'00 12月



12月28日


 帰りに冬休み用ビデオを借りてきました。サービス期間中で4本、7泊8日で1000円也。4本とも『嵐ヶ丘』という相当のはまりかたですが、テレビ録画してあったブニュエルのものを合わせて5本の映画化作品を堪能するつもりです。


○「鳩の栖(すみか)」/ 長野まゆみ (集英社文庫)
 長野さんは一貫して、少年を主人公にした友情を描いてきた作家ですが、今回読んだ『鳩の栖』には、'95年から'96年にかけて発表された5つの短篇が収録されていて、それぞれの主人公は中学生・高校生で、初期の作品群での設定年齢よりも高くなっていて、そのせいか耽美的な傾向がより増しているようで、少年達をめぐる友情にもセクシャルな面が感じとれます。長野さんが、少年という題材に惹かれているのは、彼らが""という夾雑物に惑わされていない精神的・肉体的に純潔な存在であるという点ではないかと思っていました。彼女が少女に関心が向かわなかったのは、やはり自身の経験から少女という存在には、少年のような純粋さ(僕自身の経験からは"単純さ"ではないかと疑っていますが)が感じとれなかったのではないか。そういった意味合いで、今回の作品が長野さんの進みつつある方向として位置づけられているのかどうか興味があります。僕は、彼女の熱心な読者ではないのでわからないのだけれどどうなんでしょうか。
 長野さんの作品で思い起こすのは、'70年代に活動した伝説的女性シンガー・ソングライター、森田童子のことで、彼女はライブハウスや黒色テントなどで歌っていましたが、自分のことを"僕"と呼び、その歌詞はやはり友情を主題にしたもので、長野さんの世界と共通するものがあります。シンプルなメロディラインがとてもきれいで、僕も何枚かアルバムを持っていました。



「鳩の栖」
集英社文庫 '00 11月新刊






12月23日

 20001年度版の『このミステリーがすごい!』が出ました。海外編の中では20位以内の3作品をこのホームページ上で紹介しています。
参考のため、国内・海外それぞれ第10位までを挙げておきます。『このミス』も当初('88から)は、大手の権威から離れたところで、ミステリーの格付けをしようということだったけど、近年では最もメジャーになりましたね。

(海外編)
1. ポップ1280/ ジム・トンプソン
2. Mr. クイン/ シェイマス・スミス
3. ハンニバル/ トマス・ハリス
4. 囮弁護士/ スコット・トゥロー
5. ジョン・ランプリエールの辞書
  / ローレンス・ノーフォーク
6. わが心臓の痛み/ マイクル・コナリー
7. 夜の記憶/ トマス・H・クック
8. 闇よ、我が手を取りたまえ/ デニス・レヘイン
9. 子供の眼/ リチャード・ノース・パタースン
10. コフィン・ダンサー/ ジェフリー・ディーヴァー

(16) 朗読者/ ベルンハルト・シュリンク
(国内編)
1. 奇術探偵 曽我佳城全集/ 泡坂妻夫
2. 動機/ 横山秀夫
3. 禿鷹の夜/ 逢坂 剛
4. オルファトグラム/ 井上夢人
5. 始祖鳥記/ 飯嶋和一
6. 象と耳鳴り/ 恩田 陸
6. 虹の谷の五月/ 船戸与一
8. 依存/ 西澤保彦
9. 症例A/ 多島斗志之
10. 川の深さは/ 福井晴敏

 海外編の第1位・2位ともに犯罪小説。いずれ読んでみよう。『ハンニバル』の前作『羊達の沈黙』は、'89年の第1位でした。トマス・H・クックは、'99年『緋色の記憶』が第2位、'00年の『夏草の記憶』が第3位で、今回が第7位ということでたいしたものです。『夜の記憶』は、ちょっと暗すぎたんだろうな。『朗読者』をミステリーとするのは、ちょっと抵抗を感じるところ。ミステリー的な要素もあったけど、あれにひっかかる読者は少ないのではないかな。
 国内編のベスト10作品を1冊も読んでいないというのは、近年にない事で少々情けない。ちなみにここ数年のベスト1である『永遠の仔/天童荒太 '』('00)、『レディ・ジョーカー/ 高村 薫』('99)、『OUT/ 桐野夏生』('98)や『不夜城/ 馳 星周』('97)は、読んでいたんですが、今年はこのホームページのせいで国内ミステリーまで手が出せなかったんですね。来年はどうなんだろう。



