力道山(R)を引き継ぐ猪木の遺伝子(I)はUの運動を産み出した

プロレスは格闘技か

 プロレスは、いまや「格闘技」「K1」ブームの前に、完全にかすんでしまっている。その一方でプロレス愛好者は格闘技ブームの中で、いまだにオタク的な世界から離れられないでいる。プロレスはプロレスの中で「強さ」を誇示している幸せな時代を失い、格闘でその強さを証明しなければならない時代に飲み込まれてしまったのである。

閉ざされたプロレスファンは、「プロレス最強」を信じてレスラーについてきた。思い入れの強さがそうさせたのであるが、いまやその思い入れも、現実に高田、船木が相次いでヒクソン・グレーシーの前に敗れ去り、桜庭がグレーシー一族に勝ち続けるという逆転現象を目の当たりにしてプロレス世界の矛盾、ダブルスタンダードのいい加減さを自白することになってしまったのである。「プロレスは弱い、しかし強い」という矛盾は、強さの基準のないプロレスの世界に、確実に基準を設けようとする力に変わっていく。佐山も前田も70年代から20年の歳月をそのことに費やしてきたのである。しかし、やはりグレーシーという外圧、またしても黒船によってしか、プロレスの改革はありえなかった。

猪木が道を作り、佐山がレールを敷き、前田が走ったプロレスラーとしての格闘技ロードは、猪木の異種格闘技戦、UWF、新生UWFという運動体を作りえた。だが、格闘技なのか、プロレスなのか、ファンは「どちらなのか、はっきりしてくれ」と迫ることはなかった。ファンはそこにプロレス本来のもつ抱擁力、なぜファンはプロレスに自分の人生の縮図をみることができるのかというプロレスの役割とでもいうべき問題に出くわすことになる。感動し、勇気をくれたレスラーたち、時代とともに生きたレスラーの姿を思い起こすたびに、桜庭の試合はもはや「プロレス」ではないと気づきはじめた。だが、もしかすると桜庭の試合が21世紀のプロレスではないかという考えも頭をもたげ始めたのである。

   力道山を引き継ぐ強力な猪木の遺伝子

日本でプロレスを始めたのは、一応力道山ということになっている。だが、今日「プロレス」と呼ばれている道をとおしたのは、ジャイアント馬場であり、アントニオ猪木であることも紛れもない事実であろう。戦後、力道山のプロレスは(ビデオでしか見てないが)、アメリカに敗北した日本人の意気消沈した心を、マット上(舞台)でアメリカ人レスラーを空手チョップで打ちのめすことで鼓舞させた。力道山はアメリカ人に対する日本人の心の象徴であると自覚すると同時に、リング上で日本人に対するとき、在日朝鮮人の「日本人に対する戦い」を強く意識していた。

 馬場も猪木もプロレス人生のスタートは、この力道山の自己矛盾を自らのうちに消化することを余儀なくされたのである。馬場のプロレスは一般に王道と呼ばれ、猪木のプロレスは、覇道と言われた。まさに力道山にあっては、この王道と、覇道は一体であった。猪木は馬場がいたために、現在に連なる格闘路線を歩まざるをえなかったし、馬場は猪木がいたために、全日本プロレスを「激しく楽しいプロレス」にしなければならなかったのである。馬場が終始プロレスにこだわり、猪木が、激しくプロレスと格闘技の間で揺らいでいたのは、力道山の中にあった遺伝子、Rの遺伝子が強く猪木に伝わり、馬場には伝わらなかったということができる。このR(力)の遺伝子は、猪木から後に長州、天龍、前田を生み出していくことになる。プロレス界においては、馬場の遺伝子は残念ながら伝わらなかった。格闘技界に精通する猪木の遺伝子が今もって暴れまくっているといえよう。藤田と小川は間違いなく、プロレスが生んだ格闘技界の戦闘マシーンであり、二人は気づいていないが、猪木の純粋な遺伝子である。猪木は年とともに、戦いをその肉体から、精神にうつし、長州や前田との肉体の闘争から学び、リング内からリング外の闘争へとその路線を変え、フィクサーとして立ち振る舞う遺伝子の植付けに専念している。いい悪いは別にして、格闘技界は猪木の手中にあるといえよう。なぜならば、この方向性は、猪木が蒔いた種であり、猪木が育ててきたものだからである。

前田が昨今、より猪木的になってきたのも、R(力道山)の遺伝子が(猪木)を得て、前田に直に受け継がれたと考えられる。長州は前田ほど肥大した自我をもっていない。だが前田はその遺伝子を直接に植え付けることが下手なので、世界をつくること(UWF、リングス)で、多くの種をまいてきた。これはまさしく猪木の道である。スタンスは一緒でも遠くからヘリコプターで蒔く猪木と、手で一本一本植え付ける前田の性格の違いが、間接的に誤解される猪木と直接誤解される前田の遺伝子のブレを象徴している。しかし猪木も前田も覇道を歩いてきたことは一緒である。

