不定期日記 3

9月26日(火)

不定期日記ですが、小山BBSい移動いたします。

無期休止ということで、HP開設以来、6年。

ありがとうございました、またBBSのほうで、よろしくお願いいたします。

9月16日(土)

うわ〜1ヶ月ぶりの更新です。

MIXIとBBSへの書き込みで手一杯です。

北海道へ旅行しました。

夏のロックフェスが、ケーブルTVで開いてきました。いけなかった分、たっぷり楽しみます。

8月21日(月)

東映アニメーション36時間、ビデオに撮りました、やはり、009、タイガーマスク、サリー、鬼太郎は、圧巻でした。アニメが「社会派」だった時代。みてるだけで、何か、内なるものが燃えてきます。

涙もでました。

毎日、資料さがしに右往左往しています。

8月11日(金)

まぐまBBSと個人BBSを作成しました。MIXIの日記は2日に1回アップしてますので、ますますこの日記コーナーは遠のいていくばかり。

夏休みだというのに、原稿依頼があいつぐ。他のライターさんが休みなので、こちらに廻ってくるのもある。とりあえず、断らない。すべてお受けする。これで、いざというとき、こちらの原稿融通もきいてくださるかな?

さて、もうそろそろ、ヒッキ−は一段落して、暑い夏にとびだそう。

7月18日(火)

20日で、講義日程が終了。8月、9月は読書と執筆に専念できるので、もうすぐ。

久しぶりに、1週間くらい旅行にいきたい。北海道の予定。

今年は、後半までに、共著1冊と単著を1冊だしたいところだが、なかなか遅筆で右往左往。

10月からは、社会人向けの講座にも参加予定で、興味関心はひろがるばかりで、時間配分をどうするかが課題。

まあ、気分しだいということ…。

かつては、夏休みといえば、ボーナスがでて、懐わくわくでしたが、自由業は、夏休みは、文字どおり、仕事がないので、収入がないという…。しかし、仕事はいれたくないような、いれたいような。

7月11日(火)

社会文化学会、夏季研究会終了。ジェンダーバッシングにみえてくる日本の遅れた「社会意識」を、頭ごと変えようなんていうのは無理。セクシャルマジョリティも、セクシャルマイノリティも、いかにしたら、楽に生きられるか?。個を大切にしながら、豊かなコミュニティをまとう「戦略」が必要。

まずは、男性中心社会をどう安楽死させるか。次に学校化社会をどう冬眠させるか?最後に企業中心社会をどう崩壊させるか?

学校社会、企業社会への帰属意識が、ホモソーシャルな男子社会によってすりこまれ、男らしさの植付けと業績競争が、点数化された学校化社会によって自明のものとされる。そして、その結果、過労死しそうになるまで長時間労働を無自覚に受け入れる体制ができあがる。

すべては、助け合って生きれば、ラクになるという発想が欠落している。競い合うばかりでは疲弊し、助け合う生なる声の積み重ねによってしか、社会構造は変わらない。

専業主婦+長時間労働夫から、働く主婦+時間内労働夫で、まずラクになる。もちろん、年収1000万円の夫であれば、専業主婦でもよいであろう。その逆もまたしかり。

ここから、次の「社会」の構造が生まれるのだろう。

問題は、共働きでも年収が安いこと。大手企業に務める夫婦の年収は、軽く1500万円を越え、公務員の夫婦の年収は、1000万円を越える。

非常勤時間内労働夫とパートタイマー主婦の年収は、二人で380万円だ。

過労死しそうになるまで働かされる職場を捨てて、人生の大切な時間を主体的に選択できる人生に間違いはない。ただ、食うのには大変だけど。やはり、政治が悪いとしかいいようがない。そしてこの産業構造を維持するためにしか機能しない保守政権。

きつい競争を捨て、ラクに、そして自由に生きよう。そして、貧しいものは、助け合って生きよう。大切な人生の時間を、くだらない企業の「賃金奴隷」にまで、なることはない。そして、よりましな企業が推奨されるような政治をつくりあげることが急務なのかもしれない。

7月2日(日)

マンガ学会から戻る、寝不足で出かけたため体調をくずす。

今回も多彩な人々が集い、新しく知り合いになれたかたがたが多く、発表内容もよく、大変充実。

『アニメへの変容』(現代書館)の書評が「週間アスキー」にのる。これから、他紙でもとりあげられるとよいのですが。

今週末は、社会文化学会の「ジェンダーバッシングと男性問題」。15日も研究会…。体調を戻さなければ。

文学フリマが11月12日に決定。申し込みを待つ。

6月28日(水)

連日ワールドカップのおかげで、また夜型の生活に戻ってしまった。

日本と世界との差が、縮まってるようで、差がありありとした大会ですが、オシムさんは、監督を引き受けてくださるのか?興味深いことです。

7月は学会、研究会ラッシュですが、合間に原稿締め切りの不安をかかえて、出張することに…。

大衆文化を「遊び」から、考えようということで、ロジェ・カイヨワの本を再読中。今は、まだ多角的に学習する段階。次著の準備は、基礎文献を、とにかく読み込むことなのですが、これが、なかなか進まないのです。

6月14日(水)

すっかり、MIXIのほうの日記で、1日おきに更新しているうちに、こちらの日記が、手付かずになってしまった。

MIXI加盟して、1年数ヶ月、疲れてきたので、日記更新も週1回程度、MIXIメイトの日記も、週1回程度みるようにしよう。またまた自閉したい気分にかられてきた。やっぱり、密着した付き合いは、自分にはなじまないなあ。

ワールドカップのジーコジャパン、なんか、今の日本のように元気がない。こんな状態に、空元気の精神主義だけが、跳梁跋扈する風潮にはなじまない。元気がいいのは、サラ金や街金の悪い奴や、人を監視したり、管理したり、人の自由を奪おうとする輩ばかり。

さすがに、退職校長たちが、「今の学校の管理は度をすぎている」。公教育を担う学校はもはや「学校化社会」でもなく、「収容所」に近いという「問題発言」が、保守派からも飛び出している。

社会の保守化、密告化によって、公教育における「進歩的」な言動が、生徒の「録音」に、「刺される」教師たちは、「政治的」発言はおろか、「自由や平和」「戦争反対」すら、「語り継ぐ」ことが、できなくなっている。

