不定期日記
1月23日(金)
今週は正月休みの疲れがでてきたのか、今日は帰ってきてすぐ寝た。10時くらいにいったんおきて。東浩紀のWEBの論文を読んだ。
正月休みに食っちゃ寝〜で太った体は、いつもの年はすぐ元に戻るというのに、なんと、生まれて初めて60kをこえた。身長からすれば、ほどよい体重であるが、どうなることか?2月には元に戻るだろう。
大友克洋論、最終チェック終了。あとは図版のスキャンと、注の点検のみ。400字で45枚。美術手帖、WIRED、ぱふ などのバックナンバーの読み返し、「国民の創生」「戦艦ポチョムキン」「メトロポリス」他、モンタージュ、表現主義の映画の映画の再見、再考など。結構楽しんで書けた。手塚ー石森ー大友の関係について自分なりに納得。
まぐま12号の件で、大泉氏と打ち合わせ。巻頭座談会の企画で方向性がでた。EYEMASK次号の原稿、マンガの「資本論」 ナニワ金融道と銭ゲバの 銭の生き死に の後半部分の書き換えをおこなった。
先週、蒼天社 社長と打ち合わせおこなう。今後年報のような形式で、マンガ・アニメに関する単行本がだせないか検討。資金繰りをどうするか。不況は文化を直撃している。
いづれにしても、かね 銭がなければなにもできないのが世の中だ。
1月18日(日)
大江健三郎、「新しい人へ」 アウシュビッツ、広島、長崎のジェノサイド、イスラエルとパレスチナそして9.11。憎しみの連鎖は過去から未来へ、途切れることはない。
大江健三郎は、そうした「連鎖」をたちきれず、戦争を止めることができなかった自分を「古い人」とよんだ。新しい人 は次世代の、そうした憎しみの連鎖を断ち切れる、勇気ある人。
ベトナム(小学生) サルバドル ニカラグア(高校生) アフガン(大学生)… 戦争反対、反対行動30年にわたりとってきた自分も、いまや古い人だ。
京大教授 山極寿一氏。 猿社会は強者が弱者を支配し、束ねる独裁社会。類人猿社会 ゴリラ チンパンジー、ボノボの社会は、弱者が強者を監視し、争いがおきないように行動する社会。
人類は、今 類人猿社会から猿社会へ退化しているのではないか? 山極教授は語った。
人間社会は猿社会と類人猿社会両方を常に行き来している。その行方は、今を生きる我々一人一人の思考と行動にかかっているのだ。
自衛隊がイラクへ行くのを、止めることができなかった。私は 間違いなく 古い人 である。
そして、イラクへいかせた為政者たち、彼らは古い人ではない。人類ではない。ましてや類人猿でもない。まさに 猿 である。猿たちが世界を動かしている。
1月11日(日)
先だって久しぶりに小林氏と再会。「プロレスは格闘技か 6」の収録をおこなった。まるまる1年分、対論してなかったので、大晦日のK1、プライド、猪木ボンバイエに収斂したが、やはり新日の話をだらだらした。全日、NOHA、ZEROーONEまでカバーするのがやっと。UFCはみているが、パンクラスは試合まではカバーできず。
前田日明は最近なにをしているのか?、雑誌編集者?のままでいいのか? 去就が注目されるか。
最近、休みとなるとケーブルTVで、だらだら一昔前のアニメをみている。高橋留美子・うる星やつら、めぞん一刻、らんま1/2、鳥山明・ドラゴンボールZ、北条司・シティハンター、がお気に入り。
資料読み込みで、「美術手帖」のバックナンバーをみていたところ、98年・12月号の「マンガ」特集の「戦後マンガ見取り図(年表)」に、拙著「まんがの玉手箱」が記載されているのを発見。完全に見落としていた。92年発行の本。12年が経過して、「史書」になってしまったのかと感慨。
大島弓子の「グーグーだって猫である」「雑草物語」を再読。大島さんは、本当に植物、花が好きな人なのだが、マンガの内容はもとより、「大島弓子さんは神代植物公園での写真撮影中、思わず踏んでしまった、ハルジョオンに ごめんね ごめんね と声をかけて、必死に助けおこしていらっしゃいました」という編集後記に、思わずなごんだ。
ナウシカがオームにむかって「ごめんね ごめんね」と語りかけるシーンを連想した。大島さんは、本当に心からこうした「言葉」がいえる人なのだろう。「四月怪談」で、生まれ変わる初子は、大島さんその人なのかもしれない。
最近、深夜のアニメ番組がロリ、萌え に席巻され、典型的なアニ声と絵に、少々ついていけない(汗)、ストーリ性がなく、永遠と進展しない男女関係をみていると眠くなる。1月からの新番組に期待。「天× エンジェルラビィ」は、まぁ、かわいいから許す(笑)
1月8日(木)
チベットでは、風習の鳥葬が危機に瀕している。ハゲタカが人肉を食べなくなってしまった。鳥が他でいいものを食べて、人肉を食べなくなったと理解してはいけないらしい。チベットの人々の身体も文明の科学物質に汚染され、鳥が食べなくなったというもの。
しようがなく、村では死体を河に流している。しかし死体は途中、ダムでひっかかり、処理できない死体がダムに多数浮いている。社会問題化している。
急速な環境、文明の波がついにチベットにも押し寄せたのだ。土葬にするには、凍土でほれず、火葬も検討されている。
政府が新年の各党公開質問時間を、共産は半分、社民は零の方針を打ち出した。議席配分により、質問時間を均等割りする。
これが数の民主主義の結論である。数がすべて。労働者階級の政党である共産と、社会的弱者、マイノリティの代表である社民の言論を奪う政府の方針は、国民の97%が労働者階級である日本の「言論」を奪う。
自民は資本家階級の政党、民主はホワイトカラー層の政党である。簡単にいえば、「金持ち」代表である。言論もいよいよ、「金」で表示される日がきた。言論(出版・放送・新聞・雑誌)活動にもお金がかかる。貧乏人には言論活動ができない時代が目の前にきている。
自民・公明の連立に対する「反発」が激化している。アメリカ型の共和・民主の2大政党制か。欧州型の多様な価値観、保守、リベラル、社民・共産、緑の党、右翼などの共存を選択するのか。答えは明確である。民主主義は、多様性こそ命。アメリカには「アメリカ共産党」が存在することをいったい何人がしっているか?
マスコミ関係者の匿名座談会で、マスコミが2大政党制をあおりすぎ、社民・共産が激減したため、政府が一方的で、強硬な方針を押し通していると反省(笑)。またしてもマッチ・ポンプ。自分で火をつけ、自分で火を消す。戦前もマスコミは同じことをした。気づいたら多様性のない軍国主義国家ができていた。
太田裕美が10月から、文化放送の午前、野村国丸の番組で木曜日の担当でレギュラー出演している。相変わらず「かわいらしい」声で、25年前にタイムスリップする。子どもがもう高校生と中学生だという。本当に時間がたった。
1月1日(木)
人生で一番実感のない年を越した。本当に現実感がない。これはいったいどうしたことだろう。節目というものがまるでない。
曙がボブサップにKO。吉田がホイスに完敗。曙はノーガードでまともにサップのパンチを食らう。格闘技の世界は、実力が互角なら、リングに先にたったものに一日の長がある。吉田は前回、胴着にで勝ち、今回は胴着で負ける、2ラウンドめ、ホイスと同じように、胴着を脱げばよかったのに。
今年も、更なる目標をおう1年。夢は毎日1mmずつでも前進している。1年で365mm。あきらめたのもが、失望し、あきらめないものが、笑う。夢は年々大きく成長している。自力こそが夢のパワー。源である。
12月30日(火)
ノスタルジー、年に一度、無性にノスタルジーを感じる時がある。タルコフスキーの「ノスタルジア」をみたくなり、いつもそうだが、無性に眠気をもよおす。タルコフスキーの映画で、途中寝なかった映画はない。遺作、サクリファイスは映画館で1/3はねた。大林宣彦の「はるかノスタルジー」、石田ひかりが裸で勝野洋に飛び込むラストシーンに、我に返った。嘘くさい。
太田裕美が急に聴きたくなり、レコードをかけるのもめんどうなので、昔編集したテープをひっぱりだした。松本隆、筒美京平とくんだ初期の楽曲は、身体に染み付いている。都忘れ、遠い夏休み、袋小路、この3曲はメロディも歌詞も最高の出来。木綿のハンカチーフ、赤いハイヒール、横浜ドールなどのシングル曲よりもいい。
思い出したようにキャンディーズも聴きたくなり、テープがないので、しかたなくアルバムをとりだす。涙の季節、年下の男の子、ハートのエースがでてこない、やさしい悪魔、暑中お見舞い申し上げます、春一番、…ひととおり気持ちがおさまるまで聴く。
これは、きっと退行ではなく、若返りなのだろう。いつも聞き終わると元気になる。
ついでに太田裕美の公式HPをみる。小泉今日子の唯一お気に入りのアルバム、ファンタジェン。楽曲すべてがいい。下手なのにいいのは、小泉ファンタジー世界に自然に入れるからだろう。
ようやく大友克洋論の目途がついてきた。メビウスの影響、レリーフ的造形と横長のコマ割の多用、水平線志向は、今まで狭い日本の日常を描いてきた大友克洋の視線と視点をも変えさせた。そして「AKIRA」に現れた高層ビル、都市の破壊描写は垂直志向、「AKIRA」は最大限の水平志向と垂直志向によってもたらされたスペクタクルとなった。
朝日ニュースキャスターの「愛川欣也のパックインチャンネル」が面白い。年金、イラク問題、経済、事例の裏側、本音が出て、激論に。
テレ朝の毒にも薬にもならない論説員を登場させるニュースステーションや、いまや完全に「ショー化」した朝生のような、大局を語り、真実や具体例を報道しない番組を地上波でやりながら、ケーブルテレビで(裏)でこのような番組をやる姿勢に疑問を感じる。地上波は政・財界の圧力がかかりすぎるからか。
朝生とパックインを比較して感じるのは、なまじっか田原総一郎が、知識があり、論点をまぜっかえすために、かえって論点がぼけるのに対し、愛川欣也は我々の視点と同じ立場から出席者に質問をするので、分かりやすく、何が問題なのかがよくわかることだ。田原総一郎を「電波芸者」といった人がいるが、うなづける。もう芸者はいらない。
足利銀行の倒産も黒字倒産。資本比率4%が高いか低いかという議論ではなく、黒字なのに、なぜりそなは守り、足利はつぶしたのかということだ。地方経済を悪化させ、資金の集中化をはかる一方、地方の高速道路を作りつづける。この矛盾。今年も国債を発行しつづけ、アメリカの国債を買いつづけ、資金援助をし続ける日本。お金の回らない中小零細企業は、税金で吸い取られ、その資金はアメリカへ吸い取られる。
へんだぞ。小泉・竹中、財務省。政治、軍事、経済すべてをアメリカに売り渡すのか? こんな状況でまだ自民・公明に選挙でいれる人の気持ちがわからない。
年金問題も2001年で、226兆円がプールされている。年の給付が40兆、年金の積み立てが33兆円。積み立てをストップしても5年間はもつ。しかし、年金の運用の失敗により、70兆円がこげついている。この焦げ付き分も含めて、政府は国債を発行してカバーするという。国債の負担金額は、国民一人あたり、500万円を超えている。
そんなことよりも、政府は将来にわたる年金の積み立て率、給付率を、人口比率できちんと計算し、我々は少子化はあれど、せめて払う金額よりももらう金額が同じでなければ、損であるから払いたくないのはあたりまえだから、数字マジックを使わずに、きちんと我々に説明すべきなのだ。
12月27日(土)
年末というのに、あいかわらず原稿におわれている。大友克洋論、残り30枚。手塚ー石森ライン、メトロポリスと幻魔大戦、メビウスービラルライン、翁童論、30日までになんとか仕上たい。
風邪、肺の痛みが復活。症状は鼻水に移る。食欲旺盛、下痢、吐き気おさまる。来週には復活したい。
今年は後半、多忙になり、ライブにいけなくなってしまった。YESの国際フォーラムを最後、年内ひきこもり。今年は、Go!Go!7188、(これバンド名です)が面白かった。今、「瑠璃色」っていうシングルでてますけど、奇妙なコード進行で、退廃的なんだけど、妙にアンニュイで心地いい。少し「人間椅子」的な音もはいってるかな。
fra-foaのライブが1月に下北沢であるけど、またしてもチェック漏れで、すでにsold out。アルバムVの発売が待ち遠しい。
先だってNHKでヤング101の再結成ライブを深夜やっていた。いや〜懐かしい。小林啓子、小原初美、水木誠、藤島新、黒沢裕一、石岡ひろし…、今聴いても皆さん本当に歌が上手い。マイク真木、上条恒彦も登場。時代の流れを感じさせた。
先だって、貴重なライブ映像を持ち合って、一度内輪で上映会をという話もでた。当方所持の未発売ライブ映像は、中津川フォークジャンボリー、5つの赤い風船解散コンサート、拓郎・かぐや姫嬬恋コンサート、春一番コンサート、ピュアフォークフェスティバルなど、60年代、70年代前半の和もの映像が多い。
ピンクフロイド・バレーなるものが演られるらしい。新聞で確認したところ、MEDEL(おせっかい)の中の、エコーズ、WALLの数曲に混じって、なんと「雲の影」のなかの曲もある。P・Fの音楽にのっていったいどういい踊りがなされるのか? みたいとは思わないが、感想は聞いてみたい。
探している映像がある。70年代のNHKロックフェスティバルで、カルメンマキ&0Z、クリエイション、チャー、などが出演。もう一度みたい。あとテレ朝で27年前やっていたヤングニューミュージックショーで、やはりマキOZ、四人囃子がでた回の映像。当時はビデオが家庭に普及されていない時代、一部の金持ち、映像関係者がでっかいオープンリ-ルをまわしてVTRを保存していた。
Kさんより、年末恒例のミュージック総決算CDをいただく。素晴らしい選曲にうなる。なかでも、日本ブレイク工業の社歌 がすごい。特撮もののテーマソングだと思った。いったいどういう会社じゃー。LOOKER−ONもクリムゾンばりのサウンドになぜか、イージーリスニング系の女性ボーカルがのり、失礼ながら、笑いが…。サウンドも歌もス素晴らしいのに笑えるとは、ようするにミスマッチなのだ。
フィンランドのプログレバンドというだけで驚く。XL 愛に渇えて、いい。
小野耕世さんと、EYEMASKでご一緒させていただいた。ネットで検索するとあの伝説の映画「キャロル」の脚本を小野さんはかかれていたのだ。あの映像は語り草なのに。龍村仁さんが映像。龍村さんは、その後ガイア思想に傾斜。小野さんはマンガ、アニメ、アート評論に傾斜していく。
12月22日(月)
引き続き、風邪。熱はさがったが、下痢が続く。当面消化のいいものと、暖かいものをたべる。昼にもう大丈夫だと思い、フライドチキンをたべたのがいけなかった。今年の風邪はたちが悪い。
昨日、まぐま11号の簡単な打ち合わせをおこなう。まぐま12号 アニメ・マンガ特集の線で検討。次号以降、編集室をもうけ、編集長(責任)のほか、編集室長を常駐で検討。11号は編集中。予定どおり。前号のときも同じ言葉だったが、今号は過去最高の出来です。
悪魔も聖書を都合のいいように解釈し、神を語り、人々をまどわす。憲法前文を語り、自己解釈する小泉首相、アメリカを語り、9条を忘れ、人々を困惑させる。地獄への道はすべて善意で塗り固められている。
あえて暴力の連鎖に飛び込む勇気は、蛮勇。蛮勇で国が栄えたためしなし。蛮勇を支持する国民が多数をしめるとき、それは人がもはや理性をかなぐりすてた獣性に支配されたとき。悲劇はもう間近だ。
1コママンガ専門誌「EYEMASK」最新号が届く。巻頭に当方の雑文を掲載いただき、ありがたい。次号は、「銭ゲバとナニワ金融道の資本論」を掲載予定。その次は「高橋留美子論」と続くのであった。
マンガ評論誌を発刊したくて、うずうずしている。一人の力量では無理。でも夢は捨てたくない。
今年の正月休みは、NHK衛星、TOKYOMXTV他、アニメコンテンツが充実している。特にガンダム、ライディーンに期待、今敏の新作、東京ゴッドファーザーズが好評、上映中。
日本人の自殺率は東欧諸国(旧共産圏)についで高い。ここ数年ハンガリーとトップを争う、。体制が崩壊し、新しい競争社会についていけず、また拡大する貧富の差に希望を失い自死を択ぶには理由があるが、何故、物質的に豊な日本が世界のトップなのか。年間3万人以上が自殺する。
考えられるよく聞く答えは、メランコリー気質で、うつ病になりやすい。バブル経済崩壊後の借金地獄、リストラ恐怖の過剰適応、社会や自分の未来に対する希望の喪失などがあげられるが、驚いたことに、日本の女性の自殺率は、香港と争い、世界1だったことだ。県別にみると秋田県が1位、東北の自殺率が高い。これは過疎による老人の孤独におうところが多い。
みせかけの男女平等が、戦後、今ほど化けの皮がはがれたときはないだろう。就職、雇用、給与、年金、社会的地位…女性がおかれている状況は先進国で最低である。女性はアダムの肋骨なのか。キリストは女性から生まれたというのに。
12月14日(日)
ここ1週間、体調悪く、油もの、揚げ物をたべると吐き気がして困った。中華、イタリアン、カレーパンでさえだめで、和食オンリー。ひさしぶりに医者にかかる。風邪。
昨日、東中野で資産運用セミナーに出席。建物、不動産の運営、管理について。行きのバスのなかで、ノーベル賞の小柴先生をお目にする。近所に住まわれているので、公園で一度お目にしたこともある。杖をつかれてはいたが、お元気そうであった。
久しぶりに、何もしないでボーっと1日を過ごした。ケーブルTVのアニメチャンネルで、うる星やつら、犬夜叉、キューティ・ハニー、アラレちゃんなどをただ観る。深夜のアニメは今は「一騎当千」が面白い。「爆裂、爆乳…」というタイトルにもあるように、やや露出、パンチラの多い、美少女格闘技アニメである。
フセインが拘束された。身柄はどうなるか?国際裁判にかけられるだろう。しかし、復興支援から非協力国を締め出した後に、タイミングよく「拘束」報道。国際的には逆風から順風になるかアメリカ。その読みはあたるか?逮捕・拘束によって、さらに反米「レジスタンス」が激化する恐れもあるだろう。
あえて「テロ」を「レジスタンス」と読み替えることで、イラクをめぐる「政治情勢」の本質がみえてくるだろう。
今年も、残すところ2週間。今年も終わりという実感がまるでわかない。めまぐるしく移り行く世界のなかで、自分が居る位置がまるでつかめない。情熱も、怒りも、悲しみも、苦しみでさえ、どこか遠いところにおいてきてしまったように、心が空白だ。
正義感があれば、怒りも湧くだろう。世界が素晴らしいと感じられれば、情熱も湧くだろう。幸福を感じられれば、悲しみも湧くだろう。苦しみを乗り越えた先に、幸せがあったとしても、更なる苦しみが訪れるだろう。
日本のリーダーが、世界のリーダーが、権力という名のもとに、醜い闘いを繰り広げる世界に、僅か数十年の人間の生を送らなければならない、この無力感と脱力感はどうだ。
祖父は銃弾をかいくぐって生きた。父は戦火をかいくぐって生きた。そして自分は見えない銃弾と感じない戦火をかいくぐって生きている。見えない炎は、見える人だけを確実にえぐり、焦がす。
心が痛い。
12月6日(土)
風邪で肺がいたい。風邪はオーバーワークに歯止めをかけてくれるので助かる。
イラク問題、やはり最悪の事態になってしまった。テレビをみていて驚いたのは、亡くなったお二人の親戚すじの人が、「お国のために役にたった」と発言。これって戦時中の発想だろう。家族の方の本音は「首相、息子、孝太郎くんをイラクへいかせなさい」という気持ちだろう。
この1件、そして自衛隊はイラクへいき、最悪の場合、死者がでるだろう。「憲法」をどうするのか、もうまったなしである。日本国民の選択は、「自分は戦地にいかないのだから」というしょせん他人ごとである。死ぬのはひとまず自分じゃない。
果たしてそれでいいのだろうか?
森永卓の「年収300万円で生活する…」が10万部はでたらしい。印税は3000万円である。印税3000万円で、年収1000万円ある人間が、貧乏人に300万円でも暮せますよというプロパガンダは、この世の中は、儲ける金持ちと騙される(この場合は買わされる・読まされる)貧乏人に分かれている証拠である。
金融機関の資料を調べていたところ、日本人の階級は年収・資産状況で、5ランクに差別、分別されていた。資産2000万円以上を保有する人口は、なんと全人口の2%まで落ち込んでいる。日本人の平均貯蓄金額が2500万円くらいだから。いよいよ本当に1部の資産保有者の保有額が莫大になっていることの証拠である。ちなみに年収1000万円以上の人口は全体の3%。ほぼ資産状況と一致してきている。
ルカーチの「歴史と階級意識」という本を高校生のときに読んだ。今の日本人は、現実には階級間格差と差別が制度的にも広がっているにもかかわらず、自分たちの階級にあった政治党派をもたない。というよりも戦後の大衆社会、消費社会、マスコミの奇形的発達が、日本人の「階級意識」の形成を疎外したといえるだろう。それよりも自分は貧乏人であると認めたくないのだろう。これはバブル後遺症である。
勝ち組み、負け組み ではない。儲け組と儲けさせる組である。
緒方邦彦「ガラスの仮面 最終章」を読む。マヤと亜弓、二人のどちらが「紅天女」の座をいとめるのかをめぐった考察。楽しめた。マヤと亜弓は試演のみをおこない、私はどちらかに決まる前に、月影千草が死ぬ。その試演のみで、読者は二人のどちらが開眼するかを確かめるのである。失明の恐怖に、演技に光をみいだす亜弓と「紫のバラの人」への想いで演技がくもるマヤ。
いつ41巻はでるのだろうか。コミックスは、4500万部でている。美内すずえさんは、印税で13億くらいの収入である。
11月29日(土)
ひとまず、studio zeroの事業をたちあげた。ぼちぼちやっていこう。
バキ 20巻 ブラックジャックによろしく 7巻 ホムンクルス 1巻 銀河鉄道物語 天界の城 以上漫画。を読む。
ホムンクルスは山本英夫の作品。頭蓋骨にアナをあけるトレパネ―ションをうけた男が、人の本質を実体としてみる力をそなえる。2巻以降の展開が楽しみ。
千年女優を再見。若き千代子がどうみても、80年代の薬師丸ひろ子にみえるから不思議だ。髪形のせいもあるだろう。
しかし、何度みても不思議なアニメ映画だ。現実と思い出が錯綜し、未来にわたって二度とあえぬ人をおいかけていく女優、千代子。老いた千代子が、亡くなったあの人を、今また追いかけていく。
今敏のアニメは、新しい可能性として世界が注目をしだしている。
ことしも、残すところ1ヶ月。1日1日の速さ、大切さが実感をともなう。人生に二度はない。それだけに考えを即、実行にうつしていくことの力不足をいたく感じる。
ここ数ヶ月、自分がえらくかわったのを自覚する。自分なりに「世のため、人のため」にという考えで生きてきたつもりだった。ところが、「自分のことだけを考えよう」と40の様変わりをみせつつある。
情けは人のためならず。この言葉は、人に情けをかければかならず自分にかえってくる。つまり自分のためにも人に情けをかけなさい。という意味であった。
だが、今この言葉は、字句どおり、人に情けをかけてはならない。情けを掛けた人間がだめになるという言葉で理解されている。自分も世にあわせて変わらざるを得ない?
朝まで生テレビ イラク戦争を問う!。保守派とリベラルとの論争。日米安保継続派と国連中心主義との論争。小林よしのりが対米従属を批判。「左翼の味方をするつもりはないが…」と笑う。
イラクに大量破壊兵器はない。戦争の大義がみつからない。査察にとどめていればよかったのに、戦争に突入。これは侵略だ。戦争終結宣言後が、本当の戦争になった。復興支援、人道支援に自衛隊がいくというが、国内危険だらけで、人道ではなく、自衛隊が被害をうける恐れもある。
テロとの闘い は間違ってはいない。だが、この暴力の連鎖はどうだ。自衛隊がいけば、アルカイダは日本も攻撃すると宣言。自衛隊員が死んだら1億円だすというなら、国内でテロがおき、人が死んだら、政府は被害者に1億円だすのだろうか。
米・英が戦後、フサインマクマホン協定とバルフォア宣言で、パレスチナとイスラエルの関係を滅茶苦茶にしたように、いままたイラクをパレスチナ化させつつあり、懸念。
日本国憲法9条改正。改正させなければ保守派か? 戦争をしないという9条は、不変にして普遍的価値をもつ。この9条の精神を世界にむけて発することこそが、日本という国の価値である。
11月24日(月)
社会文化学会終了。今回研究課題で「ラブハラスメント」についての論議は大変、面白かった。低年齢化する「恋愛絶対主義」が、クラスピラミッドを再構成し、社会規範を個人規範として再生産していく子どもたちの「逃走経路」として「やおい、おたく」があるというつながりは、人生のすべてを企業に捧げないと生きられない、企業社会絶対主義に対する大人おたくのアンチテーゼとしても興味をそそった。
前回の学会で、女やおいと男おたくの交流をかかげた吉本松明氏の指摘は生産的であったが、やおい少女、やおい女性が、ラブハラスメントを宣言し、「私は恋愛からおりたのだから、ラブハラしないで」という女性側からの告発は、男性中心社会のなかで自立的に生きようとする女性にとって、「心の叫び」であることは間違いない。恋愛至上主義は、恋愛をこのまない、恋愛すら、男性社会にからめとられる「生産主義」として拒絶すべきものなのだ。
かつて「恋愛」は、封建制を打破していくひとつの精神のあり方として、進歩的側面をもっていた。だが、「恋愛」は今では、人の心を縛る足かせとなっている。私は思う。それは、他者への愛、隣人愛、人類愛という普遍的価値が地におち、処世術としての男女恋愛、1対1の対幻想におかされ、1対0という、一人で生きようとする価値をみとめない、みとめたがらない「社会病理」にあると。
だが、思うのだ。
それでも乙女よ!「恋せよ」と(笑)。1対0の生き方は結果だ。その過程は対他関係としての「恋愛」が人生を豊にする(幻想か?)。だからこそ、松明氏のいう「やおいとおたく」の交流が必要なのだと。
社会や恋愛、企業社会から精神的に降りたもの同士から、何かが生まれるかもしれない。
日本の社会は自由のようにうみえて、限りなく不自由に近づいている。降りたものは大変な人生が待ち構えている。
杉並区に住む私は、運良くか? 住基ネットを拒否できる。昨日接続拒否の手続きをおこなった。しかし、かってに「番号」をつけられていたのには腹がたった。反抗期は死ぬまで続くだろう。世の中気にいらないことだらけである。
11月17日(日)
東映動画60年代問題史着手。6割完成。まぐま11号、11月末締め切りにむけてスパート。年内新著出版にむけてスパート。タイトルは「ポップカルチャーは世界を救うか」に決定。来年早々に、ビジネス本の執筆にとりかかる。この本はstudio zeroの事業にも絡んでいます。
studio zeroの新事業の構想、マーケッティングをおこなう。春くらいまでに事業構想にめどをつける。顧客開拓も同時にすすめる。
曙、k−1進出。武蔵丸引退。高額な親方株取得が困難。相撲界の体質は、いいも悪いも不変だ。数場所前、舞の海が相撲解説で、北の富士と言い争い、二場所ほど解説からはずされた。今場所、舞の海がカンバック。舞の海は固くなり、眼はきょろきょろ。「北の富士さんのおっしゃるとおりで、…」。終始よいしょ。長いものに巻かれた舞の海。この二場所で、NHKと相撲協会から「おしかり」があったのだろう。
女子バレーボール、続いて男子バレーボール、けっこう興奮してみている。女子バレー、今のチームはいいチームにしあがってきている。女子マラソン、高橋尚子。まさかのブレーキ。スタミナ切れ。暑さにやられたか?。吉田VSシウバ、本当にいい試合だった。吉田は素晴らしいファイターだ。再戦して勝ってほしい。吉田なら勝てる。シウバに。あんな必死なシウバははじめてみた。
二重化し、分離した自分がいる。現実社会に適応できず、競争社会に疲れ、かといって他人を陥れ、おいやり、いじめることができない自分がいる。この自分は、無意識に住む。だがいつ眠りからさめるかわからない。凶暴な衝動をもって甦るか。それは自己否定に向かうのか。それとも新しい自分に向かうのか。
統一的な人格を保つのは、本当に疲れる。記憶、知識も分断され、違う自分になれるのであれば、なんと楽なのだろうか。逃避としての二重人格。
人生の折り返し地点で、迷う。
11月12日(水)
選挙結果は、自分の考えが間違ってなかったことをいっそう強く感じさせた。
雑感をまとめたい。選挙がマスコミによって政策選択ではなく、政権選択に収斂されたことは、十年前の日本新党ブーム、細川内閣当時となんらかわらない愚かさ。その結果つくられた「二大政党制」が7割の国民によって指示され、過去小沢についてきた公明は、今は小泉につくという風見鶏「政権」病。少数政党は「存在感」をなくした。保守新党は解党、自民合流、共産はますます少数孤立、社民も解党、民主への合流を強いられそう。
表面的な評価は多々あるが、二つの視点がわたしなりに重要と考える。ひとつは、今回の選挙投票数が、全有権者の60%。比例区にみれば、自民が20%。民主が22%の得票率しかないのに、有権者のわずか2割ちょいの支持しかえていない政権が、「国事」を運営、「改革」の名のもとに、強権発動している姿である。
全有権者の2割の支持しか得ていない政権が、「国民に信認をうけた」とイラクに派兵する強権は、完全に民主主義の「崩壊」である。そして、投票しない4割の人間は、「不信認」の意思表示をもって政権党に、政権不支持をつきつけるべきである。が、無関心。有権者の1割まで投票率がさがった政権党ができたとき、この国は「無責任大国」(支持なきファシズム)に生まれ変わる。
もはやワイドショー政治によって、民主主義を衆愚政治に堕落させた犯人であるマスコミは、財界、産業界の意向どおり、選挙後、さっそく「二大政党制しか、政権交代はない」といいきるが、ここまで公共電波で、あおりながらも、二大政党制を実現することはできなかった。そのことに対する反省はまるでなし。「興味がない、政治は変わらない」から投票しないといった人々を動かすことはできなかった。
ふたつめの視点は、政党とは本来、階級、階層、組織、個人の利害を反映する社会共鳴盤としての「結社」的な役割をはたすものだった。だが、日本では、「階級・階層的利害関係」が、農村、大企業、中小企業家の権益と結ぶ自民と、都市型のホワイトカラー層の利害を反映する民主のように、「階級」的権益が、完全に「階層的」権益に収斂され、資本家(経営)と労働者(組合)といった対立を完全に覆い隠してしまった点にある。社民は、マイノリティ、女性、社会的弱者に視点をよせ、共産は労働者の視点にたち、政権構想をたちあげてきた。だが、日本人の階級意識は薄れ、階層意識が分化するという、自己が「労働者」として認識不能な、というか階級意識にもとづき「戦う」ことを無益とする庶民的合理性に完全に支配されたとみる。
自民に着いても、民主に着いても、中産階級の中流意識をもった「貧乏人」(労働者)、社会的弱者は、いじめられはすれ、救われることはない。自民も民主も「金持ち」に支えられているのだから。自民は戦後、右派社会党と左派社会党が合同する危機感から、保守合同により、自由党と民主党が統一されたものだが、50年体制の崩壊によっても、尚アメリカべったりの「自民」に、財界、産業界は新しい権益を体現する「政党」をほしがっていた。そしてまたしても小沢自由党と管民主党がくっつき、本来であれば第二「自民」党であるべきなのに、「民主」とそのままカモフラージュした。この辺が涙ぐましい。というかしたたかな小沢さん。
ながくなるが、各政党についての寸評。
自民党 公明ぎらいの財界、産業界の意向が、民主にも通り、もはや一党支配が、のぞまれていないことをつきつけられ、「改革」を連呼しつづけるが、事態は泥沼。もはや公明依存の半病人。マスコミも民主の味方。
民主党 財界、産業界の新しいお墨付きをいただき、意気軒昂。だが、政権党になるには数がたりない。小沢、公明の関係を考えると歯軋りの日々。マニュフェスト戦略は、財界に教えてもらった。
保守新党 はじめから自民党を支えるために生まれた党。小沢ぎらいが自由党から離れ、民主党ぎらいの熊谷代表が合流、しかし経団連会長に7回も政党を変わる人には…としかられ権勢にかげり。解党。
公明党 いつもキャスティングボードをにぎっている都合のいい政党。おそらく自民がこのまま退潮すれば、かつて小沢とくんだように、かならず民主との連立すること間違いなし。政策よりも政権党であることが大事。
共産党 イラク派兵反対。野党らしい野党。憲法9条改悪ゆるしません と一人自慢の連呼で、正しいことをいっても「貧乏人」や「労働者」にそっぽをむかれる。これは「階級的裏切り」なのにな。なぜ、嫌われるのか、自己反省は永遠の課題。労働者が壊滅的打撃をうけつつある国で、支持をえられないのは…。女性スキャンダル、北朝鮮問題がボディブローに。
社民党 いつしか女性党に。北朝鮮問題で大打撃。辻本問題で瀕死。民主に合流するのか、弱者の利益を守るはずが、自分たちが弱者に。
歴史にやり直しはできないが、かつて、30年前、1968年から1971年には社会・共産の連立政権、革新統一政権が誕生しかけた時代があった。革新自治体が全国を席巻した。両党には思いだしてほしい。国民は、といってもあっしらは、何を望んでいるのかを。リストラ、過労、社内いじめ、単身赴任による家庭破壊、社会保険を湯水のように浪費した政権党に、票が入りつづけるのはなぜか。そして失業保険は制限される。労働者が自分たちの墓を掘る政権党をなぜ択ぶのか。年金、福祉、教育問題、解決はなにひとつしていない。
11月2日(日)
急遽、大阪より帰宅。2日のスケジュール調整でアップアップ。
まぐま11号の「東映動画問題史」、「マンガの分身論」のレジュメ作成継続。すすまず。
NHK「ご近所の底力」という番組をみて思う。マンション空き巣、地域への車輌の不法侵入や鳥、猫などの糞害、変質者から子どもを守る、一連の対策取り組みは、崩壊した地域コミュニケーションを再生する課題と重なっている。隣に誰が住んでいるのかもしらないマンション住民が、空き巣対策で、顔をあわせ、解決策を出し合っていく。その中でコミュニケーションが復活する。
事態の悪化は、本能的に群れる動物である人間の社会再生に連なっていくという「希望」をもちたい。
しかし、引きこもりは、強い。人間的に。引きこもり一人でも生きているのだから。人を傷つけず、自分も傷つかない、このやさしさは嫌いでない。しかし現実不適応者になる。それが現実だ。何もかも。馬鹿らしく、アホらしく、無力感にさいなまれながら、クリエイトする心は、火種として残っている。
来年は、いよいよ、その火種をおこし、めらめらと燃える人生の実感をもつ年にしたい。プランをDOする。
10月31日(金)
学会準備に追われる。猫耳論序説にとりかかる。コラム2000字ほど。年末まで原稿締め切りに追われるまま、2003年も終わりそう。
数日前、記憶にない胃痛に見舞われる。胃、大腸に風邪の菌がまわった模様。睡眠をとったら回復。
昨日、新聞で選挙立候補をみていたら、比例、選挙区とも、知り合いが4名もでている。、社民、共産、民主と、幅広い。しかも皆自分より年下。国政選挙の立候補者も若くなったものだ。いや、自分が年取ったのだなぁ。
某BBSで、原田知世ねたで久しぶりに盛り上がる。もう20年前のことです。
また某BBSでは、日本シリーズねたで盛り上がる。
10月25日(土)
大友克洋論、佳境にはいった。メビウス、ビラルの絵画的手法はあとまわし。先に対極にある石森ー手塚ラインの影響を作品にみる。「幻魔大戦」と「メトロポリス」をとりあげる。
社文学会報告分「分身論」のレジュメ作成にとりかかかる。モデル図を多用し、読まないでもわかるレジュメにしたい。
疲労から過労にはいってきた。いつもは自然に風邪をひき、仕事配分にブレーキがかかるが、今年は風邪をひかないため、気づけば働きすぎになる。
近しい知り合いが、転職したが、その会社は業界でも有名な「やくざ」な上場会社。「明日からきてください」「朝6時出勤です」と、なんでそんなに簡単にきまるのか、なんでそんなに朝はやいのかと、出勤したところ、「明日から1ヶ月休みなしです」と告げられる。当然やめる。売れもしない作りすぎの住宅を、かねもってるやつに売って来いという無謀な仕事。
後日、なんと1日しか在職しない社員の「社会保険料」雇用保険やら健康保険やらの請求書が本人に送られてくる。
「給料をもらってもない会社からの請求」、さすが○○建託。欠陥マンション販売でも、おりがみつき実績。裁判なれしてるらしい。くわばら桑原。
10月17日(土)
今週はものすごく疲労して、暇さえあれば小睡眠をとってしのいだ。
ロザリンド・クラウスの美術評論、主に美術の「批評」と「歴史」に「構造主義」を導入することで、みえてきた問題、すなわち美学における「主観」と「実証」、「価値論」と「構造論」、「オリジナル」と「複製」の問題、さらに「アウラ」と「商品」の問題、さらに美術表現における支配(垂直関係)と無意識(水平関係)。
この問題はフロイト(心理)とマルクス(社会)の間に、ラカンの鏡像段階(個が社会性を獲得する幼少期)を入れ込むとわかりやすい。フロイトのエディプスコンプレックス、自我が、社会(超自我)という無意識な規制を受ける契機、それが母親との二項関係に、父という対立項(三項対立)が生じるとき。
しかし、近年、この社会の垂直関係、支配関係がよわまり、待たずして評論や創作にも影響を及ぼしている。かつての事件は支配に対する反発、対立によって生じた。しかし今日の事件は、眼前には存在するのに心理的に薄れ行く垂直関係を、人間自らが水平関係として無意識に自己内部に再生産するという、「自己規制」が働きはじめるところに生まれる。
庶民、国民、市民自らが、プライバシーよりも監視カメラを選択し、リストラされ、減給され、長時間労働にさらされても政・財界の支配(保守政治)を選択する。被害者の人権は、当然法律で守られているにもかかわらず、加害者の人権を認めようとしない風潮。
いや〜な予感は、もうここ数年、深まるばかりである。批評における言語の解体が、支配関係の解体を生み出した結果、言葉は現実ではなく、自己の内部(心理)に支配関係を幻想として作り出してしまった。
現実の矛盾、社会矛盾、国家矛盾、矛盾は現実にあるのではなく、「ココロ」の問題なのだと。
ココロは分裂し、乖離し、現実の矛盾に相対する現実を放置したまま、もう一人の自己像をつくりあげ、その場を上手く対処している。
小泉首相の二枚舌、自民連立政権、民主党の相矛盾する「理念」の同居、経団連奥田会長の、国民「フォアグラ」論も、現実が、階級社会、弱肉強食社会であることを覆い隠す、それはココロの問題なのだというすり替えを生んでいる。
だが、この「二重化」は、まぎれもなく、日本人のココロそのものが生み出している。矛盾を解決するには、「改革」が必要だし、人間として生きるには「自己同一性」の維持が必要。しかし、社会も、ココロも「二重化」を選択しつづける。それは、間違いなく自己を傷つけず、プライドを守り、アイデンティティを保ちながら、否定的な自己をココロに住まわす知恵なのだ。
日本人が北朝鮮を憎悪するのは、北朝鮮が、分離すべきもうひとつの否定的なココロであることを無意識に感じ取っているからである。だが、アジア諸国からみれば、日本は今の「北朝鮮」そのものであり、日本人のココロにいまだひそかに住み続ける怨嗟なのである。
政治や国にむけられる怒りが、自己や他者にむけられる(自殺やいじめ)。大衆迎合主義であるポピュリズムは、否定的な自己の積み重ねから生まれた。一人一人は怒り、憎しみをもっていたとしても、それが政治にむけられない現状は、まさにフォアグラと化した肝臓にアルコールを送りつづけるようなもの。
否定的な意見を語るのは、人間関係が悪い、といった個人的な発想からではない。
道路公団の不始末、「大臣と総裁」の茶番劇も、保守政治のつけが生み出したにのにもかかわらず、総裁を大臣がきるというドラマに回収され、保守政治がつくりだしたと責任を回避するとう巧みなニ重化が援用され、自民党が「改革」をしているという自己欺瞞を宣伝しているにすぎない。
しかし、すでに、二重化した心理を都合によって使い分ける日本人にとって、この自己欺瞞は自己保存そのものであるから、わかりやすく心地よいものとなる。
裸の王様を「裸だ」と叫ぶより、裸の王様のありえないマントを、国民全員が持ちたがっている。
自分ももうそろそろ、ココロを二重化しないと、心がもたない(笑い)。
10月12日(日)
蒼天社「ふたつのモモを読む」、校正終了、「EYE MASK」発売は11月らしい。
ジョージ秋山「銭ゲバ」 石森章太郎「人造人間キカイダー」 D・ヘブディジ「サブカルチャー」を読む。やはり「銭ゲバ」は今読んでも疾走している。そしてこの世を呪う銭ゲバの「資本主義」は、身体の奥を震えさせた。
「ナニワ金融道」が、あくまでも人間関係に表象された資本主義であるのに対し、「銭ゲバ」は資本主義の悪を体現する蒲郡風太郎の人生に「カネ」の生き様をみることができる。
カネにいい悪いはない。それを使う人間によって「良い 悪い」がきまるのだ。
過去論文の編集にかかる。掲載順番、単行本のためのあとがきを作成。
久しぶりにカラオケにいく。またしてもビートルズをジョン、ポール、ジョージの曲順でうたいまくる。ついつい気がついたら始発が動いていた。
マニュフェスト政治などが宣伝されているが、衆愚政治が改善されることなどは当分こない。マスコミ、テレビによる大衆操作、イメージづくりがマニュフェストを凌駕する。自民VS民主に争点をもっていくやりかたは、かつての自民VS細川・小沢の対決図式の再現でしかない。
自民中心一党支配よりは、二大政党政治のほうがマシだと考えるのは間違いである。アメリカ、イギリスの歴史がそれを証明している。
10月5日(日)
昨日、小川銀次ライブにいく。銀次さん体調かなり悪い状態。NEWCD発売記念ライブであるが、楽曲がさらにスピードアップし、どうやらベースとドラムがついていくという感じ。「みっつにひとつ」が気にいった。しかし、クロスウインド、インナーウインド時代より、曲のつくりがシンプルになっているのは、いいか悪いか?
