月姫
秋葉のキ・リ・フ・ダ!




 サアーーーッ!!
 そんな音が聞こえてきそうなほど鮮やかな朝日が射し込む部屋の中で、『遠野志貴』は未だ眠りの中にあった。
「むにゃ・・・」
 僅かな寝言を呟きながら寝返りを打つ志貴の顔は、この先起こる騒動などまるで予想もしていない穏やかなものだった。
「お・は・よ・う、志貴」
 そんな志貴の耳元で、艶やかな声が囁かれた。
「ん?」
 ピクリ!!
 その声に僅かに反応したものの、志貴はまだ起きる気配を見せなかった。
「もう〜、ホントお寝坊さんなんだから〜。ほ〜ら〜、起きてよ志貴」
 一向に目を覚まさない志貴を見て、拗ねるのと喜ぶのを足して2で割ったような表情を作りながら、美しい金髪の女性はもう一度志貴の耳元で囁いた。
 フ〜・・・
 ご丁寧な事に、耳の中への息の吹きかけのオマケ付きである。
「う・・・ううん・・・」
 これにはさすがのネボスケ志貴も反応し、その重い瞼をゆっくりと開いて行った。
「おはよう、志貴!」
 そんな志貴に向かって、金髪の美女・アルクェイドは、向日葵のような笑顔を咲かせながら元気にそう挨拶をした。
「ん・・・おはよう、アルクェイ・・・ド・・・」
 そこまで言った所で、ようやく志貴の脳が正常に働き始めた。
「ん?どしたの、志貴?」
 突然ピタリと動きを止めてしまった志貴に向かって、アルクェイドは無邪気な笑みを浮かべながらそう訊ねてきた。
「う、うわーーーっ!?」
 次の瞬間、志貴は有らん限りの力を振り絞って絶叫していた。
 まあ、朝起きた時に、同じ布団の中に予想だにしなかった人物が潜り込んでいたのだから、それも仕方のない事かもしれない。
「もう〜、志貴ってば朝から騒がしいよ」
 そんな志貴の絶叫にも全く怯むことなくサラリとそう言い返す辺り、さすがはアルクェイドと言ったところだろう。
「ア、アル、アルクェイド!?お前どうしてこんなとこにいるんだよ!?」
「そんなに驚く事ないでしょ?いつもの朝の挨拶よ」
 慌てる志貴とは対照的に、アルクェイドはクスリと微笑みながら平然とそう言った。
「バ、バカか!?どこの世界に朝の挨拶で布団に潜り込んでくる奴がいるんだ!?」
 志貴はそんなアルクェイドの笑顔に少し赤面しながらも、そう猛抗議した。
 しかし、この時志貴は気付くべきだった。
 先程のような悲鳴に近い叫びを聞いて平然といられる者は稀だと言う事を・・・。
 ドンドンドン!
「志貴様、どうなされたのですか!?」
 珍しく荒々しくドアがノックされた後、翡翠の切羽詰まったような声が聞こえてきたのはその時だった。
 先程の志貴の悲鳴を聞いて駆けつけたのは明白だった。
「ひ、翡翠!?いや、これは何でも・・・」
「失礼します!!」
 カチャッ!!
 余程慌てていたのだろう、翡翠は『何でもない』と続けようとした志貴の言葉を聞き終わる前に部屋の中に足を踏み入れていた。
 ピキッ!!!
 翡翠が部屋の中に足を踏み入れた途端、空気が凍り付いた。
「あら?おはよう」
 その場の空気を完全に無視してにこやかな笑顔を浮かべているアルクェイドは別として、志貴と翡翠はまるでオブジェのように固まってしまっている。
 ジーーーッ!!
 特に翡翠は直立不動の姿勢で固まっており、その視線はまっすぐに志貴とアルクェイドが潜っている毛布に注がれている。
『ま、まずい・・・』
 こういう状態の翡翠が最も危険であると熟知している志貴は、何とか言い訳をしようと考えたが、咄嗟に言葉が出て来なかった。
「あっ・・・」
 そんな志貴に先んじて、翡翠の口が大きく開かれた。
「ひ、翡翠!?ちょっと待っ・・・」
「あああああああーーーーっ!?」
 慌てて止めようとする志貴の声よりも早く、翡翠の口からは驚きとも悲鳴ともつかない絶叫が放たれた。

