To Heart
〜Through a year with セリオ〜




第2章  レイニー&ハッピー・デイ(6月21日)


 ザー・・・・
「はー・・・やっぱりちょっと早まったかな?」
 大粒の雨粒がひっきりなしに落ちてくる灰色の空を見上げながら、俺は少しだけ後悔していた。
 梅雨真っ盛りのこの時期、如何にうっかり者の俺とはいえ傘を忘れるほど愚かではなかい。
 では何故こんなタバコ屋の軒先で雨宿りをしているのか?
 答えは簡単、人に傘を貸してしまったのである。
「自分の馬鹿さ加減に涙が出てくるぜ」
 俺は自虐的にそう呟いてはみたものの、心の中では全然後悔していなかった。
 それどころか、自分の傘を風で飛ばされて泣いている女の子の為に、何の躊躇もなく傘を差し出せた自分が誇りにさえ思えた。
『ま、小降りだった雨がその直後に土砂降りになったのは誤算だったけどな』
 俺は、激しい雨をもう一度見上げながら思わず苦笑した。
 雨はまだまだ止みそうになかった。
『さて、どうする?このまま雨宿りを続けるか、濡れるのを覚悟で走るか・・・それともどこかでビニール傘を買うか・・・』
 ガサゴソ
 俺はそんな事を考えながらポケットに手を突っ込んだ。
 カチャカチャ
 指先に何とも心許ない量の硬貨の感触が伝わってくる。
『取り敢えずビニール傘は却下かな?』
 その情けない懐具合に、俺は再び苦笑してしまった。
 スッ・・・
 その時、不意に横から俺の頭上に傘が差し出された。
「えっ?」
 俺が驚いて振り向くと、そこにはウチの制服に身を包んだセリオの姿があった。
「セリオ!?」
「浩之さん、宜しければこの傘をお使い下さい」
 驚く俺に向かって、事務的な口調でセリオがそう言った。
「お使い下さいって・・・よく俺が傘がなくて困ってる事が分かったな?」
 俺はセリオの言葉に驚いて、思わずそう訊ねた。
「はい。浩之さんの行動と現在の天気をシュミレートした結果97%の確率で・・・」
「そりゃそっか、この姿見れば誰でも分かるか」
 俺はセリオの言葉が終わらないうちにそう言って、少し大袈裟に頭をポリポリと掻いた。
「・・・では、私はこれで・・・」
 スッ・・・
 セリオは俺に傘を渡すと同時に当たり前のようにそう言って、その場から立ち去ろうとした。
「お、おい、待てよ!!」
 パシッ!!
 俺は咄嗟にセリオの腕を掴んで、彼女を引き留めた。
「何か?」
 俺の行動が不思議だったのか、セリオが首を傾げながらそう訊ねてきた。
「何かって・・・俺に傘を貸したらセリオはどうするんだよ?」
 セリオの問いかけを受けて、俺はごく当たり前の質問を口にした。
「このまま雨に濡れて帰ります。私には防水加工も施されていますし、特に問題はないと思いますが?」
 俺の質問の意味が分からないといった表情で、セリオは淡々と質問に答える。
「いや、そういう意味じゃなくって・・・雨に当たれば服だって濡れるしさ、そしたらブラウスだって透けちまうぞ」
「・・・・・」
 俺の言葉に、セリオは無言で首を少し傾げた。
 放っておけば、『それが何か?』と言い出しそうな表情だった。
「と、とにかくさ、女の子を濡れ鼠にする訳にはいかないからこれは返すよ」
 ズイッ!
