>
〜Through a year with 葵〜 |
第2章 夏合宿への誘い(7月17日) 「先輩、強化合宿に行きませんか?」 いつもの練習後、突然葵ちゃんにそう言われ、俺は正直驚いた。 「強化合宿って・・・強くなる為に山とかに篭ってやるアレ?」 「そうです。アレです!」 葵ちゃんは生真面目な顔でキッパリとそう言った。 「もしかして、片眉を剃って山を下りられないようにしようとか考えてない?」 「先輩・・・いくらなんでもそんな事は考えてませんてば!」 半分ふざけた俺の問いかけに、葵ちゃんは少し苦笑いをしながらそう答えた。 「でも、突然合宿なんて、何かあったの?」 「そ、それは・・・」 俺の問い掛けに、葵ちゃんは少し口篭もった。 その少し困ったような表情に、俺はピーンと来るものがあった。 「葵ちゃん、もしかして先週の綾香の試合に触発されたんじゃ?」 「・・・・・」 俺の言葉に、葵ちゃんは少し恥ずかしそうに俯きながら、コクリと首を振った。 俺の言う『綾香の試合』というのは、先週行われたエクストリームのエキシビジョンマッチの事である。 昨年度高校生女子の部優勝者である綾香と、高校生男子の部優勝者が激突したこの試合に、俺と葵ちゃんは綾香本人に招かれ観戦しに行った。 そこで俺達が見たものは、信じられないような光景だった。 綾香の第1ラウンドKO勝ち・・・葵ちゃんから話には聞いていたが、綾香の実力は想像以上の物だった。 圧倒的な体格差を補って余りある綾香のスピードとテクニックの前に、相手選手はなす術もなくマットの上に沈んだ。 これが素人相手なら分からないでもないが、相手は仮にも去年の男子高校生チャンプである。正直、背筋が寒くなるような思いだった。 それは葵ちゃんも同感だったらしく、試合を見終わった後の葵ちゃんの表情は少し強ばっていた。 「自分でも、単純な理由だと思うんです」 俯いたまま葵ちゃんがそう言った。 「強化合宿をしたって、いきなり強くなれるとも思いません。・・・だけど、じっとしていられないんです!エクストリーム本大会まで後2ヶ月、少しでもあの人に綾香さんに近付きたいんです!!」 葵ちゃんはそう言ってガバッと顔を上げた。 その相貌には、メラメラと赤い炎が燃え立っていた。 俺はそれを見て安心した。 葵ちゃんの瞳が、恐怖から逃れようとする弱者のそれでなく、困難に立ち向かおうとする挑戦者のそれだったからだ。 こうなれば、俺に断る理由は見付からなかった。 「やっぱりダメでしょうか?」 「いや、行こう!葵ちゃんが少しでも強くなれるよう、俺も精一杯協力するよ!」 不安そうに尋ねる葵ちゃんに、俺はビシッと親指を立てながらそう答えた。 「ハイ!ありがとうございます!」 そんな俺を見て、葵ちゃんは嬉しそうに深々と頭を下げた。 「そんな、お礼なんていいよ。それより、合宿場所の目処は立ってるのかい?」 「ハイ!今の所、山と海それぞれ一ヵ所ずつ候補地を考えてるんですけど、先輩はどちらが良いと思い・・・」 「海ーーーー!!」 「キャッ!?」 質問が終わるか終わらないかのうちに即座に帰ってきた俺の答えに驚き、葵ちゃんは尻餅をついてしまった。 「海、海、海!!絶対海が良いよ!!」 俺は、尻餅をついたままキョトンと俺を見上げている葵ちゃんに向かって、一気にそう捲し立てた。 「海・・・ですか?私は合宿という点では山の方が良いと思うんですが・・・」 葵ちゃんは、俺の迫力に少し気圧されながらもそう言って、パンパンとお尻をはたきながら立ち上がった。 「葵ちゃん、何故山の方が強化合宿に適してるんだと思うんだい?」 「え?えーと、その・・・山は傾斜もありますし、高度も高いですからそれだけでも平地の海に比べれば特訓になると思うんですけど・・・」 葵ちゃんが少し控えめにそう言った。 