ジャパンポップに覆われた世界  Jコミック・ジャパニメの体制内化と世界戦略

 

小山昌宏

はじめに                                                

二〇〇〇年一一月一四日、文部省は二〇〇〇年度版「教育白書」で、はじめて日本の漫画を「日本の文化」として取り上げ、「重要な現代の表現」と位置づけた。その理由として、マンガが出版全体の販売数の4割、販売金額で2割を占め、さらに海外での高い関心と評価、国内の美術館などでの展覧会の度重なる開催、大学をはじめとする研究機関などでの活発な研究をあげている。そして「漫画は重要な現代の表現として認知されつつある」と結論づけた。

それは、とうとつな「政策」変更と思わざるを得なかったが、その背景には、ポストモダン下に進展した資本主義の情報化とサブカルチャーからポップカルチャーへの広がりをみせつつ、世界化を遂げた日本のアバンギャルドの担い手たちの活躍があった。

かつて文部省は漫画を「低俗・破廉恥」なものとし、子どもからとりあげようと躍起になっていた時期があった。六〇年代から七〇年代前半までに、問題作といわれた永井豪の『ハレンチ学園』や『あばしり一家』、ジョージ秋山の『ゴミムシくん』や『アシュラ』『銭ゲバ』は、大人社会の欲望、矛盾と汚さ(金・性・暴力)をストレートに描いたため「大人」は恐れとともに嫌悪を抱いた。大人は「子ども」たちの教育に悪いというよりも、「大人」たちの本質を「子ども」にみせまいとする心理が働いたとみるのが、今日では正当な評価となっている。漫画を子どもたちから取り上げる試みは、全体主義国家でない限り無理なことも、この「騒動」をとおして文部省は学んだ。

 では、日本のキッチュな文化であり、大人社会に対抗しようとしたサブカルチャーの旗手であった漫画表現を、なぜ文部省は今になって認めたのだろうか? それは北斎の浮世絵が、ゴッホをはじめとする西洋絵画に深い影響をあたえたことを誇りにする心理にて、日本の「マンガ」が、アジアつぎに欧米で高い文化的価値を与えられたため、文部省は追認せざるをえなかったからである。しかもそれ以上に、漫画の利用価値が、かなり高いことに気づいたからであった。

 だがここで、大切なことは「マンガ」についてはその価値を認めているが、アニメについては言及をさけていることである。それは「漫画」から「アニメ」、「アニメ」から「テレビゲーム」と象徴としての「文化的悪」を微妙にずらしながら、日本の文化産業の世界への進出を手助けしている。それは具体的には、マンガ、アニメ、ゲームが「ポケットモンスター」により一体化し、世界的ヒットを受け、まさに「怪物」として世界各国から非難をあびせられたため、ひとまず、その非難の対象をマンガ、アニメとテレビゲームを切り離し、「テレビゲーム」にうつすことでかわすことにあらわれている。この漫画→アニメ→テレビゲームの流れこそ、サブカルチャーとしての漫画が動画(漫画映画)になり、やがてアニメになりポップ化し、産業資本に取り込まれ、世界市場に文化産業として流通する「低俗・破廉恥」な文化の集大成であった。いつのまに「低俗・破廉恥」な文化が、「重要な現代の表現」に変貌したのだろうか。

 一 戦後マンガ・アニメの概要 端緒としての手塚治虫

 「紙の砦」にみられるように、戦後失意のどん底にあった手塚治虫にとって、「マンガ」は自由であり、希望の砦であった。またすでにディズニーのアニメーションに触れ、日本のアニメの先駆者たちの作品に感銘をうけた手塚にとって「アニメ」は人間性の象徴なのであった。それは戦争によって破壊されたうちなる人間性(芸術性)の回復を強く願った結果でもあった。そんな手塚の夢がひろがるように、戦後まもなくから五〇年代に紙芝居、関西で広がった貸本漫画は全国的な広がりをみせた。この時代に読みきり漫画の単行本、漫画雑誌も発刊された。戦後の娯楽の少ないなかで子どもたちは、「漫画」や「紙芝居」に接することは至福の時をすごすことと同義であり、子供たちは漫画をとおして手塚治虫と出会うことになった。

