To Heart
〜Through a year with マルチ〜



 第2章  初めての海(8月1日)

「浩之さーん!気持ちいいですよー、早く早く!」
 足首を水の中に浸けながら、マルチが俺を呼んだ。
「ちょっとマルチ、あんまり大声出さないでよ!恥ずかしいじゃない!」
 そんなマルチに真っ先に文句をつけたのは(他に文句を言いそうな人間はいないが)、案の定志保だった。
「まあまあ、志保。マルチちゃんだって初めて海に来て嬉しいんだから」
「そうそう、僕らだって初めての時はあんな感じだったはずだよ」
「ちぇっ、そんなもんかな・・・」
 あかりと雅史に諭され、渋々志保は納得した。
 俺は今、あかり、雅史、志保、そしてマルチと一緒に某海水浴場に来ている。
 何故マルチが一緒にいるかというと、それは一週間前の終業式までさかのぼる。

       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 その日の朝、俺とあかりは学校に行く途中、夏休みに何処へ行くかという話で盛り上がっていた。
 夏と言えば海!海と言えば海水浴!といった具合に、海が大好きな俺にとって、海に泳ぎに行く事は絶対に外せないイベントであり、当然のごとく海行きが決定した。
 こうなると俺とあかりだけでは寂しいので、学校に着くと同時に雅史と志保にも声を掛け、日程等を全て決めてしまった。
 そして式が終了した放課後、俺は期末テストの成績が酷く悪かった事を理由に職員室に呼ばれ、夏休みの特別課題として分厚い問題集を渡された。
 楽しい夏休みを前に、ちょっとブルーな気分になってしまった。
 気を取り直して帰ろうとすると、さすがに明日から夏休み、学校には誰も残っていなかった。
 俺も帰ろうと思い校庭に目を向けると、見慣れた後ろ姿が視界に入った。
 マルチである。
「おーい、マルチーッ!待てよ、一緒に帰ろうぜー!」
 そう言いながら駆け足で近づいて行くと、
「あっ、浩之さん!」
 そう言ってマルチが笑顔で手を振ってきた。
 マルチはどんな時でも、俺が声を掛けると嬉しそうな顔をする。
 それがまた可愛い。
「どうしたマルチ、お前も余計に宿題出されたのか?」
 マルチに追いついた俺は、そう言いながらマルチの頭を撫でた。
 マルチは俺の問に対して『?』という顔をしたが、頭を撫でると赤くなって嬉しそうに答えた。
「いえ、私は休み中の事について、先生とお話ししてたんです」
「そうか。いやーやっと夏休みが来たなー。嬉しいな?」
 何げなく俺がそう言うと、マルチは少し寂しそうに答えた。
「いえ、あの、私・・・、休みになると皆さんに会えなくなるので寂しいです・・・。あっ、でも、浩之さんが嬉しいなら私も嬉しいです」
 そんなマルチを見て、俺は凄く悪いことをしたと思った。
 確かに俺達にとって学校は鬱陶しいものかもしれないが、マルチにとっては全てが新鮮で、何にも代え難い経験なのである。
 マルチにとっては、休みの方がむしろ寂しく辛い日々なのかもしれない。
『俺って奴は何て無神経なんだ・・・』
 自己嫌悪に陥ってる俺に対して、気を利かせたのかマルチが尋ねてきた。
「浩之さんは、休みの間何処かへ行かれるんですか?」
「ああっ、あかり達と一緒に海にな」
 マルチの折角の気遣いを無駄にしないために、俺は努めて明るく答えた。
「うみ・・・ですか?」
「そう、海!」
「海・・・ですか」
 そこまできて俺はある事に気付いた。
「マルチ、お前もしかして『海』見たことないのか?」
「はい・・・、私『海』ってデータでしか知らないんです」
 マルチが恥ずかしそうに答えた。
「そうだよな。マルチは生まれてから四カ月しか経ってないんだもんな、無理ないな」
 俺は『生まれて』という言葉を強調して、マルチをフォローした。
 俺はマルチと話すとき『作られた』という言葉を使わずに、『生まれた』という言葉を使うようにしていた。
 理由は二つある。一つはマルチがロボットに見えないこと、そしてもう一つはそう言うとマルチがとても嬉しそうな顔をするからだ。
「海ってどんな所ですか?」
 その効果があったのか、マルチが笑顔で尋ねてきた。
「そうだなー、一口で言えば『でっかい塩水の池』かな?どうだイメージ湧いたか?」
