'01 7月
7月30日
無事、なんとか大事には至らずに今年のピアノ発表会を終えることができてホッとしました。今回が4回目になりますが、昨年までは、サロン・コンサート形式だったのが、今年は市民会館の小ホールということで、ステージで演奏するのが初めてだったので、どうかなと思っていたんですが、聴衆(というほどの数でもないけど)から離れた為に、かえって緊張度が少なかったような気がします。年1度でも、場数を踏んだ実績もやはり大きいと思うけど。
演奏は、練習時と同じ程度というわけには、やはりいかなくて出だしのテンポが速くなってしまったので、左右の音がずれてしまうとか、指がもつれて音をミスるとかささいなこと(!)はあったけど、去年よりは落ち着いて弾けたと本人は満足しています。今年のピアノは、スタインウェイだったけど(初めて)、残念ながら音を愛でている余裕はありませんでした。
「ひとつの予感」は、加古さんのアルバム『予感 〜アンジェリック・グリーンの光の中で〜
』(1998)に収録されている曲で、発表会で加古さんの曲を弾くのは、3年前の「ジブラルタルの風」に続いて2回目になります。終りのほうの即興の部分は、もちろん実際には譜面化されているんですが、これが意図せず本当に即興演奏となっていて(弾くたびに違うということなんですが)、"聴いている人にはわからないから大丈夫ですよ"と先生は仰っていました(優しいね)。
今までのディジタル・ピアノで収録した演奏MIDIは、ピアノ音楽のところから検索できます。
7月20日
リンク集にタケットさんのサイト「バベルの本棚」を追加しました。ペーパーバック紹介「レイモンド・カーヴァー」とカーヴァーの短篇の映画化作品「ショート・カッツ」の紹介も追加しました。
○『白雲母』(1853)/シュティフター
『石さまざま』は、石の名をつけた6つの短篇(「みかげ石」、「石灰石」、「電気石」、「水晶」、「白雲母」、「石乳」)からなっていて、その中で最も知られている作品「水晶」とシュティフターの芸術的信条を吐露している序文をすでに紹介していますが、残りの5編を今回読みました。シュティフターのこれまで読んだ作品(『石さまざま』と『晩夏』)に関する限り、いずれも彼が序文で述べている"公正、質素、克己、分別、おのが職分における活動、美への嘆賞、あかるい落ちついた努力"など彼が偉大と考えている内的な自然である人間の心性と、人間を取り巻く外的な自然とを描いている作品群です。ここでは、不思議な少女を扱った短篇「白雲母」を紹介してみます。
農場に暮らす家族があり、ある日祖母と子どもたち(女の子ふたりと男の子)がくるみを取りに山に登った時、見知らぬとび色の顔をした女の子が現われた。祖母が話しかけても答えなかったが、その後も山に登るたびに彼女は近くまで寄ってくるようになった。あるとき、山の中で猛烈な雹(ひょう)を伴う雷雨に襲われ、見知らぬ女の子の機転で危く難を逃れることができた。激しい雹の嵐の描写から;
とうとうまるで白いきらきら光る弾丸のように、雹が一つそだの小屋の前の草の中に落ちるのが見えた。地面にぶつかると高くはねかえってまた落ち、先の方へころがって行った。近くに落ちた二番目も同様だった。その瞬間、嵐も始まった。しげみに吹きつけ、しげみがざわめいた。一瞬やんで、あたりはしんと静まりかえった。また吹きつけて、しげみを押し倒したので、葉の白い裏側が見えた。その上に雹がまるで白い稲妻のように、ざあっと降りかかった。雹は、葉を打ち、木を打ち、、地面を打った。雹がたがいに打ちあった。ごうごうという音がした。稲妻がきらめいて、くるみ山を赤く染めたが雷鳴はききとれなかった。葉が打ち落とされ、枝が打ち落とされ、大枝が折りとられ、芝生には鉄の馬鍬(まぐわ)ですきならされたように、溝ができた。雹はとても大きいので、成人を打ち殺すことができるほどだった。そだの小屋のうしろにあるはしばみも打ち砕かれ、その破片がそだにぶつかる音がきこえた。
山と谷のすみずみまで、雹がこのように降ってきた。抵抗するものは押しつぶされ、動きのとれないものは粉砕され、生あるものはほろぼされた。地面やそだの束のように柔軟なものだけが抵抗できた。白い矢のように、氷のかたまりが、暗闇の中を黒い地面に激しい勢いで落ちてくるので、地上にあるものは、もはや見分けがつかなかった。
そだ:刈り取った樹の枝
(藤村宏 訳/ 中央公論社 世界の文学14「ケラー、シュティフター」'65初版)
短篇でこれだけの徹底した自然描写というのは稀有なのではという気がします。こういうのがめずらしくないのがシュティフターの特色の一つと言えます。
この出来事のあと、見知らぬ女の子はふもとの家までやって来て子供たちと遊ぶようになったが、ある日家が火事になり、下の男の子が家の中に閉じ込められてしまっていたのを彼女が救い出したのを機会に、子供たちの両親は見知らぬ女の子を教育し、この子にふさわしい幸福を与えようと決心した。彼女も熱心に学び、幾年かが過ぎるうちに、ますます家に慣れ、いつも家にいて、もう出て行くことはほとんどなくなった。ある夏、泣きはらした目をしたこの女の子は両親に「シュトゥール・ムーレが死んだの、高い岩が死んだの」と告げ、山に帰っていき、それきり姿を見せなかった。
見知らぬとび色の顔をした女の子は、森とか山の精だったんでしょうか。これは「風の又三郎」を想い起こさせる不思議な物語ですが、他の短篇もいずれも人間性を肯定的にとらえた心暖まる作品です。
7月1日