 俺はそう言いながら、受け取った傘をセリオに突き返した。
「それは出来ません。皆さんのお役に立つのが私達ロボットの勤めですから」
 この点は譲れないのか、セリオはそう言いながら再度傘を差し出してきた。
『まいったな・・・このままじゃいたちごっこだな・・・』
 セリオのメイドロボットであるが故の融通の利かなさを知っている俺は、少し困ってしまった。
 その時、俺の目に1つの傘で歩いている親子連れの姿が飛び込んできた。
『そうだ!』
 それを見た瞬間、俺の頭の中で豆電球が輝いた。
「なあセリオ、それなら2人で一緒に傘に入って、俺を家まで送ってくれるってのはどうだ?」
 俺はダメもとでそう訊ねてみた。すると、
「・・・その方法が、浩之さんにとって最善の方法なのでしょうか?」
 少し考え込んだ後、セリオが真顔でそう訊ねてきた。
「ああ、今考えられる範囲ではベストな選択だと思う」
「分かりました。それではそのように致します」
「ホントに!?」
 俺が思わずそう訊ね返してしまうぐらいアッサリと、セリオは俺の要求を呑んでくれた。
「それでは、参りましょう」
 スッ・・・
 少し戸惑う俺に向かって、セリオが再び傘を差し出してくれた。
「あ、ああ・・・」
 俺はセリオの言葉に素直に従って、傘の下に身を滑り込ませた。
「浩之さんのご自宅はどちらになるのでしょうか?」
 俺が傘に入ったのを確認すると、セリオは俺に顔を近づけてそう訊ねた。
『こうして見ると、セリオって美人だよな・・・』
 俺は、初めて間近で見るセリオの素顔に少しドキドキしてしまった。
「浩之さん?」
 なかなか答えない俺を不審に思ったのか、セリオが訝しげな表情で再び声を掛けてきた。
「え?あっと・・・ゴメン・・・あっちだ」
 俺は慌ててそう取り繕うと、自分の家の方向を指差した。
「了解しました。では・・・」
 セリオはそう言って頷くと、ゆっくりと歩き始めた。
「あ、セリオ、傘は俺が持つよ!」
 何歩か歩いたところで俺はその事に気付き、慌ててそう申し出た。
「お気遣いなく・・・それ程重い物でもありませんし」
「いや、そういう問題じゃなくてさ・・・世間体というか何というか・・・とにかく俺が持つよ!いや、持たせて下さい!」
 ギュッ!
 俺はそう言いながら、傘の柄を持つセリオの手を掴んだ。
「そうですか?そこまで浩之さんがおっしゃるのなら・・・お願いします」
 いきなり手を握られて少し驚いたような表情をすると、セリオはそう言いながらオズオズと傘を手渡してきた。
「OK、後は任せてくれよ」
 セリオから傘を手渡された俺は、そう言ってホッと人心地ついた。
 ザー・・・
「・・・・・」
「・・・・・」
 尚も強い雨の降りしきる中、俺とセリオはしばらくの間黙々と歩き続けた。
「なあセリオ・・・勢いでこんな事頼んじゃったけど、セリオの方の都合は大丈夫だったのか?」
 道のりの半分ほど来た所で、俺は不意にそんな事が気になり訊ねてみた。
「はい。マルチさんは定期メンテナンスの為今日はお休みですし、研究所の方には後で連絡を入れておきますから問題ありません」
「そっか・・・でも、俺と一緒に歩くのは別の意味で都合が悪くないか?」
 セリオの回答があまりにも生真面目だったので、俺は冗談半分でそんな事を訊ねてみた。
「別の意味?・・・おっしゃる事が良く理解できないのですが、どのような意味なのでしょうか?」
 俺のそんな質問に、セリオが真顔で訊ね返してきた。
「い、いや、大した意味じゃないんだ。その・・・これじゃまるで『相合い傘』だなと思ってさ・・・」
 内心自分の馬鹿な質問を後悔しながら、俺は何とか話を流そうと努力してみた。
 しかし、これが返って逆効果だった。
「『相合い傘』・・・初めて聞く単語です。・・・サテライトシステムで検索をかけてみます」
「うわっ!?そこまでしなくて良いって!!」
 俺はセリオの言葉に驚き慌てて止めに入った。しかし、時は既に遅かった。
 ブーン・・・
 俺が止めるのより一瞬早く、独特の機械音を上げながらセリオが検索に入ってしまったのだ。
『まいったな・・・』
 俺はそんなセリオの姿を見て、穴があったら入りたいような気分に襲われた。
「検索が終了しました」
 数秒後、セリオが顔を上げそう言った。
「あのさ、セリオ・・・」
「『相合い傘』・・・@1本の傘を男女2人で差すことA傘の下に男女の名を書いて冷やかす落書き・・・今のようなの場合、適用されるのは1番でよろしいのでしょうか?」
「あ、ああ・・・それで合ってるよ」
