Piaキャロットへようこそ!!
〜身代わりはダ・メ・よ!〜




「頼む、この通りだ!!」
 ガバッ!!
 お盆を間近に控えた夏のある日、とある喫茶店内で『矢野真士』はいきなり土下座という大技をやってのけた。
「お、おい、真士!?」
 これに慌てたのは、真士と向かい合って話をしていた『前田耕治』だった。
「頼む!お前を親友と見込んで、この通りだ!!」
 真士は慌てる耕治をよそに、更に深々と頭を下げた。
「わ、分かったから、とにかく頭を上げろよ!!」
 周りの客が少しざわめきだしたのを感じて、耕治は一段と顔を引きつらせながら真士を慌てて引き起こした。
「そうか、頼まれてくれるか我が友よ!!」
 真士は目に涙を浮かべながらそう言うと、耕治の手をシッカリと握りしめた。
「ダーッ!!気色の悪いことするなよ!!それにまだ引き受けた訳じゃないぞ。取り敢えず話ぐらいは聞いてやるけどさ・・・」
 耕治は気色悪そうに真士の手を振りほどくと、急いで自分の席に座り直した。
「有り難いなー。持つべき物は友だよ」
 真士は大仰しくそう言いながら、自分も席に座り直した。
「で、俺に何の頼みがあるんだよ?」
 アイスコーヒーを一口啜った後、耕治は渋々そう切り出した。
「うむ、話せば長くなるんだが・・・」
「さっさと済ませろ!俺は午後からバイトだ!」
 顎に手を当てて考え込むようなポーズを取っている真士に向かって、耕治は慌ててそう釘を刺した。
「耕治、お前お盆にG県へ行ってくれ」
「へっ?」
 今度はあまりにも端折りすぎた真士の言葉に、耕治の目が点になった。
「実は、G県でウチの親戚の法事がある。お前にそれに参加してもらいたい!」
 呆然とする耕治に向かって、真士は当たり前のようにそう言い放った。
「なあ、真士・・・お前その時期にPiaキャロットの社員旅行があるの知ってるか?」
「おお、知ってるぞ」
「今年の行き先は、なんと沖縄なんだぞ!」
「それも知ってるぞ」
 プツン!
「で・・・何でそれをキャンセルしてまで、俺が赤の他人の法事に参加せにゃいかんのだ!!」
 飄々とした真士の受け答えに、切れた耕治が雄叫びを上げた。
「耕治・・・田舎の人間てのは親族意識が強いから、この手の行事を軽く見ると後で痛い目にあうぞ」
「だから、これはお前の問題だろうが!?」
 耕治の怒りを全く気にもとめないような真士の言葉に、耕治は更に声を荒げた。
「やっぱりダメか?」
「当たり前だ!!」
 探るような真士の言葉に、耕治は間髪を入れずにそう答えた。
「そうか・・・」
 耕治の言葉を聞いて、真士はガックリと項垂れた。
『おっ、どうやら諦めたみたいだな』
 そんな真士の姿を見て耕治はホッと胸を撫で下ろしたが、それは大甘だった。
「耕治〜、聞いてくれよー!!」
 真士は突然頭を上げたかと思うと、目に一杯の涙を溜めながら耕治にそう訴えかけてきた。
「な、なんだよ!?」
 その迫力にちょっとたじろぎながらも、耕治は何とかそう答えた。
「さっきも言ったけどさ、田舎の人間てこの手の行事を凄ーーーく重んじるんだ。でも、間柄も忘れちまうぐらい遠い親戚の為に時間を割くのもなんなんで、ウチの近い親戚達は毎年順繰りで人身御供として一人派遣してるんだよ」
「それで、今年はお前の家って訳か?」
 話の内容から大体の事態を察した耕治がそう訊ねた。
「その通り!!しかも、ウチの親父とお袋、懸賞で当てたハワイ旅行に行っちまったんだぜ!」
「そりゃ豪勢だな」
「バカヤロー!日本に残されて法事出席を強要された俺の身にもなってみろ!!」
 耕治の言葉に、今度は真士が激昂した。
「そう怒るなよ。確かに田舎の法事なんて気が進まないだろうけど、たまには自然の空気でも楽しんでこいよ」
 今にも飛びかかって来そうな真士を必死に制しながら、耕治はそう促してみた。
「確かに、これが普通の休みなら何の問題もなくそうしただろう・・・が、このお盆の時期は特別なんだ!!」
 ギュッと拳を握りしめた真士は、血を吐きそうな気迫を込めてそう断言した。
「と、特別って・・・何かあるのか?」
 そんな真士の気迫にタジタジになりながら、耕治は何とかそう訊ねた。
「決まってるだろ!夏こみだよ夏こみ!!」
 そんな耕治の問いかけに対して、『何を当たり前の事を』といった感じの表情で真士が即答した。
「夏こみって・・・ああ、同人誌の即売会か」
 記憶を辿って行った耕治は、その名を思い出してポンと手を叩いた。
 しかし、その後の言葉がマズかった。
「でもさ、たかが即売会なんだろ?」
「『たかが』だと!?」
 ドン!!
 耕治の一言が逆鱗に触れ、真士はテーブルを激しく叩きながら立ち上がった。
「耕治、この一大イベントの為に全国何十万の人間が血と汗と涙を流してるのかお前は知っているのか!?大体お前は同人という物をだな・・・」
「分かった!俺が悪かった!!・・・でもさ、そこまで意気込んでるなら法事なんてサボっちまえば良いんじゃないか?」
 真士の剣幕をかわそうと、耕治は咄嗟に話題をそう切り替えた。
 ズーーーン!!
 耕治の言葉を聞いた途端、真士の顔に黒い縦線が入った。
「それがさ・・・法事をサボったら小遣い1年間停止なんて言うんだぜ・・・ウチの親には血も涙もねえよ・・・」
 先程までとは打って代わった落胆ぶりで、真士は涙ながらにそう語った。
「なるほどね。そりゃ重大問題だ・・・うん、同情するよ」
「だろ?だからさ・・・」
 耕治の言葉を聞いて真士はパッと表情を明るくしながら、次の言葉を繰り出そうと身構えた。
 だが、先に動いたのは耕治の方だった。
「確かに同情はするが、身代わりの件はご免だ」
 再びアイスコーヒーを一口啜ったかと思うと、耕治はいともアッサリとそう宣言した。
「何でだよー!?」
 そんな耕治の言葉に、当然ながら真士が食ってかかった。
「お前の事情はよ〜く分かったが、俺だって社員旅行をもの凄〜〜〜く楽しみにしてたんだ。他人の為に自分の快楽を犠牲にするほど俺は人間出来てねーよ」
 そんな真士に怯む事なく、耕治は正論を唱えた。
「俺達友達だろ?メシぐらい奢るかさ!」
「それはそれ、これはこれ・・・第一、メシ奢ってもらうぐらいで割が合うかよ」
 尚も食い下がる真士をあしらいながら、耕治は空になったグラスをトンとテーブルの上に置いた。
「どうしてもダメか?」
「どうしてもダメだ!・・・それじゃ、俺はバイトあるからさ」
 これ以上は厄介な事になるだけだと悟った耕治は、そう言って席を立とうとした。
「・・・・・」
 スッ!
 そんな耕治の前に、何を思ったのか無言の真士が写真のような物を差し出した。
「うん?何だよこの写真・・・・うおっ!?」
 バッ!!
 最初こそ訝しげにその写真を眺めていた耕治だったが、その写真に映し出されている人物を確認した途端その写真を真士の手から引ったくっていた。
 その写真はどうやら中学校の運動会で撮影されたものらしく、一人の女の子が少し恥ずかしそうにピースサインをしながら写っている。
 しかも、男なら誰でもグッと来るようなブルマ姿である。
 そして、そこに写し出されている人物はPiaキャロット2号店マネージャー『双葉涼子』その人だったのだ。
『りょ、涼子さんのブルマ姿・・・か、可愛い!!』
 耕治は、ブルマからスラリと伸びた白い太股に目を奪われながら、思わずギュッと握り拳を作っていた。
 この時点で、勝負はほぼ9割方決まっていたのかもしれない。
「どうだ耕治、なかなかレアな写真だろ?」
 写真を食い入るように見つめる耕治に向かって、してやったりといった表情で真士がそう訊ねた。
「し、真士、お前こんな写真どうやって・・・」
「おいおい、俺と涼子姉さんは従姉弟同士なんだぜ。これぐらいの写真はあるさ。・・・そういや確か昔泳ぎに行った時の写真もあったよな・・・涼子姉さんがまだ『スクール水着』着てた頃のやつ・・・」
『ス、スクール水着だと!?』
 とてつもない破壊力を持ったその言葉は、真士の目論見通り耕治に凄まじい衝撃を与えていた。
「お前さえ良ければ譲ってやっても良いんだが・・・法事、代わりに行ってくれるよな」 半ば呆然としている耕治に向かって、真士はニコリと笑いながら悪魔の取引を持ちかけた。
 その囁きに抗うだけの精神力を、今の耕治は持ち合わせていなかった・・・。