 我ながら無茶苦茶な説明だとは思ったが、一応マルチにきいてみた。
「・・・???」
 やはりイメージが湧かないのか、マルチはきょとんとした顔をしている。
「う〜ん、口で説明するのは難しいなー。『百聞は一見に如かず』なんだけどな・・・」
 その時、俺の頭の中に1つの考えが浮かんだ。
「そうだ!マルチ、お前も一緒に海に行こうぜ!」
 ポンと手を叩きながら、俺は思わず叫んだ。
「わ、私も一緒にですか?」
 こんな展開は予想もしていなかったのだろう、マルチが慌てて聞き返してきた。
「そうだよ!あかり達と一緒じゃ嫌か?」
「そ、そんなことありません!皆さん良い方ですし」
「もしかして、海水に浸かると錆びるのか?」
「い、いえ。私は、内部のメカも『とくしゅぽりまー』でコーティングされていますから、その心配は全くありません」
「海に行く許可が貰えないのか?」
「えーと、余り長期間の外出でない限り大丈夫だと思います」
「それなら問題ないじゃないか。一緒に行こうぜー!」
「でも・・・」
「でも?」
 ここに至っても余り乗り気に見えないマルチに対して、俺は問い返した。
「わ、私・・・、トロイしドジだし、おまけにロボットだし・・・、きっと皆さんのお邪魔になってしまいますから・・・」
 マルチからの答えは、いかにもマルチらしいものだった。
 『全く、ここまで気を使う必要はないのに』と思う一方、そんなマルチがとても意地らしく可愛かったのも事実だった。
 そこで俺は、一計を案じることにした。
「そうか・・・、マルチはきっと俺と一緒に行くのが嫌なんだ・・・。そうなんだ・・・、俺はマルチと一緒にスゲー行きてーのになー!」
 俺は『嫌』と『スゲー』の部分に特に力を入れ、心底がっかりした様な声で言った。
 すると、俺の言葉を本気だと思ったのか、マルチが慌てて答えた。
「そ、そんなことありません!私も浩之さんと一緒に行きたいです!スゴク行きたいです!」
 それだけ言うと、マルチは真っ赤になって俯いてしまった。
 俺はそんなマルチに近づいて、頭を撫でながら言った。
「それじゃ一緒に行こうぜ。さっきの言葉、前半分は嘘だけど後半分は本気だぜ」
「浩之さん・・・。私、本当にご一緒してもよろしいんですか?もしいいんだったら私・・・」
「当ったり前だろ!嫌だって言っても連れてくぞ!」
 マルチの言葉が終わらないうちに、俺はそう言ってマルチを抱き上げた。
「はい!連れてってください!」
 そう言ったマルチの笑顔が何よりのOKサインだった。
 それからの1週間が大変だった。
 研究所に戻ったマルチは、早速海行きの許可を貰い、それが余程嬉しかったのか、その日のうちに俺の家に電話をかけてきた。
「浩之さん、私海に行っていいって許可貰えました!嬉しいです!本当に浩之さんと一緒に海に行けるんですね!」
「良かったな、マルチ!俺も嬉しいぜ!」
 本当に嬉しそうに話してくるマルチにつられて、俺もそう答えた。
 結局、その日の電話は1時間以上続いた。
 ここまでならよくある話だが、何とマルチは次の日から行く前の日まで、毎日俺の家に電話をかけてきた。
 内容は世間話や行き先の海の事がほとんどだったが、余程楽しみにしているのだろう、必ず最後に集合時間と集合場所を確認するのを忘れなかった。
 そして当日の朝、俺とあかりは集合場所の駅に向かっていた。
 集合時間まであと40分以上もある。
 こうなった原因は、全てあかりにあった。
 あかりが集合時間を30分間違えて俺を迎えに来てしまったのだ。
 まったく困った奴だ。最もあかりが迎えに来る直前まで眠っていて、あかりの声に驚き時間も確認せずに飛び出した俺にも責任はあるのだが・・・。
 それはそれ、これはこれだ。
「まったく、まだ40分以上もあるじゃねーか!みんなお前のせいだぞ!」
 俺はちょっと意地悪く言った。
「ごめんね・・・浩之ちゃん。私うっかりしてて・・・」
「『うっかり』じゃねーよ!スゲー迷惑だ!」
 実際のところそれ程怒っていた訳ではないのだが、あかりの反応がおもしろくてついつい意地悪く言ってしまう。
「本当にごめんね・・・あれ?浩之ちゃん、あそこにいるのマルチちゃんじゃない?」
 そう言って、あかりは駅の改札口の方を指さした。
「マルチ?」