 セリオがあまりにも真顔で訊ねてくるので、俺は素直にそう答えるしかなかった。
「単純な質問なのですが、何故『相合い傘』だと私の都合が悪いのでしょうか?」
「いっ!?」
 再び真顔で繰り出されたセリオの質問に、俺は困り果ててしまった。
「いや・・・それは、何というか・・・」
「男女が同じ傘を差すというのは、そんなにも問題のある行動なのでしょうか?」
 困り果てている俺に、セリオの更なる突っ込みが入る。
『こりゃ、中途半端な説明は墓穴を掘る事になるな・・・』
 セリオの言動からそう考えた俺は、覚悟を決めて洗いざらい本当の事を言うことに決めた。
「セリオは知らないかもしれないけど、『相合い傘』ってのは普通特に親しい男女・・・分かり易く言えば恋人だな・・・がするもんなんだ。だから、『相合い傘』をしているような男女は、大概恋人だと思われるわけだ。ここで、さっきの質問に繋がるって寸法だ。分かったか?」
 俺は半ばやけくそ気味にそう捲し立てた。
「・・・話を統括すると、私が浩之さんと恋人同士に思われることを不快に思わないか、といった風に受け取る事が出来るのですが」
「その通り」
 ようやく意味が通じた安堵感と馬鹿な事を訊いてしまった自分自身を恥じる気持ちが入り交じった複雑な心境で、俺は大きく頷いた。
「俺と恋人なんかに見られたら、セリオだって迷惑だろ?」
「そんな事はありません!」
「えっ?」
 予想に反して強い口調のセリオの声が返ってきたので、俺は少し驚いてしまった。
「浩之さんが何を基準にしてご自分の事を卑下しているのかは存じませんが、浩之さんは良い方です。もっとご自分に自信を持って下さい!」
 セリオは、彼女にしては熱っぽい口調でそう力説した。
「良い方ね・・・」
 過去にあかりやマルチにも同じような事を言われたことはあった。
 しかし、あかりは幼なじみだし、マルチはあの通り人当たり抜群娘であるので、さして気に留めたことはなかった。
 が、セリオにそう言われると、嬉しいようなこそばゆいような不思議な感覚が沸き上がってくる。
「なあセリオ、一体俺のどこが『良い方』なんだ?」
 俺は妙に気になって、思わずそう訊ねた。
「一概には言えませんが、普段の浩之さんの行動を見ていればハッキリと分かります。今日にしても、見ず知らずの女の子に自分の傘を貸すなどという事はなかなか出来ないと思います・・・あっ・・・」
 セリオはそう言って、最後にしまったというような顔をした。
「傘を貸したって・・・もしかして、見てたのか!?」
 セリオの意外な言葉に驚き、俺は思わず声を大にした。
「申し訳ありません・・・見るつもりはなかったのですが・・・偶然・・・」
 セリオはそう言いながら必死に頭を下げた。
『道理でセリオがタイミング良く現れる訳だ・・・』
 俺は先程のセリオの登場シーンを思い出しながら一人納得していた。
「本当に申し訳ありません」
 セリオは黙っている俺を見て、尚も謝り続けた。
「いや、別に良いんだ。ただ、この事はみんなには内緒にしておいてくれないか?・・・その、何だか恥ずかしいからさ」
 俺はそう言いながら、自分の頬をポリポリと掻いた。
「はい、分かりました」
 俺の言葉に小さく頷き、セリオは快く了承してくれた。
「あ、雨も強くなってきたし、少し急ごうか?」
 俺は照れくさかったので、そう言って話を誤魔化した。
 もっとも、雨が強くなってきたのも事実であり、先程から一際強く雨粒が傘を叩いている。
「分かりました。急ぎましょう」
 セリオも俺の言葉に異存はないらしく、素直に従い歩を早めた。
 タタタタタタ
 降りしきる雨の中、俺とセリオは競歩のようなスピードで歩き続けた。
 その甲斐あって、俺とセリオは程なくして近所の公園脇に到着することができた。
「フー・・・ここまで来ればもう目と鼻の先だ。少しゆっくり歩こうぜ」
 いささか疲れた俺は、そう言って歩くスピードを少し落とした。
「了解しました」
 俺とは違い息切れ一つしてないセリオもそれに合わせてくれた。
 テクテクテク
「・・・・・」
「・・・・・」
 ゆっくり歩き始めたのは良いのだが、今度は交わす会話が無く俺は少々手持ちぶさたになってしまった。
『う〜ん・・・マルチ相手なら気楽に会話できるんだが、セリオには一体どんな話題を振ったら良いんだ?』
 俺はしばらく考えた末、ある話題を振ってみることにした。
「そう言えばさ、さっきセリオは俺のことを『良い人』だって言ってたけどさ、それならセリオだって『良い人』って言えるんじゃないか?」
「えっ!?」
 ピタリ!!