斉藤貴男「カルト資本主義」、大嶽秀夫「日本型ポピュリズム」、荷宮和子「若者はなぜ怒らなくなったのか」を読む。「カルト」は日本式経営に浸透しつつあるカルト(ニューエイジ)、「ポピュリズム」は、現代政治家の手法「大衆迎合主義」の思想と手法の分析。両書とも自分の研究領域にリンクするので、かなり面白く読んだ。「若…」はルポライターの著作で、現象の記述と推測の羅列で、いまひとつつっこみが弱い。
富沢ひとし「エイリアン9コンプリート」を読む。このマンガの表現力は噂にたがわずすばらしかった。絵が今風の絵で「ロリ」が入ってるので、慣れるまでに少し時間がかかったが、麻宮騎亜にくらべれば、すきなタッチ。物語は「寄生獣」の小学生版といったものだが、エイリアンと共生せざるをえない彼女たちの心の痛みが身体に伝わってくる。劇画ではなくマンガで「魅せる」のは才能である。
おしいことに、社会背景や「大人」の心がもっと掘り下げられたら、「マンガ」を超えただろう。
日本式マネージメントのTQMやTQCを開発した日科技連、日本生産性本部、ほか戦後の「労務管理」に優れた仕事をみいだした先駆者たちが、「共産主義」→「左翼」→「体制」に順じ、さらに→「ニューエイジ」の道をたどっていることに危惧を感じる。船井総研の船井さんは、前から妖しい人物と感じていたが、政治家、官僚、新興宗教、大企業トップにも「影響力」を行使していることがわかった。
船井幸雄もかつて「共産主義者」であった。現実政治に挫折した「イズム」は、宗教やニューエイジ。カルトの装いをもって、ビジネスの装いをしたユートピアを説く。「理想では食えない」と皆口々にいう。
本日高木A1さんのライブにいく、久しぶりのバンド編成で、よかった。とりあえずPOPなサウンドで1枚まとめてもらえるとうれしい。
10月2日(木)
書庫と書斎が本まみれになり、行き場を失った本は自分の部屋に。地震があったら本に潰されて間違いなく死ぬので、部屋の改造にかかることに。いそがしいのに、人命にはかえがたい(笑い)
96年以降、単行本がとまっていたので、年内にと考えていたが、いよいよ来年、3・4冊目の単著を刊行する予定。出版社がどこになるか? 3冊目はポップカルチャー論、4冊目は1冊マンガについての本。来年は40代の10年の方向性を決定づける年になるような気がしている。
マンガ学会の会報が届く。「フレンチコミック」展を見逃してしまった。残念。メビウス、エンキ・ビラル、スクイテン関連の書籍を探しているが、まだまだ日本では手に入らない。
上条淳「SEX」の続編がたちぎれのまま、もう7・8年ほっとかれて、「エイト」が2巻まででた。知らない間に奥浩哉の「GANTS」も終わっていた。「GANTS」に関しては、スピード感が最終的に失速。かなり残念な終わり方。10巻でまとめ読みしてよけい感じた。マンガの話でした。
今日は、CAMELの「ヌード」と「ブレスレス」を聴く。YESもフロイドもクリムゾンもELPも、CAMELのPOPにはかなわない。実はプログレバンドで一番すきなのはCAMELだったのだ。あまりに安易でナンパな音楽なので、いいだせなかったのが学生時代。今だからいいか。
「分身論」をまとめていて、巨人の星の飛雄馬とオズマの関係が気になりだし、またまた読み返すことに。なんとオズマは飛雄馬のドッペルゲンガーだったのだ。テレビでは飛雄馬が生きるかわりにオズマはベトナム戦争で死に、マンガでは、オズマは生き、飛雄馬は最終シーンで死の十字架を背負う。野球人形と野球ロボットは、お互いに「人間」として生きることの苦しみ(十字架)を背負う。
力石とジョーの関係もドッペルゲンガーである。
書庫で、平田弘史の選集を探していたところ、河あきらのマンガが大量にでてきた。ついつい読みこんでしまう。「故郷の歌は聞こえない」は、これって、北朝鮮拉致問題を先取りしているテーマだということが解った。ひえー。「あなたは笑うよ」は、全共闘運動で「彼」をなくし、完全燃焼しなかった女教師の悲しい物語、「いらかの波」は、中期の作品なので、ストーリを覚えていたが、「わすれな草」「渡り鳥は北へ」まだまだでてきた。
自分でも25年前にこんなに買い込んでいたのを忘れていた。休みにもう1回読み直そう。70年代「少女マンガ」は、文学であると同時に「政治」でもあったのだ。「河あきら」については、一度作品世界の構造分析をやってみたい。
宮脇明子「ヤヌスの鏡」も、10年ぶりに読み直した。深夜の番組で、杉浦美幸がでていたので、思いだして。ついつい。最近歳のせいか、年下の女性が皆かわいくみえる。
またしても深夜の番組で、浅香唯をみた。ひぇー。昔よりかわいいじゃいか。もう34.5くらいだろうに。最近永作博美は、笑い皺がめだつ。博美さん、歳とらないでください〜(笑い)
9月27日(土)
北海道で地震、数ヶ月前には仙台で地震があったのは記憶に新しい。行方不明2名の方がいらっしゃるが、怪我人だけですんだのは不幸中の幸い。太平洋側のプレート地震の心配が高まる。
巨人原監督、解任。ナベツネは、読売内の「人事異動」というが、プロ野球団は、普通の「会社」ではない。3年契約で昨年日本一の監督を今年Bクラスというだけで名誉職の「特別顧問」に左遷とは、若くして、年寄り襲名で飼い殺しだ。激しい憤りを感じる。
松井証券の社長が「現代の組織は、リーダー独裁でなければならない」などというが、小泉、石原、ナベツネ、など、独裁者の権力のオオナタが振り切られているのは異常。冗談じゃない。「危機」の時代だからこそ、「民主主義」が重要なのだ。
最近、各界のリーダーの独裁化が跳梁跋扈している様子は、いよいよ日本が、かなりやばいところへきている証拠。どこぞの組織も、おおむね軍隊化しつつある。勝新の「兵隊やくざ」ではないが、「上官の命令に従わないものは、いじめれれる」。体罰によらない組織暴力をくいとめれれるか?
金子勝氏が、数年前に、講演会で「あと数年たったら、日本は経済の悪化とともに、日本人のもつ悪い部分が復活する」といわれていたことを思いだした。タイタニック日本とともに「沈没」するのは絶対にいやだ。
日本は完全にファシズム体制に入った。歴史が後世で証明するだろう。2003年。国民自らが選挙で「ファシズム」体制を選んだことを。
「憲法9条改正」がその証左となる。論議なき改正。国民投票なき改正。自衛隊派兵後の改正。非会社員はかくして非国民へ。
9月23日(火)
大友克洋論 序、1章草稿完成。大友克洋の画面構成の「モンタージュ」と「ニューシネマ」の影響を、少ない字数でまとめるのは困難。これだけで本来なら膨大な実証を必要とするが、ショートカット。
エイゼンシュテインのモンタージュの手法の影響を「AKIRA」と「オデッサの階段」のシーンで比較検討。カット割、スピード感など、しかし、詳細をわかりやすく記述するのに苦心する。
急に寒くなる。すんでのところで風邪をひかずにすんだ。夜中に毛布を1枚かけてねた。
またまた資料と本が散乱。執筆にとりかかるともう、部屋はひっちゃかめっちゃかである。掃除をしてもきりがない。書庫も夏から大量購入したマンガの整理ができず、悲惨な状況。書斎には本を持ち込まないようにした。きりがない。
TVでは温暖化による世界的な異常気象と、いまだこない東海地震特集で、不安がつのる。最悪のシナリオは南海、東南海、東海地震が連動しておき、富士山が噴火するというもの。 経済的破局、自然的破局、日本崩壊のシナリオは、SFの話。世紀末は終わっても、終末観は続いている。
人生の時間は限られている。「時間は生み出すもの」といわれるが、物理的な時間は変えようがない。時間が足りない。実感する。スピードをあげれば、バーンアウトしかねない。時代に対するあきらめというよりも、時代をきりひらけない自分へのいらだちがましている。
ジャパンロックフェスティバルの映像はWOWOWで今日から放映。またビデオとるが、いつみられるかわからない。
9月17日(水)
15日、国際フォーラムにYESを聴きにいく。J・アンダーソンの怪我のため延期になっていたもの。お約束の「火の鳥」にはじまり、新曲、往年のナンバーをこなし、ラウンドアバウトまで。帰ってから、73年のライブ「YESソングス」と96年「キーズ・トゥ・アセンション」ライブビデオを見直した。
30年たって彼らの演奏は、早さ一辺倒から年季のはいった「ため」が音に加わり、円熟味がました。しばらく聴かなくても済むのだが、また聴きたくなるのがYESサウンドである。魔法にかかった一夜だった。
なし、メロン 米 ぶどう、栗… 日本全国盗難事件。どこまで続くのか。こういう盗難事件は、本当に脱力する。情けなさで…。
ブリジストン工場火災、過去のばや騒ぎをひた隠し、炎上。これはJCOの臨界事故と似ている。「安全第一」この標語は、日本全国何処の工場へいっても掲げられているが、経費削減とリストラの影響が見え隠れする。関係者がまた自殺。政治家の汚職はかならず、秘書か運転手。会社はかならず中間管理職が死ぬ。
トップが責任をとったのをみたことがない。口先ばかりの「責任感」。とかげのしっぽきり。株主第一の社員放置。
名古屋の運送会社、たてこもり男の逆上爆殺。社長が会見。あのにたり顔は、「あーこの会社ならおこりそう」と実感。人を人と思わない感性がにじみでる。雪印のときと同じ。「内部告発」権の確立を急ぎたい。
最近やたら血が騒ぐ。といっても血の気が多いのではない。新しい血を身体がほしがっている。といっても吸血鬼ではない。
暑い。早く涼しくなってくれ。
9月14日(日)
昨日、静岡に「田子の月」というメーカーのお菓子を買いにいった。静岡に詳しいつもりでいたのだが、知らなかった。洋風、和風のお菓子を帰って食べてみたが、どれもおいしいので、おつかいものに使いたいところ。帰り箱根の峠で霧にまかれる。箱根ターンパイクを急降下で小田原・厚木道路へ。
蒼天社の「ふたつのモモを読む」の図版をお送りするのを忘れていた。社長より連絡あり、あたふたと準備に。
11月の「学会」の報告文書の草稿も作成するのを忘れ、締め切りをすぎる。こちらもあたふたと作成。
大友克洋論の詳細目次割り、終了。序章、1章にとりかかる。今回、手塚と大友の関係を掘り下げる作業は、ひさしぶりに、わくわくする作業。
新潟のBOOK OFFで「少女マンガ」が1冊5円、10冊50円で販売。数々の大好きな作家のマンガが大量にうられていたので、悲しい思いで購入。しかし1冊5円ていうのは?在庫処分価格に相当するなぁ。店員にきいたところ、いまや、年中在庫処分(調整)で、処分しないと、新規卸ができないとのこと。
中子真治『SFX映画の世界』完全版、日経エンターテイメント、臨時増刊号「日経キャラクターズ」エヴァンゲリオン・ガンダム特集が、けっこう面白い。資料として活用。
竹内オサム先生より、ビランジ12号をお送りいただく。さっそくHPを更新。ますます内容が充実しており、貸本、紙芝居、戦後劇場アニメの連載が、他誌の追随を許さない。マンガ表現論パート2掲載を、来年あたり、お願いできれば…。
NHK「ニコニコ日記」にはまってしまった。先の展開がみえみえなのに、ついついみてしまう。やはり大杉漣の渋い演技がみたいのですね。以前から少女マンガ原作のドラマは多かったが、最近はレディスコミック原作のドラマが多い。マンガ、劇画もそうだが、女性原作ものは、生活感、ディテイル、心の動きが上手に表現されているため、暴力と権力と金力まみれになっている「男性マンガ」にはない「揺れ」に惹かれる。
9月6日(土)
終末になると過労でぐったりする。残暑がいやだ。秋から冬が一番好きな季節。湿気と熱に弱い体質は改善の仕様がない。
先だっての東京雷雨のときに、静岡にいっていたが、帰りの東名高速から東京方面が異様な黒雲に閉ざされ、その中を火柱(閃光)が走りぬけるのを何度もみた。東京という街の感受性をイメージしたら、真っ先にこの風景を思い起こすだろう。
先日は中央高速の甲府南で、車両が炎上し、通行止めになったために、帰宅が夜中に。8月の山梨の花火大会のときは、高速道路に車両をとめて見物するワゴン車が多くみられ、大変危ない思いをした。確かに高速道路上から花火はよくみえる。事故につながらなくてよかった。
青木雄二がなくなった。「浪速のマルクス」と異名をもつ氏の「なにわ金融道」は、一億総中流化した日本に衝撃をあたえた。当時笑ったのは、大銀行や大企業の頭取や会長室に「なにわ金融道」が全巻おかれている写真を何回もみたことだ。日本のトップが青木雄二の講演に足を運ぶ姿も話題になった。
しかし、青木氏の主張は明確だ。世の中、貧乏人と金持ちしかおらん。悪い奴はいい奴(やさしい奴)を食い物にして生き残る。だから弱い奴は「団結して自己防衛せなあきまへん」という、まったくマルクスの教えどおりだ。(笑い)。
しかし金満体験をした日本人は、個に飼いならされたため、面倒な団結なんてしない。自分たちを守る組合にもはいらない。そしてリストラ。個で生き残るには、本当に強い精神力と金力が必要。青木雄二は、団結をとくが、その生き方は一匹狼。豚(権力者)、犬(警察)にかみつきながら、羊(庶民)を励まし、狐眼の男(宮崎学)と交友をあたためた。
何故、商売をするのかって? 自己実現? 自己研鑽?世界支配? いや〜 ただ金がないからだけなんだよね(ロス・チャイルド)(嘘)。
「金がほしいか〜、なんぼでもやる〜。だから愛をくれ〜」 とか、一度くらい叫びたいものだ。「エヴァ」ではさけんでたかな?
8月31日(日)
風邪が完全に直った、やはり、クーラーをやめ、扇風機にかえ、汗を流すことで、新陳代謝が促進された。庭の蔓性植物も順調にのび、ガレージの天井部分の日よけになる日はそう遠くないだろう。とにかく東京の温度を下げること。いろいろやってみた。
昨日も、引き続き午前仕事のあと、午後は資料の読み込みをおこなった。次号の晃洋書房の連載分の「分身論」の資料。世界文学と日本文学で「分身」についてどのように扱われているか。ジャンニ・ロダーリ『ファンタジーの文法』(ちくま文庫)、大林太良『日本神話の起源』(角川選書)を読み比べる。つまみ読み。
中断していたコンサル会社でのビジネス論の連載が9月より、復活。既掲載の14本が過去のビジネス体験を事象として語りおろしたものだったが、ここ1年は、人間、組織、時代などをテーマに「生き方」を論じるものにと考えている。3部で、ビジネステクニック講座を展開するにはあと1年かかるだろうか?
石原都知事が、都議会で、「都の新銀行は、優良企業に貸し出すのであって、街の小売業などの貧乏人にはかさない」と発言。おいおいそれでは、最初の趣旨とはちがうぞ〜。しかし「商売」で考えれば、当然の発言も、都市銀行の貸し渋りと貸しはがしで疲弊している零細、中小企業援助の立場からは「遺憾」である。都が銀行やる必要なし。税金の無駄遣い。
自民党橋本派ドンの野中氏がさかんに小泉首相を「独裁者」よばわりしているが、どっちもどっち。
北朝鮮美女軍団のおどりと応援をみていて、昨日みたビデオ、日本の戦中の「国防婦人会」の体操や訓練がそっくりで、いやになった。全体主義国家は、こうも同質の人間をつくるのか。北朝鮮の子どもたちの金正日賛美の手紙は、そのまま「天皇」賛美の子どもたちの手紙、戦前とまったく同じ。
久しぶりにドラマ『すいか』をみる。「みんな肩肘はらず生きていこう〜」というメッセージがいつも心地よい。しかし世田谷の三軒茶屋にあんないい場所あるかいな? 成功するのが人生の幸せか?
8月25日(月)
昨日、SET「タイツマンズ」を、SETを見る会の方々とともに観劇。初回よりさらにパワーアップ。あいかわらずの「プリッツ」論争、野添さんのホワイトライダー、もう、この2本だけでも感涙するのに(笑いで)、さらに競馬ねた、笑点ねたも加わり、女性陣の奮闘著しくストレス発散。さらに観劇後、お姉さま方とディスコにくりだす。汗をかき、やや風邪がぬけたか?
11月の社会文化学会の報告が決まった。今回はマンガにおける「分身論」がテーマ。ドッペルゲンガ-、二重人格、前世少女論、来世少女論、クローン論など多岐にわたる「分身」の系譜と時代背景を語り合うひとときに。近畿大学で。11月22日(土)〜23日(日) 報告は23日午前。
最近、ますます物事を深く考えられなくなっている。考えたところで、なにも正しくつたわらないし、理解されない。考えたところで、考えすぎを指摘され、楽に生きよと説教されるのがわかってるので、ひとまず、考えたふりをしておこう。しかし、思春期のころよりも、ますます懐疑的な生きる姿勢は、軽薄な時代に「人間らしい」行為であると、自問自答する日々。
NHK『ニコニコ日記』を観る。木村佳乃の肩のはらない生き方と大塚寧々の回りを犠牲にする自己中の生き方、どちらも魅力的。売れない脚本家の木村佳乃と大塚の隠し子ニコの一時の暮らしは、みていても本当に楽しそうだった。2Wに突入。大人の目線と子どもの目線の向こう側に大きな虹がかかっていた。
8月23日(土)
今週は風邪が回復にむかうも、急に暑くなり、またしても寒暖の差についていけない。クーラー使用をやめ、扇風機にきりかえた。暑いときは汗をかき、涼しいときは服をきる。
少し前のライフスタイルに戻れば、かえって健康的。
2003.苗場でのフジロックフェスの合計10時間にわたるライブ映像をみている。今年も「おー」という演奏に出会えるのを楽しみにしている。1日めは今のところ、アンダーワールド、UAがすばらしかった。
9月には、やはり常陸那珂のジャパンロックフェスティバルのフィルムをみる。こちらは平井堅、スガシカオ、HY、175Rの演奏が楽しみ。スガシカオのライブを最近ビデオでみたが、かなり音楽性、演奏力が高い。すばらしかった。それまでは、ビールCMの「生しぼりをすすめま〜す」のにいちゃんとしか認識がなかった。
とつぜん、ある文学雑誌(団体)から手紙がくる。「まぐま」に参加してほしいとのこと。また紙面での「同人誌」コーナーでの書評用のまぐまを献本してくれとのこと。
世間では無名だが、社会的に影響力をもっている団体だけに、対処に困る。誌面の内容も、方向性もその団体の雑誌とは180度ちがう。「まぐま」はそのような雑誌の「権威主義と啓蒙」との戦いから生まれたのだから。
しかし、ここにきて「まぐま」をめぐって何かがおきているのは間違いない。おそらく、サブカル・ポップ雑誌が、中身は「地球環境問題」を真面目に語るという「擬似啓蒙」的な装いをしたことに、敏感に反応したのかもしれない。推移をしばらく見守りたい。
8月16日(土)
やはり風邪をひいた。今日も肌寒く、雨。昨日コミケに友人といき、暖かくしたつもりがやられた。
コミケ、初日ということもあるが、午前中は大混雑、午後から入場した。すでに人気サークルは売り切れ続出。人気サークル午後便がクロネコで到着する前から、4列で50Mくらいの待ち客ができている。
初日は、ジャンプ、ゲーム系キャラなので、「デジキャラ」系のデザインのキャラクターマンガが目白をし。このなかかから、人気サークルとそうでないサークルの差はどこにあるのか。興味しんしん。初日はおそらく7万人以上10万人くらいはでたのではないか。しかし、どうみても40前後の「おたく」が、デジキャラのペーパーバックをもって歩いている姿は、自分がもって歩いている姿を想像すると(汗)がでる。(笑)。
コミケ初体験の友人に、キャラの解説、傾向などを語りながら、歩いているとサークルさんが不思議そうな顔でみるので、やや狼狽。「話はいいから、買ってよ」との声がきこえてくるようだった。
コミケ視察は、ダシで、その後の「打ち合わせ」で帰りは夜中に。風邪が悪化。朝からマンガ読み。梶原・川崎『巨人の星』再読、大谷博子『由似へ』、森下裕美『23のさかな』を読む。
子どものころの刷り込みはおそろしい。大げさな星飛雄馬のセリフやアクションに、しらずしらずに感動している。なぜなのか。戦争中や戦後まもないころの、一徹の回想シーンにいつもひかれる。アニメ画面に実写の爆撃シーン映像がくみこまれ、かならず「昭和18年…」とはじまる一徹のモノローグは、子ども心に「敗北のみじめさ」「戦争のおろかさ」をすりこまれた。
TV神奈川の深夜アニメ『巨人の星』は、今大リーグボール1号が生まれようとしているところ。
NY、カナダが大停電。ゆきすぎた民営化のつけ。
8月14日(木)
急に寒い。昨日より8度も低い。秋の気温。夏だというのに。東北は冷夏で、野菜はまったくだめ、芯から腐っている。米もだめだろう。秋は物価があがるか、輸入物でバランスをとるか。アイスクリームもビールも夏場商品はのきなみ3割売上ダウン。欧州ではアルプスの氷河がとけ、河が氾濫している。
やはり異常気象は常態化した。温暖化はじわりじわりと生活に影響を及ぼしている。9日の台風も太平洋高気圧の弱さ、上空のジェット気流の蛇行が原因とのこと。
昨日、コラム「二つの『モモ』を読む −ミヒャエル・エンデの『モモ』とアニメ「ミンキー・モモ」のファンタジー」 を400字、7枚で脱稿。枚数が限られていたため、ドイツと日本の「モモ」の表面的な比較にとどまる。2つのモモに「市民社会」と「文化」の豊かさの違いが明確にでている。
自由民主党が政権をとっているこの国の自由は、競争の「自由」であり、民主は民間主導の「民主」一色に彩られている。ドイツの自由は、協力の「自由」であり、民主は「国民が主人」(国民主権)の民主である。
ドイツでは、地域文化センター、社会文化センターが拡充し、市民が企業家、農民、芸術家、自営業者、様々の分野の人々と「文化」を生みだし、交流をかさねている。それは年間労働時間1550時間を不況下にもかかわらず実現し、国、企業をあげてとりくんだことが、余暇時間の増大、「市民文化」の発展に結びついたといえるだろう。
日本では、いったんは年間労働時間2000時間をきるも、社会問題化している「残業」により、無払い労働を暗黙のうちに強制し、はるかに2000時間をこえている。ワーカーホリック、過労死、過労自殺を生む日本では、「協力」も「国民が主人」も遠い話。昨今のトラックの過労事故も、「民間主導」で社会強制力が企業に働かない日本では、「気をつけましょう」としかいえない(笑い)
そこに生まれるのは「加害者−被害者」という二項図式のみ、社会構造、経済構造から原因を追求することはできない。「左翼文化=人権文化」との批判が正しいとすれば、左翼が瓦解した日本では、逆に人権は希薄になったといえるのではないか。「左翼文化」のおかげで、守られてきた人権が、むきだしの「悪意」のもとにさらされている。なぜ、被害者と加害者の関係からしか、ものごとをみられないのだろうか?
8月12日(火)
ようやく、9日のパーティの余韻から解放された。なぜか風邪をひき、前日ライブのあとのジャズライブで、エアコンの直撃をうけたため。あいかわらずヤワである。
今日は、昨日買ったG.W.Fハルガルデンの「独裁者」(岩波)を読む。古代ギリシャからナチス、中国、ソ連の独裁政治体制にいたるまでの「政治体制」を詳細に分析している。個人的にはロベスピエールとジャコバンの独裁、パリコミューン、ロシア革命の比較検討が興味。初版は1967年である。読み終わるのに1ヶ月はかかるだろう。
「チャップリンの独裁者」を、小学校6年のとき見て以来、大の「独裁者」嫌い。おかげで、人生冷や飯くってます(笑い)。長いものにまかれない人生、40年!