 俺は、そんなことはないだろうと思いながら、あかりが指さす方向を見た。
 すると、そこには本当にマルチがいた。
 いつもの制服姿で赤いリュックをちょこんと背負ったマルチは、辺りをキョロキョロと見回していた。
「おーい、マルチー!随分早いなー!」
 俺はそう言いながら手を挙げてマルチに近づいて行った。
「あっ、おはようございます、浩之さん、あかりさん!」
 俺達に気が付いたマルチは、そう言ってペコッと頭を下げた。
「おはよう、マルチちゃん。早いのね、いつ頃来たの?」
 あかりが挨拶を返しながら、何げなくマルチに尋ねた。
「えーと、一時間くらい前からです」
「1時間ー!?」
 俺とあかりの驚きの声がハモッた。
「1時間て今から1時間前だよな?集合時間の1時間前じゃないよな?」
「はい!私楽しみで、少し早く来ちゃいました!」
 俺が確かめるように尋ねると、マルチはそう言って元気に答えた。
『いくら楽しみだって、普通こんなに早く来るか?』
 俺は口に出してそう言おうと思ったが、マルチが余りにも嬉しそうだったので言わないでおくことにした。
 ちらっと横を見ると、あかりも同じことを考えていたのだろう、ニコッと笑って頷いた。
 それから俺達は、他の2人を待つ間お喋りをしていた。
 と言っても実際は、マルチが1人で喋っているのを、俺とあかりがうんうん頷きながら聞いていたのだが。
 それにしても、こんな饒舌なマルチは初めて見た。
 余程今日が楽しみだったのだろう。
 そう思うと尚更マルチが可愛く見えた。
 俺1人だったら頭を撫でてやるところだが、さすがにあかりがいる前だったのでそれは控えた。
 そして待つこと10分、集合時間の30分前に雅史がやって来た。
「あれ?早いねみんな!集合時間までまだ随分あるのに」
 雅史が驚いた顔で言った。
 普段このメンバーで待ち合わせをすると、雅史はいつも1番最初に来ている。
 それから考えてもこの雅史の反応は当然のものだろう。
 そんな雅史に対して、
「おめーが遅いんだよ」
 と俺が、
「雅史ちゃんおはよう。へへー、ちょっと早く来すぎちゃった」
 ペロッと舌を出しながらあかりが、
「おはようございます、雅史さん」
 丁寧にお辞儀をしながらマルチが言った。
「おはよう。それにしても、あかりちゃんやマルチちゃんはともかく、浩之熱でもあるの?」
 雅史の奴は、本当に心配そうに尋ねてきた。
「俺が早く来ちゃ悪いのかよ?全くよー!」
「ごめん、ごめん。ほんの冗談だよ。そんなに怒るなよ」
 俺がムッとしながら答えると、雅史は慌てて謝ってきた。
『俺は、そんなにいい加減な奴だと思われているんだろうか?』
 そんな疑惑が俺の心の中をよぎった。
 何はともあれ、そこから雅史がお喋りに加わり、話は尚更盛り上がった。
 そして待つこと40分・・・、集合時間から10分が経過していた。
「遅っせーなー、あのバカ何やってんだ!」
 俺がそんなことをブツクサと言い始めて間もなく、こちらに向かって走って来る人影が見えた。
 どうやら『バカ』がやって来たようだ。
「いやー悪い悪い!ちょーっと寝坊しちゃって、アハハ・・・」
 そう言って悪びれもせず謝った人物、言わずと知れた志保である。
「おはようございます志保さ・・・」
 そう言って深々とお辞儀しようとするマルチを、俺は手で制した。
「マルチ、こんな『遅刻バカ』にまで挨拶する必要なんてねえよ!」 「で、でも・・・」
 志保に悪いと思ったのか、俺の言葉に対してマルチが反論しようとしたが、それよりも早く志保が吠えた。
「ちょっと『遅刻バカ』って何よ!そりゃ普段のあんたのことじゃない!大体今日だってどーせあかりに起こしてもらったんでしょ?この甲斐性無し!」
 カチンときた。当たっているだけに尚更だった。
「うるせーぞ!この『お喋りバカ女』!てめーが人のことを言えるタマか?」
「何ですってー、あかりがいなきゃ何もできないくせに!この唐変木!」
「何だとー、このブス!」
「キィーッ、この童貞男!」
「何ー!」
「何よー!」
 売り言葉に買い言葉で、俺と志保の言い合いは続いた。
 口喧嘩の内容が子供の罵り合いレベルになったところで、あかりが止めに入ってきた。
「はいはい、2人ともこんな事してたら日が暮れちゃうよ。そしたら海にも行けなくなっちゃうよ」
 フエエエーン!