12月19日

 チェーホフの「桜の園」(英訳)と福永さんの短篇「夢見る少年の昼と夜」の紹介を追加しました。「桜の園」では、吉田秋生さんのコミック「桜の園」と、その映画化作品も紹介しました。吉田さんの作品は「桜の園」をきっかけに何冊か読んでいて、中では青春群像を描いた「夢見る頃をすぎても」とか吉田さんがモデル(?)のハナコさんとイチローくんの同棲カップルの日常をユーモラスに綴った「ハナコ日記」が好きですね。「吉祥天女」は、小学館漫画賞というのを受賞したちょっと怖い作品で、バイオレンスを主題にしていて、女性が読むとスカッとするんではないかな。

○ 「漫画の時間」/ いしかわじゅん(新潮OH!文庫)
 いしかわじゅんさんは、70冊くらいの単行本を出している漫画家だそうだけど読んだことがありません。記憶に無いだけなのかな。書くよりも読むほうが好きらしく(みんなそうかも知れないけど)、毎月150冊くらいの漫画を、それもアダルト向けの自販機の漫画まで読んでしまうというからすごい。この本は、本業よりも漫画評論家としての注文が増えてしまったいしかわさんが、あちこちに書いた100本くらいの漫画に関する文章が収められています。取り上げられている漫画は、4コマものから少年・少女・青年・アダルトまでバラエティ豊富ですが、最初に『漫画の読み方』という章があって、いしかわさんは、"漫画は<ストーリー>よりも<絵>だ"、と言い切っています。そして、どういうのが<うまい絵>、<うまい漫画>なのかについて考察しています。やはり、オリジナリティがいちばんのポイントなんだろうな。やや、総花的な感じはあるけど、最近漫画をほとんど読んでいないので参考になりました。橋本治さんの少女漫画に関する評論『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』を、もう一度読みたくなり、処分するんではなかったと後悔しています。


「夢見る頃をすぎても」
小学館文庫 '95初版


「吉祥天女」 
小学館文庫 '95初版



増補「ハナコ日記」
ちくま文庫 '96初版

No Image
漫画の時間」/いしかわじゅん
新潮OH!文庫 '00 10月初版



12月14日

 ニュー・エイジ・ミュージックの旗手「加古隆」のアルバム紹介を追加しました。ペーパーバックは、チェーホフの「桜の園」と「三人姉妹」を読了し、エミリ・ブロンテの「嵐ヶ丘」を読んでいます。

○「ショパンに飽きたらミステリー」/ 青柳いづみこ (創元ライブラリ)
 青柳さんは、ドビュッシーの演奏に定評のあるピアニストで、著書にはドビュッシー研究の『ドビュッシー=想念のエクトプラズム』や、ピアノの師である安川加壽子さんの評伝『翼のはえた指』などがあり、いずれも大変興味深い労作なので、別の機会に紹介したいと思います。本書はミステリー・ファンである青柳さんが、音楽がからんだミステリーについて薀蓄(うんちく)を傾けたライト・エッセイで、演奏家の裏話なども披露されていて大変面白い。青柳さんが、本書をミステリー専門誌「EQ」に連載するきっかけとなったのは、福永武彦・中村真一郎・丸谷才一の三氏によるミステリー・エッセイ『深夜の散歩』であるとのことです。この本についても、いずれ福永コーナーで紹介することになるでしょう。
 演奏家の裏話のひとつとして、ピアニスト稼業のいちばんの悩みは、下半身デブになることと書いています。
 
 
コンサート前ともなれば、日に最低4、5時間、下手すると8時間もピアノの前に座りつづける。運動量は、大活躍する上半身に比べて足のほうはせいぜいペダルを踏むくらいなのに、食事はどうしてもカロリーの多いものになりがちだから、たちまちウエストが2割増しくらいになってしまう。

 華やかなコンサート・ピアニストにも思いもかけないところに、陥穽があるものだという気がするけど、青柳さんは、この文章に続けて、"だからというわけでもないが、私は、ミステリーに出てくるデブの探偵が妙に好きだ。"と書き、レックス・スタウトのネロ・ウルフ(143kg)やディクスン・カーのフェル博士(127kg)などを紹介するといった風で、なかなか読ませます。僕は高校生の時に海外ミステリーを読みまくった時期があって、ディクスン・カーやセバスチャン・ジャプリゾの話題などとても懐かしかった。ジャプリゾは一般的に『シンデレラの罠』が代表作として知られているけど、青柳さんは、"処女作の『寝台車の殺人者』のほうが、もっと好きだ。"と言っていて、当時僕もそう感じていたので、同士を見つけた感じでうれしかったです。