「甘い!それは甘いよ、葵ちゃん!!」 俺は、そんな葵ちゃんに向かって、間髪入れずにそう答えた。 「え?そ、そうなんですか?」 「そうだよ!海の方が山に比べて楽だなんてとんでもない!!海には砂浜があるじゃないか!砂浜での走り込みこそ、足腰を鍛える一番の特訓なんだよ!!」 「そうか・・・確かにその通りですよね!」 素直な葵ちゃんは、口から出任せの俺の言葉をスッカリ信じ、目をキラキラと輝かせた。 言うまでもないが、俺の言っている事は全くのでっち上げだ。 実際、砂浜での走り込みは足腰の強化に役立つかもしれないが、それが山での特訓を上回れるかどうかなど、俺には分からなかった。 俺が海を推した理由はただ一つ!・・・葵ちゃんの水着姿の為だった。 合宿場所を海にする=海で泳ぐ機会が生まれる=葵ちゃんの水着姿が拝める・・・という公式が、咄嗟に俺の頭の中に浮かんだのである。 『普段から葵ちゃんのブルマ姿を見てるじゃないか?』と他人は思うかもしれないが、やはり『ブルマはブルマ、水着は水着』というのが俺の持論であり、せっかくの機会を逃したくはないと素直に思ったまでの事である。 「先輩がそこまで熱心に勧めてくれるなら・・・合宿場所は海にしましょう!」 俺の思惑など知る由もない葵ちゃんは、そう言って嬉しそうにニッコリと笑った。 「よっしゃーーー!そうこなくっちゃ!!」 俺はその言葉を聞いて、跳び上がらんばかりに(実際に少し飛び上がって)喜んだ。 「それで、私が立てたプランなんですけど・・・」 そんな俺の姿を見て嬉しそうに微笑みながら、葵ちゃんは自分の考えてきたプランを俺に話し始めた。 葵ちゃんのプランによると、合宿期間は8月2日から8月10日までの8日間、場所は南方のとある小島(もちろん日本国内)、しかも、余り有名なリゾート地ではないらしく、旅費はかなり安く済みそうだった。 「うん、いいんじゃない!」 葵ちゃんから話を聞かされた俺は、即座にそう答えた。 果てしなく広がる白い砂浜、うち寄せる青い波、そして、そこには俺と葵ちゃんの二人きり・・・当初の目的をすっかり忘れてそんな妄想をしながら、俺はついついニヤニヤとしてしまった。 「先輩に喜んでもらえて、私も嬉しいです!」 そんな俺を見て、葵ちゃんが嬉しそうにそう言った。 「それじゃ、これで決まりだね!」 「はい!」 そう答えた葵ちゃんの声が、これから本番を迎える夏の空に吸い込まれていった。 「おい、藤田」 それから数日後の昼休み、俺は不意に背後からそう呼び止められた。 「ん?」 余り聞き慣れない声に俺が振り向くと、そこにはちょっと硬派なお姉さまタイプの女生徒・坂下好恵が腕組みをして立っていた。 「何だ、坂下じゃないか・・・俺に何か用か?」 さして親しくない坂下に突然呼び止められ、俺は少し驚きながらそう尋ねた。 「あ、ああ、まあな・・・その、ちょっと付き合ってくれないか?」 坂下はいつも通りの仏頂面でそう言うと、クイと顎で中庭の方を指した。 「別に構わないけど・・・何の用だ?」 「来れば分かる」 俺の言葉に一言そう答えると、坂下は中庭の方へ向かってスタスタと歩いて行ってしまった。 「・・・・・」 仕方ないので、俺は大人しくその後に続いた。 『こいつ、一体どこへ向かう気だ?』 坂下が人気の少ない校舎脇へ向かっているのに気付いた俺は、思わず首を捻った。 『まさか・・・俺を闇討ち(?)するとか!・・・ははは、まさかな・・・』 俺は自分の想像の馬鹿馬鹿しさに自分で呆れたが、その反面冷や汗が出てくるのを禁じ得なかった。 坂下の実力は先の葵ちゃんとの試合で十二分に分かっていた。 