やがて六〇年代の政治の季節に、手塚の願いは漫画誌の作品、そして一九六三年に放映開始された国産初のテレビアニメ「鉄腕アトム」によって実現される。だが、手塚の影響が大きくなり、一方で「トキワ荘」につどう多くの新人漫画家の登場と同時に、反発も生み出した。手塚が戦後の一時期、ライバルとして認めていた「いがぐりくん」を描いた福井英一の死後、新たに手塚マンガを「子どもまんが」とよび、「劇画」を標榜するグループがあらわれたのである。「ガロ」はその創刊より白土三平を旗手とし、つぎに水木しげる、つげ義春などを生み出した。手塚はこの「劇画運動」に対抗するため、ストーリーマンガを強化すべく「COM」を創刊する。ここから石森章太郎をはじめ多くの逸材が育った。だが手塚への衝撃はそれではすまなかった。政治の季節にふさわしく、そこには等身大のリアルな人間が描かれる素地が出来上がっていた。梶原一騎原作の『巨人の星』『明日のジョー』『柔道一直線』『タイガーマスク』等は、スポーツをとおして、丸裸な人間が描かれていた。読者の反響はこの「スポ根」とよばれる作品に流れた。またアニメ世界においても、虫プロが製作時間と制作費を節約するために『鉄腕アトム』で一秒間に二四枚のセル画を使用するのではなく、一二枚を使用し、「動き」のセル画を使いまわしするリミテッドアニメを採用したため、芸術としてのアニメは、テレビアニメでは死んでしまった。手塚の死後、宮崎駿が東映動画時代の思い出として、手塚治虫の「アトム」製作によってもたらされた製作現場の「低コスト・低賃金・重労働」は、今も続いていると吐露した話は、強烈なインパクトをあたえた。漫画界だけではなく、アニメ界にも、ゼロから立ち上げた先駆者の光が強ければ強いほど、濃い影をおとしてしまったのである。

手塚はその責任感とライバルたちからの追い上げによる苦悩から、やがて虫プロの倒産をとおして、闇を切り裂く光のように開眼する。七〇年代に発表したマンガ『ブラックジャック』は、手塚の血に流れる医学をテーマに人間そのものを、深く掘り下げていったのである。

手塚治虫のマンガ表現は、アニメ表現をともない、劇画との対立、動画との対立をもたらし、TVアニメ(動画)、劇場用アニメ(マンガ映画)を超えた芸術としてのアニメーションを希求させた。この手塚内部の矛盾・二重性は、その後の漫画界、アニメ界にいまもって多大な影響をおよぼしているのである。

 二 劇画と漫画の融合とTVアニメの劇場映画化

 すでに長編動画を製作していた東映動画は、手塚の「アトム」の成功により、六〇年代に積極的に『狼少年ケン』「風のフジ丸」などのTVアニメの製作に携わっていった。七〇年代に入り、劇画の登場によりマンガが多様化していくのと同時に、TVアニメもマンガ原作つきのアニメが主流になっていった。たとえば、七〇年代にブームをまきおこした松本零士の『宇宙戦艦ヤマト』は、マンガからTVアニメ、そして劇場用アニメーションへの道をたどり、その人気から連続して劇場用アニメがシリーズ化されていった。ほかにおなじく松本零士の『銀河鉄道999』も同じパターンを踏襲している。この時代、アニメーションプロダクションもそのジャンルによって細分化、多様化されていった。そのなかで、ロボットものを得意とするプロダクション「サンライズ」から、冨野由悠季製作の『機動戦士ガンダム』が登場する。後の『新世紀エヴァンゲリオン』に続く画期的なアニメスタイルの原型がつくられたのである。七〇年代は、中沢啓治の『はだしのゲン』以外のマンガが海外に進出することはなかったが、先にアニメーションが欧米に輸出された。ヨーロッパでブームを巻き起こした、いがらしゆみこの『キャンディキャンディ』、永井豪の『マジンガーZ』『UFOロボ・グレンダイザー』は、後にその原作が日本のマンガであることを知った世代を中心に、日本のマンガに対する興味を刺激し、再ブームを巻き起こすのに役立ったのである。

