清少納言はホントに星が好き?


 ずばり勇気を持って言ってしまいましょう。
 清少納言はとくに星が好きでも星に詳しいわけでもなかったと。
 少し乱暴な書き出しになってしまいましたが、まずは清少納言と星の関係から書いてみます。

 清少納言と言えば枕草子、枕草子といえば、春はあけぼの。
 さて、「つぎは?」と問われたら、みなさんは何を思い浮かべるでしょうか?
「うーん、そこまでかなあ」というのが聞こえてきそうですね。
 が、私のような天文好きは第二百三十六段の「星は すばる。ひこぼし。ゆふづつ。よばい星、すこしをかし。尾だになからましかば、まいて」が脳裏に浮かんできます。
 断っておきますが枕草子を全文読んでいる訳ではなく、栗ごはんの栗だけ食べているつまみ食いのようなものです。だから、ここではまったく興味のあるこの段にだけ触れて書き進めようと思います。


 私は日が暮れたら星空を眺めていればそれだけでご機嫌という趣味を持っています。
 最近、天文関係のある方と「星はすばる、ひこぼし、ゆふづつ・・・」について話し合う機会がありました。大嫌いな教科書で大好きになったこのフレーズ。でも星好きとなったこの数年、何か引っかかるものがあり、ずっと気になっていた箇所だということにあらためて気がついたのでした。
 とくに、なぜに「星はすばるがステキよね!そんでもって、ひこぼしもいいわよね!」と書いているのか?(すみません。現代語に訳してしまいました!)とても不思議でした。
「清少納言さん、ほんとに星空を見て星の名前を確認できていたの?」と訊ねたくてしょうがないのでした。
 もし私が毎夜通ってくる殿方を待ちながら夜空を眺めるとしたら「星はすばるもいいけどやっぱりシリウスね、あと、おりひめぼしのあの冴えた光りなんかゾクゾクする!ゆふづつの輝きは女神さまのような気品で私の自慢の黒髪どころじゃないわ!」ってところでしょうか。
 ニセ清少納言えむの言い換えた星と本物の清少納言の書いた星とを比べながら疑問を説明してみます。

★「シリウス」と「すばる」について。

「シリウス」は冬の星座おおいぬ座の中では一番明るく、それだけではなく全天一明るい輝きの星なのです。
 前回の新潟の地震のとき、崩れた瓦礫の下の被災者を捜す人命探査機の名称がシリウスでした。雪のつもった夕方など、東の遠くの木立から昇ってくる青白い星はキラキラ揺らめいて美しくてうっとりするほどです。
 その近くにはオリオン座が特徴のある星並びで目を惹き、かの「すばる」はその辺りから少し離れた位置で、ひっそりとした小さな六つぐらいの星のかたまりとして見えてきます。一つの星だと勘違いしている方も多いのですが、「統ばる」、つまり多く集まっているという意味で、昔から使われてきた星の名前で大和言葉でもあります。だから「スバル」とカタカナで書くのはふさわしくありません。今では都会の光り害のため明るい空ではなかなか見分けにくい星の一つになっています。それでも一度見つけてしまうと、ほのかなボーッとした光りの粒はとても愛らしくて詩情をかきたてられるので、本当に知っていて書いたとすれば清少納言の気持もわからなくはありません。
 しかしながら、いかに暗い空とは言え、果たしてそんな小さな星の名前までちゃんと知ることができたのだろうかという大いなる疑問が湧いてきます。

★「おりひめ星」と「ひこぼし」について。

「おりひめ星」は七夕伝説で古事記や万葉集にも出てくるようです。、天の川をはさんで、向こうにはひこぼし、そしてこちらにはおりひめ星として輝いている星で、またの名を「ベガ」と言います。この星はひこぼしの二倍も明るくて、青白いダイヤのようだとも例えられているほどです。それに対して、ひこぼしは黄色っぽくてまるで見劣りがするのです。それでもなぜ「ひこぼしがステキ!」なのか。これもかなり大きな疑問です。

★「ゆふづつ」について。

「ゆふづつ」は宵の明星になったり明けの明星になったりする星で、真夜中には絶対見ることの出来ない金星のことです。
 この平安時代はゆうづつはあくまでも宵の明星としの金星で、明けの明星とは区別していたようです。では明けの明星はなんと呼んでいたかと言いますと「明けのあかぼし」です。つまり読み方がちがうわけです。たぶん同じ金星だとは思っていなかったかもしれません。なにしろ地球は丸いと気づいていない時代のことですから。この五百年以上あとにコロンブスが「地球は丸かった」と目を丸くしています。で、さらにこの四百年あとぐらいに「地球は青かった」とガガーリンが青臭く叫んでいます。
 少し話が霞んできそうなので戻しますが、「ゆふづつ」は文句の付けようがないほどのギラギラした明るさで、誰の目にもつくので清少納言があげたのには素直に納得できます。(太白星ともいい、仙台の太白山はこの太白星が沈んで行くところからつけられたとか)