 そこまであかりが言うと、マルチが突然大声で泣き出した。
「う、海に行けないんですか?グシュッ、私とっても楽しみにしてたのに・・・。そんなの嫌です!フエエエーン!」
 どうやらあかりの言葉を真に受けたらしい。
 マルチらしいと言えばマルチらしい。
 そんなマルチを見ていると、下らない喧嘩を続ける気にはなれなかった。
 それは志保も同感らしく、それ以上何も言ってこなかった。
 俺は、泣いているマルチの前に立って優しく言った。
「泣くなマルチ!こんなことで泣いてると、本当に海に行けなくなるぞ」
 それを聞いた途端、マルチはピタッと泣き止み言った。
「わ、分かりました!私もう泣きませんから、海へ連れていって下さい!」
 瞳をうるうるさせながら、マルチが哀願した。
 俺はこれ以上苛めるのが可哀想になって、マルチに言った。
「よし!海に向かって出発だ!」
「はい!」
 心底嬉しそうなマルチの返事を合図に、俺達は予定より1本遅い電車で目的地に向かった。
 電車の中でのマルチが、また凄かった。
「これが電車ですか?私乗るの初めてです。うわー、バスよりずっと広いんですね!」
「すごーい、速い速い!浩之さん、すごっく速いですね!」
「浩之さん、お巡りさんみたいな格好をした人がいるんですけど?えっあの人は車掌さん?この電車で1番偉いんですか?すごいですねー!」
 等々、たった1時間半の旅なのに、まるで大冒険をしている様にマルチははしゃぎまくった。
 そんなマルチを、あかりと雅史は微笑ましそうに見ていたが、志保は恥ずかしいらしく、余りそちらの方を見ようとしなかった。
 俺も自分の名前を何度も呼ばれ少し恥ずかしかったが、マルチの楽しそうな姿を見ていると、とても叱る気にはなれなかった。
 間もなく、俺達は短い旅を終えて目的地に到着した。
 駅に降り立った俺達の眼前には、果てしない大海原が広がっていた。
「これが、『海』・・・」
 それがマルチの第一声だった。
「すごい・・・、すごい、すごーい!青くて、すごく大きくて、すごくきれいで・・・、とにかくすごーい!」
 段々と実感が湧いてきたのか、マルチは電車の中とは比較にならないほど大声ではしゃぎまくった。
 今時、子供でもこんなには喜ばないだろう。
 いや、生まれてから4カ月しか経っていないマルチは、子供と同様かそれ以上にピュアな心を持っているに違いない。
 そんな事を考えながらマルチを見ると、マルチがとても眩しく見えた。

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 その後、俺達は予約しておいた宿に荷物を置き、着替えた後ここに来た。
 マルチに続いてあかりと志保が波際に進んで、水の感触を楽しんでいる。
 3人共水着の上にパーカーを着込んでいて、水着は見えない。
 志保曰く、
「後のお・た・の・し・み!」
 だそうだ。
『全く勿体つけやがって!』
 そんな事も思ったが、やはりここまで来ると俺の海好きの血が騒いだ。
「よーし!俺達も行くぞ、雅史!」
「うん、行こう!」
 そう言いながら、俺と雅史も波際に向かって走りだした。
 30分程そんな感じで遊んだだろうか、誰とも無しに『泳ごう』という意見が出た。
 いよいよ志保曰く、
「ご開帳ー!」
 の時間がやって来た。
「パンパカパーン!」
 そんな効果音を恥ずかしげもなく口で言いながら、志保が真っ先にパーカーを脱ぎ捨てた。
 志保の水着はビキニだった。
 赤ベースの布地に、色とりどりの花の模様があしらわれていた。
「どうだセクシーだろう!」
 そう言いながら、志保は腰をクネクネさせた。
『確かにちょっと色っぽい・・・』
 一瞬とはいえ、そう思ってしまった自分が情けなかった。
「ほらっ!あかりもパーカー脱ぎなさいよ!」
「うん・・・」
 続いて、志保に促されてあかりがパーカーを脱いだ。
『おおっ!これもなかなか・・・』
 それが俺の率直な意見だった。
 あかりの水着は、志保と違ってワンピースだった。