1925年の教育勅語、治安維持法制定、 1928年、特別高等警察設置、1935年、国体明媚決議採決。1938年 国家総動員法、1940年、大政翼賛会誕生、かつて15年かけて戦争の準備をした国が、今はそれを5年でやろうとしている。

「憲法改正は、5年かけてやる」という、自民党の2006年の教育基本法「改正」、憲法9条「改正」。共謀罪。防衛庁の防衛省への格上げの動き。

歴史の教訓を忘れた国民が蔓延したこの国で、マスコミは、ワイドショーをやめ、「政治の本質」を問い、今が、自由と平和の正念場にあることを、問わなければ、この国は、再びあの忌まわしい記憶にそまることだろう。

時代は繰り返す。左翼が絶滅しかけたこの国に、もはや自由を守るものは残り少ない。戦争に突入してゆく「時期」の雰囲気を、少年のころ、繰り返し、今はもうこの世にいない「先生」に聞いた。

知らないうちに、法律が次々にとおって、誰も、国家のいうことに反対することができなくなった。近所の「大学」の先生が、「おじさんが連れていかれたら、この国が間違っていることを、君は生きてみ届けてくれ」といった。おじさんは、「連行」されたまま、二度と帰ってこなかった。国内で血なまぐさい事件が次々とおきた。でも人はやがて慣れた。 わずかに65年前の話である。

本当にやばい。お母さん方に政治の話をすれば、、「自分の子どもは戦争にいかない」などという。しかし、どうやって、権力の強制力から逃れるのだろうか?戦争にいかなくてよいのは、財界のご子息と、政権与党のご子息だけ。

庶民は、一番はじめに戦場にいかされるのだ。

201●年、日本で徴兵制が復活。

国民は嘆くのだ。でももう遅い。そうした政治に「清き一票」を投じてきたのは、まぎれもない国民なのであるから。

6月5日(月)

1ヶ月過ぎの更新。5月は行事やら、私事で手帳をみないと何をしていたか、わからないくらいいそがしかった。

少子高齢化がすすみ、東京都の出生率は1.0を切った。改憲、教育基本法改定、共謀罪が1セットで、ナショナリズムの強化と自由社会の束縛がはかられていることは間違いないのだが、それに比例して、この無力感、人々のエネルギーの欠如はなんだろうか? 

8年連続で、自殺者は3万人を越え、自殺防止法の制定に野党議員は動き出しているが、そもそも与党は、勝ち組のための政治づくりしか考えていないので、関心がない。(13日現在、議会通過した!! 遅いんだよ)

社会保険庁の失態は、度をこし、それでも、政府では「構造」そのものを「刷新」することは不可能。改革、改革と叫びつづけてきたにしては、根本的なところは何も変わらない無力感。

私は、もう既存の新自由主義政治と心中することはできない。

今、緩やかに「政党政治」が溶解してゆく。政治が官僚組織の構造すら、まともに変革できず、庶民にむけては、いとも簡単に、その失態とツケを回す。しかし、庶民の絶望的な政治感覚は、何らの変革を待たない。

地獄への道は、いつも善意で敷き詰められている。

天国への道は、いつも免罪符によって保証される。

免罪符を買える富国民よ。免罪符を買えない貧国民よ。

もう、権力の善意を期待することはできない。いくら我慢強く、忍耐強い日本人でも、限界だ。

既存権力の刷新を。そして、周辺国の恐怖をあおり、国民をナショナリズムにかりたてる言い訳に、改憲を持ちだし、パトリオティシズムにすり替える二枚舌を引き抜こう。

権力は、かなり困っている。少子高齢化が、国益に直結する問題ならば、政府自らが語るように、無能ぶりは、万死に値する。

女たちは敏感である。この国の過ちつつある道筋に、NOの判定をくだしているのだ。根本原因は、企業中心社会、男性中心社会、生活者を、労働者を、人権をないがしろにする風潮にある。

無力感はみなぎるが、この国の衰退と不自由を、残りの人生とともに、見守りたい。

緩やかに、そして劇的に何かが変わろうとする2010年。

4月21日(金)

「共謀罪」に反対する!
超党派国会議員と市民の緊急院内集会

いや〜、いよいよ、ひどいことになった。戦前の治安維持法を思いださせる「共謀罪」などどいう恐ろしい法律まで、政府は本気で通そうとしている。「犯罪が実行される前に単に合意したと言うだけで、犯罪を成立させてしまう極端な内容」のもの。気に入らない思想家や、しょっぴきたい奴をひっぱるために、共謀罪でつかまえておいて、本丸をはかせる警察の手口を、公に、法律の名のもとに認めるという、完全な悪法である。

下記のとおり、野党超党派議員が反対している。あたりまえだ。かつて産経新聞が、大政翼賛化した現在のマスコミに「自由社会」を守れと説き、そしていま、読売新聞ナベツネ、TBSまでが小泉政権下で進んできた「政治的抑圧」をじょじょにであるが、「勇気」をもって警告しはじめた。90年代までは、まだ、反対運動が市民レベルでおき、悪法は幾度も幾度も廃案になった。

しかし、小泉政権の置き土産が、この自由社会、民主主義社会に反するこの悪法では、日本の歴史に悪名をのこすとんでもない総理大臣になってしまう。そして、こんな人物に政権をまかせてきた国民の一人として、恥ずかしい限りである。立つ鳥は跡を濁すとはこのこと。もう、あきらめかけてきた政治に、あらたな怒りが湧き上がってきた。

いいかげんにしなさい。自民公明。

「共謀罪」に反対する!
超党派国会議員と市民の緊急院内集会

4月21日(金)、遂に共謀罪を含む刑法などの改正案の本格審議が衆議院法務委員
会で始まることが、18日、与党側から提案があり、突如決定しました。
 共謀罪は、600以上の主要犯罪について、犯罪が実行される前に単に合意したと
言うだけで、犯罪を成立させてしまう極端な内容のものであり、現代版治安維持法と
も、思想処罰法ともいわれる稀代の悪法です。また、共謀罪の捜査のためには盗聴捜
査の拡大が計画されることは必至です。