もし俺が何らかの原因で坂下を怒らせて、本当に制裁を加えられようとしているのであれば、俺には何の対抗手段も見付からなかった。 ピタッ! そんな俺の心の中を見透かしたように、坂下は誰もいない校舎脇で突如動きを止めた。 キョロ、キョロ 坂下は、辺りを見回し全く人気のない事を確認すると、キッと俺の方に視線を向けた。 『ヒッ!』 情けない事に、俺は思わず心の中で悲鳴を上げて遂々身構えてしまった。 しかし、坂下の口から出たのは意外な言葉だった。 「今日は良い天気だな」 「へっ?・・・この天気でか?」 どんより曇った空を見上げながら坂下がそんな事を言ったもので、俺は思わずアホ面でそう聞き返してしまった。 「その・・・あの・・・なんと言ったらいいのかな・・・」 俺の言葉など全く耳に入ってないのか、坂下は少しモジモジしながらそう口篭もった。 しかも、その頬はほんのりと赤く染まっている。 『これは、まさか!?』 そんな坂下の態度を見て、俺の頭にピンと閃くものがあった。 突然の呼び出し、浮き足立った言動、ほんのりと染めた頬・・・そう、マンガなどでよくある『愛の告白』シーンだ。 『おいおい、マジかよ!?』 余りに意外な人物からのアプローチに俺は一瞬焦ったが、正直悪い気はしなかった。 強面ではあるが、坂下はルックス、プロポーション共に標準以上だし、少々乱暴な所を除けば充分に魅力的な女の子である。 そんな女の子に告白されて嬉しくない男はまずいないだろう。 『けどな・・・』 その時、俺は何故か葵ちゃんの笑顔を思い浮べていた。 その理由は、俺には分からなかった・・・というのは真っ赤なウソで、とっくの昔に俺は自分の気持に気付いていた。 「スマン、坂下」 俺は頭を下げて素直にそう謝った。 「えっ?」 俺が突然謝ったので面食らったのか、坂下の顔が怪訝な表情になった。 「お前の気持は嬉しい・・・だけど、俺はそれに応えてやる事はできない!」 俺は潔くキッパリとそう言った。 「・・・お前、何言ってるんだ?」 自分の言葉に心酔している俺に向かって、坂下がキョトンとした顔でそう尋ねてきた。 「何って・・・お前の『愛の告白』を受け入れる事が・・・」 バキッ!! 「グエッ!!」 俺の言葉が終わるか終わらないかのうちに、坂下の正拳突きが俺の顔面に炸裂した。 「イツツ・・・いきなり何しやがる!?」 俺は殴られた左目を押さえつつそう怒鳴った。 「それはこっちの台詞よ!!あんた何考えてるの!?」 恥ずかしさと怒りからだろうか、坂下は顔を真っ赤にさせながら握った拳をプルプルと震わせた。 「え?『愛の告白』じゃないの?」 「当たり前でしょ!!」 俺の言葉に、坂下はそう即答した。 「それじゃ、さっきの思わせぶりな態度は何なんだよ!?」 恥ずかしい想像をしてしまった事もあって、俺もムキになってそう反論した。 「あれは・・・別にいいでしょ!!とにかく、変な期待しないでほしいわね!!」 「何だとーー!?」 「何よ!」 売り言葉に買い言葉で、俺と坂下は貴重な昼休みをしばらくの間下らない言い合いで費やしてしまった。 「そろそろ本題に入るわよ」 その空しさにお互いが気付いた頃、坂下がそう切り出した。 「おお」 俺も異存はなかったので、短くそう答えた。 「話しっていうのは、葵の事なの」 「葵ちゃんの?」 突然葵ちゃんの名前が出たので、俺は少々驚いた。 「そうよ。・・・藤田、あんた葵と二人で強化合宿に行くんですって?」 「ああ、よく知ってるな。葵ちゃんから聞いたのか?」 「ええ。昨日嬉しそうに話してくれたわ」 「葵ちゃんらしいな」 俺は、目をキラキラさせながら坂下に話し掛ける葵ちゃんの姿を想像し、思わずクスリと笑った。 「でさ、それとお前の呼び出しとどういう関係があるんだ?」 