'02 2月 2月20日 アンビエント・ミュージック(環境音楽)で知られるブライアン・イーノ、世紀末の作家オスカー・ワイルドの「ドリアン・グレイの肖像」と彼の伝記映画の紹介を追加しました。それから大好きな作家の湯本香樹実さんの映画に関するエッセイ「ボーイズ・イン・ザ・シネマ」に因(ちな)んだ企画を始めました。第一弾は「ギルバート・グレイブ」で、これはとても好きな映画です。 「背教者ユリアヌス/辻邦生」を読み、今はペーパーバックで「指輪物語 第1部」を再読しています。 美術関連のリンクとして、2つのサイトにリンクさせていただきました。まず、バルビゾン派のコレクションで有名な地元の美術館「村内美術館」。"美術館のページ"のトップ・ページにもイヴェント情報など掲載していきたいと思っています。今年はこちらの会員になったので、月に最低1度は出かけて行って、展示されているルソー、コロー、クールベ、ルノワール、モネとかデュファイなどの作品を思いの上では"私物化"してしまいたいと密かに目論んでいます。 もうひとつのサイトは、美術評論家の井出洋一郎さんのサイト「ミレーとバルビゾン芸術」です。井出さんは、多くの著書を出されていて、僕が読んだのは一般向けの美術ガイドとして書かれた「美術の森の散歩道」と「美楽 極楽のこころ」でしたが、どちらもとても楽しく読みました。 ○「美術の森の散歩道」、「美楽 極楽のこころ」/井出洋一郎 美術館の学芸員による展示室での案内や作品説明を指した言葉「ギャラリートーク」のスタイルをとり、わかりやすく、かつ読者の興味をそらさない文章で、タイトルにも"美楽"とあるように、井出さんの"美を楽しむ"姿勢が伝わってきます。 私は美術をしかつめらしく語るのが大嫌いなのである。だいたい、「美術」という訳語も好かない。その点で音が純粋に楽しめる「音楽」がうらやましい。今から「美楽」(びらく)という新語をはやらせたいと思っている。 「美術の森の散歩道」あとがき 「美術の森の散歩道」は、モネ、ミレーに始まりピカソ、ロートレックまで10数名の画家たちについてのギャラリートークがメインで、ミレーの場合の女子大生との対話とか、ダ・ヴィンチの章ではモナ・リザ窃盗犯への仮想インタビューなどもあって楽しいです。一方の「美楽 極楽のこころ」では、モローのサロメ、ワイエスのクリスティーナなどの"愛すべき女たち"、ルソーの植物やモディリアーニの長い首など"画家とモティーフ"についてなどのギャラリー・トークとなっていて、こちらもとても興味深い内容です。 井出さんは、大の音楽ファンでもあり、美術と音楽との関わり合いについても多く触れていて、たとえば画家フリードリッヒとブルックナー、マーラーとクリムト(以上「美術の森の散歩道」)、また「美楽 極楽のこころ」では、4つの章のうち、1つを"絵画と音楽の出会い"として、ドロクロワとショパンを始めとする話題を取り上げています。ショパンの『24の前奏曲』についての個所; 世評の高いポリーニ盤を好きになろう、きっと良いはずだと思って、半月間毎晩聞き込んだのですが、やっぱり私には縁がないと知りました。 僕も、ポリーニの弾くショパンの『練習曲集』で同じような経験をしたので、読みながら共感したのでした。テクニックの完璧さに圧倒されるけど、どうも好きになれないというところがあったんですね。ショパンの前奏曲集に関しては、僕もコルトーやアルゲリッチの演奏が好きだけど、たしかにアルゲリッチはドラクロアの描いたジョルジュ・サンドを連想させますね。 "結局、芸術に好き嫌いはあっても、どっちが偉いかという優劣なんて無意味なんです" という井出さんの言葉に意を強くして、これからも自分の好みのおもむくまま(でも、あまりに脈絡がなさすぎるんじゃないの、と言う声が聞こえてきそうだけど)、絵画を見たり、音楽を聴いたり、本を読んだりしていこうと思っています。