「そうか、前田くんも参加できないのか・・・それは残念だな」
 その日の午後、耕治は社員旅行への不参加を店長である『木ノ下祐介』に伝えた。
「まあ、用があるんじゃ仕方ないな・・・次の機会には一緒に行けると良いね」
 少し残念そうな顔をした祐介だったが、すぐにニッコリ微笑みながらそう言ってくれた。
「はい。本当に申し訳ありませんでした」
 かなり後ろめたかった耕治は、そう言いながら深々と頭を下げた。
「ねえねえ、耕治くんも参加できないって本当なの?」
 そんな耕治の背後から、『木ノ下留美』が少しガッカリしたような声でそう訊ねてきた。
 どうやら祐介との会話をコッソリ聞いていたらしい。
「ええ、ちょっと急用が入っちゃって」
 耕治はポリポリと頬を掻きながらそう答えた。
「これで、欠席は3人か・・・少し寂しい社員旅行になるわね」
 そう言いながら留美の背後から現れたのは『皆瀬 葵』だった。
「葵さん・・・欠席する3人て・・・」
「耕治くんとつかさちゃん・・・それに涼子よ」
「涼子さんもですか?」
 葵の言葉を聞いて、耕治は少し驚いてしまった。
 時期が時期だけにつかさの欠席は納得いくのだが、責任感が人一倍強い涼子が欠席するのは少し意外だったからだ。
「何か外せない用があるんだって・・・は〜、酒の席でからかう相手がまた減っちゃったわ」
 葵はそう言いながら大きな溜息を吐いた。
「こらこら、あんまり羽目をはずさないようにしてくれよ。それじゃ、私はこれで」
 祐介は苦笑しながらそう言うと、店長室へ消えていった。
「仕方ないから潤くんでもからかおうか」
「そうね。他に適当な相手もいないしね」
 先程の祐介の言葉などまるで気にとめていないのか、留美と葵はそんな不気味な会話を交わしながら仕事へと戻っていった。
『そうか、涼子さんも不参加なんだ・・・』
 後に残された耕治は、ボンヤリとそんな事を考えていた。
 その事を何となく嬉しく思う自分が不思議でたまらない耕治だった。