法務省は、このような法律制度は国連越境組織犯罪条約の批准のために必要な措置で
あり、組織犯罪集団を対象とするもので一般市民を対象とするものではないなどと説
明しています。
 しかし、実際の法案では、行為の組織性だけは要件とされているものの、組織犯罪
集団の関与などは定められていません。 
また、法務省は条約上行為の越境性を要件とすることはできないとしていますが、条
約の審議経過を記した公文書の多くが不開示とされており、条約の制定経緯は極めて
不明朗なままです。 
更に、今回の法案には証人買収罪の規定や、サイバー犯罪について証拠収集を広範に
行える規定なども盛り込まれ、多くの問題点を内包しています。
 
ここに、国会審議の始まった共謀罪の人権侵害につながる深刻な危険性について、私
たち国会議員が中心となって呼びかけ、広く市民に訴える機会として「共謀罪に反対
する超党派国会議員と市民の集い」の開催を緊急に呼びかけます。
共謀罪に反対し、廃案に追い込むべく、今まさに院内外の力をここに結集していきま
しょう。
ぜひ、ご出席、取材のほど、よろしくお願いします。


と き  2006年4月26日(水)16時〜17時

ところ  参議院議員会館 第三・四会議室
   (地下鉄永田町駅・国会議事堂駅そば 入り口で通行証をお配りいたします)

      発 言   超党派国会議員・表現者・法律家・市民団体 ほか

呼びかけ人(50音順) 
糸数慶子(無所属・参議院議員)
石井郁子(共産党・衆議院議員)
井上哲(共産党・参議院議員)
枝野幸男(民主党・衆議院議員・法務委員)
江田五月(民主党・参議院議員・法務委員)
小川敏夫(民主党・参議院議員)
河村たかし(民主党・衆議院議員・法務委員)
近藤正道(社民党・参議院議員)
千葉景子(民主党・参議院議員・法務委員)
仁比聡平(共産党・参議院議員・法務委員)
平岡秀夫(民主党・衆議院議員・法務委員)
福島みずほ(社民党・参議院議員)
保坂展人(社民党・衆議院議員・法務委員)
松岡徹(民主党・参議院議員・法務委員)  
円より子(民主党・参議院議員)
簗瀬進(民主党・参議院議員・法務委員) 

   平岡秀夫事務所 3508-7091
   福島みずほ事務所 3508-8506
   仁比聡平事務所 3508-8333

3月24日(金)

ほぼ1ヶ月ぶりの更新。MIXIにほぼ、1日おきにブログを書いているおかげで、話題が少なくなっているものの、政治ネタにも新鮮さがない。

例の4点セット・耐震構造疑惑、ライブドア問題などのアメリカ主導のグローバリズムの要請に応じた市場開放と官の手抜きによる「新しい矛盾」と、防衛庁官製談合事件、省庁役人の天下りによる税金の無駄遣い、独立法人化するも、ザル法による「古い矛盾」が顔をだし、税金の流れはまったく変わらず。がんじがらめの日本の政治。

社会保険庁の解体には、労組も反対しているわけで、税金をくいものにするのは高級役人も労働者も変わらない。しかし、民主党は、ほんとうに自民党を補完する最高の働きをする。すばらしい!。

肝心の争点が、民主党のファインプレーの前に、みごとにうっちゃられ、小泉総理は、またしても運がつく。任期間際に人気も下がるが、他に人がいないと、またしても人気上昇。「私の任期中は増税はしません。でも任期が終れば増税します」。

素敵ね純ちゃん。

岩国の基地問題、住民投票でみせたNOの意思。国家による公共性と地域住民による市民性との対立。NOの意思は、安保条約の根幹を揺るがす?。基地撤去を前提にした安保条約の有り方。新しい時代の到来を告げる。安保は必要。でも基地はいやだ。でも基地住民は安保反対、安保破棄には発展しない。NOの意思は安保を揺るがさない。

ついに舛添要一、本音がでる。憲法9条をかえるのが目的。独立国になるのが、9条破棄でできるとは、とんだ国際政治感覚だ。その前にアメリカからの独立だろう(笑)。

自分の地域に基地がなければいいのだ。あたりまえである。誰だっていやだ。沖縄のヘリ墜落事故、演習による砲弾の流れ球。誰かの犠牲が、私の幸せをつくり、私の犠牲が、誰かの幸せをつくる。いいかげんに、もう気付いたらいいだろう。

世界は失われることでしか得られないことを。もう、みんな、気付いている。

気付いてもみてみぬふりをしているのではない。気付いても身動きがとれないのだ。迷える子羊ではない。迷わない子羊なのだ。

ニューズペーパーがついに地上波、読売TVに出演。小泉総理の物まねはサイコー。本音さらけだしで、「痛みに耐えて、耐えて、耐えているうちに慣れますから」って、ギャグになってない。そのまんまだ。

まさかニューズぺーパーが、4chnにでるとは(笑)。4chnと純chnの蜜月も終わりを告げようとしているのだろう。

2月26日(日)

MIXIで掲載した、最近読んだ2本の書評について。

酒井隆史『自由論』(青土社)を読む。

現在の政治・文化的閉塞状況に対する、指針のひとつとして、大変優れた現状分析をおこなっている。

その核心は、現在の資本主義経済システムの分析にある。

18世紀に始まり、19世紀から20世紀にかけて、浮民、群集たる都市移民を、教育し、制度のなかへ取り込むことで、労働者を組織した資本主義国家が、1968年を境に、教育による組織化を放棄し、教育の不平等化をすすめてきたことを検証する。

労働者を一律に教育すること(知性を高めること)を放棄することは、すでに労働者が連帯し、立ち向かう脅威を学んだ政府、産業界の新たな戦略だとした。

その結果生まれた2極。
1 自己プログラミングに長け、高度な生産的労働に従事または、その場を生み出すもの。(考えるもの)
2 一般的な消耗的労働に従事するもの。(考えないもの)

そして、考えない労働者(消費者)には、消費でお腹一杯にさせたのち(バブル崩壊)、生産者としての労働を奪う。産業の空洞化と労働する現場そのものを奪う(資本のグローバル化、フレキシブル化による失業)を進める。

考える労働者は、安定、キャリア、力能をみがき、グローバル化に対応できる拘束化と高速化に耐える人材となる。

しかしながら、
生産力と生産関係の高度化(矛盾)による「利潤率の傾向的低下」を管理し、防衛する「考えるもの(管理者)」の「管理支配の収益率の低下」を生むという経験則にそった「法則」をそこにみいだす。