2月10日 福永武彦、中原中也ファンの、もも天さんのサイト「カイの古本箱」のリンクを追加しました。 パリの散歩者ジャック・レダの『パリの廃墟』を紹介していますが、東京の町の散歩愛好者として、まず思い浮かぶのは、永井荷風。 夕風も追々寒くなくなって来た或日のことである。1軒1軒入口の看板を見尽くして公園のはずれから千束町へ出たので。右の方は言問橋左の方は入谷町、いずれの方へ行こうかと思案しながら歩いて行くと、40前後の古洋服を着た男がいきなり横合から現れ出て、 「檀那(だんな)、ご紹介しましょう。いかがです。」と言う。 『墨東綺譚』/永井荷風 より この40前後の男は、俗にいうぽん引きなのでした。僕の好きな川本三郎さんも現代を代表する散歩者のひとりとして、何冊かの本を書いています。『雑踏の社会学』、『ちょっとそこまで』、『東京つれづれ草』、『東京残影』など。「町歩きの一番の楽しみは何ですか」という質問に川本さんは以下のように答えています。僕もたぶん同じなんだろうと思います。 私にとって、都会生活の一番の魅力は匿名の個人になれる心地よさなんです。だから、散歩といっても周りじゅう知っている人ばかりの自分の家の近所を歩くというのはいやで、全く知らない町に行って、知らない居酒屋で酒飲んでるっていうのがたまらなく好きなんです。一人になれるのが都市生活の最高の贅沢だと思うから、一人になるために町を歩いているともいえます。 『東京残影』/川本三郎 より ○「パリの廃墟」(1977)/ジャック・レダ(訳:堀江敏幸 みすず書房 '01年初版) この世の目的はたったひとつ、休むことなくみずからを輝かせることだ、そう、絶望のなかにおいてまで。 ジャック・レダは、1929年生まれのフランスの詩人。ジャズ・ファンの彼は、2000枚以上のCDを所有し、そしてウディ・アレンの映画を愛し、熱狂的なケルアック・ファンでもあります。「パリの廃墟」が彼の散文による最初の作品とのことですが、詩と散文が融合したこの作品はどこから読んでもいいし、どこで本を閉じてもいい。文章から立ちのぼるイメージを反芻しながら読むのがふさわしく、一気に読んでしまうには、あまりにもったいない書物なのかもしれません。堀江さんによる翻訳もおそらくは原文の香りをそこなわないこれ以上は望めないものであると思います。 彼はひたすらパリを歩きます。異端の散歩愛好者として。トゥルネル通りを、デヌエット通りを、メーヌ通りを、リュクサンブール公園を、コンコルド広場を、エトワール広場からアルマ橋を、舗石を敷きつめた埠頭を、ロン=ポワンの雑踏を....... それからまた、私は歩きはじめる。歩いている男に絶望は存在しない、ただ本当に歩いてさえいれば、そしてたえず振り返っては他人とつまらぬおしゃべりに興じ、同情し、目立とうとするのでなければ。 小刻みに震える工事現場の蒼鉛色の泥のなかを、ひどく黒ずんだ鉄橋に通じる階段を、ベルヴィル通りの、すっかりならされた廃墟のなかを、水門と薄暗い暗渠が口を開けているほうへ、通りがかりに石のあいだで端々しい輝きを放つ、こぢんまりと密生する草々に手を触れながら彼は歩いていく、ルソーの彫像の裏のパンテオンに沿って...... かくて私は歩みをつづける、ピチカートで。私は幸せなのだろうか? 悲しいのだろうか? なにかの謎に、意味にむかって歩いているのだろうか? あまり考えすぎないことにしよう。私はもはや、希望のごとく張りつめ、愛のごとく満ち足りた、あの基本和声のふるえにすぎないのだから。 ○「子午線を求めて」(2000)/堀江敏幸 堀江さんの「現代詩手帖」への連載を軸にした散文集です。あとがきの中で堀江さんは、これらの散文が、"書き終えてみるまでは自分がなにをしようとしているのか、どこへ行き着こうとしているのか、まったくわからなかった"、と書いています。