午後からYAMAHAのキーボードとにらみあい。昨日のバンドのコード進行が気になったので、久しぶりに鍵盤をたたき、コード確認。♭系コード、セブンスの多様でやはり、コードそのものの原音がわかりにくくなっている。C D E F G Aの組み合わせで、単純なメジャー、マイナーコードであれば、親しみやすいメロディが生まれるには当然。
ついでにfra-foaの曲を、聴きながらコードをおってみた、やはりC E Fのコード主体、曲によっては、D EのバリエーションでCと、3コードの曲もあった。それでいて曲の多様性を感じるのだからたいしたもの。
8月15日のコミケ散策、今年は行くのを迷っていたが、友人からの誘いがあり、いくことにした。ビックサイトは、晴れると本当に暑くていやだ。海が近いのでしょうがないか。
8月11日(月)
まぐま5周年パーティ終了。嵐のなか、おこしいただいた皆様に深謝。次号につながる様々なヒントをいただきました。2次会、3次会も盛り上がりました。スタッフのみなさん、大変お疲れさまでした。
竹内オサム先生より、「マンガ 批評と研究 +資料」改訂版をお送りいただく。批評と研究を結ぶ、日本で数少ない総合的な研究書である。マンガ研究をするうえで羅針盤となるマンガ研究者必携の書。マンガ研究者の質についての指摘は、まったくもってそのとおりで、マンガがサブカル、ポップだからといって、その研究態度まで「サブカル・ポップ」ではいけない。肝に銘じたい。
文春新書「色彩の世界地図」を読む。色に関する様々な考察が面白い。とくに中国からうけついだ、青、赤、白、黒の考察。青春、朱夏、白秋、玄冬という言葉。
このことばは季節の変化をしめすと同時に、人間の一生、生命の盛衰、文明の生成、消滅などを示唆している。青から赤へ、これは青春期から人間としての成熟期、文明の発祥(農業)から工業文明の現在の象徴、白はその死と黒はその再生(誕生)を意味する。そういえば、日本の葬式で黒が使われたのは明治以降だし、それ以前は白装束だ。黒が死を意味するような気がしていたが、逆だった。
赤は血の色、青は希望の色、そして神の色。地球の色。
風の谷のナウシカ で暴走するオウムの眼は怒りで真っ赤に燃えていた。そしてナウシカの死をもってオウムの怒りはしずまり、その目は青へと広がっていく。
83年。劇場でこのシーンをみたとき、その美しさに、自分のなかの何かが変わっていくのがわかった。
オウムの目は私たちの心そのものなのだ。
昨日の疲れはとれ、翌日またライブへいく。BARAKA。プログレの皮をかぶったヘビメタバンド。リズムセクションがしっかりし、ドラムの平石さんがわたしの好きなパワードラマーでご満悦。
ただ、楽曲がスリーコード中心でリフとリズムの組み合わせでプログレアレンジしているので、案の上、ラスト曲、アンコール曲はのりのりのヘビメタだった!。ベースの依知川伸一さん。グレンヒューズばりの風貌。ギターの高見さん。この人のギターワークはすごい。ただ、スケールの多様性がすきな私には、ちょっと音色の幅がない。
8月は銀次さんのライブがまたシルエレであるので、楽しみ。本当銀次さんのギターワークは幅がひろい。天性だな。きっと。
昨日から夏休み。さあ。執筆だ。パソコンに釘付け。
8月2日(土)
今週は連日、報告書作成と出張で就寝時間は午前3時と、寝不足でへろへろ、暑さと湿気によわいので居眠り運転にならないように小刻みにPAでねるはめに。
深夜、朝まで生テレビをみる。長崎の事件をめぐり、「少年犯罪」について、少年法、社会、家庭、学校、親、躾などまでにはいりこみ、語られる。とくに目新しい言説はなかったが、宮崎哲弥と宮台真司は、「豊かさを実現した社会では、あらたな共通した理念が喪失し、親が、社会正義、秩序を維持するための「規範」をこどもに躾る機能が弱まったのは当然」という。
いわば、モダンの実現とポストモダン、50年体制の崩壊による政治理念の喪失(社会理念の希薄化)、バブル経済崩壊による労働意欲の喪失(産業社会からの逃避)が、大人からこどもへ影響をおよぼしている。
しかし、保守派からは、「家や主人につき従い、それでいて陰で文句をいう、母親のような生きかたはしたくない」という女性の自然な感情と女性の社会進出が、子育てをないがしろにしているという、相変わらずの一方的な「女性悪玉」論、男女分業論を展開。やや食傷気味。
おまけに「少年法」の該当年齢を10歳までさげろという自民党議員もいて、あいかわらずの取締り思想にうんざり。大谷昭宏と福島瑞穂、お怒り(笑い)。
やはり注目したいのは、マスコミの過大宣伝と親のしつけ責任論への「還元」である。はっきりいって長崎の事件は異常である。しかし、こうした犯罪をおかすこどもはほんの少数であり、マスコミは競ってその異常さ、プライバシーを暴こうとするその加熱報道こそ問題だと思う。それによって「異常な社会」をことさら演出し、人々の不安をあおる。また、日本人は公共的、社会的に「考える」ことが弱いので、なにかあるとすぐ、論者は「社会や政府、学校」に責任をおしつけるか、責任を親にとらそうとする。しかし、こども自身にも責任があると考えられないだろうか。そしてそうした人間がすむ「社会」構造にもある。トータルにバランスよくものごとをみる必要性が識者にのぞまれる。
「父性」不在の社会問題もでたが、「父性」など日本には、もともとない、「世間」の代弁者たる父親の役割があっただけという指摘もあり。女性性や男性性、父性や母性など、人為的につくられた概念を疑う必要が認識された。
東浩紀と笠井潔の往復書簡「動物化する世界の中で」(集英社新書)を読む。こうした「少年事件」がおきる時代、社会背景がよくわかり、全共闘ジュニア世代と全共闘世代の両者の認識の修復不能な食い違いが、逆に、今日の日本的状況を理解するてがかりになり面白かった。
7月27日(日)
昨日、朝めし前プロジェクトの上映会に、多くの朝めしを見る会、まぐま関係者の方々と参加した。人見監督の「ハーレムエイジ」の完成度は高く、面白かった。短編ということもあったが、あっというまに時間がすぎた。鶴岡監督の「STRING OF LIFE」 多作な監督であり、手馴れている、脚本も面白い。画像があらかったのが残念。他の作品もみてみたい。眼のほうも今回は大丈夫だった。
ようやく部屋の掃除が終わった。結局、今回もゴミのほとんどが紙。「捨てられない女」の番組をみていて、捨てられない原因が、心の問題(さびしさ、もえつき)にあることがわかる。自分の場は、たんなる不精。原因がわかっているだけに自分の場合、笑える。
高橋留美子「恋愛の法則」のコラムにとりかかる。今回は400字で6枚ほど。マンガ表現試論(2)、マンガを見るから読むへ の構成終了、400字で40枚予定。あとは素材をくみたてるのみ。8月はオール執筆デー。
最近、まわりの友人で40代の初婚があいつぐ。奥さんも初婚で30後半。自分のことを考えるとやや複雑な気持ちになるが、「自分中心主義」である以上、家庭をもつのは難しいとの判断がつよい。だが、こどもがほしいというわがままさは、かっての未婚の母のようだ(笑い)
女性に振り回されて生きてきた人生に終止符をうったはずだが、いまだにリモートコントロールされているようで情けない(笑)。精神的に女性から自立できないのは家系のせいだろうか?(笑い) 自分のせいだろう。
自由党と民主党が合併。よりましな政府論からすれば、自・保・公の政権より、期待できる。だが、今の選挙制度、小選挙区制は、2大政党制を前提にした制度であり、自民党が得票数をおとしても政権を担当できるご都合制度としてスタートしたことを忘れられない。合併した民主党がアメリカの民主党のように機能するか、しないか、機能しなくても自民中心で、日本はがたがた、したとしても2大政党制の前に、マイノリティ、少数意見は封殺されていくことは明らか。
2大政党政治に民意は反映しない。2大政党制は政治に民意を従わせるだけである。アメリカの正義。イギリスの正義は、どちらかに投票しようという単純な動機づけ、選択しを与えるにすぎない。
一党独裁はもってのほか。歴史の遺物である。
7月26日(土)
最近、本を読んでいる時間がまったくないので、CS11の放送大学の「講義」を録画し、他の仕事をしながら、画面をみずに聞いている日々。今やっている「「現代モード論」「学校システム論」が面白い。
ルネッサンス期のベネチアで発明された鏡。この鏡の登場によって、人間は「身体」を獲得した。それは他人にみられることを、自分の視線として追体験することであった。これによって、身体の衛生観、身体表象も芽生えたという。それは身体の「内面化」だった。
マンガの「分身論」の構想をしていたが、鏡の機能、鏡像関係が、いかに「内面化」「近代化」に貢献し、「自我」を芽生えさせたのか、これは、戦後日本のマンガの物語におきかえてみると大変面白い。論の展開の上でも大変参考になった。
中島みゆき「夜会」のビデオをみる。90年、第1回と96年の第6回をつづけてみる。あらためて感じたのは、中島みゆきの「楽曲」は1曲1曲が、ひとつの物語であり、その曲のなかの「私」は、著しく「恐れ」「悲しみ」「つらく」振舞うにもかかわらず、だが、それを乗り越えていこうとする明確な意志を表現しているということである。
90年ラスト曲の「二人は」、そして96年の「誕生」は、ペシミズムのなかの無比なオプティミズムをかんじとるのか、、見ていて、自然と涙がこみあげてくる。
NHK夜のドラマの「盲導犬クーの生涯」?をみているが、糖尿病で失明した玉置浩二によりそうクーと玉置との「思い」の共有に自然に見入る。うじきつよしの演技もあいかわらずすばらしく、こいつ本当に「泣いている」と役者魂に感心する。うじきの涙には弱い(笑い)。
いよいよ28日が最終回。沢口靖子のナレーションも聞き納め。
7月21日(月)
引き続き、ウルトラセブン「わたしは地球人」、「アカシックレコード」をみる。平成ウルトラセブンは、物語の底流に、人類の「欲望」(エゴ)と地球環境問題がある。「私は地球人」では、昭和のウルトラセブンで人類が滅ぼした、地球の先住民「ノンマルト」の末裔によって、地球の歴史を記したオーパーツ(オメガファイル)の宇宙への開示をせまられる。そのオメガファイルには「人類がノンマルトを侵略した宇宙人の末裔」である事実が記されていた。その生きた証人としてフルハシ参謀は、過去に送り込まれたのだった。
ダンは、いう。「何人も自分の星以外で生きる権利も侵略も許されない。それが厳粛な宇宙の摂理です」
そして宇宙にむけて「侵略の事実」を開示する人類の勇気と知的生命体としての進化を、ウルトラセブンは、「侵略者」の側にたつことで宇宙の無法者になる覚悟で、人類を信じようとする。
今尚、侵略戦争をおこし、少数民族の「民族自決権」をふみにじり、軍事介入しつづける大国が世界を支配するこの星、地球。平成ウルトラセブンが意味するものは、まさしく欲望にまみれたこの星の為政者、現在に生きる人類への強い「メッセージ」である。
「バトル・ロワイアルU」の予告編をTVでみる。ここでも藤原竜也ふんする七原が、全体主義国家と化した日本の大人たちへの「戦線布告」をおこなっている。
「一部の人間が世界を牛耳っている。62億の人間には62億の幸福が、そして62億の悪が…」
62億の人々のほとんどは、平和をのぞみ、自由を、博愛をのぞんでいるだろう。だが、国を制する少数の「選ばれた政治家」は、自分の利益、自国の利益、民族の利益を優先させる。その結果醜い戦争をおこす。
そうした為政者を我々が選んでいるのだ。それは内なる保守精神(保身)の現れである。
みどりの日(4月29日)を昭和の日(神の国の日)にしようとする森元首相の言葉にそって、国会で変更されてしまった。ウルトラセブンの世界も、バトルロワイヤルの世界も、まんざらフィクションではない。
有事法制、雇用調整法、個人情報保護法、「戦争、労働、メディア」、すべてにわたり、為政者につごうのいい体制に、しのびよる全体主義国家への道。このままでいいのか?
ブッシュ、金正日、小泉、すべてを力で解決し、従わない人間を「法」で圧迫する「独裁者」。
この独裁者は、会社にも、家庭にも、どこぞの組織にもいる。「民主主義」を守るためにも、「言論」の自由は最後の砦だ。そうだ。いいたいことをいおう。とりかえしがつかなくなる前に。
7月19日(土)
大友克洋論の資料集めが終わった。雑誌「WIRED」の鈴木裕との対談号を探していたのだが、またしてもBOOKS「イトウ」で入手した。ほんとうこの古本屋さんはありがたい。星野之宣と諸星大二郎の対談を掲載した雑誌「文藝」も入手。ここのところ、探していた本が次々に手に入る。
劇画における遠近法の分析も、フランス、ベルギーの作家と大友克洋の対比で、絵画表現として一度まとめたいと思っていた。夏休みは、章構成をつくり、いっきにマンガ、アニメ、特撮をみながら、執筆にひたりたい。
今日はまたしても「ダイソー」で100円でかった「ジプシー音楽〜ルーマニア編」を聴く。BGMとしてはそれなりによい。ツインバロムといわれる独特な楽器の音が妙。
昨夜から「スプリガン」「王立宇宙軍」「タイガーマスク 覆面リーグ戦」のビデオをみる。やはり、タイガーマスクの「グレートゼブラ(馬場)」の存在感は圧倒的である。エンディングの「みなし児のバラード」で、子供時代の伊達直人が寒風吹きすさぶなかで、新聞配達をし、靴みがきをしながら、明日を夢見て生きる姿は、いつもみても感動する。このエンディングが子供心に「タイガーマスク」中毒になった一因。
別件でHPの立ち上げの企画があり、その準備の打ち合わせをおこなった。とりあえず、あせらず地道に秋をめざして、ファイル作成の準備をおこなう。
過去論文でお蔵になってる論文のHP掲載が滞っている。まぁ、過去だからいいか?
7月13日(日)
昨日、夜中、高橋留美子の「犬夜叉」を読む。ここで、高橋留美子の絵柄の法則を再発見。うる星やつら、らんま1/2、そしてこの 犬夜叉もおなじ。はじめ登場人物が大人っぽく描かれ、しだいに幼顔になっていく。これは、おそらく登場人物たちの心の新密度がますにつれて、(作者のキャラクターへの親近感が高まり)、キャラクターへの愛着が増していくものと思われる。
そして、シリアスものの犬夜叉でさえ、後半になるとギャグが連発されるようになる。高橋留美子は、やはり根っからのギャグ作家なのでしょう〜。しかし、毎回たくさんの方々、妖怪たちが死にまくるのに、眉ひとつうごかさない登場人物たちの感覚は、いったいどうなっているのでしょうか?
久しぶりに土日、家にいたので、すっかりたまった郵便物の処理。家にいるときは、日曜日の昼間は、たいていTOKYO FMを聞いている。休憩中BGMはダイソーで100円で売っている50年代ポップス。
国立大学法人化 問題は、基礎研究に重きをおく分野への予算配分、人事権の事実上の「取り上げ」をつよめる方向にあるということだけではない。産業界の常識である「効率と効果」が、「学問」の世界にも完全におよぶということである。
つまるところ、「儲け」に直接むすびつかない学問の排除、人間不在の「儲け」を産み、人間疎外をすすめる構造を批判する学問の排除である。私立大学への助成金の基礎も、この範囲内ですすめられる。産学協同はすべて悪いことではない。だが、いまや、あらゆる分野で「国策化」がすすめられる状態には、山崎正和氏が80年代に記した「柔らかなファシズム」「笑顔のファシズム」を感じ取らざるをえない。
官僚化は弱まるどころではない、強化されているのだ。
この違和感は、自分のなかで年々強まっている。
アメリカは、今、金融につぎ、欧州の公共政策分野、福祉、教育、文化の解放を迫っている。公共分野を解体し、民間化すれば、それは「儲け」をあらたに売る市場が誕生する。日本の「改革」もそのアメリカの要請に応じてすすめられている。小泉改革は、「国民」のための改革ではなく、「アメリカの利益」とそれのおこぼれにあづかる「財界・産業界」の要請にあることが、ますますはっきりしてきた。
そのおこぼれを、いままでは国民は享受してきた。だが、その道は、これからは正しいのだろうか?
それで、果たしてよいのだろうか?
バスに乗り遅れるなと 誰もが勝者になれると思いながら、バスの乗車チケットを得ようとし、また「生存競争」に参加する人間だけに、「幸福」のチケットを与えようとする「思想」から逃れても、「資本」にからめとられた「スローライフ」「スローフード」などの「文化」が、新しい商品をCMする。
何故ミニコミをやりつづけるのか? いつも自問自答する。その答えは、やはりこのどうしようもない現実があるからなのだ。ファッションだったら続けることはできない。儲からなかったら続ける必要はないだろう。普通は。
7月12日(土)
今週は、睡眠不足と出張のなかで、なぜか?怪獣ビデオをもちこみ見つづけていた。「平成ウルトラセブン」「ウルトラマンパワード」シリーズ、「ウルトラマンエース」シリーズ、「プルガサリ」など。
とくにやはり昭和のウルトラマンエースにはしびれた。やたらとヤプールがらみで変な「唄」でてくる(笑い)。やたらに画面が暗い。女優の化粧が濃い(笑い)。超獣の造詣がめちゃくちゃ。宇宙船(円盤)がとびそうもない形をしている(笑い)、最終回、「明日のエースはきみだ」は、17・8年前にみたときと印象がかなり違っていた。
サイモン星人に化けたヤプールがボケた顔(造詣)のため、シリアスな北斗の演技をかえって高めていた。確か前回みたときは笑っていたような気がしたが…。弱いものいじめを禁じ、サイモンをいじめるこどもたちをいさめる北斗が、子供たちのまえでヤプールが化けたサイモンを射殺した。怒るこどもたち、問い詰めるこどもたち、「どうしてサイモンを殺したんだ」「仲良くしなきゃいけないといったのは誰なんだ」と。「それはサイモンがテレパシーで語りかけてきたから」「テレパシーだって、そんなことができるのはウルトラの兄弟だけだ」。もう北斗は完全に追い詰められる。
「それは…ぼくがウルトラマンエースだからだ!」
告白はいつも感動を呼び覚ます。これが最後の変身だ。南夕子が昨晩告げていた。「告白は別れを意味することを」。 昭和のウルトラマンは,ウルトラセブン以来、告白=別れの美学によってなりたっていた。
7月8日(火)
5日は京都で、『反グローバリゼーションとNPO・NGO』 アタックの挑戦と社会文化の方向性の講演会に出席した。運良くパーティで、講演者の杉村昌昭(龍谷大学教授)氏とつっこんでお話させていただくことができた。その話から氏が私生活ともにかなり亡くなったガダリ。ネグリ(は生きています)に近しい間がらであり(翻訳も多数あり)、ガダリ、ネグリが認める数少ない日本の知識人であるということがうかがいしれた。(念のため、氏の言葉から一切はっせられなかったが)。
ガダリに関して、まぐま関係者にも縁のある財津先生のお話をしたところよく存知ているとのこと。(あたりまえか) その翻訳をやった荻原さんという人が「まぐま」にいるのだ!とまるで自分の仕事のように鼻が高くなる私。(笑い) 杉村氏に思わずいってしまった。
なぜ、ガダリ、ネグリが杉村氏を認めるのか。それは杉村氏が、日本にはいない数すくない行動する学者であり、学問は現実を変えるためにあるという信念をもっているからだという。サルトルとブルデューの違いもここにある。
イデオロギーから体制批判をしたサルトルを批判するブルデューの言葉は、現実を変え、現実を変革するために、今おかれている世界の徹底した分析に用いられ、その言葉はひろく国民とともに、行動のための言葉として結実した。(日本における空白の10年は、フランスにおいてはジグザクはあるものの結実の10年だったという)(ネグリもブルデューも権力によって不当逮捕されている)。逮捕されるほど厳しい社会分析、社会批判をおこなう学者は日本には存在しない。なぜ権力はおそれたのか。それはその知が国民の力と結びついたからである。
先だって、ドイツのジャクリーヌさんからも、「日本人はなぜ、NOといわないのですか」「なぜ住民自治が日本にはないのですか?」「なぜ死ぬまで働くのですか?」と厳しく追及された。
一応、高度経済成長と消費社会構造、憲法、日米安保条約と戦後の戦争処理の問題意識のあいまいさをあげて苦しい言い訳をした。
杉村氏はフランスに芽生えたアタックの意志を受け継ぎ、日本でたちあげた人である。世界の先進国の大企業経営陣による世界経済フォ-ラムに対抗して、世界社会フォーラムを開催したアタック。政治家でもない。我々一般市民が世界的に活動できる場がそこにはある。それは、国民国家を超えた世界市民運動となり広がりつづけている。欧州では連日のようにアタックの情報が、新聞、TVで放送されているが、日本ではネット上の一部にしかない。これは運動がないのではなく、マスコミによって無視されているのだ。
死にかけている政党政治。
今の駄目な日本は、間違いなかく自分がつくっているのだ。頭から火花がでた。
7月3日(木)
1コマ漫画専門誌「EYEMASK」の蒼天社の社長より、原稿依頼をいただく。橋本勝さん、マッドアマノさん、二階堂正宏さん、評論家の小野耕世、清水勲さんなど、漫画関係の豪華執筆人がそろう雑誌。風刺マンガ、時世漫画が中心。物語まんが、劇画におされがちな「漫画」文化のなかで、このような専門誌を発行しつづける姿勢に感服。今から何を書こうかと楽しみ。
北海道TVからテレビ神奈川で放映されたアニメ「最終兵器彼女」が終わった。全13話、ものすごいモノローグと彼と彼女のねばっこい世界に呆然としつつも、最後までみた。最初北海道弁が気になったが、意外に濃いストーリーにマッチしてきた。しかし、何故北海道なのか?何故意味なく街が破壊され、彼女自身の肉体が最終兵器として世界を殲滅するほどの力をもつのか、世界が消滅したのちも、彼と彼女の魂が生き残り、生なる肉体の「思い出」を語りつづけることになんの意味があるのか?
すべてにわたってこのアニメはわからなかった。しかし脚本の「濃さ」は、最近のアニメでは出色である。…
「ワンダバスタイル」もおわったが、またひとりの男が、美少女たちにもてまくるアニメがはじまる。なんでこのハーレムパターンなのだろうか?アニメ脚本家は、よっぽどもてないのか(笑い)
漫画家 三本義治 ガロ出身の彼とは、二度ばかり話しをさせてもらっている。、昨日古本屋で、彼の「マンガの本」があったので、購入した。ガロ系の下手ウマというよりも、下手そのもののマンガだが、なぜか面白い。技巧とアートに走り、演劇がかったマンガ、劇画だらけのなかで、「あ〜これってマンガだよな」と安心する。子供のころわくわくし、「いいな〜」と感じた世界がそこに。「ルチャ・デイズ」は哀愁すら漂う。
昼間、車で移動してることが多いことから、ラジオを聞いていることも多い。文化放送の夕方の辻義就さんの番組で、相手役をやっている藤木アナの声が、とても心地いい。癒し+元気系の声で、林原めぐみさん(らんま、綾波レイ)系の声。自分がこの傾向の声に弱いことがわかった(笑い)。
6月30日(月)
昨日、吉祥寺で待ち合わせをしていたら、岸部一徳さんが、目の前で携帯をかけていた。井の頭口からなにやら井の頭線で渋谷に向かったもよう。ジーパンにカッターシャツ姿で、普通のおっさんなので、回りはきづかなかった。
最後にいきつけのライブ喫茶に数人つれだっていったところ、高田渡さんがよれよれと店にはいってきた。おりしも高田渡さんの新刊本が販売されていた。知人が声をかけたところ、若いお姉ちゃんと話に夢中で「無視」された。(笑い)
高田渡、友部正人、遠藤賢司、は岡林信康、高石友也、中川イサト、加川良とちと違う。どこがちがうといえば、すごくちがう。私は遠賢と岡林と加川良が好きなので、高田さんは古いレコードを1枚もっているだけ。岡林の曲はほとんど歌えるのだが、同世代でうたえるやつはいない。なぜだ〜。
国会議事堂内に監視カメラが発見された。カメラは電球の笠のような形態でカモフラージュされていた。しかも地下鉄の駅にもとりつけられたいた。各市民団体、NPOが抗議、申し入れをおこなったが、なんと議事堂の職員もしらなかった。これは大問題である。カメラは陳情者を監視、記録するものだが、誰が、誰の指示(権限)でとりつけたのか。フーコーのいう監視体制国家がますますエスカレートしていく。公安の動きがなにかと連動しているのか。
杉並区では山田宏区長が、警察といえども区内で勝手に監視カメラの設置をすることを禁止した。区長のおかげで、住基ネットにも不参加な杉並区民でよかった(笑い)。住基ネットは、国家による個人情報の一括管理、有事の際にふる活用できるシステムづくりである。
これは昔読んだジョージ・オーウェルの「アニマル・ファーム」というソ連社会主義体制を皮肉った小説を思いおこした。日本は自由主義国だろう? 社会主義国じゃないんだぜ。どんな権力も監視と管理、強制がすきなんだな。これが。
今回の国会監視カメラ事件は、マスコミは報道していない。なぜじゃ〜。
6月24日(火)
28日の「やおい・おたく文化研究会」のテキスト「ラブ・ハラスメント」を読む。さすがに現役女子大生作成の「テキスト」は、男性社会の盲点をよくついている。彼女たちの本音を読むと、「結婚」がすでに人生の選択支のひとつにすぎないように、「恋愛」ももう選択支のひとつにすぎないのである。「命短し恋せよ乙女」なんていう言葉も、所詮男性社会がつくった戯言。
色恋大好きな人間が、彼女いない、彼氏いない人を「かわいそう」「人間的に駄目な人」「性格が悪い」とかいって、未成熟な対象物としてハラスメントする。この傾向はもう、小学生高学年にまで下がりひろがっているという。マスコミの色ボケ雑誌がローティーンまで餌食にしている。
恋愛経験がなく、34歳まで処女だった漫画家(これもセクハラ?) 姫野カオルコさんの言葉からうかがえるのは、「恋愛」「SEX」「結婚」がセットとして、人生のなかで商品化されており、社会の再生産、国家の再生産のための「記号」となっている。このキーワードが女性の心理を圧迫し、恋愛→SEX→結婚というステップを解体したいという声がきこえてくる。恋愛だけだっていいじゃん。SEXだけだっていいじゃん。どうしてセットじゃなきゃだめなの?と。
そのそもSEXしなくたっていいじゃない?と。
結婚しない人間へのハラスメント、子供がいない夫婦へのハラスメント、そしてSEXしない人間へのハラスメント、そして恋愛しない人間へのハラスメント、こうした者を「未成熟」なものとして批難する連鎖は、逆にくずれつつある日本の家族、社会、国家をなんとかとりつくろうとする悲鳴にきこえる。
かくいう私の友人も「子供はかわいい〜よ」などとのたまわっているが、内心「お前にもおれと同じ苦労をさせてやりたい」という本音がまる聞こえである。
だから酔うと、お前は自由でいいなぁ、などと口走り、あげくに「俺の家族をやる」などと、不謹慎なことをいう(怖い) だんな、今日は荒れてますぜ〜となだめる。
共産党議員がセクハラで辞職。これだったら保守議員は半分は国会からいなくなるだろう。そうすれば、国会議員は自然に半数になってちょうどいい。金と女性と権力にきたない奴らが保守議員にはうようよしている。こんな奴らに日本は変えられない。本当に税金はらわんぞ〜(笑い)
石原知事もセクハラし、女性団体をおこらしたが、何故辞職しないのか? 保守議員ならいいのか(怒)。
金まみれで辻本議員がやめたが、何故保守議員はやめずに、いられるのか?なんでだろう〜。
6月20日(金)
明日からマンガ学会が京都精華大学である。竹内オサム先生、夏目房之介さん、呉智英さん、竹宮恵子さん、米沢嘉博さん、村上知彦さん、小野耕世さんなど、70年代のマンガ評論誌「ぱふ」をリードされ、また「ガロ」を中心に評論を展開された、私にとっての憧れの「批評家」「マンガ家」と一同に会す学会は、本当にすごい。いやー十代の夢実現という感じ。でも皆さん全員はいらっしゃらないだろう。
当時、大島弓子さん、萩尾望都さん、竹宮恵子さんのマンガに熱狂し、男なのに少女マンガを読むと「バカ」扱いされ、迫害にたえたかいがあった(笑い)。
というわけで、明日の夜は京都に一泊し、2日間マンガ三昧の日々を送る。
朝めし前プロジェクトの佐久間代表より、長山洋子さん主演の映画『じょんがら』の上映会の案内をいただいた。keiさんの紹介で「プロ映像集団」の皆様とのかかわりをいただいた。「まぐま」11号の展開も大変楽しみ。
というわけで、明日もはやいので、ねよー。
6月15日(日)
今日はタコシェ、模索舎、ぽえむぱろうる にまぐまの納品にいった。日曜日だというのに店内は客が少ない。あーだこうだ話しているとやはり、売上はダウンだ。ぱろうるは西武書館内にあり、哲学、思想、社会学、関係のコーナーをうろうろしていても、いっこうに人が来る気配がない。3Fの美術、写真集、雑誌のコーナー、ビジネス書のコーナーには人がいる。なんか、この国の学問は滅びるような気がする。
帰りに古本くんによる。ついに閉店まぎわ。ついに西武線沿線上井草から鷺宮まで古本屋は残り、2軒になった。BOOK OFFの影響もあるが、どうでもいい本(売れる本)しかないBOOK OFFでは、文化のリサイクルは無理。
売れるものしか残らない(ハイパーコンシューマリズム)の極みは、文化そのものの消費だ。競争が激しければ激しいほど、画一的な文化しか残らない。それは平均的に売れるものは似たものになるからだ。後世に残るものはつねに売れたもの。それは、自由という名のもとに選択された文化の貧困、自殺だ。
ブルデューの指摘はまさしく日本にもそのままあてはまる。フランスでは、配給映画の7割までが、大手数社におさえられている。アメリカぎらいのフランスでさえ、その上映映画はハリウッド製に席巻されようとしている。タレント本や写真集、ベストセラーの真似本への嫌悪を表明するブルデューの記述を読むと、日本と大差ないので笑えた。日本はまだまだ隙間がある。
社会進歩は自由競争によってもたらされるなどと、いまだに古い進歩史観にとらわれた経営者がたくさんいる。競争が激化すればするほど、酷似した商品しか生まない。そもそも商品文化こそが、社会進歩をはばんでいるという逆説。
ビールに氷をいれて飲む日々。こうすると全く酔わない。ではなんのためにビールを飲む。これもまた逆説。
6月14日(土)
今日は目がさめたら、午後1:00だった。昨晩は12時にはねたが、目がさめなかった。そうとう疲れている。やはり車での日帰り新潟出張はけっこうきつい。
まぐま10号完成。今日ついた。やはりムツゴロウ先生の表紙のインパクトはすごい。内容は学術まぐま第2弾にふさわしい内容。サブカル・ポップ色がややおちているが、読み応えがある。
昼からアントニオ・ネグリの「欲望する機械」「警察学」「批判としてのコミュニズム」などの論文を読む。ネグリの国家権力の分析は、その国家を支え従属する労働者の分析にあたる。このあたりはルカーチの「歴史と階級意識」での、プロレタリーアートの存在と労働者階級意識が分離した状態での「革命」はユートピアにすぎないことを重ねて感じさせてくれる。
資本の価値増殖が自分たちの生活を苦しくさせるにもかかわらず、すすんで資本の支配を受け入れる「労働者」のむれが、すすんで資本海に投身自殺する状態(過労死や過労自殺、労使協調など)は、プロレタリアとしての意識と労働者階級意識の断裂にあり、それは「労働」そのものに問題があるという。
これがサポタージュ論にもつながるのだが、労働者は経営者(資本家)なくしては生きられないし、資本家は労働者なくしては生きられないのだから、もう少し労働者を大切にする国をつくらないといけないと思う私に、ネグリはその相互互換、相補性、従属性にこそ問題があり、労働者を圧迫しているとせまる。
夕方からブルデューの文化的抵抗の戦略論を読みはじめる。ハイブリッド論、クレオール論など読むのに時間がかかりそう。
しかし、欧州思想界、政治、哲学の底流にマルクスの影響はいまだに大である。それは資本主義が継続しているのだからそのとおりであろう。だが、ネグリの価値論は、経済学的な価値論の範疇をこえて、人間そのものに入りこんでいる。いいも悪いもシステムをつくり、維持するのは人間ということか。
ネグリ、マイケル・ハート、ブルデューのほかの論文をもう少し読んでみよう。
長年探していた大友克洋の『ヘンゼルとグレーデル』を古本屋で発見。購入。1600円が2500円にあがっていたが、迷わず購入。一時幸せな気分に。
先日、うたばん に永作博美がでた。当然ファンだからみる(笑い)。調理師免許をもつ永作は料理にくわしい。しかしあっさりテツ&トモにまけてしまった。きらいな食べものはなんとあの「 」だった。
6月13日(金)
今日の夕刊で面白い記事が二つあった。ひとつは、国際労働機関(ILO)が、日本の「労働基本権制約」について見直しを勧告したというもの。日本の公務員は、先進国では常識の「労働協約権」がない。つまり公務員は労働者ではなく、公僕であり、お国のために滅私奉公する存在としていまだに規定され、未権利のままにおかれているのである。ILOは昨年も勧告したが、政府はなんの対応もしなかったため、今回はかなり強くいってきている。
石原行革大臣は、「人事院」が中立的な役割をはたしており、公務労働を調整しているので、なんの問題もないとの答弁をくりかえしているが、民間人に「給料泥棒」といわれ、「人員削減」にさらされている公務員は、最低の労働者の権利もあたえられていない状態で、国(国民)のために働いているのだから、労働意欲は落ちてあたりまえである。(笑い)
もうひとつは、弁護士中坊公平氏が座長をしている「連合」の評価委員会での発言。「企業別組合」と「年功序列賃金体系」からの脱却を指針としてあげている。この「企業別組合」制度は、戦後日本の労働運動を弱体化させた要因である。すなわち、企業は会社に忠実な社員を「組合」運動をつうじてつくり、経営陣の一角にむかえるという「ぐるみ」組合で、労働者の力を弱めるのに成功した。
戦後労働運動は、はじめ「新産別」、つまり労働横断的な組合、同一産業内同一労働条件をかちとり、各企業に制約されない運動をつくりあげようとした。しかし、この動きは経営者には「とんでもない」ことで、社員の「社蓄」化をもくろんだ経営に、50〜60年代につぶされたのである。
そのトップを走っていた「同盟」は解体し、「総評」は「連合」に受け継がれたのであるが、気づいてみれば、労働者は丸裸にされ、労働関連法で、即時解雇も可能な危機的状態にさらされ、「労使協調路線」の先陣をきってきた「連合」も考え直さざるをえない状況になった。労働者を守らず、経営に味方する組織はもはや「労働組合」とはよばない。(笑い)
経営の「グローバリズム」は簡単にうけいれたのに、労働の「グローバリズム」は無視し続ける日本の経営者、保守政治家は、本当にすばらしい国際感覚をしていますね(笑い)。
吉田拓郎「新しい船をうごかすのは古い水夫じゃないだろう」
このアルバムのタイトルどおり、新しい時代に古い政治家はいらない。
でも古い水夫はあたらしい船をほしがらない。古い日本人は新しい国をほしがらない。
そうして日本船「日の丸」は沈没するのである。
UKロックの雄「プラシーボ」とアメリカンロックの雄「シアタードリーム」のアルバムをきき比べる。やはり、あっしはヨーロピアン指向が強いと感じた。
6月7日(土)
OFF第2弾、昨日より、菊地秀行・細馬信一「魔界都市ハンター」8巻を読む。それなりに面白かったが、神と呼ばれる老人 ドクター・ファーストの存在が、他のキャラクターと較べ、一番うそ臭いため、せっかくの物語がだいなし。しかしながら活劇としては楽しめた。
山田花子の「花咲ける孤独」を読む。精神分裂病で自殺、直前に描いたマンガはどれもかなりきていたが、それは被害者としてのいじめの歴史が、強すぎる感受性をつくりあげたのだろう。そのため、人間の本質がリアルに、直に描かれ、悲しいほどデフォルメされた絵とは対照的に人の残酷な心理はリアルである。山田花子のマンガを読むと、いつもビックバーンではなく、ブラックホールを感じる。それは閉ざされて出てこれない深い闇によりそう彼女自身の姿だ。
棚の間に落ちていた川本真琴のCDを発見。聴くことに。ノッコ声は、あいかわらず。続いてイエモンの「SMILE」、ユニコーンの「服部」、遠藤賢司の黎明期ライブ、玉置浩二「キワモノ」を、聴く。久しぶりに聴いて驚いたのはゴーバンズのシンセポップが心地よかったことだ。ただただポップな耳ざわりをめざしたサウンドはいやみなく聞き流せた。「無敵のビーナス」「アイスクリームマン」はお気に入りナンバー。
最近、ブルーハーツの曲をシングルリリースする若いバンドが多い。ふとFMラジオから「青空」がながれてきた。しかし、あのヒロトの叫びたいような、といって叫べない物悲しいブルース、魂は不在だ。
「生まれたところや皮膚や眼の色で、いったいこの僕の何がわかるというのだろう」
人が生きる世の中は矛盾でいっぱいだ。その矛盾はブルースを加速していく。「弱いものたちが夕暮れ、さらに弱いものを叩く。その音が響きわたればブルースは加速していく」
「見えない自由がほしくて、見えない銃をうちまくる」「本当のことを教えておくれよ」
誰か教えてくれないか?
