にもこういうことを言うのはアカデミアの人が多かった。それはおそらくアカデミアの人が、製薬企業の内部で何が行われているのか知らなかったためではないだろうか。
2000年代の中頃は私も製薬企業に勤めていて、他の会社の研究者の人とも交流があった。そしてその時代で既に、ある程度の規模の製薬企業でCADD部門を持たない会社はなかった。アカデミアの人が「計算で創薬なんかできないよ」と言っていた時代に、企業ではコンピュータを創薬に使うプロジェクトが多数進行していたのだ。
本来であれば企業よりも前を進んでいるべきだったアカデミアが、この分野では企業よりもずっと後ろにいた、という印象は今でもぬぐえない。何度書いたかわからないが、創薬を謳いながら創薬に投資せず、似て非なる分野に研究費を投じ続けてきたのではないか、と。
まあ、私はそのおかげで得をした部分も多いので(というか、たぶんものすごく得をしている)、あまり文句を言うべきではないのだが。
「俺らが冷笑されていた時代には何もしなかったくせに、いまさら創薬とか言いやがって」とか言ってはいけない。

4/13
関西地方、それも淡路島で地震があったとのこと。
誰もが18年前を思い出したようだが、阪神淡路大震災は慶長伏見地震(1596年)から繋がっているという説もあるくらいで、大きな地震の関連地震についてはいつ何が起こるか分からない。
皆さんくれぐれもご注意ください。

4/4
書いては消しを繰り返す元凶の一つを書いてみよう。
スーパーコンピュータ、京のことである。

京については昔、事業仕分けのあったころに一度話題に挙げたが、事業仕分けの狂騒が収まればもう話題にされることはないだろうと思っていた。
ところが今でも(主に民主党を批判したい文脈で)取り上げられることがあって、科学行政の話題がこんなに長いこと取り上げられていることに驚く。
「2位じゃダメなんですか」がそれだけキャッチーだったのだろうかとも思うが、しかしずっと思っていたことがあった。
事業仕分けで京プロジェクトを最初に批判したのは、鳩山政権ではないですよ。

全国版事業仕分けを最初に行ったのは、麻生内閣である。そしてこのとき、科学技術予算に対しても極めて厳しい意見が投げかけられた。
京に対して最初に「『1位になる』という目標は不適当である」と指摘し、事業の廃止をも主張したのは、麻生内閣の仕分け人であった。
政治家はあまり科学行政について奇抜なことはしない傾向があるため、その後成立した民主党政権も麻生政権の方針を引き継いでいた。それがあの有名な民主党による事業仕分けである。

ところが、科学技術分野について麻生政権の事業仕分けとほぼ同じことを主張した(結局仕分け人の意見が容れられなかったという点でも同じだった)民主党の事業仕分けは、ご存じの通り大騒ぎになった。理由はいろいろあろうが(民主党が中身よりパフォーマンスばかりを重視していたせいもあれば、民主党を叩きたい人たちがなりふり構わなかったせいもある)、何にせよ政策そのものはどうでもよかったんだろうな、と思わざるを得ない。
実際京については、麻生内閣に指摘された点をほとんど修正せずに鳩山内閣の事業仕分けにかけているのだ。政権が交代したから何とかなると思ったのかもしれないが、正直なところ真面目にやる気があったのかと疑わざるを得ない。が、それが政争の狭間でうまい具合に生き残ってしまった。
民主党側は事業仕分けを自分たちの手柄にしたいという事情が、自民党側は事業仕分けを民主党を批判するカードにしたいという事情があって、麻生内閣の事業仕分けについては今ではほとんど語られなくなってしまった。それが京にとって有利に働いたのではないだろうか。
ちなみに自民党は野党時代にも国会版事業仕分けで京を批判していて、京は自民民主両党にずっと批判されながら生き残ったすごいプロジェクトになっている。

考えてみればわかるが、事業仕分けはそもそもリバタリアン的な政策であって、どちらかというと保守層に支持されやすい政策なのだ。
事実麻生政権が京を酷評したころは、保守的な人が「その通り、京は不要なプロジェクトだ!」と主張していたのだ。当時私も同業者と京について語ったことがあるが、別にそのときは「京に反対する奴は国賊」みたいな変な空気はなかった(ちなみに当時から私は京に批判的で、麻生政権の指摘に賛成していた)。
それが政権交代したからってあんなふうになるのはちょっとおかしいんじゃないですかね、とずっと思っていたのだ。私も大人になったので表立っては言わなかったが。
極端なのになると「事業仕分けに賛成する奴は民主党支持者」みたいなことを言う人もいたが、じゃあ麻生さんは民主党支持者なのかよ、と心の中で突っ込んでいた。
そんなわけで、京は政党やイデオロギーにとらわれるのがどれだけバカげたことなのかを示す好例なんじゃないかと思っている。