 一方、劇画は梶原一騎ブームが、「愛と誠」以降去り、そのリアルな表現が時代に沿わなくなり、多様化を迎える。特に少女漫画が従来の恋愛から結婚へという「幸福の図式」を打ち破る「人間性」の全面開花とよべる世界を構築する。萩尾望都、竹宮恵子、山岸涼子、木原敏江、大島弓子など、俗に「花の二四年組」といわれる少女漫画家は、少女の幸福が「恋愛→結婚」のみにあるのではなく、さまざまな思いが現実に生きていることを描きつくした。特に萩尾の『トーマの心臓』と竹宮の『風と木の歌』は、ドイツとフランスを舞台に「ホモセクシャル」を題材にしており、「美少年」ものの原型をつくりあげた。『風と木の歌』はその級友が「ジルベール」を抱くシーンが問題視され、背徳のマンガとして各方面から非難をあびた。こうした「二四年組」のマンガは、八〇年代に入り、より作品の深みをましていくことになる。だがその文学性のために、TVアニメ化はされにくく、竹宮の『地球へ』と大島の『綿の国星』がかろうじてアニメ化されるにとどまった。それも八〇年代にはいってのことである。

 三 問題化されるマンガと芸術化されるアニメーション

 七〇年代に欧米を中心に輸出された日本のアニメーションと多様化、文学化されたマンガが、八〇年代に入り、より鮮明に二重化されてくる。ひとつはマーケットの二重化であり、もうひとつは表現の二重化である。それは七〇年代に人気を得たマンガキャラクターを用いた「SEX表現」が一般化し、同人誌として「コミケ」などのアングラ市場で販売されていくという構造をつくりあげた。また従来零細出版社から販売されたエロ劇画誌からメジャー誌にマンガ家がシフトし、遊人の美少女エロマンガを軸に、大手出版社にまで「エロ」が吹き込むことになっていった。これが後に有害コミック問題に発展するのである。一方、文学化されたマンガの影響をうけアニメのなかからより芸術性をおびた作品が登場してくる。大友克洋はもともとその抜群のデッサン力、構成力からハードな劇画を描いていたが、近未来のSFを発表しはじめてから、絵の力が読み手にリアルな現実感をあたえ、「リアル表現」の機軸を変えてしまった。それは梶原のリアルさが、「生き方」と心理描写にあったのに対し、大友の劇画作品『童夢』『AKIRA』は、絵のリアルさが非現実的な世界をリアルにするという心理から物理表現への転換であった。つまり建築物や人間の破壊描写(物理)が、心理表現になるという革命的な表現方法を確立したのである。劇場用アニメ化された『AKIRA』は破壊の芸術とでも呼べる質量をもった映画だった。

 そして東映動画のアニメーター宮崎駿が独立後、『アルプスの少女ハイジ』「ルパン三世」をてがけ、劇場用アニメ『ルパン三世 カリオストロの城』の後、公開した『風の谷のナウシカ』が話題をさらった。この作品には「マンガ映画」以上の問題意識がこめられていた。環境、人倫、戦争と平和、文明と文化、「人間が生きる道はこれでよいのか」という宮崎駿の初心が反映されていた。「ナウシカ」はマンガとして「アニメージュ」にて長期連載され、内容はより哲学、宗教学的色彩をおびた。人類史を文明史として捕らえ、光と闇の闘争、黙示録的な内容に傾斜した。

 一方、手塚に反発する宮崎に疑義を呈するアニメーション監督が登場した。その人こそ、九〇年代、大友克洋とならび、海外では宮崎をはるかにしのぐ人気をはくす押井守その人である。押井と宮崎はナウシカが公開された八三年『ナウシカガイドブック』で対談をおこなっているが、この席上、押井は宮崎に対して、「共同体を信じ、共同体を描く人が、独裁的に作品をつくりだしている」との指摘を行っている。押井守の「共同体を信じていない僕らは、共同して作品をつくる」と の見解が、宮崎アニメがもっているメッセージ性を理解するうえで、大変重要なポイントであることをものがたる。ナウシカ自身に内 在する「慈悲と暴力」こそ、 宮崎の「革命家世代」に共通するメッセージの本質である。押井は八〇年代『うる星やつら ビューティフルドリーマー』でその芸術的センスを垣間見せるが、その作品内容は「ナウシカ」と対極にある。宮崎が「闘争」をテーマにしているとすれば、押井は「逃走」がテーマであった。