6月5日(木)
今日はかなり、機嫌が悪い。最悪の有事法案が、冗談ではなく、国会を通過したからである。また労働基準法の改悪により、経営者が自由に労働者を解雇できる法案も参院を通過したからである。
自衛隊を後方支援ではないアメリカの侵略戦争に名実ともに参加させる法案。60年安保条約の改定時の国民反対運動にこりた保守権力は、安保条約をかえずに、以後日米地位協定を改定することで、憲法9条のなしくずしをおこなってきた。その集大成がこの法案だ。
保守の権勢はダブルスタンダード(二枚舌)により、日米安全保障条約と憲法9条を温存したまま、別法案で国の根幹にかかわる原則(憲法)を完全に骨抜きにした。岸内閣ができず、佐藤内閣が挫折、中曽根内閣が夢見た侵略戦争法案が現実に。権力がいったん暴走しはじめれば、我々の日常は、戦前に逆戻り確実(冗談ではありません)。
一国の根幹にかかわる大問題が、国民にとわれず、5割の人が投票を棄権する日本で、自民、保守、公明の票をあわせても、投票権のある国民の2割程度の信認しか得られない組織化された一部の「代表者」が勝手にすすめる政治。うー頭に血がのぼる(笑い)。
小泉内閣は、経済、政治、軍事ともに戦後最悪の内閣であり、フランス革命時に芽生えた自由主義国の原理である国民主権、そして第2次世界大戦後日本に根付いた主権在民の原則を、ブッシュとともに踏みにじった。
この怒りは保守政治を終わらせ、平和で日々の暮らしに窮窮としない新しい政治を欲している。経済大国からアメリカとともに「帝国主義化」する日本。それは何においても国益優先の原理だ。
もうだまってはいられない。国の危機を権力者のいいようにされたら、本当に国は滅び、我々の自由は著しく制限される。自由の砦は陥落してからでは遅い。真剣に政治屋どもの保守政治を終わらせなくてはいけない。
しかし、今の日本人に現実を変える力はない。自由や権利が奪いとられて、はじめて気づくのだ。もう遅い。
20年ぶりに戦いの内なる炎がふつふつと湧き上がるのを感じる。(泣笑い)
5月31日(土)
晃洋書房より、なんと5年ぶりの共著(IT化社会の倫理問題)を刊行できた。やはり雑誌掲載もいいが、単行本がでるのはうれしいものだ。ITなのに、魔法少女ものについて書いている(笑い)。またしても一人浮いている。まぁいいか(小川銀次風)。
年1回のペースで、共著発行はなんとかいけそう。
なにやら5月なのに夏の天気で、台風もきている。温暖化は確実に進行している。湿気と暑さに弱い体質を改善しないと寿命が縮まるか? 東北、北海道に引っ越すか?そのうちに。
追伸 疲れていたのか、午前の仕事から帰って、3時くらいから寝てしまい、今起きた。時計はすでに午後10:30。明日はたまりにたまっているマンガを読む。最近気になる日本橋ヨウコ、昔からファンの奥瀬サキ、高野文子、永野のり子、和田慎二、奥浩哉、高橋留美子…、疲れたところでやめることにしよう。
6月は21.22日に京都でマンガ学会があるのででかけるが、あとは無風状態。完全OFF実施。1本ライブをいれるが、相変わらず吉祥寺、荻窪をぶらぶらする予定。
5月は死にそうなくらいいそがしかったが、本業、編集、執筆、講師、研究会がかさなってもまだやれる体力があるのには、少々自信を取り戻した。
5月26日(月)
また風邪をひいた。寒暖の差が激しくついていけない(泣)。ここ数日飯がおいしくないのは風邪のせいだったのか。突如日曜日より腹筋をはじめる。
「伝説のマダム」をみる。松方弘樹格好よかったすね。中澤裕子もヤクザの情婦(?)役びったりでした。牧師役の草刈正雄と桃井の関係もやや明らかになりつつあり、今後の展開をまたれる。
ダイソーで買った乾電池が新品なのにまったく使えなかった。携帯ラジオが壊れたのかと思い、一応他の電池でためしたところやはりちゃんとONした。ダイソー100円電池。これで2回め。あほらしくでもう取り替えにいくのもやめた。
ダイソーのビデオ、巻きが悪く何度やってもなかでからまる。結論、安いのを覚悟で買ってるのだから、品質が悪いのがまざっていてもOK。今度はあたるか?とくじ引きのようで面白い。
ようやく藤本美貴とあややの違いがわかった。はじめ二人の顔が同じでわからなかったが、よくみるとあややのほうが野生的だ。鼻とか目が猛禽類の顔だち。しかも九州女とくれば、これはやるでしょう。単なるお嬢さんではないぞ。
Keiさんのサイトで話題の女優、上村愛香さんのサイトをみる。やはり「行列のできる法律相談所」で拝見した記憶が甦る。某まぐま関係者の方も偶然他の番組で拝見されたとのこと。
5月25日(日)
昨夜、小川銀次ライブ、六本木ピットインにいった。全編アコースティックギターで、バンド編成とはちがうため、ギンバリ(ギンギンバリバリ)の音は聴けなかったものの、そのプログレスな音といい、メロディアスなラインは、幻想的ですばらしかった。銀次さんの曲のなかでも特に気にいっているインナーウインド時代のバリァブルスとフレイムも演奏。原曲の3倍以上の長さにアレンジされており、時間をたつのを忘れて聴きいってしまった。
一昨夜、朝まで生テレビをみようとしていたが、気絶するように寝てしまい、見られず。相当疲れがたまっているか? テーマが「アメリカ・帝国主義」論だったので、議論の展開が気になる。
日テレ系「伝説のマダム」。永作博美ドラマはかかさずみているが、どうしてどうして結構面白い。桃井かおりの演技も地にちかい。カット割や登場時間も桃井、永作は毎回登場するメインキャラに同じくらい長いのだが、マダムをとりまく脇役の存在がドラマにより深みをもたらしている。
それにしても、UMD氏が歳が20も離れた星野真里にいれこんでいるのに対し、歳が7〜8歳しか離れていない永作博美ファンを延々続けているのは悪いことではないだろう(笑い)。決して。
5月18日(日)
まぐま10号編集快調。ほぼ7割終了。今号は印字ポイントの変更によるページ数減と同人の投稿が少なく、資金繰りが悪化。初の赤字か、かつかつか?今後、投稿者を常連に育てる仕事も継続しておこなう。
内容は毎号、質を向上させているが、今号もさらに飛躍している。様々な視点から環境問題にとりくんだ10号は必見。(のはず)
岡山大学での講師の仕事を終え、最近の学生の活発な論議に感心もひとしお。ただやはり、マンガ、アニメについて日本が1番という前提を疑わないのは、出来上がった文化を享受している世代だからしかたがない。今後定期的に歴史や描かれたマンガの世界観などの話ができれば、自分の執筆にも役立つはず。
某社より、著作の文庫化の話が持ち込まれた。しかし、どうやら印刷費を半額もって欲しいようである。共同出版ではない出版社でも、著者負担をもとめるとは、不況は深刻である。しかしどう考えたって、著名人でない人間のホンが売れるのは稀有なこと。
この文庫化ブームはおなじ種で、雑誌、企画本 文庫本と3回食べる、三毛作農法のようだ。
5月に入り、マンガ購入数がおそろしい数に達したにもかかわらず、使った金額は3万円ほど。金額で冊数を割ると1冊55円くらい。550冊はある。完全に書庫が埋もれた。
いつも頼んでいた商店街のうなぎや、すしやもつぶれた。CDショップも本屋も店を閉じるそうだ。先週マンガ専門店がつぶれたばかり。この不況は町を本当に換えてしまった。BOOK OFFやディスクユニオンまでいくのはかったるい。町の小売店がすきなんだ。俺は。
みんな、頑張って生き延びよう。
5月11日(日)
まぐま10号の編集作業にはいった。特集論文3本に座談会1本、他特集投稿論文2本に企画読み物1本と計7本が集まった。今号は特集が全体の6割をこえる模様。内容も通常の雑誌の「環境問題」特集では読めない異色作が目白おし。ひえ〜。責任もてません〜。
小林氏にすすめられ、プロレス漫画、ヒラマツ・ミノル「アグネス仮面」3巻を購入読んだ。さすがにプロレス界の虚虚実実が巧みなセリフとストーリー展開され、一気に読んでしまった。面白い。
昨夜、元ブランキージェットシティの浅井健一のライブを東京MXテレビで深夜に放映。同じ時間帯にNHKではエルトン・ジョンのライブをオンエアー。結局2台のテレビで両方同時にみる。ビデオ撮ればいいっていわれそう。最近ビデオとって後でみるのがおっくうで…。
あれほど好きだったブランキーの歌も、なぜか歳をくい、浅井さんの声が耳障りになってきたのは何故だろう。それにクラべ、エルトンの「ユワー・ソング」の心地いいこと。うーむ(笑い)。
ついに御用達のマンガ専門古本屋が閉店に。閉店セールで7割引となり、大量に買いにかかる。マニア、オタクが欲しがる逸品が盛りだくさん。中でも誰も振り向きもしない村上和彦「昭和極道史」を入手した。この劇画は大変な価値があがると長年探していたもの。
橋本真也のZERO-ONEと武藤の全日の対抗戦が始まり、小川・橋本VS小島・武藤を観る。いやー橋本の袈裟ギリチョップは、新日時代の比ではない。手加減なし。武藤のシャイニング・ウイザードも光る。小川が後半ぶちきれ、小島をマウントからフルコンタクト、パンチの嵐。
ZERO-ONEのプロレスは進化している。演劇プロレスでもない、格闘プロレスでもない。格闘技でもない。キャラクターがつくる世界。上手くいえない。しかし熱い。
川田が乱入。「俺をたおさないと全日本は潰せないぞー」と挑発。渕も遠巻きに見守る。川田がからみ目をはなせない。
5月3日(土)
WOWOW特別リニューアル版「新世紀エヴァンゲリオン」3日間、全編放映をみた。あらためて人というのは、自分のなかに善も悪もみるものだということにあらためて気づいた。世の中が悪いとおもえば、自分も悪くなり、自分がよければ、いい世の中と思う。加持リョウジの生きかたがそのことを物語る。
それにしてもアカギリツコの母親のつくったホストコンピュター「MAGI」は、女として、母親として、科学者としての矛盾がもちこまれたすばらしく人間的な機械だ。シトの潜入、攻撃に際しても、最後は母でもなく、科学者でもない、女としてのMAGIがシトをくいとめる。アダムの肋骨が女であるとすれば、この時点で、アダム(シト)である碇ゲンドウを拒絶した綾波レイはすでに「女」そのものであったというべきか。
ひさしぶりにカラオケ。今回はビートルズを全曲歌いきった。帰りは明け方になった。しかし疲労感はまったくない。ビートルズはドラッグだ。エリナリグビーをうたっていたら、隣でこれはモーツアルトだと叫ぶやからも。サージェントペパーズとホワイトアルバム、そしてラバーソウル、レットイットビー、この4枚の樂曲が中心。
尾崎豊の81年ライブと死の前年のライブをみなおす。カラオケで尾崎を歌うと、通常のロックでも消費カロリー7〜10キロカロリーしかつかわないのに、なぜか16キロカロリー平均、「15の夜」にいたっては20キロカロリーを消費する。このようなエネルギーをライブでは2〜3時間続けるのだから、燃え尽きてしまったのも理解できる。尾崎の「誰か俺を救ってくれないか」という悲痛な声が、サウンドをとおして会場内に響きわたる。
彼はコンサート最中でも、熱狂したり、陶酔したり忙しいのに、瞬間、そんな自分をむなしく思う、ふとした表情をみせる。歌に救いをもとめた尾崎は歌っていても苦しかった。
中島みゆきの92年のアルバム「EAST ASIA」を聴きなおす。伝説のコンサート「夜会」のコンセプトアルバムとなったこのアルバムの「糸」という曲にあらためて感動。ほかにも「誕生」「二隻の舟」など、情動をかきたてられる。
4月27日(日)
60年代後半、日本でも紹介され取り上げられたM・マクルーハンの「人間拡張の原理」を再読している。マクルーハンの主張は、電子世界と今日のコンピュタ−社会をばら色に描いたとしてその後、断罪されるのであるが、60年代にすでに、どうしてどうしてかなり皮肉がきき、否定的な言動があり面白い。
ようやく風邪が快方に向かっている。寒暖の差が激しく、着たり脱いだり面倒だ。とくに夜、風が冷たいのがいやだ。
昨日、お誘いで吉祥寺にライブにいく。このライブハウス。スポットが直接客席に向かってそそがれ、目が開けられなくなった。光に目が弱いため、終始、目を閉じて聴く。
高木A1さんの「DAY DREAM」が、生ギター1本できけたので、満足。ストリート演奏家古寺チハル。なかなか声がよい。3曲めから声が割れる。うたいこみが必要。楽曲も研究の余地あり。
アカデミー賞で痛烈なブッシュ批判をおこなったM・ムーア監督。「アメリカ人は馬鹿なんだ」と発言。「アメリカ人の駄目さ」を映像化しつづけるその姿勢は、商業化したオリバー・ストーンとは違う。ドラマとドキュメントの違いがあるが、どこまで貫けるか。
4月26日(土)
朝まで生テレビをみてしまった。特に目新しい主張もないまま終了。日本の自立が語られ、小林よしのりがとんちんかんなつっこみをしていたのが印象的。穀物メジャー下の最低の食糧自給率、オイルメジャー支配のもと独自の石油確保が困難な状況のもとでは、「自立」なんかあったものではない。軍事、経済、政治、国の根幹はアメリカの構造に組み込まれているのだから。
イラク戦争終結か? またしてもアメリカメディアの新しい手法、記者と兵士の「共同」戦線は、アメリカ人の戦意を鼓舞し続けた。イラク民間人は1000人が死亡。繰り返される悲しみの前に、語る気もおきないむなしさが… ネーネーズの「平和の琉歌」を一人聴く日々。
平和の琉歌 桑田佳祐 詞曲 ネーネーズ 唄
この国が平和だと誰が決めたの?人の涙も乾かぬうちに
アメリカの傘の下夢も見ました 民を見捨てた戦争の果てに
蒼いお月様が泣いております 忘れられないこともあります
愛を植えましょうこの国に 傷の癒えない人々へ語り継がれてゆくために
この国が平和だと誰が決めるの? 汚れ我が身の罪滅ぼしに
人として生きるのを何故に拒むの? 隣り合わせの軍人さんよ
蒼いお月様が泣いております 未だ終らぬ過去があります
愛を植えましょうこの島へ 歌を忘れぬ人々へ いつか花咲くその日まで
4月23日(水)
大友克洋についての構想におわれている。第一部はエイゼンシュテインの映画論、メビウス、エンキビラルのB・D論(絵画論)、平田弘史の劇画論、による表現論、第2部は非物語としての物語論 主体/客体論、第3部は手塚治虫と大友克洋(メトロポリス論) 第4部は翁童論(人間論)あたりでまとめる方向。
久しぶりに昼間電車に乗った。いつもは車の移動のため、たまに電車でついつい居眠り。そうだ前は睡眠不足を居眠りでおぎなっていた。車移動でそれができなくなった。
深夜のアニメが番組改編で様変わりした。今面白いのは、庶民派SFラブコメディ「成恵の世界」、四畳半に父親と住む宇宙人,成恵と吾妻ひでおの少年キャラのような主人公のからみが面白い。
そしてやはり「ワンダバスタイル」でしょう(笑い)。かなりいかれた近未来SF発明アニメ。美少女数名に天才発明少年のからみ、これは「マウス」などのマンガ(アニメ)とおなじ。この男性主人公一人に美少女数4〜6人というハーレムスタイルは「らいむいろ戦奇憚」などのパターンとおなじ。
「陸まお」はやはり面白い。
主人公の男がみんな気弱なやさしい男なのが共通している。やれやれ。
本屋で別冊宝島の「日本をだめにしたバカ女」を立ち読み。香山リカ、田嶋陽子、辻本清美、福島瑞穂、石原理沙、笠原真澄、中島梓、などを読む。共通しているのは、この人たちの「馬鹿さ」は男がしてきた馬鹿を、そのまま踏襲している点だ。活躍する女はやはり「男性化」する。(石原さんとは面識があるので、あまりつっこめないのですが…)
フランスのモダンフェミニスト、エレーヌ・シクスーさんがお嘆きになられますぞ(笑い)
水曜日はTV神奈川で深夜、巨人の星とガッチャマンやってるので、いつも寝るのが遅くなる(汗)
4月20日(日)
昨日、mickeyさんの「二人展」にお邪魔した。すでにAMPさんがいらしていて、あとはkeiさんを待つばかり。しかし閉展の5時になってもkeiさんはあらわれず。
あと片付けをおこない、打ち上げの鳥やさんに向かったところ、keiさんあらわれる。銀座のストリートで「19:00までじゃなかったっけ〜」「今日じゃなくても明日もあるから!」(今日が最終日なんだけど)といった超度級のお惚けギャグを連発するkeiさん。
とにかく間にあってよかった(笑い) でもmickeyさんの絵をみられなかったのですねぇ。
今日の朝刊を読んでいると、夏目房之介氏の祖父・漱石への「距離感」がつづられていた。漱石の家庭内暴力が孫である房之介氏にぬぐえない血となって影響をあたえているとのこと。明治時代の祖父の影響は孫まで影響をあたえた。マンガ評論家として一時代を築いた夏目さんの今後を暗示しなければよいのだが。
もう数年マンガを描くのを忘れていた。ここいらでまたマンガを描かないと、完全に日曜「マンガ家」であることを忘れさられてしまう(笑い) 秋ぐらいまでに短編を1本、また描くか?
あと1本、サブカルポップの基本論文を書いて、足掛け6年のサブカル論集をまとめられそう。出版社がきまりしだい着手したい。著作をだすのにも本当に骨の折れる時代になった。
サブカル現象を社会学の範疇でどう対応すればいいのかが課題。またしても概念の援用でまとめる方向。中心と周辺、上位と下位、クラシックとキッチュ、アカデミズムとポピュラー、理性と身体性、正統性と雑種性、堅牢と柔軟、組織と場所などの追概念をさらに細分化し、記述する。
4月14日(月)
昨日のぶんぶんで、「噂の新装」というパロディ雑誌と出会う。帰りの電車で読みきってしまったが、けっこうえげつないエスプリ(死語か?)がきいてていい。皮肉は本家よりも切れる。それにしても皆さん。売れないのに何故即売会にでるのか?なんとなく、あの雰囲気がまったりとしていて。それでいて空疎なひと時に酔いしれているのではないか(笑い)? 参加者のみなさん。御疲れさまでした。
また体調が悪化。風邪がなおりきらず、明け方に激しい下痢でめがさめる。なんとか仕事はできたが、睡眠不足が本当に身体にこたえる。今日ははよーねよ。
選挙前半戦が終わった。投票率44%というのは、たとえ当選したとしても本当に信認されたとはいいがたい。しかし石原さんが360万票もとったのにはあきれてはてた。さあ公約を本当にやってもらいましょう(笑い)。「都民銀行」をつくって貸し渋りで死に絶えそうな中小零細企業をお救いください。
ついつい土曜日の夜中に矢井田瞳のライブをTVでみてしまった。その前は鬼束ちひろのNHKライブもみた。しかし何かがちがう。椎名林檎の「軽基 精液 栗花」(かるき ザーメン 栗のはな)なんちゅうタイトルじゃ。やっぱり林檎のほうがぐっとくる。それよりもfra-foaのミカミチサコはもっといいぞ。
証券会社より北欧のドル決済の5年ものの案内がくる。金利がなんと4.6%。100万円を5年預けると23万円。300万円いれると69万円にもなる。おいしい話だが。日経株価連動型で15万円ものが元本われしてしまい、手痛い赤字累積中。ハイリスク、ハイリターンの時代においしい話はない。かつては元本割れなどなかった投資信託や累投も、長期でもっても割れる危険性あり。なんていったって株価が長期低落してるから。
外国株に関しては、情報が限定されているので買う気にならない。本当に資産運用も疲れてきた。
使わないのが一番の資産活用だ。なんてことになってしまってる。あーあー。
4月12日(土)
久しぶりに車田正美の「リングにかけろ」(全25巻)を読む。あのボルテージと物語の持っていき方は異常だ(笑い)。中学生がボクシング世界大会を開催し、ナショナリズムむきだしの戦いを挑む。ドイツ軍はナチスだし、イタリア軍はマフィアだ(笑い)。フランスはナポレオンの末裔だし、ギリシァはアポロンの12賢人まで動員される。
ウイニングブローを放つと、撃たれた人間がガラス窓を突き破って場外まで飛んでいく。リングは引き裂かれ、ロープは消し飛ぶ。それなのに死なないのには笑える。しかしこの差別と偏見にみちたマンガのパワーはどこからくるのだろうか?とくにアメリカの選手は白人がださく描かれ、黒人がビューティフルに描かれている。参加国でもっとも格好悪く描かれている国がアメリカだ。金と権力と暴力を振りかざすやつらへの作者の憎しみはすざまじい。
5月の岡山大学での課題授業は、講義形式ではなく参加学生の討論形式でおこなわれることになった。コメンテーターとして参加する。最近の若者がアニメ、マンガについてどのような見識をもっているか、大変興味ぶかい。
高橋留美子の「犬夜叉」最新刊まで1冊50円で入手。こちらも当分読めそうもない。
ビランジ11号が竹内オサム先生から届く。この雑誌のパワーもものすごい。共同探求通信、IRORIもそれぞれ吉田、清先生から届く。皆さん紀要や商業誌にいくらでもかけるのに(失礼)金もうけにならない雑誌を出しつづけるパワーはどこから来るのだろうか?
4月6日(日)
昨日、ドイツでのコミック百科事典のうちあわせをおこなった。主に大友克洋、松本大洋について、マンガ学会の様子、アートと美学について横浜国大のジャクリーヌ先生よりご教示いただいた。
しかし話はドイツの美学、ルカーチやヘーゲル、フランクフルト学派の話、三島憲一先生の話、欧州におけるドイツの立場など、多岐にわたり大変刺激をうけた。特にベルリンの壁崩壊にまつわる、ドイツの状況が日本で報道されているものとニュアンスのギャップがある点は、まさしく「日本的受容」の問題として再認識。
やはり、ソ連、東欧崩壊による冷戦終了は、「アメリカ帝国」の一国主義の警戒としてヨーロッパに強く影響を及ぼしているものと思われる。
先週から眼が痛い。眼圧が高くなっているか?風邪の菌が眼にきたとわかり一安心。
「ブラックジャックによろしく」「ひとりぼっちのリン」「ピンポン総集編」「怪盗アマリリス」「天然コケコッコ-」などマンガ多数入手。ここのところ古本マンガ単価が暴落しており、ついついかってしまう。
「ブラックジャックに…」は、70年代のマンガのように熱い。熱血というより、真剣なのだ。医者という仕事をとおして、日常をみた場合、命の前に人間の存在がいやというほど試される。
読者は読んだ瞬間、自分の存在、命の重みを問われる。不妊治療を受けつづけた夫婦が、ようやく得た子供がダウン症だった。夫婦と医者の葛藤。そこに弱肉強食の社会と人間の問題がうきぼりになる。幸せとはなにか、人間に生きる意味はあるのか? だが、問いとともに生き続ける力を与えてくれる。そんなマンガがここにはまちがいなくあった。
3月29日(土)
悲惨な部屋の状況。布団を広げるのにやっとなスペースになってしまった。紙くず、資料、雑誌、CDにうもれた部屋。いやー悲惨だ。掃除ですなぁ。
米英とイラクの報道合戦も続いている。捕虜の処刑や住宅地への誤爆?やら、フセイン死亡説やら、アルカイダ参戦やら、もう事実は終わってみないとわからない状況だ。湾岸戦争時のようなイメージ誘導ができないアメリカは、ライブで映像を流しているが、長期化するにつれ、報道規制を厳しくするだろう。
ブッシュ大統領の恩師が登場し、ブッシュは出来の悪い生徒だった。親の七光り、大学をやっと卒業したなどと発言。生徒が一国の責任者になったにもかかわらず。日本では普通、ほめはするものの、おおやけに批判はなかなかしないもの(笑い)。
昨年の学会報告、ジェンダー論「魔法少女論」をなんとかまとめられた。「情報問題研究」15号に掲載予定。ただ、時間たりず、ナースエンジェルリリカとレインの記述なし。ミンキーモモとセーラームーンにしぼり、フランスのモダンフェミニストのエレーヌ・シクスーの言説を紹介するのでいっぱい一杯。
宮崎駿 千と千尋がアカデミー賞、長編アニメ部門受賞。当然といえば当然。アニメとしてのクオリティはかなりのもの。ただ、つい最近まで宮崎作品はドメスティックすぎてアメリカへの輸出に失敗していた事実を考えた場合、大友克洋、押井守のアメリカでの驚異的な賞賛の影で、豪州、欧州での評価を経てアメリカへ輸入された宮崎ワールド高評価への、宮崎駿の内心は複雑である。
大友、押井監督の世界はグローバル、宮崎ワールドはドメスティック。1本の作品としてアニメが映画の格下とみられる傾向は、大友、押井アニメがハリウッド映画に及ぼした影響を考えるとよく理解できる。アニメで映画とおなじことをしようとすると商業的成功はするが、映画評価の壁をやぶれず。ライバルとみなされる。
その点、アニメで「マンガ映画」を追求し続ける宮崎ワールドは、残念ながら、ライバルではなく、異質な、格下の「映像媒体」である。「戦場のピアニスト」と「千と千尋」、作品としてみた場合、軍配がどちらにあがるかははっきりしてしまうでしょう。
3月22日(土)
ついにブッシュが戦争をはじめた。世界的反戦チェーンメールに参加し、直接ホワイトハウスに抗議をおこなった。まぁブッシュには知らされないだろうけど。
昨日、情報問題研究会に久しぶりに出席。マルクーゼの弟子であるフィーンバーグ氏の「価値 技術論」に依拠した学問論の課題について討議。古代ギリシャのソフィストにおいて分離したテクネ(テクニカルな論理 快楽)とアート(規範的思考 善)は、現代では、技術主義と民主主義の対立として、市場の論理(経済)と国家権力(政治)により、よりその矛盾が激化し、乖離がはなはなだしくなっているとの指摘。
日本は欧米諸国ほど、国家資本の力が強くなく、民間資本の活力と日米安保条約を政治的基盤としながら、基礎技術を輸入することで戦後の経済的繁栄を築いてきた。だが、ソ連崩壊とバブル崩壊後、この政治経済的基盤が現状にあわなくなってきた。
もともと国家資本より強い民間資本をより強化し、市場の論理を民主主義に優先させる技術主義の強化(産学共同による人材と基礎技術開発への資本投資)、技術主義のために民主主義を経ないで進められる国づくり(有事法制 国連より日米安保を優先させる)を、今強力に押しすすめようとしている。
「何故安保なのか」という問いには「北朝鮮」問題と答え、「何故市場原理優先なのか」という問いには「経済の落日」を揚げる。だが、繰り返しいいたいが、仮想敵国ソ連から中国、北朝鮮とその「敵」を都合によりかえながら、安保ただのり(税金はわれわれから)し、これほど自分たち保守政治が国民経済を破壊したのに、今もってより「強い経済をつくるため」に我々に犠牲をしいる政治、(自民、新保守、公明)はいったい誰がやっているのだろうか。激しいいきどおりを感じる。
そうした政治権力に票をいれる国民は、自ら自分の首をしめていることに気づきはじめているだろうか?大学ではジェンダー論やセーフティネット論でさえ、危険な思考として「研究」をさえぎる手立てがされ始めている。国家利益に直接結びつく研究にのみ、膨大な資金が投入されはじめている。
小泉、アメリカ支持は、こうした背景にささえられている。アメリカのプードル(イギリス)とアメリカのちわわ(日本)しか、この国が生きていく道はないのか?
ドイツでの日本のコミックブームは2000年からはじまった。このたび、ドイツで『コミック百科事典』が編纂されることになり、執筆ができることになった。日本ではまったく無名の私も(笑)、ドイツでは栄えある(笑)百科事典執筆者となる。大友克洋、松本大洋はドイツでもものすごい人気。といってもドラゴンボール、セーラームーンほどではないが。大友克洋、松本大洋について本格的な紹介ができることに喜びを感じる。
3月16日(日)
締め切りに追われているにもかかわらず、まぐま10号の 地球環境問題特集 「公害怪獣の歴史」を4Pほどにまとめた。順番がちがうが、急にまとめたくなった。(笑い) ヘドロ系、ゴミ・毒ガス系、資質汚濁系、大気汚染系、お笑い系に分別、登場怪獣は13匹。わかったことは、公害怪獣にはカッコイイ怪獣はいないということ。
21日(金)、龍谷大学で情報問題研究会開催。前回マンガ学会と重なったため、いけず。今回は久しぶりに参加する。原稿締め切りは3月末日。少々焦り気味。
ライターズワークアップの締め切りが3月末日、今回の原稿はライターズ大賞の審査もかねているとのことで、まあ特段、いつもの原稿で勝負だが? どうなることか?