 翡翠が絶叫する5分ほど前、とっくに朝食を済ませた『遠野秋葉』は、リビングで優雅に紅茶を楽しんでいた。
「は〜・・・兄さんはまた寝坊みたいね。まったく、待ってるこっちの身にもなって欲しいわ・・・」
 チラリと高価そうな置き時計に目をやった秋葉は、溜め息交じりにそう呟いた。
「ん?何かおっしゃいましたか秋葉さま?」
 そんな秋葉の呟きが聞こえた訳ではないのだろうが、琥珀がそう言いながらヒョイと台所から顔を覗かせた。
「う、ううん、何でもないのよ!・・・それより、兄さんはいつもにも増して遅いわね」 琥珀の言葉に少し赤面しながらそう答えると、秋葉は誤魔化すようにそう言った。
「うふふ・・・そうですね。志貴さんは本当にお寝坊さんだから」
 全てを見通しているような笑みを浮かべながら、琥珀は楽しそうにそう答えた。
『・・・もしかして、琥珀って全部分かっていて私をからかってるんじゃないでしょうね?』
 そんな琥珀の姿を見て、秋葉はむーっと考え込んでしまった。
 リンゴーン!!
 遠野家の荘厳な呼び鈴が鳴ったのは、その時だった。
「あら、こんな朝から誰でしょうね?」
 琥珀はそう言いながらも、どこか嬉しそうな表情でパタパタと玄関に駆けて行った。
 ゾクリ!!
『何か嫌な予感がするわ・・・』
 そんな琥珀の後ろ姿を見送りながら、秋葉は肌が粟立つような感覚に襲われていた。
「あらっ、いらっしゃーい。志貴さんのお迎えですか?」
「ハイ!たまたま早起きしたものですから」
 秋葉の嫌な予感は、玄関から漏れ聞こえてくる会話で確実なものになった。
『あの女〜!!』
 凄まじく聞き覚えのある声に、見る見るうちに秋葉の不快指数が上昇していく。
 ダン!ダッ!!
 秋葉は、手にしていたティーカップを少し乱暴にテーブルの上に置くと、そのまま一気に駆け出した。
 ズザッ!!
 秋葉がロビーに飛び出すと、丁度ドアの向こうからニコニコ顔の琥珀とそれに負けず劣らずのほほんとした笑みを浮かべたシエルが現れた。
「あら、秋葉様、もうお出掛けですか?」
 不機嫌なオーラを立ち上らせる秋葉の姿に全く動じることなく、琥珀は少しわざとらしくそう訊ねた。
「いいえ、まだ出ないわよ。それより、貴女の背後にいるのはどなたかしら?」
 そんな琥珀の言葉にこめかみの辺りをピクピクさせながら、秋葉は皮肉タップリにそう訊ねた。
「いやですね〜、シエルですよ。私のこと忘れちゃったんですか?」
 そんな秋葉の皮肉も何のその、シエルは全く笑顔を崩すことなくしれっとそう答えた。
 ピクリ!!
 このシエルの言葉に、再度秋葉のこめかみが細かく震えた。
「私はそういう事をお訊きしてるんじゃありません!!なぜ貴女がこんな時間に、当家を訪れているのかと訊いてるんです!!」
 シエル程駆け引きになれていない秋葉は、思わず声を荒げキッとシエルを睨み付けた。
「勿論、遠野くんを迎えに来たんですよ」
 そんな秋葉の言葉に、シエルは速攻でそう答えた。
 しかも、『何を当たり前のことを訊いてるんですか、この人は?』といった表情のオマケ付きだった。
 プチリ!!
 シエルのこの態度に、秋葉が完全に切れた。
「迎えに来てもらう必要なんてありません!!兄さんは、この私と一緒に登校するんですから!!」
 プルプルと拳を小刻みに震わせながら、秋葉はそう断言した。
「嫌ですね。独占欲丸出しですよ」
 そんな秋葉を見ても、シエルは尚も余裕綽々の態度でそう言葉を返した。
「貴女に言われたくありません!!『私の』兄さんにちょっかい出さないで下さい!!」
 ピクリ!!
 秋葉が特に強調した『私の』という言葉は効果絶大であった。
 それまで軽く流していたシエルのこめかみの辺りが、細かく痙攣し始めた。
「・・・随分と大胆な事を仰いますね。私を前にして、その言葉は少し身の程知らずだと思うのですが・・・」
 シエルは押し殺した声でそう言い返したが、その胸中は穏やかではなかった。
『さっきの秋葉さんの言葉・・・まさか、遠野くんと秋葉さんは既にそういう関係なのでは?』
 そんな事を考えると、シエルの笑みはどんどん引きつって行った。
 しかし、相手の言葉で疑心暗鬼になったのはシエルだけではなかった。
『さっきのこの人の言葉・・・まさか、兄さんとこの人は既にいかがわしい関係になってるとか!?』
 自分の想像に、秋葉は世界が終わるような錯覚を覚えた。
 こうなると、互いに嫉妬の炎が渦巻き、相手に対する敵意も倍増する。
『この女ーーー!!』
 お互い同じ言葉を心の中で絶叫しながら、シエルと秋葉はお互いを睨み付けた。
 バチリ!!
 2人の強烈な視線は空中で衝突し、青白い火花を散らす。
 そんな2人のやり取りを、いつの間にか階段脇に待避した琥珀が、興味津々の顔つきで眺めている。
 今や2人は、文字通り一触即発、背後に獣の姿が浮かび上がるのは時間の問題だった。
「あああああああーーーーっ!?」
 翡翠の悲鳴とも絶叫ともつかない声が聞こえてきたのは、まさにその時だった。
 ピクリ!!
 その声を聞いた瞬間、シエルと秋葉は本能的に志貴の身に何かが起こったのを察した。
 ダッ!!
 シエルが鍛え抜かれた脚力をフル稼働しダッシュすると、驚いた事に殆ど遅れることなく秋葉もそれに続いた。
 ダッ!ダッ!ダッ!ダッ!
 2階の廊下を、疾風と化した2人が駆け抜ける。
 バン!!
「遠野くん!!」
「兄さん!!」
 志貴の部屋の前に到着した2人は、全く躊躇することなく半開きになったドアを開け、我先にと室内に飛び込んでいった。
 ピキン!!
 そして、次の瞬間2人は凍り付いた。
 視線の先に、半身をベッドに埋めたままの志貴とそれにしだれかかるアルクェイドの姿があったのでは、それも仕方ないことなのかもしれない。
「あ、秋葉様・・・」
 飛び込んできた秋葉の姿を見て、翡翠はようやく自分のしでかした事に気付いた。
 チラリ・・・
 横目で志貴の方を見た翡翠の瞳は、『申し訳ありません』と語っていた。
 しかし、それと同時に『自業自得です』という色が含まれている事を志貴は見逃さなかった。
「や、やあ・・・2人ともおはよう」
 志貴は咄嗟にどうすることも出来ず、右手をシュタッと挙げながら、思わずそんな当たり前の挨拶をしていた。
 ピクリ!
 その言葉に、秋葉とシエルの口の端が引きつる。
 先程まで感じていた怒りは、その矛先を変えつつあった。
「兄さん・・・これは一体どういう事なのでしょうか?説明していただけますか?」
 『略奪』の能力を使っていないにも拘わらず室内の熱を全て奪ってしまうような冷たい口調で、秋葉がそう訊ねる。
『ヤ、ヤバイ・・・怒ってる・・・これは本当に怒ってるぞ・・・』
 その秋葉の姿に、志貴は本気で生命の危機を感じていた。
『シエル先輩が大人しくしていてくれる事だけが唯一の救い・・・ゲッ!?』
 そんな事を考えながらシエルを横目で見た志貴は、シエルのスカートの背後でチラチラと見え隠れする黒鍵の存在に気付き、自分の考えの甘さを知った。
『ダ、ダメだ・・・シエル先輩も本気だ。迂闊なことを口走ったら殺られる』
 志貴は、『黒ひげ危機一髪』の樽の如く全身を黒鍵で串刺しにされた自分の姿を想像し、冷や汗をダラダラと垂らした。
『大体、何でこの場にシエル先輩がいるんだよ!?よりにもよってこんな時に!?うお〜っ、神は我を見放した!!』
 迫りくる恐怖とプレッシャーに、志貴は現実逃避モードに突入しつつあった。
「兄さん、いつまで惚けてないで、ちゃんとした説明をして頂きましょうか」
 しかし、それを許すほど秋葉は甘くなかった。
「は、はひ!!」
 秋葉の鋭い言葉に、志貴は否応なく背筋をピンと伸ばさざる負えなかった。
「ねえ、志貴・・・」
 焦りまくる志貴の心中などまるで知らないかのようなのんびりとした口調で、アルクェイドが話しかけてきたのはその時だった。
「貴女は少し黙っていて頂けますか」
 そんなアルクェイドに向かって、これ以上ないぐらいトゲトゲした秋葉の言葉が飛んだ。
「そうです。今は、遠野くんに説明を求めてるんです。貴女には関係ありません」
 珍しく秋葉の言葉を支持するようにそう言うと、シエルはキッとアルクェイドを睨み付けた。
「あらあら、随分とご挨拶ね。それなら、あんただって部外者じゃないの?」
「勝手に部外者扱いしないで下さい!!第一、私は貴女と違って正式な許可をもらって家の中に入れてもらったんです。コソコソと忍び込んだ貴女とは違います」
『私は別に許可したつもりはありませんけど』
 秋葉はシエルの言葉に対して思わずそうツッコミを入れそうになったが、取り敢えず今のシエルは味方の立場にあるので思い止まった。
「失礼ね〜。私だってちゃーんと許可をもらってるんだから。ね〜、志貴?」
「なっ!?」
 アルクェイドの意味深な言葉に、当の志貴は勿論、秋葉・シエル・翡翠の口から思わず驚きの声が上がる。
 只一人、いつの間にか部屋の入り口付近で中の様子を伺っていた琥珀だけは、『おお〜っ』というある種の期待の籠もった呟きを漏らしていた。
「お、おい、アルクェイド!?一体何を・・・」
「独り寝が寂しいって私を誘ったのは志貴じゃない。もう〜、オ・ト・ボ・ケ!!」
 アルクェイドは人差し指で志貴の脇腹を突つきながら、これ以上ないぐらい色っぽい声でそう囁いた。
 ブチン!!
 ピキッ!!
 その言葉を聞いた瞬間、秋葉とシエルはブチ切れ、志貴は凍り付いた。
「ア、アルクェイド、お前何を!?」
 ガシッ!!
 アルクェイドに詰め寄ろうとする志貴の襟首が、秋葉によってシッカリと掴まれた。
 ソ〜ッ・・・
「兄さん、詳しく訊かせてもらえますね?」
 恐る恐る振り向いた志貴に向かって、能面のように表情を固めた秋葉がそう訊ねた。
「ま、待ってくれ!全部アルクェイドの狂言なんだってば!!」
「言い訳は見苦しいんじゃありませんか」
 必死に弁解する志貴に向かって、かなり怖い笑顔を浮かべたシエルが静かにそう言った。
 シャ〜コ、シャ〜コ
 シエルが手にした黒鍵を砥石で研ぐ音が部屋に響き渡り、それが志貴の恐怖を倍加させた。
「ま、待ってくれ!!アルクェイド、お前からもちゃんと説明してくれよ!!」
 志貴は藁をも掴む思いで、アルクェイドに助けを求めた。
「もう〜、志貴ってばそんなに照れること無いのに」
 しかし、アルクェイドから帰ってきたのはある意味予想通りの答えだった。
 その言葉に、志貴は更に自分の命が危うくなるのを感じた。
『今、自分の体の死の線を見たら、いつもの倍ぐらい見えるんじゃないか?』
 そんな錯覚を覚える程、今の志貴は困窮していた。
「そ、そうだ!!秋葉、シエル先輩、学校!!急がないと学校遅れちゃうよ!!ねえ翡翠、もう時間ギリギリだよね」
 志貴は、ほんの僅かに見えた光明にすがるように、翡翠に同意を求めた。すると、
 スタスタスタ・・・ピタリ!
 翡翠は無言で歩を進め、部屋の入り口の前で立ち止まった。
「ひ、翡翠・・・?」
 その行動にとてつもなく嫌な予感が沸き上がるのを否めなかったが、志貴は何とか声を振り絞って翡翠に声を掛けた。
 クルリ!
 その志貴の声に反応したのか、翡翠は志貴の方へ振り向くと黙ったまま志貴を見つめた。
「あ、あの・・・翡翠?」
 益々強まる嫌な予感を必死に抑え込みながら、志貴は再び翡翠の名前を呼んだ。
「学校の方にはお休みという連絡を入れておきますので、存分にお時間をお使い下さい」
「えっ!?ちょ、ちょっと待・・・」
 ペコリ・・・ガチャ!
 翡翠は一方的にそう言うと、志貴の言葉を完全に無視して慇懃にお辞儀をした後、扉を閉めて部屋から出ていってしまった。
 ちなみに、翡翠がドアを締めようとした時、ドアの向こうで琥珀が少し嬉しそうにバイバイしている姿が、志貴の位置からもハッキリと見て取れた。
『琥珀さん・・・随分嬉しそうだね・・・』
 完全に退路が断たれたと悟った志貴は、諦めにも似た心境でそんな事を考えていた。
「という訳ですので、ジックリ話を訊かせてもらいますからね、良いですね、兄さん?」
「そうですね。これで邪魔も入りませんし」
 途方に暮れる志貴に向かって、秋葉とシエルが無慈悲な言葉を投げ掛ける。
「志〜貴〜、この際だから、この2人に私達の関係をドバーッと言ってやってよ〜」
 そんな不機嫌2人の事などまるで気にかけず、アルクェイドは幸せそうな顔で志貴に再び擦り寄った。
「ちょっと、必要以上にベタベタしないで下さい!!」
「そうです!!すぐに遠野くんから離れて下さい!!」
 志貴にピタリと張り付いたアルクェイドの姿に、秋葉とシエルから怒号が飛んだ。
「あ〜ん、志貴〜、2人が寄ってたかって私を苛める〜」
 ギュッ!
 アルクェイドはわざとらしく怯えたようにそう言うと、更に強く志貴にしがみついた。
「だーかーらー、離れろって言ってるでしょ!!」
 ガバッ!!
 秋葉とシエルは同時にそう叫ぶと、アルクェイドに掴みかかり志貴から引き剥がそうとした。
「ちょっとー、止めてよねー!」
「それはこっちの台詞です!!」
「そうです!早く遠野くんから離れなさい!!」
 こうしてしばしの間、3人は不毛な争いを続けることになった。
『は〜・・・俺、生きたまま夜を迎える事が出来るんだろうか?』
 女性陣の争いを横目で見ながら、志貴は本気でそんな事を考えるのであった。