 四 有害コミック問題の発生と出版界の自主規制

 七〇年代にアンダーグランドで広まった「マンガ同人誌」は、八〇年代「コミックマーケット」をとおして、その読者と書き手の急速な市場拡大をおこなった。このマーケットにはすでに「プロ漫画家」予備軍がひしめき、独自世界を描くのと同時に、『うる星やつら』のラムちゃんのSEXシーンや『キャプテン翼』のキャラクターのホモセクシャル(のちのロリコン・やおい)などを描くエロパロが主流になっていった。こうしたアンダーグランドの傾向は、メジャー出版社にも影響をあたえ、八〇年代後半には小学館、講談社、集英社等の大手出版社で「有害コミック」に相当するマンガを多数連載するにいたった。まず槍玉にあげられたのが、遊人の「ANGEL」であった。かわいい女の子が毎回、主人公にSEX三昧の日々を提供する。特に問題化されたのは、SEXシーンそのものというよりは、その「性器描写」と「結合描写」にあった。従来のマンガの性器描写は規制上、その部分の「白消し」をおこなうか、「べた塗り」をおこなうのが慣行であったが、「有害コミック」に指定された作品の描写は「性器部分」を線によって残すという、かなりリアルな表現をとっていた。読み手からすれば顔はかわいく(ロリ顔)、体は成熟している少女が男の欲望に、なんの抵抗もなく、応えてくれるというパターン化された「有害コミック」は、PTA、婦人会をはじめとする「母親」の怒りを買うのにそんなに時間はかからなかった。「有害コミック」摘発キャンペーンは、マスコミ、教育界、国会をも巻き込み、全国に広がり、遊人の「ANGEL」は九〇年、一〇月一二日、「ヤングサンデー」から追放されてしまった。それを機に、警察の一斉手入れが、全国の書店、同人誌作家にもおこなわれ、多数の逮捕者をだした。こうした規制に異をとなえた石ノ森章太郎、里中満智子、牧野圭一、ちばてつやら漫画家は、「コミック表現の自由を守る会」を結成し、「性表現の規制」をもって「表現全体」への規制にむかう傾向に機先を制した。

 この事件の背景には宮崎勤の「幼女連続殺害事件」があり、「エロ狂い」の青少年のおこす「狂気」への恐怖があった。だがここでも見逃せないのは、「有害コミック」を読んでいたのは中・高校生であり、「母親」が心配する「子どもたち(小学生)」ではなかったことである。

「あれを小学生が読んでどんな影響を受けるか。まだ判断力のない子供たらに刺激ばかり与えて出版社はその後の責任まで考えてるんだろうか。」

「自分たちの責任は考えずに表現の自由ばかりいっても通らんのと違うか」

(和歌山県の一主婦が結成した「コミック本から子供を守る会」発言)

 だが、こうした「有害コミック」問題は、「表現の自由」の検閲にいきついていったのは道理であった。レディスコミックで新感覚の性表現を追及していた漫画家・森園みるくは、次のように語っている。

 「九〇年までは政治と天皇に関することというおおきなタブーはあったものの性表現を差し抑えようとする出版社はなかった」

 この事件をきっかけに政府関係機関の規制ポイントが完全にシフトした。それは「天皇制・部落問題のような伝統的・政治的問題」ではなく、性表現を媒介にしたジェンダー、セクシャリティ、パーソナリティなどに対するチェックに力点が移り、出版社の自主規制を強化するに役立ったのである。その後のかわぐちかいじ「沈黙の艦隊」、弘兼憲史「加治隆介の議」、こばやしよしのり「ゴーマニズム宣言」などがあらわれ、政府機関がマンガを「政治的」に利用したことが公になった。そして海外での高い評価にともなうマンガの「芸術性」の普及を東京近代美術館など各地の公共施設で同時展開するのである。

 ここに六〇年代に湧き上がったカウンターカルチャー・サブカルチャーとしてのマンガ表現は、巨大産業化したポップ市場にとりこまれ、出版社の自主規制をもって、体制内化をとげたのである。まんが情報誌「コミックボックス」編集長・才谷遼と漫画家・永島慎二は、このマンガ出版界の政治的転換を「転向」と評価した。そして漫画家・いがらしみきおは「売れるか売れないかだけで評価される、マンガは終わった」と語った。