俺は率直な疑問を坂下に投げ掛けた。 「・・・藤田、あんた大丈夫?」 坂下は少し気まずそうな顔をした後、そう尋ねてきた。 「へ?何が?」 「だから!その・・・理性を保てるかって聞いてるの!」 「???」 俺は坂下の言おうとしている事がサッパリ分からず、思わず首を捻った。 「あー、だ・か・ら、二人きりで合宿に行って、変な事をやらない自信はあるかって聞いてるのよ!」 「!」 坂下のその言葉を聞いた途端、俺の中で先程までの坂下の奇妙な言動が全て繋がった。 「バ、バカヤロー!お前何言ってんだよ!?」 「話によると、お前は相当なスケベだそうじゃないか」 「なっ!?どっからそんなデマ仕入れてきたんだ!?」 サラリと出た坂下の言葉に、俺は勿論猛反発した。 「お前が何人もの女の子を股にかけてるって、A組の長岡が教えてくれたぞ」 『あのヤロー!覚えてやがれ!!』 俺は、陰で糸を引いていた黒幕への復讐を心の中で誓った。 「もしかして、あれって全部ウソなのか?」 「当たり前だ!!」 少し驚いたように尋ねる坂下に向かって、俺はキッパリとそう断言した。 「それじゃ、全くそういう事をする気はないわけだな?」 「お、おう・・・そりゃ少しくらいは興味あるけど・・・」 ギロッ! 俺の言葉を聞いた途端、坂下が俺を睨み付けた。 「あー・・・ゴホゴホ、だ、大体、葵ちゃんが本気になれば俺なんか一発でKOだぜ!襲いようなんかないぜ!」 小さく咳き込みながら慌ててそう弁明すると、坂下がふと困ったような表情になった。 「確かに、普段の葵だったらね・・・」 「え?それってどういう意味だよ」 呟くような坂下の言葉が気になったので、俺は思わずそう聞き返した。 「葵って一途で純情だから、気を許した相手にはとことん甘くなっちゃうのよ。好意を持ってる男性なら尚更ね・・・」 「『好意を持ってる男性』って・・・俺の事か!?まーさかー!」 「はー・・・あんたってとんでもない鈍感ね」 俺の言葉を聞いて、坂下が呆れたようにそう言った。 「鈍感とは何だよ!鈍感とは!」 「とにかく!!」 俺の抗議の声は、坂下の気勢に遮られてしまった。 「葵は本当に何も知らないネンネなんだからね!そんな子に変なまねしたら唯じゃ済まないよ!」 坂下はそう言いながら、ビシッと拳を突き出した。 「はいはい、分かりましたよ」 元々そんな気はなかった俺は、大人しくそれに従った。 「分かれば良いのよ。私の話はそれだけ・・・それじゃ」 坂下は幾らか表情を和らげると、そう言い残してその場から立ち去ろうとした。 「坂下!」 俺は後ろ姿の坂下に向かってそう呼びかけた。 「何だ?」 俺の呼びかけに応じて、坂下がクルリと振り返った。 「葵ちゃんの事心配してやるなんて、お前良い奴なんだな!」 「なっ!?」 俺の言葉を聞いて、坂下の顔がみるみるうちに赤く染まっていった。 「そんなに照れるなよ。いよっ、可愛いねー!」 そんな坂下の表情が楽しかったので、俺は遂々そう言って坂下をからかった。 すると、 「もう一発食らいたいの?」 坂下はプルプルと震える右拳をかざしながら、俺を睨み付けた。 「ごめんなさーい!!」 そう言い残して、俺がその場から逃げ去ったのは言うまでもない。 次の日曜日、俺と葵ちゃんは連れ立って合宿の買い出しに出た。 普通二人で出かければデートという雰囲気になりそうなものだが、ジーンズに黒いポロシャツというあまり色っぽくない葵ちゃんのいでたちにに加え、買う物はスポーツ飲料やトレーニング用品ばかりだったので、どう考えてもそうはなりそうもなかった。 「先輩、目の周りの痣、随分良くなりましたね」 休憩に立ち寄ったファーストフードショップで、葵ちゃんがクスクス笑いながらそう言った。 「ああ、お陰様でね。