 青を基調として、白いストライプが何本か入っている。
 あかりらしい控えめな水着だ。
『しかし、あかりもいつの間にやら成長したのおー』
 あかりの胸の辺りを見ながら、そんな事を考えていると、
「あのー、浩之ちゃん。恥ずかしいから余りジロジロ見ないで・・・」
 顔を赤くしながらあかりが言った。
「悪い!悪い!」
 そう言って俺があかりから目を逸らすと、すかさず志保が突っ込みを入れて来た。
「ヒロ、やらしい事考えてたでしょ?」
「な、何言ってんだよ!そんな訳ねーだろ!」
「ムキになるところが怪しいわねー」
「て、てめー!」
 再び俺と志保が喧嘩腰になったところで、チョン、チョンと俺の背中をつつく奴がいた。
 俺が振り向くと、そこにはマルチがいた。
 それはちょっとしたカルチャーショックだった。
 胸に黄色い大きなリボンをあしらったピンクのワンピース姿のマルチは、間違いなく『女の子』だった。
 『マルチは、とてもロボットには見えない』、俺は普段からそう思っていた。
 しかし、心の中では『マルチは所詮ロボットで、制服の下にはメカが詰まっている』と思っていたのかもしれない。
 でも、今俺の目の前で水着を着て肌を露出しているマルチは、何処から見ても『人間の女の子』だった。
 その髪が、目が、口が、手が、足が、そして盛り上がった胸が、彼女がロボットである事を否定しているかのように思えた。
「あの・・・、私何か変ですか?」
 俺が余りジロジロ見ていたせいなのだろう、マルチが恥ずかしそうに尋ねてきた。
「い、いや、全然変じゃないよ・・・、その、すごく・・・」
 『可愛いよ』と続けようとしたところで、とんだ邪魔が入った。
「あっれー?ヒロ、あんた何赤くなってんのよ!あんたもしかしてロリコン?」
「グッ・・・」
 志保の雑言に対して今回は反論できなかった。
 志保の言うことは、当たらずとも遠からずだった。
 俺は今確かにマルチに対して、『可愛いロボットへの愛情』とは異なる『異性への愛情』を抱いたのだから。
「あの・・・『ロリコン』て何ですか?」
 何も知らないマルチが、真面目に質問してきた。
「あのねっ、『ロリコン』ってのはね・・・ムグッ」
 ニヤニヤ笑いながら説明しようとする志保の口を、俺は必死に塞いだ。
 そして、
「そ、そんな事より、折角海に来たんだから泳ごうぜ!な、あかり、雅史?」
 そう言って、俺はあかりと雅史に同意を求めた。
「そうだね。そろそろ泳ごうか、ね志保?」
「僕もその意見に賛成。折角ここまで来たんだから」
 さすがに付き合いが長いだけあって、あかりと雅史は俺の意図をちゃんと分かってくれたらしく、助け舟を出してくれた。
「チェッ、分かったわよ・・・」
 あかり達に言われ、志保は渋々納得してそれ以上の突っ込みを入れなかった。その代わり、
「そうと決まれば、私が1番乗りー!」
 そう叫ぶと、助走をつけて海の中へ飛び込んでいった。
「あーっ、待ってよー志保ー!」
「よーし、僕も!」
 そう言いながら、続けてあかりと雅史も海の中へ飛び込んでいった。
 ちなみに、俺達四人は泳ぎがかなり上手い方だ。
 俺とあかり、雅史の3人は小学生の時スイミングスクールに通っていたし、志保も昔から泳ぎは達者だったそうだ。
 気が付けば、3人共もうかなり沖まで行っていた。
「よーし、俺も!」
 そう言いながら海に入ろうと俺は、ふとある事に気付いた。
「ところでマルチ、お前泳げるのか?」
 俺は今更とも思える質問をした。
「はい、多分大丈夫だと思います。私完全防水ですし、一応汎用型メイドロボットですから、その多分・・・」
 最後の方は小声になってしまったマルチの返答に、些かの不安を覚えたものの、俺はマルチを促すように言った。
「それじゃ一緒に泳ぐか!」
「はい!」
 俺の誘いに対して、マルチは元気に答えた。
「それじゃ行くぞ!」
 そう言って俺は反動をつけ、一気に水の中に潜った。
 少し遅れて、後方で何かが水の中に潜る音がした。