フーコーが定義した「監視社会」では、より多くの操作と管理に「資産」がかかりすぎ、すでに、管理者は、非管理者(考えないもの・単純労働者)を管理するどころか、放置し、管理する権利すらも放棄しつつあるとする。

パノプテイコン(一望監視装置)は、すでに、目に見える具体的な装置としてではなく、考えない者の心のなかに、生まれ、根付き、互いに監視しあう快楽と危害を与えられる恐怖によって育てられるのである。

かつて、労働者の連帯をおそれた産業界の戦略は、二重の意味で成功した。恐怖を外部にむかっては、仮想敵(かつてのソ連、今は北朝鮮から中国へ)。内部にむかっては、弱者へ移植する。(社会的弱者はどこにいるんだという議論に典型) この恐怖の二重の自己実現化により、個の孤立はより極まる。

酒井氏は、そうした現状を、資本主義のゆるやかな死とよぶ。

管理者と非管理者(資本と労働)は、共犯関係にあり、システムは、両者がより緊密に、希望と利益を分かち合うことで延命するのだとすれば、従来のような表面的な階級対立(政治的妥協)によって処理できない危機に、システムはエネルギーを枯渇させてしまうとする。

もちろん、そこには、テクノロジーとオートメーションの残骸があり、現場ではロボット、コンピューターだけが稼動する「荒野」が現れる。

伊社会学、仏政治学を導引して考察されたこの本に描かれる、現在と未来。抽象的でありながら、具体的に感じられる「恐怖」に、実は、未来への希望が隠されている。

酒井氏は1965年生まれ、早大講師。フーコー、ハイエクが専門。

今村仁司先生は、私が学生時代の80年代には、マルクス研究から構造主義、ソシュール、アルチュセールからフーコーへの時代の橋渡しをされた感が強い方です。

今執筆している「家族」問題の研究で、参考文献を片っ端に読んでいたところ、今村先生の論文を題材に、学生向けの授業をおこなっている方の、大変気になるレジュメがありました。↓こちら 「市民社会化する家族」

http://www.pat.hi-ho.ne.jp/nobu-nisi/kokugo/siminshakai.htm

結論だけ申しあげますと、
1 血縁、地縁から生まれた家族そのものが、資本主義的な「経済原理」にさらされ、競争と選別の原理によって完全に侵食され、動かされていること。

2 家族、地域共同体間の利害関係からはじまり、利害調整機能として司られた国家さえも、市場にその権力をあけわたし、市場そのものの調整するのみの存在意義が強まっていること。

3 その結果、家族が解体し、国家による経済至上主義の容認(グローバリズム)と家族の政治的再統合(ナショナリズム)がすすむ事態を招いている。

子供がはやくから、子供であることを奪われ、老人は、使い捨てされる時代。この時代では「生きる命が枯渇する」と明言されています。

今村先生は、市場原理から「子供を守るには?」、資本主義的競争原理から「家族をどう守るか?」老人と子供が「どのように出会い、大人社会化に対抗するのか?」という問いをたてられています。

そして、貨幣による物象化と疎外(拝金主義)がすすみ、人間のアトム化が、高速度化された情報のやりとりによってとどまることなくおし進められ、資本主義は、歴史的最終段階(完成形)に入ったと述べております。

こうした法則性に近い「分析」の前に、無力感が強まるのですが、たてられた「問い」の道筋は、論議するに十分なテーマだと思います。

サブカル・おたく文化も、こうした現実社会から開いた「大衆文化」の完成形ではないか、という仮説もなりたつような気がいたします。

2月11日(土)

初心者向け投資関係の原稿と、マンガ関係原稿に追われる。ようやく一段落。まだあと2本、3月まで400字、100枚残る。

4月からの外大の講座のシラバスの作成。いろいろ考えた上、オーソドックスにいくことにした。来年以降で、今年の反応をみて実験的なことをしていきたい。

来週の健康診断にあわせて、予約の準備。

まぐま15号、編集予定者と打ちあわせ。特集内容を検討する。

1月23日(月)

JR西日本事故、姉歯建築構造疑惑、ライブドア粉飾決算問題、小泉政治改革の4年間の歪は、まだまだ噴出してくるだろう。アメリカの金融プログラムを忠実に実行する竹中ー小泉ラインと、国内のマスコミに緘口令を強いた飯島ー小泉体制の「経済ー政治」プロジェクトの綻びがみえはじめた。

小泉政治は、バブル経済崩壊ならぬ、バブル政治の崩壊に直面している。さしずめ、ライブドア粉飾決算は、自民議席粉飾決算とおなじといえないこともない。どちらも、実態のないうわずみの「流行」による、みせかけの株価と実行力である。

マスコミは、田原総一郎氏が、警戒しはじめたように、警察権限による報道規制の「法案化」に大変な危機感をもちはじめた。小泉劇場とホリエモンなどと、散々、政治を茶化し、劇場化したマスコミは、個人情報保護法案の本当の狙いが、「権力者」が悪いことをしても報道規制し、国民に知らせないままに、免罪し、政治誘導することが目的であることを知っていたにもかかわらず、ビデオリサーチ社・粉飾視聴率事件にみられる視聴率(購読率)優先の体質をかえることができないまま。政治批判できずにここまできた。

小泉独裁による危険 そういいきったのは、正月明けの深夜、TBSのTV特番「歴史はくりかえす」だった。関口浩・司会のこの番組。少し前の「知ってるつもり」みたいな番組だった。昭和の宰相、浜口雄幸がライオン宰相と呼ばれていたことと、小泉首相の共通点を探り出し、その空虚な政治性と、実質のないパフォーマンスとみかけ倒しの手腕で、国民に貧窮と戦争の道へと歩ませたことを検証した。ヒットラーと毛沢東と小泉を同列化する手法は、逆の意味で、??はもったが、マスコミ規制が敷かれた2002年以降の局に関しては、まあまあ、冷静な番組だった。

そして、ナベツネが、靖国、歴史認識、アジア外交で、危険な道を選択しようとする小泉政治に警鐘をならし、朝日と共闘宣言をだすまでに、ひどい時代になった。

なぜ、和して協議し、解決の道を探るのではなく、あえて、ひねくれて敵をつくる手法をとるのだろうか小泉さんは。慶応大時代の学友である、栗本慎一郎氏は、その原因は、小泉首相が、「劣等生」でエリートではなく、「人嫌い」で、「任侠的」血筋であり、ブッシュ大統領に「アホ」であるという点において、そっくりだが、血が流れていないくらい人に冷たいという点で、ブッシュと小泉は違うと、朝日ニュースターのインタビューに応えていたのは、関心する。

経済二極化社会、賃金格差社会、希望格差社会、憲法改正、報道規制、しかし、それでもなお、国民は、甘んじて、それを受け入れてゆくのだろう?

