〜きずあと〜 番外編
旦那 

 それは一連の事件が解決し、ようやく柏木家の面々も落ち着きを取り戻したある日の午後のことだった。
「お帰り」
 買い物から帰ってきた楓を、耕一が優しい微笑みを浮かべながら迎える。
「ただいま・・・」
 そんな耕一に返事を返す楓だったが、うれしさよりも照れや恥ずかしさの方が先に立つのだろう。顔を赤らめて俯いてしまっている。
『か、かわいい・・・』
 そんな楓のかわいさに、心の中で涙を流しながらガッツポーズを決める耕一。
「耕一さん?」
 突然天を仰ぎ握り拳を固める耕一に、楓は心配そうな声をかける。
「あ、あぁ、いや、何でもないんだ」
 我に返った耕一は、バツの悪そうな表情を浮かべる。
「そうですか・・・」
 ホッと胸をなで下ろす楓に、耕一は理性を保ちながら夕べから考えていた計画を話し始めた。
「楓ちゃん、明日よかったらドライブにでも行かないか?」
「えっ・・・?」
 耕一の突然の申し出に、楓は思わず顔を上げる。
「ようやく身の回りも落ち着いてきたし、初デートに山の方にドライブでもと思ったんだけどどうかな?都合悪い?」
 ぶんぶんぶんぶん
 耕一の言葉に、楓は勢いよく首を横に振る。
「いえ・・・うれしいです・・・」
「そっか、よかった。じゃあ、明日楽しみにしてるから」
「はい・・・」
 そう言って頬を赤らめながらコクリと頷く楓に、耕一は再び心の中でガッツポーズをとるのであった。


「これがいいかな?」
 楓は自室の鏡の前で、クルリと1回転してみた。
「やっぱり、さっきの方がよかったかしら?」
 床の上に何着もの服が散らばっていることから、楓がずいぶん長い時間悩んでいることが伺える。
「楓お姉ちゃ〜ん、ちょっといい?・・・って、どうしたのこれ?」
 楓の部屋にやってきた初音は、普段はきちんと片づいている楓の部屋の惨状に驚きの声を上げる。
「うん・・・ちょっと・・・」
 『耕一とデートだ』とは恥ずかしくて言えない楓であったが、部屋の状況と楓の態度から初音はピン!ときた。
「ははぁ〜ん、もしかして明日耕一お兄ちゃんとデートだったりして?」
 かぁ〜っ
 初音の言葉に、楓の顔が瞬時に赤く染まる。
「やっぱりねぇ。じゃぁお邪魔しちゃ悪いから今日の所は引き上げよっかな」
「あ・・・初音・・・」
「明日頑張ってねぇ」
 そう言い残して自室へと戻っていく初音。
「明日・・・頑張る・・・」
 何を想像しているのか、楓は顔を真っ赤にしたままぼぉ〜っと立ちつくしてしまったのであった。


「おはよう」  明くる日、千鶴が朝食の席に起きて来ると、そこには梓と初音の二人しかいなかった。耕一はともかく、楓までいないことに千鶴は嫌な予感を感じる。
「あら?楓と耕一さんはまだ起きてこないの?」
「あぁ、あの二人なら今朝はもう朝食食べて、一緒に出かけたよ」
「一緒に・・・出かけた?」
 部屋の気温が2度程下がった。敏感にそれを感じた梓は、慌てて口を閉じる。
「うん、今日は二人でデートだって。昨日、楓お姉ちゃんうれしそうに着ていく洋服選んでたよ」
 まだその雰囲気を察することの出来ない初音が、爆弾発言をかます。
「デート?」
 部屋の気温が、更に3.5度程下がった。その頃には、さすがの初音も『その』気配を感じ取っていた。
「二人とも、すぐに出かけるわよ」
「で・・・出かけるってどこに?」
 梓は恐るく千鶴に尋ねる。もっとも、返事は予想できていたが・・・。
「もちろん、二人の後を追うのよ。いい?せっかくの二人の初デート、成功させてあげたいでしょう?だからこそ、私達3人できちんと見守っていてあげないと」
 そう言ってニコリと微笑む千鶴。
 しかし、その笑顔の向こうにユラリと揺らめく鬼の影に、梓と初音の二人は首を縦に振ること以外出来ないのであった。


「いい天気になってよかったですね」
 助手席の楓が空を見上げながら呟く。その言葉通り、雲一つない青空が広がっている。
「うん、これも楓ちゃんの日頃の行いがいいおかげだね」
「そんな・・・」
 その言葉に照れながら耕一の方を見る楓。その楓の目に、木の枝から枝へと素早く飛び移る三つの影が映った。
「こ、耕一さん・・・何かが木と木の間を飛び移りながら追いかけてきてるみたいなんですけど・・・」
「あぁ、猿じゃないのかな。この辺には野生の猿が結構いるっていう話だし」
「そうなんですか?」
 三つの影というところに言い様のない不安をを感じながらも、楓は耕一の言葉に頷く。


