8月28日 ペーパーバック紹介に「Grasshopper/バーバラ・ヴァイン(ルース・レンデル)」を追加しました。2000年の発表作ですが、邦訳はまだされていないようです。今年発表された「Blood Doctor」もペーパーバック化されているので、いずれ読んでみようと思っています。 これからは未翻訳作品の紹介に力を入れようと思い立ち、早速 "未翻訳作品紹介"ページを作りました(この辺までは、いつも速いんですが...)。我ながらいい心がけだと思うので、しばらくはペーパーバック読書の半分くらいは、新作紹介に充てようかなと考えています。これがおすすめとか、ご希望の作品などありましたら、広場の方へ寄せていただけるとうれしいです。 お盆休みに邦画2作品、「ユリイカ」と「ターン」をビデオで観ました。「ユリイカ」は傑作、「ターン」もよかったです。「ユリイカ」も紹介しようと思っていますが、まず今回は「ターン」を取り上げてみました。 ○ 映画「ターン」(2001) (監)平山秀幸 (原作)北村薫 (演)牧瀬里穂、中村勘太郎、倍賞美津子 (音)ミッキー吉野 透明に刻む、時の流れの水の中を、君はターンする。 「ターン」/北村薫 原作の小説「ターン」は大好きな北村さんの作品の中でも一番好きと言ってもいいくらいなので、映画の制作発表があったときから期待していました。当初の予定より公開が、ずっと遅れていたので気になっていましたが、昨年の10月に劇場公開されたようです。 映画を観ての印象ですが、原作のもっている香りなり、イメージなりをうまく、すくいとって映像化していて、とてもいいなと思いました。原作のあらすじは以前に書いていますが、主人公の真希がひとりきりの世界に取り残され、そこでの暮らしの描写が全体の中のかなりの部分を占めるので、映画化の成否は真希役の女優の演技に大きく左右されますが、その点で牧瀬さんは適役だったと思います。原作における真希は、そそっかしくて、ちょっと意地っ張りな面も弱さもあるけれど、姿勢正しく、まっすぐ前を向いて生きていこうという意志を持った凛(りん)とした女性として描かれていて、牧瀬さんの真希像はこうしたイメージに沿っていたと思います。真希は、"円紫さんと私"シリーズの"私"とともに、北村さん(男性です。念のため)が女性に対して抱いている理想像(期待像と言うべきか)の具現化ではないかな。 映像的には、真昼間の無人の交差点に立つ真希を撮ったシーンが見せ場でしょうが、こういう場面はやはり劇場のスクリーンで観たかったところです。それから、映画の中で真希がメゾチントという技法の銅版画を制作する場面が興味深かったことと、原作にはなかった植物園の熱帯温室や高級レストランでの真希と泉の仮想デートのシーンが映像を生かしたアイディアとして感心しました。 君は、スケッチブックを開いて、八角時計をいくつも描いていた。最後の方は文字盤だけになる。 という二人称の文章で始まる原作では、小説構造に仕掛けがあって、これにより真希と泉の関わりが単なる偶然の作用ではなく、運命的なものとして捉(とら)えられることになるのですが、映像的な演出が難しいということだと思いますが、この仕掛けは映画では取り入れられていません。作品全体にかかわる重要な点なので、うまく映像化出来ていれば、もっと素晴らしい作品になったと思うんですが、逆に破綻する可能性も大きいのかもしれません。 文庫版の「ターン」の解説を、こちらも僕がとても好きな作家の一人である川上弘美さんが書いていて、川上さんもこの作品が好きなんだなという事が伝わってくるうれしい文章でした。 北村薫さんの書く作品には、それぞれに人格があるように思えるのだ。ていねいで、周到で、かつおのおのの作品の特質をそなえた、さまざまな人格。 (中略) そして、最良の物語には、とらえどころのない、しかし私たちにとってひどく切実な、「者」を越えた存在が、かならず感じられるのであるから。 「ターン」とは、そういう人格を持った、驚くべき物語である。 新潮文庫「ターン」解説/川上弘美 川上さんは、この物語を少なくとも3度は読んでいます。僕も川上さんの文章に誘われて、3度目のターンをしようとしているところです。