全日本が駄目になったのも、天龍、長州亡き後、閉ざされた世界で戦いなれし、猪木の遺伝子が全日から消滅したからであった。そして新日が駄目になったのは、本来レスラーが爪をとぐ個の闘争が衆の闘争に変わったまま、脆弱な個が取り残されてしまったからであった。平成威震軍、狼グループ、後のNWOというムーブメントも、強い個(遺伝子)を残さなかった。武藤も橋本も満身創痍であり、蝶野もレスラーとして致命的な首に爆弾を残す結果となった。

だが小川に敗れた橋本の姿に、今日のプロレスの脆弱な個、遺伝子は見受けられなかった。間違いなく橋本にもRの遺伝子はながれている。武藤や蝶野はB(馬場)の遺伝子が強い。猪木と馬場の違い。それは、格闘技であるプロレスをエンターテイメントに高めたプロレスラーとエンターテイメントであるプロレスを格闘技に高めたプロレスラーの違いだけである。これは猪木の戦略勝ちであった。

                 →高田→桜庭     子  

      →馬場(B)×  ↑ →藤田          伝

力道山(R)         ↑  →佐山→小川      遺 

      →猪木(I)     →前田(U)→田村    R

 

猪木の遺伝子はプロレス業界があってこそ活性化する

 馬場の全日本プロレスと猪木の新日本プロレスの差は、プロレスの中で遊べたからこそ改革ができた猪木とプロレスにまじめにとりくんだがゆえに沈みこんだ馬場の違いである。馬場亡き後の川田・淵の全日本。三沢のNOAと猪木亡き後の坂口・藤波・長州の新日本を軸にプロレス界の特徴をみると、馬場の遺伝子を受け継いでいるのがNOAであり、猪木の遺伝子を受け継いでいるのはUである前田であるといえる。全日本、新日本にはもはや馬場、猪木の遺伝子はない。

 全日本と新日本が交流、提携していく方向性は、馬場、猪木なき両団体のカラーのみならず、理念すら希薄にならざるを得ないことを言い表している。巨大な中心軸を失った両団体は、今後格闘技界の戦国時代の一勢力に落ちていく危険性をはらんでいる。またNOAにしても従来の興業で観客をひきつけるのは大変難しい。プロレス界は格闘技界に対するスタンスをもっていないとPRIDEやK1的な興業に敗北をきすことになる。プライドはプロレス界の逸材を格闘技界に放出させる力となり、あるいは、リングス、パンクラスといったU系の遺伝子をもつ格闘家(レスラー)によって、レスラーの強さをはかる基準計となってしまった。各団体の力試しの場がPRIDEなのである。この場にでていかない全日本、NOAは、やがて動脈硬化をおこすだろう。猪木がPRIDEすら背後で糸をひく状況がすでに出来上がりつつある。猪木は、自分が知り尽くした全日やNOA、猪木なき後の新日などの業界があるからこそ、いいかえれば、格闘技指向を貫く躯があるからこそ思うがままに遺伝子をばら撒けるのである。レスラーは強い。本当に強い。それはプロレスのリングでこそ強い。ルールが変われば弱い。いろいろなことがささやかれる。プライドのリングは、当分の間、レスラーの意地と強さの測定機関として標準化されていくだろう。

  優秀な遺伝子は存在しない

 猪木の遺伝子の灰汁が、浸透するなかで、猪木の遺伝子の強さと優秀さが強調されるかといえば、必ずしもそうではない。馬場遺伝子は馬場的な人格者と融合してはじめてその本領を発揮するのである。だが三沢、川田に、馬場的な人格を求めるのは無理だろう。ともすれば猪木遺伝子の侵略をうけることになる。

 そもそもレスラーは、孤独であり、自分が一番強いというプライドをかけ、闘っている。この業界では馬場遺伝子より、猪木遺伝子は有利に動けるのである。意外に、馬場と猪木の遺伝子融合ができるのは、新日本の坂口会長なのかもしれない。馬場と猪木を知り尽くした男。坂口は新日本がプロレス界の中心軸として機能するように、格闘技界とのバランスをとっている。新日本のレスラーはガチンコでも強いぞ。と証明してみせる。スターとしてのレスラーとガチンコに強いレスラーはちがう。この矛盾こそが異種格闘技戦を生み、UWFをつくり、今日のPRIDEを生んだのである。この強さとスター性のバランスは、プロレス界になくてはならないものなのである。鶴田は強かったがスター性がなかった。高田はスター性があったが、強くなかった。強くスター性があった前田は人間性に難があった。そして強く、スター性があり、人間性も高かった馬場。強く、スター性がありながらもコンプレックスが強かった猪木。

 強さ、人間性、スター性をかね備えていたがゆえに、馬場は王国をつくり、維持することができた。強さとスター性を備えながらも、人間性に難があった猪木は王国を下克上とクーデター華々しい世界にしなければならなかったのである。それはもはや王国ではなく、戦国でありつづけた。

 猪木の遺伝子は、戦国下でその機能を全開にする。馬場遺伝子は、人格にやどらなければならず、プロレス界では、かなり特殊な遺伝子である。馬場遺伝子は突然変異でできる可能性が高い。だがどちらが優秀であると結論づけることはできない。遺伝子は機能がすべてなのだから。