 一方、猿・・・もとい柏木三姉妹は、木々の間を飛ぶように駆けながら車の後をひたすら追っていた。
「お姉ちゃん・・・疲れたよう・・・」
「泣き言を言うんじゃありません!あの二人が心配じゃないの?」
 三人の中でも一番体力の低い初音が音を上げるが、そんな初音を千鶴は一括する。
「ほら初音、がんばりな。今の千鶴姉には何言っても無駄だって」
「うん・・・そうだね」
 先頭をひた走る千鶴の表情を見て諦めの溜息をついた初音は、梓に助けられながら必死に千鶴の後を追っていくのであった。


「わぁ・・・いい眺め」
 目的地の高台につき車を降りた楓は、そう言って溜息をついた。
 結構高くまで登ってきたので、周囲の山々や遠くの町まで一望できる。
「いいところだろ?周りにこれといった施設がないから人はあまり来ないんだけど、眺めは最高なんだぜ」
「はい、とてもすてきなところです。耕一さん、ありがとうございます」
「楓ちゃん・・・」
 いい雰囲気になった瞬間、
『グゥゥゥ〜』
 盛大に耕一のお腹が鳴り響いた。
「・・・」
「・・・」
「・・・ゴメン」
 耕一が目一杯情けない顔をして謝る。
「クスッ、ちょうどいい時間ですし、お昼ご飯にしましょう。耕一さんのために腕によりをかけて作ってきたんです」
「本当?楽しみだなぁ」
 ついさっきの気まずさも何のその、大急ぎで準備を整えた耕一と楓は、並んでランチョンマットの上に腰掛けた。二人の前にはサンドイッチや唐揚げや 卵焼きといった、色とりどりのお弁当が並んでいる。
「ちょっと作りすぎちゃって・・・食べきれないようでしたら、残して下さってもかまいませんから」
「そんな残すなんてもったいないことできないよ。さ〜て、まずはこのサンドイッチから頂こうかな」
 そう言いながらサンドイッチに手を伸ばした耕一だったが、そのサンドイッチを楓に奪われてしまう。
「楓ちゃん?」
「あ・・・あの・・・」
 楓は口ごもりながら、手に持ったサンドイッチを差し出してくる。それが何を意味しているのか、解らない男はいないであろう。
「う、うん」
 どもりながらも耕一は口を開け、楓に差し出されたサンドイッチにかぶりつく。
「モグモグモグ・・・うん、おいしい!」
「本当ですか?よかった・・・。次はどれがいいですか?」
「う〜ん、そのミートボールがいいかな」
「はい」
 そうして二人の食事は楽しく進んでいった。


 一方、そこから離れた森の中から、三姉妹は二人の様子をうかがっていた。エルクゥの力のおかげで、二人の様子だけでなく会話までがはっきりと聞こえる。
「うわぁ〜、楓お姉ちゃんもやるねぇ」
 ミシッ
「まったく、耕一の奴も鼻の下伸ばしちゃって。だらしないったら」
 ミシミシッ
「いいなぁ、私もあんな事できるボーイフレンドほしいなぁ」
 メキメキッ
「ははっ、初音にはまだ早い早い」
 バキィッ
「ねぇ・・・梓お姉ちゃん・・・」
「いい・・・初音、何も言わなくていい・・・」
 梓は何か言いたそうな初音の肩を叩きながら、首を横に振る。
 二人の背後では、千鶴が笑みを浮かべながら二人の様子を見ていたが、その右手が添えられた巨木は、さっきからミシミシメキメキと嫌な音を立て、 徐々に傾いていっている。
「全く、楓もおませなんだから。もう少し節度を持ったお付き合いというものを教えてあげなくちゃね」
 そう言った瞬間、
 ズズゥン
 盛大な音を立てて直径1メートルはあろうかという巨木がその場に倒れたのであった。


 ズズゥン
「えっ、何?」
 突然の轟音に、楓は驚きの声を上げる。
「あぁ、あっちの方で木が倒れたみたいだな。この辺にはまだ木こりがいるみたいだし」
「そうなんですか?」
「とはいえ、そろそろ限界かな」
 そう言って立ち上がる耕一。
「あの・・・どうかしましたか?」
「いや、ちょっとトイレに行って来るよ」
「あ、す、済みません」
 耕一の返事に顔を真っ赤に染めて俯く楓。
「じゃ、ちょっと待っててね」
 そう言うと、耕一は轟音のした方へと文字通りものすごい勢いで跳んでいった。
「そんなに我慢してたのかしら・・・」
 遙か彼方へと去っていく耕一を見送りながら、楓は呆然と呟くのだった。