 結論から先に言えば、志貴はその日の夜を迎えることが出来た。
 しかし、到底『無事』とは言えなかった。
「痛ててて・・・随分派手にやられたな」
 志貴は鏡を覗き込みながら、腫れ上がった自分の左目を軽く押さえた。
 あの後、軟禁状態にされた志貴に対して、それはそれは厳しい自白強要が遂行された。
 延々と小芝居を続けるアルクェイドを宥め賺し本当の事を言わせるまでに、志貴はかなりの数のパンチやキックをお見舞いされていた。
 最後の方では、危うく紅赤朱化した秋葉と狩猟モードに入ったシエルに攻撃を受けるところだったが、間一髪それは回避できた。
 唯一の誤算と言えば、ケガをしたのにも拘わらず、翡翠や琥珀の視線が怖くて自分で傷の手当をするしかなかった事である。
「大体、誤解だって分かった後も、何で俺が責められなきゃならないんだろう?」
 志貴はベッドにゴロリと横になりながら、さっきの事を思い出していた。
『大体、全ては毅然とした態度で臨まない兄さんが原因です!!』
『秋葉さんの言う通りです!もっとハッキリと意志を示してもらいたいですね!!』
 志貴の脳裏に先程の秋葉とシエルの言葉が蘇る。
「やっぱり、どう考えても理不尽だよな・・・。そもそも、どうして秋葉にあそこまで怒られなくちゃならないんだ?まあ、シエル先輩の場合は、アルクェイドと仲が悪いって事があるからな。けど秋葉の場合そんな因縁めいたものはないんだしさ・・・は〜、あんまり礼儀作法にうるさいってのも考えものだよな」
 そんな事をぼやく志貴の頭の中には、秋葉の乙女心から来る嫉妬など欠片もインプットされていなかった。
 正に、朴念仁ここに極まれりと言えるだろう。
「とにかく、二度と窓から侵入しないように、アルクェイドにはキツク言っておかないとな」
 志貴はズキズキと痛む左目をもう一度押さえながら、うんうんと頷くのであった。
 
 一方その頃、秋葉は思いっ切り不機嫌だった。
「まったく、兄さんにも困ったものだわ」
 ゴシゴシ
 自室の鏡台に向かい、洗ったばかりの髪をバスタオルで少し雑に拭きながら、ブツクサと文句を言っている。
「兄さんが甘い顔をするからあの2人がつけ上がるって言うのに」
 秋葉が言っている2人というのは、言うまでもなくアルクェイドとシエルの事である。
 ニパ〜ッと笑うアルクェイドとニタ〜ッと笑うシエルの顔を思い浮かべ、秋葉は益々不機嫌になっていった。
「この家にまで出向いてくるなんて・・・ホント図々しいんだから!」
 そこまで言った所で、不意に秋葉の脳裏に昼間のアルクェイドの言葉が浮かんできた。
『私を誘ったのは志貴じゃない』
 アルクェイドのその言葉が、未だに秋葉の脳裏には残っていた。
 志貴も否定していたし、最終的にはアルクェイドも嘘だと認めたが、秋葉はどうもそれが引っ掛かっていた。
「兄さん、やっぱり日頃からああいうこと言ってるのかしら・・・」
 秋葉はそう呟いて少しシュンとしてしまった。
 如何にあの2人が図々しい性格とは言え、志貴が本当に辛辣な言葉をぶつけていればあそこまで大胆な行動は起こさないであろう事は容易に想像できた。
「やっぱり普段から優しいこと言ってるんだろうな・・・。って、別に兄さんがあの2人に何と言ってようが私には関係ないけど!」
 自分の言葉に自分でツッコミを入れながら、秋葉はブンブンと頭を振った。
 この辺りが『意地っ張り』と言われる所以なのだろうが、琥珀辺りに言わせれば『そこが秋葉様の可愛いところなんですよ』と嬉々として言うに違いない。
「・・・私にはちっとも優しい言葉なんて掛けてくれないくせに」
 一頻り頭を振り終えると、秋葉は少し寂しそうにポツリと呟いた。
 実際にはそんな事はないのだろうが、『隣の芝生は青い』という言葉通り、秋葉にはアルクェイドやシエルと接する時の志貴は妙に優しく感じられたのだ。
「私ってあの2人にそんなに劣ってるかしら?」
 秋葉は小さな溜息を吐きながらそう呟くと、マジマジと鏡に映る自分の姿を見つめてみた。
「自分で言うのも何だけど、容姿は平均以上・・・よね?」
 秋葉は、まるで自分に問い掛けるようにそう呟いた。
 秋葉の言葉は自信なさげな物だったが、鏡に映る秋葉の姿は掛け値なしで美しかった。
 特に、まだ乾ききっていない黒髪が電灯の光を反射してキラキラと輝き、昼間の秋葉とはまた違った魅力を醸し出していた。
「でも、何だかんだ言ってもあの2人は美人だから・・・は〜・・・」
 秋葉はそう呟いて、大きな溜息を吐いた。
 たとえ啀み合っていても、秋葉はアルクェイドのシエルの外見的な魅力はシッカリと認識していた。
 特に、アルクェイドの浮世離れしたと言って良いほどの美しさには、内心絶対に敵わないとすら感じていた。
「それに・・・はあああ〜〜〜〜・・・」
 秋葉は自分の胸の辺りを押さえ、本日最大の溜息を吐いた。
 そう、秋葉はアルクェイドと達と自分の最大の違いを充分に自覚していた。
 それは、ズバリ『豊満な胸』である。
 秋葉は、常々自分の最大のウィークポイントは胸の小ささだと感じていた。
 それに比べ、アルクェイドやシエルは『これでもか!!』というぐらい立派な物を持っている。
 一度も言ったことはないが、それは密かに秋葉のコンプレックスとなっていた。
「そ、そうよね。別に男の人全部が、胸の大きい女性を好きとは限らないし・・・は〜・・・」
 秋葉はそう呟きながら、またしても小さな溜息を吐いた。
 実は、こんな自問自答をしたのは一度や二度ではなかった。
 その度に、秋葉の脳裏には浅上女学院時代の級友達の言葉が思い浮かんできた。