 俺の言葉を聞いた途端、セリオは突然その場に立ち止まってしまった。
「わわっ!?おいセリオ!?」
 そんなセリオの行動がまるで予想できなかった俺は、セリオを残して一人で歩いていく格好になってしまった。
「突然立ち止まるなよ」
 俺はそう言いながら慌ててセリオの元に戻ったが、時既に遅くセリオはかなりびしょ濡れになってしまっていた。
「申し訳ありません。突然あんな事を言われたものですから・・・」
 セリオは濡れたことなど全く気にしていない様子で、少し困惑したような表情でそう言った。
「『あんな事』って・・・『良い人』って言った事か?俺は素直に思った事を言っただけなんだがな・・・」
 困惑しているセリオを見て、俺の方が少し戸惑ってしまった。
「はい・・・そんな事を言われたのは初めてなもので・・・それに、ロボットである私にはそんな事を言って頂く資格はないと思います」
「そんな事ないって。セリオは雨の中で困っている俺に、傘を差しだしてくれたじゃないか・・・それだけでも充分に『良い人』だって」
「それは・・・私の基本プログラムに盛り込まれている『人間の手助けをする』という項目に従っただけで・・・」
 セリオはそう言って、少し寂しそうに目を伏せた。
「そりゃあくまでも基本だろ?第一、そのプログラム内には『雨宿りしている人間に傘を差し出す』なんて詳細項目はないんだろ?それなら、これは立派なセリオの『心』だよ。だからこそセリオは『良い人』なんだよ」
 俺はそう言いながら、ポケットから取り出したハンカチで濡れたセリオの頭を拭いてやった。
「あ、ありがとうございます・・・」
 セリオはそれだけ言うと俯いて押し黙ってしまった。
「ん?」
 俺はその瞬間、セリオの頬が赤くなったような気がした。
 しかし、一瞬後にセリオが見せた表情はいつもと変わらない無表情なそれだった。
『俺の気のせいかな?』
 普段が普段だけに、俺はそう納得してしまった。
「それじゃ、行くか?」
「はい・・・」
 俺の言葉にセリオは素直に頷き、俺達は再びゆっくりと歩き始めた。
 結局、それ以降家に到着するまで、俺とセリオは一言も会話を交わすことはなかった。

「それでは、私はここで失礼します」
 俺を玄関先まで送り届けたセリオは、当然のようにそう言って踵を返そうとした。
「ちょい待ち!!」
 ガシッ!
 俺は慌てて腕を掴みセリオを引き留めた。
『まったく、さっきも同じような事してたよな』
 VTRでも見ているような光景に、俺は思わず苦笑してしまった。
「あの・・・まだ何か?」
 これまた先程と同じように俺の行動が理解できないのか、セリオが首を傾げてそう訊ねた。
「雨に濡れた女の子をそのまま帰す訳にはいかないだろ?」
「・・・・・」
 俺の言葉を聞いて、セリオはキョトンとした表情になった。
「別に変な事しようとか思ってるわけじゃないぜ」
 よせばいいのに、俺はいつものノリでついついいらないことを言ってしまった。
「変な事?」
『しまったー!?』
 首を傾げるセリオを見て、俺は再び自分の馬鹿さ加減を後悔した。
「変な事というのは、どういう・・・」
「と、とにかく入った、入った!乾燥機で濡れた制服乾かすからさ!」
 俺はセリオの突っ込みが入る前に、そう言ってセリオの背中を押した。
「わ、分かりました。それではお言葉に甘えさせて頂きます」
 俺の妙は迫力に圧倒されたのか、セリオは意外に素直にそう言って俺の奨めに従った。
『フー・・・助かった』
 俺が心の中で安堵の息を漏らしたのは言うまでもない。

「取り敢えず、このバスタオルで体を拭いててくれ」
 家に入った俺は、まず最初にセリオを脱衣所に連れていきバスタオルを手渡した。
「ありがとうございます」
 セリオはそのバスタオルを受け取ると、取り敢えず顔に付いた水滴を拭った。
 ドキッ!