ようやく眼帯なしで生活できるよ」 俺はジュースを一口啜りながらそう答えた。 葵ちゃんが言っている『痣』とは、先日坂下に付けられた物のことだ。 鉄拳を食らった時点では気付かなかったが、教室に戻った途端、 「浩之ちゃん、その顔どうしたの!?」 とあかりの奴に言われ、慌てて窓ガラスに写してみると左目の周りに見事な青痣が出来ていたという次第だ。 お陰で、この数日眼帯生活を余儀なくされたという訳だ。 「それにしても、先輩、何で好恵さんに殴られたりしたんですか?」 「ぶほっ・・・い、いやちょっとね・・・ハハハ」 葵ちゃんに痛い所を突かれた俺は、ジュースを吹き出しながらもそう誤魔化した。 「?・・・そうですか?」 葵ちゃんは少し訝しげな表情をしたが、それ以上は追求せずに自分のシェイクを啜った。 『ほっ・・・助かった』 まさか本当の事を話すわけにもいかなかったので、俺は思わず安堵の息を漏らした。 『まったく、坂下の奴め余計な手間かけさせやがって!』 「そう言えば、先輩」 俺がそんな事を考えていると、不意に葵ちゃんが話し掛けてきた。 「ん、何?」 葵ちゃんの呼びかけに俺が顔を上げると、そこには紙ナプキンで口の周りを拭っている葵ちゃんの姿があった。 『ほー・・・』 俺は、何となくそんな葵ちゃんの仕種に見入ってしまった。 理由は上手く言えないが、その些細な行為に普段は見られない葵ちゃんの女の子らしさを見たような気がしたのだ。 「どうしたんですか先輩?・・・私の事そんなに見つめて・・・」 俺の視線に気付いた葵ちゃんが、少し頬を赤らめながらそう尋ねてきた。 「あ、ああ、その・・・葵ちゃんが几帳面に口の周り拭いてたから、それが珍しくてね」 俺は咄嗟にそう言って言葉を濁した。 「ひっどーい!それじゃまるで、普段の私が凄くズボラみたいに聞こえるじゃないですか!?」 葵ちゃんはそう言って、プーッと頬を膨らませた。 「ゴメン、ゴメン。今のは、勿論本心・・・・・・・じゃないよ」 「あー、その間は何ですか?その間は!?」 からかい半分の俺の言葉に、葵ちゃんは面白いぐらい反応して更に頬を膨らませた。 「悪い、悪い!本当に冗談だよ!」 「もう、知りません!」 苦笑いをしながら俺が謝ると、葵ちゃんはプイッと横を向いてしまった。 「ねー謝るからさー」 葵ちゃんがわざとそうしてるのは分かっていたので、俺は甘えた声でそう懇願した。 「アップルパイって美味しいですよね・・・」 そんな俺の姿と店のメニューを交互に見ながら、葵ちゃんがニコリと笑ってそう呟いた。 「はいはい、仰せのままに!」 俺は素直に降参して、大人しくアップルパイを買いに走った。 「それにしても、葵ちゃんも変わったよな」 俺は、アップルパイを頬張る葵ちゃんに向かってそう言った。 「変わった?私がですか?」 案の定、葵ちゃんはキョトンとした表情でそう聞き返してきた。 「ああ。だって、初めて会ったばかりの頃は、ファーストフードの店とかでもなんかオドオドしてたしさ・・・それが今じゃおねだりまで出来るようになったんだからさ」 俺はクスクスと笑いながらそう言った。 「そ、それは相手が先輩だからですよ!他の人にはおねだりなんかしません!」 口の中でアップルパイをモゴモゴしながら、葵ちゃんは少し恥ずかしそうにそう反論した。 「ホントに〜?」 ムキになってる葵ちゃんが可愛くて、俺は遂々そう突っ込んでしまった。 「本当です!それより、昔と変わったのは先輩の方です!」 「俺が?」 葵ちゃんの思わぬ反撃に少し驚き、俺は自分を指差しながらそう尋ねた。 「そうです!昔の先輩はもっと優しくて、こんな意地悪しませんでした!」 葵ちゃんは大きく頷いた後、少し拗ねた口調でそう言った。 「ハハハ、何だそんな事か。