小泉首相の、破壊屋としてのルサンチマンに、国民の既得権益への鬱憤とエリートへの僻みが同調したのは間違いない。しかし、この間、化けの皮が完全にはがれてしまった自公民体制以外に、選択肢がないように、操ってきたマスコミも同罪である。いついかなる時代もアルタナティブが存在する。

私は、いろいろあるが、国民主権を奪おうとする、憲法改正にのみ、反対する。憲法9条が時代にあわないというのは、日米安保条約が時代にあわなくなったことの、都合付けにすぎない。憲法9条は古くはない。その意味と意義を忘れかけた国民にこそ、問題がある。9条があることで、日本は発展した。

政府は、ブッシュ自身の「イラク戦争の反省」を受け入れないばかりか、新たな粉飾答弁を中国の脅威で乗り切ろうとしている。

さあ。政府やマスコミに「もう・だまされない国民」がどのくらいになるのでしょうか?それによって、日本は激しく浮沈することになるのでしょう。

1月13日(金)

正月明けから、仕事がたて続き、ようやく一段落した。今週中に、OKをもらったライティングの手直しをおこなう。

引き続き、1月末まで、論文2本、某制作会社のライティングが入った。

何やら、今年は本業?が忙しくなりそう。

しかし、この調子で仕事が増えてゆけば、今年もなんとかなるだろう。

1月01日(日) 2006

今年はどんな年になるのだろうか?

恐ろしいシナリオ。

関東地方に巨大地震 15万人死亡 非常事態宣言/憲法改正で、集団的自衛権を取得、「戦争」ができる国へ/北○○が崩壊し、ロシア、中国、韓国に大量の難民が…。

いやはや、わかりません。こればっかりは。ソ連・東欧崩壊だって、9.11だって誰も予測してなかったからね。

歴史は、動きはじめたら早いですね。

12月29日(木)

先日、MIXIのブログで、語り合った?「家族」をめぐる話。私の書き込みのみ、採録してみたい。

今、来年上梓予定の本の執筆で、「マンガ」に描かれた家族をおっている。紡木たくの諸作品、岡崎京子の『リバース・エッジ』ほか、細野不二彦『幸福の丘ニュータウン』、ささやななえ『凍りついた瞳』続編、新編…。近藤ようこ『アカシアの道』を始めとする母と娘の確執と理解。吉野朔美の『瞳子』から『period』など。まだまだ過去に読んだ「家族」の確執や崩壊を描いたマンガを読み直している。
自分の興味関心をとらえるマンガはすべて面白い、マンガは決して面白くなくなっていない。

やはり、高度経済成長とともにあった夫婦性別役割の崩壊と終身雇用制度崩壊の不安が、バブル経済の崩壊とともに露呈し、「核家族」の安心と安定を崩壊させたのだが、産業構造は、「家族制度」から「結婚制度」までも蝕んでいることにあらためて気付いた。

しかし、「恋愛」も「結婚」も幻想であることが、あからさまになったことは、蝕まれていることを嘆くことよりも、次世代の「家族」のあり方を考えるいい機会だと思う。
結婚制度の崩壊は、戸籍制度を直撃する。

少子高齢化社会は、戸籍制度そのものを標的にしはじめた。もう「母性の回復」や「父性の復権」などの小手先では、にっちもさっちもいかない状態だ。法律外婚(婚外婚)、事実婚、同性愛婚などが、日本でも論議され、現実のものとなる日がくるかもしれない。

家族って何だろう? その答えがでないままに、歳老いてゆく自分を生きたサンプルとして、ものかきを当分、続けてゆくことになるのだろう。

なんか、小難しいことをしゃべくってしまい、また。OFFでおしかりを受けそうです(笑)。

☆☆☆   ☆☆☆   ☆☆☆   ☆☆☆

●●さん。ONでの議論、BBSの続きですね(笑)。

フーコーの議論で、私が重要に思えることは、20世紀に発明された「恋愛」概念が、国家、社会を転覆するくらいの衝撃をあたえたことです。それは、ご存知のように、西洋の場合、あらかじめ「愛=性=結婚」という三位一体化された「国家管理」下にあったはずです。しかし日本の場合、特に封建制を抱えたままの近代化であったため、「家」を捨てた北村透谷や平塚らいてう、管野スガ子の生きかたにみられるように、「家」を捨てること(自由恋愛すること)は、「命懸け」である点で、「恋愛」は国家管理下に置かれていなかったと考えられます。

それが、明治政府がかかえた矛盾、封建制度(家制度)を残しつつ、産業報国の考え方をすすめなければならなかった。家庭内の性別役割(男は仕事、女は家事・育児)が強く残った日本の状況は、産業社会(企業社会)を急激に発展させるために、一番効率がよかった、いわば近代化戦略と封建制の残余(残骸)のMIXとみていいでしょう。

高度経済成長、無理した産業報国化によって、かつて、進歩的イデオロギーとして役割を果たした「恋愛」でさえも、商品化され、自由競争市場に上市され、逆に少年少女たちを圧迫する「ラブハラスメント」を生み出し、非婚、晩婚化に拍車をかける状態を生み出しました。

近代化はとうの昔に終焉し、成熟社会にはいっているにもかかわらず、いまだに、生きることが「愛」を生み、「愛」することが「性」を結び、「結婚」にいたるというシステムを、「管理システム」の根幹におき、いまだに封建制を残余させながら、女性への負担(役割一元化)をやめずに、まっちょな男性脳に支配されている政府・官僚たちの「少子化対策」では、どうにもなりません。 (当の政治家、官僚が長時間労働で家庭をかえりみてないのですから 笑)

性的欲望装置を、自由資本主義で野放しにしながら、「結婚制度」のみを守るという「封建的スタンダード」は、日本のお家芸ですね。結婚制度を変えること、恋愛を「商品化」しないこと、性を国のものから個人(私的領域)に取り戻すこと。(国力が弱まりそうだから、少子化対策を!なんていう逆転した官僚答弁ではないですね) 「性」にかかわる差別化(モテル/モテナイ・イケテル/イケテナイ)などの二分法が、子供たちを「社会化」させない一因、「やおい」「おたく」化ともかかわりをもってると思います。長い目でみれば、「結婚制度」への消極的否定、なし崩し的崩壊ですね。