 その仕草と雨に濡れた髪が妙に色っぽかったので、俺は少しドキドキしまった。
「ぬ、脱いだ制服はその乾燥機を使って乾かしてくれ!俺は何か着替えを持ってくるからさ!」
 少し早くなった胸の鼓動を悟られないため、俺は早口で一気にそう言った。
「お手数をおかけします」
 何も知らないセリオは、そう言って深々と頭を下げた。
「良いって事よ。それじゃ、ちょっくら取ってくるな」
 ダッ!
 俺はそう言い残して脱衣所を出ると、急いで自分の部屋に向かった。
『あー、ビックリした。セリオってああやってるとまるで普通の女の子だよな』
 雨に濡れて少し透けていたセリオの制服を思い出しながら、俺は未だ鼓動が収まらない自分の胸を押さえた。
「っと、そんな事より今は着替えだな」
 次の瞬間、セリオを待たせている事を思い出した俺は、気持ちを切り替えて着替えを探し始めた。
 ガラッ!ガチャッ!
「着替えって言っても俺は女物なんて持ってないし・・・さて、どうしよう?」
 いざタンスを開けてみたものの、俺はそこで考え込んでしまった。
「何かないかな・・・ん?」
 思案しながらタンスを見回していた俺の目に、ハンガーに掛けられたシャツが飛び込んできた。
『男物のシャツを羽織る下着姿のセリオか・・・・・』
 俺は咄嗟にそんないけない想像をしてしまった。
『ハッ!?いかんいかん!真面目に探さねば!』
 俺は慌てて口の端の涎を拭き取り、着替えを探す作業に専念した。
 その結果俺が選んだのは、無難なスウェエットの上下だった。
「これなら大丈夫だよな?」
 俺は確認するようにそう呟くと、それを持って一階に向かった。
 コンコン
「は、はい!」
 脱衣所のドアをノックすると、中から少し驚いたようなセリオの声が聞こえてきた。
「お待たせ。着替えここに置いておくから使ってくれ」
 さすがに中を覗くわけにもいかないので、俺はそう言って着替えを脱衣所の前の廊下に置いた。
「ありがとうございます」
「それじゃ、俺は先に居間に行ってるな」
 俺はそう言ってクルリと脱衣所に背を向け歩き始めた。
「さてと、どうしたものかな?」
 居間に到着した俺は、この後どうするか迷っていた。
 人間のお客ならばここでお茶でも沸かすところなのだろうが、生憎セリオは物を飲んだり食べたりする事はできない。
「どうもお手数をおかけしました」
 そうこうしている内に、着替えを終えたセリオが控えめに居間に入ってきた。
「ああ・・・服きつくないか?」
 俺は咄嗟にそんな事を訊ねたが、心の中では別の事を考えていた。
『こういう格好のセリオも新鮮で良いな・・・』
 そう、初めて見る制服姿以外のセリオに俺は思わず見とれてしまっていた。
 しかも、キリリとした雰囲気のセリオが、どちらかと言えばルーズな雰囲気のスウェットを着ているものだから更に堪らなかった。
「はい・・・充分に余裕があります」
 俺の本心など知る由もないセリオは、俺の質問に答え少し表情を和ませた。
「そ、そうか・・・そいつは良かった。取り敢えずそこら辺に座ってくれよ」
 俺はその表情にまたもやドキドキしながら、座布団をセリオに勧めた。
「それでは失礼します」
 俺の言葉を受けて、セリオは優雅な物腰で腰を下ろした。
 その仕草とスウェット姿が妙にミスマッチで、何とも微笑ましく感じられる。
 普段のクールなセリオしか知らない俺にとって、その姿は何とも新鮮だった。
「よいしょっと」
 特にすることもなかったので、俺はセリオの対面に腰を下ろしテレビのスイッチを入れた。
「本日のメニューは・・・」
 料理番組だったらしく、画面に料理のレシピが映し出されている。
 この時間帯はろくな番組をやっていない事を知っていた俺は、敢えてチャンネルを変えなかった。
「・・・・・」
「・・・・・」
 テレビの音声が流れる中、再び俺とセリオの間に沈黙の時間が流れる。
 俺は決して人見知りする方ではないのだが、セリオ相手だとどうも勝手が違ってくる。『え〜と、話題、話題と・・・』
 当然この類の沈黙が苦手な俺は、必死に話題を探しまくった。
「浩之さん・・・申し訳ありませんが電話をお借りできるでしょうか?」