ジャック・レダがそうであるように、堀江さんもフィジカルな面だけでなく、思考の上でも自由な散歩者としての素質を持っているのだと思います。 現在のグリニッジ子午線(経度の基準線)が使われる以前には、パリ天文台の上を通過するパリ子午線があって、この不可視の線に沿って、現代のオランダの芸術家ヤン・ディベッツが直径12インチの銅盤135枚を埋め込み、ジャック・レダが、これらの指標をたどる旅を『パリ子午線』(1996)と題された散文として刊行し、さらにレダに触発された堀江さんが彼のルートをたどるいきさつを書いたものが標題の散文です。 堀江さんは「パリの廃墟」の翻訳を通じて、ジャック・レダと知己を得ていて、70歳に近いこの詩人とパリで会い、ともに散策に繰り出すことになります。パニョレ通りの古い駅舎を改造した店のテラスでワインを飲みながらの会話のなかで、翻訳中の「パリの廃墟」についての話題が出ます。 あの本は、まだ勤めを持っていた時分、1ヶ月に2篇づつと決めて書いたもので、完成までに3年を要したとレダは言う。10年間で2千部しか売れなかったのに、ガリマール社の有名な≪ポエジー叢書≫に入ってからは1万部も売れた、この叢書ならなんでも揃えておこうという奇特な読者がいるからだと彼は笑うが、詩集の1万部は誇りを持っていい例外的な数字だろう。(「子午線を求めて」から) 結局堀江さんが発見できた銅盤は数十個、かつてレダが見つけた120個以上に比べると"情けない成績"となりました。 この散文の他には、ボンファンのクレー論と小説についての「空虚の輪郭」をはじめ、トラッサール、サヴィツカヤ、アルラン、ピュジャッド=ルノー....など残念ながら僕は名前も聞いたことのない多数のフランス語圏の作家たちの作品(おそらく日本ではほとんどが未翻訳)が紹介されています。とくに、郊外という視点からとらえたプリュドンやフランソワ・ボンなどのロマン・ノワール(犯罪小説)作家と、彼らが賞賛するセリーヌとの連関についての論考は本書の中心を占めるもので、郊外に思いを抱く堀江さんらしいものです。 工場が民家に入り込み、あるいは工場と工場のあいだに民家が入り込み、煤けた路地と大雑把なブルヴァールが延び、墓地にしか木々が繁らず、どこにも中心のない場所、それがセリーヌの郊外なのである。(中略) 「どうにでもなれ」と「なんとかしてくれ」のあいだで揺れるセリーヌの郊外は、ついにその間隙を埋めることのないまま、1970年代末から80年代初頭にかけて勢いを取り戻したあたらしい「闇」のなかに、遅ればせの継承者を見出すだろう。(「セリーヌとロマン・ノワールのための序章」から)
2月6日 ○お知らせ 懸案だった著作権関連の対処を完了しました。結果として、画像の大幅な削除または差し替えを行い、残した画像については、assosiate先の画像の掲載を認めているamazon.com(日・米)とCD NOW(米)の該当画像掲載ページにリンクさせました。これらのリンクにより、情報量としては大幅に増大したのではないかとか思います。 なお、associate契約により、当サイト経由で商品を購入すると5%程度の紹介料(1万円の購入で500円)が僕のところに入ることになりますが、営利が目的の処置ではありませんので、お気遣いは不要ですのでよろしくお願いします。収入はプールし、何らかの形でご覧の方に全額還元したいと考えていますので、ご理解お願いします。 MIDIの音楽著作権(加古隆、吉松隆作品などのピアノ演奏)の件で、JASRAC殿に許諾申請をし、著作権についてアドバイスしていただいていましたが、今回の処置により、広告料等の収入のあるサイトというカテゴリーに入ってしまい(!)、最低料金:年6万円(収入がなければ1万円で済んだのに!)