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 それは、秋葉のルームメイトの『三澤羽居』と他のクラスメイトと達との他愛のない日常会話だった。
「それにしても、羽ピンて胸が大きくて良いな〜」
 昼休み、クラスメイトの一人が羽居に向かって、羨ましそうにそんな事を言った。
「ええ〜、そんな事ないよ〜。これぐらい普通だよ〜」
 ピキッ!!
 いつもの調子で答える羽居の言葉を、秋葉は少し離れた所で苦々しい思いで聞いていた。
 少しでも気を抜けば、羽居の背後に回りビロ〜ンと口を左右に引っ張ってしまいそうだった。
「そんな事ないよ。羽ピン絶対巨乳だってば。羽ピンが普通だったら、他の女の子が可哀想だよ」
 そんな羽居に向かって、カラカラと笑いながら他のクラスメイトがそう言った。
 ピキ、ピキッ!!
 そのクラスメイトは別に秋葉に当てつけて言ったわけではないのだろうが、妙に引っ掛かるその言葉に秋葉の頭の『怒りマーク』が一つ増えていく。
「だよね〜。良いな〜、それだけ大きいと男の子にもモテモテだよね」
 その言葉を受けて、最初に話を振ってきたクラスメイトが心底羨ましそうにそう言った。
「どうして胸が大きいと男の子にモテモテなの?」
 そんなクラスメイトの言葉を聞いて、羽居が心底不思議そうな顔でそう訊ねた。
「どうしてって・・・羽ピン本当に分からないの?」
 羽居の言葉に、少しビックリしたような顔でその場にいたもう一人のクラスメイトがそう訊ねた。
 コクリ
 本当に分からなかったので、羽居は素直に頷いた。
「まったく、羽ピンてそこら辺は本当に疎いわよね。いい、男が一番注目するのは女の子の胸の大きさなのよ!多少顔がいけてなくても巨乳だったら絶対モテモテだよ!」
「逆に、多少美人でも胸が全然ないと相手にもされないからね」
「アハハ、それ言えてる〜」
 そんな会話をしながら、クラスメイト達が笑いあったその時、
 ガシャーン!
 彼女達の斜め後ろから、何かが落ちるような音が聞こえてきた。
 ビクッ!!
 その音に驚いて彼女達が振り返ると、
「あら、筆箱を落としてしまいましたわ。お騒がせして申し訳ありません」
 わざとらしく筆箱を拾い上げながら、口の端をこれ以上ないぐらい引きつらせて、皮肉タップリにそう謝る秋葉の姿があった。
 ソゾゾーーーッ!!
 その時彼女達が感じた恐怖と戦慄は半端な物ではなかった。
「や、やっぱり胸なんて飾りだよね!」
「そうそう、貧乳だってモテモテの女の子は沢山いるしね!」
「うんうん、逆にそういうのが好きな男の人もいるしね!」
 冷や汗をダラダラ垂らしながら、余りフォローにならない言葉を並べ立てるクラスメイト達を、サッパリ事態が飲み込めない羽居は不思議そうに眺めていた。

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「は〜、嫌なこと思い出した・・・」
 一頻り回想を終えた秋葉は、ややゲッソリとした顔でこめかみの辺りを指で押さえた。
「そもそも、あの2人は私より年上なんだから、胸だって大きいには当たり前よね。同世代と比べれば私だって・・・」
 秋葉は少し拗ねたようにそう呟くと、同世代の女の子を頭に思い浮かべてみた。
『翡翠や琥珀は滅茶苦茶胸が大きいって程ではないけど私よりはあるわよね。・・・羽居は・・・だし、蒼香も見た目よりはあるし・・・うう〜・・・』
 秋葉はそこまで考えて思わず唸ってしまった。
 めぼしい人間は全て思い浮かべてみたが、自分より胸が小さそうな人間は見つからなかった。
 安心感を得るどころか、益々自分が貧乳であることをまざまざと思い知らされてしまったのだ。
『そ、そうだわ!!瀬尾が居るわ!!あの子なら私と良い勝負・・・』
 ズズーーーン!!
 一瞬の光明も束の間、秋葉は自分の考えに自己嫌悪に陥ってしまった。
『自分より2歳も年下の後輩と比べてどうするのよ・・・あまつさえ・・・』
 ブンブン!!
 秋葉は、『自分より胸が大きかったらどうしよう』という言葉を必死に飲み込みながら、嫌な事を全て振り払うかのように激しく首を振った。
「と、とにかく、もう寝ます!寝るんだから!!」
 秋葉は拗ねたような口調で自分に言い聞かせると、全てを忘れるかのようにベッドの中に潜り込んでしまった。
 パチン!
『兄さんが貧乳好きなら良いのに・・・』
 部屋の灯りを消して瞼を閉じた秋葉が思う事は、それのみだった。


 アルクェイドが騒動を起こしてから数日後、秋葉にとってはショッキングな出来事が起こった。
『兄さんは中庭かしら?』
 その日の昼休み、秋葉は昼食を志貴と一緒に取るべく中庭に向かっていた。
『いたっ!』
 中庭を一望できる窓から覗くと、そこには有彦と談笑する志貴の姿があった。
『今日はあの女は居ないみたいね』
 志貴の傍らにシエルが居ない事を確認すると、秋葉の胸は何だかウキウキするのであった。
 タッタッタッ!
「ハアハアハアハア」
 こうなると自然と足取りも軽くなり、秋葉は珍しく息を切らせて駆けていた。
 タン!
 後僅かで中庭に出るという校舎の陰で、秋葉は一旦足を止めた。
『ここで息を整えないと・・・』
 息を切らせたみっともない姿を志貴には見せられないという、何とも秋葉らしい考えだった。
「そっか、お前は大きい方が好きか!まだまだガキだな!」
 その時、中庭の方から有彦の豪快な声が聞こえてきた。
 普段の秋葉なら特に気にすることもなかったのだろうが、その時に限ってその言葉が妙に気になり、思わず聞き耳を立ててしまった。
「何だよ、その口振りだとお前は小さい方が好きなのか?」
 有彦の言葉に、志貴がムッとしたような表情で訊ね返した。
「おうよ!やっぱり小さい方が味わい深いじゃねーか!」
 志貴の言葉に、これ以上ないぐらい自信満々に有彦がそう答えた。
「そうか?俺は小さいのってやたら固くて嫌だけどな」
 そんな有彦を『理解できない』といった表情で眺めながら、志貴がポツリとそう呟いた。
 ガーーーーン!!!
 志貴のその言葉を聞いた瞬間の秋葉の衝撃は、正に計り知れない物だった。
『男は巨乳が好き』
『貧乳の女はもてない』
 先日回想したクラスメイト達の悪夢のような言葉が次々と蘇ってくる。
『そ、そんな・・・』
 呆然とする秋葉に更に追い打ちをかけるように、残酷な会話は続いた。
「そこがまた良いんだろうが。大体大きいの何てボリュームがあるだけだろうが?」
 志貴の言葉に、有彦は少し呆れたような表情で反論した。
「そのボリュームが良いんじゃないか。第一、何よりも柔らかくて良い!それに・・・」
 ダッ!!
 秋葉は志貴の言葉を最後まで聞くことなく駆け出していた。
 グニャ〜・・・
 視界が不自然に歪んでいく。
 秋葉は自分でも気付かないうちに泣いていた。
『やっぱり兄さんも胸の大きな女性が好みなんだわ』
 ジワ〜
 そう考えると、あまりの絶望感から秋葉の涙は止めどもなく流れ出してきた。
『だから私には優しい言葉も掛けてくれないんだわ!』
 ダッ!!
 あまりの悲しみに、秋葉はそのまま教室に戻ることなく学校を後にしてしまった。
 一方、そんな事など露知らない志貴は、先程の話の続きに興じていた。
「柔らかいったって、味が大振りじゃ仕方ないだろうが!?」
「味の好みは人それぞれだろ!俺はあの少し惚けたような味が好きなんだよ!」
 有彦の意見に、志貴がムキになって反論する。
「だーかーら、誰が何と言おうと『スルメ』は小振りなもんの方が美味いんだよ!!」
「そりゃ偏見だろうが!?大振りな『スルメ』だって良い所は沢山ある!!」
 こうして、ある意味非常に迷惑な2人の『スルメ』論議は昼休み中続くのであった。