『来るんじゃなかった・・・』
 お盆に入り真士の親戚宅前に到着した耕治は、心底後悔していた。
『まさかこれ程の田舎とは・・・』
 最寄りの駅からバスで1時間、その場所は正に山に囲まれた所にあった。
『大体、この建物がまた凄い・・・』
 耕治の目の前にそびえ立つのは、歴史の資料に出てきてもおかしくないほどの茅葺き屋根の立派な家だった。
『とにかく、こうしてても仕方ないな・・・』
 耕治は大きく息を吸い込むと、覚悟を決めて玄関の引き戸に手を掛けた。
 ガラガラガラ
「ごめんください・・・」
 引き戸の音とは対照的な小さな声で挨拶しながら、耕治は恐る恐る家の中へ足を踏み入れた。
「はーい!」
 パタパタパタパタ
 すぐに家の中から威勢のいい声と小気味良い足音が聞こえてきた。
「はいはい・・・どちらさまでしょうか?」
 応対に現れた割烹着のおばさんが、独特のイントネーションのある言葉でそう訊ねてきた。
「あの・・・お、俺、真士です・・・その矢野真士です!」
 おばさんのニコニコ顔に少し後ろめたい物を感じながら、耕治はバクバクする心臓を必死に押さえそう切り出した。
「矢野・・・真士・・・ああっ、聡子ちゃんとこの真ちゃんね!!いやー、大きくなったんねー!!ささ、上がり!!」
 しばらく考え込んでいたおばさんだったが、突然パッと表情を明るくしたかと思うと耕治の肩をポンポンと叩きながら歓迎してくれた。
「は、はい。それじゃ・・・おじゃまします・・・」
 おばさんに促されるまま、耕治は遠慮がちに家の中へ上がり込んだ。
「それにしても久しぶりだねー。前ここへ来た事覚えてるかね?」
「はあ・・・まあ、おぼろげに・・・」
 おばさんの言葉に、耕治は内心ドキドキしながらそう答えた。
「ハハハ、そうだよね。まだ小さかったからねー」
 おばさんは耕治の変化などにはまるで気付かず、カラカラと笑いながら大広間へと案内してくれた。
『フー・・・まずは第一関門突破だな』
 耕治は大広間へと続く廊下を歩きながら、ホッと胸を撫で下ろした。
 しかし、田舎の法事という物は耕治の想像を絶する凄さがあった。
「さ、みんなここで待ってるからね」
「はい・・・いっ!?」
 おばさんに促されるままに大広間に足を踏み入れた耕治は、そこにいた人数に絶句してしまった。
 20畳はあろうかという大広間が殆ど人で埋め尽くされていたのだから、それも仕方ない事かもしれない。
『おいおい・・・マジかよ・・・』
 そのほぼ全員が『年寄り』と言っても過言ではないような年齢の人達であることに、耕治は焦りを禁じ得なかった。
 ギロッ!!
 耕治が足を踏み入れた瞬間、耕治にその全ての視線が集中した。
「ど、どうも・・・」
「真ちゃんだよ・・・ほら、聡子さんとこの」
 冷や汗をかきながら頭を下げる耕治をフォローするように、おばさんが皆に向かってそう説明した。
「ああ、聡子ちゃんのとこの!」
「大きくなったのー」
 その途端、表情を緩めた親族達が耕治の周りに集まってきた。
「遠い所よう来たのー」
「最後に会った時はこんなに小さかったのにねー」
「おばさんの事覚えてるかい?あんたのお母さんの叔母さんの従姉妹で・・・」
 誰も耕治が替え玉だという事には気付かないようだが、この挨拶攻撃に耕治は完全に辟易してしまった。
『は〜早く帰りたい・・・』
 耕治は必死にボロが出ないように応対しながら、そんな事を考えていた。
 それでも何とか話を取り繕いながら、耕治はひたすら法事が無事終わるのを待った。
 しかし、そんな耕治をとんでもない落とし穴が待ち受けていた。
「いや〜、遠いとこ良くきたんねー」
 後1時間ほどで法事が始まろうというその時、玄関の方から先程のおばさんの声が聞こえてきた。
『ん?また誰か来たのか?』
 親族達の間で窮屈そうにお茶を啜っていた耕治は、その声に敏感に反応した。
 パタパタパタ
「申し訳ありません、電車に乗り遅れてしまって・・・」
「大丈夫よ。まだ始まってないから」
 廊下から足音と一緒におばさんと新たな来客の会話が聞こえてくる。
『ん?何か聞き覚えがあるような・・・』
 耕治は廊下から聞こえてくる声に妙な親近感を覚えた。
「そうそう、聡子さんとこの真ちゃんも来てくれてるんだよ」
「えっ?真士くんもですか?」
 ドッキーーーン!!
 その言葉を聞いた途端、耕治の心臓が跳ね上がった。
『ま、まさか!?』
 段々と近付きつつある声に、耕治の疑問は確信へと変わった。
「みんな、章雄さんとこの涼子ちゃんも来てくれたよ〜」
 大広間の入り口に顔を出したおばさんが、笑顔でそうみんなに告げた。
『聞いてないよーーーーーーー!!』
 次の瞬間、耕治は心の中でそう絶叫した。
「どうも、お久しぶりです」
 自分のすぐ近くに『ムンクの叫び』状態の耕治がいることなど露知らない涼子は、大広間に足を踏み入れるとすぐに正座をして深々と頭を下げた。
「おお、よう来たのー!」
「さささ、上がって上がって!」
「真ちゃんの隣にでも座ったらええ」
 涼子の姿を見た親戚一同は、顔を綻ばせて歓迎すると、涼子を耕治の隣の席に誘った。
「はい・・・真士くんも来てたの・・・・・・」
 言われるままに真士の方へ振り向いた涼子は、そこまで言ったところでピタリと止まってしまった。
『あれ?』
 咄嗟に涼子の頭に浮かんだのは、純粋たる疑問符だった。
 どこか変だと分かっていても、何が変だか分からない・・・正にそんな状態だった。
 この場に居合わす筈がない人物がいるのだから、それも仕方ない事だろう。
「ど、どうも・・・」
 何の反応も示さない涼子に、耕治は出来るだけさり気なくそう言葉を掛けた。
『頼む、このままバレないでくれ!!』
 そんな事を本気で考えているあたり、耕治もかなり混乱しているようだ。
「・・・・・」
 そんな2人の間を、一瞬奇妙な沈黙が流れる。
『黒の礼服をTシャツに変えて、頭にバンダナを巻いて・・・』
 そうしている間にも、涼子の頭の中では目の前の人物の衣装の置き換えが順次行われていった。そして、
 チーン!
 涼子の頭の中でそんな音がして、目の前の人物と自分が良く知る人物との姿が完全に合致した。
「ま、前田く・・・!?」
 ガバッ!!
 衝撃の事実に思わず大声を上げそうになった涼子の口を、耕治は咄嗟に塞いだ。
「んぐ!?・・・んぐぐ!!」
「りょ、涼子姉さん、わ、悪いんだけどトイレの場所教えてよ!」
 耕治は苦し紛れにそう叫びながら、涼子を引きずり始めた。
「あ、トイレなら私が」
「だ、大丈夫です!涼子姉さんに案内してもらいますから!」
 耕治はおばさんの申し出を速攻で断ると、涼子共々逃げるように大広間を後にした。
「あの2人はホント姉弟みたいに仲がええの〜」
「まったくねー」
 そんな2人を、親族一同は微笑ましい視線で見送るのであった。