少子化対策が、児童手当のアップなどという政府方針では、小手先もいいところ。企業はお父さんをはやく家に帰す (家事・育児の役割分担化 子供との接触時間のアップ) マスメディアは「恋愛」を競争原理にまきこまない。あおらない。 政府は、富の再分配を考えなおし、金持ちだけが生きやすい国にしない。(結婚はいやだけど、子供は欲しいという「気分」を盛り上げること また育てられる社会基盤を整備すること 婚外子差別をやめ、法的に守ること)この3点を軌道修正するだけでも、違いますね。

うゎ〜長すぎですね。では●●さん。また貴兄のBBSか、メールで何かありましたら、議論してゆきましょう。

12月18日(日)

書籍の編集、校正前の「揃え」が終った、この本は、来年2月に発売予定。自分自身の共編著でもある。

今年の1月からはじめた研究会も、11回を数える。3人の共編著ですすめている企画の「マンガの外面化」の部分を担当。「まえがき」のたたき台をだし終え、自分の原稿にかかっている。

この原稿では、「家族」を見直そうと考えている。マンガに表現されたさまざまな家族。80年代以降、「家族」が軋み、人がくずれてゆく表現をマンガに読み込んでいく。

80年代の紡木たく『ホットロード』、90年代の岡崎京子『リバース・エッジ』、そして、山本直樹『ビリーバーズ』から、いがらしみきお『SINK』へ。一筋の何かがみえてきた。共同体が国家権力によって解体されてゆく尾瀬あきら『僕の村の話』、マイノリティである身障者の「戦い」を描く山本おさむ『どんぐりの家』、80年代に「家族」は、「産業構造」と国家権力」によって、著しい変質を迫られる。

ささやななえ『凍りついた瞳』、鈴木雅子『家族のなかの迷子たち』(ともに椎名篤子原作)は、90年に発覚した児童虐待のドキュメントマンガ、家族が機能しない原因と解決策をさぐる力作。近藤ようこ『アカシアの道』、吉野朔美『瞳子』は、ともに母と娘の「確執」と生き様を描く。また吉野朔美は、父子家庭の「父と子」の異常な生活を描いた「ピリオド」の連載をしている。

女性の「生き方」が変わったのにもかかわらず、男性社会と産業構造は、なおも、女性を家庭に閉じ込めようとする。その軋みは「子供」たちに確実に伝わっている。

恋愛(性愛)と核家族が一体化した戦後家族のほころびが、もう繕えないほどになっている。家族は、もう『ホットロード』のように、教師が救えるものではなくなった。教師もまた「家族」をかかえ病んでいるのだ。

12月10日(土)

父の四十九日、納骨が終る。

うれしいことに、ビジネス関係のライティングの仕事も、各方面から依頼をいただく。メディア・マンガ関係の長編執筆の合間を縫って、1話、400字×5枚の連載がメイン。昨年まで、ビジネスコンサル誌への長期連載していたものが、一段落していたので、気力は充実している。

最近、出会う友人、知人は、おおよそ私よりも若いひとばかり。研究者の人、ライターの方、実務家の皆さん、女性、男性を問わず、ただ名刺交換をするだけではなく、企画、研究、執筆にわたって、将来的にいい仕事が組めればと感じられる方が多い。やはり、同じ志向性をもった若い人々のエネルギーは、いつでも時代をうごかしてゆく。

自分が年老いてしまったのは、自分が時代と対峙する気迫をうしないかけている証拠。ここ数ヶ月、かつてない高揚感を抱き、悲しいことはあったが、また、いろいろなことが見えてきて、さらに目標が定まってきた。ライター、編集者、プロデューサーの三位一体をまわしてゆくことで、すべてが上手く動いてゆく。人の役にたつことが、自分のためになる。サラリーマン時代には、あまり経験できなかったことだ。

子供の安全が脅かされる事件が、あいついでいる。

危惧することは、安全とひきかえに、ますます大人の管理化に子供たちが置かれ、こうした子供たちが、また大人になり、子供を脅かす悪循環をうみだし続けること。

12月1日(木)

12月内に書籍の編集をかかえて、忙しい日々。来年でる共著の原稿が12月末までに1本、3月末までにもう1本、マンガ関連連載が1月末に1本。 5月からは単行本用の執筆に集中。

その合間を縫って、「まぐま」の編集もしなければならない。

稼業の引継ぎ、相続の処理、来年は、いろいろな意味で、大変だが充実した年になりそうな予感がする。

なぜか、そういう予感がする。

11月18日(木)

いよいよ改正憲法・自民党草案を軸に、与野党舌戦が繰り広げられはじめました。

憲法改正問題は、自民党結党以来の悲願であり、アメリカによって押し付けられた「憲法」ではなく、自主憲法制定という「民族的悲願」との読み替えがなされています。

しかし?本当にそうなのでありましょうか?。今までも何度も繰り返してきましたが、憲法問題は9条問題にのみあるのではありません。憲法第十章「最高法規」の98条、「最高法規」としての憲法と「条約及び国際法規の遵守」という、国内法と国際法の最大矛盾にあります。

つまり、国内については、11条及び97条の「基本的人権」、13条「幸福権」、25条「生存権・社会保障権」などの国民の幸福の追求が、国際問題に直面したときに、98条Aの「国際法の遵守」との矛盾、場合によっては国際法によって制限される可能性を、憲法自体がもっているということがいえます。

具体的には、日米安保条約と日本国憲法との矛盾になります。つまり、アメリカ主導の国際秩序への組み込まれがきつくなれば、なるほど憲法との矛盾は、露呈してきます。沖縄の問題は、そうした憲法98条がもっている矛盾が具体化された最たるものです。

米軍基地の77%が集中する沖縄は、安保条約は、日本国全土にとっては、「幸福権」追求のための対外的国家的枠組みであると同時に、沖縄県内では、県民の安全脅かし、被害をあたえているという矛盾につきあたります。まさに全体のために部分を犠牲にするというロジックです。

98条のAが記載されているために、憲法は、常に国際法(日米安保条約)との妥協の運営を余儀なくされています。自民党憲法草案は、こうした、憲法の効力(最高法規性)を無化し、国際法(安保条約)にそった国づくりをおこなう方向性が明確に記されています。

9条の消滅、または変更問題とは、自衛権から集団的自衛権に拡大する、つまりそれだけ、日本国民が戦争に参加、加担する、加害者になる、または「巻き込まれ害を被る」危険性が高まることだけではなく、98条の変更により、憲法による「国家権力」の規制、監視を撤廃するという、「権力」にとっては国際法、つまりは日米安保体制をすすめやすくする狙いがあります。

「民族の悲願」といわれる自民党憲法草案であるならば、国家権力の暴走の歯止めたる憲法98条問題こそが、真の問題なのではないでしょうか?