『もうダメだ・・・私生きていけない・・・』
 屋敷に逃げるように帰り着いた秋葉は、心配そうに声を掛ける翡翠や琥珀に殆ど言葉も返さず、そのまま自室に籠もりベッドに突っ伏してしまった。
 アルクェイド辺りが今の秋葉の姿を見たら、『何よたかが胸のことで』と笑い飛ばしたかもしれない。
 しかし、今の秋葉にとって、昼間の志貴の言葉は大問題だった。
 正直に言えば、秋葉は心のどこかで志貴が実は貧乳好きなのではという淡い期待を抱いていた。
 勿論、それは秋葉の勝手な思い込みだったのだが、そこは微妙な乙女心というやつである。
 それが秋葉の強気な態度を支えていたと言っても過言ではなかった。
 それが、つい先程根底から覆されてしまった。
 実際には秋葉の勘違いな訳だが、志貴の口から出た『巨乳が好き』という言葉が今でもハッキリと残っている。
 それ以上に『貧乳は嫌い』という志貴の言葉が、秋葉の心をズタズタに切り裂いていた。
 これ以上胸が大きくなる可能性がない事は、秋葉が一番良く分かっていた。
 確かにこの先いくらかは大きくなるかも知れないが、アルクェイドやシエルの領域に自分が踏み込めないことは、秋葉にもハッキリと分かっていた。
 だからこそ、こうして絶望感に打ちひしがれるしかなかった。
『兄さん、酷いです、あんまりです』
 秋葉は心の中で志貴に対する恨みの言葉を呟いた。
 努力して何とかなることなら、秋葉はどんなに辛くてもやり遂げる自信があった。
 しかし、こればかりはどうしようもなかった。
 一瞬、秋葉の脳裏に『豊胸手術』という言葉も浮かんできたが、志貴と同居している手前そんな惨めなことが出来る筈もなかった。
『兄さんに嫌われるぐらいなら、いっそ死んだ方がマシだわ』
 カチャッ・・・
 秋葉が悲観に暮れたその時、背後でドアが開く音がした。
「秋葉様・・・どうされたのですか?」
 続いて、心配そうな琥珀の声が聞こえてきた。
「出ていって!誰とも会いたくないんだから!!」
 そんな琥珀に向かって、秋葉は辛辣な言葉をぶつけてしまった。
「秋葉様、悩み事があるのなら何でもご相談下さい。だって、私はその為にここにいるんのですから。秋葉様は私の主であると同時に、私の友人でもあるんですから」
 琥珀は優しくそう言うと、ニッコリと微笑んだ。
 バッ!
 その言葉に、秋葉は思わず顔を上げ、少し驚いたような表情で琥珀を見つめた。
 普段なら下手をすれば何かを企んでるかも知れないとも取れる琥珀の笑顔が、今の秋葉には何よりも優しく頼もしく思えた。
 ガバッ!
 気付いた時には、秋葉は琥珀の胸の中に飛び込んでいた。
「琥珀・・・うあわーーーん!!」
 秋葉は琥珀の胸に顔を埋め泣きじゃくった。
「秋葉様・・・どうされたんですか、まるで子供みたい」
 ナデナデ
 琥珀は優しくそう呟くと、秋葉の頭を優しく撫でてやった。
「えっく・・・うっく・・・」
 秋葉はその心地良さに身を委ねるように、そのまましばらくの間泣き続けた。