「前田くん、これは一体どういう事なの!?」
 大広間から少し離れた空き部屋で解放された涼子は、開口一番怒気をはらんだ声でそう訊ねた。
「りょ、涼子さん・・・こんなところで奇遇ですね」
「奇遇じゃないでしょ?どうしてここにあなたがいるか訊いてるんです!」
 必死の耕治の誤魔化しも当然通用する筈もなく、涼子はこめかみの辺りをピクピクさせながら更にそう追求した。
「あ、あのですね・・・その・・・男の義理と言いましょうか、何と言いましょうか・・・その・・・」
 耕治は何とか本当の事を言うまいと、しどろもどろになりながら必死に言い訳を考えた。
 ジーーーーー!
 しかし、そんな耕治の嘘を見破るような鋭い視線で、涼子が睨みを利かせている。
『ダメだ・・・』
 この時点で耕治の敗北は最早決まっていた。
「じ、実はですね・・・」
 観念した耕治は、素直に事のあらましを説明しだした。
 勿論、ブルマ姿やスクール水着姿の涼子の写真に釣られたという事実を伏せたのは言うまでもないが・・・。
「呆れた・・・」
 耕治の説明を聞き終わった涼子は、心底呆れた顔でそう呟いた。
「まったく、真士くんが真士くんなら、前田くんも前田くんよ!一体法事って物を何だと思ってるの?」
 仕事で重大な失敗をした時・・・いや、それ以上に厳しい口調で、涼子は耕治に詰め寄った。
「面目次第もありません・・・」
 その迫力に押され、耕治はただただ頭を下げるばかりだった。
「こんな事がみんなに知れたら・・・」
 そう言って、涼子は少し困ったような顔をしながら、大広間の方向をチラリと見た。
「涼子さん・・・この事はどうかご内密に・・・」
「当たり前です!こんな事が知れたら大変な事になるわ。はー・・・」
 焦り捲る耕治の言葉にそう答え、涼子はとてつもなく大きな溜息を吐いた。
 気分は、出来の悪い生徒を持った教師のそれなのだろう。
「涼子ちゃん〜!真ちゃ〜ん!そろそろ始まるわよ〜!」
 その時、大広間の方から2人を呼ぶ声が聞こえてきた。
「はーい、今行きます!」
 自分達を呼ぶ声に、涼子は咄嗟にそう答えた。
「とにかく、耕治くんはボロが出ないように注意して頂戴。私も出来るだけのフォローはするから」
「手伝ってくれるんですか!?」
 涼子の言葉に、耕治の表情がパッと明るくなる。
「仕方ないでしょ。ただし、こっちにいる間だけよ!帰ったらみっちりとお灸を据えさせてもらいますからね!」
 ドヨ〜ン・・・
 涼子の言葉に、耕治の気が奈落の底に沈んでいった。
「返事は?」
「は、はい・・・」
 涼子の言葉に、耕治は力無く答えた。
「それじゃ、とにかく大広間に戻りましょ」
 パタパタパタ
 涼子はそう言うと、スタスタと大広間に向かって歩いていってしまった。
『ハ〜・・・やっぱり来るんじゃなかった』
 大いなる後悔をしながら、耕治は慌ててその後に続いた。

 元来法事などと言う物は、若者にとって有り難い物ではない。
 それが自分に全く関係ない物なら尚更である。
「〇☆#£@★◎▽・・・」
『はあああー・・・』
 どう聞いても暗号にしか聞こえないお経が流れる中、耕治は欠伸を噛み殺すのに必死だった。
 ジロリ!
 そんな耕治に、時折隣に座る涼子から厳しい視線が飛ぶ。
『おっと!』
 耕治はその都度目の回りに溜まった涙を拭き取り、姿勢を正した。
『これ以上涼子さんを怒らせるようなことしちゃマズイからな・・・。それにしても、涼子さんてこういう姿も決まってるよな・・・』
 耕治は横目でチラリと涼子の方を見ながら、そんな事を考えていた。
 確かに、黒を基調にした服を着こなし、ピシッと正座をしている姿は何とも言えない気品と美しさを醸し出している。
『・・・色っぽい・・・・・ハッ、いかんいかん!!』
 ジッと見つめているうちについついいけない気分になりかけ、耕治は慌ててブンブンと頭を振った。
 ジロッ!
 そんな耕治の行動に、その場の全員の視線が集中する。
 その中でもとりわけ涼子の物は鋭かった。
『ヤバ・・・』
 耕治は仕方なく更に小さくなりながら、ジッと法事が終わるのを待ち続けた。
 耕治がこの地獄のような環境から解放されたのは、それから1時間以上経っての後だった。
 法事が終了すると、お約束の宴会が始まった。
 先程までの緊張感も解け、全員が和気藹々と会話をしながら酒を酌み交わしている。
 そんな中にあって、耕治は全員からお呼びが掛かるほどの人気者だった。
 やはり若者が珍しいらしく、俺も彼もがひっきりなしに質問を浴びせかけてくる。
「学校はどうだい?」
「来年は大学入試だってねー?」
「彼女はいるんかい?」
 等々、軽く流せる物からかなり考え込まなければならない物まで様々である。
『勘弁してくれよー!!』
 耕治は心の中でそう叫びながら、何とかその質問に対応していった。
 一方、涼子はそんな耕治を少し心配そうに見つめていた。
『前田くん、ボロなんて出さなければ良いんだけど・・・』
 ひたすらそれが心配で、涼子は耕治に注意し続けたのだが、そのうち耕治の行動自体に注目するようになって行った。
『まったく、あんなに馬鹿正直に対応することもないのに・・・フフ・・・』
 額に汗を流しながら年寄り達の相手をしている耕治を見て、涼子はついつ笑ってしまった。
「おーい、ビールがないぞー!」
「ごめんなさい、買い置きがなくなったんで今から買ってきますねー」
 その時、涼子の耳にそんな会話が飛び込んできた。
『・・・そうだ!』
 その言葉に何事か閃くと、涼子はスクッと立ち上がり買い物に出かけようとしているおばさんの元へ向かった。
「おばさま、お酒だったら私が買ってきますよ」
「いいのよそんな事。涼子ちゃんはお客様なんだから、ゆっくり座ってて頂戴」
 涼子の申し出を、おばさんは手を軽く振りながら辞退した。
「いえ、私も少しこの辺を歩いてみたいし・・・お酒って、大きなポストがある角の酒屋さんで良いんですよね?」
「あれ、涼子ちゃんよく覚えてるねー。そう言えば、あそこは駄菓子も置いてあるから涼子ちゃんも小さい時良く行ったんだよねー。・・・それじゃ、お言葉に甘えてお願いしようかな」
「はい」
 おばさんの言葉に、涼子はニッコリ笑ってそう答えた。
「これが買ってくる物書いたメモで、これがお金・・・でも、女の子一人じゃちょっと持つのが辛いかもしれないねー・・・」
 お金やメモを涼子に手渡しながら、おばさんがそう言って少し心配そうな顔をした。
「大丈夫ですよ。真士くんも一緒についてきてくれますから。ね、真士くん?」
 涼子はそう言って悪戯っぽい笑顔をした後、耕治に向かって軽くウィンクした。
「・・・は、はい!お供します!!」
 突然声を掛けられて最初こそ戸惑っていた耕治だったが、すぐにパッと表情を明るくして一も二もなく頷いた。
「それじゃ、よろしくお願いね」
「はい、行ってきます」
「行ってきます」
 おばさんの声に送り出され、涼子と耕治は外へ踏み出して行った。