深夜時間帯、アニメで、マイブームとなっているのは、陸上防衛隊まおちゃん、ビック・オー、天使な小生意気。特にビック・オー はついに佳境に。
アンドロイド ドロシーのメモリーがうばわれ、ビックファウの再出動の日は近い。ビックオーをはじめとする戦闘ロボット・メガデウスを何故、ロジャースミスは操縦できるのか? すべて記憶をなくしたパラダイムシティの謎も、今後明らかになる。勧善懲悪ロボットアニメ製造のサンライズが、ビックオーのようなアニメをつくっていることに時代の流れを感じる。
3月9日(日)
まぐま10号の打ち合わせ終了。表紙から、内容、イベント、11号内容、編集・レイアウト問題、締め切り問題まで、短時間であったが、方向性がでた。
ここのところのマスコミのイラク、北朝鮮報道で気になったのは、イラク報道がやや客観的になってきたのに対し、北朝鮮報道が、恣意的な報道に終始していることだ。北朝鮮のミグが一方的にアメリカの電子通信機にスクランブル、ロックオンとの報道は、中国が北朝鮮が挑発したのではなく、アメリカが「挑発」したことを発表し、NHKがそのいきさつを報道するまで、昼間のニュースしかしらない私も、北朝鮮が挑発したものとばかり思いこんでいた。
本当にマスコミ報道は危険きわまりない。北朝鮮への悪イメージを増幅する報道は、アメリカがイラクの悪イメージをつくりだすのにつかった手と全くおなじ。私もあやうくだまされそうになった。
ここのところ、気づかずにかなり浪費しているのに気づいた。普段消費しないのいに…。気づけば買い物をしている。ストレスが心の満足をモノで代替しようとしているらしい。
執筆も気がはいらない文章をかくと、きまって消費している。それでも、100円ショップの利用、スーパーディスカウントショップで、季節はずれ商品、在庫商品を正規の1/3の値段でしか買わないので(笑い)。一番金を使う本、漫画、CDも中古書店でしか買わないので、それでも使ってるなぁ。
3月2日(日)
昨日、ライターズネットワークの式典、シンポジウム、授賞式、懇親会に参加させていただいた。とくに、シンポジウム「時代の読み方 つかみ方 プロデュースの技術」が他業種にも通用する敷衍的な内容で、とても参考になった。パネラーは秋田で出版社を経営する無明舎の安倍甲さん。元マガジンハウス、現月刊『ソトコト』編集長、小黒一三さん、フジテレビプロデューサー、吉田正樹さん、こういう元気な経営者、現場監督がいると、ライターは安心して仕事ができる。と同時にライターが経営者でもあり、プロデューサーでもないといけない時代ともいうべきか。
2ヶ月ぶりに小林氏と再会。座談「プロレスは格闘技か」のトークをおこなった。ボブサップ現象、KI石井逮捕、プライド宮下自殺、プロレスと格闘技の悪しき融合問題、極真の抱える「館長問題」など、気軽にだべる。真剣に話すと20分もたないので、途中互いの手料理自慢に華がさく。(笑い) UWF系レスラー、修斗系レスラーのプロレス化に歯止めがかからない。困ったことに。
高橋幸宏 大人の3部作「LIFETIME HAPPYTIME」をきく。幸宏さんの音楽は楽な気持ちできけるので、なにもしたくない、意欲が全くわかないときに不思議に聴く(効く)。ついでにYMOの「きみに胸キュン」をきく。意外とこの曲こったつくりになっている。転調コードから主旋律に戻るあたり、坂本教授の音楽理論の見本のような作品だ(笑い)
大変な時代はますます大変だ。「生き残り」という言葉の暗示で、修羅は畜生に、畜生は餓鬼に簡単におちる。商売している少なからぬものが、失業者から失望者へ、そして路上生活者への恐怖で一杯である。しかし修羅こそが、人間であり、菩薩であり如来をめざすべき存在でもあるはずなのだ。
2月21日(土)
今週はストレスがたまり、一部に見苦しく、差別的な発言がありますが、お許しください。
今週は名古屋日帰りを車でおこなったため、ばてた。東名でいけばもう少し楽だったか?前回仙台への車日帰りのときはさほど疲れなかったが、中央自動車道はカーブと勾配がけっこうある。東北自動車道は道もまっすぐだし、あまり勾配もない。
今週は沖縄民謡をかけっぱなし。琉球音楽かけるときは、結構神経にきているとき。むしょうにききたくなるのは不思議。喜納昌吉がイラクでライブをおこなった。イラクのこどもたちは「花」をどんな思いできいたのだろう。日本では、人殺しは言葉でおこなう。セクハラからパワハラへ。組織の個人いじめは今絶頂である。シカト(無視)し、怒鳴りあげ、長期にわたり精神的に圧迫し、自殺や退職においこむ手口はどんな組織だろうとかわらない。陰湿である。(おれはやめないぞ)(笑い)
日本政府はイラク滞在日本人の即時引き上げを発令。やはり今回もアメリカに全面賛成。賛成することは「人殺し」を容認すること。文部科学省が国立大学の入試資格をインターナショナルカレッジ(欧米系)にみとめつつも、中華、朝鮮学校には認めない方針。全くこの「グローバル」な時代になんて閉鎖的な!。本当に好戦的、民族差別にもほどがある。
指紋押捺や選挙権問題など福沢諭吉の脱亜入欧以来のアジア差別に終止符をうつのはいったいいつの日か。本当に日本人をやめたくなってきた。情けない。中国の日本人学校にノースコリア「脱北者」(なんていう言い方だ)が逃げ込んだが、やはり韓国へいけといっているらしい。…
今年のJレノンスーパーライブで、来日したオノヨ-コはなんと70歳。うちの母親とおなじ歳。なんでこんなに若さがちがうのか?ヨーコは全米の新聞にイラク攻撃反対の広告をうった。「イマジン」を放送禁止にしたアメリカ。あの熱き公民権運動にたちあがり、マルコムXとキング牧師をとおしてアメリカの成熟をみてきた私たち。私のなかのヨーコは映画「レットイットビー」のなかで、いらつくポールをしりめに、ジョンと抱擁し、踊るヨーコの鮮烈な映像だ。中学生だった私にヨーコは、ポールとジョンの仲をきりさく魔女にみえた。
しかし、それもマスコミによってつくられた虚像であること。
気になった「事件」は、自殺系サイトの若い男女の練炭自殺と女性2人の餓死(1人は生き残った)だ。時代がものすごい速さで悪化している。毎日身近で倒産と閉鎖の話がおきている。商談があっというまになくなる。餓死は究極の経費削減だ。
本当に銀行、生保には頭にきている。理由は貯金箱ならまだしも、賽銭箱とかした銀行だ。金利よりも振込みや引出し手数料のほうが高いとはどうゆうことだ。銀行!。そのうえ税金をもらうとは、差別用語いえば、貴様ら「国賊」だ(笑い)。保険会社も高い保険料が社員の高い給料をささえていたとは、代理店手数料は少ないのに。もうけすぎ。「営業がいないぶんだけ保険料が安いだと。○○生命」さんざん高い保険料とっておきながら、よくそんなコマーシャルうてるな。いいかげんにしろ。(○○に自分はいっている保険会社の名をいれて絶叫しよう。)
今週は本当にストレスたまってるなー(笑い)
2月16日(日)
伝説のジェットギタリスト 小川銀次のシルバーエレファントライブにいった、ピットイン以来である。いとこの小山昌之がインナーウインドで銀次さんとやってたのが92年だから月日のたつのは早いもの。銀次さんの相変わらずのジェット戦闘機ばりの速弾きと変拍子にバックのドラム、ベースが寸分の乱れもなくついていく。山口鷹のドラムは物凄く上手くなっている。今、日本でこれだけのギターを弾け、しかも実際にやってしまうロックギタリストはいない。
いうなれば「時代遅れ」の天才ギタリストである。売れ線ねらいで音楽を変えてしまうミュ−ジシャンがおおいなかですばらしく頑固である。やれるのに時代にあわないとやらないミュージシャンに銀次さんのギタープレイをみせてあげたい。
で、演奏は本当にロック魂の権化だ。もうしびれきってしまった。銀次さんは楽しそうにギターを弾くので、みているものまで熱く幸せになる。12枚のCDアルバムを一騎にリリースし、ギネスに申請中。自前のレーベルも設立してしまった。歳のせいか、記憶がうすらいでいるらしいが(笑い)、ゴッドハンドは健在。
マンガ学会の第3回大会の通知がきた。今年は日程調整の上、勉強に参加したい。もっかの課題は、概念によらないマンガ論の記述とアメコミ、フレンチコミックとの比較対照としてのマンガ。方法論、文化論の差が明確になれば、日本のマンガの特殊性と普遍性がよりあきらかになる。
追伸 YESのジョンアンダーソンが頚椎損傷で、25日の公演が中止に。9月に延期されてしまった。ジョンの歌声は、もはや楽器の一部。リックの鍵盤、スティーブのギターとともにYESのメロディをなす。これで3度目のライブだが、年々チケット代があがっているのはいかがなものか。今回は9000円。
2月8日(土)
世界経済フォーラムをBSでみた。政治問題、経済問題に焦点があてられたが、ここで確認できたのは、アメリカが完全に自国のことしか考えられない国になってしまったことと、日本が本当に自国のことがわかっていない国になってしまったということだ。
政治問題では共和党議員は民主党の悪口を世界舞台で口にし、国際問題、戦争問題でさえ、自国内の政治に利用するそのはちゃめささというかしたたかさ、悪くいえば「非人道的」発言がアメリカのゴーマンさを示している。経済問題では、竹中経済担当大臣のあいまいな日本復興発言に対し、手厳しい反論とビジョンをしめしたのが日産のゴーン。ゴーンは日産の駄目さが日本の駄目さに共通していると指摘したうえで、ビジョンとそれを実行し、やりぬく意志力、失敗した際の責任感、この3つの欠如を明確に「駄目さ」としてあげている。
ソニーCEOの出井さんは、このフォーラムでの発言も暗く、最近顔色が悪く、人相が凶相になっているので、かなり日本経済やばいなぁと本気で考えてしまう。キャノンの御手洗さんのほうが、ベトナム新工場にかける世界戦略のせいか、ほがらかである。
「情報問題研究」の15号に執筆予定の半分終了。12月の学会報告に魔法少女論の展開を加筆。新まんが論の第2部の草稿仕上。前回、記号論から表現論、作品論、読書論につらなる「漫画」を読む行為の分析をおこなったので、今回は表現論から執筆中。おかげで、また勉強をしなければならなくなった。絵と文字とフレイムの総合芸術である漫画を、記号論のように抽象化せずに、読み楽しむ行為そのものから記述するには、概念に逃げることができないので苦心。
先ごろなくなった松井やよりさんの「グローバル化と女性への暴力」を読んだ。私たちの住む世界がよりいっそう「弱いものいじめ」に向かっているなかで、世界でおこなわれている「女性と子供」に対する暴力はすさまじいものがある。この本は、そうした事実を記述しており、だからどうすればいいのか、読み進めるうちに深刻ですくわれない気持ちになった。グローバル化と戦争によって死に、貧しくなるのはいつも弱いものたちばかりだ。
こんな会社に近寄るなJKを執筆。18年で名刺交換した会社数が1500社をこえた。そのうち倒産、廃業、身売りした会社でしるものが二百社。こうした「倒産会社」の分析は本当に人間というものをあらためて考えさせられる。
2月1日(土)
テレビでみて驚いた。ブッシュ大統領とブレア首相の顔つきが似てきた。これは神経症の顔だ。ブッシュは、早くイラク攻撃をしたいが、できずに神経がだいぶまいってるようだ。イギリスの子供たちに「ホワイトハウスはどんなところですか?」と聞かれて「白いよー」と答えたりしているから、ぼけもきているようだ。(笑い)ブレア首相もアメリカべったりの政策により労働党員の著しい減少を招いて疲弊している。戦争に反対するドイツ、フランスばかりが欧州ではないと、ブッシュが力説したところで、湾岸戦争のようにはなかなかいかない。
WOWOWアニメフェアが始まった。放映されるアニメ映画が22本。今回は劇場版「ガッチャマン」と「人造人間キカイダー」「青の6号」が楽しみ。ビデオで取り捲る予定。
遊撃宇宙戦艦ナデシコ カードキャプターさくら ホールインワン のマンガを入手。とにかくマンガが安い。漫画家が、ジャスラックのようにマンガ喫茶と新古書店、貸し本屋などにマージンを要求するのがわかる。だが単行本収入がなければ食べられないシステムにこそ問題があるのではないか。原稿料を高くすれば、おそらくマンガ雑誌は1冊1000円にもなるにちがいない。しかし通産省が保護政策にのりだしても、日本がほこるマンガ、アニメ、ゲーム文化は今がピークである。保護主義にかたむいたとたん衰退にむかうだろう。それ以上に心配なのはマンガの児童に関するポルノ禁止法案の影響だ。ドラえもんのしずかちゃんの入浴シーンも禁止だ。これはただごとではない。公で規制し、ネット上では放任という二枚舌政策。どうみてよいのか?
インフルエンザではないが、風邪をひいて体がだるい。
ヴェルベットアンダーグランドの93年、パリオリンピア劇場でのライブ、ブルーハーツ94年。日比谷野音のライブビデオを取り出してみる。演奏も申し分ないのにヴェルベットは退屈した。がブルーハーツは、やはり魂が揺さぶられる。ヒロトの歌は下手なのにいつきいてもすごく切なくなる。「こいつら必死に生きてやがんな」と感動する。ブルーハーツをはじめてきいた85年。「生きててよかった」と素直に思えた。トレイントレインをうたいながら、俺は栄光に向かって走ったことがあるのか、といつも自問自答していた。
タバコはすわない。酒はほとんど飲まなくなった。かわってコーヒーを飲みすぎている。1日缶コーヒー3本、レギュラー2本、家でエスプレッソ1杯はかかせない。飲みすぎだが、胃はやられない。
1月26日(日)
昨日、大阪で山中さんと、まぐま10号の打ち合わせをおこなった。環境問題読み物3本と座談会ほぼ50P前後でOK。彼女が発行されているメールマガジン、大学での講義、水俣病大阪被害者裁判の様子など伺うことができた。次号が楽しみ。2月初旬に環境問題アンケートを配布。関係者にお願いしたい。WEBまぐま構想は休止しているが、今後まぐま、新時代のバックナンバーのメルマガ化など、可能性はある。
「千と千尋」をテレビでみた。第一印象は絵の完成度が高いなぁーというもの。千尋とハクの心の交流の描き方が弱いため、千尋と龍となったハクとの再会の感動がいまいち伝わってこない。やはりこのアニメの主人公は「顔なし」であるといいきれる。窯じい、湯ばぁ婆、銭婆、かえる男たち、皆現世の人間の心が具象化したもの。[顔なし]は、やはり宮崎駿が大好きな諸星大二郎の「不安の立像」の闇が完全にモデルなのを確認した。水木しげるキャラが不完全に消化されたものの、娯楽物語としては楽しめた。
ビジネス関係の執筆に関連して、コンテンツのライトアウトの見直しをおこなった。やはり業務をしながら執筆をおこなうのは限界にきているか?
吉祥寺シルエレでキキオンのライブをみた。後半は壷井・無月デュオ。日本のプログレバンドを代表する2バンドだが、キキオンの音は、完全に心身がトリップし、異界にいざなわれた。パキスタンの民族音楽をもとに独自の不思議世界を形象している。2月18日はプログレギタリスト・小川銀次のライブがある。
1月17日(土)
遅ればせながら富士で初日の出をみた。右手に満月を従えた富士、左手に今登らんとする太陽。眼下には街々の灯りが宝石箱のようにひろがる。あの街の光ひとつひとつが人間の心のように思えてきた。心は月と太陽のあいだをいつもいったりきたりしている。
fra-foaに入れ込んでいる。2枚しかアルバムはでていないが、すでにMY BESTテープをつくってしまった。編集、執筆をしながら、聴いていると心の泡がつぶだち、波となり、やがて心は透明になっていく。集中力がでてくる。
新まんが論A 魔法少女論(キャラクターとグローバリズム)執筆 に着手。榎本ナリコの「センチメントな季節」を3巻まで読む。SEXの行為、そのものの感じ方が女と男がこうもちがうのか、実感してしまった。内田春菊よりもナリコのほうがかなり生生しい。おそらく読みてが身体をとおして女心を強く感じるからだろう。男が読んで、女性に同化できるマンガは少ない。センチメントな季節は、その数少ないマンガだ。
昨年は月2回のライブを心がけていたが、後半月1回いくのがやっとになった。おもに吉祥寺のライブハウス中心。家から近いので便利です。今年はホール1回、ハウス1回をこころがけたい。映画は残念ながら目がだめで、やはり観られない。非常に残念である。音楽はやはり自分の原動力だ。
AMP氏からお借りしたアニメDVD「lain」は、「魔法少女論」について、新しい切り口を提供してくれた。ナースエンジェルリリカ、ミンキーモモ、にlainをからませると、あぶり出しのように、新しい「少女論」が突然みえてきた。楽しみながら、かけそう。
KI石井社長の脱税につぎ、プライド、森下社長の自殺(他殺?)と、格闘技界を牛じる2大勢力の暗舞台がみえてきた。はやくしないと、まともな武道まで金まみれになってしまう。この辺はまた「対談」で小林氏とじっくり語りあうことにしよう。
1月11日(土)
『カルチャルスタディーズ』関連の本をようやく読み進めることができた。サブカルチャーを現象的にではなく、本質的に研究をおこなううえでも、「カルスタ」は避けて通れない。しかし面白いのは、西欧思想において、「カルスタ」が西欧マルクス主義、構造主義、オリエンタリズムの影響をうけながらも、独自な視点を失わなかったことだ。文化を階級、人種、階層、ジェンダー的な視点から捉えなおすことで、「西欧思想」の言語が「階級 人種 階層 ジェンダー」を権威的に固定化しつづけてきたことがよくわかる。
イギリスという最も「階級的」な国で、移民の学者、研究者によっておこなわれた「カルスタ」は、やはり階級的、政治的な視点を強くもたざるを得なかったから、日本では「ファッション」として、アメリカでは「学問」としてしか定着しなかった。「カルスタ」はそんな日本やアメリカではなく、ながらく植民地として複雑な文化形成をせざるを得なかった南アジアでめざましい業績をあげた。
「ニューイヤーロック」をみていて、わかったことがある。裕也さんは、自分たちが世間からマイノリティで「胡散臭い」連中と思われていることをよく知っているということだ。浜崎やら,モームスやら、ウタダヒカルやら、ビーズやらミリオンセラーミュジシャンと自分たちは違いすぎる。そんなマイノリティの意地が感じられる。
そしてレコ大や紅白に代表される音楽文化支配層によるサブカル・ポップへのすりよりは、かえって視聴率の低迷を招いている。ニューイヤーロックを、かってのように、紅白の裏番にもってくるのはどうか。猪木ボンバイエとニューイヤーロック、これで、テレビ支配層によるサブカル補完計画は完了する。ニュ−イヤーに「ツンク」がでて、熱唱しているのは、モー娘でブルジョア化した自分への決別か、それとも過去への哀愁か? 文明が没落する前のローマで支配層は語った。民衆には「パンとサーカス」をあたえておけばよい。今風に考えれば、パンとは企業でサーカスは娯楽だ。「階級的視点」でものごとをみ、NPO的発想で具体化することでしか、世界はかわらない。競争(対立)と協力を有機的に連動させるために何をすべきか。
この違和感は単なる労働者階級の不良のジョンレノンが、手塚治虫や円谷英二とともに、今では子供むけの偉人伝にのり、「世界平和に尽力した救世主」的な評価をうけていることにもある。ジョンは今でも、私のなかでは単なる精神的に未熟で、神経質で気難しい単なる不良だ。不良を偉人にするのはやめよう。ただ、純粋に平和を希求していた事実は伝えるべきだが。「人間として未熟だからこそ」すばらしいのだ。手塚は単なる猜疑心と嫉妬心の塊だし、円谷はオタクだ。だが、それ以上に世界に残した影響が大きいかっただけ。
今日もfra-foaのビデオとCDを聴く。ダイソーでサンタナとボブマリーのCDを100円で買う。これって版権どうなってるのだろうか。まんがも100円で石森や里中、いがらしゆみこ、庄司としおなどのまんががダイソーコミックとしてうっている。版権はダイソーがもってるのだろう。大泉氏が宝島の「僕たちの好きなウルトラマン」にウルトラQの文章を載せている。氏の違う側面をみられて感慨深い。
1月6日(月)
昨夜、ライブビデオのチェックをしていて、衝撃が走った。そのバンドは「fra-foa」というバンドだった。ヴォーカルのミカミチサコの全身から絞り上げるナチュラルなパワーみなぎる歌声、バンドの音が70年代ロックサウンドしており、会場の熱気は異様な盛り上がりをみせている。矢井田瞳や鬼束ちひろにはなんにも心は振れなかったが、とにかく、感激してさっそく、デビューアルバムとセカンドを購入。そういえばこの光景はどこかでみたことがある。そうだ、これはレベッカが小暮武彦主導から土橋亜騎夫のポップ路線に転換する瞬間にみせた記念碑的なライブ。ロックとポップが融合し、激しくうたいあげたあのnokkoに似ている。ポップになって売れたnokkoしか知らない人が多いが、本当にnokkoが輝いていたのはロック時代。
fra-foaのライブは今後チケットをとるようにしたい。安易なポップ路線に走らず、ドライブ感のあるロックこそfra-foaにはふさわしい。屈折ロックやポップに浸食されたロックにはない輝き、今fra-foaが旬だ。
ニューイヤーロックは、さすがに全部みられず、寝てしまったので、今ビデオを観ている最中。シナロケは相変わらずのサウンドでカッコイイ。鮎川誠、顔ながいけどやはりかっちょえー。裕也さんああの銀長髪は似合わねー。アンルイスと桑名の息子、美勇士の演奏は年々すばらしくなっている。NEWSは毎年上手くならず、そこがかっこいい。でも女性3人のパンクバンドを続けるのは大変そうだ。確か3人とも30代中ごろになってきているような?
こんな会社に近よるなJを執筆。4月、5月と講演依頼が入り、忙しくなりそう。関西方面の大学での講演になりそうだ。日程調整をおこないたい。最近はまんが、アニメの話が多い。たまにはビジネスの話しがしたい(笑い)
1月1日(水)
猪木ボンバイエと紅白をかわるがわるにみていて、風呂にはいっていたら年があけてしまった。ここ数年はいつも風呂で年越しをしている。そして恒例、朝まで生テレビ をみている。アメリカ一国主義(ブッシュドクトリン)と北朝鮮問題によって、金融、経済市場の解放についで、イデオロギーの解放をもいやおうなしに迫られている日本。経済貢献だけではなく、政治姿勢を世界に示さなければならない戦後初めての年、それが2003年だ。
藤田がミルコに負けた。少し機嫌が悪い。やはり勝ってほしかった。だがその戦いは正々堂々で、あっぱれ。中島みゆき、少し寒そうで声が震えていた。歌詞も間違えたしね。
12月29日(日)
ようやく年内の仕事が一段落した。公私ともに目標の実現ペースが遅くなっていることを実感した1年。ペースダウンをおこない、達成感を高めていくことで、モチベーションの維持につとめたい。
昨日、モーニング娘の年末恒例ドラマを昨年に引き続きみた。遅く帰ったので、後半のヨッシーの「おれがあいつであいつがおれで」しかみられなかった。やはりドラマの時間枠があり、大林さんの「転校生」の感動にはかなりおよばないものの、さわやかな青春ドラマとして、まあよかったのではないだろうか?あいかわらず、石川梨華の棒読み科白は愛嬌。昨年より上手くなってる。はは。
アメリカとともに行動をともにしてきたイギリスに少しずつ変化が生まれている。カンタベリー大司教が「イラク攻撃」反対の意思を表明。ブレア政権は「労働党」でありながらサッチャーリズムの継承者という点で、労働者を敵に回してしまっている。公務員の激しいストライキが再燃している。日本ではながらくストライキが賃上げのための手段に変質させられてしまったため、労働者が労使交渉をつうじて、自主管理権を拡大する戦いの芽を完全につまれた。80年以降先進国のなかで経営がこれほどやりたい放題し、なおかつストライキも意思表示も明確にしない「泣き寝入り」国は日本くらいだろう。
一昨日、久しぶりに旧友に再会。話しは政治経済、文化、マスコミ、教育と多岐にわたった。旧友は福祉専門の教授、マスコミ関係者ということもあり、福祉、メディアの現場についての詳細な情報を聞くことができた。詳細な意見の食い違いはあるものの、大方の流れは一致した。
@アメリカとのプラザ合意を受け、政府がバブル経済に踊らされた結果、今日の事態を招いているが、その後の橋本内閣の対応で躓いた。福祉、医療、教育、文化軽視、予算の削減は橋本内閣から始まった。小泉はその後始末と金融グローバル化のつけに追われている。
Aマスコミは80年代に、企業との関係をつよめ、メディアであからさまな企業批判ができないように札束交渉をおこなった。原発問題もメディアがしっかりしていれば、今日の事態を招かなかったはず。岸信介が安保対策として、60年安保時にマスコミを召集し、報道基準をマスコミと設定したが、小泉も田中真紀子の首を切ったあとに、同様な趣旨の集まりをマスコミとおこなった。その内容は60年時は一部マスコミから漏れたが、今回は全くもれない。おそるべしマスコミの自主規制。本質的な政治批判をおこなわずにワイドショー報道するマスコミの役割は完全に終焉した。事実はビジネスに敗北した。読売、フジ・サンケイグループおそるべし。久米に続き、筑紫陥落の日も近い。マスコミの個人攻撃は目にあまる。
B拉致問題の過剰報道にうんざり。本質的な報道はよしとしても、何処何処へいった、という類の報道でご本人、家族をおいかけまわすのは、いかがなものか。田中耕一さんをおってノーベル賞授賞式にいったマスコミ。田中さんだけをおっかけまわして恥ずかしい。受賞者は他の国々の方も大勢いる。「業績」を世界的な視野から評価、ノーベル賞の意義などをきっちり報道すべき。幼稚な報道姿勢は知性後進国だ。
C現在の保守勢力が政権を続ける以上、改革は絶対できない。保守は字のとおり、保ち、守だけ。小沢一郎と共産党がきらわれるのは、近代政党として当然のビジョン、理念、政策を明確にし、実行しようとしているため。小泉、石原も小沢、共産党ほどのビジョンはない。ビジョンを明確にすると嫌われるとはおそるべし日本人。政治参加意識は、近代以前のレベル。ビジョンと政策を明確にするからこそ、その修正、問題解決が可能なのだ。
D日本の組織、ありとあらゆる分野で、縦社会が完全に崩壊しはじめた。前近代的な命令服従型組織は、不況ながびく日本にあってかろうじて表面たもたれているが、内実は溶解しはじめた。生活を守るため、皆我慢して人格否定され、いじめ、ほされても生きているのだ。
E文化はこうした分野の腐敗を隠す役割から、受け入れ、仕方ないものとする「癒し」の文化が形成されている。変革の兆しは「癒し」からの脱却だ。
FNPOが現実政治にどのくらい影響力をもてるかが、今後のポイント。縦から横へのネットワークに参加し、利益優先の会社の奴隷にならない生きかたを模索、構築していく活動を考える。とくに電波管理法で事実上通信報道の管理(規制)が厳しい日本では、ミニ放送局の発展など、マスコミ情報たれながしに対抗していく必要がある。
と長くなりましたが、酒なしで7時間、また夜中まで激論となった。
今日は「ジョン・レノン スーパーライブ」をBSで放映する。オノヨーコも今年は参加している。楽しみにしている。山崎まさよし、坂本龍一の演奏が楽しみ。山崎まさよしは、平井堅とならび、現在、日本の男性ボーカリストのなかで、好きなアーチストの一人。平井堅は「古時計」「リング」までヒット曲に恵まれない印象があるが、そもそも平井堅の声が好きなので、あまり楽曲は関係ない。アルバム「gaining through losing」の完成度はかなり高い。あんな声で耳元でささやかれてみたい(笑い)。
12月21日(土)
電気屋さんの衛生放送アンテナのとりつけの手伝いをおこなった。最新の液晶テレビで取付け後のBSデジタル放送の画面をみてそのきれいさ、重低音の迫力に驚いた。電波受信のアンテナ設定角度、取付け位置も微妙で、受信センサーで感度を確認しながら、2F、3F、屋根伝いに奔走した1日であった。
竹内オサム先生から、まぐま9号の広告を「ビランジ」11号に掲載いただける連絡をいただいた。「ビランジ」は、マンガ、アニメ業界関係者の多くが読んでいる雑誌なので、「まぐま」がその筋で知名度があがればと期待している。
榎本ナリ子(野火ノビタ)「センチメントな季節」、フィルムコミック「ふしぎの海のナディア」、「それからのモモ」、五十嵐大介「そらトびタマシイ」、岩崎こたろう「戦争と平和」を購入。どれも個性的な作品ばかり。ナディアは庵野さんが手掛けていたアニメ、モモはあのミンキーモモの後日談ストーリー。庵野さんは安野モヨ子と結婚したが、案外、榎本さんと一緒になると思っていた人が多かったらしい。EVAのについての野火ノビタの批評は記憶に新しい。EVA最新刊8巻を購入。シンジとレイに魂が通いはじめた。アニメとは違うEVAができつつある。
マイク・オールドフィールドの「遥かなる地球の歌」「チューブラー・ベルズU」を購入。これが聴きたかったプログレであることを再認識。
マイケル・ハートとアントニオ・ネグリの共著『帝国』(邦訳は近刊)は、9・11テロの前に出版され、その後の状況を驚くほど正確に予言したことで話題になった。アメリカが1648年のウェストファリア条約で欧州が分割されたとき、その当時の政府の正統性を理由づけるために発明された「領土」概念を捨て、レーニンのいう植民地支配と領土収奪を基本とする「帝国主義」から完全に脱したと指摘した。
これは1928年の不戦条約の「自衛以外の目的で戦争を行ってはならない」という原則を踏み越え、戦争の正当性を決めるのは、国際的ルール(国連・西側同盟国)ではなく、皇帝(アメリカ)が決めるという意志の現われである。東西冷戦終了後のアメリカ一国主義、これはローマ帝国の基本姿勢、「戦争は領土の防衛ではなく「ローマの平和」(Pax Romana)を守るために行われるので、帝国に従わない者はすべて攻撃の対象になる」と同様である。「新しい帝国」は、領土をもたないグローバリズムという点で、ワールドワイドなコンピュタ−ネットワークに寄り添う。
押井守アニメ「「パトレイバー」をTから一気に観る。コンピュタ−問題、政治、軍事問題、古くて新しいマン・マシーン問題など、相変わらず世界観が確立していて楽しい。
12月15日(日)
イラク情勢をめぐって米ハリウッドの映画スターが10日、ブッシュ大統領に戦争反対を訴える連名の書簡を送るとともに記者会見を開き、「反米感情をあおり新たなテロを招く」と主張した。 書簡は女優のキム・ベイシンガーやスーザン・サランドン、俳優のマット・デイモンら104人の連名で出された。 会見ではホワイトハウスを舞台にした米NBCテレビの人気政治ドラマ「ザ・ホワイトハウス(原題:The West Wing=NHK総合テレビで放送中)」で大統領役のマーティン・シーンらが「(イラクの)大量破壊兵器保持は断固認めないが、政府が国民に戦争をあおり立てるような現状は正しくない」とブッシュ政権の姿勢を批判。「ブッシュ大統領はフセイン氏への個人的な反感を満たすために戦争へ走ろうとしている。大統領はわれわれ市民の声を聞くべきだ」と訴えた。
13日には、日本では、小田実の呼びかけで、中山千夏、永六輔、なだいなだ、鶴見俊輔、矢崎秦久などが呼びかけ人となり、イラク攻撃反対の声明、および、集会がひらかれた。2500人が参加したが、一般新聞、テレビニュース報道がないという驚くべきありさま。韓国の反米集会、デモはおおきく報道しても、自国の動きは伝えない。マスコミがかなり言論統制されている?欧州でも連日イラク攻撃反対の動きが活発である。(インターネットはこういうとき即座に世界の動きが知れて便利です)
欧州(EU)が、ついに欧州憲法の制定にむけて調整にはいった。もし、欧州が日本のような、不戦憲法を草案し、採択したら、世界は激変する可能性がある。好戦国家アメリカは孤立する。第2次世界大戦で、主戦場になった欧州は、戦争の是非に対する思考が深い。日本はあれほどの害をあたえ、害をこうむったのにすぐに改憲だの、イデオロギー対立だの論争になり、戦争そのものに関する見識がいまだに浅い。小林よしのりのような浅薄な「物語」がはやる国だから。
何故、日本では、小泉さんや、石原さんなどの好戦的な人が人気があるのだろうか?
12月14日(土)
うーむ。非常にまずい。何がというと、またしても1年が終わるということだ。今年の計画のなんと1/3しかことがはこんでいない。公私ともにである。これは能力というよりも時間の問題だ。
萩尾望都の初期作品集(赤本)と後期作品集(白本)、念願かなって大量に安く入手。萩尾さんや大島弓子さん、竹宮さんを熱狂して読んでいた25年前になぜか手放した萩尾さんをこれでとりもどした。竹宮さんの初期作品集(緑本)も楽しい作品が多い。「魔女はホットなお年頃」や「ここのつの友情」あたりがまだ絵も洗練されていない頃で「少女マンガ」していて好きだ。
大島さんは、「マンガにみるジェンダー」論を学術誌に書いたとき、大島さん自身に図版の許可をいただき感激した覚えが甦る。担当編集者が「大島はすべて自分で文章を読んで判断します」という言葉が印象的。闘病中とのお話し。ぜひ元気になっていただきたい。「ジョカへ」はほんとうに感動した。ラストの映画館のシーンは映画をこえていた。
奥浩哉「GANTZ」最新刊まで入手。山上たつひこ初期作品、サンコミックス「マシンママ」入手。奥浩哉は「HEN」以来のファン。巨乳キャラで有名になったが、物語の作り方も上手い。少し絵にロリが入るが、「GANTZ」の星人キャラが優れているので対比しても楽しめる。
少しはやいが、2003年の未年、12年前の同じ未年、ブッシュのオヤジが大統領やってたとき、1月16日湾岸戦争はおきた。息子もやはりイラク攻撃をおこなうのか?いーかげんにせーよ。レーガン以降、アメリカには知的な大統領はでないのか?