をJASRAC殿に対し支払う必要が生じ、これは当方の負担の限界を超えているので、残念ながら該当するMIDIを外す処置としました。JASRAC殿のおかげで、延び延びにしていた著作権対応処置を思い切ってできたので、この点では大変感謝しています。この場を借りて対応していただいた担当の方にお礼申し上げます。 なお、改装のため、あちこちバグが出ている可能性がありますので、お気づきの点は連絡していただけると大変助かります。 2月2日 『Anil's Ghost アニルの亡霊』/オンダーチェと、『パリの廃墟』/ジャック・レダ、それと『森の中の海』/宮本輝 を読みました。宮本さんの本は『草原の椅子』以来だったけど、宮本節は健在、『草原の椅子』も読み返してみたい。紹介したいと思っている本が何冊かたまってしまったので、この機会に大作『背教者ユリアヌス』/辻邦生 に取りかかろうかなと思っています。そういえば昨年は、こういうときにプルーストを読んだんでした。しかし動機が不純な読書だな.... ○「森の中の海」(2001)/ 宮本輝 希美子は、遠くから何かが押し寄せてくる音を聞いた。何百頭もの馬が自分に向かって走って来るようでもあったし、地中の洞窟から気味悪い呪文が沸き起こったようでもあった。 妙な不安を感じて耳を澄ました瞬間、大音響とともに、希美子は蒲団と一緒に空中に放りあげられた。近くに飛行機が落ちたのか、ダンプカーが家に突っ込んできたのかと思うまもなく、希美子の体は前後左右に大きく揺れた。 西宮に住む30代の主婦である希美子は、阪神大震災に見舞われ、九死に一生を得て助かりますが、震災を契機に今まで平穏だった彼女の人生が激変することになります。被災後の混乱の中で夫の愛人の存在が明らかになり離婚を決意した希美子は、知り合いの老婦人の遺言により彼女に遺された奥飛騨の山荘に移り住み、震災で両親を亡くした近所の三姉妹と、姉妹を頼ってやって来た様々な問題を抱える7人の少女達、合わせて10人の孤児達と共に、山荘で共同生活を始めることになります。 従順な妻、二人の子供の母としての平穏な日常にさしたる不満も無く暮していた希美子は、震災後の混乱の中で経験した恐れ、悲しみ、憎しみ、喜びの深い感情を通じて、周囲を、そして自分自身を見つめ直し、これからが自分の人生の本番なんだという思いを抱くに至ります。 希美子や心に傷を負った少女達を癒してくれたのが、奥飛騨の森の中に立つ直径が1メートル以上もある巨木でした。タイトルの"森のなかの海"は、この巨木をひとりの少女がターハイ(大海)と名づけたことに由来しています。ターハイは、何百年も前に楠(くすのき)の若木に若い藤蔓(ふじづる)が巻きつき、一緒に成長していって、それぞれが生きようとして相手を包み込み、呑みこみ、またさらにその上から巻きつき、お互いを呑み込むように成長し、やがて共存しあって一本の巨木と化したものでした。希美子や少女達は、この巨木が発散する圧倒的な生命力に触れることにより、生き続ける希望と勇気を与えられたのだと思います。 「すべてを受け入れて動じず・・・・・」 希美子は湿ったターハイの木肌に手を押しつけて、父がターハイを表現した言葉をつぶやいてみた。 「すべてを包み込んで動じず・・・・・」 こんどは別の言い方をしてみた。ターハイには、後者のほうがふさわしい気がした。 いつか自分もそんな人間になりたい・・・・・。 希美子はそう思った。 陶芸家に弟子入りしたマフウを始めとする少女達の動向、皆で始めた炊き込みご飯屋のその後、元警察官のゲンキが連れて帰って来たネパール人の嫁さんと希美子との交流など、宮本さんは続編を想定しているのではないかという気がします。何年か後には、さらに成長した彼女らと再会できることを期待したいと思います。
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