それは、相手が葵ちゃんだからだよ」 「えっ?」 「ほら、昔から好きな女の子には意地悪したくなるって言うじゃないか!」 カアアーー!! 俺の言葉を聞いた途端、葵ちゃんは真っ赤になってしまった。 『いっ!?』 特に意識して言ったわけではないので、俺はその葵ちゃんの反応に少し驚いてしまった。 それと同時に、段々と自分の頬が火照って行くのが分かった。 『だー、坂下の奴が余計な事言うもんだから。妙に意識しちまうじゃねーか!!』 俺は心の中で、坂下に文句を言った。 それからしばらく、二人の間に妙な沈黙が流れた。 『ヤバ・・・何か話さねーと』 俺がそんな事を考え焦り始めたその時、 「先輩・・・」 葵ちゃんが潤んだ瞳で俺の事を呼んだ。 「な、なに?」 不覚にも俺は、少し緊張して吃ってしまった。 「先輩って・・・」 ゴクリ! 俺は小さく喉を鳴らして葵ちゃんの次の言葉を待った。 「いじめっ子だったんですね!」 ガラガラガッシャーン!! 葵ちゃんの見事なフェイントに、俺は思い切りずっこけた。 「せ、先輩、大丈夫ですか!?」 驚いた葵ちゃんは慌てて俺に駆け寄り、俺を引っ張り起こしてくれた。 「ははは・・・大丈夫、大丈夫」 俺は、照れ笑いを浮かべながらそう答えた。 「そうですか・・・良かった。それより先輩、高校生にもなっていじめっ子の癖が抜けないなんてダメですよ!」 葵ちゃんはビシッと人差し指を立てながら、釘を刺すようにそう言った。 これが普通の女の子であれば照れ隠しだと思うのだが、相手が葵ちゃんなのであながち冗談とも思えなかった。 「はい、以後気を付けます」 俺は必死に笑いをかみ殺しながら、深々と丁寧に頭を下げた。 「??」 俺の真意が分からなかったのか、葵ちゃんはキョトンとした顔でそんな俺を見つめていた。 俺と葵ちゃんは、ファーストフードショップを出て更に何軒かの店を回った。 「はー、やっと買い出しが終わりましたね」 スポーツ用品店で最後の買い物をした後、大きく伸びをしながら葵ちゃんがそう言った。 「ああ、これで後は合宿を待つばかりだな」 俺は、山のような買い物袋をポンと叩きながらそう答えた。 「はい!合宿楽しみですね!」 見ている俺の方が嬉しくなるような笑顔で、葵ちゃんはそう答えてくれた。 ドキリ そんな葵ちゃんの笑顔を見ると、何故か俺の胸は高鳴った。 「まだちょっと時間は早いけど、どっかで飯でも食ってく?」 それを悟られないよう、俺は咄嗟にそう切り出した。すると、 「あのー、すみません先輩・・・私もう一軒だけ寄って行きたいお店があるんで遠慮しときます」 意外にも葵ちゃんは、申し訳なさそうな顔で俺の誘いを断って来た。 「もう一軒ぐらいなら俺も付き合うよ?」 俺はごく自然にそう申し出た。 しかし、葵ちゃんの反応は予想外のものだった。 「ダメです!!」 「いっ?」 余りにキッパリと否定されたもので、俺は少々面食らってしまった。 「あっ・・・すみません。別に変な意味じゃなくて・・・その、どうしても一人で行きたいお店だったもので・・・つい」 俺が一歩退いているのを見て、葵ちゃんはそう言いながら平謝りした。 「いや、別に良いんだよ。そっか、それじゃしょうがないな・・・今日のところはこれでお別れだな」 俺は葵ちゃんに余計な負担をかけまいと、努めて明るくそう言った。 「本当にすみません」 そんな俺に向かって、葵ちゃんはもう一度すまなそうに頭を下げた。 「俺の事は気にしなくて良いから、葵ちゃんは目的のお店に行きなよ」 俺は手を軽く振って全然気にしていない事を示しながら、葵ちゃんにそう促した。 「はい・・・それじゃ、失礼します。先輩、また明日学校で!」 最後は笑顔でそう言って、葵ちゃんはその場から去って行った。 