PAPERBACK GUIDE 

 Michael Ondaatje
(1943 - )

 マイケル・オンダーチェ


 スリランカ(セイロン)のコロンボの生まれ。11歳のときにイギリスに渡り、19歳のときにカナダのモントリオールに移住し、トロント大学とクイーンズ大学で学び、1971年よりトロントのヨーク大学で教鞭をとった。彼は文学者としてのキャリアを詩人としてスタートし、その後小説も書くようになった。1992年に発表した「The English Patient/ イギリス人の患者」は英国最高の文学賞であるブッカー賞を受賞している。



I don't see novels ending with any real sense of closure. I see the poem or the novel ending with an open door.
/ マイケル・オンダーチェ


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1. The English Patient/ イギリス人の患者(1992)
   難易度:☆☆  英ブッカー賞受賞作品

 
第2次世界大戦末期のイタリアのフィレンツェ郊外の屋敷(かつては尼僧院だったが戦争中は野戦病院として使われていた)が舞台となっています。
 アフリカの砂漠で全身に火傷を負い、瀕死の状態でベドウィンにより運ばれて来た身元も容貌も不明の患者と、動かせない彼を看護する為、全部隊が引き上げた後も屋敷に留まっているカナダ人の若い従軍看護婦ハナ、彼女の居場所を知りローマからやって来たハナの父の友人で、スパイ容疑でドイツ軍に捕まった際に両親指を切られたカラバッジョ、そして地雷処理任務の為村に駐留しているインド出身の若い工兵キップ、この4人はそれぞれに大事なものを失ったことから心に傷を負い、未来への希望をも失っていて、そんな彼らの孤独な内面が、そして各人の過去の記憶と現在とが互いに交錯しながら、やがて共感へと向かう数ヶ月間が詩的な文体で語られています。戦争が背景の物語でありながら、全体が静寂に包まれている印象を受けるのは、この屋敷の中での時間の流れが未来ではなく、過去へと溯っていることが一つの要因になっている気がします。

 4人の中では、若い二人ハナとキップにとりわけ焦点が置かれています。ある日キップが屋敷の周りで大きな地雷を見つけ、彼が信管除去を行なう間、ハナにワイヤを手に持ってもらっていた。危険な作業が終わり、緊張が解けたハナは、キップに言った。「死ぬのかと思った。いっそ死んでしまいたかった。もし死ぬのなら、あなたと一緒に死にたいと思った。私と同じくらい若いあなたのような人と....... 死ぬ前に、あなたを抱いて、一緒に眠りたいと思った。..... キップ、私はもう疲れてしまったわ。眠りたい、この木の下で眠りたいの。目をあなたの鎖骨に押し当てて、他のことを何も考えることなく目を閉じていたい。木の上にちょうど良い場所を見つけて、そこにもぐり込んで眠りたい

 "I thought I was going to die. I wanted to die. And I thought if I was going to die I would die with you. Someone like you, young as I am, I saw so many dying near me in the last year. I didn't feel scared. I certainly wasn't brave just now. I thought to myself, We have this villa this grass, we should have lain down together, you in my arms, before we died. I wanted to touch that bone at your neck, collarbone, it's like a small hard wing under your skin. I wanted to place my fingers against it. (中略)
 I am so tired, Kip, I want to sleep. I want to sleep under this tree, put my eye against your collarbone I just want to close my eyes without thinking of others, want to find the crook of a tree and climb into it and sleep. ...."

 やがてイギリス人の患者の告白から彼の素性が明らかになります。ヘロドトスの「歴史」を信奉する孤独な砂漠探検家であった彼にとって、同僚の妻キャサリンへの愛の前には、戦争も国籍も何の意味も持たなかった。
 砂漠でのキャンプで、キャサリンが皆の前で「歴史」からギュゲスと王の后の姦通の物語を選んで朗読し、顔を上げたとき、運命は定まり私は恋に落ちた、言葉は力を持つんだ、と彼はカラバッジョに語った。

 She stopped reading and looked up. Out of the quicksand. She was evolving. So power changed hands. Meanwhile, with the help of an anecdote, I fell in love.
 Words, Caravaggio. They have a power.