『マルチだな』
 俺は少しいいところを見せようと、潜ったまま25メートル程沖合へ進み浮かび上がった。
「どうだ、凄いだろうマルチ?」
 そう言いながら、俺は後ろを振り返った。
 しかし、当然いるだろうと思っていたマルチの姿はそこにはなかった。
『すげー、マルチの奴まだ潜ってるのか!』
 俺は内心マルチの性能に舌を巻きながら、マルチが浮かんでくるのを待った。
 しかし、1分、2分・・・、5分経過してもマルチは浮かんでこなかった。
 さすがに不安になった俺は、元来た方向へ向かって泳ぎ出した。
「おーい!マルチー!」
 海底に足が届くぐらいの所まで戻り、俺はそう叫びながらマルチを探した。
 しかし、マルチの姿は一向に見つからなかった。
『一体どこ行ったんだ?』
 俺が本当に焦り出した時、
 グニュッ
「わっ!」
 俺は足の裏に感じた柔らかい感触に驚いて、思わずその場から飛びのいた。
 一体何を踏んだのだろうと思い海の中をのぞき込んだ俺は、意外なものを発見した。
「マ、マルチ!」
 そう、そこにはマルチがいたのだ。
 マルチは腹這いの状態で、手足をバタバタさせていた。
「お前何やってんだ!」
 俺はそう言いながらマルチを水面まで引き上げた。
「グシュン、浩之さん、泳げませーん!」
 マルチは涙声でそう訴えた。
「泳げないって?あっ!」
 俺は重大な事に気が付いた。
 そう、マルチは鈍いのだ。
 俺は、マルチの防水性や質量の事ばかり考えて、マルチの運動神経が0だということをすっかり忘れていた。
 普段のマルチを考えれば、むしろ泳げない方が当然だろう。
「マルチ・・・諦めろ」
「えっ?」
「お前には、泳ぎはちょっと無理だ」
 それが俺の出した結論だった。
「私泳げないんですか?」
「ちょっとな・・・」
「そうなんですか・・・。そうですよね、私って鈍いから・・・」
 俺は、寂しそうにそう言うマルチが不憫に思えた。
 ピン!
 その時、俺はあることを閃いた。
「マルチ、ちょっとこっち来い!」
「えっ?」
 きょとんとするマルチの手を取って、俺は砂浜の売店にやって来た。
 そこには色とりどりの浮輪が売っていた。
「こいつがあればお前でも泳げるぞ!」
「これ何ですか?」
「これは『浮輪』といってだな・・・」
 俺は、浮輪についての説明をかい摘まんでした。
「それじゃ、これがあれば私も泳げるんですね?」
 マルチが目を輝かせて言った。
「そういうこと。さ、好きなの選べ」
 俺がそう言うと、マルチの顔が曇った。 「あっ、でも私必要最低限のお金しか貰ってないんです。だから、これは買えません・・・」
「ばーか!こんなの俺のおごりだ、お・ご・り!さっ、好きなの選べよ!」
 寂しそうに言うマルチに向かって、心配するなとばかりに俺は明るく言った。
「で、でもそんなの悪いです!ロボットが人間の方に物を買って頂くなんて」
「いいんだよ、俺がそうしたいんだからさ!それにお前がいつ迄も泳げないと、俺も安心して泳げないんだよ」
 遠慮するマルチに、俺は切り札ともいえる言葉を言った。
「そ、それじゃ・・・、これがいいです」
 俺の言葉にようやく納得したのか、マルチがオズオズと一本の浮輪を指さした。
 それは、デフォルメのタコが沢山プリントされた透明な浮輪だった。
 如何にもマルチが好きそうな可愛いやつだった。
「よーし。すみませーん、これ下さい!」
 俺が店のおじちゃんにそう言うと、おじちゃんは『毎度!』と言いながら浮輪をマルチに渡した。
 俺が代金を払おうとした時、おじちゃんが言った。
「兄ちゃん、彼女にプレゼントたー憎いね、このっ!」
「なっ!」
 俺はおじちゃんの言葉に絶句した。
 おじちゃんにはマルチが人間に見えたらしい。
「ち、違うって!そんなんじゃ・・・、なっマルチ?」
 俺は必死に反論して、マルチに同意を求めた。
 が、それは無駄だった。
 マルチは、手にしっかりと握った浮輪に描かれているタコよりも真っ赤な顔をして、俯いてしまっていた。