金正日の情報が入るにつれ、現代のオタク独裁者のマンガ的姿が明らかになり、笑いにことかかない。特に特殊部隊に無理な訓練をさせて、それを巡視するのが大好きというのがすごい。その映像はまるで某空手団体の昔の映画のような映像だった(笑い)。「人民は餓死しても軍隊は守る」という姿勢は、北朝鮮が今も戦争が終わっていない国であることを意味している。日本は平時だが、かの国は国家総動員体制の「戦時」である。この認識がないと外交でやられるだろう。
東電が原発をすべてとめて、点検に入る。電力不足になる可能性が高い。これはオイルショック以来の出来事。だが、東電。メンテナンスがゆきとどかずに、ユーザーに迷惑をかけるのは、企業として、国の機関産業をになう責任からして、ちーと問題はありはせんか?
12月7日(土)
やれやれようやく部屋の掃除ができた。またすぐに汚れるのであろうが、汚さない努力も必要だ。
ついに諜報船イージス艦派遣を決めてしまった小泉さん。これで、専守防衛から集団自衛権の行使に、また一歩、憲法なしくずしの既成事実をつみかさねた。南洋の沈み行く島国ツバルが、京都議定書違反をし、CO2をたれながすアメリカに対し、国連に国際裁判の申し立てをしたように、一国民として憲法違反で日本政府を訴えられないか、手続きもあろうが、検討するときにきていると思う。野党がしっかりしていればこんなことにならないのだけど。アメリカのグローバル戦略のもとで、非人道、無益な戦争にかかわるのはごめんだ。本当にアメリカの腰ぎんちゃくにはへきへき。
年金制度の問題でも、政府は少子化によるプール金の縮小ばかりを宣伝し、年金制度の危機をあおりたてている。定年後も働いている定年退職者からも同じように税金をとりたたていることを知らせていない。高齢化社会は、それだけ、高齢の働き手が多い社会であり、若い世代からの税金だけでなりたっているのではない。サラリーマンはだまって税金をとられている。自分の将来の年金を再計算してみたところ、65歳から月11万2500円になった。これは、またしても政府のごまかしだ。
地方の誰もいないところに高速道路や新幹線をつくってどうする。税金の無駄使いは本当にやめてもらいたい。
10代のころに憧れた自由の国アメリカ、ロックと映画、ジャンクフ−ドを教えてくれたアメリカ。自分たちの自由を奪うものと闘ってもいいことを教えてくれたアメリカ、ベトナム戦争反対を訴え、焼身自殺したアリス・ハーズの「我炎になりて」のアメリカ。そのアメリカがテロ事件以降、急速にファシズム化している。あからさまな言論統制がおこっている。そんなアメリカ魅力なし。これはマッカーシズムの再来か?
勇気をもって「戦争反対」を叫ぶのは今だ。1970年ジョージハリスンとジョンレノンは、そういった。
12月3日(火)
昨日でまたひとつ年をくった。40すぎるとあまり歳をくいたくない(笑い)。しかし人間にとって絶対的に平等なのは時間だけだ。どんな人も物理的な時間だけはおなじ。
先週keiさんの特撮仲間と忘年会をT芝高輪クラブでおこなった。皆さんあまりにすらすらと怪獣やらエピソード、タイトルまで、詳細にかたられるので、本当に楽しかった。オタクというよりもマニアに近い人々。あっしもその一人かな?
社会文化学会終了。喋りすぎて、時間オーバー。また直美先生にしかられた。(笑い)若い世代20代の院生による若者論が活発で大変楽しかった。やおいとオタクの分析から、ポストモダンに特徴的な、物語をうみだす社会的文化的なパワーが失われつつあることが「実感」できた。だが、「ドラゴンボール」は物語ではない。反復であるという指摘には、考えさせられた。若い人々はあっしらが物語りと思っているものを非物語と考えている。そこに物語を空想と体験で身体に刻んできたあっしらの世代と、物語りをすべてしらじらしい現実と読み替える世代の差異を感じた。だが、彼らの感性こそが現実的である。
魔法使いサリーの「ポニーの花園」の話をしていて、自分で感動して話すほどあっしも馬鹿になった。おまけに涙ぐんでいる。(笑い)
大きい行事も終了し、あとは年内少しゆっくりしたい。部屋の掃除じゃー。そいうえば、年賀状忘れていた。
山中由紀さんから、まぐま10号の構想が届く。ムツゴロウ(畑正憲さん)の表紙で、環境問題特集。いったいどうなっていくんだ、この雑誌は?
ひさしぶりに70年代のスティックスのアルバムをきく。プログレ風で気持ちいい。このあとポップスに傾斜していく。コクトー・ツインズ、フォリナーのファーストをきく。
11月26日(火)
まぐま9号パーティも無事終了。大泉実成氏の講演も好評でさすがの感。深夜ですが、またしてもBSのエリッククラプトンライブをみてしまう。早寝の誓いはどこへ?
24日は世界哲学会で活躍されている長野氏の近況、問題意識に触れられ大変触発をうけた。しかしこの世界大会、発表者が2000人いるというからびっくり。日本からは毎年20人くらいしか報告しないそうだ。長野氏のヒュームの懐疑論を下地にする認識論は、日本の哲学者にない考え方でびっくり。こんな方が在野の研究者でいることに日本のアカデミズムの閉塞性を感じる。
従妹が子供をつれて遊びにくる。もう7歳になった。こどもの成長ははやい。前回は仮面ライダー龍騎のおもちゃが今回はガンダム。さすがにサイクルがはやい。
最近甘いものが食べたくてばたばたしている。ケ-キはコンビ二のモンブランとイチゴショートが好きだったが、なにか味が変だ。クスリくさい。コーヒーゼリーはやはり森永が一番。缶コーヒーの好みも変わり、今はマニアックな伊藤園のシリーズもの、カプチーノがあう。冬季限定キャラメル味はいただけない。
帰ってきてシュークリームを3つたべた。
ここ数ヶ月、ほとんど車に移動がおおいため、ラジオを聞いている。さすがに文化放送の吉田照美のやるきマンマンは、ばかばかしさが10年以上かわらずすごい。小俣雅子さんの声もあいかわらず若い。ラジオのビジネスニュースはテレビのように画像がないため、かえって事象をほりさげ、核心にせまる解説があり、テレビのだめさがますますあきらかになりつつある。テレビももう、専門チャンネルの時代だ。民放の政治、経済番組はレベルがひくい。本当に思考していない。特にニュースステーション。テレビ東京に視聴率をぬかれたテレ朝、ワイドショーにもこと足りない三面記事的番組が多い。
直美先生によると、ロック界もインディのほうがもうかる、商業主義離れがおきているとのことで、面白い。なぜならインディでヒットすれば、制作費が安い上、中間マ−ジンがない。だから彼らはメジャーデビューしない。しても製作側の意図にあわなければ、捨てられるのは明白。売れるための音楽つくりは、彼らの生き様にあわない。これはコミケでもおなじだ。日本国内の市場の成熟により、マンガ、アニメは海外にいけるが、日本の音楽は世界に通用しない。
70年代、あの伝説のロックバンド、沖縄の雄、「紫」のボーカリスト、城間さんが窃盗で逮捕された。ライブハウス「アイランド」が不況で閉店。バンド活動できずに、食うに困ったうえでの犯行。なにか現実の重さに夢がうちくだかれた思い。城間さんも50歳になっていた。
11月21日(木)
今週1週間はパソコンとの格闘で終わった。ウイルスメールを削除し、ファイルの削除をおこなっているときに誤って必要なファイルも削除してしまったらしい。ウインドウズが正常に機能しなくなってしまった。諸先輩にアドバイスいただき、MOドライブにデータ−をコピーし、パソコンの修復、復元作業をメーカーのアドバイザーに指示いただき、ことなきを得た。最近、関係者でウイルス感染している人がでてきたので、気をつけたい。
また部屋がひっちゃかめっちゃかである。どうにもものすごい状態。資料と提案書の紙が散乱している。今週も片付けられない。とほほ。
まぐま9号、パーティ23日、社会文化学会11・30〜12・1の報告が目前にせまってきた。レジュメは完成。大泉氏ハードスケジュールのなか、おこしいただき感謝。
keiさんのHPをみるたびに、読書量がすごく尊敬してしまいます。とにかく本当に本がよめない。平日は車の運転と商談、かえってからは提案書づくりと、報告書づくり、土日ははずかしながら、マンガとCSやBSなどのテレビ、おもに経済、ビジネス、動物、環境ものなどの番組をみてしまいます。活字ばなれに歯止めがかからない。
11月15日(金)
体調が戻りつつある。一時的な炎症も痛みもとれた。検査でも入院はめんどうだ。無理はやめる。
ようやくタコシェにまぐま9号の納品ができた。宣伝用のちらしを配布することをお願いした。23日パーティの宣伝もホームページにお願いした。
本日の入荷マンガ、大橋薫「DEAD DREAM」 長久保貴一「F/E/A/R」 小手川ゆあ「Anne Freaks」 高瀬理恵「公家侍秘録」 奥浩哉「ZERO ONE」 休みの日に一気に読みたい。
ここのところ、深夜に「らせん」や「富江」「エコエコアザラク」などオカルト、カルト映画を民放がやっている。これがよせばいいのに仕事しながらみてしまう。おかげで、また寝るのが3時すぎだ。いかん。このあいだ入院したとき、12時には寝ようと決意したのに…。
またまたミカバンドの「黒船」をきく。「黒船〜嘉永6年6月4日」はすばらしい。劇的サウンドとはこのことだ。高中正義の物語るハイトーンギターと今井裕の水面に波紋をたてるようなシンセ、プログレ・フュージョン風の仕上は、さすがクリス・トーマス。高中の「虹伝説」をまた聴きたくなった。
中村一義の「ERA」を聴く。太田裕美「手作りの画集」を聴く。「遠い夏休み」「都忘れ」はいつきいてもなぜか、感動する。松本隆の詩もいい。奄美のリッキーの「てのひら」に鳥肌がたった。元ちとせもすごいが、リッキ−はより原始的だ。なにか宗教的な荒魂が心のなかにはいってきた。これは憑依的で、驚異な歌声だ。そんで、石川ひとみの「ライブ」をきく。19年まえに学祭でよんだときのライブ音源。このとしはピンククラウド、かまやつひろし、ばんばひろふみ、白井貴子をよんだ。懐かしい思い出。
メルコリンズがききたくなり、キャメルをきく。「スノーグース」「ブレスレス」をBGMで流しながら、このあいだのコンサートでなぜか水ばかり飲んでいたメルコリンズを思いだし、病気ではないか心配してしまう(笑い)。
アニマルプラネットのにいさんがついにワニにかまれ、足の肉をそりとられた。しかし、こりずに、今度はニューギニアにでかけ、やはりトカゲやかめに出会い喜んでいる、だが、なんといってもにいさんが一番うれしそうに奇声をあげるのはへびとの遭遇である。へびを身体にまきつけ、美しいとか、すばらしいとか、おそらく英語でさけんでいるから「びゅてぃふる」とか「わんだふる」とかいってるのだろう(笑い)
11月7日(木)
クリムゾンのファースト、セカンド 「宮殿」「ポセイドン」の21セェンチェリー・スキゾイドバンドによる完全再現ライブをみにいった。メンバーはメル・コリンズ、ジャイルズ兄弟 イアンマクドナルド、そしてボーカル・ギターはジャッコー。ふたをあけるとなんと「アイランド」の曲も3曲演奏した。フオーメンテラ・レディでは、ピーター・ジャイルズがボズ・バレルの下手なベースを真似していて少し笑えた。イアンのソロも入っていた。圧巻はやはりクリムゾンキングの宮殿、エピタフ。風に語りて は少しヴォーカルがラフで残念。それにしても生きて初期の名曲をきけるとは、感動。
BSのモンタレ−ジャズフェスのビデオを撮ったのだが、これもまだ観れてない。
BOOK OFFにいくとCD(アルバム)が200円でうっている。ジャミロクアイ、ニルバ゙ーナも200円。購入した。スパシーボを探しているがない。氷室ックの「エターナル」「ダイヤモンドダスト」を聴きたいためにやはり、アルバムを2枚500円で購入。本当にこんな価格でいいのだろうか? 安い。
イギリスの全国アンケート、20世紀の名曲100のベスト10の5曲がビートルズ、ジョンレノン。1位は圧倒的な強さで、クイーンのボヘミアン・ラプソディ 。中2のとき、初めてこの曲をきいたとき、ものすごく感動した覚えが甦る。友人は90分テープに全部、この曲をいれて聴いていた(笑い)
久しぶりに、ボへミアンラプソディのシングルをひっぱりだして、聴きなおした。ジャケットはクイーンのメンバーが日本にきたときの写真のコラージュ。ロジャーは美青年だ。フレディはやはりタイツをはいている。(笑い)
25年前、武道館の前に確かにボクはいた。まだロック演って、聴くだけで不良っていわれてた時代。
11月2日(土)
ここのところまた読めずにたまっていたマンガを読む。士郎正宗「攻殻機動隊2」 相良直哉「KANA」 本秀康「君の友だち」 ほりのぶゆき「からげんき」など。
攻殻機動隊2は2/3がフルカラーページでビジュアルとしても美しい。前編で素子が知的生命体と融合した後、4年数ヵ月後から物語ははじまる。意外によかったのが「君の友だち」、こういうマンガはいい。子どもにとって生命現象がすべて驚きの連続であった昔を思いおこした。くじけていた自分を勇気付けてくれたお姉さんが、翌日自殺して、夏休みの間毎日、公園でお姉さんを待ちつづけた少年の物語「レイクサイドストーリ」は少し胸がいたんだ。
CSのアニマルプラネットという番組にはまってしまった。昔から虫、動物ものには目がなかったのだが、この番組の爬虫類特番にでてくる蛇専門家の少し危ないお兄さんが、奇声をあげながらアナコンダだの、ガラガラへびだの大蛇、毒蛇との遭遇を楽しむジャングルもの。次週からワニ特番に挑戦する。大変楽しみである。
大人なので、昼間や夕方の時間帯にアニメをみられないので、夜中の時間帯についついみてしまう。テレビ神奈川のアニメ特番、アニメコンプレックス(毎週日曜日深夜12:30〜)はかかせない。今時のアニメの作り方の勉強にもなる。しかし、なにか、最近のアニメはエヴァと宮崎の影響をうけてて気にいらない。昔のタイガーマスクばりのぶっとい線で、格闘技アニメがみたい。格闘技マンガの最高峰・バキも深夜枠にやっていたが、不発のまま終了した。
10月23日(水)
WOWOWで今、巨人の星 花形満特集をみている。あいかわらず中学生のくせにスポーツカーを運転している。笑える。不良番長、赤川のへりくだり方も笑える。一徹はまたしても怒っている(笑い)。オーロラ3人娘が「アイラブ アイラブ ほれたの」おーうたっている。
ついに血尿がでてしまった。夜中に腹痛でとびおき2日連続、仕事にならなかった。病院で検査、11月には再検査。痛み止めをうち、クスリをもらう。腎臓がストレスでまいっている。だましだまし仕事をしないといよいよまずい。
社会人になっていらい一度も健康診断でチェックがでたことがなかったが、今年の診断ではじめてひっかかった。腎臓と肝臓だった。2次検診うけてたらよかった(笑い)。
厄年、昔の人は経験則でものごとの本質を判断している。確かにからだに微妙な変化がおきている。睡眠はもちろん。規則正しい生活、身体の鍛えなおしも必要だ。
血尿で、墓参りにいけず、うに にあえず。「うにっき」サイン本をみやげ入手。
10月20日(日)
ここ2週間就寝時間が午前3時、日々の仕事のまとめ、提案書作成、見積り作成、結果報告書作成でへろへろになっている。本当に読書時間がなくなった。比較的はやく読めるマンガばかり読んでしまう。
体調が悪いのは寝不足のせいだ。ここ数年なったことがない胃痛が復活。
四十にして惑わずとはよくいったものだが、ますます迷っている。時代や国や会社の責任にはしたくないが、本当にいやな国になってしまったと実感している。夢と希望をもつのが難しい国。日本。
今日も提案書を作成しなければならない。おかげで、墓参りにもいけない。これは会社員ではやっていけない。自営業意識。自分が社長であるという意識がないとサラリーマンもつとまらない時代だ。その割には簡単に飛ばしたり、リストラさせたり、経営のやりたい放題。日本の労働運動がつぶされた80年代、最後の悪あがきをしていた私も、いまや自営ではなく自衛を考えなければならない。組合も労働者を守らないことがあきらかになってしまった現在。個人加盟の組合が常識となった。
人生の逃走と闘争のバランスをどうとるか。猜疑と信用の間で揺れ動く日々。
それでも生きつづけなければならない。最近本当に楽しいことは年1回くらいか、と自問する。
と書いてみたが、深刻に考えるに値しないこともわかっている(笑い)。この無力感はなんだ(笑い)。それは疲れているんだー。ただ。
10月14日(月)
3連休、久しぶりで部屋を片付けた、また半日かかった。昨日は12月の学会発表打ち合わせ兼勉強会。マンガ・アニメのジェンダー問題とキャラクター問題をどう結びつけるか課題が残る。「やおい」問題から男性中心社会をみていくなかで、新しい発見があった。やおい少女が結婚し、子供を育てながらもやおいであることにより、一時的な少女期の逃避なのでなく、「やおい」の場は新しい女性像の出現とみていい。
やおい少女は小泉首相までもパロディ化してしまうのだから、よく政治のこともわかっている。表現したいときに表現し、出入り自由のしなやかな「表現」の場であることがわかる。男性中心社会からの逃避の場、かけこみ寺的な印象をもっていた認識の転換をもたらされた。斎藤美奈子の「紅一点論」と林真理子の「紅一点主義」の比較も面白かった。
「ミンキーモモ」の世界観から「セーラームーン」の世界観では白熱した議論に。エヴァの出現がモモとセーラームーンで説明できた。と自分は思っている。(笑い)
まぐま9号が届く。表紙がいい。今回、マンガ論の原稿とビジネス原稿との同時進行で、音楽論をまとめるのは本当にしんどかった。が、忙しくてもなんとかできるもんだと再認識。
直美先生に「フジロックの話」をうかがう。今年は特に来場者が多く大変だったようだ。ステージからステージの移動が道がせまく時間がかかりすぎ。やはり陽水のステージは圧巻だったらしい。四人囃子は40分くらい演奏した。外タレではホット・チリ・ ペッパーズがよかったらしい。
夜中にやっているアニメ「天使な小生意気」にはまって長い。いよいよ架橋をむかえ、悪魔により男から女になった恵が、男に戻ることの決断をせまられる。「らんま1/2」以来ファンの林原めぐみの声がどうしても気になって毎回みてしまう。みてるほうも男に戻らないで欲しいと思ってしまう(笑い)。
10月5日(日)
まぐまの編集作業で、またしても部屋がひっちゃかめっちゃか状態。9月は3連休が、土曜日、月曜日仕事がはいった。ここのところ、連休に仕事がかさなる。22日月曜日は茨城にて商談後、山形へ移動した。とにかく家にいる時間がまた少なく、部屋の掃除ができない。10月1日、2日とい仙台で仕事。4・5日大阪出張。やや疲れ気味。
日本マンガ学会が10月12〜13日、横浜で開催される。13日の研究報告はぜひでたいものがあるが、情報問題研究会と日程がかさなり、ぎりぎりまでどちらにでるか考える。
今年も仕事に終われ、1年が終わりそうである。あせりはないが、妙に1日がはやくすぎていく。時間が加速していく日々。
社会文化学会第5回全国大会のテーマが決まった。「市民自治としての社会文化」 東洋大学 11月1(土)〜12月1日(日)開催。ことしは作年に引き続き、アニメ・マンガについての講演をおこなう。テーマは「キャラクターとグローバリズム」 アニメ・マンガのキャラクターを時代に位置付け、市民文化、ポピュラリズムとポップあるいはジェンダー的視点から見直したい。
まぐま9号、完成間近。8号から、9ヶ月がたっている。やはり無理しないでやってくのがよい。ひとまず、年内に96年以降とまっていた単著の出版のめどをつけたい。仕事の責任が重くなり、執筆時間がなくなればなくなるほど、書く意欲は高まる。しかし、もう睡眠時間を6時間とらないと、本当に朝起きられなくなった。「老い」を少しずつ感じる。
9月14日(土)
竹内先生から「ビランジ」10号が届く。高名なマンガ・アニメ研究者、評論家の方々のなかに、自分の文章が掲載されていることに幸福感と緊張感が走る。このまんが論は、現在の自分のベスト。続編を構想中。素材を吟味。肋骨がようやくつながったようだ。あと1本がまだいたむ。
ここのところ滞っていた「こんな会社に近づくなG」の執筆にとりかかる。編集長からじきじにメールをいただく。ここのところ、執筆時間、勉強時間がおもうようにとれず、精神的にもおいつめられていた。「ビランジ」をみて開放感にひたり、元気がでる。
木城ゆきと「銃夢」を読む。テーマがダークエンジェルにかぶる。テーマはAKIRAや甲殻機動隊が提示した「人間」とはなにかを追及。激しい戦闘と殺し合い、世界の破壊をとおして、記憶と人格が残れば(自己確認ができれば)、脳のほとんどが人工化しても人間だと主張する。またそんなものは人間ではないと主張するものもいる。これってデカルトのコギトに似ている。われ思うゆえに我ありだ。しかし人間は社会的動物であること、疎外された主人公が自分を人間として実感するのは、愛する仲間の存在によって。マンガが面白いのは、アクションとこうした「思考」がメッセ-ジとなったとき。「寄生獣」を呼んで感動したのも記憶に新しい。
9月12日(木)
いやー仕事に追われているうちに、もう虫の音が聴こえてきた。夜は少しすずしいですね。また台風だの秋雨前線がやってくる。
先週末は最後まで原稿に追われる。なんとか「快楽の前に懺悔するサブカルチャーC ポピュラーからポップへ」をまとめられた。ぶんぶん6の打ちあわせを秋葉代表とおこなう。次回29日は前回より多くの入場者をのぞみたい。
まぐま10号、編集長が決定しました。大阪市立大学の山中由紀さん。20代の若き研究者です。水俣病の関西訴訟団として活躍。地球環境、公害問題を専門にされています。彼女を中心に研究者のかたに環境問題の論文(やさしく解説、鋭く提起)をよせていただき、座談会もひらいていただく予定です。山中さんのホームページ「地球環境、生命系番組予報」はGOOのHP大賞を受賞しました。今後の活躍がおおいに期待できるたのもしい方の登場です。もちろんタイトルは「地球環境まぐま」。表紙の絵は「ムツゴロウ」先生。今から楽しみです。
実は11号の編集長もきまっているのですが(私のなかで)、このかたも20代の女性研究者です。(フェミニズムまぐま)あるいは(少女まぐま)あとのお楽しみということで…。
8月31日(土)
吉田がホイスに勝った。袖車絞めという二本の腕で首をはさみこむ道着を利用した裏技で絞め落とす寸前のレフリーストップ。うれしいことに吉田はヒールホールドまでみせてくれた。桜庭はまたも打撃に撃沈。さくちゃんの復活はあるのか? 岩崎はシウバに撃沈。極真魂の爆発ならず。
ジャパンロックフェスをビデオ、計9時間とる。今回年老いた渋谷陽一が進行をやっていたのは、時代の流れを感じた。こちらは出来上がったミュージシャンが少なく富士ロックと比べても面白かった。だが奥田民生とドラゴンンアッシュは、やはり圧巻だった。
コンビ二いくと、なんと「飛雄馬&ジョー」というマンガ雑誌を発見。今CSで夜中にちょうど「飛雄馬&ジョー」をやっていて、同時進行なのを確認。隣に「釣りキチ三平」新作読みきりを発見。購入。他、「20世紀を彩った女たち」TUを購入。(もちろんマンガ)。瀬戸内寂聴、淡谷のり子、宇野千代の人生に圧倒される。才能と普通の生活を天秤にかけ、普通の人生を犠牲にしたとしかうけとれないのだが、本人は物凄く幸せなのが、共通している。向井千秋さんの人生観に妙に共鳴。
本日、牛乳の林檎ジュースをいれて飲む。これはフルーツ牛乳とおなじ味だ。買もの帰りに巨大バームクーヘン発見。購入。昔と違って表面がしっとりしていて、おいしい。最近疲れているのか甘いものばかり食べている。朝もアンパンに牛乳。
星さんより、ジャガイモが届く。いつもながらありがたい。学生時代、ばったりあったら、隣村なのでびっくりした。田舎の様子をききたいのだが、なぜか連絡できず。いただいたジャガイモでその年の作柄がわかる。お礼にビールを送る。会津の駒止湿原が雑誌で掲載されるのを見る。最近、妙に田舎の山や川が懐かしい。
新マンガ論のパートUに着手。パートTはもうすぐ「ビランジ」で公表される。竹内オサム先生に「ご高論」とお褒めをいただく。お世辞でもうれしい。結構自分でも気にいってる。久しぶりに。12月の社会文化学会の「レジュメ」の構想をねる。清教授から「共同探求通信」が届く。今号は学術誌から生活誌になった。ふところが深い雑誌である。
8月26日(月)
日曜日はまぐま座談会のテープおこし、まとめ、プロレスは格闘技か(終)のまとめにおわれた。プロ格は小林氏と当方の急激な格闘技への無関心に歯止めがきかず、ひとまず、今回をもってしばらく休止する。といっても、年2回なんですけどね。「ノイズとビート」は、ヒッピーからミニマリズム、ヒップホップとハウスのまとめまできた。なんとか、ニューエッジ、レイブミュージックまでたどり着きそうだ。
8月28日 なんと、シウバに元極真の岩崎があたることになった。ウエイト制判定にいつも破れた不運の全日本チャンピオンだった。シウバとのド付き合いは楽しみ。
夏の終わりか?体調がまた悪い。だるい。骨折の痛みはややひいてきた。
ここ3日のBGMはミカバンドの「黒船」、知念里奈の「growing」、WOWWOWの「富士ロックフェスティバル」をみる。今年はチャー、四人囃子がでていた。圧巻はやはり陽水、聴いてて感動したのは元ちとせの「ハイヌミカゼ」。あの声で女心をうたわれちゃうと妙に声が細胞に届き涙がでる。海外で有名な少年ナイフの演奏が「下手」なのには驚いた。28日からは、ひたちなかの「ロック イン ジャパン」フェスティバルを放映。こちらは奥田民生が中心のようだ。
NHKスペシャル、地球環境問題 をみる。CO2の売買が始まったのにはあきれた。どこまでいっても商売。人間は地球をどこまでも食い荒らし、自滅するだろう。たぶん。先進国が排出量取引で途上国のCO2削減に貢献したり、他国に緑をうえたしても、その隙間に森林伐採、CO2を排出してるのでは、なんの効果もないだろう。これは数字のいマジックだ。海外線の低い島や国は国土がどんどん削られている。
ここ1ヶ月、1滴もアルコールを飲んでいない。なぜか。アルコールを欲しない身体になった。牛乳入り野菜ジュースが目下の水分補給だ。
8月18日(日)
午前中、整形外科にいく。痛みが強いが我慢。2〜3週間で痛みが治まるだろうと主治医にいわれる。身体をひねられないので、車の運転もバックに気をつけたい。骨が完全につくのは2ヶ月くらいかかるそうだ。
昨日、古本くんへいく。刃森尊「人間凶器カツオ」飯田耕一郎「邪学者 姫野命シリーズ」を購入。刃森さんのマンガは、破壊王ノリタカ以来かかさず読んでいる。弱い少年が強くなっていく「勝利の方程式」が面白い。
昨日、NHKの「変革の世紀」をみる。とくに興味深かったのは、「組織と人間」の見方に、変化が生じているということ。一人一人の力を発揮できる組織をつくるには、前提として「コミュニケーションがよいことと命令とインストラクションの違いを理解できる経営が必要」という自分なりの理解にたっする。理想と現実が180度乖離した現実に本当に変革の芽はめばえるのか。精神的ストレスになるいじめと加重労働でみんなくたくたである。自殺者も3万人、4年連続である。
吉田秀彦VSホイスグレーシー 柔道対柔術の戦いは、最近興味がうすれつつある格闘技のなかで、少しわくわくする。どのような寝技の展開になるか楽しみ。腕ひしぎ、肩固め、三角締め、袈裟がため、おくり襟締め、チョークスリーパー あたりで、どう決着がつくか。柔道の寝技と柔術の寝技の差をはっきりみられるのが貴重。
少し涼しくなったのでほっとしている。明日また台風がくるそうだ。欧州、中国、韓国、では大雨、洪水。かなりの死者がでている。やはり地球環境は年々悪化している。熊谷があついのも、東京のヒートアイランドがベイエリアの海風にのって内陸までやってくるせいだそうだ。もともと内陸性の気候で暑いのに、さらにヒートアップ。困ったものだ。とりかえしのつかないことにならなければいいが…。
8月10日(土)
油断して、転び、肋骨を打撲。骨が行ってしまった。寝返りをうつのも激痛で大変だ。ここのところの暑さは異常で、昼間水分をよくとらないと、知らぬまに熱中症、脱水症状になりかねない。この異常気象は「いやーな」予感がする。
伊藤潤二『うずまき』を読む。「富江」もすごかったが、うずまきは、世界観そのものが異常で、発想がすごい。すべてが渦巻き化する世界。台風が人間を食し、人間も渦巻き化し、かたつむり化する。それを食べる人間たち…。うずまきはアイヌや縄文の文様世界に通ずるところがあり、エネルギーの源泉のイメージがあり、「まぐま」とともにパワーを感じる、とにかく、「うずまき」にはまいった。
なぜか、生体エネルギーが低下している。久しぶりの土曜休みだが、肋骨のこともあり、寝っぱなしだった。悪意のエネルギーが周辺に満ちてきてエネルギーの奪いにかかる。おとなしくしていると、なめてかかる「子供」な連中で、日本は一杯だ。この「悪意」の連鎖は、ねたみやうらみ、そねみのエネルギーが大好きだ。こういうやからが、へんに権力をもつと最悪だ。最悪な日本には、「悪意」のエネルギーがみちみちている。危機のときこそ、その人間の本質がむきだしになる。剥き出しな生であつくるしい日々。
8月4日(日)
美内すずえ「ガラスの仮面」を5年ぶりに41巻まで一気に読んだ。なにか、絵がどうだとか、カットがどうだどか、コマワリがどうかとか、漫画表現を語るのが、ばかばかしくなるほど、面白かった。漫画は絵だとか、言葉とか言う前に、物語であること。最近の漫画が面白くないのは、この物語に力がないせいだ。歳くってくると、漫画だけど、北島マヤの才能にうらやましさを感じる。
池沢さとし 「サーキットの狼」を全巻入手。全部読んだ。早瀬左近が死ぬシーンはやはり当時を思いだしつらい。街道レーサー野郎が、プロドライバーになり、F1へかけぬけていく青春像みたいなものが、単純なんだけど結構暑熱くなった。
体調、精神状態も復調した矢先、頭にくる電話があり、あまり熱くならない自分が久しぶりにカッとなった。冷静になって考えると、「人の頭にくることはしない」ことが大切と、反面教師に。人間ウマがあわない人は必ずいるもので、そういう人とは距離をとってつきあうようにしたい。しかしここのところ、どうも短気になっているのがわかる。回りをみてもストレスで、怒りっぽい人が多い。
山下久美子「love&pop」「love&hate」を聴く。なぜか、山下久美子はこの2枚だけを聞くようになった。love&hateは全曲いい。特に「’Cos I Miss You (That’s All)」は不思議に心がゆったりとするスローバラードだ。
「保険」についての原稿依頼あり。8月10日までに2000字仕上の予定。まぐま9号用の「ノイズとビート」の原稿4ページ、12枚草稿完成。前半は「ポピュラー」の概念をサブカル・カウンターカルチャーから「ポップ」へと橋渡しをする文章。中盤はテクノとドラッグ、後半はレイブとハウス あたりをどうまとめるか。最終的に10〜12ページくらいか?
7月21日(日)
ほぼ1ヶ月ぶりの更新。この間、HPのこともわすれるほど、切羽詰まっていた。収集されるマンガ、CD、ぜんぜん読めず聴けず。美内すずえ「ガラスの仮面」 清水玲子「輝夜姫」 花輪和一「刑務所の中」 高寺彰彦「悪霊」 山岸涼子「夜叉御前」他多数入手。ついに少女マンガが5冊で300円、10冊で500円の時代に。作品レベルの高い少女マンガが、この安さである。マンガ好きには多少複雑な思い。CDも4枚2000円の時代に。伊藤銀次、山下久美子 マイリトルラバー など入手。
昨日、コスモス復活。しょうがないが見てしまった。新マンガ論の草稿がようやくあがった。18ページ、400字36枚。心が無風状態。まだ「ノイズミュージック」についての論文ができていない。これからか?
