姫路アガペーチャペル あなたを生かす希望のメッセージ |
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人生の問題解決に何が大切な事で、何が必要な事なのか?バイブルメーセージに答えがあります。聖書はすべて人間生活の規範です(要約版) 入門講座 |
「地の塩として」マタ5-13〜16
5:13「あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。」
神の恵みによって、八つの幸いな生き方をしているあなた方は、すでに「地の塩」とされているのです。「地の塩」として生きているのですと言っておられるのです。
Tコリ 10: 31「食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。」は地の塩としての勧めの聖言です。
1)塩とは「純潔」を意味する。
塩は混ざり気の無いことによって「塩」の働きが出来るように、聖い者と言う意味をもつキリスト者は何時でも純潔を保ってきました。 純潔とは姦淫しない意味ですが、姦淫は偶像崇拝を意味します。例え迫害に会おうとも世と妥協したり世に流されないので、塩は塩なのです。人の言葉に惑わされるのではなく聖言が生活の基準です。
2)塩は「防腐」の役目をする事が出来る。
塩はものが腐るのを防ぐために使われました。つまり、聖める、浄化すると言った意味があります。堕落し変質して行く社会を食い止めるのは、地の塩としてのクリスチャンの役目です。
3)塩は「味付け」の役目をしている。
コロサイ4−6 身近な生活の中で周りの人に良い感化を与え、良い雰囲気をつくり、「私もあの人のようにクリスチャンになりたいな」と思ってもらえれば、塩の役目をしています。
創世記ではアブラハムが受肉前のイエス様に懇願するところが出てきます。それは、神様が、堕落して罪のある限りを行っているソドムの町を滅ぼす事を知ったからです。アブラハムは甥のロトがソドムに住んでいる為、何とか助けたいと思い、しきりに懇願しました。
その町に正しい者が50人いればどうですか? と尋ねたところ、主の答えは、「50人のために滅ぼさない」と答えてくれました。「では、40人いればどうですか?」「30人いればどうでしょうか?」「20人いればどうでしょうか」「10人いればどうでしょうか?」と、尋ねていくと「その10人のために滅ぼさない」と言って下さいました。しかしながら、ソドムには地の塩として生きている人が10人にも満たなかったので滅ぼされてしまいました。
塩として生きることがどれだけ重要なことでしょうか?その塩として生きるようにと、あの天地創造の主から選ばれたお互いなのです。
先週のメッセージ 2006,12,3 礼拝「迫害の報酬」マタイ5-10,11
マタイ5:10 「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」