 青柳さんのCDでは、『雅(みやび)なる宴』というクープランとドビュッシーという18世紀と20世紀のフランスの作曲家の作品を収録したアルバムを持っています。ドビュッシーは勿論ですが、クープランも大好きな作曲家で、ドビュッシーも"詩人的な人"と評したように、ドビュッシーの音楽と親和性があり、二人の作品を続けて聴いても違和感が全く無いのに驚かされます。青柳さんは、クープランの柔らかな雅さとドビュッシーの世紀末的な詩情とを鮮やかに弾き分けていて、推賞に値するアルバムだと思います。
(収録曲)クープラン:クラブサン曲集 第3巻より、ドビュッシー:『2つのアラベスク』、『ベルガマスク組曲』、『喜びの島』他
 

創元ライブラリ
'00 11月初版

『深夜の散歩』
講談社文庫
'81 初版

No Image

雅なる宴 '97・98録音
ドビュッシー、クープラン作品集




12月5日

 映画「ジェイン・エア」('44)の紹介を追加しました。ジョーン・フォンティンとオーソン・ウェルズが共演した映画です。文庫本を何冊か読んで、今はチェーホフの戯曲「桜の園」(英訳版)を読んでいるところです。ピアノのレッスンでは、久石譲「シータの決意」を終えました。久石さんの作品では、やはりこの曲の入っている「天空の島ラピュタ」と「風の谷のナウシカ」が好きです。宮崎作品のなかでも僕は「ラピュタ」がいちばん気に入っています。そういえば、この間TVで「耳をすませて」を放映していましたね。演奏MIDIを参考に付けました。練習時間がとれないので、やさしい曲を選んだつもりだったんですが(バイエル95番相当となっていた)、一夜漬けではちょっと無理でした。

○ 「蛇を踏む」/ 川上弘美 (文春文庫)
 川上さんの作品では、この前に「いとしい」(幻冬社文庫)を読んでいますが、こちらについては別途紹介したいと思います。

 
自分の書く小説を、わたしはひそかに「うそばなし」と呼んでいます。(中略)
 「うそ」の国は、「ほんと」の国のすぐそばにあって、ところどころには「ほんと」の国と重なっているぶぶんもあります。「うそ」の国は、入り口が狭くて、でも、奥行きはあんがい広いのです。
「蛇を踏む」あとがき/ 川上弘美

 
 「蛇を踏む」には表題作を含む中篇3篇が収録されていますが、いずれも日常的世界から逸脱し、変容し続ける「うそ」の世界の中での出来事を描写しています。


 
蛇を踏んでしまってから蛇に気がついた。秋の蛇なので動きが遅かったのか。普通の蛇ならば踏まれまい。
 蛇は柔らかく、踏んでも踏んでもきりがない感じだった。
 「踏まれたらおしまいですね」と、そのうちに蛇が言い、それからどろりと溶けて形を失った。煙のような靄(もや)のような曖昧なものが少しの間たちこめ、もう一度蛇の声で「おしまいですね」と言ってから人間のかたちが現れた。 「蛇を踏む」


「蛇を踏む」
文春文庫
'99年8月初版
'96年芥川賞受賞作品

 このごろずいぶん消える。
 いちばん最近に消えたのが上の兄で、消えてから2週間になる。
 消えている間どうしているかというと、しかとは判らぬがついそこらで動き回っているらしいことは、気配から感じられる。 「消える」

 背中が痒いと思ったら、夜が少しばかり食い込んでいるのだった。
 まだ黄昏時なのだが、背中のあたりに暗がりが集まってしまったらしく、密度が濃くなったその暗がりの塊が、背中に接着し、接着面の一部が食い込んでいるのだった。 「惜夜記」


 いずれも、物語の始めのほうの文章ですが(「消える」と「惜夜記」では冒頭)、読者は、唐突に人間と人間以外の生物、生物と無生物との境界が溶解している川上ワールド(「うそ」の国)に投げ込まれることになります。「蛇を踏む」では、"私"は、女の人に変身して家に居ついてしまった蛇から、蛇の世界に来るようにと執拗に誘惑されます。さらに物語が進んでくると、蛇にまとわりつかれているのは"私"だけでないこともわかってきます。どうもこの世界は蛇と人間との共生により成り立っているみたいだ....などと考えてみたりするけど、あまり考えてもしょうがないみたいな所があります。少々粘っこい文体は、僕には古井由吉の小説を思い起こさせました。今後、どういう風に展開していくのか、とても興味の持てる作家です。
 