なにか、極端に世界のことやら、まわりのことやらが考えられなくなっている。人はいそがしすぎるといい、自分は年々加速していく自分のやりたいことに、体がついていっていないことに、ふと気付く。なにかが、もう今までとはちがう。確かに90年代までは、皆元気だった。時代がよくないのはわかっているが、がつんとやっていきたいものである。ガツンとね。
おおたうにの「うにっき」が発売された。出足好調。本屋平積みになっている。ここのところ、執筆と提案書づくりに終われ、ほとんど休みの日に外出していない。そういえば、
mickyさんampさんとSETの「タイツ魂」をみにいった。このときだけは、息を吹き返した。面白かった。こういう演劇は大好きだ。ホワイトライダーのメッセージと恐怖のお笑い猿軍団、ウッキーズの「ウッキー」が脳裏にこだまする。生殖細胞「隊長」の演技もプリッツたこ焼き味の竹村健一の演技もサイコー。ともすれば、鬱的な時代に大笑いで対抗だ。
大泉氏と久しぶりに話しができた。陽水の話しは面白かった。ますます活躍する精鋭ライター頑張って欲しい。
6月23日(日)
杉浦太陽、ウルトラマンコスモスが逮捕されてしまった。いやーサッカーに夢中なうちに、コスモス放映中止だとは。なにも言う気がおきない。ウルトラ史に汚点をのこした。
中村一義の「キャノンボール」のフレーズ、「ボクは死ぬように生きていたくはない」がリフレインしている。死んだように生きるのはいやだ。世界を変えられないのならば、自分を変えるしかない。理不尽で、キティな世界とおさらばしたいが、ピンクフロイドの「グッドバイ クルエル ワールド」のように この世はすべてクルエルで狂える世界だ。麻痺していく自分にカンフル剤はない。
まぐまの次々以号の編集長候補4名に、編集依頼をおこなっている(口説いている)。2名は20代、2名は30代前半の「文学、環境、SF、サブカルチャー」を専門にする若手創作者、研究者である。女性2名、男性2名。いきなり20代の編集者で、若返り?をはかりたい。
韓国がイタリア、スペインを破る快進撃である。にわかサッカーファンのあっしは、サッカー歴の長い人を捕まえては、解説をお願いしている。日本の予選突破、決勝トーナメント初戦敗退はトルシェの実力とのこと。勝ち抜く戦略、戦術を身に付けていないということらしい。そういえば、ジーコもおなじことをいっていたなぁ。
6月12日(水)
またまたいろいろあった1週間であった。遅れていた「社会文化研究」と「情報問題研究」が完成した。特に「情報」のほうは力作ぞろいである。いよいよ40代の「計画」に着手したものの、前途多難。ま、仕方ない。すすむしかない。
最近、電車のなかで、目が疲れているため、カードラジオを購入。耳から情報を仕入れている。よく考えれば、現代は目を使いすぎているような気がする。結構サッカーをラジオできくとわくわくする。
直美さんが、「富士ロックフェスティバル」にいくと聞いて、うらやましがる私。3日間とおしで、3万8000円は高いか安いか?
6月2日(日)
ハードな1週間だった。ようやく編集、構成も一段落した。やれやれ。昨日高橋秀樹氏より、BOOKレットシリーズの原稿がメールで届く。うーむ1番のりである。「民族音楽」に造詣の深い氏ならではの、面白い考察に関心。さすがに「民族音楽を聴きまくる会」を主催されているだけのことはある。フランスに2週間ほど、ライブ(演奏)にいくので、日本あけるとのこと。HPで確認。
パンクミュージックからレイブにいたる音楽を、「権威と権力」構造からとらまえる文章にしようと考える。「コピーの氾濫とシュミラークル、アウラの消滅とメシアの想起」から捕らえることを前提におき、人々をビートとノイズに駆り立てる「核心」にどうすれば迫れるか? ここが課題。
6月9日(日)、「POP&ジェンダー」シンポジウム、講演の打ち合わせ予定、直美先生と鶴亀さんと打ち合わせ。大学でやるのもいいが、ロフト+とか、ライブハウスとか、もっと「中身にふさわしい」場所でやりたい。報告内容とシンポ内容をどうするか。
荻原さんから、「ウルトラ100兄弟」のHP」を教えていただく。ウルトラマンに色をぬって、オリジナルウルトラマンを作れるもの。結構いけてる。面白い。新井さんに伝えよう(笑い)
ワールドカップはじまる。今回はドイツとカメルーンを応援している。もちろん日本には勝ってほしい。中山がどこまでムードをひっぱれるか。中田&小野ちゃん。つくってくれよ試合を。
風邪もなおり、ようやく元気がでてきた。今回の直し方は、ビール、寿し、焼肉、冷酒、そして野菜ジュース+牛乳の飲み食いを2回繰り返す。仕上は5時間にわたるカラオケ。うち、今回は2時間くらいは、会話にいそしむ。歌いまくるだけが「カラオケ」ではない。大人の会話をゆっくり楽しむのである。中村一義「キャノンボール」、小袋「風」、カーペンターズ「青春の輝き」などを、あらたにレパートリーに加える。尾崎の「シェリー」「忘れな草 forget me nots] 「スクランブル・ロックンロール」など、最近ほとんど歌っていない曲を歌う。
カルメン・マキのライブへいく。詳しくは、KEIさんのHPにて、感想を掲載。
「こんな会社に近寄るなE」を執筆。
5月26日(日)
この1週間編集作業にはいったため、またしても活字がいやになる。新聞も雑誌も読みたくなくなる。文章直し、要約、削字作業。執筆に費やす日々。最近タイトル決めに時間がかかるようになってきた。どうもシンプルなタイトルに「自分」がでていないように感じられる。タイトル決めの際、特にインタビュー記事の場合、対象者に対する思い入れが少し入ったほうが「いい」タイトルになる。これは大きな心境の変化だ。なるべく「思い」を除いた「つくり」をしてきたが、心が潤いを求めてしまうのだろう(笑い)
来週から構成、レイアウトでデザイナーと再打ち合わせ。当初は、色のこだわりで、対立したが、私の「色使い」に理解をいただいてから、いい色がでていて助かる。色見本で色の組み合わせまで打ち合わせしたのがよかったのだろう。
先週から風邪をまたぶり返す。完全に直りきらないまま、睡眠不足が追い討ちをかける。
おおたうにのイラストが毎日新聞に載る。定期掲載になったようだ。絵柄、特に顔のタッチが少し変化する。これはクライアントの要望によるものか。5月はじめからから大掃除で、50、60年代の古着も大量にでてきた。今度うにがきたら、服飾の生地に使えそうなので、使ってもらおう。うにの日記「うにっき」が本になるらしい。
「こんな会社に近寄るなD」執筆。新マンガ論の後半部分。活字と絵の関係性の分析にとまどう。考えた挙句、くやしいが、時枝氏と吉本隆明の「言語論」と接木して、形式論に持ち込むことで解決策をみいだした。詩、小説、評論、絵物語、イラスト、マンガ、劇画とつらなる「ジャンル」の連続性と質的な形式性について、絵を含めた「言語大系」の整理にはいる。水木しげるの60年代のマンガ論は、本当に示唆にとんでいて面白い。
社会文化学会 全国大会は、今年は12月に東洋大学でおこなわれる。今年の発表の草稿を6月中にしあげたい。今回のテーマは、「アニメを軸としたマンガとポップミュージック」との関係性についてを講演したいと思う。でも、また気が変わるだろう(笑い)
6月から御茶ノ水スクールオブビジネスにかよう予定。これは講師ではなく、生徒としてだ(笑い)。
5月19日(日)
昨日、オーディオ関係を一斉に配置がえした。テレビのBSチューナーが壊れBSがみられなくなったので、かわりBS対応ビデオを購入し、BS、CSをみれるようにした。ちょうどビデオの録画ヘッドが壊れていたので、 壊れたビデオを再生専用ビデオにし、新しいビデオのダビング用にした。そしてもう一台のテレビ、と連動させ、2台のテレビで自由に、映像の再生、録画ができる状態にした。さらにステレオとも接続し、テレビ、ビデオの音声をステレオから聴けるようにした。WOWWOWのデコーダーが故障、解約を迷っていたが、直してもう少し見てみることにした。なんとほとんど、テレビをみていないので。
金曜日、17日夜、「キッチン南海」で一人さみしく飯を食べる。なんと飯の量が1.5倍。いままでも1,5倍あったのに。さらに倍だ。(笑い)さらにキャベツの高さが10cmもある。たまねぎ、生姜焼きの量も半端じゃない。 これで700円。食べ終わったあと、動けなくなった。よく考えてみると食が細くなったような気がする。
18日は仕事。帰ってから、カルメンマキの95年のライブをみる。特に「夜間飛行」がいい。マキのバラードとロックのバランスが曲のなかでマッチしている。みているうちに感動し、おもわず、マキのHPのBBSに書き込みをした。なぜかマキをみてたら、二ール・ヤングのライブがみたくなり、フェニックス・フェスティバルの二ールとデヴィット・ボーイをみる。ボーイをみてたら、なぜかジェネシスをみたくなったがきりがないのでやめた。
今回のビデオで再確認。スパシーボとベック(ジェフ・ベックではありません)がこんなにカッコよかったとは…
CSで「バビルU世」をみる。浩一が「少女マンガ」していたのには笑う。しかし黄泉は昔のまんま。ほっとした。黄泉まで「少女マンガ」してたら怖い(笑い) そのあと、「蒼天の拳」3巻を読む。北斗神拳の源流にあたる北斗孫家拳の存在がわかる。孫家拳は三国志の時代に、魏呉蜀の天帝を守るために分岐したという。ということは、これは北斗琉拳の原拳にあたるのではないか。やはりかの国とは中国だったのですね(笑い)。
通販の復刻クラシックCD80枚、2万円を買ってしまった。カザルスの原番復刻にひかれて。これだけで。ほとんどほかは聴かない。ブラームスもシューマンもついていたが。まあいいか。フォーレのレクイエムはなかったぞ。グレゴリオ聖歌は、プログレとして聴いている。まちがいではないだろう。
5月15日(水)
睡眠時間が日ごろ短いこともあり、熟睡しようと、磁気布団を購入して10年。今アロマテラピーとかで、ラベンダーの枕も購入。これが本当にやすらぐ香りで、ホットします。ラベンダーのポプリも購入しよう。連休明けからストレスが急上昇。原因がわかっているだけに、我慢、我慢の連続。
ようやっと書斎の整理が終了。ソファもようやくおける広さに戻った。60〜70年代の雑誌、「思想」や「世界」を処分した。その数300冊。まあ、本当よく読んでたな。昔は。今は2〜3ページめくっただけで爆睡するのに。(笑い) 「世界を変えられる」と信じていたころは、眠気なんかおきなかった。堕落したものである(笑)。
今年は月2回のライブを心がけているが、今のところ、月2回ライブにいけている。ライブハウスとホールコンサート1回ずつ。90年代の欧州勢のロックを再見。テラビジョン最高。日本は近田春夫の「ビブラトーンズ」と「ビブラストーン」だ。90年代はシンプルだ。そんで、急にザ・バンドの「ラストワルツ」を見たくなってみる。ジョニー・ミッチェルはなつかしかった。で、やっぱり、最後のボブ・ディランはすごい。フォーエヴァー・ヤングは涙もんですよ。あーもう寝よう。久しぶりで12時に寝れる。
「こんな会社に近づくなC」を仕上、メールで編集長に送る。「ビランジ」原稿、後半に着手。
最近野菜ジュースに牛乳をいれて飲んでいる。これは、小学生のとき、カルピスに牛乳いれて飲んだとき以来の発見。但しぬるくなるとまずい。
5月8日(水)
せっかくの連休も、なんと部屋の片付けで終わった。3日かかった。捨てた荷物、ダンボール箱にして10箱、ゴミ袋10袋、こんなガラクタが全部、家にあったと思うと驚き。おかげで、フリーの部屋が一部屋できてしまった。
二階の2部屋を客間にして、洋間に夏までに引っ越す予定。しかし、各部屋にちらばっていた本を1階の書庫と2階の書斎に分散させたところ、家には本しかないことがわかり、愕然。そのうち私設図書館でもやろうかと思う(笑う)
昨日は、96年に開かれたイギリス・フェニックス・フェスティバル(4回)のビデオをみる。それから、YESの76年のビデオをみる。それで、エヴァンゲリオンのテレビ版、最終話を冷静にみていたら、朝の3:30に。眠たかったが、6時におきて仕事にでかけた。はよー寝よ。
5月4日(土)
昨日、「古本くん」にいって「マンガ」の相場情報交換をおこなう。現在藤子不二雄、水木しげるが、高いがほぼ値どまりした模様。「エスパーマミ」9巻で9000円。相場はやはり1冊1000円だ。永井豪は相変わらず高い。特にサンコミックス版。10年前にほぼ抑えといてよかった。マジンガーや黒騎士などペーパーバック版はややおち。ここのところ吾妻ひでおが「失踪」以後、急騰している。まんだらけ情報はわからないが、70年代初版ものは軒並み1冊1000円へ。「スクラップ学園」「二人と五人」「ちびママ」などが手に入らない。秋田文庫版は15年前におさえたが、チャンピオンコミックスはみかけない。ドラゴンボールが品薄で、急騰中。スラムダンク、手放したので、また読みたい。
少女マンガは現在、「くず」扱いで、1冊100円が相場。中には50円も。そのなかには、美内すずえ、和田慎二、河あきら、花の24年組。いがらし、長編ものでも1冊100円の域をでない。これを機会に、文学的価値ある少女マンガを徹底的に買い揃えるチャンスが到来している。デフレ不況で、相場は全体として値崩れ、つぶれる古本屋さんも多い。BOOKOFFは、同じマンガばかりで、めったに希少価値本がない。
松本大洋はとにかくみない。市場に出回っていない。
大阪からの引越し荷物と以前住んでいた大宮の荷物がダンボールのまま、になっていて部屋がまるまるひとつつぶれている。恐ろしいことに、冷蔵庫に洗濯機にテレビもそのままある。連休中に書庫の整理をしなければ。マンガの蔵書が1万冊に達したようだ。書斎は歴史と哲学の本でつぶれそうだ。じいさんとオヤジと。親子2代にわたり「学者」というのも困りものだ。あっしは勉強しなかったので、マンガとロックにあけくれ、「先生」にはならなかったが(笑い)。
で、昨日は、小泉今日子アルバム「ファンタジェン」を聴く。これは土屋昌巳氏のプロデュースで、キョンキョンの歌の下手さをファンタジーにしているので、かなりきける。楽曲もいい。それから金子マリライブ、タンジェリンドリーム「ルビコン」「タングラム」、アフロディティス・チャイルドなど欧州プログレを聴いたのち、シナロケを聴く。鮎川誠はいつみても歳くわない。
「こんな会社に近寄るなシリーズ」 連載3回めの原稿、2000字を仕上、メールで送信確認。
梓さんのHPのBGMでしったニューエイジ・ピアニスト須釜俊一さんの曲を気にいって聴いている。パソコンできけるので、便利。
5月1日(水)
最近良く寝ている。昔から睡眠時間が平均4時間〜5時間できているか、たまに7時間ねると、体のきれがいい。体がえらい軽い。大阪からこっちに戻ってきて睡眠時間が1時間減った。通勤時間がかかるっちゅーことです。風邪が直らないのも睡眠不足とわかってるのですが…。今日は休みだったせいか、朝からゆっくり新聞、朝日BSをみた。たまに経済専門チャンネルをみると、面白い。
午後は庄司陽子「生徒諸君!」を読み直す。連載当時読んでいたのが二十歳ころだから、こんなに長い話だったのかとあらためて実感。確か映画でキョンキョンがやっていたので、「ナッキーはつむじ風」だったか? あらためて原作の尚子のほうが、キョンキョンよりもかなり知的だ。(笑い)
80年前後の少女マンガは、本当真剣で、まじめ、少女マンガで「生きかた」をとう姿勢はやはり、花の24年組 萩尾さん、竹宮さん、大島さん、木原さんなどマンガ家の力によるものだ、里中さんと大和さんもいれておこう。この真剣さは、現在の少女マンガで、全開である。少年マンガがいまだに、そうじて力、強さ、友情、女にモテル などの価値観で動いているのに対し、少女マンガは、DNA、クローン、臓器移植、ジェンダーフリー、精神病問題、再生医療、エイズ、もう、手塚治虫のその後の展開を継承している。少年マンガはいまだに、マンガなのに、少女マンガは、世界と人間の存在が描かれている小説。清水玲子は特にいい。少年マンガには、三浦健太郎の「ベルセルク」などの作品は、あるが、総体的には少女マンガのほうが力量が上。
で、「生徒諸君」 よみながら、こんな真面目に、男と女のこと考えられる「若さ」に、またしても「じじい」さを確認。感動する場面も多々あったが、気恥づかしくなるシーンも多々。(笑い) やはりくらもちさんの「いつもポケットにショパン」がベストか。
BGMは、ベルヴェット・アンダーグランド、1枚目から聴きまくった? ルーリードのギターは後期とソロになったばかりのころが、一番好きだ。そういえば、大林宣彦の「HOUSE」のサウンドトラック。これゴダイゴがつくったんですけど。探しているんですが、みつかりません。どなたかもってないですかね。音源が欲しい。あのちぎれた指がピアノを弾くシーンで流れていた曲が好きで、「タン・タタタ タン・タタタ タン・タタタ」と風呂で鼻歌を歌ってます。はづかしながら、ナウシカの「らん・ららら・ららら らん・らららら」という曲も鼻歌のひとつです(笑い)
今BGMは、ケイト・ブッシュです。そんでシドニー・オコーナー。
4月28日(日)
金曜日夜、久しぶりに下井草ロックカフェへいった。今日はずっとツエッペリンとビートルズがながれたいたのでご機嫌だった。モスコ、スクリーユーなどをなめた。そのあと、小林氏とカラオケに。ラルク、河村隆一、財津和夫などを歌った、久しぶりに尾崎の「I love you」「太陽の破片」「15の夜」などを歌う。初めてきいたときより、高音がでていないなどと公表され苦笑。少し年を感じたが、風邪気味なので仕方ないか?中島みゆき「あした」をいやがらせで歌う。(笑い)
ついつい。老後のことや、親のことなど話しこむ。ガキのころからの知り合いだと、親のこともお互い知っているのがつらい。
昨日は「四人囃子VSスモーキーメディスン」を木村さんとみにゆく。客層が「おやじ・ばばあ」ばかりで笑えたが、自分のその一人であることを自覚。詳細は新井さんのBBSで。今日はチャーの「ネイビー・ブルー」四人囃子の「プリンテッド・ジェリー」「ゴールデン・ピクニックス」などアルバムを聴く、ついでに金子マリ&バックスバニーの「光と影」も。
バンドはいい。とにかく音楽はいい。
4月22日(月)
まだ風邪がなおらない。なおりかけで仕事で横須賀にいったら、浜風にやられてぶりかえした。企画書、ちらし作成で休みなし。とはいっても合間をぬってマンガばかり読んでいる。かざま鋭二「我ら9人の甲子園」 牛次郎・ビック錠「包丁人味平」 本宮ひろ志「大ぼら一代」全巻読破。村上もとか「私説昭和文学」読了。さすがに疲れた。21日の全女プロレス、またしても雨で流れた。昨年も雨だった。
目が弱いため、長時間の映画が駄目だと目医者にいわれて11年が経過した。29のとき、キネ旬の祝賀会で、8時間ぶっとおしで映画みて、目がおかしくなり、目医者にいき角膜がやばいので、映画は2時間が限度。このじてんで、映画人生に幕がおりた。パソコンはシールド付でないと×。
ビル・ブラッフオードが来日するらしい。来週は26日曼荼羅2で「アコースティックライブ」があるが、当日の具合でいけるかどうか。27日はいよいよ、スモーキーと四人囃子のライブだ。楽しみである。
4月10日(水)
いやー風邪がなおりませんな。朝がつらいですわ。ここ3日間、飛び込みで、毎日朝夕電車が遅れている。東西線もだよ。まいったな。たのむから朝から飛び込むなっちゅーの。30日に大阪から戻ってきて、風邪ひいて、部屋は方着かないわ。ついでにビデオは壊れるわ。いいことなし。しかし、東京は飯がまずいよー。大阪はうまい。東京の外食向上うんどーなんて。気のせいか、吉野家の牛丼まで大阪のほうがうまい気がする。(笑い)
最近麺類ばかり食べている。焼きそば、スパパスタ。そばが多い。うどんはおいしいところが東京だとあまりない。どうしたことか。麺類が食べたい。人生でいま、一番麺類を食べている。
地元下井草のロックカフェ、最近いってない。またいきたい。
4月6日(土)
今日は事務所のレイアウト替えで、夕方まで力仕事。風邪で体調が悪く、今週はしんどかった。隅田川沿いでバーベキューをやったが、気候がよかったので助かった。
先週から久しぶりにウルトラマンコスモスをみたが、やはり思ったとおりの展開にうなった。カオスヘッダーがコスモスと太陽の秘密を盗みだし「カオスウルトラマン」になった。これって「ウルトラマンカオス」のほうがいいと思うんですけど。コスモス(秩序)に対するカオス(混沌)だから。しかも、ティガでマサキケイゴが、ティガの秘密を盗み出し、イーヴィルティガになった前例もあるので驚かなかったが。ついにコロナモード、ルナモードから第三の変身モードにチェンジ。これって、今回はじめてか? しかし相変わらず悪者だと目がつりあがっていて、カオスは目が赤い。これ笑えましたね。ゼオスのときのウルトラマンシャドウにも笑えたけど。ザラブ星人の変身したウルトラマンとおなじだもんね。このねたわかる人、ウルトラ通ですけど(笑い) 嶋大介(笑い) 久しぶりにみたらやせてた。コスモスはやっぱり「怪獣」を守りぬくわけね。やっぱり、怪獣はおとなしいのはいかがなものか?
そういえば、星さん。この日記よくみてらっしゃるらしいですけど、ひとつ、最近の論文の批評をお願いしたいのですが?
4月16日、東洋大で、社会文化学会のサブカル&ジェンダー部会のプレ話し合い決定。それを受け、いよいよ、今年の秋の大会にむけて、個別研究に突入したい。マンガ学会に入会しようか迷っている。うーん。著名な先生方とお近づきになれそうだが…。でも竹宮恵子さんには、機会あったらお話し伺いしたいですねぇ。そういえば石原理沙さんも田嶋陽子先生とバトルされて、有名になられて、「ふざけんな専業主婦」の方ですが、出版記念パーティが懐かしいですね。そうそう。船木さん夫妻とお知り合いになったのもこのパーティでした。ライターズネットワークにもお誘いをいただいたが、あれこれ、手をだすと、どれもできないので…、でも仕事は回ってくる機会は増えたかも?
そういえば、超猿マンスリーの4月号の編集、俺だった。3月号てきてたっけなぁ?
3月31(日)
半年ぶりに帰郷。6ヶ月の長期出張が終了した。この間、2本の論文(社会文化学会と情報問題研究会)の校正におわれた。また広報の編集と校正にも終われ、活字がいやになりかけた。つのだじろうの「平成版 恐怖新聞・うしろの百太郎・花のピュンピュン丸」を読む。恐怖新聞が携帯電話でやってくるのには笑えた。竹内オサム先生からお便り。マンガ学会の内情。マンガ評論の実情など面白いお話しをいただいた。「ビランジ」最新号を送っていただく。新マンガ論の後半部分10ページの原稿にもうそろそろ着手しなければ。
ビジネス依頼原稿が増え、仕事と執筆に追われている。ここ1年は勝負の歳なので、多少の趣味、音楽、映画、プロレスも犠牲やむなし。酒の回数も減るだろう。カラオケも。
3月17日(日)
今から大阪に戻る。来週は、展示即売会で水曜日にいったん帰京する。3月30日に東京に引っ越す予定。関西住まいもだんだん長くなってきたせいか、大阪にも住処(アジト)が欲しい。久しぶりに春風邪をひき体調が悪い。花粉症でないのが救いか?
3月12日(火)
先週、大学時代の岡山の友人宅へ遊びにいった。なんだかんだ、学生時代の友人のその後話やら、雑誌の話しやら、サッカー話をしていたら夜になっていた。長期出張で、外食が多く、以前のように自炊をやめたため、奥さんの家庭の味がとてもよかった。物凄い食べっぷりだったようだ?
一昨日はキティちゃんとドラえもんの世界観の考察をしていて、意外にサザエさんとドラえもんの世界が正反対の世界であることに気づいた。これは次号「情報問題研究」に掲載する。キャラクターとグローバリズムの関係性が彷彿としてきた。
今日から17日まで東京で仕事。たまに東京にくると、人が無個性にみえる。関西にいると気持ちが楽になる。なぜだろうか?
まぐま パーティの余韻がまだ体に残っていて、楽しいことがないと、やっぱり人間元気がでないことを痛感。ここ1ヶ月以前」のようにFMを聞きはじめたが、まだ達郎、福山、ユーミン、桑田、渋谷陽一がDJをやっているのに驚き。ユーミンはもう15年はやってるんじゃないか?
3月2日(土)
先週、大学時代の大阪の山奥、河内にすんでいる友人の家に遊びにいった。あいかわらず、大阪弁まるだしの会話をして楽しかった。
1ヶ月ぶりの更新。ひとまず東京に戻ってきた。今日は「まぐま」8号のパーティがある。この間、「情報問題研究」の連載にてまどった。キャラクターとポップの研究は奥が深い。キティとドラえもんを「キャラ」からみるといろいろなことがわかってきた。バンダイが中心にやっているキャラクター学会があることもわかった。マンガ学会は論文を英文でも提出しないといけないことがわかり、???。ポップ&ジェンダー研究会は予定どおり、春から明治か法政大学か?を拠点に公開研究会、シンポジウムを開いていきたい。大阪経済大の直美先生に援助いただき、細谷先生と新研究に突入したいところ。
いとこのおおたうにのイラストが毎日新聞に載っていた。あれっとおもったら、エヴァの庵野監督の嫁になったイラストレーターの安野と「うに」はどうやら、おなじような評価をうけているらしい。ラジオ出演もしてるし、これからの活躍をますます期待したい。
実は金八の隠れファンなのだが(笑い)、前回のナオと政則(T)、そして今回のUをみて5回くらいに涙ぐんだ。心は25年前に完全にフィードバックしている。つまり、尾崎豊じゃないが、15の夜から歳くってないのか? なんで生きてるのか?とかときどき、真剣に考えるし(笑い)、いきている意味を探すために生きている状況を40年も続けている。
能城さんの「怪獣俳句」がすきで、繰り返し読んでいるうちに覚えてしまった。(^。^)
今、ノベルゲームにのめりこんでいる。マンガ、アニメから徐々にゲーム世界の批評をうつしていきたい。問題作、18禁の「雫」におそまきながら挑戦した。一番長いシナリオはとんでもないものだった(笑い)。超能力&とほうもないエロ。
2月2日(土)
ほぼ1ヶ月ぶりの更新。久しぶりで東京に戻ってきた。まぐま8号の出来がすごすぎて、怖い。アギトも終わってしまった。木野さんが死んだ時点で、急速に関心が衰えたが、最終回はみた。翔一の自爆と思いきや、レストランアギトのチーフとなった翔一。彼らは変身能力をのこしたまま、人間として暮している。なんとハッピーなんだ。これは石森さんの「ライダー世界」ではありえないことだった。
1月15日締め切りの社会文化学会での講演文章のまとめは、400字で36枚でまとめた。こちらは、晃洋書房から「社会文化研究」としてでる。荻原さん翻訳のメルキオール「フランス現代思想とは何か」が河出からでた。いやーぶったまげました。すごい。はっきりいって、荻原さんより、レベルが低い大学の哲学、思想の先生はごまんといる。本当に高校の先生ではもったいない。(失礼)
1月に「彼女紹介」プロフィールをつくった。(もちろん写真入り)。本当にいい歳になってしまった。今年は執筆、講演に「お見合い」も追加して、仕事もしなければならない。(笑い)。今年は6年ぶりの3冊めの単著と共著(ブックレット)を予定している。
先週山口で、梅田氏と再会。いやー久しぶりに楽しかったすね。星野真里の世界にひきずりこまれました(笑い)。
確かにかわいいのですが、歳が20歳離れているのですよ(笑い)
3月2日のまぐまパーティと21日の「ぶんぶん」は本当に楽しみですね。
1月1日(火)
28から3連ちゃんの飲み会で、体がしんどい。そうだ、もう体は20代のころとちがう。あとは気力と体力と知力をだましだまし、小刻みに使うしかない。「恐怖新聞」のあと「恐怖新聞U」を読んだ。続編は鬼形礼が「恐怖新聞」との戦いに敗れ、霊魂となり天界で修業をしたのち、「恐怖新聞」の恐怖から人々を救うという物語。しかしやはりいまひとつの出来。秋から買っておいてよめないでいるマンガを全部読みたい。庄司陽子「生徒諸君」 成田美名子「エイリアン通り」 水樹和佳「イティハーサ」 などなど。今回は少女マンガ漬け。
今年は私生活も再変革するべく、チャレンジしたい。
アナザーアギト・木野薫もいっている。
「過去にこだわり生きるのは弱いからじゃない。過去に生きることが今を生きる人間だっている」
「過去を生きるのは、その人間の生き方を狭くする」
「だが人間は過去の出来事によってしか、未来をつかむことはできない」
ギルス・葦原涼もいう。
「夢なんかなくても生きられる。普通に生きていくことが俺の夢だ」
アギト・津上翔一が叫ぶ
「誰も人の未来を奪うことはできない」
時代という波に翻弄されながらも、願わくば、そこにひとつの生き様を刻みこみ生きたい。
12月28日(金)
今日京都から帰ってきた。来年はひそかに自分だけの「チャレンジ」を企画中。2〜3年の計画となるため、結果がでてから公表したい。来年1月は「サブカルチャー研究の会合」を法政の坂本先生と関学の細谷先生と開きたい。政治と文化の緊張関係の時代から経済が文化を飲み込んだ時代を「生産文化」と「消費文化」で定義できるか。文化史的な価値観から再検討する時期にあると思う。
竹内オサム先生に「はげましのお便り」をいただいた。「新マンガ論」が、新しい試みをともなっているので、頑張って欲しいとの内容。次号では18ページの読み切りの原稿依頼をいただいた。本業もますます忙しさをましているが、書くことでしか「自己存在」の充足を感じられないわが身を叱咤し、実りある40代をすごしたい。30代の前進と後退の経験をいかすのは40代だ。
「バキ」の範間勇次郎 特集には唖然。ばらばらのエピソードだったオーガの過去も、こうして1冊にまとめられると圧巻。さあ。今から「恐怖新聞」を読み直そう。
12月19日(水)
東京に戻ってきた。明日からまた大阪。これから移動する。28日から10日間、冬休みをとる。
12月2日(日)
今日で40代の仲間入りをした。ついにフォーティです。いろいろな意味で、次のステップへの準備をいそごうと思う。社会文化学会での報告は、皆さんひとまず、喜んでいただいたようなので、一安心。この講演の内容は
次号の『社会文化研究』に掲載される予定。BOOKレットシリーズの件、執筆者の皆さんの状況で、締め切りを再検討したい。この間、小林清治氏には、いろいろお世話になった。今後、講演活動が広がると、忙しさに拍車がかかるが、声がかかれば、どこでもいきたい。足代をだしていただけると助かりますが(笑い)。
さあ。2002年にむけて。ダッシュ。
11月24日(土)
3連休で東京に帰ってきた。まぐま8号の会合を昨日おこなった。新井さんがページメーカーを入手。今後のページ編集統一にむけての一歩。怪獣特集は完全にブレイク。手前みそ抜きにしても。ものすごい完成度である。黒須さん。原稿ありがとうございました。新井さん。荻原さん、落合さん、木村さん、ひとまずお疲れさまでした。これから編集本番ですね。やはり仮面ライダー、ウルトラマンの話しはもりあがりますね。
今日は模索舎関連の打ち合わせ&飲み会です。
能城さん、怪獣俳句。新鮮でした。
11月9日(金)
久しぶりの東京。「ビランジ」にむけ、水木しげるのまんが論を掘り起こし中。マンガは絵なのか、それとも言葉なのか、言葉を絵でみせる擬音(オノマトペイア)の存在はなにか?十年前には気にならなかった言葉と絵の関係が「みる小説」「読むマンガ」という水木の概念によって、気になりだした。水木のマンガ論と手塚のマンガ論の違いも浮き彫りになり面白い。久しぶりにマンガ表現論・第2部に突入。こんどは、前回かけなかった、読者と作家の「鑑賞論」にふみこみたい。その後アニメと漫画の総合芸術論。最後にゲームと社会的な関係についてまとめる。これも5年くらいかかりところを3年でやりたい。
ひとまず、まぐまの原稿は終了。ウルトラマン、マジンガー、デビルマン、プロレス格闘技原稿。ビランジ締め切り11月20日、社文学会 講演レジュメは11日に作成したい。
「音楽の等高線」BOOKレット、見積もりOK。編集作業すべてこちらで40万円代。まあまあ。ページメーカーの購入を考えたい。あと、編集アルバイト…。学生にやってもらうか?