「志貴さんがそんな事を言うなんて、ちょっと信じられませんね」
 ようやく人心地ついた秋葉から事情を聞いた琥珀の第一声はそれだった。
「私だって信じたくない。・・・だけど、この耳でハッキリと聞いたんだから・・・」
 琥珀の言葉に、秋葉は沈痛な面もちでそう答えた。
 その表情が、嘘や冗談を言っているのではない事を如実に物語っていた。
「そうですか・・・」
 秋葉の辛さが伝わったのか、少し落ち込んだような表情で琥珀が答えた。
「ねえ、琥珀・・・私どうしたら良いと思う?」
「秋葉様・・・」
 秋葉の消え入りそうな言葉に、琥珀の胸が痛んだ。
 もう秋葉との付き合いは随分長いが、これほど焦燥しきった秋葉を見るのは琥珀にとって初めてのことだった。
『出来るなら何とかして差し上げたい・・・でも・・・』
 さすがの琥珀も、秋葉の問い掛けに即答することは出来なかった。
 どう考えても、秋葉をアルクェイドやシエル並の巨乳にする事など不可能なのだ。
『なら、いっそのことアプローチの方向を変えれば・・・』
 その時、琥珀の頭の中に閃く事があった。
 元々こういった策略めいた事を十八番とする琥珀である。アイデアさえ浮かべば、後は実行に向けて邁進するだけだった。
「秋葉様・・・申し上げにくいことなのですが、秋葉様の胸を大きくする事は物理的に不可能な事だと思われます」
 ピクリ!
 琥珀の言葉に、秋葉の肩が小さく震えた。
「ですから、この際別の方向で志貴さんにアプローチしてみては如何でしょうか?」
「別の方向って?」
 琥珀の言葉の意味が分からない秋葉は、少し首を傾げながらそう訊ねた。
「良いですか、秋葉様はアルクェイドさんやシエルさんにはない最大の武器をお持ちなんですよ」
「えっ?」
 琥珀の言葉に、秋葉は益々困惑した。
 アルクェイドやシエルになくて秋葉にある物と言えば、精々『略奪』の能力ぐらいである。
 しかし、今その能力が役に立つとはとても思えなかったのだ。
「お分かりになりませんか?それは『妹』である事なんですよ!」
「えっ?」
 琥珀の説明を聞いて、秋葉は正直余計に混乱してしまった。
 それが今更何のアドバンテージになるのかサッパリ分からなかったのである。
 そんな秋葉の心を見透かしたように、琥珀は更に言葉を続けた。
「秋葉様はご存じないかも知れませんが、世の男性はすべからく『妹属性』という物を持っています!!」
 そんな秋葉に向かって、琥珀はキッパリとそう断言した。
「い、妹属性?」
「はい。要は『妹萌えーーー!!』という感情の事ですね」
 タラリ・・・
 大真面目に答える琥珀の姿を見て、秋葉は琥珀に相談したことを少し後悔し始めていた。
「に、兄さんはそんな物を持ってないんじゃないかしら?」
「いいえ、絶対にそんな事はありません!!」
 秋葉の言葉に、琥珀はこれ以上はないぐらいキッパリと答えた。
「だ、だって・・・そんな素振りは感じられないし」
「確かに、志貴さんは『隠れ』的な要素が多いですからね」
「隠れ・・・って?」
 聞き慣れない言葉に、秋葉は思わず首を傾げた。
「先に説明した通り、世の男性はすべからく『妹属性』持っているものですが、それは大きく2つに分けられます」
 コクコク
 琥珀の説明に、秋葉は小さく頷いた。
「一つは、最初から『妹が好きじゃーー!!』と宣言することをはばからない積極的なタイプ、そしてもう一つは、自分が『妹属性』だと気付いていない若しくは、気付いていたとしても恥ずかしくてそれを表に出せない『隠れ』タイプです。私の見た所、志貴さんは後者である可能性が高いと思われます」
「そ、そうなの?良く分からないけど・・・」
 何だか分かったような分からないような琥珀の解説に、秋葉は素直な感想を漏らした。
 しかし、次の琥珀の言葉に、秋葉の表情は一変する事になる。
「『隠れ』の場合、なかなか妹に対するアプローチを起こせないものですが、そんな『隠れ』の魂を燃え上がらせ、妹へのアプローチを当社比100倍は積極的にさせる魔法の言葉が存在します」
「ほ、本当に!?」
 バッ!!
 耳を疑うような琥珀の言葉に、秋葉は思わず身を乗り出した。
「知りたいですか?」
「勿論!!!」
 琥珀の言葉に、秋葉は即答した。
「それはですね・・・」
「それは?」
 ゴクリ!!
 秋葉は固唾を飲んで次の琥珀の言葉を待った。
「スバリ『お兄ちゃん』です!」
「へっ!?」
 全く予想外の琥珀の言葉に、秋葉は彼女にしては珍しく酷く間抜けな声を発して固まってしまった。
「ですから、『お兄ちゃん』です」
 そんな秋葉に向かって、琥珀は念を押すようにもう一度そう言った。
「そ、それのどこが魔法の言葉なのよー!!」
 平然としている琥珀に向かって、納得できない秋葉が食ってかかった。
 期待していただけに、その失望はかなりのものだった。
「納得できませんか?」
「当たり前でしょ!!大体、それぐらい毎日言ってるでしょう!!」
 琥珀の言葉に、秋葉は猛反発した。
「失礼ですが、秋葉様は一度も『お兄ちゃん』と仰った事はありませんよ」
「言ってるわよ!毎日『兄さん』て・・・あっ!」
 そこまで言った所で、秋葉はようやく琥珀が言おうとしている事が理解できた。
「そうですよ。魔法の言葉はあくまでも『お兄ちゃん』であって、決して『兄さん』じゃないんですよ」
「だって、同じ意味でしょ?」
「全然違います!!」
 秋葉の言葉を、琥珀はキッパリと否定した。
「考えても見て下さい!素っ気なく『兄さん』と呼ぶのと瞳を潤ませながら『お兄ちゃん』と囁くのでは天と地の差ですよ」
「た、確かに・・・」
 琥珀の迫力にやや気圧されながらも、秋葉は小さく頷いた。
「分かって頂けましたか?それでは、早速特訓開始です。さ、秋葉様、『お兄ちゃん』と言ってみて下さい」
「えっ!?」
 琥珀の言葉に、秋葉は躊躇した。
 確かに、幼かった頃は志貴の事を『お兄ちゃん』と呼んだこともあった。
 しかし、今更恥ずかしくて素直に言えそうにはなかった。
「さあ、秋葉様!」
 そんな秋葉を琥珀が急かす。
「お、お兄・・・」
 仕方なく口を開いた秋葉だったが、どうしても最後まで言い切る事が出来なかった。
「秋葉様、練習で躊躇してたら先に進めませんよ!」
 そんな秋葉に対して、琥珀から厳しい声が飛ぶ。
「だって、何だか恥ずかしいし・・・」
 琥珀の言葉に、少しモジモジしながら秋葉がそう答えた。
「そんな事では、アルクェイドさん達に志貴さんを取られちゃいますよ」
『!!』
 この琥珀の煽り文句に、秋葉のギアが入った。
「お・・・お兄・・・ちゃん・・・」
 秋葉は真っ赤になりながらも、何とかその言葉を口にした。
『秋葉様ったら、真っ赤になって可愛い!』
 そんな秋葉を、琥珀は嬉々とした表情で眺めている。
「こ、こんな感じで良いのかしら?」
「少しぎこちないですけど、まずは及第点です。さあ、後はスムーズに言えるように反復運動です」
「ま、まだやるの!?」
 琥珀の言葉に、秋葉は悲鳴に近い声を上げた。
「当然です!そんな事では今夜の本番に間に合いませんよ!」
 琥珀は、ピッと人差し指を立てながら、言い聞かせるようにそう言った。
「今夜って・・・ええ〜!?」
「思い立ったが吉日です!さあ、特訓特訓!!」
 驚きの声を上げた秋葉に向かって、琥珀をキッパリとそう言い切った。
「せめて明日に・・・」
「ダメです!!行動が遅れれば遅れるほど、他の女性に志貴さんを取られてしまう確率は高くなるんですよ!」
「う・・・」
 琥珀の言葉がなまじ当たっているだけに、秋葉はそれ以上の反論が出来なかった。
「さあ、そうと決まれば練習ですよ!」
 パンパン!
 秋葉の困った顔を楽しむかのようにそう言うと、琥珀は軽く手を叩いた。
「分かったわよ。お、お兄・・・ちゃん、お兄・・・ちゃん、お兄・・・」
 秋葉は仕方なく琥珀の言葉に従い、辿々しい口調で反復練習を始めた。
『これは、是非ビデオに収めておかないと』
 練習する秋葉の姿を見て、琥珀はニンマリと笑いながらそんな事を考えていた。
 こうして、秋葉の特訓は夕飯を取ることもせず続けられた。