 ミーン!ミーン!ミーン!
 夕方だというのに日はまだ高く、蝉がけたたましく鳴いている。
 そんな中、涼子と耕治は狭い田舎の道をトボトボと歩いていた。
『涼子さんさっきから一言も話さないな・・・まだ怒ってるのかな?』
 耕治は、あの環境から抜け出せた安堵と共に、少し先を歩き一度も振り返らない涼子に少し不安を覚えた。
「前田くん・・・」
 その時、前を行く涼子が突然耕治に声を掛けた。
「は、はい!」
 さっき叱られた記憶が残っていた耕治は、やや緊張した様子で返事を返した。
「正直、前田くんがやった事に関しては今も感心してません」
「はい・・・」
 涼子の言葉に、耕治はシュンとしてしまった。
「でも、前田くんの頑張りに免じて今回は目をつぶります!」
 涼子はクルリと振り向いてそう言うと、ニッコリと微笑んで見せた。
「ホントですか!?」
「本当よ。だから、そんな後ろにいないで並んで歩きましょ」
「はい!!」
 タタタタタ!!
 涼子の言葉に嬉しそうに答えると、耕治は子犬のように涼子の横に走り寄った。
「みんなの相手大変だったでしょ?」
「はい、かなり苦労しました。これならPiaキャロットでの仕事の方がずっと楽です」
「あら・・・それならお店での仕事をもっと増やしても大丈夫かしら?」
「わー!それとこれとは話が別ですよ」
 真顔でそう言う涼子に、耕治が慌ててそう抗議した。
「フフフ、冗談よ」
「まったく・・・涼子さんも意外と意地が悪いんですね」
「それならご期待に応えなくちゃ悪いわね。・・・え〜と、休み明けから耕治くんの仕事は今の倍と・・・」
「わー!本当に勘弁して下さいよ!!」
 涼子の言葉に、耕治が再び絶叫した。
「フフフ・・・」
 そんな耕治を見て、涼子は本当に楽しそうに微笑んでいる。
 そんな涼子の笑顔を見れて、耕治も嬉しくて堪らなかった。
「さて、みんなも待ってるし少し急ぎましょ」
「はい」
 涼子の言葉に耕治が元気に答え、2人は仲良く並びながら目的地に急いだ。