本当に民族の悲願、国民の悲願であるならば、アメリカに押し付けられた「日本国民を守る憲法」を破棄して、新たに「日本国民を不幸せにする憲法」をアメリカによって、再度押し付けられるのをいやがるはずです。

アメリカによっていただいた「民主主義」であるならば、その「民主主義」を幸福権の拡充のために、憲法を発展すべきものと考えます。それが、新しい「自主憲法」のはずです。

国民の「幸福権」のために、憲法98条によって、最高法規の名のもとに、日米安保条約の新展開、集団的自衛権の発動を拒否し、9条の書き換えを抑えることが急務です。

国家権力の暴走をおさえ、諸外国へ迷惑をかけずに、国民が幸せになれることこそ、先の大戦で、日本が現行憲法に刻み込んだ「宣誓」のはずですから。

9条問題に終始すれば、憲法を本当の意味で守ることはできません。繰り返しますが、98条改変による、戦争をしやすくする国づくりを抑えることを同時におこなわなければなりません。憲法改正に賛成の研究者、社民・共産以外の議員でも、集団的自衛権の行使には反対のかたは、かなりいます。

第十章、98条から遡行して、各条項を読まれることをお勧めいたします。

ついに、憲法が危ない。そして憲法9条の会は、どこまで、ことの本質を伝えることができるのでしょうか?

私の言動を「左翼」と揶揄する方々は、たくさんいらっしゃいますが、現行憲法のありがたさは、それが「奪われてから」はじめてわかるものです。「安全で安心な人生を過ごしたい」。それは皆さん、全員の願いではないでしょうか?

11月9日(水)

しばらく更新が滞った。31日に父親が急去し、各方面への連絡と葬儀の準備に日々を費やした。

いまどきの親子ではない、父と私。私の成長にあわせて、父は大きな壁となり、師となり、数え切れない夜を徹した政治、経済、文化、歴史、哲学などの分野にわたる生涯の偉大な論敵となった。

22歳で大学院に通いながら、ドイツ哲学の教師となった父は、生涯カント・ヘーゲル学者であり、歴史研究者であった。祖父の死のときと同様、その数々の教訓、謹言が心の奥底に蘇る。割り切れない愛憎は一体となって回天し続ける。「思想」の違いはあったものの、常に正論をはずさなかった父の言葉は、気付けば自分の言葉となっている。

ここ1週間、本も読めず、編集作業も滞り、ようやく、土日の盛岡大の学会に間に合った。メディア論の書下ろし単行本の章立てが終わり、各章を構成する論をくみ上げるために資料収集と読書の合間を縫って、「事後処理」にあたる。四十九日までは、落ちつかないだろう。

その頃は、もう12月中旬だ。

10月26日(水)

先週からイベント、研究会で、疲れがたまり寝るはめに。新宿コマ劇場の「コロッケ・林家三平物語」は、物まねショーを劇中にはさみ、萩原流行、赤木春恵の名役にコロッケの演技も浮き上がり、大変楽しめる劇だった。若い人は林家三平を知らないのにやや驚く。こん平やぺー・パー役が登場して、彼らの師匠であることがわかったようだ。

おかげさまで、従姉弟の人形展も盛況で、6日間で300人以上は見にきていただいたようです。来館のみなさまに感謝申し上げます。

まぐまの編集作業とともに、別件の書籍の編集で忙しい日々。年内に論文1本、1月末締め切り1本、3月末締め切り1本と、春にかけて長編の仕事で、基礎資料の読み込みをきっちりしないと、書くにかけなくなってしまうので、なんとか急ピッチですすめたい。

来年は共著3冊。単著1冊が目標。2月にひとまず、アニメ本が出る。

11月は、劇団SETの毎年楽しみにしている秋季講演。学会、文学フリマ、主催している美術館・博物館ラリーの拡大遠征と忙しい。

10月14日(金)

無事 しりあがり寿さんの「直筆」画も届き、額に入れてかざる。

先週からイベント、研究会がめじろ押しで、編集作業と執筆要綱作成の合間をぬって出かける。

 

昨日13日は、水道橋の全逓会館に、5月に、中国・韓国・日本の歴史学者たちが、7年にわたる東アジア共通の「歴史教科書・未来をひらく歴史 東アジアの近現代史」(高文研)を三国同時発売したが、その反響と問題点を聴きにいった。

3時間にわたるシンポジウムの内容を以下に記したい。なお当然ながら、記述は、発言者の内容を私が、主観的にメモしたものを元にしている。

●司会 俵義文(子ども教科書全国ネット21 事務局長)/

パネラー:歩 平(中国 社会科学院) /辛 珠 柏(韓国 ソウル大) /笠原十九司(日本 都留文科大)

■ その「教科書」執筆の歴史的立場と苦労  俵義文氏

1 「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書に対する危機感(日本の侵略的事実に対する「美化」)

2 自国中心史観からの脱却 東アジア共通の歴史的事実のすりあわせ(共通認識までのみちのりの1歩)

