世紀末コミックを読み解く @

           −松本零士にみるテクノロジ−と疎外                 

                                                       小山昌宏

はじめに

1995年 二つの事件が日本を襲った。それは戦後50年の間に発達した物質文明のもろさと、そうした物質文明に毒された精神が生み出した歪んだ事件であった。阪神大震災は文字どおり,物質づけにされ、組織化された生活そのものが激しく揺さぶられ、私たちのたるんだ精神そのものを直撃した。またオウムによる地下鉄サリン事件は、物質文明と組織文化によって幽閉されていた若者の魂の逃げ場所の末路を陽光の下にさらけ出した。そしての二つの事件は、間違いなく物質と精神、つまり私たちの文明と文化が、衰退期に入ったことを感じさせたのである。それはさらにバブル経済の崩壊、現在の長期不況化のリストラと長時間労働によるいっそう深刻なサバイバル競争の下で、精神文化が危機にさらされ、また地球環境破壊、天変地異の脅威の下で、物質文明が終末論の袋小路に迷いこんでしまったことを物語っている。

世紀末コミックは、そんな現状を打開できない私たちのイラダチと、すべてを0に戻して1からやりなおしたいという破壊願望を表現している。画面から伝わるイラダチは、現状のシステムでは創造的な力を発揮できない私たちのあきらめに起因している。それは英雄待望論(英雄救済伝説)すら起こらない、破壊と殺戮の世界、心の暗闇に私たちがとらわれはじめていることを示している。昨今の世紀末コミックに描かれる世界(「ドラゴンヘッド」 望月峯太郎)は、そのことを端的に物語っている。

さて世紀末コミックは、そのストーリーから大別すると5つの世界にまとめることができる。@ 地球環境破壊、自然の暴威による天変地異、文明の消滅(地震や洪水)。A 地球外生命体(エイリアンやウイルス)による侵略と地球外物質(隕石や暗黒星雲)の衝突や接近による地球の壊滅。B 核戦争、化学兵器、細菌兵器または地球そのものの機械化による生命の危機。C 超能力者、悪魔など、人類の進化内面の変化によってもたらされたハルマゲドン。D @〜Cによって崩壊し、壊滅した地球を舞台に人類の再生をテーマとした作品に分けられる。

@に該当する作品は、手塚治虫の「来るべき世界」「大洪水時代」「火の鳥 未来篇」、さいとうたかお「日本沈没」「ブレイクダウン」、田辺節雄「滅びの宴」など。Aに代表される作品は、星野之宣「ブルーシテイ」、諸星大二郎「生物都市」、岩明均「寄生獣」など。Bにあてはまる作品は、つのだじろう「メギドの火」、永福一成「チャイルドプラネット」、高橋明「機械生物都市ノーランド」、樹崎聖「タキオンフィンク」、松本零士「大純情くん」「男おいどん」など。Cに分けられる作品は、大友克洋「アキラ」、永井豪「デビルマン」、奥瀬サキ「神々の黄昏」、荻野真「孔雀王」など。

そして最後に分類されるのは、石ノ森章太郎「リュウの道」、宮崎駿「風の谷のナウシカ」、さいとうたかお「サバイバル」、ながやす巧「沙流羅」、原哲夫「北斗の拳」、楳図かずお「漂流教室」、永井豪「バイオレンスジャック」、山田ミネコ「最終戦争(ハルマゲドン)伝説、松本零士「ワダチ」など多数ある。

ここではまず手始めに、私たちの到達した物質文明と精神文化が乖離し、人間らしさが失われていく前提を描く作品、古くて新しい問題提起であるテクノロジーと人間の生命の関係性を松本零士の一連のマンガにみていきたい。

1、テクノロジーの発達と人間疎外

松本零士のマンガは、四畳半に生息し、無芸大食だが懸命に働き、明日を信じて生きる若者の日常生活を描いたものが多い。若者たちの名前は、大山昇太(男おいどん)、もののけじめ(大純情くん)、敷居高志(元祖四畳半物語)、ワダチ(わだち)、星野鉄郎(銀河鉄道999)である。彼らは皆、その図体と仕事ぶりから、まわりからは無能の烙印を押されている。しかし彼らは生きる力と強さ、勇気、やさしさを兼ね備えている。それはかっての松本零士地震の姿であり、貧しくも夢を食べて生きていた若かりし自己への愛惜の情にあふれている。

小さな下宿、アパートの片隅で、失敗をかかえ、くやし涙を流して寝るつらさ。二階の窓から星を眺めて、広大な宇宙、まだみぬ世界、めぐり来ぬ女性を夢見て若者は奮闘する。彼らはしかし今日を生きるのに精一杯であった。

彼らは自分たちが知らないところで、地球政府管理当局により、最下層の人間として登録され、人間が住めなくなった地球脱出リストから不適格者として地球に取り残されたり(男おいどん)、ラーメンを食べるだけでお金がもらえるアルバイトをうけたところ上層階級の三次元テレビに、最下層民の実態として見世物になって辱められたり(大純情君)人間機械化計画(銀河鉄道999)の人間の生、可能性、生命そのものとテクノロジーとの対立、戦いにまで高められていく伏線となる。もののけじめは、地球機械化計画を阻止するために島岡さんとともに戦い、星野鉄郎は自ら永遠の命を得られる機会の体となることを拒否し、機械帝国との戦いに身を投じていく。

松本零士のメッセージは単純明快で、骨太である。それは人間には明日を考える力があり、テクノロジーによって生み出された疎外と戦う力があり、その戦いを子孫に伝えていく力、すなわち文化を生み出す力が」あることである。永いメーテルとの旅の後に星野鉄郎がたどり着いた結論、それこそが「永遠の命」の答えなのである。

人間と機械の融合、この60年代に呈示され70年代に進化してテーマは、まだ情報テクノロジーが発達する以前の機械化する人間(サイボーグ009)と人間化する機械(鉄腕アトム)の単純な対立図式のいよって描かれた世界であるというイデオロギー的な欠点をもっている。しかし今日の私たちが、機械やPC、ゲーム機などのシュミレーションに深く影響されることで、その図式はあらたな意味付けをされることになる。人工知能の発明により、人間的なファジーな思考を可能とするCPやロボット、既存のCPと接触することで、機械的な思考に陥っていく人間。それは正しい人間の心を機械によって強化された身体を使って実践する意味においてドラマとなったサイボーグ009と、機械の身体ゆえに差別され、人間に近づくために人間の正しい心を持ちつづけなければならなかった鉄腕アトムの悲劇と対比することいができる。松本零士のマンガは、機械に人間を対立させることで、人間本来の生き方を問うたのである。

アート、ポリティカル誌 季刊「ALT」 7号掲載 1998