 詩的イメージに富み、しかも感傷に陥らない文体が特徴的なこの小説と、逆に大メロドラマの映画化作品とは別のものと考えたほうがよさそうです。といっても、小説も映画もどちらも素晴らしく、おすすめであることに違いはありません。

(関連絵画
○サン・フランチェスコ聖堂(アレッツォ)
 キップが老中世学者を聖堂に連れて行き、滑車とロープを使って彼を宙に浮かせて、発光灯で照らした壁のフレスコ画を至近から見せる場面がありました(映画では、同様にしてハナに教会の壁画を見せるシーンがあった)。老学者を下ろした後、今度はキップ自身の体をドームの人工の空の深い青の中に浮かせます。そして手を伸ばし、シバの女王の巨大な首に触れます。

 He lit a flare for himself and hoisted his body up into the dome within the deep blue of the artificial sky. He remembered its gold stars from the time he had gazed on it with binoculars. Looking down he saw the mediaevalist sitting on a bench, exhausted. He was now aware of the depth of this church, not its height. The liquid sense of it. The hollowness and darkness of a well. The flare sprayed out of his hand like a wand. He pulleyed himself across to her face, his Queen of Sadness, and his brown hand reached out small against the giant neck.
 

シバの女王とソロモンの会見(部分)
ピエロ・デラ・フランチェスカ
フレスコ、1454-1464頃
336×747cm
クリックでArtchiveの
拡大画像が見られます。

○システィナ礼拝堂(ローマ・ヴァチカン)
 キップを含む兵士達が、ローマにたどり着き、システィナ礼拝堂で戦闘用の照明燈を使って暗闇の堂内を照らし、天井一面に描かれたミケランジェロのフレスコ画を眺める場面があります。

 And the sergeant released the catch of the flare and held it up in his outstretched arm, the niagara of its light pouring off his fist, and stood there for the length of its burn like that. The rest of them stood looking up at the figures and faces crowded onto the ceiling that emerged in the light.
システィナ礼拝堂
(ローマ、ヴァチカン)

絵画サイト Artchive
により以下が見られます。
Courtesy of Artchive


(映画)The English Patient/ イングリッシュ・ペイシェント(米 '96)
(監)アンソニー・ミンゲラ (演)レイフ・ファインズクリスティン・スコット・トーマスジュリエット・ビノシュウィレム・デフォーコリン・ファースナヴィーン・アンドリュース

 
「君の幸せなときは?」 「今よ」
 「君の不幸なときは?」 「それも今......」


 この作品は1996年度のアカデミー賞9部門のオスカーを獲得しています(作品賞、助演女優賞(ビノシュ)、監督賞、撮影賞、編集賞、美術賞、衣裳デザイン賞、オリジナル作曲賞、音響賞)。
 冒頭場面の複葉機の砂漠への墜落、炎上により全身に火傷を負いながらも一命をとりとめた砂漠の探検家アルマシーが、若い看護婦ハナの看病により少しづつ記憶を取り戻し、同僚の妻であったキャサリンとの悲劇的な恋愛を回想していきます。原作ではハナと若いインド人の工兵キップの関わりが中心となっていましたが、映画では焦点をアルマシーとキャサリンの大人の恋に移す事により、結果として原作に比べ、よりメロドラマ色の濃い作品となっています。

 Her hand touched me at the wrist.
 "If I gave you my life, you would drop it. Wouldn't you?"
 I didn't say anything.


(原作より)
キャサリンの手が私の手首に触れた。
「私の命をあなたにあげたとしても、あなたはそれを捨ててしまうんでしょ?」
私は何も言わなかった。
 
 所有する事、所有される事を何よりも憎みながらもキャサリンとの約束を守るため全てを犠牲にしたハンガリー人の伯爵アルマシー、それとは対照的に、愛するものが皆死んでいき、新たに愛することへの恐れの中でアルマシーやキップとの交感により心を回復していくハナ。そんな二人を演ずるファインズとビノシュがとてもよかった。この二人は「嵐が丘」でも共演していました。
 映画では、カラッバッジョが実は偽名で、アルマシーを殺す目的でやって来たかつての同僚ムースであるという設定が原作と異なっています。舞台となるアフリカの砂漠や古代人が描いた壁画が残る砂漠の洞窟、イタリアの情景など映像の美しさ、それとアフリカ音楽を盛り込んだ美しいBGMも印象に残りました。
 崩れ落ちた建物の中にあったピアノでハナが弾いていたのはバッハの「ゴルトベルク変奏曲」でした。探検家アルマシーは実在の人物で、彼が探検した"泳ぐ人の洞窟"も実在しています(映画で使われた洞窟はセットです)。

   Filmography links and data courtesy of The Internet Movie Database.
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2. Anil's Ghost/ アニルの亡霊(2000)
  難易度:☆☆

 'I wanted to find one law to cover all of living. I found fear ... '
 「生きるものすべてを支配する法則を見つけたかった。そしてそれは...恐怖だった...」
(サラスの言葉)