8月22日 ロンドンで演劇の勉強をされているbakaraさんのサイト「ONE SONG」へのリンクを追加しました。bakaraさんのところには充実した「ハリー・ポッター」の原文解説ページがありますが、僕のところでも第4巻「炎のゴブレット」の紹介を追加しました。国内翻訳版の発売日は10月23日の予定となっています。 音楽関連で2件、ピアノ音楽紹介に今回の発表会で弾いた「フランス組曲第1番よりアルマンド」を、そして70年代J-POP紹介にYMOを追加しました。 「富嶽三十六景」などの作品で知られる江戸時代の浮世絵師、葛飾北斎と娘のお栄を描いた「応為坦坦録」/山本昌代 を読みました。山本さんが津田塾大学在学中に書いたデビュー作品であり、'83年の文藝賞を受賞しています。同じくこの親子の生き様を描いた杉浦日向子さんの傑作コミック「百日紅(さるすべり)」と、矢代静一の戯曲「北斎漫画」の映画化作品('81年新藤兼人 監督作品)も順次紹介の予定です。 ○「応為坦坦録」/山本昌代(河出書房新社 '84年初版 現在は絶版中) 絵を描く以外のことは、すっぱりと切り捨てて坦坦(たんたん)と生きていく葛飾北斎と娘お栄の姿を描いた作品です。タイトルの応為(おうい)とは、お栄の画号で、北斎はお栄に声をかけるときに、名を呼ばずに「オーイ」で済ませていて、だからお栄は画号を決める際、応為としたのだと書いています。もっともお栄のほうも、父親を「鉄蔵」と呼び捨てにしているので、親子でどっちもどっちなんですが。 「鉄蔵。桜餅買って来てやったぞーッ」 口のききかたが極めて粗暴なこの年かさの娘は、父親をつかまえてお父(と)ッつぁんともおッ父(と)うとも、ちゃんとも父(とと)さんとも、ましてや冗談にも父上などと呼んだ例(ためし)がない。小さい時分から、自分で気がついた時にはもう「テツゾー」と怒鳴っていた。鉄蔵も「テツゾー」と呼ばれて別に腹も立てなければ、「お父ッつぁん」と呼べとも教えなかった。 ここで描かれている北斎は84歳、二人目の妻との間に出来たお栄は40歳近くで、二人だけの長屋暮らしですが、どちらも金銭感覚が全くないので借金がたまり、いまだかつて掃除だの片づけだのをしたことがないのでごみもたまり、いよいよどうしようもなくなると夜逃げ同然の引越しをするということで、これまで90回あまりも引越しを重ねていました。この家には食器、箸(はし)といったものもなくて、三度の食事は近所の店から運ばせ、客が来ると近所の小僧を呼んで茶を入れさせるといった徹底したシンプル・ライフぶりがすごい。 お栄は25歳の時に水油屋の息子に嫁に行って、その日のうちに1泊もしないで戻ってきて、それっきりになっています。絵をたしなむ夫に見せられた絵をぼろくそにけなしたからでした。お栄は美人画では北斎よりも上手かったらしく、10年くらい前からは北斎が描きたがらない春画の代筆をまかされていました。ただ、実際の男と女のからみを見ないことには描けないと、お栄はなじみの老人を連れて吉原に行き、徹夜で隣の座敷でのあれこれを観察したのでした。これも何とはなくおかしい。 気がふれたようにものに入れ込むというのと、やはり気ちがいのようにスッパリとものに厭(あ)きるというのが一緒になった夕立のような気性を、お栄は知らず知らず鉄蔵から受け継いでいた。 「仙人になりたい」とお栄は思ったりします。仙人になれば、俗事を気にかけずに絵だけ描いていればいい、仙人になるのを諦めてからしばらくたつと、お栄は今度は観相と占いに凝ったり、次には大豆一粒一粒に目や口を描いたり、色を塗ったりして芥子(けし)人形を朝から晩まで憑かれたように作り続けたりします。またあるときには、急に刺青を彫ってみたくなり、有名な彫り師のところに行き、金が全然足りないので、竜の目だけ彫ってもらって帰り、そのことをすぐに忘れてしまう。 小さなことには気をかけず、大きな声にも耳を貸さず、たまった払いはその都度忘れ、この親子は、絵を描く以外には心を動かす術を知らないかのように、毎日毎日猫のように背中を丸めて、筆を握っている時だけ、魂の入った人並の顔つきになるのであった。 90歳となり、さすがの北斎も年には勝てず、いよいよというときにお栄は北斎に死期を告げ、北斎の葬式の後2,3日して、絵の道具とほんの少しの身の回りのものを持って姿を消します。その後応為という名は一向に聞かれず、絵を捨ててしまったのかどうか今となっては知る術はなく、そして "生きているうちに忘れられた人間は、死んだあとでは思い出しようがない" という言葉で、お栄の生と同様、たんたんとした語りのこの小説は閉じられています。