「ち、千鶴姉、落ち着いて。さすがにやばいよ」
「そうだよお姉ちゃん、見つかっちゃうよ」
「離しなさい!二人に清い交際の仕方ってものを教えてあげるんだからぁ!」
 暴れる千鶴を、梓と初音の二人掛かりで必死に押さえている。口ではそう言っているものの、少しでも気を抜けばそのまま二人を殺しにでも行きかねない ような勢いだ。
「あれ、三人とも、こんな所で何してるんだい?」
 突然頭上からかけられた台詞に三人が慌てて見上げると、そこには驚いた顔をした耕一が枝の上に立っていた。
「あら耕一さん、こんな所で偶然ですね」
 さっきの剣幕もどこへやら、千鶴はいつもと変わらぬおだやかな表情に戻って耕一に話しかけた。
 その素早い変貌ぶりに脱力した梓と初音は、何も言えずにその場にしゃがみ込む。
「ちょっと三人でハイキングに来ていたんですけど、耕一さんはどうしたんですか?」
『普段着にサンダルで、何も持たずにこんな所にハイキングに来る奴がいるわけないでしょ!』
 梓はツッコミたかったが、後が怖かったので心の中でツッコムだけにとどめておいた。
「ふぅん、そうなんだ。俺も楓ちゃんとドライブに来てたんだけど、急にトイレに行きたくなっちゃってさ、用を足しに来たら三人がいるからびっくりしちゃったよ」
『あそこからここまで1キロ以上離れてるのに?』
 初音は思ったが、藪蛇になりそうだったので黙っていた。
「そうだ、ちょうど今お昼食べてる所なんだけど、一緒にどうだい?」
「えっ、よろしいんですか?お邪魔なんじゃあ・・・」
「そんな邪魔だなんて・・・さ、いきましょう」
「そうですか?それじゃあご一緒させてもらおうかしら。梓、初音、行きましょう」
 そんな二人の会話を聞きながら『これが大人になるっていうことなのね』と妙に納得してしまう梓と初音であった。


「千鶴姉さん、梓姉さん、それに初音まで・・・一体どうしたの?」
 トイレに行ったと思ったら三人を引き連れて戻ってきた耕一を見て驚きの声を上げた楓だったが、瞬時に事情を悟る。
「千鶴姉さん・・・もしかして・・・」
 楓の瞳がスッと細まる。
「どうしたの?楓」
 にこやかにその視線を受け流す千鶴。  破壊と殺戮の嵐が吹き荒れる予感にビクッとなる梓と初音であったが、その間に耕一が入る。
「いやぁ、そこで偶然に三人に会っちゃったんだよね。千鶴さん」
「え、えぇ、そうなのよ」
 気勢をそがれたように、どもりながら返事を返す千鶴。
「それで、そのまま別れるのも何だから一緒にお昼を食べないかって誘ったんだ」
 そう言ってニコリと笑いかける耕一に、楓の緊張が瞬時に解け逆に顔を赤らめる。
「そう・・・ですか。それじゃ、しょうがありませんね」
 少し・・・というか大分不満の残る楓であったが、耕一にそう言われては逆らえない。
 ギスギスした雰囲気もなんとか解け、ややぎこちないながらもようやくいつも通りの家族の団らんが始まったのであった。


「昼間はゴメンね。楓ちゃん」
 ドライブから帰り、家の居間でくつろぎながら耕一は楓に謝った。さすがに昼間の一件は悪かったのかと思ったのか、他の三人は早々に部屋に戻っている。
「最初から・・・気付いていたんですね?」
 楓の言葉は問いかけと言うより確認に近い。
「うん、かといって無理に追い返すのも何だし、そのままほおっておくのも・・・」
 いいわけを続けようとする耕一の唇を、楓の人差し指が押さえた。
「もういいです。でも、今度また二人っきりで出かけましょうね」
 そう言いながら耕一の腕の中にもたれかかってきた。そんな楓の体に腕を回しながら、耕一はニコリと微笑んだ。
「もちろん。次こそは邪魔が入らないように注意しなくちゃな」
「えぇ、そうですね」
 そう言ってクスリと微笑みあう二つの影は、やがて一つへと重なっていくのであった。


 二人がイチャイチャしている頃、千鶴の部屋では・・・。
「フフッ、そう簡単に二人っきりの世界に浸らせはしませんよ。フフフフ・・・」
 不気味に微笑む千鶴の姿があったが、幸いその姿を見るものは誰もいなかった。
 どうやら耕一と楓の間に幸せが訪れるのはもう少し先のようである。


 

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