『まっ、誤解されたままでいいか!』
 そんなマルチを見て、俺はふとそんな気持ちになった。
 結局、俺たちは店のおじちゃんに誤解されたまま売店をでた。
「あっ、あの・・・本当にありがとうございました。私これ大切にします!」
 少しドギマギしながら力説するマルチを見ながら、俺はニッコリ笑って言った。
「そんなの気にするなよ。それより泳ぐぞ!」
「はい!」
 俺の言葉に嬉しそうに答えたマルチの手を取って、俺は海に向かって走りだした。
 勿論、マルチはしっかり浮輪を装備している。
 その後、俺達は苦労しながら(マルチの泳ぎが異常に遅かった)沖まで出た。
 途中であかり達とも合流できて(志保が『遅い』と散々文句を言ったが)、俺達は暗くなるまで海を堪能した。
 この時のマルチの嬉しそうな笑顔は、真夏の太陽の眩しさと一緒に俺の心に焼き付いた。

 楽しい時が経つのは早い。気が付けばもう6時を回っていた。
 海から上がり、宿に戻ってシャワーを浴び終えた時には、7時半を過ぎていた。
「さて、俺達は食事に行くか?」
 俺がそう言うと、あかりと雅史もそれに賛成した。
「マルチ、その間どうしてる?」
 当然マルチは、俺達と同じものを食べることはできない。
 気になった俺はマルチに尋ねた。
「私もそろそろバッテリー切れになってしまいます。1時間程充電しようと思います」
「そうか。それじゃ俺達も行くか・・・って、あれ志保の奴はどうした?」
 マルチの事ばかり気にしていた俺は、その時になって初めて志保がいないのに気が付いた。
「ああ、志保だったら・・・」
 ドタドタドタ
 あかりがそう言おうとした時、廊下を走る足音が聞こえてきた。
 ガラッ
「ちょっと皆、聞いてよ聞いて!」
 扉を開けるが早いか、志保はそう叫び更に続けた。
「今聞いたんだけど、8時から砂浜で花火大会やるんだって!ねー行こうよ、行こうよ!」
「花火大会か・・・、うん、いいかもしれないな」
 志保にしては言い考えだと思いながら、俺はその意見に賛成した。
「わー花火大会なんて久しぶり、楽しみだなー!」
「そうだね!」
 あかりと雅史もウキウキしながら言った。
「花火・・大会・・・?」
「ああっ『花火』ってのはな・・・」
 小声で訪ねてくるマルチに対して、先手必勝とばかりに俺は『花火』の説明をした。
「どうだ、分かったかマルチ?」
「はい・・・」
 説明を一通り終え俺はマルチに尋ねた。しかし、マルチからの返答には少し陰りがあった。
「そうなんですか・・・、『花火』ってそんなにきれいなんですか。見てみたかったな・・・」
「あっそうか、マルチお前充電が・・・」
 俺はそこまできて先程のマルチの言葉を思い出した。
「あっ、すみません、つまらない事いっちゃて。気にしないで皆さん行って来て下さい」
 俺達に気を使わせまいと、必死に笑顔を作ってマルチが言った。
「マルチ、バッテリー後どれぐらい残ってんだ?」
「もって後10分ぐらいだと思います」
「それじゃ始まる前にバッテリー切れになっちまうな。そうだ、始まる直前まで充電すれば・・・」
「それは無理です!バッテリー保護のため、一度充電を始めたら1時間は続くようにプログラムされてるんです」
 正に打つ手なしといった状態だ。
『やっぱり無理なのか』
 俺がそう思い諦めかけた時、1つの妙案が浮かんだ。
「おいマルチ!お前、体を動かす駆動系の電力と知覚を司るセンサ系の電力を分けることって出来るか?」
「はい、それは可能ですけど?」
 俺の質問に、マルチが不思議そうな顔で答えた。
 そんなマルチにかまわず、俺は更に質問を続けた。
「もし駆動系の電力を切ってセンサ系の電力だけを供給するとしたら、今の電力でどれくらいもつ?」
「えーと、正確には分かりませんけど、後1時間ちょっとはもつと思います」
「そうか!よーし分かった!あかり、お前達3人は先に行っててくれ。俺達は少し遅れて行くから」
 マルチの回答を聞いた俺は、あかり達に指示を出した。