3 民族感情を認めながら、対立するのではなく、互いの主張を認めながら対話すること

・教科書タイトルは、日本では、「日・中・韓」、中国では「中・日・韓」、韓国では「韓・中・日」の順番 /ここにある種の民族感情が各国にみてとれる。

■ 各国の問題点

日本:原爆・沖縄・各地大空襲 にみられる被害者史観  大陸への加害意識の隠蔽  教育の不徹底

中国:現在は過去の鏡→平面的歴史観  中日の歴史は被害と加害の歴史 抵抗と侵略の歴史

韓国:侵略と抵抗の歴史観 日本は終戦だが、韓国は植民地支配の終了を意味する 

・日本の被害を、韓国・中国は、自業自得(自ら蒔いた種)と認識

・中国では、満州国を偽(ニセ)満州国と記述する→国として認めていない。

・韓国では、従軍慰安婦(日本記述)にたいする反発・「性奴隷」との記述をおこなう。

● 中国と韓国のねじれ

・秦と朝鮮との関係を「従属」と記述するか否か/朝鮮戦争 北から南への侵攻問題について

(辛 珠 柏)発言

● 中国の「日本の被害」への無関心

・日本の被害に興味がなかった。この教科書によって広島の原爆について、はじめて中国人は知った。

・被害者としての中国近現代史から 東アジアの全体像を知ることになる。平面的歴史観→立体化へ

(歩 平)発言

■ 出版後の現状について

日本

・4ヶ月で異例の7万部の発行。まだ売れつづけている。

・読者:市民・学生・教師がまだ中心。広宣:5000部を教育関係者・有識者に寄贈。

・メディア:各社で取り上げられる。テレビ・TBS・NHK・読売  他多数出版社

・政府の対応→無視  「つくる会」の教科書を推薦  栃木 滋賀 東京(杉並) 愛媛での採択

栃木 大田原での森山氏の活動 中山文科大臣の推奨

95年、村山談話(謝罪)からの後退(引用にとどまる) マスメディアで「加害問題」を扱わないように注力

韓国

・4ヶ月で4万部の発行 人口比率からするといい売れ行き 学生読者が中心、はばひろく勉強会に使用。

・ノムヒョン大統領が、小泉首相に「読了」を申し入れ。政府レベルでも共通の歴史認識をもつための努力を申し入れ(ノムヒョン大統領高い関心) 小泉首相→無視 自国史観(つくる会)にこだわる

・つくる会 教科書 を複数の歴史学者が検討 分析、日本政府へ寄贈した→無視

・2005年を日韓友情年と位置付け、東アジア 日中韓青少年キャンプを開催

中国

・12万部の販売 新聞・マスコミで報道  ようやく日本の戦争被害を知る

香港→旧字による販売  華僑→アメリカで好調な売れ行き  国民党×・共産党 をめぐる記述に論争

東アジア共通の歴史認識の第1歩を歓迎

・海賊版が10元で出回る。正規版は30元

・中国人は「つくる会」教科書が、日本の教科書だと「勘違い」している(報道・教育の問題)

・歴史学者(歩 平)による「教科書」をとおした「日本市民」との連帯、歴史の事実を知ることの大切さを「人民日報」に掲載。

■ 各国の教科書をめぐる現状

日本

・検定教科書 複数の教材を選択 教師の裁量権がせまい 学習指導要領によるしばりがきつい

「未来をひらく教科書」を副読本で使うことの政府(文科省)の承認は困難。

韓国

・高校 検定教科書 6種類/ 中学 国定教科書→検定にむけて準備中  「世界史」のみ検定

・教科書採用は教師の自由裁量にある

中国

・検定教科書 15種類から選べる 90年代以降 8つの教科書から選べるようになった。

・学校が採用権限をもつ。人口と国土の広い中国では、地域での自主性なくしては、運営は無理。国立学校の受験問題も、地区ごとの試験に移管

※日本のメスメディアは、中国が国定教科書で、反日教育 をしていると報道したまま、新たな情報を一切伝えないが、国定でもなく、反日教育もしていないことが明らかに。日本の「加害」を事実として教えているだけである(日本にとっては反日だろうが)。だが、中国にも「被害」の歴史のみでなく、日本の「被害」を知る機運が高まっている。

・中国の市民運動を、かつてのように制御(弾圧)することはできない。ネットによる個人の呼びかけによる「運動」は、「団体行動」への影響力をもたせた。

■ 現代の東アジアの問題

・中国×韓国 2箇所の国益問題 対立  国境線問題

・日本×韓国 5箇所の国益問題 対立  竹島問題など

・日本×中国 1箇所の国益問題 対立  日本海 油田問題

・ロシア×韓国 1箇所の国益問題 対立 

・日本×ロシア 北方領土問題

※ 国益をめぐる対立は、各国同士に発生している。日本では、当然、対中、対韓や対北朝鮮 などの対報道のみであるが、各国同士の政治バランスを絶えずみてゆく視点が重要。

● 新しい東アジアの平和・共存を達成するために、「傲慢 偏見 誤解」をとりのぞく努力

・「歴史教科書・未来をひらく歴史 東アジアの近現代史」を軸に、各国で「内容」をひろめてゆくこと。

・領土問題と教科書問題は、平和・共存 への耐えざる対話を必要とする。

■ 各国政府の対応  「未来を開く教科書」への反応

・日本/無視  中国・韓国/歓迎  民間レベルでの各国共同研究を支持

・つくる会 藤岡氏の発言「中国・韓国は日本の友好国ではありません」

・「つくる会」教科書をひろめ、強い日本を取り戻し、国民の戦争アレルギーをとりのぞき、若者が戦争にい

ける国にしたい

■ この「未来をひらく教科書」

共通の「歴史事実」の1歩→共通の「歴史認識」にたつには、まだまだ討議と研究が必要

  

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小山 感想 /日本政府はなさけない 文科省はなさけない 本当に教師はかわいそう

 日本・中国・韓国の「市民レベル」での歩みよりによる教科書を無視し、「つくる会」による自国中心史観を支持、中国、韓国を軸に、北朝鮮、台湾(オブザーバー)を含めた教科書をつくろうと奮闘する「各国歴史学者」の努力を無視する政府は恥ずかしい。

中国よりも権限をあたえられていない日本の教師はかわいそう。自由主義国なのに、社会主義国でさえ、現場(学校)で決められる教科書を、自分たちで自由に決められない。市場の自由化もいいが、いいかげんに公務員の自由化もしないと、いけませんねぇ。経済だけの自由化で、政治の自由化をしない政府は、本当にえらい。ILO勧告(公務労働者の権利)も無視しつづける日本。バランスよくグローバル化してください。

やはり、日本政府は、アメリカしかみていないことが、あらためてわかってなさけない。アジアをアメリカとの「安全保障」からしかみられない政府は恥ずかしい。もう「東西冷戦」は終わりました。

どうにかしてください。庶民のお願いです。