マンガはこうして政府の思惑どおり、「よいマンガ」と「悪いマンガ」に選別され、マーケットにお行儀よくならぶにいたったのである。ここに政府の海外への「芸術」としてのマンガ(良いマンガ)と、Hコミック(悪いマンガ)などの輸出と国内での「健全」「俗悪」なマンガの誌面でのすみわけ政策は完成した。だが依然アンダーグランド、インターネット上には、規制させているはずの性表現がみちあふれている。プロバイダーへの圧力をとおして今後ネットのマンガ表現が規制強化されていくのは間違いないだろう。

 五 マンガとアニメの導入 日本のマンガ・アニメの曙

 手塚治虫が死去したことで、日本ではマンガ・アニメは、手塚治虫が戦後復興とともにうみだしたかのような印象をつよく人々にあたえている。だが、そもそもマンガは開国明治の文化的象徴として政府が、イギリス人・チャールズ・ワーグマン、フランス人・ジョルジュ・ビゴーをとおして輸入したものである。またアニメーションもフランスで一八九二年に発明され、創始者エミール・レイノーに続く、エミール・コールの作品(『凸坊新画帳』 一九一〇年)が日本で上映されるにいたり、日本でもオリジナルが製作されるようになったのである。日本初のアニメ作品は二〇世紀前半、北山清太郎の手によるものだった。寺内純一、下川凹天が続いたが、それは、漫画に対して動画と呼ばれた。漫画も動画(アニメ―ション)も、漫(滑稽+批判)画的要素、風刺を強めていったため、政府によって検閲、弾圧され、やがて軍国主義下の日本で国策・プロパガンダとして活用されていったのである。

アニメーションの悲劇は、映画よりはやく生まれながら、一九八五年に誕生したリュミエール兄弟のシネマトグラフ(映画)と対比され、映画の一部と評価されてしまったことにあった。またその悲劇は、絵画表現であり、芸術としてスタートしたものが、漫画映画と混同されたことによって、始まりから芸術性をうばわれてしまったことにある。アニメーションは絵画であり、絵が動くことで動画となり、その表現手段として、人形、線画、影絵などの多様な形態をもっているにもかかわらず、漫画映画と同一視されたことがアニメーション作家を「困難な芸術家」にした。

戦後のアニメの始まりは手塚が漫画を動かすことからスタートした。そのため、アニメーションは日本では漫画が動く意味で動画、漫画映画として一般に認知された。日本のアニメーション(ジャパニメ)が、突出した発展をしたのは、この漫画原作を映画化するというアニメーションの一表現手段の突出だったのである。だが、漫画原作つきの漫画映画は、戦後日本の特殊形態なのではない。昭和八年に村田安司が田河水泡の『のらくろ二等兵』を発表し、先鞭をつけていたのである。ほかにも正岡憲三の『くもとチューリップ』や瀬尾光世の「桃太郎シリーズ」などが、広く人気を集めていた事実はあまり知られていない。手塚はこうした作品を戦後、自由と人間性の象徴として涙してみていたという。

 六 Jコミック・ジャパニメの世界的受容と影響

 六〇年代に大人社会へのカウンターカルチャーとして急速にひろまったマンガは、七〇年代に多様化し、アニメーションと連動し、八〇年代にアンダーグランド市場を吸い上げる形で発展した。そして八〇年代後半から九〇年代初頭の「有害コミック」問題で、マンガ表現は出版業界において暗黙の「規制」をひかれることになった。そしてマンガが一方で芸術的価値をもたらすものであると同時に、ひろく大衆性を兼ね備えていることから、九〇年代には政府機関によってその利用と取り込みが急速におこなわれた。こうしたながれのなかで、マンガはアニメ、ポップミュージックと連動し、ゲーム産業として一大文化産業に集約されていったのである。

 こうした文化現象が世界を駆け回る事態が、「ポケットモンスター」によってひきおこされたのは九〇年代の終わりであった。「ポケットモンスター」は、ゲームメーカー・田尻智が開発したTVゲームであったが、人気が爆発したため、次に「コロコロコミック」でマンガ化され、一九八七年にはTVアニメ化された。そして仕上げとして最後に劇場用アニメとなり、ゲームと同時に世界に輸出された。すでに九〇年代から日本のアニメ表現に危機感をいだいた「ハリウッド」は、その映像表現に「ジャパニメ」的モーションを取り入れはじめていたが、任天堂が「ポケモン」を、アメリカ市場でゲーム機とともに販売するやいなや、露骨に反感を表明した。「ポケモン」のアメリカ上陸は「文化侵略」とうけとめられたのである。アメリカの子どもたちの間で爆発的人気をあつめた「ポケモン」は、アニメ、ゲーム、キャラクターグッズなど関連商品の総売上は、九九年には五〇億ドルにものぼった。アメリカの知識人からも、日本の文化侵略に対する激しい抗議の声があがる。平面的で動きがぎこちない、しかも彩色的に芸術性もない「アニメ」が、子どもたちを「教会」からテレビの前にくぎ付けにした。子どもたちの心は「ポケモンの世界」で一杯で、そこにはアメリカの文化を学ぶ余地が生まれない。このような指摘は二〇〇〇年には全世界に広がった。特にトルコ・サウジアラビア、ロシアを軸に、イスラム圏での反発が強く、ユダヤ教のシンボルの登場、「ポケモン」カード交換、収集が「賭博行為」にあたると断罪された。