 その沈黙を破ったのは、セリオのそんな言葉だった。
「電話?・・・ああそうか、研究所に連絡を入れるんだな?」
「はい」
 俺の言葉に、セリオが小さく頷いた。
「スマン、全然気付かなかった。遠慮せずに使ってくれ。・・・電話の場所は分かるよな?」
「はい。先程廊下で見かけましたから・・・それでは失礼します」
 セリオは俺の問い掛けに再び頷くと、そう言ってスクッと立ち上がった。
「ハ〜・・・」
 セリオが廊下に出ていったのを確認した俺は、密かに小さく溜息を吐いた。
『何か、セリオと話してると必要以上に疲れるな・・・。やっぱりマルチとかと違って表情が乏しいせいなのかな?』
 俺は百点満点のマルチの笑顔を思い出しながら、ぼんやりとそんな事を思った。
『マルチからは『心』みたいな物をビンビンと感じるしな。その点セリオは・・・だけどな・・・』
 昨日までの俺だったら、ここでセリオには『心』のような物が欠落していると結論づけてしまったかもしれない。
 しかし、今日みせたセリオのいくつかの仕草が俺にそれを否定させていた。
『あ〜、何かモヤモヤするな・・・何とかセリオの事をもっと良く知る方法はないもんかな?』
 俺がそんな事を考えながら頭を掻きむしった時、セリオが居間に戻ってきた。
「どうもありがとうございました」
「おう、無事連絡は取れたか?」
「はい、お陰様で・・・」
 セリオは俺の言葉に答えた後、座ろうともせずその場に立ったままだった。
「あの、浩之さん・・・」
「ん、どうしたセリオ?」
「宜しければ、お茶でもお煎れ致しましょうか?」
「えっ?」
 突然のセリオの申し出に、俺は思わず目を丸くしてしまった。
「一応はメイドロボットなので・・・」
 俺の表情の変化を素早く察知したのか、セリオが少し困ったような顔でそう言った。
「そ、そう言えばそうだよな。セリオって秘書みたいなタイプだから、家事より事務職って感じがしちゃってさ」
「そう見えますか?」
 そう訊ねて来たセリオの表情が、少しシュンとなっているように俺には見えた。
「い、いや、一概にそうは言えないよな・・・うん・・・せ、折角だからお茶煎れてもらおうかな。台所に貰い物の紅茶があるはずなんだけど・・・頼めるかな?」
「はい、喜んで。それでは、台所をお借りします」
 セリオは心なしか嬉しそうにそう言うと、台所に入っていった。
『何だかセリオの表情が豊かになったような・・・俺の気のせいかな?』
 台所に消えていくセリオの後ろ姿を見送りながら、俺はボンヤリとそんな事を考えるのであった。

「美味い!!!」
 30分後、セリオの煎れてきてくれた紅茶を一口啜った俺は、開口一番そう叫んだ。
 紅茶特有の渋み、甘み、香りが完璧に引き出されている上に、温度も申し分ない。
 他の物ならともかく、紅茶でここまで感動したのは初めてだった。
「ありがとうございます。お口にあったようで良かったです」
「お口にあったなんてレベルじゃないって!同じ葉っぱ使ってるのに、俺が煎れるのとはまるで次元が違うよ!!」
 ズズー・・・
 俺は興奮気味にそう叫ぶと、カップの残りを一気に飲み干した。
「お代わりはいかがですか?」
「勿論!!」
 セリオの言葉に即答し、俺はズイッとカップを突き出した。
「はい」
 コポコポコポ
 俺からカップを受け取ったセリオは、その中に再び紅茶を注いでいった。
「はい、どうぞ」
 紅茶を注ぎ終わると、セリオは湯気の立つカップを再び俺の前に置いてくれた。
「頂きま〜す」
 俺は意気揚々とそう言って、カップに再び口を付けた。
「浩之さん・・・」
 そんな俺に向かって、ひどく真剣な口調でセリオが声を掛けてきた。
「ん、どうしたセリオ?」
 カチャ
 俺はカップを受け皿に置きながら、そう言葉を返した。
「私が今の学校へ転校してきた理由をご存じでしょうか?」
「えっ?」
 セリオの突然の質問に、俺は思わずキョトンとしてしまった。
「・・・・・」
 そんな俺を、セリオは尚も真剣な眼差しで見つめている。
「確か、開発主任の鶴の一声だったって聞いたけど・・・違うのか?」
 俺は以前聞いたマルチの言葉を思い出しながらそう答えた。
