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特別寄稿 第一弾

鈴木みのる、没落の軌跡
MINORU SUZUKI Falling Road


   1995年の暮れから、鈴木みのるがまさかの相手にまさかの連敗を喫しだし(表1)、誰もがその現実を解釈しようと必死だった。 まず、「鈴木みのるは強いんだ、そうあってほしい」という願望に合わせた精神説が流行った。人は真実を恐れ、直感的にその反対を行く。本人も「勝ち方を忘れた」と精神説らしき発言を繰り返し、 ファンも「いつかきっと・・」と手前勝手な解釈をして納得していた。実にプロレス的展開である。ただ一人、船木だけが「もう両雄でもなんでもない」 と冷静に突き放していたのが印象的だった。

図1
VSガイ・メッツァー(●金的によるKO)
VSフランク・シャムロック(●ウェインの仇、リベンジ膝十字で一本)
VSガイ・メッツァー(●飛びつき腕十字失敗を演じつつTKO)
VS近藤 有己(●新人に全く攻めさせてもらえず3−0の判定負け)
VSヴァーノン”タイガー”ホワイト(●ヴァーノンの成長にタジタジの2−0の判定負け)
  ※おい、戸、なんであれがドローなんだ。ジャッジの基礎からやり直せ。堀辺先生も泣いてるぞ!
VSジェイソン・デルーシア(●切り札の白のコスチュームで構えをかえてもKO)
VS伊藤崇文(○奇声をあげてのグラウンド掌底でかろうじて2−0判定勝利)


 伊藤戦後、頚椎ヘルニアという幸運な事実が発覚。「そうだったのか」とファンも肉体説に切り換え、復活を待った。 復帰後、名も無く実力も無い外国人相手に、多分に偶然の要素を含んだ危うい秒殺劇を演じてみせ、誰もが、本人さえもが復活を確信した。  だが、問題はそんなところにあるのではなかった。ファンも本人も決して触れようとはしない技術的な部分こそに核心は潜んでいた。ただ、ここでファンの暖かい誤解を責めるべきではない。責められるべきはそれに応えられなかった鈴木である。
 いや、あやしい傾向はそれ以前からあった。ルッテンとの初防衛戦を前に内田由紀と写真を撮ったり(週刊プロレス参照)、まるで出世して芸能人の仲間入りをするためにプロレスをやってきたかのような一連の行動。 アポロ菅原とセメントをした頃の鈴木(91.4)なら、藤原を追いつめていたときの鈴木(91.11)なら、床に唾を吐いて「こい、オラッ!!」と叫びかねないほど軟弱な振る舞いの数々。「昔の鈴木さんはワガママだけどすごく男らしかった。 でも、今じゃ情けなくて見てられない」という高橋義生ではないが、多くの人間が裏切りを感じた。  その直後、左膝を痛めてデルーシア戦を欠場。山宮戦でも、痛めた足というハンデをひいき目にみても敗色は濃かった。またもや連敗の道をあゆむこととなった(図2)。

図2
VSセームシュルト(●格通の船木の技術講座で悪例とされたタックルに膝蹴りを合わされKO)
VS山宮KEI一郎(●「膝サポーターに指が引っかかった」(←ウソ)と減点、判定負け)
VS冨宅なんとか(●冨宅が何十回改名しても勝てるわけないと思っていたが・・・)
VS高橋義生(●藤原組時代と立場が完全に逆転、3ノックダウンTKO)
VSオマー・ブイシェ(●チョークスリーパーで秒殺)
VS渋谷修身(●ストレッチ不足か?歳か?股関節脱臼で「レフリィー!!」ストップ)
VS菊田早苗(●肩固めで敗北。・・・ウェイン)
VSデニス・ケイン(●こ、腰が・・・)


  プロレス的屁理屈ばかり達者になった鈴木みのる、 彼をもとにもどせる人物は独りしかいない。ヒクソンにいいところなく負けた船木・・・ではない! ウェイン・シャムロックだ!
鈴木よ、プライドに出るべきだ、キャッチレスリングなどしている場合ではない。 (まずはヴァーノンに勝って)そしてウェインと戦うべきだ!!そうすればかつての輝きを取り戻せる・・・はずだ