 一方、七〇年代に日本のTVアニメを需要した欧米、八〇年代に日本のマンガ、アニメを需要したアジア圏でのJコミック、ジャパニメの評価は一般に高いといわれるが、依然として、子どもたちに人気があるものは、大人が裁断している「戦闘的で暴力的」なマンガ・アニメであり、「ポケモン」を先頭に、「ドラゴンボール」のような暴力的作品である。世界市場で子どもたちの「尊敬と羨望」のまなざしを受けている国は、「ピカチュー」の住む国「日本」であり、子どもたちは自国よりもすばらしい国として認識している。このような子供たちの感性は「大人」からすれば、到底許されるものではない。だが、日本のアニメ「ポケモン」の世界進出はとどまることを知らない。一本の日本製アニメーションがゲーム・マンガ・アニメ文化を包括し、さらにカードやキャラクター商品化されることで、「市場原理」に最大限マッチした「ポップ商品」に成長を遂げたのである。

手塚治虫が戦後、焼け野原になった都市をみた瞬間、深い失望は人間が自由に動き、自由にしゃべることができる可能性への喜びに変わった。粗末な紙に描かれた一枚の絵から始まり、やがて色と音をともないTVアニメとなり、「音楽と物語」は、「ゲーム」化され、今では一大エンターテイメントとなって世界を駆けめぐっている。それはマンガ「表現」が間違いなく、「人間が生きていること」の証であり、呼吸をするように、あるいは、水を飲むように切に望まれた精神活動の結果なのであった。いまや日本のマンガとアニメは世界的に影響をもつにいたった。だがJコミック、ジャパニメは世界市場にあわせ、文学的・思想的な「芸術的」作品と暴力とSEXにみちた「大衆的」商品として出荷されている。だが、この政府の政策の二枚舌にあきれてばかりもいられない。最近自分自身、この人間の「欲望」の二重性こそが、「人間」に固有な特性なのだと素直に思える年齢になったことに狼狽している。

七 マンガ・アニメの世界化による問題の見落とし

日本のマンガ・アニメが世界標準化されたことで、日本人は外国のマンガやアニメをみなくても、目の前の国産品を見るのですんでしまっている。そもそもマンガ・アニメは日本固有のものではなく、今現在も世界中で生み出されている。また日本のマンガ・アニメの創始者も手塚治虫ではなく、日本の歴史が文化史的にも太平洋戦争を境に断絶されたため、手塚が抱えていたふたつの希望・マンガ(自由の砦)とアニメ(人間性の砦)は、そのまま戦後日本の大衆文化の矛盾、すなわちマンガ・アニメ(大衆文化)とアニメーション(芸術)との対抗関係を生み出し、文化産業と芸術至上主義との対立を生み出した。さらにマンガの自由度があがりすぎると、アニメの人間性が瀕死におちいることもクリエイターたちは経験をもって知った。この手塚が生涯持ち続けた矛盾はJコミック、ジャパニメのなかにいまも生き続けている。