8月8日 3月5日から6月16日の期間、国立西洋美術館で開催されたプラド美術館展の展示作品を紹介しました。エル・グレコ、ベラスケス、ゴヤ、リベーラの作品がとくに印象に残りました。いずれマドリードで、今回見ることのできなかった名作群に会いたいと思っています。 "児童文学の名作をペーパーバックで" に「Little Women 若草物語」/オルコット を追加しました。映画化3作品も紹介しています。 6月以降、山本昌代さんの小説を6冊ほど読みました。いずれも中篇、短篇集でとても面白かったので、そのうちの何冊かを紹介していきたいと思っています。山本さんは1960年生まれで、津田塾大学在学中の83年に、葛飾北斎と娘のお栄を描いた「応為坦坦録」で文藝賞を受賞して作家デビューしています。 ○居酒屋ゆうれい/山本昌代(河出文庫 '94年初版 現在は絶版) 単行本は'91年12月刊行 この中編小説は、題材の新奇性、またその為でしょうが過去2度も映画化されているということもあって、山本さんの小説の中では最も知られていると思います。ストーリーは、古典落語の人情噺「三年目」に設定を借りています。参考までに「三年目」のあらすじを紹介してみます。 病で死ぬ間際の妻の願いを聞き、亭主は再婚はしないと誓う。ただ親戚やらの勧めを断りきれないこともあるだろうから後妻を貰ったら、婚礼の晩に幽霊になって出てきておくれ、そうすれば嫁は目を回して、あくる日は里へ逃げて帰るから、と亭主は妻に頼んだ。妻の死後、結局後妻をもらうことになった亭主は、初夜の晩に亡き妻が出てくるのを待っているが、結局現れなかった。次の晩も、その次の晩も待ったが出てこない。1年経って、2年経って、子どもも出来、もう約束のことなど忘れてしまっていたが、3年目の法事の晩に、やっと亡き妻の幽霊が出てきた。何でもっと早く出ないんだよ、と文句を言う亭主に、幽霊は言った。 「(困り果てたように)ご無理じゃありませんか」 「なにが無理なんだよ」 「(愚痴っぽく)わたしが死んだ時、ご親戚で坊さんにしたでしょう!・・・・・・」 「そりゃ親戚中集まって一剃刀(ひとかみそり)ずつ当てて、お前を坊さんにして棺へ納めた ・・・・・」 「ですから ・・・・・・ 坊さんでは愛想をつかされるから、毛の伸びるのを待ってました」 横浜の下町で居酒屋をやっている壮太郎は34歳。先妻のしづ子が病気で死ぬ間際に、決して再婚はしないと誓った壮太郎だったが、翌年には兄夫婦の紹介で27歳の里子を後妻に迎えた。約束を破って新妻をもらった壮太郎に怒ったしづ子が、ある晩二人の前にゆうれいとなって現れ、壮太郎の不実を責めた。 「あんた、あたしが死ぬ前の晩に、自分がいったことを忘れたの。俺はお前の他にはもう女房は持たないって、そうはいわなかったかい。で、あたしは、嘘だろうと思うから、そんなこたァ嘘だろっていったんだ。そしたらあんたは、嘘じゃねえ、絶対に嘘じゃねえって。だからあたしは、いったんだよ、もし嘘だったらきっと化けて出てやるって」 最初は、毎夜のゆうれいの出現の度に動転していた二人でしたが、成仏するようお寺で供養のお経をあげてもらったり、生前しづ子が大の苦手としていた犬を飼ったりしても効き目がなく、度々出てくるしづ子のほうも恨みがましい様子もないようで、そんなこんなで次第に里子はしづ子に、なにやら姉に対するような親密な感情を覚えるに至り、長年一緒に暮した亡き妻への未練もまだ残っているのか、壮太郎も「まあいいか」といった心境になっていくのでした。 スースー、スースー、と替わりばんこに、二人の女が心地よさそうな寝息を立てるのを、耳のそばで聞きながら、壮太郎は寝返りを打った。こうなってはもう、悔しがるのもがっかりするのも自棄(やけ)になるのも、何もかも馬鹿馬鹿しく感じられたし、馬鹿馬鹿しいと思うこと自体、何だか馬鹿馬鹿しいような、そんな気がした。 こいつらは明日からまたベタベタくっついて、前にも増して仲よしになるのだ。まあいい、勝手にさしておけばいいんだ、どうせこっちの知ったことではないのだから。壮太郎は鼻を鳴らした。そしてモゾモゾと押入れの方に向き直って、首まですっぽり布団を被(かぶ)ると、自分でもあれと思うくらいすぐさま眠気がさして、明くる日の昼過ぎまで夢も見ないでぐっすりと眠った。 ゆうれいという非現実的な題材を扱いながら、それによってことさらストーリーを盛り上げようとはせず、傍らにゆうれいがいることが日常化した生活をあくまで淡々と描いているところが山本さんの真骨頂のようです。どこかに、こんなとんでもない現実を抱えて何気なく生活している人たちがいたりするんではないかとふと思ったりします。 どんなに大きな出来事でも、境遇の急激な変化でも、それが常態化することにより日常化という風化作用を免れることはできない、ということを確かに納得させられる小説です。人間の順応性を称えるべきか、哀しむべきなのかよくわかりませんが。
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