TOPページの背景は変えずに彗星を流してみました。文字化けしやすくなるのでフォント文字を減らしました(技術屋らしからぬその場しのぎの対応と反省)。2-3日様子をみてやめるかもしれません。
堀江さんの最新刊で初の長篇『いつか王子駅で』を読みました。堀江さんは水村美苗さんと並んで、このところ強く惹かれている作家で、堀江さんについては芥川賞を受賞するまでは読んでいませんでした。あちこちのサイトで、"賞をとらない方がよかったのに"
というファンのつぶやきを聞いたけど、本心からではないにしても、たしかにそう思わせるような個人的なレベルでコミットするタイプの作家なのかなという気がしています。
○『いつか王子駅で』(2001)/ 堀江敏幸
なるほど「のりしろ」か。私に最も欠落しているのは、おそらく心の「のりしろ」だろう。他者のために、仲間のために、そして自分自身のために余白を取っておく気づかいと辛抱強さが私にはない。
小説は、都電荒川線の沿線に住む(私)と、印章彫りの正吉さんを始め、居酒屋の女将、古本屋、タクシーの運転手や大家である町工場の経営者と娘の咲ちゃんなど町の人たちとのふれ合いを主軸に、島村利正や安岡章太郎や徳田秋声などの文学作品談義をからめて、いつものフランスから東京、それも下町を舞台にした長篇ということで親しみやすく、そして情緒に富んでいて、とてもよかったです。書名については、原稿の督促があったときに、たまたまエヴァンスのアルバムの『Someday My Prince will Come/
いつか王子様が』を聴いていて、これにあやかったタイトルを仮題としたそうなんだけどエヴァンスが好きなのかな。
一昨日の金曜日に大塚にあるメーカーでの打ち合わせが午前中にあり、家からの直行だったので、これはチャンス!と1時間ほど早めに着いて、荒川線に乗車してみました。都電荒川線は都内に残る唯一の路面電車路線で、早稲田―大塚駅前―王子駅前―町屋駅前―三ノ輪橋 の主要駅を結び全区間約50分ほどかかり、160円の均一料金で共通バスカードも使えます。専用軌道の区間でもちょっと広い道路との交差では、交差点の信号に従い、電車優先となっていないのがいかにも路面電車らしいところです。時間の制約があり今回乗車したのは、早稲田―大塚駅前―王子駅前―荒川遊園地の約35分ほどの区間です(全体の約7割)。朝の通勤・通学の時間帯ということもあり結構混んでいました(ダイヤの本数は結構あって、日中でも5-6分間隔で運行されている)。
.... 荒川線の特殊なのは、専用軌道が圧倒的にながく、しかもかなりのスピードをだすという一点にあるのではないかと思う。早稲田の駅の、薄汚れた流しの窓にカネヨンの容器がのぞいていたりする駐在所を横目に出発し、面影橋から汚水の流れ込む神田川沿いを走って、この川の水を使っていないことを祈りたい製薬会社を左に見つつ急なカーブを徐行するピットロードを抜けて明治通りと平行する専用軌道に入ると、荒川に住むまえこのあたりを徘徊していた時分、転入届の時機を逸して欠席裁判にかかり、罰金をくらったのであまりよい思い出のない出張所のある学習院下の坂道を千登世橋にむけてゆっくりのぼれば、雑司ヶ谷から東池袋の混雑を分け入って大塚に出る。
堀江さんに特徴的なのであろう息の長い文章で、早稲田―大塚駅前までの約15分の区間を見事に描写しています。今回、早稲田駅の駐在所の薄汚れた流しの窓をチェックしなかったのは、つくづく悔やまれるところです。"かなりのスピード"といっても、僕が観察した限りでは、通常30km/h、ピークで40km/hくらいでした(運転手によっても違うと思います)。続く文章で王子駅までの区間をこれまた一気に描写しています。"しかし、荒川線の真骨頂は、庚申塚あたりから飛鳥山にかけて民家と接触せんばかりの、布団や毛布なんぞが遠慮なく干してある所有権の曖昧なフェンスに護られたながいホーム・ストレートにあり、......
" と続くこれまた息の長い文章もとてもいいんですが割愛します。
(私)が気晴らしに自転車に乗って出かけた荒川遊園地(正式名称はあらかわ遊園)にも寄ってみました。都電の駅からは歩いて5分くらいで墨田川沿いにあり、入園料がなんと160円で、(私)も乗った観覧車やミニ鉄道などの料金が100円という安さ。僕が行ったときは9時の開園前だったので周囲は閑散としていたけど休みの日には家族連れで賑わうのでしょう。観覧車からは、隅田川をたどってレインボウ・ブリッジも見えるのではと思います。堀江さんも書いているようにささやかながらとても親密な感じする遊園地のようでした。
ここへ来るのはもう何度目だろう。電車沿いに越してくるまえにも、あるときはひとりで、あるときは何人かの仲間とで、空が広々として過ごしやすいこのささやかな行楽施設へ遊びに来たことがあった。いい年をした大人がやってきても家族連れでなければたいして面白みはなさそうに見えるのだが、大がかりなアトラクションをずらりとそろえた本格的な遊園地などより、子どもたちが安心して遊ぶことのできる乗り物を用意したこういう空間のほうが親たちの表情も落ち着いていて、あたりの空気もやわらぐ。
おすすめの一冊です。

新潮社 '01 6月新刊
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Portrait in Jazz '59
/ ビル・エヴァンス
「いつか王子様が」
を収録した名盤 |
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