「半分はそれで正解です・・・ただ、半分は私自ら申し出たんです」
「ええっ!?」
 初めて聞くセリオの告白に、俺はついつい大声を出してしまった。
「驚かれましたか?」
「ああ、まあな・・・だけど、どうして転校なんてしたいと思ったんだ?寺女に何か不満でもあったのか?」
 ブンブン
 俺の質問に、セリオは軽く首を横に振った。
「そんな事はありません。ただ・・・」
「ただ?」
「私は知りたかったんです・・・マルチさんと私の何が違うのか・・・」
「マルチとセリオの違い?」
 俺は、セリオの言葉に首を捻った。
「はい。誰の目からも明らかだと思いますが、マルチさんは私に比べて遥かに表情も豊かで行動のバリエーションも豊富です」
「そりゃまあな・・・」
 俺はマルチのドジの数々とその都度のリアクションを思い出しながらそう答えた。
「では、その違いはどこから来るのでしょう?」
「そりゃ、2人のプログラムの違いから来るんじゃないのか?」
 あまり詳しいことは分からなかったので、俺は予想しうる範囲でそう回答した。
「いいえ。確かに私とマルチさんのプログラムは細部では異なりますが、基本は同じ物を使用しています。それに、マルチさんは学校に通うようになって格段にその行動パターンを増やして行きました」
「なるほど・・・それでその原因を知るために、ウチの学校に転校してきた訳か?」
「はい」
 俺の言葉に、セリオが素直に頷いた。
「で、その原因は分かったのか?」
「いいえ・・・」
 俺の問い掛けに、セリオは弱々しく首を横に振って答えた。
「転校して以来様々な方々と接触してきましたが、マルチさんが変わった原因を特定することは出来ませんでした。・・・ただ、その原因と大いに関係しているであろう人物に出会う事は出来ました・・・」
「えっ!?そんな奴がいたのか?俺の知ってる奴なのか!?」
 セリオの言葉に興味を持った俺は、ズイッと身を乗り出してそう訊ねた。
「それは・・・」
 俺の言葉を聞いたセリオは、ジッと上目遣いで俺を見つめた。
「・・・・・・・えっ?もしかして、それって俺の事か?」
 しばらくセリオの視線に晒された後、俺は自分を指差しながらそう訊ねた。
 コクリ
 その俺の言葉を受けて、セリオは小さく頷いた。
「浩之さんは不思議な方です・・・物事の表面だけに捕らわれず、自由奔放で・・・しかも、私やマルチさんにも人間の方と同じように接してくれます・・・」
「ま、まあ、それだけが取り柄みたいなもんだからな」
 俺は照れ隠しに頬をポリポリと掻きながらそう答えた。
「ですから、マルチさんが浩之さんの影響で変わって行ったのは良く分かります・・・ですが・・・」
「自分には何の変化もないって感じてる訳か?」
 ビクッ!
「はい・・・」
 俺の言葉に一瞬体を震わせた後、セリオは弱々しくそう答えた。
「プッ!!」
「えっ?」
「アハハハハハハハ!!」
「浩之さん・・・?」
 突然笑い出した俺を、セリオが怪訝そうな表情で見つめた。
「悪い悪い・・・突然笑い出しちまって。ただ、マルチの変化が俺のせい云々の話はおいといたとしても、セリオは大きな勘違いを一つしてるぞ」
「勘違い・・ですか?」
 俺の言葉に、セリオが大きく首を傾げた。
「そう!セリオ、お前だって立派に変わってるんだぞ!」
「私が・・・変わってる?まさか!?」
 俺の言葉を聞いて、セリオは信じられないというような表情をした。
「お前の言う所のマルチの変化・・・俺はそれを『心』のせいだと思ってる」
「『心』・・・ですか?」
「そうだ。『心』があるからこそ表情も豊かになり、行動パターンも無限に増えて行く。そして、セリオにもこの『心』はあるんだぞ」
「そ、そんな!?私には『心』なんて・・・」
 セリオは心底驚いた表情で、俺の発言を否定した。
「それじゃ聞くけど、セリオは何でさっき俺にお茶を煎れようかと訊ねたんだ?」
「それは、浩之さんがお茶を飲みたいのではないのかと思い・・・」
「それだよ。その考えこそ『心』がある証拠だよ」
 俺はセリオの胸の辺りを指差しながらそう断言した。
「ですが、それはメイドロボットとしてのプログラムの一環で・・・」