晃洋書房にも相談したい。
10月20日(土)
ほぼ1ヶ月ぶりの日記。10月8日に「ぶんぶん」が終わってから、急遽長期出張にでて、年内は大阪を中心にてんてん。先だって京都で開かれた「情報問題研究会」で、BOOKレットの相談を晃洋書房にしようかどうか。重本先生に相談。リーベル出版とは引き続き商談継続中。夏目房ノ介と双璧、同志社大学に移られた竹内オサム先生は、私のマンガ論の師匠。竹内先生から「ビランジ」という先生主催のマンガ文化研究雑誌をお送りいただいた。「まんがの玉手箱」から9年。新しいマンガ表現論を目下構想中。できれば「ビランジ」に連載したいと思っている。ますます忙しさがます日々だが、執筆の時間は確保したい。
11月にはいったら、社文学会の講演レジュメの作成に本格的にとりかかる。
9月30日(日)
高輪プリンスホテルでの「怪獣企画」合宿終了。新井さん。木村さん。落合さん。おつかれさまでした。いやー。本当にB級、C級モンスター映画を堪能させていただきました。小林稔氏がイラストとなる怪獣の挿絵を描いていますので、この人類史上初の無謀なこころみが、どんなものになるのか、本当に楽しみです(笑い)。アギトについても関心高まりましたので、コスモスで沈没したウルトラマンに代って、チェックしてみます。
11月の社会文化学会の講演要旨のまとめ中。地球はウルトラマンの星(3)草稿完成。来週から手をいれていく。リーベル出版との打ち合わせも来週から本格化させます。
9月16日(日)
昨日、まぐま8号案内を関係者にメールする。久しぶりに土、日OFFにした。なにもしない。考えない。明日のことをかんがえない。するとあせりや不安が全くなくなった。もう、まわりにふりまわされるのはごめんだ(笑い)。ここのところ、世界のアニメーション、日本のアニメーションの歴史本をよんでいる。特に世界アニメの歴史は大変興味深い事実を知れ、日本のアニメに埋没していた自分に少々反省している。日本のアニメは虫プロと東映動画の当時の関係で新事実を発見した。これで、手塚と宮崎の関係性の謎がとけた。
9月3日(日)
まぐま7号パーティも無事終了。新しい方に7名参加いただき、今後の展開がますます楽しみになってきました。まぐまは、今「それ」をしたい人が「それ」をするという誌面づくり、編集長をしたい人がいれば、編集長を「する」という今、一番旬でパワーあふれる方に最適な雑誌です。様々な方の間に「まぐま」がひろがっていけば、今、考えもしない可能性もひらけると思います。計画的に「する」ということよりも、人と人の出会いが「それ」を決めていく。そんなことを感じられる楽しいひとときでした。
参加者の皆さん。お疲れさまでした。
8月11日(土)
なにかしようと思っていたが、HP開設1周年がすぎてしまった、なにもできずに。ここ2週間、提案書作成についやした。いよいよ、まぐまブックス創設にむけて準備を開始。執筆者、資金、出版社との交渉、8月後半からおこなう。とにかく20代後半に描いていたビジョンを実現するときにきている。音楽、怪獣、マンガ、他これからひとつひとつのコンセプトをまとめていきたい。このまぐまBOOKSは、商業主義と対極にある1000部発行のいわば、ミニコミの挑戦である。資金回収でよしとする方針でだせるだけだす。
当面まぐまの力ある書き手を軸に、書き手を集めていく。詳細は9月1日のまぐまの集いで発表します。
7月31日(火)
日曜日に渋谷ルイ−ドに、ジャパンプログレ・プログレファクトリー21を観に(聴きにいった)いった。「まぐま」のプログレ第一人者、木村さんに随行の上でのこと。6時に開演し、終わったのはなんと10時すぎ、久々の長時間のライブに腰を痛くした(藁)。3バンドでたのだが、最初の安西史孝さんのバンド。「うる星やつら」ときいて、やはり「うる星」の安西さんかと、少し期待。音はいい意味で昔のまま。「オンリーユー」のあのシンセは、実はうちの姉の結婚式のテーマに使わせていただいたのです。(藁) ドラムは一風堂の藤井章司さん。キーボードは魅惑の歌声、畑亜貴さん。知ってる方は2名だったのですが、さすが、安西さん。小学校時代の親友2名、オペラ歌手の芳賀美穂さんと、芸大の村上多加他さんにギター、ベースを加え、良質なプログレを聞かせてもらいました。2バンドめは、五人一首。四人囃子のパロディバンドかと思いましたが、音はまじ。.素直に「これはプログレですか?」と質問してしまいました、デスメタル系のプログレ?。途中でスリーコードとリフの転調をいじくりたくて少しいらいらしました。私の感度からすると「ジェットパンク」に近いのですけど。五人一首がプログレだちすると、人間椅子は完全にプログレですな。
もうじき、HP開設1周年だ。なんか、イベントでも?
まぐまは8月2日には、みなさんのお手元につくかと思います。荻原さん、梅田さん、執筆者の皆さん。お疲れ様でした。
さて最後に問題は、ラストのバンド「ARS NOVA」。キーボード2台に、ドラムスの典型的な「プログレ」バンド。しかもテーマはSMスタイルの女性3人のバンド。これ曲が長い。リーダーなのか?熊谷桂子さんの曲らしい。1曲が最低10分以上ある。しかもメリハリがあまりなく、加速するドラムにキーボードがせわしくフレーズを刻む。曲を5分くらいにするか。構成しなおし、メリハリをつけるかすると、ぐっとよくなると思う。ドラムの女性が楽しそうにたたいているのが印象的。なんかみててこちらも楽しくなりましたよ。ARS NOVA、有名なバンドだったんですね(藁2) うーむ。安西さん以外のバンド。イカ天思いだしだ。燃えてたよね、あの頃(藁)
7月21日(土)
相変わらず、部屋はさんじらかしの状態である。今、超猿の原稿を完成させたところ。今日は、荻窪の古本屋4軒とブックオフを回っていた。収穫は、永野のりこ、安達哲、木尾士目のマンガ。つのだじろう、恐怖新聞(全巻)、地球環境辞典、生態学辞典。ほんとうにぜんぜん本を読んでいない。馬鹿になってきた。今週中に秋に龍谷大学で開かれる社会文化学会の報告趣旨文を作成、月曜日は「地球はウルトラマンの星(3)」の執筆。暑い夏はなるべく家にいたい。
7月8日(日)
金曜日、大阪での打ち合わせを終え、土曜日、京都で、アメリカ社会研究会主催のサンディエゴ大学教授・アンドルー・フィーンバーグ氏の講演をきくことができた。マルクーゼの弟子である氏の使命は、マルクーゼの学問の根幹にある、「人間が常に人間らしくいきるためのテクネが、現代では完全に乖離し、人間の理性と創造力が分離しているという問題点」を継承し、その解決にむけた研究を続けることにある。60年代の学生反乱の時代に、マスコミによって作られた学生反乱の象徴・マルクーゼの歪んだ自画像、日本での偏った受容のされ方に、氏は心を傷めていた。マルクーゼがハイデガーの弟子であり、彼をサンディエゴ大学から追放したのが、レーガン元大統領だったという裏話も面白く、マルクーゼは、ハイデガーとの政治的確執についいて、多くを語らなかったが、かなりな傷をうけているかような印象だった。フィーンバーグ氏に、ベンヤミンの話題をもちかけたところ、マルクーゼは敬虔なユダヤ教徒であったが、ベンヤミンはユダヤ神秘主義者との付き合いがふかかったために「メシア」的な発想にむかったと話された。
マルクーゼの「初期マルクス研究」についてお聞きしたところ、古典的マルクス主義と決別するための書だったらしいこと。またマルクーゼの娘の話など、マルクーゼとともに生きた氏の師への深い情愛を感じられ、聞いているほうも楽しくなった。酒がはいったこともあり、フランクフルト学派のアメリカ研究者のお話は、マーティン・J氏についで、なにか歴史上の学問の巨人が、現実の弟子の方々の話をとおして、身近なものに感じられ、本当に楽しかった。これも研究会のおかげである。
出張続きで疲れたが、明日への糧にしたい。
7月2日(月)
いろんなことがあった1週間だった、いとこの太田うにのイラスト集がでた。初版1万5千部。さすが、人気イラストレーター。昨日は社会文化学会で、金子勝さんの話を聞こうとしていたところ、友人の急遽で、お通夜に参列し、心がばたばたした。健康には、本当気をつけなければいけない年代にはいってきたと実感している。ここ1〜2年、30代の知り合いを幾人もなくした。…
今週は、土曜日に情報問題研究会が京都であるので、今週こそは、参加したい。マルクーゼの研究者のアンドルー・フィーンバーグ氏の話なので、参加する。
6月18日(月)
昨日「まぐま」打ち合わせを荻原さんとおこないました。今号も130ページを大きく超え。落合さんの原稿がすべりこめば150ページのおうだいで。鈴木憲さん、関さん、河和服さんの「超猿」組みも、久しぶりに3人が一同にかいしました。学術「まぐま」は、心配をよそにニーチェ、ポストモダン、埴谷雄高、アカデミズム批判を論じる協力ラインナップがそろいました。また仏像入門で期待の同人、本間範子さんも登場。2本の対談、クラシック音楽とプロレスもあり、能城さんの徘徊、吟行ルポ、黒須さんのキューブリック、大泉氏のライター日記と前号に勝るとも劣らない布陣です。荻原さんのレイアウトも凝っており、ビジュアル的にも楽しめます。今から楽しみです。
少し元気がでてきました。おかげさまで、編集者の皆様から4本の企画書依頼をいただきました。またビジネス関係の執筆依頼もいただき、今は単発ですが、引き続き連載にいたるまで、書きつづける所存です。ご心配おかけいたしました。
6月2日(土)
いろいろありましたが、元気です。より自分を生かす生き方を考えたうえ、本格的にライターとして生きる道を択びます。もちろん仕事はありません。すべてがこれからのスタートです。これからは、お金をいただいて生きる「プロ」の仕事にふさわしい仕事をしていきたいと考えています。では皆様、今後もよろしく。
5月15日(火)
連休中は、次号まぐまの論文、「理性の前に懺悔するサブカルチャー」を仕上た。400字で30枚ほど。マルクス、ルカーチ、ホルクハイマー、アドルノ、ベンヤミン、ハーバーマス、ボードリヤール、リオタールなど、が登場するものだから、これもまた、学術として読めたものかどうか、心配。この辺はよく荻原さんに添削をしていただこうと考えています。でもまあ、読み物としてはねぇ。いいんじゃないの。連休をはさんで、体調をくずした。寝汗をかき、体に力がはいらない日々が続いた。でも食べられるからもってる。まあ、どんなときでも、食べられるから、ずいぶん神経麻痺したものです(笑い)。休み中は、小山ゆうの「おーい 竜馬」を読み直した。やっぱり、こ本の吉田松蔭は、ちょっとエキセントリックでいい。佐久間象山も変わり者ですばらしい。以外に勝海舟がいちばんまともだ。土佐藩の下級武士が、幕藩体制のもとで、いかに差別されていたかを物語る冒頭のエピソードは、やはり衝撃的。現在は、明治維新に匹敵する大変革期。血は流れずとも、心は血を流しつづけている日々。現代の竜馬、高杉、西郷はあらわれるのか?徳川慶喜は?
4月30日(月)
ついに待望の『巨人の星』全巻を読み直した。一徹の戦いの哲学と飛雄馬の敗北の美学、明子姉ちゃんのフェミニズム思想びんびんの全編は、久しぶりに胸を熱くさせられた。左門、花形との死闘、オズマと飛雄馬の野球ロボットと野球人形の戦い。血のかよった人間の苦悩。テレビではオズマはベトナム戦争で戦死するが、漫画のほうでは中日から大リーグへ戻っていくだけだ、今回、アニメと漫画のエピソードのちがいもはっきりし、日本人に賭けている目的意識的な生き方に始終うなりっぱなしだった。強い。なんて強い生き方なんだ。そうだあの60年代後半から70年代前半は、世の中が熱かった。まちがいなく「巨人の星」もそうした時代に生きた若者の姿を捉えていたのだ。それにしても美奈さん。こんな心の美しい人が今の日本にいるのか?梶原先生。あなたは風体に似つかわずなんて純粋な人だったのだ。
それにしても理不尽なイメージしかない、一徹の教育は、どれも理論的であり、心理学的であり、人間が成長するときにふさわしい「ぶつかり合い」を、血の通った戦いに昇華している。嫌われ役になってもよい。という潔さ。皆熱い時代の懐かしき人々。たぎる血の音と大リーグボール3号の破滅の音は、今も脳裏に焼き付いている。
4月18日(水)
がははがははは。今日は1日笑っていた。人間どうしようもないとき、落ち込むか、笑えるかで、次の対応がひらける。いつのまにか、私も笑えるようになった。(笑い) 所詮人間のすること。と思うとなんて人のすることは、ちっぽけで、つまらないことなんだろうと思えて、おかしくてしようがなかった。そういえば、人には笑えるつぼと怒れるつぼがあるのですな。私は自分の笑えるツボを発見した。ここを押すと笑うんですよ。これが便利。体笑えるツボを発見したのは初めてですな。不愉快なとき、ストレスびんびんのとき、ここを押すんですよ。笑えます。健康にいいですよ。
さあて、また先がみえてきましたよー。
4月9日(月)
少しトーンダウン気味。非常に不安定化している精神状態。情報問題研究の原稿は添削終了した。諸星大二郎、大友克洋、押井守、庵野秀行についての雑感をようやくまとめることができた。次は5月末締め切りの「まぐま」の原稿だ。こちらは、70年代のパンクミュージックと90年代のニュ−エッジについてのまとめ、ノイズとレイヴについてのまとめ?。今週はいよいよいろいろな意味で山場になる。
来週には結論がでるだろう。
3月31日(土)
思考がとまっている。何も考えられない状態でいる。しかしそのことにあせりはない。知識は知っている人から教えてもらえばよいし、こちらも専門知識を聞かれたら話せばよい。それだけのこととかんがえると妙に気が楽である。
春が近くなっているのを肌身で感じる。今日は雪が降って寒い。桜の花が雪といっしょに舞っている。なんか不思議な景色だ。
一昨日、ライターで活躍中の大泉実成氏と再会し、黒須氏と3人で銀座で飲んだ。宗教、エヴァ、陽水、原発、JCOの話など、興味深い話をいくつも伺った。少人数の中大哲学科の同窓会だったが、やはり一番盛り上がったのは、当時の話と、同級生のその後の話だった。少し元気を無くしていたオヤジの私も、少し元気を取り戻した。どんな業界にいてもクリエイティブな仕事をしている人間は輝いているものですなー。さて春もマジかですし、そろそろエンジン点火しますか。
3月10日(土)
研修が終わった。帰ってきて死んだようにねた。疲れきった。先週の土曜日、古本くんにて、卸ルートの魚住さんを教えていただいた。まぐまの流通にむけての準備もしていかなければねー。
やっと風邪がなおった。しかしだいぶ暖かくなった。また春がやってくる。周りは花粉症の被害者であふれている。今年は特に花粉が多いのか? 頭がぼーっとしている。明日は大掃除だね。ここのところ忙しく掃除もできていなかった。
3月6日(月)
ホームページを更新するのもなんとかできた。広報の編集作業が一段落した。来週は1週間、研究合宿だ。季節はもう春だというのに、いっこうに本人の季節は春にならない(笑い)。公私ともに厳寒が続いている。3月は仕事をキャンセルして、17日に情報問題研究会が京都であり、翌日は大田区で雑誌即売会、ぶんぶんに参加する予定で、来週合宿疲れはあるが、原稿の大半をかたづけておかなければならない。翌週もすでに予定が入っているが、風邪でねこもうかと思っている。まことにうれしい悲鳴である。この間、三谷幸喜(小林聡美のだんな)が、確か2年先まですべてスケジュールが埋まっていると話していたが、埋めないと不安だそうだ。こちらは極力予定をいれない人生を驀進中。だまってても入ってくる予定を蹴飛ばして、仕事をする。その隙間に自分のやりたいことを入れていく時間細切れ作戦にきりかえて、はや5年。そろそろ時間引き延ばし作戦にでたいところ。人生の時間は限られているから、効率をあげる細切れ作戦は賢いようで、人生を疲弊させる。そうだ。集中作戦で、やりたくないことはきりすてよう。そうでないと、何一つ成就しなくなる可能性がおこる。そんなわけで、少し冷静になってきた。
2月25日(日)
いやーしかし。この忙しさはなんだ! いまだかつてこんなに忙しい日々をおくったことはない。そんなわけで生活のコントロールがままならなくなってきている。晃洋書房の情報報問題研究の原稿の締め切りが3月18日にせまっている。広報の編集作業とライフプランの提案書の作成を3本かかえ、なおかつ設計書とい契約書の作成に悲鳴がでそうだ。今年は執筆宣言をしたというのに、…とほほ。この間はコンサルタントアドバイザーからどうして原稿書いてくれないんですかとじきじきに電話がかかってきた。確かに書けば1回5000円、1万円くらいはもらえるのだけど、書いてる時間すらないのよー私は。このままでは、いけない。どうやって書く時間を確保するのか。遊んでいるひまもなく、おねーちゃんとデートしてるひまもないまま、年老いていくのねぇ。(笑い) 睡眠時間もさすがに最近は5時間ねないと持たなくなってきた。なにか40を目の前にしてあせりがほとばしっている。あきらめきれない年頃なのだ。まだ現実の自分と理想の自分のギャップをうめようともがいている。
結局書き溜めしている時間がない分、毎日夜睡眠時間をけずり、書きつづけるしかない。しかし5時間はねないとな。早死にする気はない(笑い)
今ようやく、日本人の精神性の問題について書き始めることができた。これは次回の「情報問題研究」で発表したい。
2月11日(日)
なにか、心の中に知らない自分がまた生まれつつある。この自分は「大人」ぶった自分を見透かし、裸の王様を見抜く自分だ。その眼は当然自分にも向けられた。言い訳をして生きるのはごめんだ。正直に、手は文字をつづり、作品をまた生み出していくのだろう。そうだ。ここまでくるとこれは執念にちかい。日ごとに麻痺する自分への問いかけを、もう一人の自分が無意識に行ってくれる。寝汗で夜中に起きることがある。大人になった自分が、自分のなかの子供に驚かされる。このままではならずものになる恐怖にさいなまれる。バカ「一代」を続ける心粋に燃えはじめている。
自分が生きている意味。あの時死ななかった自分の命の意味を、麻痺した体が覚えていた。
2月1日(金)
プロレス・格闘技界が急旋回している。全日本プロレスにつぎ、新日本プロレスも大量脱退だ。橋本につぎ、蝶野のフリー、武藤のフリー化、安田がぬけ、大谷、高岩もZEROーONEに続くと思われる。橋本ー長州戦の未完全決着に観客は暴動寸前までいった。これは80年代のTPG(たけしプロレス軍団)の新日マット登場に怒り狂った観客が火をつけた両国国技館事件を彷彿とさせる。つまり猪木の「どうですかお客さん」に反したとき、新日ファンは狂うのだ。これはほぼ7年周期だと思っている。その7年前は、猪木vsウイリー戦か?。全日崩壊、新日震撼は、プロレス界が観客の心の物語を再生できなくなった結果だと思っている。観客動員数も新日は激減している、(1日東スポ) 小川VSヒクソン戦が決定した。30キロウエイトの違う小川に対して「のーぷろぶれむ」と日本語でヒクソンは語ったそうだ。小川負けてはいられないな。なめられてるぞ。ヒクソンを倒した男として格闘技史上に名を残せ!
ヒクソンを倒し、プロレス最強の狼煙をあげるのだ。でも小川本人は、オレ柔道家だからなんていうかも(笑い)
現在、プロレス対談 第2弾をまとめ中。今回はより組織的、心理的な話にはいっている。今年はプロレス格闘議界から目が離せない。わくわくするぞ。
1月21日(日)
一昨日、朝、東池袋から都営バスにのっていたら、荒川土手前で、なんとオウムの上佑がのってきた。驚いた。彼は思ったより小柄であった。本物がどうか他人の空似ではないかと思っていたが、近くの得意先の社長に聞いたら、確かに近くのマンションか?に住んでいるとのこと。しかし上佑ともなれば{社用}車のはず。なぜバスなのか?しかし最近よく「有名人」に会う。だいぶ観察癖、マンウオッチングが薄れてきたと思いきや、人を無意識にみているのかもしれない。
まぐま6号も無事完成した。
1月15日(日)
執着の心が迷いを生み、迷いが人生にスパイスを与える。この十年、迷いの後のあの 青空 がみたくて、迷いつづけてきたのかもしれない。なにに迷っているのか? それはただ2001年久しぶりに青空がみたくなっただけ。まだ晴れぬ心模様、不平不満は人間数限りない。しかし、人に対する不平不満は今ない。自分の心と対峙しつづけ、自分と世界との戦いをここのところ毎日しているためか、2〜3時間睡眠が続いている。なぜ眠れないかって? 自分の絶頂と没落のイメージが、ありありと脳裏に浮かんで離れないからだ。このまま体調を崩すと、また幽体離脱、魂の放浪状態に入る危険性がある。これでは社会生活をおくれなくなるので、今のところマインドコントロールをしている。大体この状況にあるときは、左脳の働きが強いときだ。だが最近指摘されて解ったのは左脳の働きの強さは右脳の働きに連動しているらしい。こうなると屁理屈を、思いのままにこねる悪循環に入りかねない。
ここいらで、30代につくられた自分のカラー(殻)をたたき壊し、転身する意欲がふつふつと湧き上がってきている。ブルハーツの青空をはじめて聴いたとき、25,6の頃なにか自分は長距離バスに乗ってどこに着くかわからない、長いトンネルをとおっているのか、と改めて今気づかされたわけです。この転身は職業レベルの転身ではない。人間を変える。内なる起爆剤を自ら仕掛けるという意味である。このへんで固まると、人生もうこのままいってしまう。それもよいけどね。
なんだか、最近人の存在や言葉がまったく気にならなくなった。これは自信というよりも、人間のバカさ加減に麻痺している危険性がある。これは不信と表裏一体。いま解った。この起爆剤はうちなる不信の産物なのだな。人を信用することが社会生活の前提にあるべきものが、信用するふりをしているうちに、うちなる不信が麻痺し、正常な魂が破壊されてしまったのだ。
2001年、内なる麻痺した感性を鍛え、世界全体を被うのっぺりした無個性なITを駆逐し、まさにアナログでクレージーな自分を取り戻す必要を感じる。自爆するような若さはもうないが(笑い)
1月1日(月)
このHPはカウンターをつけていないので、どのくらいの人がみているのかがわからない。しかしカウンターをつける気はない。HPはじめて変化があったのは、原稿の依頼がメールであったことだ。出版関係の人で、見てくれている人がいるのだなぁと感謝、関心しました。今テーマに出版したいものは、ウルトラマン世界の構造とマンガの時代論、精神論とでも呼ぶべきもの。この2冊はなんとしても近年中にだしたい。
まぐまBOOKSの構想も、今の所進展していないが、別冊まぐま として力あればやりたいと思っている。なんでも大きくすればよいというものでもないが、今考えているのは、流通のネット化である。新古書市場か古本屋ネットワークを活用して、配布書店を増やしたい。試験的に杉並区内数店舗で実験をおこないたい。配布書店とのリンク、配布書店のHPの紹介、相互メリットをだしていきたい。売れなくてもいいなんて、困ったいいぐさだが、今のところ、HPで注文がはいる可能性は0に近い。本のネット購入の原則は今のところ、個人間の取引、書店へのちょく注文より、アマゾンやヤフーの検索発注が、メインなのであろう?。
今年はもうひとつ、新たにHPをたちあげようと考えている。こちらは、政治、経済、金融などの情報を開いていきたい。最近仕事に追われているので、勉強もかねてといったところ。
昨年は私的なことで落ち込み、親のガン、入院であわて、仕事が外食業界から、生命保険業界に変わったためかなりパワーをそがれた。今年はバリバリいきたい。ということで、自分の欠点も人に言われる以上にわかってきて、いわれても腹のたたない年齢になってきたが、今まで身についた性格はそうそう変わらない。もういいかげん。あきらめた。自分探しをする歳でもないので、ひそかに執筆宣言を再開する。自分には書くことしかなかった。と吐露したのは28歳の時だった。自分探しが終焉したのが32歳。著作を出版した歳だった。あれから7年。本当に消耗している。職場の人間関係と家庭の人間関係の両方をもち、子育てをし、かつ自己実現、ボランティア、市民運動をしている某女史をみるにつけ、この人はいったいどういうエネルギーの持ち主じゃと感心する女性がいます。パワーの落ちてきている自分もあやかりたいものです。
自分が取り戻したいもの。おもいやりの心です。
12月29日(金)
昨日から、またパソコンの調子が悪い、ネットエスケープで起動するように変えたら、従来のINエクスプローラの機能がおかしい。INエクスでHPの更新をおこなうと、アップロードできないが、ネスケでやるとアップロードできる。またネスケでHPをみると更新されているが、INエクスでやると更新されていない。しかし、しばらくしてみると更新されている。こんなあほな話あるか?おそらく原因は誰にもきかずに、適当に自分流でパソコンに接しているので、理解できないことになっているのだと思う。また他のHPをみると、ネスケで見れないHPが多い?。エラーやNOT FOUNDがでる。
まあ更新できるからいいか(笑い)
今日は掃除、1日掃除。
12月23日(土)
この間2週間、ODNのメールが不通になり、受信ができなくなった。原因はJCOMの回線をいれたための障害と思っていたが、ODNのメールの認証番号の打ち込みの際、1とl(エル)を誤って入力していたため、ログインができなかったことが解った。一騎に20件のメールがなだれ込んできた。
2001年目前で、あたふたとしている。といっても来年になろうとしても別にこれといった変化もないだろう。きっと。過去にいきていた人々も、きっとこんな気持ちで過ごしていたにちがいない。どんな時代もさほど変わらない。
まぐま 6号が来年そうそうに完成する。この場を借りて、関係者の皆様に御礼申しあげます。来年はさらに要り入りな事業計画を考えていきたいと思います。
時代は戦いよりも、融和だ。
11月26日(土)
ほぼ1ヶ月ぶりに書いている。この1ヶ月、出張と編集作業、会社への戦略提案書づくりに終わった。このままあと数日で39になる。子供の頃に描いた40歳と自分の現在にギャップがありすぎ、やや狼狽している。とくにこの5年間、成長したという実感がまったくない。
早く正月休みをとりたい。(笑い)
10月28日(土)
知らない間に、日本の国債が770兆円を超えていた?。この間まで650兆円といわれていたのに。10ヶ月まえです。おそろしい。このままだと、日本の国債は国際的な価値をなくし、紙切れと化す。そのときは日本の経済力信仰も崩壊する。今日某国内大手生命保険会社の人と商談。千代田生命、協栄生命の倒産について予想通りとの話。業界再編について意見交換。また家業の方の火災保険,、地震保険も現在のたよりない保険会社から有力損害保険会社に乗り換えた。信用不安をあおりたくないので、いえないが、まだまだこれからくるだろう。倒産が。某S生命、N生命も…(SONY生命 日本生命ではありません)
不気味なのが関東の地震。懸案は23区内に活断層があるかないかということ。江戸の安政大地震は直下型で、当時で数千人死んでいる。今日なら15万人以上の数。この地震がおきれば、東京は崩壊。世界経済にも深刻な影響をおよぼす危険性あり。
最近 やたらと腹が減る。食欲の秋。しゃぶしゃぶ。かに。すきやきが食べたい。いわしとたらが高くてたべられない。あじばかりなり。たらちりの季節だというのに。
会社の近所においしいたこ焼き屋発見。
10月24日(火)
ジョンレノン ミュージアムにいってきた。黒須氏もいってきたとのこと。感動のあまり何度も涙ぐんでしまった。ジョンのドイツ遠征時代の皮ジャン。イマジンの詩のメモの走り書きなど、よくここまで、とっていたなと思うほどの思い出の品の数々。映像にはあの反戦活動時代のニューヨークでのライブ。「マザー」や「女は世界の奴隷か」などが、がんがんかかる。そして子供時代の母との別れ、ポールとの出会い、ヨーコとの出会い、反戦時代の二人の活動がポートレイトに克明に記憶されている。
そして幸せそうなジョンとヨーコとショーンとの軽井沢での日々の映像。何気ない麦わら帽子。ジョンのめがね。
スタートの映像、ヨーコの思い。ラストの部屋、「これが 二人のたどりついた答えなのか」 皆、たたずんだまま動かない。誰も喋ろうとしない。そして静かに透明な椅子にすわりこむだまま。ジョンとヨーコのメッセージは天上まで届いているボードからゆっくりと語りかけてくる。
あー皆
ジョンが好きなんだ。なぜジョンの歌声はあんなに悲しいのだろう。大切な人に去られた悲しみと大切な人を残して死んでいく悲しみ。ジョンはそのどちらも知っていた。
10月18日(水)
月曜日からの大阪出張で、また体調が悪い。原因は寝不足。寝ればいいのに、睡眠時間をとらない。これはいけません。日曜日に京都で、情報問題研究会が開かれた。再来年に予定されている教科書の執筆の件は延期された。埼玉新都心に、ジョンレノンスタジアムができた。ぜひいってみたい。
事業の立ち上げで、大幅に収入ダウン。ただいま支出の削減を実行中。まずはいらない雑誌の購読をやめた。必要な情報はインターネットか、特集で雑誌をかう。これだけで年間3万円削減。スポーツ新聞、週刊誌もやめた。これだけで月数千円削減。各種会員もやめた。会費も削減中。100円ショップのかつよう。昼飯は600円。
元来、消費型人間でない私も、いろいろな出費がかさなっていた。無駄な酒の付き合いもやめた。必要な人間と必要な情報交換のために飲む。ストレス発散のために楽しんで飲む。など目的をもって飲む。これが新しい?時代の飲み方だ。
10月10日(火)
まぐま原稿が出来上がった。今回は年内いっぱい手がつけられないくらい忙しくなってきたので、2日で仕上げた。当初。松本隆 ー松田聖子、太田裕美世界の心象 と題した作品を考えていたが、変更して、現在のプロレス、格闘技についての散文と、対談をまとめた。
近所の漫画専門の古本屋のおねえさん(笑)と話していて、まぐまのりんくをすることになった。店の名前は古本君です。ときたまでもよいので、観てください。
早い。あと2ヶ月で39歳になってしまう。この10年間の記憶が、どんどん薄まっていく。この間、確かおせち食べて、2000年万歳とか、叫んでいたのに、いよいよ2001年、宇宙の旅だ。
昨日、久しぶりに山のぼりをした。今日、足腰がいたい。でも空気がよかった。川のせせらぎで心が和んだ。
最近、BSとかハイビジョンで静かな自然ものとか、昆虫ものとか、古寺巡礼とか、ドキュメンタリー番組をよく観る。なぜか、うるさいものが観られなくなってきた。
食欲の秋。今日は昼、おいしいパスタ屋を発見。観れば若いOLばかり。女性はやはりおいしいものに目がない。甘いものもよく食べる。今日はチーズケーキを食べた。そんで野菜サラダをおかわりした。しまった1000円使ってしまった。
9月28日(土)
今日は二人のライフプラン提案書を作成した。疲れきって途中気絶した(居眠り)。まぐまの原稿締め切りもあるが、応用過程試験、専門課程試験 FP試験が年内から来年にかけてあり、書けるかどうか大変。おとといから胃が痛い。十年ぶりくらいで胃が痛む。同じく10年ぶりで肩こりがする。コンサルタント部門の社内ベンチャー立ち上げで、いらいらとあせりが少し。身体が麻痺してきている。(笑い)。
今日BSで、粗食=素食特集をみた。白米に粟、キビ。ひえをいれて炊く知恵は、自炊でやっていた。これは亜鉛とか、繊維、ミネラルをとれるので、GOOD。ほかにわかめとシラスをいれた炊き込み御飯。いわしを塩と酒で蒸す。なんだ、みんな自分で考えてやってたのと同じだ。と思いきや。大豆に白米を入れ(粘り気をだすため)、ジューサーで攪拌、そこにお酒とかつおだし(昆布だし)を加え、味を調え、中に様々な具、野菜をいれて煮る。これはおいしそうだった。こんどやってみよう。時間のあるところで。
なべ料理と炊き込みご飯は簡単だが、奥が深い。前職(といっても会社の母体は一緒)で、このへんの料理メニュー提案、厨房の衛生管理コンサルタントをやっていた。病院、ホテル、旅館、レストランの厨房によく裏から入っていったなぁ。和食の料理長は難物が多くて苦労した。(笑い) でも職人との語らい、こだわりは結構熱くさせてくれた。いかん。昔を懐かしむと人間成長がとまる。
橋田すがこのブレーンの調理長との語らいは、日本人と食の心を教えてくれた。和食の和は口と禾で出来ている。口に禾が入る、すなわち食べる行為をとおして、和は生まれるのだ、食卓に家族がそろわない現状では、和は生まれないのかもしれない。日本人が倭人と呼ばれ和人とよばれたのも、この和の本質をよくあらわしている。
食べること、眠ること、SEXすること、こうした基本が、みたされることは、和をはぐくむ上で大切である。
9月21日(日)
今日も1日が過ぎた。時間の間に間に、生命保険,金融関係の本をむさぼり読んでいる。今日は一冊読めた。生命保険の設計書を作成しながら、あらためて人間の人生のサイクル、人生の意味について考えさせられている。思春期の頃に、哲学を学ぼうと考えていた時期の問い。
人生とは何か、幸せとはなにかっていうやつ。拓郎の歌みたいだが、改めて思うのは、幸せの前提は、生活するのに困らないお金があること。そして健康に恵まれること。最後に人間関係が良好であること。この3つではないかと、あたりまえであるが、この結論にいたった。
この3つの関係は、密接に関係していて、ひとつバランスが崩れると、他に影響する。このバランスを保つものが生命保険である。現金があれば誰でも安心して暮せる。しかし、一生を保障する現金なんか一生かかってももてないもの。だから保険が必要となる。しかし、保険とか証券とかの評判は物凄く悪い。入らされる。だまされて損するといった印象が強い。しかし日本人の90%が保険に入っているのである。
万が一の事態にお金が不足する。老後資金がショートするといった事態をさけるために、はたらなければ成らない。と私は真剣に考えている。サラリーマンの年金(老齢年金 厚生年金)も60歳から65歳へ見送られ、近い将来、67歳にまで引き上げられる可能性がある。ということは、60歳から67歳は、生活資金がないという事態に我々が老人になる頃には確実になるの恐れがある。
これは貯蓄に、資産運用に今から、準備しないと、いけない。国はもう面倒をみないといっている。これが自己責任の原理である。どうあがいても、福祉が向上することはない。財源がない。一人でも多くの人と将来の生活の困難さについて考えていきたい。それが私の仕事の指名なのである。株の運用、投資信託の運用も話題になっているが、余裕資金でないと、意味はあまりない、株は投機、つまりギャンブルであり、投資信託は長期にわたった回収に耐えられないと、どちらも怪我をする。
これはもう生命保険に入って欲しいという次元問題ではない。将来我々は路頭に迷う危険性があるのだ。
特にディングス、独身者は世話してくれる人がいない。それで、私は、生活設計、生活相談(まだ税金関係が弱い) ライフプランについて考える会を始めたのだ。その中で勉強もしていこうというわけだ。
で,最後某カタカナ生命の保険を紹介するのだ。私も飯食わないといけないので。(笑い)
でも入ってくれとは一言も言わない(笑い) いえない。