「おう、また明日!」 手を振りながら去って行く葵ちゃんに、俺も手を振りながらそう答えた。 表面上は笑顔で見送った俺だったが、内心では少し落ち込んでいた。 『やっぱり、付いて来ないでくれって言われるのはショックだよな』 苦笑いをしながらそんな事を考えた時、 「ひーろーゆーき!」 俺は、突然背後から馴れ馴れしく自分の名前を呼ばれた。 バッ! 「ヤッホー、おひさー!」 驚いて振り向いた俺を片手を上げながら出迎えたのは、寺女の制服を着た美少女・来栖川綾香だった。 「何だ、綾香か・・・いつからそこにいたんだ?」 意外な場所で会ったので、俺は思わずそう尋ねた。 「浩之が、葵に振られた辺りからかな?」 俺の問いかけに、綾香はクスクス笑いながらそう答えた。 「振られたって・・・お前、人聞きの悪い事言うなよ!!」 綾香の言葉に、俺は猛然と反発した。 「あら、そうなの?私はてっきり・・・」 綾香はそう言いながら、小悪魔的な笑みを浮かべた。 「・・・ところで、お前は何やってんだよ?日曜だってのに制服なんて着てさ?」 分が悪いと悟った俺は、咄嗟に話題を逸らせた。 「ああ、これ?今日ねウチの学校、父兄参観日だったのよ」 「父兄参観日?高校生にもなってか?」 「そ」 「お嬢様学校の考えてる事はよう分からんな」 俺は少し呆れたようにそう言った。 「それは、私も同感」 俺と同じく、呆れたように綾香が相槌を打った。 「何だ、お前もそう思うのか?」 「当然でしょ?小学生じゃあるまいし、何で今更親に授業風景見てもらわなくちゃならないのよ?」 綾香は、やれやれといった表情で肩を竦めながらそうぼやいた。 「・・・お前って本当に変わってるよな。やっぱり、来栖川先輩の妹には見えないぜ」 俺は感じた事を率直に言った。 「姉さんと比べたら、大概の女の子はすれて見えるんじゃないの?」 俺の言葉を聞いて、綾香は苦笑しながらそう答えた。 「それもそうだな」 綾香の言葉が的を得ていたので、俺は思わず頷いてしまった。 「ね、ね、それより葵と合宿に行くんだって?」 うんうんと首を振っている俺に対して、綾香が唐突にそんな事を尋ねてきた。 「そんな事まで知ってるのか!?耳が早いなー!」 「耳が早いも何も、葵が嬉しそうに教えてくれたわよ」 驚く俺に、クスクス笑いながら綾香がそう教えてくれた。 「何だよ、葵ちゃんお前にまで教えてたのか?」 「ええ、そりゃもー嬉しそうにね!・・・ところで」 ギクッ! 悪戯っぽい笑顔でそう言う綾香を見て、俺は嫌な予感がした。 「浩之、あんた葵にHな事するつもりじゃ・・・」 「だーっ!?お前もか!?」 予想通り、以前坂下に言われたのと同じような事(しかも、綾香の方が表現がストレートだ)を言われ、俺は思わずそう叫んでしまった。 「またって・・・やだ、他の誰かにも言われたの!?」 綾香が少し驚いたようにそう尋ねた。 「ああ・・・坂下の奴にな・・・。なあ、俺ってそんなにスケベそうに見えるのか?」 同じ事を立て続けに言われたので、俺は少し不安になり思わずそう尋ねた。 「ウン!」 綾香はいともアッサリそう言うと力一杯頷いた。 「お前なー・・・もうちょっと考えろよ!」 余りに率直な綾香の態度に、俺はガッカリしながらそう抗議した。 「だって、好恵にも同じ事言われたんでしょ?」 「うっ・・・」 ごもっともな綾香の言い分に、俺は思わず言葉に詰まってしまった。 「ウソウソ、ほんの冗談だってばー!」 しゅんとしてる俺の顔が面白かったのか、綾香はクスクスと笑いながらそう言った。 「安心しなさい、そんな風には見えないから!」 「そ、そうか?」 我ながら情けないとは思うが、綾香の言葉に俺の表情は少し緩んでしまった。 