『お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん・・・うん、大丈夫みたいね』
 夜10時を回った頃、秋葉は計画に向けて最後の調整を行っていた。
 志貴が夕飯を取り部屋に戻ったという情報は、既に琥珀から入手している。
 後は本番を待つばかりだった。
 ちなみに、この計画を知っているのは秋葉と琥珀だけだった。
 志貴は勿論のこと、翡翠にも伏せてあった。
 帰って来た志貴とも顔を合わせず、秋葉は本番に向けて集中力を高めていった。
 ドキドキドキドキ
 胸の鼓動がドンドン早くなっていくのが自分でも分かったが、秋葉は敢えてそれを無視した。
 そうしないと、今にもこの場から逃げ出したくなるからだ。
『ここまでやったら大丈夫!後は実行あるのみ!!』
 スタッ
 秋葉はそう自分を鼓舞すると、志貴の部屋に向けての第一歩を踏み出した。
 同時刻、志貴は部屋で悶々としていた。
 理由は他でもない秋葉のことだった。
『秋葉のやつ・・・一体どうしたって言うんだ?』
 ベッドに横になりながら、志貴はその事ばかり考えていた。
 発端は、午後の授業前に聞かされた秋葉の無断早退だった。
 秋葉のクラスの担任が早退の理由を聞いてないか、志貴の元を訪れたのだ。
 志貴は咄嗟に適当な理由で誤魔化したが、正直驚きを隠せなかった。
 あの礼儀作法にうるさい秋葉が、無断で早退することがまず信じられなかった。
 最初は急に体調を崩したのかと思ったが、それでも自分に一言の断りもなく帰ることがおかしいと思った。
 色々考えた末に志貴が思い当たったのは、遠野の血の影響による何らかの体調の変化だった。
 これならば自分に心配をかけまいと、秋葉が黙って帰る可能性があると考えたのだ。
 だからこそ、志貴は寄り道も一切せずに全速力で帰宅したのだ。
 しかし、その自分の考えが杞憂だったことは、翡翠の表情ですぐに分かった。
 出会った頃こそ翡翠の表情を全く読みとることが出来なかった志貴だったが、今では8割方読むことが出来るようになっていた。
 翡翠の表情を読む限りは、志貴が考えているような事はないようだった。
 志貴はそれを確認してホッと胸を撫で下ろしたが、そこでまたおかしな事に遭遇した。
 翡翠と琥珀が秋葉に会わせてくれないのだ。
 志貴がその理由を聞いても、翡翠は『詳しいことは分からない』と言い、琥珀にはいつもの如く煙に巻かれてしまった。
 結局、秋葉は夕食の席にも現れず、志貴の得体の知れない不安はドンドンと膨らんでいった。
『ああっ!気になる!!』
 志貴はハッキリ言ってイライラしていた。
 自分でも何故ここまでイライラするのか分からなかったが、とにかく秋葉の事が心配で仕方なかった。
『ホント、何があったってんだよ!?』
 志貴はこのやるせない気分をどうにか解消しようと、与えられた情報から秋葉が早退した理由について推理し始めた。
『翡翠や琥珀さんは、秋葉の体には異常がないって言ってたけど、健康なら秋葉があんな形で早退する筈ないし・・・やっぱり、何かしら体調が悪いのをみんなで俺に隠してるのか?遠野絡みなら俺に相談しないのは少しおかしいし・・・そうなると、俺に言えないようなこと・・・あっ!』
 志貴はそこで一つの推測に辿り着きギョッとなった。
『もしかして女同士でしか話せないようなことが秋葉の身に起こったとか?まさかな、三流ドラマじゃあるまいし』
 志貴の脳裏に、ほんの一瞬だが不良学生に囲まれて怯える秋葉の姿が思い浮かんだ。
『フン、馬鹿馬鹿しい!第一、秋葉が本気で能力を使ったら、不良学生どころか一個師団だって壊滅できるさ』
 志貴は軽く頭を振って、先程の自分の考えを否定した。
 しかし、一度もたげた不安は簡単には消えなかった。
『待てよ・・・小説なんかだと魔法使いの女の子の魔力は月経によって左右されるなんて話が良くあるよな。現にアルクェイドだって、月によってその能力が左右されてるしな。もしも、秋葉の能力にもそういう制約があって、たまたま今日が能力を使えない日だったら』
 そう考えると、志貴の中の不安は加速度的に増加していった。
『確かに・・・そう考えれば、翡翠達が必死に隠したがる理由が分かる。こんな事男の俺に言える筈ないからな』
 一瞬、乱れた衣服のまま泣きじゃくる秋葉のイメージが脳裏に浮かぶ。
『もし、もし・・・そんな事を秋葉がされたんだとしたら・・・俺はその相手を』
 ギュウウーーッ!!
 志貴はそこで一旦思考を中断し、これ以上ないぐらい拳を握りしめた。
『ぶっ殺す!!!』
 声に出したらそれこそ町中に響き渡るような叫びを心の中で発しながら、志貴は瞳に怒りの炎を燃え上がらせていた。
 コンコン
 その刹那、志貴の部屋のドアが控えめにノックされた。
「は、はい!?」
 その音で現実に引き戻された志貴は、少しうわずった声でそう答えた。
「あ、あの・・・秋葉です」
 ドアの向こうから、いつになくオドオドした感じの秋葉の声が聞こえてきた。
「あ、秋葉か!?」
 バッ!!・・・ガチャッ!!
 志貴は慌ててベッドから跳ね起きると、すぐさまドアに駆け寄りドアノブを引いた。
 ドアの向こうには、上品で清楚なネグリジェ姿の秋葉が佇んでいた。
 ゴクリ・・・
 志貴は知らず知らずのうちに喉を鳴らしながら、秋葉の体の隅々に視線を送っていた。
 勿論、秋葉の姿に興奮したわけではない。自分の想像が当たっているとしたら、当然付いているであろう擦り傷などのケガを探していたのだ。
 ギリギリギリ
 時間にすればほんの一瞬だったかもしれないが、志貴には心臓が万力で締め付けられるようなとてつもない苦痛の時間だった。
『どこにも傷はないみたいだな・・・』
 それを確認して、志貴は取り敢えず安堵の息を漏らした。
「あ、秋葉・・・体は何ともないのか?」
 志貴は、カラカラに渇く喉を無理矢理酷使し、そう訊ねた。
「え?・・・は、はい。別に何ともありませんけど」
 志貴の心中など知る由もない秋葉は、少しキョトンとした表情でそう答えた。
 フッ・・・
 その瞬間、志貴の体から一瞬力が抜けた。
 それが秋葉にも見て取れたので、秋葉はこれこそが絶好のタイミングだと思い勇気を振り絞って大いなる一歩を踏み出した。
「あ、あのね・・・お兄ちゃん・・・」
「バカヤローー!!」
 次の瞬間、秋葉の消え入りそうな言葉の余韻は、志貴の絶叫によって掻き消されていた。
「えっ?」
 志貴のその言葉を聞いた時点で、秋葉の思考は完全に停止してしまった。
「俺がどれだけ心配したと思ってるんだ!?無事なら無事って言えよ!!お前にもしもの事があったら俺はどうしたらいいんだよ!!」
 タイミングが最悪だった。
 志貴は、秋葉の無事を確認した安堵感とそれを知らされなかった怒りから、秋葉の言葉の変化に気づかず一気に捲し立て、秋葉の頭の中では『お兄ちゃん』という自分の言葉と『バカヤローー!』という志貴の言葉が直結し、それ以後の言葉は一切耳に入っていなかった。
 その結果、
 ポロポロポロ・・・
 何の予告もなしに、秋葉の瞳から大粒の涙が流れ出し始めた。
「あ、秋葉!?」
 これに驚いたのは志貴だった。
「お、おい、どうしたんだ!?」
 慌てて秋葉の顔を覗き込むと、これ以上はないぐらい狼狽した声でそう訊ねた。
「ごめんなさい・・・うっく・・・ごめんなさい・・・うっく・・・」
 しかし、秋葉ただ謝りながら泣きじゃくるだけだった。
「あ、秋葉・・・俺が悪かった。謝るから・・・なあ・・・」
 一向に泣き止まない秋葉に、志貴はただオロオロするだけだった。
「私、もう『お兄ちゃん』なんて言いませんから・・・ひっく・・・もう・・・ひっく・・・」
「えっ?『お兄ちゃん』て・・・一体?」
 ダッ!!
 志貴がそう言った瞬間、秋葉は身を翻して駆け出そうとした。
 ギュッ!!
 志貴はそんな秋葉を背後から抱き締めた。
『!?』
 それはあまりにも突然の出来事で、抱き締められた秋葉は勿論、抱き締めた志貴ですら驚きを隠せなかった。
 それは理屈ではなかった。
 志貴の本能が、『秋葉をこのまま行かせてはいけない』と訴えたのだ。
 クルリ・・・
 殆ど間を置かずに、志貴は秋葉を自分の方へ振り向かせた。
 そして、次の瞬間、
 チュッ・・・
 志貴は秋葉の唇を奪っていた。
『!!』
 一瞬、秋葉の目が驚きに見開かれたが、やがてそれはゆっくりと閉じられていった。
 時間にしたらほんの数秒だったが、2人だけの時間がゆっくり流れていく。
「兄さん・・・酷いです」
 それが唇を解放された秋葉の第一声だった。
「ゴメン・・・」
 秋葉の抗議の声に、志貴は素直に謝罪した。
「どうして、こんな事・・・」
 少しだけ頬を赤らめながら、秋葉が困ったような表情でそう訊ねた。
「正直、俺にも分からない。ただ、秋葉が乱暴されたんじゃないって分かってホッとして、そしたら急に怒りたくなって、いつの間にか秋葉が泣いてて・・・って、俺何言ってるのかな?」
「私が乱暴って・・・?だって、兄さんは私が『お兄ちゃん』て言ったから怒りだしたんじゃ・・・」
「・・・えっ?」
 しばしの沈黙の後、2人は顔を見合わせてそんな間抜けな言葉を発していた。