12月2日
ペーパーバック:グレアム・グリーンの「事件の核心」の紹介を追加しました。


○「失われた時を求めて (スワン家のほうへ)」/ マルセル・プルースト
 BABARさんのサイトで進行中のこの大小説の紹介に便乗して、あとを追いかけながら読んでいますが、やっと第1巻(721ページ)を読了しました(全10巻)。有名な割には、全部読んだ人が極めてまれな小説だということが、読み始めてみるとなるほどと納得できます。普通のストーリーを追っていくという読み方では、だめみたいですね。巻末にジャン=イヴ・タディエという人の要約があって、頭の中を整理するのに役立ちましたが、冒頭で以下のように述べています。

 
プルーストの大長編小説を要約するのはむずかしい、ひとつには印象と回想とがそこでは筋のはこびとおなじほど重要視されているからであり、ひとつにはまた気まぐれな着想と記憶とが展開される仕組みにたいして線状にたどることのできない順序を強いるからである。つまり、論証し、抽象し、普遍化しようとする顧慮がたえず介入する形で物語の中にあらわれるので、その物語を跡づけようとするのは、『見出された時』については例外として、不可能なのである。

 "不可能なのである"と言い切ってしまってもらえると、少々気が楽になりますね。読むほうも印象とか雰囲気を大事にしていけばいいということなんだろうな。とりあえずは、この『スワン家のほうへ』だけでも物語としては、完結している感じではあるので、ためしに読んでみたらどうでしょうか。

第1部 コンブレー : 少年時代の回想。有名なマドレーヌ菓子の挿話がある。初恋の相手ジルベルト(スワンの娘)との出会い。主なる登場人物の紹介の意味合いが大きいのかも。

第2部 スワンの恋 : 第1部の約15年前。スワンとオデットの出会い、恋愛。不貞節なオデットに対する嫉妬で疲弊したスワンは最後に心の中で言う「ぼくの生涯の何年かをむだにしてしまったなんて、死にたいと思ったなんて、いちばん大きな恋をしてしまったなんて、ぼくをたのしませもしなければ、ぼくの趣味にもあわなかった女のために!」
 貴族社会での社交の場面が多いけど、その俗物性はカポーティが「叶えられた願い」で描こうとした現代の上流階級のそれと変りがないようです。
 プルーストは、なかなかの音楽愛好家であったようで、音楽も小説の進行に重要な要素となっています。スワンに官能のよろこびをを与えたヴァントゥイユ(小説の中の人物)作曲の『ピアノとヴァイオリンのためのソナタ』は、フランクとサン=サーンスを念頭においていたらしいけど、やはりこれはフランクのヴァイオリン・ソナタであると思いたい。実在の作曲家ではワーグナーの楽劇については随分言及されているし、ベートーベンの『月光』やショパンのプレリュードなどの名前が出てきます。美術関係では、スワンがフェルメールを研究していたり、ワット―、レンブラント、モロー、ボッティチェルリ、ティッツィアーノなどについての記述がある。

第3部 土地の名、― 名 : 土地の名前についての回想、第1部の少しあと、"私"のジルベルトに対する初恋、そして年とった"私"にとって"私がかつて知った現実はもはや存在していないという"幻滅。

井上さんの翻訳について : 恐ろしく息の長い原文を、たぶんそのまま日本語に移しているんではないかと思われ、そのこと自体には異論はないけど、文章自体が日本語としてもう少し練られていればよいのにという印象を受けました。他の人の翻訳を読んでいないので何とも言えませんが。

(映画)『スワンの恋』'83 仏=西独合作 
 (監)フォルカー・シュレンドルフ (出演)ジェレミー・アイアンズ(スワン)、オルネラ・ムーティ(オデット)、
  アラン・ドロン(シャルリュス男爵)


 スワンとオデットの恋愛関係に絞ってストーリーが展開するので、わかりやすいし、小説の中のエピソードもいろいろ出てくるので読んでから観た方が楽しめると思います。また当時の貴族階級の生活(社交)がていねいに描かれていて、小説の背景を理解するのに参考になります。オルネラ・ムーティは、官能的で奔放なオデットをうまく演じていました。しかし、どうしてスワンは、幻滅したはずのオデットと結婚してしまったんだろう。さらに小説を読めばわかるんでしょうね。


Filmography links and data courtesy of The Internet Movie Database.



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