八〇年代に世界化され、九〇年代に欧米の知識人によって発見された日本のマンガ・アニメの「芸術性・文学性」によって手塚治虫、大友克洋・押井守、ついで宮崎駿の名は世界に知られるようになった。だが依然としてマンガ・アニメの表層での「芸術性・文学性」は、深層に「暴力とSEX」を隠し絵としてもっていることを見逃してはならない。多くのアンダーグランドで流通する「暴力とSEX」表現にみちたマンガ・アニメが一方的に非難されるのは、SEXが「暴力のための暴力」に結びついたときに特に激しくたきつけられる。宮崎の「ナウシカ」や大友の「AKIRA」、押井の「甲殻機動隊」、庵野の「エヴァンゲリオン」などの作品の「芸術性・文学性・思想性」が高く評価されるのは、人間が生きる社会関係、時代背景、人間心理が描かれるなかに、暴力とジェンダーが描かれ、世界の破壊と生成が描きこまれているからであった。ポストモダン状況下において、物語の不在が叫ばれながら、世界で需要され、賞賛された作品はまちがいなく「世界の破滅と再生」(なんと暴力的で生産的<SEXY>なんだろう)の物語なのである。こうしたマンガ・アニメの高い評価はあるものの、世界市場で支持され、圧倒的に消費されているのは、日常的な「SEXと暴力」商品である。こうした作品を描く「コミケ」漫画家や「同人」漫画家、アニメーター、アニメ製作会社は、極端に産業化され、読者支持率(視聴率)に振り回された少年漫画誌の衰退と、TVアニメの衰退とは、もっとも縁遠いところにいる社会的にアンダーグランドな存在である。こうした底辺の存在があり、頂点があることがこの文化産業としてのマンガ・アニメ界が強力な磁場、重層構造を誇る証なのである。

極端に産業化され、経済効率化され、読者支持率に振り回された少年漫画誌の衰退は、マンガが終わったという論調を印象づけた。マンガは本当に終わったのか。またマンガはサブカルチャーとしての役割を終え、ポップ商品としての価値しかもたないのかという問いがにわかに湧き上がる。だが、それに対しては今のところ「NO」と結論づけることができる。マンガが産業として、その社会的責任をまっとうする見地にたてば、体制内化した「マンガは終わった」といえるだろう。しかしアンダーグランドで表現を摸索し続ける限りは、マンガはサブカルチャーであり続ける。そしてその表現のなかから次世代の世界を描く優れた描き手が生まれてくる。その可能性は今も健在である。マンガではじめて描かれた世界、高速道路や超特急、携帯電話などはすべて実現されてしまった。そして人工知能を搭載したロボットさえ、現実に製造日程が明確になっている。また手塚治虫が描いた、終末医療や再生医療問題などにみられるように、マンガは常に時代の雰囲気や科学を擬似的にとりいれて題材にしてきた。このように人間が人間を描く姿勢が衰えない限り、まんがもそしてまんがを活力源にするアニメも衰退することはないだろう。問題は、激減する子どもたちの興味が、すでにマンガやアニメ、そしてゲームからも遠ざかりつつあるということだ。消費社会をいきる子どもたちは、同時に生産文化の担い手であることを、「コミックマーケット」は示唆している。この新しい生産者は高度経済成長をつくりあげた若者たちの「文化」感覚をもちえない。彼らは感性と実用性がミックスされた新しい文化の担い手である。だが期待はしない。期待は人を裏切り続ける。裏切られたところに文化が生まれることは、誰もが何度も経験していることである。文化は資本の運動と生の躍動が、時代に共鳴する接点にいつでも出現している。今日では、文化産業を語るだけでも不十分であり、民衆文化だけを追うのも無意味なのである。

「社会文化学会」 11月25日 報告に加筆修正

参考文献・データ

『マンガ世界戦略』 夏目房之介 小学館

『戦後マンガ50年史』 竹内オサム 筑摩書房

『少女まんが魂』 藤本由香里 白泉社

『ナウシカ ガイドブック』 徳間書店

『有害コミック問題を考える』 創出版

『子どもたちのサブカルチャー大研究』 中西新太郎編 ROJUN

『日本アニメーション映画史』 山口且訓・渡辺泰 有文社

『まんがの玉手箱』 小山昌宏 リーベル出版

「カートゥーン・アニメーション一〇〇年史」 J・ベンダッツィ

「体制化した漫画 ポップカルチャーに反映される『力の均衡』」 Sharon Kinsella

「批判理論の射程」 三島憲一 

「サブカルチャーとしてのテレビゲームを考える」 坂本旬

「みえないもの/みえるものの対立軸では、もはや世界は見えなくなっている」 東浩紀

「ポップカルチャー(漫画・アニメーション)のダイナミズム」 東京財団フォーラム編

 

『社会文化研究』 第5号 (晃洋書房) 2002年 5月掲載予定