なお、京に1000億円を越える予算が投入されていたころ、低予算で世界レベルのスーパーコンピュータシステムを作り上げた長崎大の濱田さんはテニュアトラック助教(時限付きポジション)だった。そして一方の京プロジェクトのトップはスーパーコンピュータの専門家ではなかった。
別に京と濱田さんの処遇に関係があるとは思わないが、スーパーコンピュータの開発プロジェクトとしては金の使いどころが間違ってたんじゃないかという感は今でもぬぐえない。なんせ自民も民主も否定していたわけだし。
まあ、今では濱田さんもテニュアの准教授らしいが。

3/17
田崎先生が学閥について書かれていたが、2000年に書かれた記事を元に話が展開していた。
私と田崎先生ではいろんな面で全然レベルが違うが、それでもやはり「本当の戦いを戦え」と思われるのかな、と。

3/2
ちょっとびっくりしたのだが、今年の7月、同じ時期に同じ場所で、同じ略称の(そして全く分野の異なる)学会が開催される。
略称はどちらもICSG2013、「国際構造ゲノム科学会議 (7/29-8/1)」と「国際会議『推論・計算・スピングラス』(7/28-30)」。どちらも札幌。
私は前者に興味があって調べていたのだが、後者も多少私の専門と関係があるのが面白い(物理学の一分野である統計力学は人工知能など情報学と関連があって、それに注目した会議)。ちなみに後者は統計力学に関するもっと大きな会議(7/22-26, ソウル開催)のサテライトミーティングで、2重括弧内を略してICSGになってしまったらしい。
どちらかが札幌駅から遠いコンベンションセンターあたりでの開催ならまだしも、どちらも札幌駅周辺での開催で、外国からの参加者が困らないだろうかと不安になる。

ちなみに構造ゲノムのほうではこの事態を把握している形跡があり、通常「ICSG2013」のみである学会略称が今回に限って「ICSG2013-SLS」となっている。
どちらも物理学と他分野との融合領域なんだし(構造ゲノムは物理と生物の融合、「推論・計算・スピングラス」は統計力学の情報学への越境)、開き直って共同イベントとかやっても面白そうではある。

3/1
2/11に書いた使徒座空位が今日から始まる。
大昔と比べると世界が広がっていて、単なる元首ならともかく教皇ともなると関与する範囲が広くなりすぎること、そして世俗の政治家と違って任期がないこと、さらに教皇には枢機卿の中でも上位者(自然と年配者になる)が選ばれることが多いことを考えると、今後もこういう使徒座空位が一般的になるかもしれない。

2/18
書いては消した内容はいろいろである。
政治の話もそうだが、それ以外にも多岐に渡っている。
全体として時事に関連したネタは消す傾向にあって、まあ最初から書かないのが無難だろうと思っている。

ところで、職を移ってから妙に進化論について話す機会が多い。
私が進化を学んだのは生物学からではなく遺伝的アルゴリズムからだが、むしろそのおかげで「進化システム」とでも呼ぶべきものをイメージできたような気がする。
進化の基本は「選択」(優れた者が選ばれる)ではなく「淘汰」(適応できなかった者が殺される)で、そして適応できたかできなかったかは生物の優劣とは多くの場合無関係なのだ。
「弱肉強食」ではなく「適者生存」、そして「適者生存」という言葉すら正確ではない(強いて言えば「不適者死滅」)という感覚を、どうにかして伝えたいものだと思っている。
たとえば「肉食動物も満腹時は獲物を襲わない」というのがまさにこれで、どれほど強力な肉食獣であろうが、満腹時にまで獲物を狩ってしまう動物には絶滅する以外に選択肢がない(獲物の数が、捕食者の個体群を維持できないほどに減ってしまうため)。結果として、満腹時には獲物を見逃すような動物だけが地上に存在できることになる。
「進化」という言葉に含まれる、生き物がどんどん改良されていくようなイメージが、実際の進化を理解する際には邪魔になっているように思う。

2/11
ここまでほとんど書いたものを消してきたのだが、今日はえらいニュースがあった。
教皇が退位するとのこと。
「使徒座空位」というのはなかなかファンタジーっぽい用語であるが、前教皇が存命のままその状態になるというのはなかなか想像がつかない。
今の教皇は退位後なんと呼ばれるのだろうか。


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人目。