「もっとも、あんまり真面目そうにも見えないけどね」 「そうですか・・・はー・・・」 綾香の置き土産に、俺は大きな溜息を吐いた。 「まあ、まあ・・・それより、合宿楽しみねー」 俺の肩をポンポンと叩きながら、綾香が嬉しそうにそう言った。 「嬉しそうって・・・まさか、お前ついて来る気じゃないだろうな!?」 綾香の言葉に驚いた俺は、思わず大声を出してしまった。 「そんな訳ないでしょ。それにしても、そんなに慌てるなんて・・・やっぱり何かするつもりだったの?」 興味津々といった表情で綾香が更に突っ込んできた。 「そ、そんな訳ねーだろ!そ、それより、ホントのとこはどうなんだよ!?」 少しだけ疚しい心があった俺は、そう言って話を必死で元に戻した。 「だから、本当についてく気なんて全くないわよ!私はただ嬉しかっただけよ」 「嬉しい?」 綾香の意外な言葉に、俺は首を捻った。 「嬉しいって・・・葵ちゃんが合宿張る事がか?」 「そうよ」 俺の問いかけに、綾香はアッサリとそう答えた。 「・・・お前分かってるのか?葵ちゃんが合宿張るって事は・・・」 「分かってるわよ!それだけ葵が強くなるって事でしょ?」 「それが分かってて何でだ?・・・まさか、そこまでしてようやく葵ちゃんに自分と闘う資格が出来るって意味か!?そんな事思ってるなら・・・」 「冗談じゃないわ!それこそ、まさかよ!」 それまでとは打って変わった厳しい声で、綾香はキッパリとそう言った。 「葵の実力は、この間の好恵との闘いで充分に分かってるつもりよ!そこまで自惚れてるつもりはないわ!」 「そ、それじゃ何で・・・?」 綾香の迫力に押された俺は、オズオズとそう尋ねた。 「葵が強くなる事がよ!葵がドンドン強くなって、手強い好敵手になってくれるのが堪らなく嬉しいのよ!」 綾香はギュッと拳を握り締めて、本当に嬉しそうにそう言った。 ゴクッ その瞬間、俺には綾香がとてつもなく大きく見え、思わず息を呑んで見つめてしまった。 「というわけで、浩之、葵の事シッカリとお願いね。あなたが付いてれば葵はまだまだ強くなる筈だから」 綾香はそう言って俺の肩をポンと叩いた。 「お、おう・・・」 情けない話、俺はそう返答するのがやっとだった。 「それじゃ、私は用があるからこれで。葵によろしくねー!」 綾香はそう言い残すと、手を振りながら去っていった。 『ふー・・・何だか、葵ちゃんが綾香に憧れる理由が分かるような気がするな・・・こりゃ合宿頑張らないとな・・・』 大きな溜息を一つ吐いた後、俺は綾香の後ろ姿を見つめながらそんな事を思っていた。 それからの数日、俺と葵ちゃんはいつも通り日々の練習をこなしていった。 時々坂下や綾香の言葉が頭を過ぎったが、そんな事は練習に打ち込んでいるうちにいつも忘れてしまった。 『これなら、合宿中も大丈夫だな!』 正直余り理性を保つ自信がなかった俺は、その度にそう思いホッと安堵の息を漏らした。 そして、月日はアッという間に流れ、合宿当日がやって来た。 「せんぱーい!」 「葵ちゃん、晴れて良かった・・・いっ!?」 待ち合わせの駅の改札で、手を振りながらやって来る葵ちゃんの姿を見た瞬間、俺の呼吸が一瞬止まった。 いつものジーンズ姿ではなく、葵ちゃんはキュロットスカートにノースリーブのシャツという出で立ちだったのだ。 『か、可愛い・・・』 制服のスカート姿やブルマ姿に見慣れている筈なのに、俺にはそのキュロットからスラリと伸びた白い足が妙に色っぽく感じられた。 「おはようございます、先輩!!」 俺の胸の高鳴りなど知る由もない葵ちゃんは、無邪気な笑顔でそう挨拶してきた。 『俺様の理性大ピーーーーンチ!!』 その太陽よりも眩しい笑顔を見た時、俺は本気でそんな事を思っていた。 |