 内戦に揺れるスリランカが舞台。1980年代半ばから1990年代初めにかけてのスリランカでは、政府軍、南部の反政府組織、北部の分離派ゲリラ、これらの勢力が三つ巴(どもえ)となって争っている状況にあった。
こうした内戦下、公にされない大量殺戮が行なわれているとの情報の真偽を調査する為、ジュネーブの人権センターから、スリランカ出身の女性法医学者アニルが派遣された。18歳で国を離れてから15年ぶりの帰国となったアニルと、彼女と共に調査することになったコロンボの考古学者サラスは、政府関係者しか立ち入れない政府管轄区域内の発掘で、古代の人骨3体の他に、最近、別の場所から運ばれてきたらしいもうひとつの新しい骨を発見する。 アニルとサラスは発見された4体の白骨に、マザーグースにちなんで、"Tinker 鋳掛け屋"、"Tailor 仕立て屋"、"Soldier 兵士"、"Sailor 水夫" と名付けた。 問題の第4の白骨"Sailor"を前にした二人の会話から;

 この白骨が殺人の被害者であり、政府関係者だけが行ける場所で見つかったことから、政治に関連した殺人を証明できるというアニルの主張に対し、サラスは死体なんか国中で何千と埋まっているさ、と議論をはぐらかそうとする。

 'This is a murder victim, Sarath.'
 'A murder ... Do you mean any murder ... or do you mean a political murder?'
 'It was found within a sacred historical site. A site constantly under government or police supervision.'
 'Right.'
 'And this is a recent skeleton,' she said firmly. 'It was buried no more than four to six years ago. What's it doing here?'
 'There are thousands of twentieth-century bodies, Anil. Can you imagine how many murders ―'
 'But we can prove this, don't you see? This is an opportunity, it's traceable. We found him in a place that only a government official could get into.'

 しなやかな精神と身体を持つアニル、そして彼女にとって味方なのか判然としないサラス、彼の弟で内戦による傷病者の治療に専心する医師のガミニ、サラスのかつての師で、視力を失い姪の少女と森に暮らすバリバナ、それに白骨から頭部を再現しようとする仏像の絵師アーナンダ。
 これらの主要登場人物の中では、やはりアニルのキャラクターの造形が際立っていて、かつ魅力的です。少女時代、水泳の選手として有名で(いまだにそのことを、帰国後会う人毎に言われて、くさっている)、兄のミドルネームだった"アニル"を強情を張りとおして奪ってしまった10代のアニル、結婚、離婚、報われぬ愛を経験した成人後のアニル、そしてイヤフォンが外れないようスカーフをきつく結び、朝の外気の中で踊る現在のアニル。

 A scarf tied tight around her head holds the earphones to her. She needs music to push her into extremities and grace. She wants grace, and it happens here only on these mornings or after a late-afternoon downpour ― when the air is light and cool, when there is also the danger of skidding on the wet leaves. It feels as if she could eject herself out of her body like an arrow. 
 

 スリランカのなにもかもが不可視の闇の中で、サラスやガミニやアーナンダらは、それぞれが心の中にも闇を、そして亡霊を抱えて生きていることが見えてきます。そしてアニルもまた、これからの道のりを彼らと同じように亡霊とともに歩んでいくことになるのでしょう。


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(次回紹介)Divisadero/ディビザデロ通り(2007)

内容(「BOOK」データベースより)
血のつながらない姉妹と、親を殺された少年。一人の父親のもと、きょうだいのように育った彼らを、ひとつの恋が引き裂く。散り散りになった人生は、境界線上でかすかに触れあいながら、時の狭間へと消えていく。和解できない家族。成就しない愛。叶うことのない思いが、異なる時代のいくつもの物語を、一本の糸でつないでいく―。ブッカー賞作家が綴る、密やかな愛の物語。


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○ 関連出版リスト : amazon. com.(洋書和書

○ 参考資料
 ・マイケル・オンダーチェ(Wikipedia)
 ・Michael Ondaatje(Wikipedia 英語)

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○ 主要 作品リスト

  • The Dainty Monsters (1967):詩集
  • The Collected Works of Billy the Kid/ ビリーザキッド全仕事(1970):詩・散文
  • Coming through Slaughter/家族を駆け抜けて (1976)
  • There's a Trick with a Knife I'm Learning to Do(1979):詩集
  • Running in the Family (1982):回想録
  • In the Skin of a Lion/ライオンの皮をまとって (1987)
  • The Cinnamon Peeler (1989):詩集
  • The English Patient/ イギリス人の患者(1992)
  • Handwriting(2000):詩集
  • Anil's Ghost/ アニルの亡霊(2000)
  • Divisadero/ディビザデロ通り(2007)




 
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