★「よばい星」について。

 最後に清少納言があげている「よばい星」ですが、流れ星のことをいいます。そもそも「よばい=婚ひ」は女性に求婚する意味で「古事記」にもすでに出てくる古い言葉なんだとか。そのあたりから引っ掛けた言葉遊びだと解すると合点がいきます。流れ星が流れ星たるゆえんは尾を引くことですから、「よばい星、すこしをかし。尾などないほうがいいわ」というのは星好きの清少納言だとしたら、かなりヘン。本当の星空に魅せられて書いたとは想像しにくいのです。


 

  こんな疑問から、独自に調べてみようと思い立ったわけです。
 そうしたら、私のような者より、とうの昔に天文家の何人かは同じように疑って研究していたようで少し拍子抜け。


 まあ、それならそれで二番煎じ、三番煎じでもいいから自分の目で確かめてみようと思い直し、まずは清少納言が参考にしたかもしれないといわれている「倭名類聚抄」を捜すことにした。平安時代の百科事典ともいうべき源順が編んだ「倭名類聚抄」を直接見たら、何かヒントが隠されているかもしれない。
 ただ、なにしろ清少納言(九六六〜一〇二五?)の生まれる三十年前ぐらいに書かれたらしいその本。あるのかないのか。
 手始めに市内の図書館に電話で問い合わせたら、メディアテーク内の仙台市民図書館で所蔵していることがわかった。古い資料のため館内閲覧のみしか出来ないということ。
 さっそく訪れました。係員が書庫から取り出してきたその本はなかなか趣きのある色合い。一瞬開くのが恐れ多いような気がした。

予想した通り、やっぱり、漢字のみ。さっそく「天の部」だけコピーして、そそくさと我が家に舞い戻りました。 もうむずかしい漢字が読めなくなっている古びたアタマには、これは謎解きゲームに等しいものでした。


 そこには、星だけではなく日食や天の川、雲のことなどが現代の辞書に近い構成で綴られていました。つまり上に単語があり、その下に説明が書かれているのです。ところが随所に出てくる星とおぼしき名前が金星とか木星ではなく古い呼び名なのでそこから調べなくてはならない状態。さらに関連図書やネット検索で調べること一週間。
 それでわかったことは、まずこの「倭名類聚抄」が唐の時代の書物「兼名苑」を参考にして書かれたということでした。ちょっと意外というか、さもありなんと言うべきか。ま、そんなことは今回の調べたいことには影響がないのでたいして気にならなかったのですが、気になったのはそこに書かれている星の名前。清少納言が列挙した星の名前がずらり。もしかしたら多くの研究者が想像しているように、この中から単にゴロのいいものだけ借用したために、前述したような実際の星空とのギャップが出てきたのではないかと素人の私でさえも思えてきたのです。

 

 この現代でも観望会をすると星はちゃんと見えているのに、どれが昴で彦星かも知らず、金星が明けの明星になったり宵の明星になったりすることも知らない人にたくさん出会います。現に数年前の私がそうでした。幼い頃の私はかなり暗い美しい夜空を見上げて育ったはずですが、北斗七星以外は何も知りませんでした。そんなことを思うと、平安時代の夜空がいかに暗くて数多くの星が見えていたとしても、どれだけの人が、昴、ひこぼし、ゆうづつなどの多くの星の名前を知り、見分けることができたのかなと思います。もしかしたら字が読めて貴重な書物を手にする環境にあったエリートの清少納言だからこそであり、倭名類聚抄を手にしたからこそ、「星は昴・・・」の名文が書けたのではないかと思えてくるのです。

 こうして推理を深めてくると、なぜ全天一美しいと言われているシリウス(古名:青星)ではなく、「ひこぼし」なのかが理解できます。なぜなら、「倭名類聚抄」にはシリウスの記述がないからです。(間違っていたらごめんなさい。間違っていたらまた続報を)
 また、なぜ「ひこぼし」なのかについて、こんな考え方も出来ます。彦星と同時により目立つ美しい織り姫星(ベガ)も倭名類聚抄に載っていたにもかかわらず、ほんの少し美しさに欠ける彦星を取り上げたということは、二つの区別がつかず勘違いしていたか、または区別がついても星の輝きに関係なく、女心としての「ひこぼし」だったのかなとも。

「明星」と「長庚」に注目。

 こうして清少納言さんに失礼な考察をしてきましたが、彼女も枕草子ではあれこれ・・・
 あの百十八段は私のことかと落ち込みました。

 暑げなるもの。
 いみじう肥えたる人の髪多かる

 でもこうしてああでもない、こうでもないと書き連ねるのが随筆の楽しみ。
 ...ということでお許しを。

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