 その後、涼子達が買ってきたビールの力もあってか、宴会は随分遅くまで続いた。
「涼子・・・姉さん、そろそろ空が暗くなってきたね」
 耕治が、赤から黒に変わりつつある空を見上げながらそう言った。
「本当ね。あっ・・・いつのまにか7時を過ぎてるわ」
 耕治の言葉に促されるように腕時計を見た涼子が、思わずそう声を上げた。
「あんまり遅くなると帰れなくなるね。そろそろ・・・」
「そうね。そろそろお暇しましょ」
 耕治の言葉を引き継ぎそう言うと、涼子はスクッと立ち上がった。
「よいしょっと」
 耕治もそれに続いて腰を上げた。
 ヒョイ!ヒョイ!
 2人は畳の上で酔い潰れている酔っぱらいを避けるように大広間を後にすると、その足でこの家の台所を目指した。
「おばさま、私と真士くんはそろそろお暇します」
「お暇って・・・今から?」
 涼子の言葉に、流し台で洗い物をしていたおばさんが驚いたような声を上げる。
「はい。そろそろここを出ないと、東京に戻れませんから」
「と言うより、今から出ても遅いと思うわよ」
「えっ?」
 耕治と涼子は、おばさんの言葉に思わず顔を見合わせてしまった。
「この時間じゃバスはもうないし、仮に電車の駅まで車で行っても、この時間じゃ駅に停まる電車がないわよ」
「そ、そんな・・・」
 都会の交通網に慣れてしまっている2人は、そのあまりの便の悪さに絶句してしまった。
「2人とも、着替えは持ってきてあるの?」
 そんな耕治達に、おばさんが突然そんな事を訊ねてきた。
「え、ええ・・・私は一応持ってきてますけど・・・」
 涼子はそう答え、隣の耕治をチラリと見た。
「俺も持ってきてあります。スーツで帰るのが嫌だったから・・・」
「それなら2人とも今日は泊まっていきなさいよ」
「えっ!?」
 おばさんの思わぬ申し出に、2人は再び顔を見合わせた。
「今からじゃどうせ帰れないんだし、ここには大勢お客さんが泊まれるように寝具も揃ってるからね。実際、大広間で潰れてる人間はみんな泊まっていくんだしね。ハハハ」
 おばさんはそう言うと豪快に笑った。
「あの人達が全員ですか!?」
 大広間にどれぐらいの人間が倒れているか知っている耕治は、改めて田舎のスケールに度肝を抜かれた。
「そうだよ。だからあんた達も泊まって行きなさい」
 おばさんは大きく頷きながらそう答えると、再び2人にそう勧めた。
『涼子さん、どうしましょうか?』
 耕治は即決できなかったので、隣の涼子に目でそう訊ねた。
「・・・それでは、折角だからお言葉に甘えます」
 しばらく考えた後、涼子はそう答えた。
「うんうん、そうしなさい。今日はゆっくり休んで、明日朝ご飯でも食べてから帰れば良いんじゃないの」
 涼子の言葉に嬉しそうに頷くと、おばさんは名案とばかりにそう言った。
「はい、そうさせてもらいます。・・・そうと決まれば、私も後片付けのお手伝いをしますね」
 涼子はおばさんの言葉に小さく頷き、そう申し出た。
「あ、それなら俺も!」
 涼子に追従するように、耕治もそう言ってズイッと前に進み出た。
「それじゃ、お言葉に甘えようかしらねー。えーと、涼子ちゃんは・・・」
 涼子達の申し出が嬉しかったのか、おばさんはニコニコ笑いながらそう言うと、2人に細かい指示を出し始めた。
 その後、涼子は大広間の後片付け、耕治は潰れた酔っぱらいの運搬&寝かし付けを担当し、テキパキと働いていった。
 気が付けば時計は11時を指し、辺りは深い闇に包まれていた。
「フー・・・今日は一日疲れたな」
 一足先に風呂に入ってきた耕治は、扇風機にあたりながら涼子が風呂から上がるのを待っていた。
 この家にはクーラーはないようだが、窓から吹き込んでくる爽やかな風と寝間着として渡された浴衣の相乗効果でかなり快適だった。
『やっぱり、先に寝るってのは失礼だよな』
 心の中でそんな事を考えていた耕治だったが、『涼子さんの浴衣姿が見たい!!』というのが本当の本心である事は間違いない。
「あれっ?前・・・・しゃなくて、真士くんまだ起きてたのね」
 その時、入り口の方からそんな声が聞こえてきた。
 クルッ!
『おおおおおおおーーーーー!!!』
 その声に振り向いた耕治は、思わず歓喜の雄叫びを上げそうになってしまった。
 上気した白い肌、上げた髪、そして日本の心『浴衣』・・・それらが演出する涼子の色っぽさに、耕治は感動すら覚えていた。
『神様ありがとう!!』
 昼間の不平はどこへやら、耕治は心の底から神と真士に感謝していた。
「どうしたの?」
 そんな耕治から異様なオーラでも感じたのか、涼子が少し驚いたような顔でそう訊ねた。
「い、いえ、何でもないんです!!」
「そう?それなら良いんだけど・・・」
 涼子は耕治の言葉にそう答えると、耕治の向かい側にチョコンと腰を下ろした。
 ブーーーン・・・
 扇風機の羽根の音を聞きながら、2人はしばらくの間風に身を任せ上気した肌を冷やすのに専念した。
「耕治くんは知らないと思うけど・・・」
 辺りに誰もいないことを確認したのか、涼子が不意に口を開いた。
「昔はこの辺りにも蛍が飛んでたのよ」
「本当ですか?」
 実物の蛍を一度も見たことがない耕治は、少し興奮したようにそう訊ねた。
「本当よ。まあ、年がら年中現れる訳じゃないんだけど、ここら辺はキレイな川も多いから時々現れるのよ」
「へー」
 涼子の言葉に、耕治は感心したように頷いた。
「今日はちょっと無理そうだけど、今度ゆっくり蛍でも見に来てみる?それとも私と一緒じゃ嫌かな?」
「とんでもない!是非ともお供させて下さい!!」
 涼子の言葉に、耕治は一も二もなく即答した。
「そう、良かった・・・。それじゃ、今日は疲れたしそろそろ寝ましょうか?」
 耕治の言葉を聞いて本当に嬉しそうに微笑むと、涼子は時計をチラリと見ながらそう言った。
「そうですね。・・・って、俺達どこで寝ればいいんでしたっけ?」
「あ、いたいた」
 耕治がそんな疑問を口にした時、タイミング良くおばさんが姿を現した。
「2人のお部屋に案内しようと思って探してたのよ。さ、行きましょ!」
 おばさんはにこやかな笑顔でそう言うとスタスタと歩き始めた。
『2人のお部屋・・・・?』
 涼子と耕治は、おばさんのその言葉に何か不吉な物を感じていた。
 しかし、それを確かめる間もなくおばさんが歩いて行ってしまったので、慌ててその後を追った。
「さ、ここよ」
 ガラガラガラ
 おばさんはとある部屋の前で立ち止まり、ガラガラと引き戸を開いた。
「・・・蚊帳?」
 涼子はその中に見慣れない物を見付け、思わず首を傾げた。
「そうなのよ。部屋が多すぎて蚊取り線香が足りなくなっちゃってねー・・・この部屋だけ蚊帳を吊らせてもらったの。悪いんだけど2人とも我慢してね」
 ツー・・・
 おばさんのその言葉を聞いて、耕治と涼子の額に汗が伝った。
 別に蚊帳に驚いたのではなく、『2人とも』という言葉が異常に気になったからだ。
 ソ〜・・・・・
 2人は目を凝らし、恐る恐る蚊帳の中を覗き込んだ。
「いっ!?」
「あっ!?」
 そして、その中に予想通りの物を見付け絶句してしまった。
 キレイにピッタリと並べられた2組の布団・・・ある程度予想はしていたが、耕治と涼子はそれを見て思わず赤面してしまった。
「それじゃ、ゆっくりお休みなさい」
 そんな2人を尻目に、おばさんは平然とそう言ってその場を離れようとした。
「ちょ、ちょっと待って下さい!私と前・・・真士くんて同室なんですか?」
「ごめんなさいね。さすがにお客の数が多すぎて、部屋が足りなくなっちゃったのよ。昔はよく一緒に寝てたんだし我慢して頂戴。それじゃ、お休みなさい」
 パタパタパタパタ
 血相を変えて詰め寄る涼子とは対照的なのほほんとした顔でそう答えると、おばさんは何事もなかったように去っていってしまった。
「あ・・・あの・・・」
 涼子は何とか食い下がりたかったが、そんな事を言える身分ではないのでおばさんの後ろ姿をそのまま見送るしかなかった。
「・・・・・」
 部屋に残された2人の間に、妙な沈黙が流れる。
「・・・・・・・・涼子さん、俺蚊帳の外で寝ますから」
 しばしの沈黙の後、耕治が今最善と思われるアイデアを提案した。
「そんな、それなら私が蚊帳の外に・・・」
「女の人にそんな事させられませんよ。俺が蚊帳の外って事で良いですよね?」
 涼子の言葉に首を横に振ると、耕治は確認するように再度そう訊ねた。
「・・・・・ごめんなさい。それでお願いできる?」
「はい!」
 申し訳なさそうな涼子の言葉にわざと笑顔で頷くと、耕治はズルズルと自分の布団を蚊帳の外に引っぱり出した。
「それじゃ、お休みなさい」
「お休みなさい」
 パチン!
 お互いの布団に入った涼子と耕治は、就寝の挨拶を交わし灯りを落とした。
 しかし、こんな環境でアッサリ眠りにつけるほど2人は図太い神経の持ち主ではなかった。
『ダ、ダメだ!!すぐ近くで涼子さんが寝てると思うと・・・ガーーー!!!』
 蚊帳の外では、耕治が沸き上がる妄想と必死に闘い、
『前田くんだって男の子だし、もしかしたら・・・・そうしたら私どうしよう?』
 蚊帳の中では、涼子がかなり過激なifの世界に頬を染めていた。
 カチコチカチコチ
 そんな眠れない状態のまま時は無情にも刻まれ、2時間ほど経った時、
「蛍!?」
 ガバッ!!
 耕治が突然そんな声を上げ跳ね起きた。
「ま、前田くんどうしたの?」
 その耕治の声に驚き、今度は涼子が跳ね起きた。
「いや・・・さっき蛍を見たもんで・・・」
「蛍?見間違えじゃないの?さっきまで影も形もなかったんだし」
「いえ、確かにポワッって光って空飛んでましたから・・・」
 涼子の言葉に首を振り、耕治がそう答えた。
「そう?」
 涼子は、メガネを掛けて辺りを見回したが、やはり何も見えなかった。
「やっぱり俺の見間違えだったみたいですね。すみません、お騒がせしちゃって。さ、もう寝ましょう」
 自分でも蛍を再確認できなかった耕治は、そう謝りながら再び布団に入ろうとした。
「ねえ、前田くん・・・」
 そんな耕治に向かって、涼子が控えめな声を掛けてきた。
「はい、何でしょう?」
「良かったら・・・その、良かったらでいいんだけど、蛍が見つかるまで私とお喋りでもしない?」
「えっ?」
 涼子の意外な申し出に、耕治は一瞬キョトンとしてしまった。
「ご、ごめんなさいね、変な事言っちゃて。今のは忘れて!」
 耕治が一瞬躊躇した気配を感じた涼子は、慌ててそう言うと布団の中に潜ろうとした。
「俺で良ければ、いくらでも話し相手になりますよ」
 そんな涼子に向かって、耕治が優しくそう言った。
「本当に?」
「激マジです!」
 涼子の言葉に、耕治は即答した。
「それじゃ、蚊帳の中に入って」
 涼子は嬉しそうな顔でそう言うと、耕治を蚊帳の中に招いた。
「良いんですか?」
「起きてれば大丈夫よ」
「そういう問題じゃないような気もするけど」
 耕治は蚊帳を潜りながら、涼子の言葉に思わず苦笑した。
「前田くんの事信じてるから」
 耕治の言葉に答えるように、涼子はそう言ってクスリと笑った。
「はいはい。では、そんな信望厚い私めの失敗談からスタートでよろしいでしょうか?」
「はい!」
 耕治の言葉に涼子が笑顔で答え、2人の他愛のないお喋りが始まった。

