奥薗壽子
1962年 4000gの巨大児で京都に生まれる。
1981年 中華料理が好きだったので神戸市外国語大学中国学科入学
1985年 ギョーザ作りの腕は上がったが、中国語はトホホのまま卒業
 役者、ホテルウーマン、国際会議場受付嬢、英語家庭教師、イラストレーター、イベントコンパニオン、宝石店従業員、編物代行業、仕出料理屋の下働き、ブテイック店員、農林水産省事務員、ワープロ入力代行業、ガソリンスタンド店員、封筒の宛名書き、精神科医助手、専業主婦などをへて、現在ナマクラ流ズボラ派家庭料理研究家。
 料理嫌いの母親のおかげで、小学校1年から料理をはじめ、一家の台所を一手に引き受ける。子供のころから異常なくらいの好奇心が強く、見るもの聞くものありとあらゆるものに興味の触手が動く。料理はその興味の触手が動いたアイテムのひとつ。そのころから、外で遊ぶより料理が好き。リカチャン人形の洋服より、新しいケーキの型をほしがる変わり者。理科の実験をするみたいに、いろんな物を混ぜたり、煮たり焼いたりしながら、嬉々として食べ物と遊ぶ毎日。が、料理理研究家になるつもりなど、毛頭なかった。
 大人になっても、その異常なまでの好奇心は衰えるところを知らず、好奇心の赴くままさまざまなことに首を突っ込む生活は続く。その結果四六時中バタバタと動き回わらざるを得ない毎日。時間はない。が、おいしいものを食べたい。手をかけたくない。が、出来合いのもので適当に済ますのはいやだ。作りたくない日もある。が、義務やお仕着せで、いやいや料理をするのはいやだ。食べ物に対する欲求は募る。そんな毎日の中、イイカゲン、テキトーに作っても間違いなくおいしくてヘルシーなものを作れるナマクラ流ズボラ派家庭料理を確立。ナマクラズボラも極めればプロになれるんだ」とおだてられ、持ち上げられ、その気になって、はたと気付けば、いつのまにか料理の世界に足を踏み入れる。
 現在「料理は楽しくシンプルに」をモットーに、清く正しいナマクラズボラ料理を広めるべく、雑誌、講演、テレビ、料理教室等で全国を飛び回る。その一方で『お台所奉行の会』を主催し、お台所を牛耳っている全国のお奉行様をネットワークでつなぎ、いまどきのお台所事情を模索している。自由な発想でお気楽に乾物を使いまわし、ゴミを出さない料理研究家としても有名。
 表千家、裏千家両面から茶道の世界を制覇し、嵯峨未生流でお花をいける、必ず墨をすって筆で手紙を書くことを旨とし、こよなく着物を愛する根っからの京女。
 一男一女の母親でもある。