 その後、取り敢えず志貴の部屋のベッドに腰掛けた2人は、これまでの経緯を互いに説明しあった。
「ス、スルメの話・・・!?」
 志貴から例の有彦との会話の真実を聞かされた秋葉は、思わずへなへなとその場に崩れ落ちてしまった。
「お、おい、大丈夫か!?」
「私の今日の焦りと悲しみって一体・・・」
 志貴に抱き起こされながら、秋葉は呆然とそう呟いた。
「それを言うならお互い様だよ。秋葉が理由も告げずに早退するから、しなくていい気苦労したんだぞ」
「それはその・・・仕方ないじゃないですか・・・理由が理由なんだから」
 秋葉はゴニョゴニョとそう告げた後、口を少し尖らせた。
「なあ、秋葉・・・いくら勘違いしたとはいえ、どうして俺と有彦の会話にそこまでショックを受けたんだ?」
 そんな秋葉に向かって、志貴が不意にそんな事を訊ねた。
「えっ?」
 カアアーーーッ!
 志貴の質問を聞くのと同時に、秋葉の顔が赤く染まっていく。
「・・・・・」
 スッ・・・
 しばらく無言で考え込んでいた秋葉だったが、やがて意を決したように顔を上げると、徐に志貴の手を取った。
「多分、こういう事です」
 ピタッ!
 秋葉は消え入りそうな声でそう言いながら、志貴の掌を自分の胸に押し当てた。
「なっ!?」
 ドキドキドキドキ!!
 驚く志貴の掌から、まるで早鐘のような秋葉の鼓動が伝わってくる。
 その鼓動は、秋葉の気持ちを雄弁に物語っていた。
「わ、私からも兄さんにお願いがあります」
「ん、何だい?」
 その言葉を聞いて、志貴が秋葉を見つめた。
「どうして兄さんは、私が理由も告げずに早退したぐらいで、あんなにも取り乱したんですか?」
「多分、こういう事だな」
 スッ・・・ピタッ!
 志貴は秋葉の手を取ると、それを自分の胸に押し当てた。
 ドキドキドキドキ!!
 秋葉の掌からは、自分にも勝るとも劣らない志貴の心臓の鼓動が伝わってくる。
「秋葉・・・愛してるよ」
「私も、大好きです。誰よりも」
 チュッ・・・ 
 2人は短い言葉を交わすと、再び唇を重ねた。
「なあ秋葉、もう一度『お兄ちゃん』て言ってくれないか?」
 再び唇を離した後、志貴が少し照れたような表情でそう言った。
「ど、どうしたんですか、一体?」
「いや、さっきは全然聞いてなかったしさ・・・折角だから聞きたいな〜何て思ってさ」
「・・・やっぱり兄さんも、『お兄ちゃん』て呼ばれると嬉しいんですか?」
 そんな志貴の言葉に、少しジト目になった秋葉がそう訊ねた。
「そりゃ、まあね。やっぱりこう・・・」
「大好き、お兄ちゃん!」
 チュッ!
 秋葉は、志貴の言葉が終わらないうちに、そう言って3度目のキスを敢行した。
 ドサッ!
 そのままもつれるようにベッドに倒れ込んだ2人は、そのまま熱い夜を過ごす事になるのであった。

「姉さん、本当に様子を見に行かなくても良いのかしら?」
 スッカリ静かになった2階を見上げながら、翡翠が琥珀にそう訊ねた。
「大丈夫よ。それに、今行こうものなら馬に蹴られて死んじゃうわよ」
 翡翠の言葉に、琥珀はクスクス笑いながらそう答えた。
「?」
 翡翠は琥珀の言葉の意味が分からず、ただただ2階をジーッと見つめるだけだった。


 チュンチュンチュン
 雀の声すら心地よいBGMに聞こえるほどさわやかな朝、志貴は珍しく早起きをしていた。
 志貴の横には、昨夜の行為で疲れたのか、秋葉がシーツにくるまって静かに寝息を立てている。
 その寝顔は、今まで志貴が見てきた中で一番穏やかなものだった。
『こうしてれば秋葉も可愛いんだけどな』
 そんな事を考えながら、志貴は秋葉の髪の毛をクルクルと弄んだ。
 すっかり幸せ気分に浸っていた志貴は、『訪問者』が訪れる可能性をまるで考えていなかった。
 ガチャン!!
「おはよう、志貴ー!!」
 爽やかな挨拶と共に、『訪問者』アルクェイドは、凝りもせずに窓から現れた。
「よ、よう・・・おはよう・・・」
 取り敢えず軽く挨拶を返した志貴だったが、自分の顔が引きつって行くのを感じていた。
 ジーーーッ!!
 志貴が恐れていた通り、アルクェイドの視線は志貴の横で寝息を立てる秋葉に注がれていた。
「あのさ、これは・・・」
「あああああああーーーーーーっ!!??」
 志貴が弁解しようとするより早く、アルクェイドの絶叫が遠野家内に響き渡った。
 次の瞬間、
 ドタドタドタ!!
 階下から複数の足音が聞こえてきた。
「志貴様、何事です!?」
 まずは、慌てふためいた翡翠が飛び込んできた。
「遠野くん、またアーパー吸血鬼ですか!?」
 続いて、自称『たまたま近くを通りかかった』シエルが、
「志貴さん、修羅場ですね!」
 最後に心底嬉しそうな表情の琥珀が飛び込んできた。
 そして、飛び込んでくるのと同時に、志貴の隣で眠る秋葉に視線を注いでいた。
「み、みんな、まずは話を聞いてくれ」
 志貴は必死に弁解しようとしたが、最早そんな言葉に耳を貸す人間はいなかった。
「志貴様、最上級に不潔です!!」
 グサッ!!
 翡翠の強烈な言葉が、志貴の胸に突き刺さった。
「仕方ないですよ。志貴さんて根が獣ですから」
 グリン!!
 琥珀のさり気ない一言が、その傷口を更にえぐった。
 しかし、この2人はまだ良かった。
 問題は、直接攻撃に出るであろう残りの2人だった。
「遠野くん、覚悟は良いですね?」
 ジャキン!!
 シエルが両手に持てるだけの黒鍵を構えると、
「大丈夫、痛くないように一瞬で挽肉にしてあげるから」
 ギン!!
 アルクェイドはそう言いながら目を金色に光らせた。
「ま、まあ、待て!これは純粋な愛の行為というか何というか・・・秋葉、お前も起きて説明してくれよ」
 ユサユサ
 志貴は冷や汗をダラダラと流しながら何とか秋葉を起こそうとしたが、秋葉は一向に起きる気配はなかった。
 ジリッ!
 その間にも、シエルとアルクェイドは、志貴ににじり寄る・
「待て、話せば分かる!!」
「問答無用!!」
 バッ!!
 志貴の必死の甲斐なく、2人は志貴に襲いかかった。
「ヒエーッ!!」
 本気で身の危険を感じた志貴は、そのまま部屋の外へ逃げ出した。
「待てーーーっ!!」
 その結果、志貴はトランクス1枚という格好で屋敷中追い回されることになった。
「翡翠ちゃん、面白いから私達も見に行きましょうよ」
「姉さんて、本当にこういう事が好きですね」
 琥珀に背中を押されるように、翡翠は渋々志貴の部屋を後にした。
 パチリ!
 全員が部屋の外へ出ていったのを確認すると、秋葉が徐に目を開いた。
『散々やきもきさせられたんだから、これぐらいはいい薬よね』
 秋葉は、階下から聞こえてくる音に耳を澄ましながら、悪戯っぽくそう微笑んだ。
「待ちなさい、このドスケベ大魔人!!」
「遠野くん、貴方には節操というものがないんですか!!」
「助けてくれー!!」
 階下からは、アルクェイド・シエル・志貴の声が断続的に聞こえてくる。
「ウフフ、頑張ってねお兄ちゃん!」
 ギュッ!
 秋葉はそう呟くと、志貴の残り香を楽しむかのようにシーツにくるまった。
 その顔は、これ以上ないほど幸せいっぱいだった。

 



後書きのようなもの

 皆さん、どうもこんにちは。
 北極圏Dポイントの教授です。
 今回は『月姫』の秋葉本をお届けします。
 『月姫』に登場するキャラクターは全員魅力的なですが、やはり私的には秋葉が一番お気に入りです。
 『With You』の乃絵美や『みずいろ』の雪希みたいに従順な妹も良いですが、やっぱり秋葉みたいな素直じゃないタイプの妹も可愛いですよね。(笑)
 そんな事もあって、この作品も結構ノリノリで書いたことを覚えています。
 内容的には、非常にありがちな作品ではありますが、楽しんで頂けたなら幸いです。
 秋葉をヒロインとした作品は、この読み切り以降書いてないのですが、機会がありましたら是非書いてみたいと思っています。
 強いて言うなら、シエル先輩のグッドエンド後が一番雰囲気的に近いのですが、それでもいくつか食い違いがあります。
 それでは、また次の作品でお会いしましょう。

 2003年6月23日 教授



 

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