 2人が交わすのは本当に他愛のないお喋りだった。
 涼子の学生時代の失敗、耕治の高校受験での苦労、家族のこと、今欲しい物等々・・・しかし、それは単なる同じ職場の人間という関係では絶対に口にしないような内容ばかりだった。
 耕治も涼子もそれが嬉しくて仕方なかった。
「そう言えば、今頃みんな沖縄で楽しんでますかね?」
 耕治の口からそんな言葉が出たのは、空が明るくなり始めた頃だった。
「前田くんは本当は旅行に行きたかったの?」
「そりゃー、何と言っても沖縄ですからね。やっぱり出来れば行きたかったです」
「そうよね・・・やっぱり」
 そんな耕治の言葉を聞いて、涼子が何故か少し寂しそうにそう呟いた。
「でも、今は全然後悔してません!」
「えっ?」
 耕治の言葉に驚き、涼子は耕治を見つめた。
「沖縄行ってたら、涼子さんとこんなに話す機会なんてありませんでしたから・・・」
 耕治はそう言った後、自分の言葉の恥ずかしさに赤面してしまった。
『前田くん・・・』
 ドキドキドキ!
 耕治の言葉を聞いて、涼子は照れと嬉しさで胸を高鳴らせた。
 それと同時に、自分でも一歩を踏み出すことを決意した。
「あのね、前田くん・・・」
「は、はい?」
「私、本当は蛍なんてどうでも良かったの・・・」
「えっ?」
 涼子の言葉に、今度は耕治が驚いた。
「本当はね・・・あなたと話がしたかった・・・ううん、あなたの事がもっともっと知りたかったの・・・」
 涼子は訴えるようにそう言うと、少し潤んだ瞳で耕治を見つめた。
『涼子さん・・・』
 ドクドクドクドク!!
 ぼんやりとした明かりの中に浮かぶその表情に、耕治の心臓が激しい鼓動を始める。
 フワ・・・
 2人の中間地点にボンヤリと光る物体が現れたのは、正にその時だった。
「蛍!!」
 2人は同時に叫び、蛍に顔を寄せていった。
 コツン!
 その結果、2人はおでこをくっつけ顔を見合わせる形になった。
「ま、前田くん・・・」
「りょ、涼子さん・・・」
 お互いの顔を間近で見ることになり、2人の顔が瞬時に真っ赤に染まった。
 フワ・・・
 それを待ち構えていたようなタイミングで蛍が飛び立った。
「アッ!?」
 2人がそれを追おうと顔を上げた瞬間、2人の視線が正面でぶつかり合った。
「・・・・・」
 チュッ!
 しばし見つめ合った後、それが当然であるが如く2人は唇を重ねていた。
「前田くんてキスが上手なのね・・・」
 数秒後、唇を離した涼子の第一声はそれだった。
「そうなんですか?俺初めてだから分からないです・・・」
「それなら私と一緒ね。だけど、気持ち良いのは本当だから・・・」
 チュッ!
 涼子は悪戯っぽくそう言うと、今度は自分の方から唇を重ねていった。
「涼子さん・・・」
「前田くん・・・」
 2人は優しいキスを何回も繰り返し、そのまま眠りに落ちた。
 お互いの気持ちが通じて見る夢は、この上もなく幸せな夢だった。