「うん・・、分かった。じゃ、先に行ってるね!」
 長年の付き合いで、あかりと雅史は俺に何か考えがあることを分かってくれたらしく、ブーブー文句を言う志保を連れて部屋を出て行った。
「よし、ちょっと待ってろマルチ、俺着替えてくるから。あっ、そこから動くな、余計な電力使っちまうからな!」
 それだけ言い終えると、俺はマルチの部屋を後にして自分の部屋に向かった。
 自分の部屋で、俺は浴衣から動きやすいTシャツとジーンズの上下に着替え、再びマルチの部屋に戻った。
「よし、行くぞマルチ!」
「はい?」
 開口一番そう言った俺に対して、マルチが訳が分からないといった感じで答えた。
 俺はそれに答える代わりにクルリと振り返りマルチに背を向け、言った。
「俺におぶされマルチ」
「エッ?」
「俺におぶさって駆動系の電力をオフしろ。花火見るだけだったらセンサ系が生きてれば大丈夫だろ?」
 これが俺の結論だった。我ながら素晴らしいアイデアだと思った。
 しかし、マルチは予想通りの反応を示した。
「そ、そんなこと出来ません!そんなことしたら、浩之さん花火大会の間中ずっと私をおぶってることになるんですよ!そんなこと絶対に出来ません!」
 これまでにない程激しくマルチが反抗した。
「俺はマルチと一緒に花火が見たいんだ!」
 俺はそう一言だけハッキリと言った。
「浩之さん・・・」
「だから、なっ一緒に行こうぜ?」
「はい・・・」
 マルチはそれ以上何も言わずに俺におぶさった。
「ありがとうございます・・・浩之さん・・・」
 俺の背中でマルチがそう呟いた。

「たーまやー!」
 夜空で花火が美しく散る度、歓声が起こった。
「浩之さん、『たまや』って何なんですか?」
「・・・俺もよく分からないけど、花火の時は『たまや』って言う決まりなんだ!」
 マルチの質問に対して俺は適当に答えた。
「そうなんですか!あっ、たーまやー!」
 マルチはそんな事には気付かなかったらしく、早速花火に合わせて歓声を上げた。
「きれいですねー浩之さん!」
「うん、そうだな」
 マルチの言葉に対して返事をしたが、俺は余り真剣に花火を見ていなかった。
 俺の視線は、花火より背中のマルチに釘付けになっていた。
『可愛いな・・・』
 花火の光りに照らされたマルチは本当にきれいだった。
 俺は昼間の志保の言葉を思い出していた。
『ヒロってもしかしてロリコン?』
「そうかもな・・・」
 俺はボソッと呟いた。
「えっ何ですか?」
 独り言を聞かれた俺は、慌ててごまかした。
「き、きれいだな花火」
「そうですね・・・、本当にきれい・・・」
 俺達はそのまま花火をじっと見続けた。
 やがて最後の1発が夜空に散り、辺りに一瞬の静寂が訪れた。
「マ、マルチ、俺さ・・・」
 俺はドキドキしながら背中のマルチに話しかけた。
 俺は自分の気持ちをマルチに打ち明けようと思った。
 しかし、いつまで待ってもマルチからの返答はなかった。
「マ、マルチ?」
 俺はもう一度マルチの名前を呼んだ。
 それでもマルチからの返答はなかった。
 不思議に思って背中を見ると、そこにはバッテリー切れで眠っているマルチがいた。
『何だ眠っちまったのかよ。トホホ・・・、俺のこれまでの努力って一体?』
 俺は1人ぼやいた。すると、
「浩之さん・・・大好きです」
 俺はマルチの言葉に一瞬ドキッとした。
 しかし、マルチはやはり眠っているようだ。
「寝言?」
 俺はその時、以前マルチが言っていた言葉を思い出した。
『ロボットも夢を見るんですよ』
「そうか・・・、夢か。夢の中に俺が出てきてるのか」
 それだけで、今日の全てが報われたような気がした。
『俺も大好きだぜ、マルチ』
 辺りに聞こえないように、俺は小声でマルチの耳元に囁いた。
 その瞬間マルチが浮かべた笑顔を、俺は一生忘れないだろう。
 そう、一生・・・。


 

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