過去の雑記 : '00 11月 12月 '01 1月 2月

 '01 3月


3月31日
 期末の繁忙も終り例年だとホッとひと息つくところですが、今年は組織変更の渦中にあって当分ばたばたしそうです。
 ペーパーバックでは、アン・タイラーの『If Morning Ever Comes』(1964)と『Tin Can Tree』(1965)の2作を読みました。彼女の処女作と第2作目で、いずれも日本では未訳のものです。アン・タイラーを読んだのは、これが初めてですが、この処女作を書いたのは彼女がまだ23,4歳の時ということだけど、登場人物の何気ない動作の描写に、実に細やかな神経が行き届いていて、やはりこれは女性でないと書けないなという印象を持ちました。こんな素敵な作品が訳出されていないのは不思議ですね。

 
悪童日記/ アゴタ・クリストフ

 
「あのね、泣いても何にもならないよ。ぼくらは絶対に泣かないんだ。」

 
アゴタ・クリストフはハンガリーに生まれ、1956年のハンガリー動乱の際に亡命して以来スイスに住んでいる女性作家で、この作品が処女作です。"あとがき"によれば、物語の時代背景は、第2次世界大戦末期から戦後にかけての数年間、場所は当時ドイツに併合されていたオーストラリア国境にごく近い、ハンガリーの田舎町のようです。主人公の双子は、母と都会に暮らしていたが戦禍を逃れるため、この田舎町にひとりで住む祖母に預けられます。この祖母は"魔女"とあだ名されているとんでもない人物で、ふたりは彼らを取りまく苛酷な状況の中、自らに課した肉体的、精神的鍛錬によりしたたかに生き延びていきます。
 作品は、彼らの体験を記した秘密の日記という体裁をとっていて、ここで顕著な感情を排した即物的な文体は、彼らが周囲の状況に押しつぶされないよう意識的にとった決意の表明(徹底した精確さと客観性に基づく文章で綴ること)となっています。


 
ぼくらは、「ぼくらはクルミの実をたくさん食べる」とは書くだろうが、「ぼくらはクルミの実が好きだ」とは書くまい。「好き」という語は精確さと客観性に欠けていて、確かな語ではないからだ。
 



悪童日記 '86
早川書房 '91初版


 ふたりが課した鍛錬には、罵倒にせよ愛情のこもった言葉にせよ、言葉に対して無感情になること、残酷さの習得、肉体的苦痛に対する耐性の獲得、などがあり、これらはいわば非人間的になること、そして高性能マシーンとなることをめざすことにほかなりません。もちろん人間である限り、完全に無感情になることは不可能であり、この双子達の場合もそうであるけど、作者はドイツに、そして引き続き駐留したソビエトに蹂躙された祖国ハンガリーを思う時、生き延びるためには人間性を犠牲にせざるを得なかった人々への鎮魂としてこの作品を書いたのではないかと思いました。続編も書かれているので、その後のふたりがどのように生きていったのか興味あるところです。
 
 → 続編「ふたりの証拠」、「第三の嘘の紹介



夜と霧/ V.E.フランクル
 『悪童日記』を読みながら、フランクルの名著『夜と霧』のことを思い浮かべていました。フランクルは著名な実存主義の心理学者で、この本は彼がユダヤ人であったためにアウシュヴィッツの収容所に送られ、そこで経験した限界状況下での人間の記録です。収容された直後のショック段階、それから数週の収容所生活の後の、苦悩する者、病む者、死につつある者そして死者が当たり前の眺めになってしまい心を動かすことができなくなる無感動の段階、そして"この無感動こそ、当時囚人の心をつつむ最も必要な装甲であった"と彼は書いています。『悪童日記』のふたりが生き延びるために獲得したのも、この無感動であったことは興味深いところです。
 でも、この本が真に感動的であるのは著者を始めとする人々が、極限状況に置かれながらも人間としての尊厳を保ったこと、未来に対する希望をもちつづけたこと、愛する者の面影を常に心に抱いていたこと、そしてまさにそのことにより人間的な崩壊に陥らずに生き延びることができたということです。あるときフランクルは妻の面影をありありと思い浮かべ、愛についての認識を得ます。
 


夜と霧 '47
みすず書房 '61初版


 そのとき私の身をふるわし私を貫いた考えは、多くの思想家が叡智の極みとしてその生涯から生み出し、多くの詩人がそれについて歌ったあの真理を、生まれて始めてつくづくと味わったということであった。すなわち愛は結局人間の実存が高く翔り得る最後のものであり、最高のものであるという真理である。私は今や、人間の詩と思想とそして ― 信仰とが表現すべき究極の極みであるものの意味を把握したのであった。愛による、そして愛の中の被造物の救い ― これである。たとえもはやこの地上に何も残っていなくても、人間は ― 瞬間でもあれ ― 愛する人間の像に心の底深く身を捧げることによって浄福になり得るのだということが私に判ったのである。収容所という、考え得る限りの最も悲惨な外的状態、また自らを形成するための何の活動もできず、ただできることと言えばこの上ないその苦悩に耐えることだけであるような状態 ― このような状態においても人間は愛するまなざしの中に、彼が自分の中にもっている愛する人間の精神的な像を想像して、自らを充たすことができるのである。

 フランクルは、解放直後の心理状態である無感覚、非現実感にも触れていますが、最後に次の言葉でこの稀有の著作を結んでいます。

 
解放され、家に帰った人々のすべてこれらの体験は、「かくも悩んだ後には、この世界の何ものも・・・・・・神以外には・・・・・恐れる必要はない」という貴重な感慨によって仕上げられるのである。