「はい、耕治くん、これお土産ね!」
 連休明け、Piaキャロットに行った途端、耕治は小麦色に焼けた葵にお土産を渡された。
「ありがとうございます。沖縄楽しかったですか?」
 渡されたお土産のパッケージを見ながら、耕治がそう訊ねた。
「それがもう最高よ!海はキレイだし、酒は美味いし!」
 葵が待ってましたとばかりにそう答えた。
「そうそう、毎日が楽しくてしょうがなかったわよ!」
 葵の後に控えていた留美もそう力説した。
「へー、良かったですね」
 耕治はそれに余裕の笑顔で答えた。
「ちょっと・・・何なのよそのリアクションは?」
「えっ?」
 明らかに不満げな葵の言葉に、耕治は思わず首を捻った。
「『えっ?』じゃないわよ!こういう話は相手が羨ましがるから面白いんじゃないの!!ねえ、留美ちゃん?」
「葵さんの言う通り!耕治くん反応が淡泊すぎて面白くないよ!!」
 葵と留美はそんな理不尽な事を言いながら、耕治に詰め寄った。
「そんな事言われても・・・」
 耕治は2人の迫力にタジタジになりながらも、笑顔でそう答えた。
「耕治くん・・・この連休中に何かあったでしょ?」
 ドッキーーーン!!
 葵の鋭いツッコミに、耕治は心臓が出るほど驚いた。
『なんちゅー勘だ・・・やっぱりこの人は侮れん』
「別に何にもありませんよ」
 心の中で舌を巻きながらも、耕治は表面上は空惚けてみせた。
「勿体ぶってないで薄情なさい!!」
 当然そんな事で葵が怯むわけもなく、更に厳しい追及の手が伸びてきた。
 そんな耕治を助けたのは意外な人物だった。
「前田くーん、お客さんよー!」
 あずさの声に耕治が振り向くと、そこには耕治を手招きする真士の姿があった。
「葵さん、ちょっとお客が来たんで」
「あ、待ちなさーい!!」
 タタタタタタ!
 天の助けとばかりに、耕治は葵を振り切り真士の元へ駆け寄った。
「よう、真士!」
「おう・・・この間はサンキューな。・・・ところで、涼子姉さんも行ったんだってな」
「ああ、お陰でかなり酷い目に・・・って何で知ってるんだ?」
 真士の言葉に、耕治は思わず首を傾げた。
「昨日叔父さんから電話があった。どうやら叔父さんの方で順番を間違えたらしい」
「なるほどね」
「時に耕治・・・お前はあそこに何しに行ったんだ?」
「何しにって・・・法事の代理出席だろうが!」
 真士があまりにもチンプンカンプンな事を訊いてくるので、耕治は思わず声を荒げてそう答えた。
「それじゃ、これは何だ!?」
 バッ!!
 そう言って、真士が1枚の写真を耕治の眼前へ突き出した。
「ん・・・・ゲッ!?」
 その写真を見た瞬間、耕治の心臓は止まりそうになった。
 それもその筈、その写真には抱き合って安らかな寝息を立てている涼子と耕治の姿が写っていたのだから。
「おま、おま、おま・・・・これ、これ、これ・・・・どこ、どこ、どこ」
 耕治は口をパクパクさせながら、その写真の事を真士に問いただした。
「おばさんから今朝届いたんだよ。『記念撮影』とか書いてあったぞ」
 真士は手にした封筒をちらつかせながらそう言った。
『あのおばさんかー!?』
 耕治は、あの日昼過ぎまで眠りこけていた自分の迂闊さを心底恨んだ。
「耕治、一体どういう事か説明してもらおうか?」
「い、いや、これは・・・」
 真士に問いつめられ、耕治が焦り捲ったその時、
 カラン!カラン!
 けたたましいカウベルの音と共に、今日は午後から出勤予定だった涼子が飛び込んできた。
 その手には、真士が持っている封筒と同じ物が握られていた。
『もしかして、前田くんの所にも!?』
 耕治と真士が一緒にいるのを見て、涼子が目でそう訴えた。
 コクリ
 耕治は大きく頷きそれに答えた。
「少年、さっきから一体何の話をしてるのかな?」
 一連のやりとりに何かを感じ取ったのだろう、真士の肩をガッシリと掴みながら葵がそう訊ねた。
「えっと・・・それは・・・」
 迂闊な発言は己の身を滅ぼしかねないので、真士は咄嗟に答えるのを躊躇した。
「涼子さんと耕治さんが一緒のお布団で寝てた写真みたいですけど・・・」
 実は後からチラリと写真を見てしまった美奈が、ポツリとそう呟いてしまった。
 キラーーーン!!
「その写真を奪えーーー!!」
 次の瞬間、葵から絶対命令が下った。
「アイアイサー!」
「ラジャー!」
 すぐさま留美とつかさがそれに反応し、耕治に襲いかかって来る。
 サッ!サッ!
「涼子さん、逃げましょう!!」
「えっ?」
 ガシッ!ダッ!
 2人の攻撃を交わした耕治は、涼子の手を取ってそのまま走り始めた。
「待ちなさーい!!」
 店の外に逃げ出した2人を追って、葵とつかさと留美が飛び出していく。
「葵さん達減給だね」
「だね」
 残されたあずさと美奈は、そんな事を呟きながらそれを見送っていた。
「ハアハア・・・前田くん、お店に戻らないとマズイわよ!」
 苦しそうに息継ぎをしながら、涼子がそう訴えた。
「戻ったら捕まっちゃいますよ。大丈夫、きっと日野森達が上手くやってくれますよ!」「で、でも・・・」
「それじゃ、この写真を捨てちゃいますか?それなら証拠隠滅になりますよ」
 耕治はそう言って、例の写真を掲げて見せた。
「・・・やっぱり走ろうか?」
 涼子は手にした封筒をギュッと握り直すと、恥ずかしそうにそう言った。
「俺も同感です!」
 耕治は笑顔でそう答えて、ポケットに写真をしまい込んだ。
「待てーーー!!」
 そんな耕治の耳に、猛追してくる葵達の怒号が聞こえてきた。
「ヤバ!涼子さん、逃げ切りますよ・・・ついて来てくれますか?」
「勿論、どこまでも!」
 耕治の言葉に涼子は笑顔で答えた。
 ちょっぴり前途多難で、その100倍くらい幸せな2人の物語は今始まったばかりなのかもしれない。


 



 〜後書きのような物〜

 皆さん、どうもこんにちは。
 北極圏Dポイントの教授です。
 さて、読んで頂いた通り、今回の作品は『Pia2』の涼子さん本です。
 この作品は、去年の無料配布本用に書き下ろした物なのですが、無料配布本の中で唯一HP上で発表していない物でした。
 理由は単純明快、出来が今一つだからです。(汗)
 前回発表した『茜本』と同様、設定自体は悪くないのですが時間の都合で、自分が思い描いていた完成型と少し違ってしまいました。
 この作品も時間があれば加筆したいと思っています。
 まあ、作品自体はまあまあ楽しめると思いますので、それまでは今回の作品で我慢して下さい。(笑)
 ところで、以前『乙女のポリシー』の後書きで書いたと思うのですが、私は『Pia2』の中では潤が一番のお気に入りです。
 ところが、何故か一番小説を書きたいのは涼子さんなんですよね。
 自分でもちょっと不思議です。(笑)
 彼女の新たな長編も少しだけ書き始めたのですが、他の作品が忙しくて止まってるんですよね。(汗)
 もうすぐ『Pia3』も出ますし、良い機会なので続きを書きたいな〜とも思ってます。
 まあ、あくまでも時間が取れたらですけどね。(笑)
 興味のある方は、根気よくお待ち下さい。
 それでは、また次の作品でお会いしましょう。

 2001年10月14日  教授



 

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