「俺は一言だってお茶を煎れてくれって頼んだ覚えはないぜ。それがプログラムの一環だろうが何だろうが、命令じゃなくてセリオが自分の意志で行った事なら、それは即ちセリオの『心』なんだよ」
 俺はそう言いながら、セリオの肩をポンと叩いた。
「私の『心』・・・」
「そう・・・さっきの傘の件もそうだし、セリオにだってマルチに負けない立派な『心』があるんだよ。だから、もっと胸を張って良いと思うぜ」
 俺は、自分の胸に手を当てて考えているセリオに向かって、出来るだけ優しくそう囁いた。
「・・・・・・・・・・浩之さん」
 長い沈黙の後、セリオが再び口を開いた。
「何だ?」
「正直、浩之さんのお話は私にはまだ完全に理解できません・・・・・でも、何故か胸の奥が暖かくなるような感じがします。・・・今はこの感覚を大事にしたのですが、ダメでしょうか?」
「充分だよ」
 少し不安そうなセリオの問い掛けに、俺は笑顔でそう答えた。
「今はそれで充分さ。後はゆっくりそいつを育てて行けば良い」
「はい!」
 俺の言葉に、セリオが嬉しそうに大きく頷いた。
 それは、俺が初めて見るセリオの本当の笑顔だった。

「本当に送って行かなくても大丈夫か?」
 雨が上がった空を見上げながら、俺はセリオに確認するようにそう訊ねた。
「はい。道は完全に覚えていますし、雨も上がりましたから」
 セリオも空を見上げながらそう答えた。
「そっか・・・それじゃ、また明日学校でだな」
「はい。今日は色々とお世話になりました」
「いいや、こっちこそ楽しかったぜ」
「私も楽しかったです」
 セリオはそう言って、再びニッコリと笑ってくれた。
『正に大きな一歩ってやつだな』
 その笑顔を見ていると、俺は何とも言えない満足感に覆われていった。
「それでは、失礼します」
 セリオはそう言い残すとクルリと踵を返し、スタスタと歩き始めた。
「気をつけて帰れよー!!」
 段々と遠ざかって行くセリオに向かって、俺はそう呼びかけた。
 クルリ!
 その声に反応したのか、セリオが突然立ち止まりこちらへ振り向いた。
「浩之さん」
「どうした?忘れ物か?」
「私はやっぱり『良い人』なんかじゃありません」
「えっ?」
 あまりに唐突な話に、俺の頭の中が『?』マークで一杯になる。
「あの時、雨宿りをしていたのが浩之さん以外の方だったら、私はきっとそのまま通り過ぎていたと思います」
「えっ?・・・・・・・・・・・・・・・・セリオ、それって!?」
「それでは、また明日学校で!!」
 ダッ!!
「あっ、待てよセリオ!!」
 セリオは制止する俺の声を無視して、意味深な言葉を残したまま走り去ってしまった。
 最後のセリオは悪戯っぽく微笑んでいたような気もする。
「ったく・・・あんな事言われたら気になるだろうが・・・」
 俺は走り去っていくセリオの後ろ姿を見送りながら、思わず苦笑した。
「おっ、虹だ・・・」
 やがて俺は、セリオの走っていく方向に見事な虹がかかっている事を発見した。
 俺には、虹に向かっていくセリオの後ろ姿が素晴らしい希望の光に彩られているように感じられた。
「また明日な・・・セリオ・・・」
 俺は夏を間近に感じさせる高い空を見上げながら、万感の思いでそう呟くのであった。




第2章の後書きのような物


 皆さん、どうもこんにちは。
 北極圏Dポイントの教授です。
 少し遅れてしまいましたが、『セリオ本』の第2章をお届けします。
 この章は、同人誌の方では『番外編』という形で出しました。
 『番外編』というよりは、本編の補完みたいなものですけどね。
 この章を加えることによって、セリオの心境の変化がより細かく描くことが出来たと思います。
 私自身は、『相合い傘』について生真面目に答えるセリオが気に入ってます。(笑)
 機会があれば、また番外編を書きたいな〜なんて思ってるんですが、時間の都合上難しいかもしれませんね。
 まあ、セリオファンの方は気長に待っていて下さい。(笑)
 それでは、また次の章でお会いしましょう。

 20001年3月25日 教授



 

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