3月20日
 プルーストの「失われた時を求めて」第2編 『花咲く乙女たちのかげに』を読み終えました。ちょっと休んでから、鈴木道彦訳で第3篇を読んでみようと思っています。というのも土曜日に初めて市の図書館に行ったところ、鈴木訳が揃っていたんですね。ちゃんと読む人がいるみたいで第1巻と4巻が貸し出し中でした(映画効果かな)。借りたのは、「悪童日記」/アゴタ・クリストフと「快読シェイクスピア」/河合隼雄・松岡和子です。「悪童日記」は、Hiroさんのおすすめ本で、「快読シェイクスピア」の松岡さんは、小田島雄志さんに続きシェイクスピア作品全訳中の方です。落語のテープやCDも結構あったので、別の機会にと思っています。

 フェイ・ウォンと彼女が出演した映画『恋する惑星』の紹介を追加しました。これから東芝EMIには、アルバム画像掲載について打診しますが、許可をもらえない場合には画像を外しますのでその節はご容赦を(なにせ新譜だからなあ)。その前の加古さんの場合のように回答がない場合がほとんどですが、おそらく黙認ということであろうと解釈しています。やまだ紫さんからは、励ましのメールを頂いて感激しました。
 著作権とは、著作権利者が有する"私的な権利"であって、著作権法とは絶対的な"取締り法規"ではないことを前提に(あくまで当事者間の事柄であって第三者が、いい悪いの判断をすることではないということ)、可能な限り権利者の承諾(事後承諾という形になってしまいますが)をもらうことを心がけて運営していきたいと思っています。ただ現時点では海外サイト・海外出版物からの転用については打診をしていません。ということですので当サイトから画像等を転載したい場合には事前に御一報をお願いします。





3月17日
 シェイクスピアの「十二夜」の紹介と関連する映画2作を追加しました。久しぶりに読んだけど、やはりシェイクスピアはいいですね。どっぷりとはまってしまいそうです。紹介した映画『恋におちたシェイクスピア』と『十二夜』もとても良かったです。特に『恋におちたシェイクスピア』のほうは、わき役や群集の扱いがとてもうまく、だいぶ以前に観て感激した蜷川幸雄演出の躍動感あふれる『ロミオとジュリエット』の舞台を思い出しました。
 この映画でも魅力的なキャラクターとして登場するエリザベス1世が王位につく前後を描いているのが、'98年の映画『エリザベス』です。エリザベス女王統治の時代に英国は、経済・文化の面で繁栄し、この時代を"黄金時代"と呼びますが、『恋におちたシェイクスピア』の時代は、40年間以上続いたこの時代の円熟期にあたります。

(映画『エリザベス』 '98 米 映画5シーン
 (監)Shekhar Kapur (演)ケイト・ブランシェット、ジョゼフ・ファインズ

 ヘンリー8世が亡くなり、英国は旧教(カトリック)と新教(プロテスタント)とに分裂した。王位についたメアリー女王は熱烈な旧教徒であり、新教徒を厳しく弾圧した(このため彼女は、Bloody Maryと呼ばれた)。彼女には子供がいなかったため王位継承権は、義理の妹で新教徒のエリザベスにあったが、メアリーは、エリザベスをロンドン塔に幽閉、その後は故郷の屋敷に閉じ込めた。メアリーが病気で亡くなり、エリザベスが女王に即位することになるが、当時の英国は、隣国スコットランドとの確執、宗教対立など問題は山積し、なおかつ旧教支持派の側近達の陰謀、結婚問題、ローマが送った暗殺者の存在があった。そんな苦難のなかで、唯一彼女の心の拠りどころは、恋人ロバート卿であったが....。
 権謀の渦巻く当時の宮廷の人間模様をあざやかに描写していると思います。結局エリザベスは、生涯結婚せず"処女王(Virgin Queen)"と呼ばれましたが、ラストの場面で流れるモーツァルトの『レクイエム』は、侍女に髪を切らせ、「私は英国と結婚しました」と言うエリザベスの女性としての命を絶つ哀しみを象徴しているようでした。



ブランシェットは、
ゴールデン・ブローグ賞の
最優秀主演女優賞を受賞



レクイエム K.626/ モーツァルト
(co)ベーム、ウィーンフィル '71年

モーツァルト最後の作品(未完)
かけがえのない演奏。"ラクリモサ"は絶品




3月7日
 プリムさんの"悲しみよ こんにちは"と、Luckさんの"あなたと夜と音楽と"のサイトへのリンクを追加しました。アイザック・ディネーセンの「Out of Africa」と関連する映画2作の紹介を追加しました。「失われた時を求めて」第2篇のだいたい半分を読みました。

 昨日のBSでジミ・ヘンドリックスのワイト島でのライブ演奏('70)を放映していました。彼が睡眠薬の飲みすぎで亡くなるおよそ20日前のライブということで、記録に残った生前最後の演奏となったものです。僕の高校時代のときのロックのアイドルは、ビートルズでもストーンズでもなくて(もちろん大好きでしたが)、ジミヘンとクリーム時代のクラプトンとピンク・フロイドでした。ジミヘン、クラプトンとも抜群のブルース・フィーリングの持ち主ということでは共通していたけど、ジミヘンのワイルドさは特別だった。モンタレイのポップ・フェスティバルで、ザ・フーのピート・タウンゼントが舞台でギターを叩き壊した後ステージに上がったジミヘンが、今度は演奏しながらギターに火をつけて燃やしてしまい観客のどきもを抜いたのは有名。このときの模様は、映像化されていて見ることができます。
ワイト島での演奏は、彼にとっては絶好調という感じではなかったけれど、久々の再会はうれしかった。

 「人はそれぞれ、自分のすべての抑制を開放できる場を持ってるんだと思うんだ。そしておれの場合はそれがステージだったんだ」
/ ジミ・ヘンドリックス






ページTOPへ              HOMEへ